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また一つ「歴史の真相」が浮かび上がる 第五福竜丸ビギニ被爆後の日米関係

(2011.07.24)  やはり、そうだったのか、という記事が7月24日付静岡新聞朝刊トップに出ている。

  第五福竜丸被ばく後の反核運動 米、平和利用技術で懐柔 1950年代、米公文書

という記事である。日本人の反核、反米感情をいかに抑えるか、「頭をなでる」懐柔策をどうするか、当時のアイゼンハワー政権が深刻に考えていた様子が具体的な公文書で明らかになった。

 同記事と公表された当時の米公文書を読むと、反核運動に対抗し、日本人の核アレルギーを解消するには

 原子力の平和利用

を強く打ち出し、日米でその技術協力を推進することが日米で合意されていく様子がよくわかる。

 これに対し、日本の科学ジャーナリズムがいかに無力であったかは以前のこのブログでも書いたのでここでは省略する。

 事件から50年以上もたってようやく、国際政治の冷厳、非情さを思い知らされた。2011.07.24

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