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2011年7月

走るトロッコ記者、今も心に残るグリコ事件 

 (2011.07.31)  ブログ子が、京都の大学教員から大阪の夕刊紙記者というメディア界に入って最初に出合った大事件は、すべての時効が成立し、未解決に終わった

 グリコ・森永事件(1984年3月)

だった。入社してわずか2カ月後のことである。大阪府警と大阪府庁回りを始めたばかりのことだった。

 先日の土曜日、この事件をNHKのスペシャル番組の中で、記者たちの取材メモと府警に残されていた捜査資料に基づくドキュメンタリーとドラマで再現した3時間近く費やして検証していた。当時、汽車(記者)ならぬトロッコとして走り回ったブログ子も思い出の事件として〝楽しく〟拝見した。当時、グリコ本部長とも言われ、刑事部長や捜査一課長の上に立って異例とも言える指揮をした四方修元大阪府警本部長もインタビューに応じていた。

 番組を見て、驚いたのは、この未曾有の大事件について、警察内部で、なぜ未解決になったのか、どこに捜査上の問題点があったのか、外部人材も入れた本格的な「総括」がいままで一度もなされていなかったという事実を知ったことだ。すべての時効が成立して10年以上たっても、そうしたことが府警内部で組織として行われなかったのは問題だ。もちろん、個々に当時の捜査員が退職後もこの事件を追う姿は映し出されていた。それはそれで結構だが、府警自体に総括報告書が、<部外秘>にして作成されていないのは、明らかに疑問だ。警察の閉鎖体質が事件解決を難しくしたことは否めない。

 では、番組を見て、そして、当時、いくつかの事件現場に走った者として、なぜ、未解決に終わったのか、当時指摘されていたことも含めて、改めて箇条書きに〝総括〟しておきたい。

 第一は、現場に駆けつけていた捜査員と府警上層部(捜査一課長、刑事部長、本部長)との意思疎通が十分ではなかったことだ。もっとはっきりいえば、むしろ齟齬をきたしていた。特に番組では、現場の職務質問をめぐる齟齬が強調されていたが、当時、現場に走った者として言えば、上層部不信は、この事件発生前から根強くあった。エリート本部長とたたき上げ捜査員の抜きがたい反目。当時、捜査本部に一体感がなかったことは当時の府警に出入りしていた記者なら、よく知っていた。意思の疎通という単純なものではなく、感情的な反目があったと確信できる。このことが、何度も、キツネ目の男など犯人逮捕の寸前まで行きながら、取り逃がす結果を招いたと、結果論かもしれないが、そういえると思う。警察は職階制の特に厳しい組織であったことが事件を迷宮入りにしたといえまいか。

 第二は、事件は県境を簡単に飛び越える高速道路時代が発達しきった時期に発生したのにもかかわらず、警察の捜査は県単位に縄張りがあり、広域捜査に不慣れであったことだ。縄張り意識に固執したことから、合同捜査会議は何回も開かれはしたものの、大阪府警と滋賀県警の積極的な協力捜査体勢が組めなかった。警察庁の近畿管区警察局(通称、近管)もエリート本部長のいる大阪府警に〝遠慮〟して、連絡・調整に終始し、高い見地からの指揮命令ができず、十分な捜査機能を発揮しなかったことも、未解決になった原因だ。

 第三は、捜査の中心は大阪府警であり、指揮命令は一元化されたものの、パソコン時代の前に起きた事件という事情もあり、各県警との

 情報の共有

が未整備だった。一元化は上から下へのトップダウンだった。このことが、滋賀県警の努力が報われなかった原因につながったように思う。一元化はしたが、各県警との情報の共有はなされず、むしろ、一元化は、極秘捜査という名の下に

 情報の制限

になり、犯人にたどり着くことを困難にし、取り逃がすという失態も起きたように思う。この典型が、情報の制限が、メディア各社との長期の「報道協定」にまで及んだのは、ブログ子は当時それほど気にしていなかったが、誘拐以外でこんな情報の制限を警察が要請したのは、やはり異常であり、すべきではなかったと反省している。報道協定で犯人逮捕、容疑者逮捕になっていれば、結果論ではあるが、情報の制限は有効だと報じられたことだろう。

 別の角度からいえば、異例とも言えるほど大量の遺留品があるのに、情報の共有の欠如が壁となって犯人にたどり着けなかったのであり、科学捜査を敗北に追い込んだともいえまいか。

 第四は、当時、ブログ子も痛感していたが、事件の拉致発生から、脅迫、身代金受け渡しなど、一連の犯行は、結束力の強い、しかも訓練されたプロ集団の仕業であるということだ。大阪府警ではそもそも解決が難しい事件だったことだ(もっとも、警視庁でも3億円事件をお蔵入りにしているから大阪府警だけを責めるわけにはいかないかもしれない)。

 番組を見ても、あらためてこのことを痛感した。捜査に当たった刑事自身もこのことを認めているのを拝見して、同感だと感じた。

 最後は、最初にも言ったことだが、この事件が起きる前から、未解決の事件について、なぜ捜査は失敗したのか、問題点を総括する体勢が警察内部になかったことだ。失敗を次の事件捜査に組織的に生かせる努力を積み重ねてこなかった。このことが、大事件のグリコ事件を迷宮入りにさせた。こういえば、大阪府警には酷な言い方であろうか。

 容疑者逮捕で裁判になれば、否が応でも証拠固めや捜査方法、なぜうまく解決したのか、詰める。表賞もあることだから熱心に検討される。しかし、未解決に終わった捜査には力が入らないのはあるいは当然かもしれない。仲間の捜査員に、いわば傷口に塩を刷り込むようなことは誰だってしたくない。第一、警察にはそんな暇はない。事件は次々に起こるのだから、というのでは捜査能力のアップはなかなか難しい。ぜひ、部外秘の総括報告書の作成を義務付けて、問題点を洗い出し、次の事件に生かす仕組みが必要だ。

 番組の最後に、現場の捜査員(大阪府警捜査一課特殊班)のひとりは、

 「どこに捜査のミスがあったのか、犯人に聞きたい」

と悔しさをにじませて述懐していた。本音だろう。しかし、それは総括報告書の中に書かれてこそ、次の機会に生かされる。犯人に問いかけるようでは、気持ちはわかるが、あまりに策がなさ過ぎるというか、恥ずかしい。法と秩序を守る最前線に立つ捜査員として、情けないではないか。

 以上、27年前に起きたトロッコ記者時代に起きた思い出の事件の番組に、いろいろ当時のことを懐かしく考えさせられた。

 夜中に、ふと、今頃、犯人グループはどこで、何をしているのだろうかと、冷酒を口に運びながら思った。2011.07.31

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ナマコの天国 定年後20年で6万時間

 (2011.07.30)   歌う生物学者として知られる本川達雄(東工大大学院教授)さんが、近著

  『生物学的文明論』(新潮新書)

という愉快な本を出版した。ブログ子と同じ歳の団塊世代で、20年前、名著でベストセラー『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)を出した。今回も文明は四角。でも、生物は丸いと説くのだから内容は面白くないはずはない。

 そのなかでも興味深かったのは、ご自身が30年も研究してきたナマコの話。なんと、ついには

 ナマコ天国

という歌までつくって、曲もつくり、自ら教壇で歌うのだから、うれしい。サービス精神旺盛なのだ。

 ナマコには脳はない。心臓もない。感覚器官もない。筋肉は少しあるが、ほとんどは分厚い皮ばかりのナマコ。金沢在住が長いブログ子には、真冬の赤提灯で、あのこりこりした歯ざわりのナマコ酢を食べるときの幸せは忘れられない。そのナマコというのは、正確にはナマコの皮なのだそうだ。

 そのほか、ナマコには目もない、耳もない。何を食べているのかというと、海底にある砂をもぞもぞと動いて食べて生計を立てている。いまどきの言葉で言えば、超省エネの生物というわけだ。

 本川文明論は、ゾウも、ネズミも「おのおのの動物は、それぞれに違った世界観、価値観、論理を持っているはずだ。たとえその動物の脳みその中にそんな世界観がなくても、動物の生活のしかたや体のつくりの中に、世界観がしみついているに違いない」(『ゾウの時間ネズミの時間)という成果を出発点にしている。

 人の定年前というのは、ゾウやネズミのようにそれぞれにエネルギッシュにはたらけばいい。しかし、生殖期間を過ぎた定年後は、人間というのは、生物学的文明論からいえば、

 いわば人工生命体

のようなものと説く。ナマコのような超省エネの生き方もいいのではないか。あれもほしい、これもしたいという生活から、なんにもない生活。ないない尽くしのナマコは大変な生活力の持ち主。ちょっとやそっとではやっつけられない。敵を追い払うドクも持っているらしい。

 そんなナマコの生活は天国だ!

というわけで、定年後はナマコ生活に限ると本川さんは結論付けている。そして、歌までつくってしまったのだ。

 人間の定年後の自由時間は、週二日はアルバイト・嘱託・雑用でつぶれたとして、また、年2週間は無給休暇をとったとしても、まだ、

 250日の自由日数

がある。一日8時間の睡眠をとり、4時間を雑用でつぶしたとしても、

 まだ、一日12時間の自由時間

がある。占めて、年間3000時間の自由時間がある。定年後20年生きたとして、

 ナマコ天国の自由時間はなんと、6万時間もある。これは、サラリーマンの基本給に対する所定労働時間(年間約1800時間)の32年分にもあたる。

 つまり、定年後のナマコ天国の時間は、6万時間

ではどうこれをすごすか。

 ブログ子は、現役時代にはできなかった大長編小説を味わう

         ブログ書きを楽しむ

         仲間をつくる社交ダンスを楽しむ

         仲間をつくるボランティアを楽しむ

         映画を楽しむ

         「赤提灯」を愛する

などのほか、まだ、いくつか、ここでは書かないが味わい、楽しむことにしている。料理を楽しむというのもいいような気がする。

 ところで、ふと、こんなに時間があるのだから、前回の世界記憶遺産の山本作兵衛さんのように何か、ライフワークに取り組んではどうかと思ったりした。

 しかし、気づいた、結構だが、それは山本さんだからできた「ナマコ天国」の過ごし方だったのだ。みんながみんなそんなライフワークなんかできるわけがない。山本さんも、まさか、これが記憶遺産に登録されるとはよもや思わなかったはずだ。ナマコ天国を30年続けていたら、それが結果としてむ記憶遺産になったのであって、

 よし、ひとつ、世界記憶遺産をライフワークにしよう

と30年間がんばったのではない(と思う)。懐かしい炭坑(やま)の記憶が人々から消えていくのがかなしいという、ただ、それだけの動機だったように思う。記憶遺産とはそういう純粋さが欠かせない。

 ナマコ天国文明論は、ライフワーク不要論に通じる

と自戒した。以前にも書いたが、現役を「登山の時代」とすると、それと対等な意味で、

 下山の時代を楽しむ

案外、そこからライフワークが生まれるのではないか、ナマコはそんなことを教えているのかもしれない。ライフワークに、ライフワークなしといえば言い過ぎか。2011.07.30

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何が明治の「坂の上の雲」を可能にしたか 世界記憶遺産、筑豊の炭坑画

 (2011.07.29)   静岡県と山梨県は、「富士山をユネスコの世界遺産に」しようと、先日、本選入りの条件となる推薦書原案を国に提出した。国内予選である、いわゆる暫定リスト入りから一歩前進だ。自衛隊や米軍の演習場がある富士山麓が世界遺産に果たしてなるものかどうか、あるいはふさわしいものか、疑問もあるが、おそらく、4、5年先jまでには世界遺産に登録されるだろう。

 富士山をまじかに見ながら静岡市の高層ビルで仕事をさせてもらったブログ子ではあるが、そのブログ子でさえ、めでたい、また観光資源に箔が付いた、ただ、それだけの感慨しかない。

 それに比べて、今年五月に、同じユネスコが登録に力を入れている「世界記憶遺産(コレクティブ・メモリー)」に

 国内で初めて筑豊の炭坑画(故人で、元筑豊炭坑夫、山本作兵衛、福岡県田川市出身)

が登録されることが決まった意義は大きい。画期的な出来事だ。よくぞ、ユネスコは、「源氏物語」を蹴飛ばして、炭鉱画を選んだものだ。その高い見識に敬意以上のものを感じるし、登録に賛成だ。

 記憶遺産とは、人類が共有して持つべき記憶の遺産。山本さんは、62歳で退職後、亡くなるまでの30年間に自分が体験したり、見聞きした事実をそのまま約2000枚もの絵に描き続けた。その炭坑画は明治維新後、日本が富国強兵策で驚異的な産業の発展を成し遂げる原動力は何であったかを如実に、暗い部分、忌まわしい部分も含めて明解に示している。ここが評価されたのだ。

 実際に、仲間のリンチなど、炭坑で働いた人でなければ描けないリアリティも高く評価された。炭坑(やま)の記憶を残したいという山本さんの努力は、きしくも、一言で言えば、日本の近代化を推進した産業の生きた歴史となって結実した。それも政府などの公式記録には出てこない知られざる、したがって忘れ去られようとしている生の人間の息遣いが伝わってくる歴史として記録されたのだ。

 ロシアの南下膨張策の阻止という明治政府の正義と門閥にとらわれない実力主義という明治の明るい雰囲気を描いた司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」。その「雲」に国民こぞって目指し得たのは、

 坂の下の炭坑夫たちの命の危険にさらされながらの重労働

によって掘り出された石炭というエネルギーがあったからだろう。2011.07.29

  参考 2011.08.19

  山本作兵衛 新装版画文集『炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』(講談社)

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日本調査捕鯨副産物、ミンク鯨を食する 

(2011.07.26)  紀伊半島南端部の太地町を舞台にした「鯨の町に生きる」という番組を見たせいか、団塊の世代には懐かしい鯨の肉を買って食べてみた。

 いわゆるデパ地下で、

 100グラム当たり650円の生食用、161グラム(1046円)パックを、半額セールで買って、半分を刺身で食べてみた。しょうが醤油で食べたが、正直な感想を言えば、

 臭みはそれほどではないが、どうもおいしくない

 かつて小学校の給食で食べたごちそう「くじらのフライ」(実際は、醤油漬けにして片栗粉で揚げる竜田揚げだったように思う)ほどにはおいしくなかった。

 表示を見てみると、刺身用加工鯨肉(解凍)であり、原材料名は

 ミンク鯨(北西太平洋・南氷洋)、食塩、pH調整剤、コラーゲン、酸化防止剤(V.E、V.C)、グリシン、ヒヤルロン酸、増粘多糖類

となっていた。保存温度は4℃以下となっていた。日本人は、気づいていないが、こんな形で鯨肉は市中に出回っているのだ。

 生食は口に合わないので、残りの半分は、フライパンで焼肉にして、醤油をかけ、胡椒をふりかけて食べてみたら、臭みも消えて、子供のころの懐かしい味がいくらかよみがえってきた。

 大阪では、鯨料理として、水菜とともに味わう冬のハリハリ鍋が有名。大阪で夕刊紙記者をしていたとき、この安い料理をよく食べたものである。

 鯨料理にあう調理法をもっと工夫、広めたいものだ。2011.07.26

 ( 追悼 )  2011.07.26

  飲み仲間のH氏(59歳)が、誰にも看取られることなく質素なアパートの自室で亡くなった。死亡を知ったのは、26日正午ごろだったが、死後、2、3日たっていたらしい。孤独死だろう。

 糖尿病生活が長いが、最近、1、2か月は特に、体調が思わしくなかったらしい。亡くなる10日くらい前に馴染みの飲み屋でビールを飲んだが、げっそりと顔がやせていたのが妙に気になり、病院にいくことを進めた。今から思うと、もはや生きる気力がなくなっていたように思う。 

 知らせを受けたとき、ブログ子は、大長編小説、『徳川家康』(全18巻)を読破中で、第十三巻の

 江戸・大阪の巻 朝の葵

を読んでいた。家康はここでこう言っている。

 「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし」「急ぐべからず」

 H氏の重荷や来し方に思いをはせる一日となった。

 ふと、友人の死に接して、深夜、60歳を過ぎたわが身を振り返り、

 今、笑って死ねるか。

 今、死んでも悔いはないか

 自問した。答えは出なかった。合掌。

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「ザ・コーブ」、それからの鯨の町、太地町

 (2011.07.25)  一昨年、2009年にドキュメンタリー部門でアカデミー賞を受賞した

 「ザ・コーブ」。

 和歌山県太地町という鯨の町の畠尻湾の入り江でイルカが大量に殺され、ほとんどを食用として出荷されている事実について、米海洋保護協会がドキュメンタリー映画にまとめ、世界的な反響を呼んだ。

 あれから二年、その太地町のその後の様子をNHKが淡々とした語り口で、教育テレビで紹介していた。

 鯨の町に生きる

その苦悩や、鯨漁師の「いさな組合」の対応を冷静に、そして丁寧にカメラで追っていた。

 番組によると、批判をかわす対策として

 ① 入り江を天幕のようなシートで覆い、「捕獲した鯨を殺すやり方は、残酷と思う人もいるので、見せないようにする」

 ② 入り江内で逃げ回る鯨を殴り殺す、刺し殺すというこれまでのやり方を改め、牛などの食肉処理同様、瞬間的に処理できる仕方にする

などの対策がとられているようだ。

 ただ、なぜ、鯨を殺す最後を見せてはいけないのか、という疑問には、組合の鯨漁師たちにもなかなかはっきり納得できる説明はなかったように思う。

 鯨やその仲間のイルカは、人間に近い言語能力、家族意識、さらには文化や歴史もあるという人もいるくらいに人間に近いことが、鯨の残酷な最後を見せてはならないという鯨漁師の意識にあるのかもしれない。絶命する最後の瞬間の鯨の目に当の鯨漁師ですら

「かわいそう」

という思いがよぎると述懐していたのが印象に残った。

 番組を見て、

 入り江に網を張るなど逃げ場をなくされて追い込まれた鯨を、よってたかって刺し殺したり、殴り殺したりするというような、あたかも集団虐殺のようにみえるような殺し方は、やはりやめるべきではないか。伝統漁法であり、鯨肉文化が日本にあるにしても、その時代にあった食肉処理の工夫があってしかるべきであろう。

 いさな組合も、頭数の資源管理を徹底しているにしても、それでもなお当然と思ってやってきた自分たちの漁法が、現代にマッチした方法であったのか、どうか、海外の批判を貴貨として、反発するだけでなく、謙虚に反省し、漁法そのものを見直す必要がありはしないか。そうすれば、日本の国民の支持も広がるだろう。2011.07.25

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また一つ「歴史の真相」が浮かび上がる 第五福竜丸ビギニ被爆後の日米関係

(2011.07.24)  やはり、そうだったのか、という記事が7月24日付静岡新聞朝刊トップに出ている。

  第五福竜丸被ばく後の反核運動 米、平和利用技術で懐柔 1950年代、米公文書

という記事である。日本人の反核、反米感情をいかに抑えるか、「頭をなでる」懐柔策をどうするか、当時のアイゼンハワー政権が深刻に考えていた様子が具体的な公文書で明らかになった。

 同記事と公表された当時の米公文書を読むと、反核運動に対抗し、日本人の核アレルギーを解消するには

 原子力の平和利用

を強く打ち出し、日米でその技術協力を推進することが日米で合意されていく様子がよくわかる。

 これに対し、日本の科学ジャーナリズムがいかに無力であったかは以前のこのブログでも書いたのでここでは省略する。

 事件から50年以上もたってようやく、国際政治の冷厳、非情さを思い知らされた。2011.07.24

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「情報の共有」の落とし穴 なぜ起きた、米機密軍事情報大量流出事件(マ二ング事件)

(2011.07.23)   世界のドキュメンタリーで

 マ二ング上等兵の戦争

というのを見た。なぜ米機密軍事情報が大量に漏洩したのか、という問題を追求したものだ。簡単に結論を言ってしまえば、

 3.11事件以来、「情報の共有」を進めた結果

というわけだ。

 これまでは、情報にアクセスする資格があっても、情報が省庁ごとに縦割りで管理されていて、部外者などその必要性がないものには壁となって情報提供を制限してきた。ところが、この情報の制限が壁となって、テロ犯罪者の追及の兆候がいろいろありながら、決定的な情報をつかむことができなかった。

 情報の制限

がテロリストの動向をつかみにくくしていたというわけだ。

 そこで、資格さえあれば、情報入手の必要性は問われないというセキュリティシステムにしたために、これまでよりセキュリティ壁が低くなり、大量流出を招いきやすくなったというわけだ。上等兵という比較的に低い階級でも、米極秘軍事情報の入手がいとも簡単にできたのは米国防省はもちろん、国務省にとっても衝撃だったろう。

 こうしたことと、最近の、米機密外交公文書大量流出事件、いわゆるウィキリークス事件とは、原因としては同根だろう。

 情報の共有

は、恐ろしい結果を招きかねないのだ。

 これは何も、軍事、外交だけではない。日本国内でも、情報の共有という便利さから、クレジットカード情報が簡単に、しかも、大量に情報を共有している子会社企業から流出する事件が頻発していることとも無縁ではない。

 「情報の共有」の落とし穴は、情報社会のアキレス腱になりかねない。新しい防止手立てが必要ではないか。制限することの良さも見直すべきだ。2011.07.23

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何が「チェルノブイリ」を引き起こしたか。自殺に追い込まれたある科学者の回想

   (2011.07.23)  NHKBS1の「世界のドキュメンタリー」という番組で、先日深夜、

 ドキュメンタリー・ドラマ「チェルノブイリの真相」

というのを放送していた。ある科学者のあくなき真実の追求という副題が付いていた。

 要するに、1986年4月26日、土曜日の当日、炉心爆発の現場に向かい、現場で何が起きていたかをつぶさに調査した政府調査委員会の中心科学者、ワレリー・レガソフの回想録をもとにしたドラマ。ドラマは、時間を追って進行する。同氏は、調査報告書を作成し、真相を明らかにしようとしたが、真相の核心部分を最終報告書に盛り込む]ことはできなかった。そこで、回想録の形で、真相を公表。事故から2年後

 「これを語るのは私の義務」

と言い残して自殺した。「これ」とは、事故がこれほど深刻化した本当の原因がなんであるかということ」なのだ。

 これまでは、この事故を引き起こしたのは、

 黒鉛型原子炉の欠陥、つまり、停止寸前の低出力状態では炉心内の核分裂を制御棒で制御するのが難しく、暴走する危険性があるという欠陥

に帰されている。この欠陥について、当時、現場の運転員には知らされていなかったというのが、事故の原因だったとされている。事故当時、何も知らない現場の運転員は、無駄に動いている低出力状態を利用して、より効率よく安全に原子炉を運転するある試験をしようとして、核暴走を引き起こしたというわけだ。

 しかし、この科学者の回想録は、こうした事故の責任を運転員だけに押し付けられない重大な問題点を指摘していた。

 事故が、大規模な付近住民の避難、その後の放射線障害などこれほどに深刻になったのは

 炉心爆発と溶融という現実の事故に正面から向き合い、対策をとることを恐れた官僚たちの

 秘密主義(依らしむべし、知らしむべから)の体質

 保身のための責任逃れの体質

にあったと、ドラマの中の回想科学者ははっきりと

指摘していた。このことが、政府部内の官僚組織と軋轢を生み、それが彼を自殺に追いやったのだろう。政府関係者による暗殺だったかもしれないと感じた。

 極端な官僚主義がはびこっていた社会主義政権の末期で起きた大惨事。そして、情報公開の必要性を叫ぶゴルバチョフ書記長が登場して20年以上がたつ今、ようやく、チェルノブイリ事故の真実が、当時直接現地で調査した決死の科学者の回想録によって姿を現し始めたように感じた。

 一言で言えば、チェルノブイリ事故をあれほど深刻化させたのは、責任が自分に降りかかるのを恐れて現実と正面から向き合うことに最後まで抵抗した

 事なかれ主義の官僚主義

であったのだ。

 この教訓は、今の日本にも生かさなければならない。2011.07.23

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どう違う「浜名湖うなぎ」と「浜名湖産天然うなぎ」 夏の土用の丑の日に考える

 今日は、7月21日で

 夏の土用の丑の日。

 と言えば、うなぎである。ブログ子は、浜松に住み始めて3年、実を言うと、脂っこいうなぎは好んでは食べない。しかし、デパ地下も、うなぎ専門店も、すし屋も、みんな

 うなぎ、うなぎ

 である。うな重よし、蒲焼きよしの浜松である。思い切って「天然うなぎ」を一匹、2500円も出して買って食べてみた。背開きの長蒲焼というやつだ。

 いろいろな表示があるので、戸惑うが、

 「浜名湖うなぎ」と「浜名湖産天然うなぎ」

の違いをご存知か。ブログ子も知らなかった。今、このブログを、その浜名湖産天然うなぎを冷酒を飲みながら味わいながら、書いている。あちこち、電話して取材してみて、ようやくわかった。つまり、こうだ。

 浜名湖うなぎというのは、浜名湖養魚漁業協同組合が浜名湖で養殖したうなぎのブランド名であり、協同組合員でしか、使えない名称だ(ただし、現在のところ、特許庁の、いわゆる地域団体商標にはなっていない)。養殖だから、安定した品質を安定供給できるというよさがある。ただ、養殖のえさの関係で脂っこいうなぎに仕上がる。JR浜松駅高架下の漁協直営店の「丸浜」が人気店だ。

 一方、浜名湖産天然うなぎは、文字通り、浜名湖で成魚を仕掛けて捕ったうなぎである。えさ針をいくつも吊り下げて延縄漁法でとるのが一般的だ。えさが地域によって異なるのが特徴だ。また、伝統的な竹筒の仕掛け(「もじり」という)で獲るという方法も今でもあるようだ。また、天然であることから、安定した品質の管理は難しく、安定供給もなかなかままならないという事情がある。関係者によると、天然うなぎの漁獲量は年々少なくなっているという。浜名湖産以外にも、琵琶湖産というのもあり、登録商標ではなく、通称だ。

 ブログ子が、今、食べているのは、この後者、多分、延縄式で成魚になったものを獲ったものだろう。味がさっぱりしている。これなら、夏場の酒の肴にいけると思った。

 最近では、試験研究機関では、幼魚、稚魚も養殖できる「完全養殖」が成功している。これは、高値のうなぎを買わざるを得なかった消費者にとっては、値段が安くなる分、朗報だろうが、しかし、養鰻関係者にとって、朗報なのかどうか。浜松に暮らし、産業の振興を願うブログ子としては、ちょっと心配な「丑の日」になった。2011.07.21 

  追記 どう違う、「うな重」と「うな丼」

 蛇足ながら、うな丼は、ご飯の上に、うなぎの蒲焼が乗っている。牛丼とおなじだ。

 これに対し、うな重は、外から見ただけではわからないが、下のご飯の中間層にも、うなぎの蒲焼が入っている。だから、こちらのほうの値段が、うな丼より倍近く高いのだ。「重」という文字は、うなぎの蒲焼が二重に入っているという意味でつけているのだ。

 うっかりして、うな丼は丸い器の丼を使い、うな重の器は、箱型であるので高いと勘違いしないこと。

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イルカ殺しの「ザ・コーヴ」批判の背景 仏伊映画 「グランド・ブルー」

「海の日」だからだろうか、7月18日の夜、

 「グランド・ブルー」(リュック・ベソン監督、1988年)

をBSプレミアムで見た。一言で言えば、イルカを家族のように愛するようになった、いわば「イルカになったフリー・ダイバー」の愛の物語。グランブルーとは、もはや太陽の光も届かないような水深100メートルよりも深いところをさす。

 映画では、若くて天才的なダイバー、ジャックは人間の恋人よりも、イルカがすきになる。

 満月の夜の海面下で、イルカと〝手〟をつないで泳ぎ回る様子が映し出されていた。いかにも、恋を語り合いながらの遊泳のように描かれている。

 イルカと人間の関係をいかにもヨーロッパ映画らしいしゃれた作品に仕上げていた。公開当時、欧米で、若者を中心に大きな反響を呼んだらしい。

 昨年2010年、日本で公開された日本のイルカ漁法をOPS(米海洋保護協会)が世界に告発した「ザ・コーヴ」(アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞)が、なぜ高く評価されたのか、この映画を見終わって、やっとわかった。「グランブルー」は、環境保護がご都合主義であってはならないことを強く訴えているような気がした。

 その意味で、自分の立場は無条件に正しいものとして主張をぶつけ合う、環境保護か、食文化か、という二者択一の果てることのない次元の低い話ではないこともわかった。

 当時、この映画を批判する側も、伝統漁法派も、こうした映画があったことを紹介したものはなかった。人間とイルカの共生はできないものなのだろうか。イルカが生きていける海であってほしい。2011.07.19

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歴史の思い込み 祇園祭の京を訪れて 

File0012  久しぶりに7月14、15日、祇園祭りの京都を訪れた。街中の俗化した姿に憤慨したのはもちろんだが、学生時代を通じて15年以上、京都市内で暮らしたのにも関わらず、

 歴史の思い違い

に痛感させられた一泊二日の小旅行だった。

 思い違いのその一。秀吉の建てた聚楽第は、なんとなく御所の東側の左京区にあった。

となんとなく思っていた。これは完全に間違い。聚楽第は御所から500メートル以上も西の堀川通りよりもまだ西側。堀川通りに面する安倍清明神社の鳥居に接するように

 千利休居士聚楽屋敷址

という石碑が建っていたのには驚いた。

  彼は、この聚楽第内にあった聚楽第内屋敷から出て、近くの私邸屋敷で切腹したのだ。その屋敷とは、堀川通りと烏丸通の間だろう。このあたりは大名屋敷がひしめき合っていた。

 聚楽第は堀川通り一条戻り橋より西。つまり「西陣」、それもかなり西にあったのだ。

 第二の思い込み。織田信長が明智光秀に殺された

 本能寺は、いまの京都市役所前

というのも、間違い。確かにそこにはいま、本能寺があるが、これは秀吉の都市計画で移転した結果なのだ。

 焼け落ちた本能寺は、四条西洞院(四条堀川)上がる、つまり京都市立堀川高校構内

だった。その白御影石柱が瀟洒な堀川高校入り口に立っている。お墓は、信長の遺体は見つかってはいないが、

 大徳寺の総見院

であることはよく知られている。

 思い違いの第三。伏見区の丹波橋から見える大天守閣の伏見城は、秀吉のつくった伏見桃山城である。

 これも完全に誤りであることが、現地を訪れて、お笑い種の間違いであることに気づかされた。本物の秀吉の木幡伏見城=伏見桃山城は、あの天守閣よりも東の

 桃山御陵の中の明治天皇の陵あたりに天守閣があった

のだ。では、いまのあの〝立派な〟大小ふたつの天守閣はなにかというと、これは、近鉄が遊園地「伏見キャッスルランド」をつくるにあたっての人寄せ目玉施設としてお金をかけてつくった鉄筋の建物なのだ。昭和39年開園と現地の解説立て札にあった。いまはそのキャッスルランドも閉演して8年もたつ。ブログ子が訪れたときには、人っ子ひとりいない無人の「運動公園内」にむなしくたっていた。したがって、文化財的な価値はないのだ。現地近くに長く住んだことがあっただけに、かえって思い込みがなかなか解けなかったのだ。

 閑話休題。

 以前にもこのブログにも書いたが、定年後の楽しみとして、ブログ子は

 大長編小説を味わうこと

を心掛けている。たとえば、全10巻を読むには時間がかかるから、その間に、現地探訪ができて、思い込みや間違いなどに気づくことも多い。その分、味わいもよくなる。もうひとつ、大長編だと、小説に登場する人物の対立とそれぞれの心の葛藤が深く、深く書き込まれている点がいい。さらに、多様な角度から掘り下げられていて、大変に味わい深い。いまもって、現役時代にもっと大長編小説を読んでおけば、もっと出世するか、人生の哀愁を理解できたのになあ、と反省している。

 これまで、現役の時に買ってはみたものの、ついつい読んで来なかった大長編を読むことをすすめたいというのが今回の京都小旅行だった。

 祇園祭では、錦市場のある鮮魚店(錦大丸)で夜が、売り物のその鮮魚を囲んでの飲み屋になる。見知らぬ人たちと、あるいは浴衣姿の女性と大いに酒と魚で盛り上がった。季節柄、ハモ料理(落としという)が人気だった。

 一時間いたが、わずか1200円だった。こういう京風情こそ残してほしいというのが、鮮魚台を囲んだ多くの人たちの心だったように思う。2011.07.17

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「文明の生態史観」はアメリカをどう位置づけたか 梅棹忠夫没後一年『考える人』追悼特集に物申す

書店には、〝つまらない〟売らんかなの東日本震災関連本が、津波のように店頭に並んでいるが、きちんとしたものは無きに等しい。月刊誌『科学』も遅ればせながら、過去の記事をかき集めて店頭に並べているが、学術的な論文ばかりで、今の状況には対応できていない。

 そんな夏涸れのような店頭に、

 季刊誌『考える人』2011年夏号

で、昨夏亡くなった梅棹忠夫さんの追悼特集

 「文明」を探検したひと

を組んでいる。「文明を探検した人」とは、ずばり、梅棹さんの仕事を一言で表現しており、感心した。

 少なくとも旧アジア大陸では、自然環境こそが人間社会を規定したとする「文明の生態史観も、当時、社会を変えるのは人間の階級闘争であるというマルクス唯物史観盛んな利子時に、耳目を轟かせた。今ではすっかり旧アジア地域については妥当として定説化している。梅棹さんの最大の功績であろう。

 そのほか、前後間もないころにぶち上げた漢字亡国論(ローマ字論者)の信念は終生曲げなかった。1950年代には、「妻無用論」も当時の女性を怒らせた。なんのことはない、梅棹さんは探検家として、現地では炊事洗濯はもちろん、女性の仕事と考えられていたことはみんな自分でこなした経験を述べただけなのだ。だから、女性をそうした束縛から解き放てといいたかったのだろう。炊事洗濯は妻の専売特許ではないというわけだ。

 そんな中から梅棹さんの

 「文明の生態史観序説」(1957年)が登場した。そして、序説に次ぐ「本論はいつ出るのか、やきもきしていたブログ子だが、その後、それを一般に解説、敷衍しただけで本論ではない『文明の生態史観』(中央公論社、1967)が刊行された。

 それをさらに、川勝平太氏の唱える海洋史観にも言及して

 『文明の生態史観はいま』(2001年)

が出版されている。

 しかし、依然として、生態史観の本論は出ていない。

 しかも、『いま』で佐伯啓思氏(二つの史観の今日的意義)や杉田繁治氏(梅棹文明学を再読する)でも指摘されているように

 文明の生態史観からみると、現代のスーパーパワー、アメリカをどう評価するか、という分析がすっぽり抜け落ちている。

 このような分析がない限り、梅棹文明学は未完成、あるいはより、厳しく言えば、画龍点睛を欠くというべきだろう。

 20世紀半ばからアメリカが急速に勃興してきたことの理由を、環境が人間社会を規定するとする生態史観の真価は見極められないだろう。

 それなのに、

 なんと上記の没後1年の追悼特集の『考える人』には、まったくこの点に触れていないのは奇怪だ。

 特集では、

 「梅棹文明学」の来た道の鼎談で、横山俊夫京大人文研究所教授が

 「文明の生態史観を梅棹さんが書くに至った背景には、アメリカのモンゴル研究者、F.H.シュルマンと議論を重ねつつ、中央アジアからインドに入った経緯がある。おそらく、アジアを論じるに当たって欧米にあった言説のストックの中から引き出されたものに、梅棹さんが自分で見てきたものをつき合わせながら、練り上げた、合作論(それが文明の生態史観)ではないかと思います」

と推測している。

 であれば、余計に、南北アメリカなどを含めた文化の生態史観を完成し、本論をまとめてほしかった。それを受け継ぐのが、人文研であり、国際日本文化研究センター、国立民族学博物館の役割ではないか。

 追悼特集の目的は「梅棹の言葉と情熱をもう一度見直してみたい」というのだから、現代のアメリカを含めた南北大陸を縫合した史観の本論を探求すべきであろう。21世紀に入って、諸文明間の衝突が激しくなっている折、余計にこうした感を強くするのはブログ子一人ではないはずだ。

 結論的には

 いまだ「文明の生態史観」は序論の段階にとどまっており、本論のない未完成史観

といえそうだ。本論があれば、衝突の原因を歴史的に、また自然環境的にも分析でき、そこからの結論は国際政治の地政学にも貢献するものとなる。

 探検家として、梅棹さんは唯物史観にとって代わる新しい文明史観づくりの先陣を切った。大枠やアイデアをまとめるのが得意だった。これに続き、海洋史観の川勝さんは別にして、本論にまでこの仕事を纏め上げる力のある人材が今、いないのが、さびしいというのが、追悼特集を読んだあとの読後感だった。2011.07.13

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対話らしくない「核をめぐる対話」 大石又七さんの後遺症におびえた57年 悲劇を繰り返さないために

 日曜日の教育テレビで、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎さんと、ビキニ環礁で被爆した元第五福竜丸乗組員、大石又七さんの

「核をめぐる対話」

を見た。場所は、都立第五福竜丸展示館(東京都江東区夢の島」の船上。大江さんとの対話は、相手が誰であろうと、たいてい話がかみ合わないので、大石さんの場合もそれほど、イライラすることなく大石さんの話に耳を傾けることができた。

 感想を一言で言えば、教えられることの多い大石さんの話だったが、対話がかみ合わないので組み合わせの妙から生まれると期待した提案がなかったのがさびしかった。

 大石さんが被爆後焼津に帰港したとき浴びた放射線量は

 1000-2000ミリシーベルト。一般の人の年間許容被爆腺量は

 1ミリシーベルト

であるから、帰港前にすでに、髪が抜けたり、嘔吐があったりしたらしい。

 加えて、放射性物質が大量に含まれている「死の灰」を吸い込んだことから、被爆後も長年にわたる体内残留放射能物質による「内部被爆」も加わる。その蓄積線量は、長年たつと直接被爆線量より多くなることが少なくないことがチェルノブイリ事故調査に長年関わっている広島大学の調査で次第に明らかになっている。

 教えられたことのひとつは、この事件で核兵器の恐ろしさを日本にふたたび知られたことから、米側は、核兵器からことさらに日本人の目をそらす狙いで

 原子力の平和利用

を打ち出したことだ。日本側も、読売新聞社正力松太郎氏、財界が挙げて、平和利用を叫んだという事情を知った。なぜ、アメリカが1950年代中ごろから急に日本に対して原子力の平和利用を強く支援することになったのか(1955年に原子力基本法成立)。それは実は、この第五福竜丸被爆事件(1954年3月1日)が背景にあったのだ。当時は反核運動が高まり、それを押さえ込む工作が冷戦の中、日米で盛んに画策されていた。長崎・被爆浦上天主堂遺跡もこうした流れの中で、保存運動から撤去へと転換に追い込まれていった。第五福竜丸も、その後行方不明となるなど、被爆の証言遺跡が次々と、反核運動のもの上がりの中で消えていったことは、偶然ではない。

 この間、被爆の後遺症が仲間から次々と現れて、がんなどで50代で死亡するなど、後遺症の不安におびえながら、故郷を離れ、東京でクリーニング店を営みながら、周囲の偏見と差別から逃れようと、心ならずも

「世の中から隠れることに集中」

したという。しかし、

「何の罪で隠れて生活しなければならないのか」

という憤りを感じざるを得なかったという。その怒りが東西冷戦の終わった1991年

『死の灰を背負って』(新潮社)

を刊行させ、広く自分の体験を語り継ぐ決意となったのだろう。こんな辛い目にあっているのに、自分たちが黙っているせいもあって、その体験が世間から忘れ去られていくという現実に耐えられなかったのだろう。大石さんの悲劇は1950年代の冷戦本格化とともに始まり、1991年の冷戦の終結とともに解き放たれて、重い口を開いたのだ。大石さんをはじめ第五福竜丸の乗組員は

冷戦の被害者

ともいえる。

 今、静岡県焼津市はヒロシマ、ナガサキに次ぐ

 第三の〝被爆地〟

として、核兵器廃絶に取り組もうと昨年から

 焼津平和賞

を制定した。つい先日、6月30日に第二回の授賞式があった。

  マーシャル諸島のビギニ環礁付近の住民も第五福竜丸と同様に被爆している。今もって、後遺症の甲状腺がんや障害に苦しむ住民も少なくないという。

 原爆よりも爆発力ははるかに大きい水爆の被害にあった第五福竜丸の悲劇は、そのときその場所にいた人たちの共通の悲劇である。このことを忘れてはならないが、しかしながら、それだけに関わらず、核兵器廃絶への地道な取り組みにも目配りして、「核のない世界」の理想に少しでも寄与するよう表賞の対象を今後さらに広げてほしい。

 繰り返しになるかもしれないが、中立で当たり障りのない表賞なら、主催者も受賞者も自己満足するだけであり、極端に言えば、なくてもいい。そんな表賞は、真剣に核廃絶に取り組んでいる人を不愉快にするだけだろう。そんなことを大石さんから教えられたような対話にならなtかった対話番組だった。2011.07.04

 追記 2011.07.23

 ブログ子など、科学ジャーナリズムにかかわるものも、この事件では大いに反省することがある。それは、1950年代半ばは、この事件を契機として、新聞社に科学部ができるなど、科学ジャーナリズムの必要性が叫ばれだしたのにもかかわらず、

 名ばかりだった「科学報道」

だったことだ。この点について、本の情報誌『本の時間』(毎日新聞社)2011年8月号の「気になる科学 第31回」で著者、元村有希子毎日新聞科学環境部記者が、この事件をいちはやくつかんだ読売新聞社が記事の扱いを紙面上異常に小さく扱ったことを批判した上で、

 「当時の新聞はどこも、この事件をもっぱら米国批判の材料として扱うが、原子力が本来持つ影の部分について深く考察することを怠った」

と断じている。まったく同感だ。

 また、事件の翌年(1955年)の新聞週間の標語は「新聞は世界平和の原子力」であったとして、影の部分に目をつぶった「名ばかり報道」であったと当時の科学ジャーナリズムの未成熟さを元村記者は皮肉っている。実は、現在でも日本の科学ジャーナリズムは、この傾向から向け出ているとはいえない。

 余談だが、もっとも、この標語は、意味不明。どういう意味かよくわからない。新聞は原子力というのはどんな意味だろう。新聞は、世界平和に通ずる原子力を支持するという意味か。そんなあいまいな意味では、核兵器だって世界平和を維持するのに役立っているともいえる。 

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長生きのコツは〝腹八分目〟 老化を抑える「飢餓遺伝子」 あまりに単純、 誤解が心配

 7月3日午後、先月12日のNHKスペシャルで話題を呼んだ

 寿命は延ばせる 長寿遺伝子

という番組の再放送を見てみた。その内容をひとことで言えば、

 長生きのコツはまさしく〝腹八分目〟

というカロリー制限にあるということだった。金沢医科大で、男女4人を対象に、通常の食事量を4分の一カットして、一ヶ月後、二ヵ月後に、細胞中でエネルギーを生み出す

 ミトコンドリアの量

を測定する実験が紹介された。その結果、ミトコンドリアがはっきりと、たとえば30%以上も増加したというものだ。

 それがどうした、といいたくなるが、番組全体を見ての結論を言うと、

 数ヶ月間、腹八分目という飢餓状態に細胞がおかれると、細胞内のミトコンドリアは、不足分を効率よく補おうと、ミトコンドリアを増殖し、しかも、エネルギー発生時に出る老廃物とも言うべき活性酸素の発生をできるだけおさえる遺伝子、飢餓遺伝子(番組では長寿遺伝子)を活性化させ(つまり、活性酸素を抑える酵素を出し)、その結果、人体の組織や臓器を傷つけるのをおさえるというわけだ。

 番組では、80匹の飼育サルを、半数はカロリー制限、残りは制限なしの食事を与え、20年間、飼育した結果も紹介されていた。制限のないサルの半数は死亡。これに対し、制限のあるサルはなんと8割が生きているという(米ウィスコンシン大学での老化を遅らせる実験)

 老化の原因は、おそらく人体の組織や臓器の活性酸素による破壊のほか、前項で述べたように「長寿と性格」というのもそのひとつに過ぎない。そのほか老化には、さまざまな生活習慣病の原因なども含めて100種類以上の原因があるといわれており、それらを総合した結果がその生き物の寿命ということになる。

 この番組では

 ミトコンドリアの出す活性酸素の量をおさえる働きのある

 サーチュイン遺伝子(飢餓遺伝子)

にのみ注目していた。これは問題を単純化しなければテレビではなかなかその趣旨が伝わらないことからあるいは仕方のないことかもしれない。しかし、誤解を生みやすい。

 どんな誤解か。

 こうした遺伝子がたくさん含まれている黒ぶどうなどから抽出した

 ラスベラトール

を含むサプリメント(健康補助食品)を常用すれば、カロリー制限などしなくても、悪玉の活性酸素の発生を抑えてくれて、長生きができるという誤解だ。しかし、サーチュイン遺伝子が発見されて10年、いまだこのサプリが医学的に効果があると臨床試験で確かめられているわけではない。

 たとえ、確かめられたとしても、遺伝子を含むサプリを飲んでも、それを活性化させる、つまり、酵素を作り出し、それがミトコンドリアの出す活性酸素の発生を抑えなければ、効果はない。カロリー制限の場合は、活性化のきっかけは細胞の飢餓からの脱出であったが、飽食の中で飲むサプリの場合、そのきっかけは何なのだろう。そのあたりの納得のゆく説明はなかった。いくらサプリを飲んでも、遺伝子が活性化しなくては、飲まないのと同じだ。

 番組でも強調していたが、飢餓遺伝子をほとんどすべての生き物が持っているのは、進化の過程で飢餓にたびたび出会うことがあり、そこから生まれてきた自己保存機能であろう。それを飢餓でない、つまり腹いっぱい食べ続けて、長生きしたいというのは

 人間の強欲

ではないか。進化の過程とは異質である。

 それと、もうひとつの誤解、この飢餓遺伝子さえうまくコントロールすれば、

 人間の平均寿命は100歳まで延びることも可能

と番組の終わり間際に語っていたのは、誤解を招くというよりも誤りであろう。老化の原因は100種類以上あるらしいから、

 人間の平均寿命はおそらく数百、数千の遺伝子の「多重フィードバック」という総合的な相互作用で決まる

というべきではないか。

  このことをきちんと述べないでおくと、番組を見た多くの人は、ひょっとすると、カロリー制限するだけで、それすらいやな人はサプリを飲むだけで、簡単に長生きできる、と安易に思い込んだり、誤解を与えたりしかねない番組になる。そんな印象を持った。

 人間やほかの生物は数十億年の進化の中で、遺伝子を新たに創出するだけでなく、既存の遺伝子を組み替えたり、それでもうまくいかない場合には遺伝子の組み合わせをそのもの変えたりと試行錯誤を繰り返しながらたくましく生き残ってきたのであるという進化観をもって、番組制作に当たってほしい。

 たった一つの遺伝子で人間の何々が決まるという幻想はもうやめにしたい。わかりやすいが、とんでもない誤解を生み、危険ですらある。

 危険もさることながら、皮肉をひとつ。そんなに長生きをして、あなたは何をしたいのか、ということがもっと問われるべきであろう。長生きするだけが人生の目的ではない。もっとも、この目的を教えてくれるそんな便利な遺伝子があれば、それこそ人類の福音だろう。残念ながら、神は、そんな便利な人生目的遺伝子なるものまで人間にはお与えにはならなかったと思う。2011.07.03

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最も短命なのは、離婚後、再婚しなかった男性で、その65%以上が70歳までに亡くなる

最近、床屋で、何気なくふと読んだ「週刊現代」(2011年7月9日号)

 「長寿と性格 1500人を80年間追跡した米国研究資料「長寿計画」」

という記事。この記事ほど、ブログ子にここ数年で読んだ週刊誌のどけよりも衝撃を与えたものはない。いわゆる与太記事ではない。歴っきとしたスタンフォード大(L.ターマン教授)、カリフェルニア大リバーサイド校(S.フリードマン特別教授)の詳細な分析論文が元になった記事である。

 このレポートによると、定期的な健康診断、適度な運動、食事は腹八分目、サプリメントの補給、積極的な緑色野菜の摂取といった健康維持には欠かせないと信じられている要素に注意を払っていた人、いわゆる健康オタクは、調査対象の中の長寿者にはいなかった。まず、この点が衝撃だ。これでは、今、世界中の健康ブームは何だったのか、という疑問どころか、怒りが湧き出てくる。

 それではどんな性格の人が70歳を超えても健在なのか。その共通の性格とは何か。

 それは、慎重さ、良心的といった、「まじめな」性格なひとほど長生きする

という結論なのだ。これに対し、陽気で快活、笑顔が絶えないという明るい人は、長生きすると信じて疑わないと思うが、一般の人より、短命なのだそうだ。普通の人より、無理に明るく振舞うなど、不健康な生活をしているのが原因らしい。

 ブログ゜子が最もショックを受けたのは、長寿と結婚生活の関係だ。

 一番長生きは、一人の奥さんと生涯連れ添った男性で、その多くは70歳以上長生きする。その次は、不思議なことに、生涯独身男性。

 最悪なのは、つまり、最も短命なのは離婚後、再婚をしなかった男性で、その65%以上、つまり、3人に2人が70歳に達する前になく亡くなっている。日本と米国では寿命が3年ほど日本のほうが長いことがわかっているので、これは、日本人の場合、再婚しないと、73歳までに亡くなる公算が強いという単純計算になろう。妻との死別では、男性はそのほとんどが数年後は息絶えたという。女性にはこうした著しい傾向はない。

 このデータ、ブログ子には、身にしみて実感できる。小学校時代からの友人(医師兼研究者)はf離婚後、5年ぐらいで、再婚もしないまま悪性リンパ腫で58歳の若さで亡くなっている。

 ところで、最も知りたいのは、健康で(寝たきりではなく)長生きためには、するどうしたらいいかということだろう。この研究(記事)によると、

 「もっとも簡単な投資は、社交の輪を広げることなのかもしれない」

としている。自分の居場所として、社交のネットワークが広い人ほど長生きする、社会とのつながりがあることが長生きにつながるというわけだ。

 それには、毎日、人に会う。

 老後はのんびりと田舎暮らしは、長生きできないのだ。

 だから、この記事を読んで一念発起、

 かつて習っていた社交ダンス(ボールルームダンス)を再開したいと決心した。1時間でたったの3000円なのだ。楽しいと思うことをする、それが社交のネットワークを広げるのに一役買ってくれれば、長生きが可能かもしれない。

 Sall we ダンス ?

2011.07.02

 追記 07.02

  この週刊誌の記事には、

 「まじめ度」チェックリストがあり、どれくらい長生きできるかについて、点数化される。

 やってみたら

60点満点で29点 (ちなみに37点以上の人が「とても長生きに適した」性格だとされている)

ちょうど真ん中。ということは、ブログ子は日本人男性の平均年齢80歳くらいは長生きしそうだ。

 今思い出したが、息子夫婦との旅行(2003年1月)で香港に行ったが、そのときの手相による姓名判断では、生命線が長いということで、

 「とても長生きする」と出ていた。おそらく、85歳以上の長生き。ただし、元気で長生きなのか、寝たきりで長生きなのか、聞き忘れた。

  注記 この研究資料、翻訳書が今年末の12月末ごろに清流出版から刊行予定という。確かに、一読の価値はあると思う。推薦したい。

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