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万博「太陽の塔」は縄文人の土偶をイメージしたものだった 

 最近、BSプレミアムテレビで

 新日本風土記

という番組を何気なくみた。長野県諏訪市の諏訪大社で七年に一度行われる

 御柱礼祭

の準備の様子や、勇壮な氏子たちの祭当日の動きが紹介されていた。樹齢200年以上の古木が使われるという。こうした巨木には神が宿っていると信じられているからだそううだ。

 この番組には突然、岡本太郎さんが熱心に生前40年間も祭りを見に出かけていたことが紹介されていた。常宿まであったというからびっくり。

 なぜ、通ったのかというと、この巨木を切り倒し、綱で引き、そして立てる神事は、縄文時代から行われてきたことがわかっているらしい。金沢市の海中遺跡からその巨木引き跡がある巨木が見つかっているからだ。つまり、諏訪は今なお縄文の祭礼文化を受け継いでいることになる。

 岡本太郎さんは縄文時代の土偶に、縄文人の独創性、創造性に強く引かれていたと番組で紹介されていた。太郎さんは、そこに日本人のエネルギーを感じ取っていたらしい。だから、縄文人のまつり、御柱祭にも積極的に参加したのであろう。

 とすると、岡本太郎さんの代表作の

 太陽の塔

全体が土偶からヒント、というか現代風に模したものだと気づいた。塔のお腹のところにある少しゆがんだ顔は「現代の顔」とされているが、土偶面からヒントを得たのであろう。太陽の塔の天辺の金色の面(顔)は「未来の顔」といわれているが、これも縄文人の土偶面を抽象化したものに違いないと確信できた。

 万博から40年以上たつが、ブログ子はこの間、太陽の塔は何を表しているのか、今ひとつわからなかったが、

 日本人のエネルギーの源流

を岡本さん流に表現したものなのだ。それを未来につなげようとして、金の顔を現代の土偶てっぺんにつくったのだ。

 新日本風土記という別にどうということのない番組から、太陽の塔の製作意図が読み取れるとは思わなかった。

 もう一度言うが、太陽の塔は、現代の土偶なのだ。2011.06.21

  追記 2011.06.26

  NHKの土曜ドラマ

 TAROの塔 岡本太郎生誕100年記念 (プロデューサー 北村信彦)

をみた。2011年春から土曜日に4回シリーズで放映していたものらしい。ブログ子はこの放送を全然知らずに、偶然、6月25日土曜日にその最終回を見た。おそらく再放送なのだろう。岡本太郎が大阪万博のテーマ(人類の進歩と調和)にふさわしい像として、いかにして「太陽の塔」をいかなる意図をもって製作したかがドラマのテーマ。クライマックスはやはり、このドラマの「公式ホームページ」も見たが、

 この異形の塔に込められたメッセージとは何だったのか、に迫った最終回であった。

 最終回からも、そして(あらすじから推しておそらく第一回から第三回にも)

  太陽の塔は、岡本太郎が、日本人の独創性、創造性の源として、愛して止まなかった

 縄文の土偶が持つエネルギー

に言及シーンはなかった。わずかに、最終回のはじめのほうの「夜の会」での若者たちの会話シーンに誰かが、岡本のテーマは

「原始」

と一言言った場面が1秒くらい流れたくらいだった。あとはまったく縄文に触れたくだりはなかった。

 これはとても残念だった。なぜなら、このドラマの核心は、作者の言葉で言えば、

 「太陽の塔という異形の塔に込められたメッセージは何だったのか」ということを突き止め、浮き彫りにするはずだったからだ。なのに、そのことがすっぽり抜けていた。掘り下げ足りなかった。だから、もうひとつ、見るものにこつんと響くものがなかった。岡本太郎の奇矯さだけがクローズアップされたようであった。

 岡本太郎は、晩年パーキンソン病にかかり15年前(1996年1月)に84歳でなくなったが、このドラマをみたら、そうじゃない、と嘆いたであろう。

 もっとも、作=大森寿美男も、

 このドラマで描いたのは、岡本太郎の本質の一部でしかない。全部ではないと断っている。作品に自信がなかったのだろう。核心をつかんだという実感がなかったのだ。

 つまり、岡本太郎は反体制派、前衛芸術の旗手

としてもてはやされたということばかりが、ドラマで強調されていたが、それは岡本太郎芸術の本質とはむ違う。

 岡本太郎は日本人の源流、縄文人の芸術、土偶のエネルギーを

 べらぼうなもの

として高く評価していたのである。

 いわば、岡本太郎は、西洋かぶれではない保守本流

なのだ。だから、岡本太郎は、テーマ像づくりを引き受けたときに

 「人類は進歩などしていない。こんなテーマなどくそくらえだ」

と正直に言ったのだろう。

 まとめると、べらぼうなものをつくろうとした太郎の製作の原点は

 縄文の土偶のエネルギー

なのだ。それを「芸術は爆発だ」と表現したのだろう。岡本太郎氏は後半生では、仮面に大変に興味を持った、顔に興味を持ったのも、土偶からの影響だろう。

 さいごに、岡本太郎は、芸術は見る人になんらかの影響を与えるものでなければならないとして、だから、

 「芸術は心地よいものであってはならない。不快であるべきだ」

 といったのも、諧謔趣味ではなく、むしろ岡本芸術の本質を突いていると思う。

 

 最後に、メキシコで岡本太郎の

 「明日への神話」

という作品(1969年)が、五、六年前、35年ぶりに見つかったのはうれしい。修復して、川崎市岡本太郎美術館で展示されてることになるという。

 このタイトル「明日への神話」というのは、これまでの「人類の進歩」という現代の神話に対する痛烈な批判とみるのは、うがちすぎであろうか。

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