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「想定外」を見通す想像力って何? 日本科学技術ジャーナリスト会議会長の巻頭言読んで

 東日本大震災で有名になった

 想定外

という言葉は、間違いなく今年の流行語大賞に選ばれるだろう。それくらい最近のマスメディアに頻出している。

 日本科学技術ジャーナリスト会議の会誌も震災特集(臨時増刊号)2011年5月号の巻頭言で、武部俊一会長(元朝日新聞社科学部長、論説委員)が

 「想定外」を見通す想像力

と題して、持論や反省を述べている。「ジャーナリストの基本は事実を正確につかむことにあるにせよ、「想定外」を見通す想像力が欠かせない」という。だから、想定外という「この言葉を安易に受け入れては、ジャーナリストの敗北」と書いている。だから、今回の原発災害では、取材不足、勉強不足を恥じなければならないとも書いている。

 いちいちもっともだ。しかし、ことが起こった後になら、そんな抽象的なこともいえるが、ことが起こる前にどこまで想定して、あるいは想像して取材すればジャーナリストとして妥当なのか、具体的、かつ経済合理性とのかねあいを図りながら、であることも考慮すると、現実的には、よく取材して想定外を想定せよ、想像せよと言ってみてもきわめて難しいのではないか。

 そのことは、専門家にもいえる。たとえば、

 原発において、その安全基準において、すべての外部電源が長期にわたって喪失する事態は考慮する必要はない」と原発安全基準に明記されている。今回、そういう事態が津波によって引き起こされたわけだが、この基準を決めた内閣府の原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は、そういう記述があることは知っていたが、この考え方が間違っているかどうか考えたことはなく、「つい、うっかりしてそのままになっていた」と、NHKのインタビューで話している。この長期にわたる外部電源の喪失で、事故直後の原子炉の状態がまったくわからず、その後の事態を混乱させたり、深刻化させたりしたことはその後の事故対応ではっきりしている。原子炉が崩壊(メルトダウン)しているのではないかとの憶測が周辺住民に恐怖を与えた。事実、事故初日には、1号機では、冷却用の水が循環しなくなっており、その結果、炉内が空焚き状態になり、燃料棒が高熱でメルトダウンしていた。

 想定外を想定することは、このように専門家でも難しい。科学者依存性の強い日本の科学ジャーナリストに、専門知識はもちろん、社会との関係にかかわる分野に対しても

 「想定外」を見通す想像力

を期待するのは至難ではないか。ないものねだりとまでは言わないが、むなしい気がする。

 武部会長は最後に

 「3.11に開いたパンドラの箱から、さまざまな災いが飛び出した。希望は残っているはずだ」

とこころもとない結びをしているが、ブログ子に言わせれば

 起きてから騒ぐ日本のジャーナリズム

にそんな希望が残っているとは、言葉のあやとしてはともかく、実感としては、受け止められない気がする。

 悲しいことに、私自身、原発担当論説委員を長くやってきたが、津波が発電所のすべての外部電源を長期にわたり喪失させることがあるというとは、一度も考えたことはなかった。稼動中の原発において、地震発生時、制御棒が燃料棒にすばやく差し込まれることがない事態、すなわち地震時には核暴走がおきるのではないかという疑念は何度も警告したことはあったが、今回は、この点は想定どおりにことが運んだのには、むしろブログ子は驚いている。2011.06.14

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