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2011年6月

タコはどのくらい賢いか いずれ人間の知性を超える?  地球ドラマチック

 日曜日の教育テレビ

 地球ドラマチック タコの知能を大研究

というのをやっていた。タコが賢いということは、このブログでも以前紹介した

(2009年12月16日付 タコも〝道具〟を使用)。南アフリカで行われたサッカーワールドカップの勝ち予想では、7、8回も連続して当てて世界を驚かしたドイツの天才タコが有名になった。

 でも、タコは、天才でなくても、普通のタコには

 すぐれた記憶力と学習能力

を備えていることを生物学者がさまざまな実験で証明していたのには驚いた。

 好物のカニを入れたピンなど、簡単にねじってふたを取り、中のカニを食べてしまう。本能でそうしているのではなく、ほかのタコの成功例を見て、学習し、自分の場合は、試行錯誤することなく、直ちにビンのふたをひねって開けてしまうことも実証された。成功例を見せないで同じ実験をすると、最初はいろいろ試行錯誤するが、ついに、正解を探り当ててしまうというのだから、オドロキだ。こうした実験は、自然界にはない状況だから、思考能力があることが推定できる。

 つまり、これまで経験したことのない状況にも推理力で、あるいは論理的、合理的な思考で、問題を解決することができる

のだ。これは、タコが道具を使うことがわかった以上にオドロキだ。

 私たち人類は、生物界では最高の知性を持っていると信じている。しかし、それはそう信じているほど確実なものではないのだ。

 また、人類、つまり、ホモ・サピエンスの次に出てくる高度な知性を持った生物としては、進化の過程から考えて、チンパンジーなど、人間と同じような脊椎動物であろうとついつい想像したがる。

 しかし、

『2億年後の地球 the FUTURE is WILD』(ダイヤモンド社、2003)

という生物学者の研究成果をまとめたユニークな本によると

 なんと、2億年後の地球で最高の知性は、スクイホンというイカの子孫

らしい。タコの仲間だというから、驚く。脊椎動物ではなく、無脊椎動物が地球を征服するというのだ。陸上の森林で樹上生活しながら活躍するという。

 地球の未来は、高度の知性を持ったタコやイカなどの無脊椎軟体動物の野生生物が支配する

というのは、いかにも意外な結果だ。

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旧ソ連の火星有人飛行計画  天才ロケット工学者が見た夢とは

先日、NHK番組を見ていたら、旧ソ連の宇宙開発について紹介していた。それによると、ガガーリン少佐が宇宙船で地球を一周し、無事に地上に戻ってきたとき(1961年)には、すでに、火星へ人類を送り込む計画があった。「地球は青かった」という歴史的な言葉を残した同少佐は、強力な打ち上げ用ロケット、R-7に宇宙船を載せて、地球を一周。地球帰還時には、同少佐の乗った帰還カプセルがうまく宇宙船から切り離されず、あわや事故になるところだったが、運良く乗り切ったらしい。

 火星へ人類を送り込む計画はこのロケットを使い、大気圏外で火星に向かう宇宙船を組み立てて、二年ぐらい飛行し、火星に到着させる計画だったらしい。当時の関係者の概念設計者が今も生存し、そのときの手書きの設計図を紹介していた。

 ただ、莫大な費用がかかることから、当時のフルシチョフ首相は計画の延期を決めていたらしい。もちらん、1960年代には月着陸を目指していた。

 問題なのは、こうした壮大な計画の責任者であり、主任設計者であった

 S.コロリョフ

という天才的なロシア人ロケット工学者が1966年、捕虜収容所以来の持病、心臓病でなくなったことであろう。コロリョフの死とともに、旧ソ連の宇宙開発は打ち上げなどに何度も失敗するなど、後発のアメリカに追い抜かれるという事態になったらしい。

 現在、旧ソ連の宇宙開発を引き継いでいるロシアでは、

 MARS500

という計画が進行中で、飛行士が長期間閉鎖空間で生活するとした場合、どのような問題点があるか、食糧の自給などその解決策を研究しているらしい。つまり、ロシアは、有人火星探査を着々と進めている様子が放映されていた。

 もちろん、火星好きのアメリカも有人火星飛行計画をあきらめてはいない。今はロボットによる無人探査が中心だが、数十年後には月基地から火星有人飛行に成功するかもしれない。

 私たちは、とかくアメリカのロボットを使った無人火星探査や日本のサンプル回収小惑星探査機「はやぶさ」などに、目が向きがちだが、ロシアも巻き返しに図っているらしいことがわかった。

 番組では、コロリョフの言葉として、

 「人類は永遠に地球にとどまってはいない。やがて太陽系のすべてを開発するだろう」

というのを紹介していた。これはガガーリンの時代にすでに言われていたのである。

 面白いのは、旧ソ連の宇宙開発にしても、アメリカの宇宙開発にしても、ナチスドイツのⅤロケットという弾道ミサイルの開発関係者の引抜から始まったということだ。

 戦争は、技術開発を確実に推進する力を持つ。2011.06.24

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「ダークマター」って何なのさ。 宇宙研究最前線は〝地下天文台〟の時代?

 先日、NHKのBSプレミアム

 「コズミック フロント(宇宙研究最前線)」

という番組を深夜、仕事から帰って、晩酌しながら見ていたら、

 この宇宙には、これまで人類が見てきた宇宙物質、星や星雲や、銀河や、なんやかんやすべてをふくめても、宇宙に存在する〝物質〟のわずか15%程度しか見ていない

というのだ。残り85%というほとんどすべての物質は、いまだ人類には探知されていないという。

 どうしてそんなことがいえるのかというと、ほとんど無数にある銀河系において、ぐるぐる銀河のまわりに回っている星星の(視線)速度が大きくて、もっと多くの物質が銀河の中になければ、そんな星は銀河の重力むを振り切って生まれてすぐにその銀河から放り出されてしまっているはず

というのだ。

 昔、いまから2、30年前にも

 暗黒物質

という言葉がよく使われた。見えない物質が星間に漂っているというのだが、これは冷たい分子雲。つまり、これについては、人類はこれまでよく調べてきていて、新しい星になる原材料と位置づけられている。

 ダークマターというのは、これとは全然別のもので、ほかの物質とはほとんど作用をせず、突き抜けるが、質量はある未知の物質。

 番組では、おそらく、水素原子の数十倍か数千倍の質量を持ち、しかも、ほとんどほかの物質と相互作用をしない、たとえば、素粒子物理学がある程度予言している

 超対称性粒子

ではないかという話を紹介していた。一時、わずかだが、質量を持つことがわかってきたニュートリノで説明できるのではとも言われたが、とても量的に足りないことがわかってきたらしい。

 そこで日本でも、この未知の粒子を検出しようと

 神岡(岐阜県高山市)の「地下の天文台」でいよいよ本格的な探索装置が稼動し始めている様子が番組でも紹介されていた。素粒子物理学のほうでも、こんな粒子が存在してくれれば、素粒子物理学の矛盾や無限大繰り込みの問題点を解消したり、いわゆる四つの力を統一できるのだという。

 それにしても、広大な、しかも宇宙の始まりにも関わる宇宙の大規模構造と、極微を扱う素粒子物理学の数学的に矛盾のない理論の完成とが手を携えて、未知の物質探しに研究者が学際的に挑んでいるのには驚いた。

 宇宙の大規模構造の解明には、物質の極微小の世界の理論が必要なのだ。

 それに伴い、いまや天文台というのは、地下深くの空の見えないところに建設される時代になったのだ。

 もはや、天文学に星空のロマンはない。そんなことを知った番組だった。2011.06.21

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万博「太陽の塔」は縄文人の土偶をイメージしたものだった 

 最近、BSプレミアムテレビで

 新日本風土記

という番組を何気なくみた。長野県諏訪市の諏訪大社で七年に一度行われる

 御柱礼祭

の準備の様子や、勇壮な氏子たちの祭当日の動きが紹介されていた。樹齢200年以上の古木が使われるという。こうした巨木には神が宿っていると信じられているからだそううだ。

 この番組には突然、岡本太郎さんが熱心に生前40年間も祭りを見に出かけていたことが紹介されていた。常宿まであったというからびっくり。

 なぜ、通ったのかというと、この巨木を切り倒し、綱で引き、そして立てる神事は、縄文時代から行われてきたことがわかっているらしい。金沢市の海中遺跡からその巨木引き跡がある巨木が見つかっているからだ。つまり、諏訪は今なお縄文の祭礼文化を受け継いでいることになる。

 岡本太郎さんは縄文時代の土偶に、縄文人の独創性、創造性に強く引かれていたと番組で紹介されていた。太郎さんは、そこに日本人のエネルギーを感じ取っていたらしい。だから、縄文人のまつり、御柱祭にも積極的に参加したのであろう。

 とすると、岡本太郎さんの代表作の

 太陽の塔

全体が土偶からヒント、というか現代風に模したものだと気づいた。塔のお腹のところにある少しゆがんだ顔は「現代の顔」とされているが、土偶面からヒントを得たのであろう。太陽の塔の天辺の金色の面(顔)は「未来の顔」といわれているが、これも縄文人の土偶面を抽象化したものに違いないと確信できた。

 万博から40年以上たつが、ブログ子はこの間、太陽の塔は何を表しているのか、今ひとつわからなかったが、

 日本人のエネルギーの源流

を岡本さん流に表現したものなのだ。それを未来につなげようとして、金の顔を現代の土偶てっぺんにつくったのだ。

 新日本風土記という別にどうということのない番組から、太陽の塔の製作意図が読み取れるとは思わなかった。

 もう一度言うが、太陽の塔は、現代の土偶なのだ。2011.06.21

  追記 2011.06.26

  NHKの土曜ドラマ

 TAROの塔 岡本太郎生誕100年記念 (プロデューサー 北村信彦)

をみた。2011年春から土曜日に4回シリーズで放映していたものらしい。ブログ子はこの放送を全然知らずに、偶然、6月25日土曜日にその最終回を見た。おそらく再放送なのだろう。岡本太郎が大阪万博のテーマ(人類の進歩と調和)にふさわしい像として、いかにして「太陽の塔」をいかなる意図をもって製作したかがドラマのテーマ。クライマックスはやはり、このドラマの「公式ホームページ」も見たが、

 この異形の塔に込められたメッセージとは何だったのか、に迫った最終回であった。

 最終回からも、そして(あらすじから推しておそらく第一回から第三回にも)

  太陽の塔は、岡本太郎が、日本人の独創性、創造性の源として、愛して止まなかった

 縄文の土偶が持つエネルギー

に言及シーンはなかった。わずかに、最終回のはじめのほうの「夜の会」での若者たちの会話シーンに誰かが、岡本のテーマは

「原始」

と一言言った場面が1秒くらい流れたくらいだった。あとはまったく縄文に触れたくだりはなかった。

 これはとても残念だった。なぜなら、このドラマの核心は、作者の言葉で言えば、

 「太陽の塔という異形の塔に込められたメッセージは何だったのか」ということを突き止め、浮き彫りにするはずだったからだ。なのに、そのことがすっぽり抜けていた。掘り下げ足りなかった。だから、もうひとつ、見るものにこつんと響くものがなかった。岡本太郎の奇矯さだけがクローズアップされたようであった。

 岡本太郎は、晩年パーキンソン病にかかり15年前(1996年1月)に84歳でなくなったが、このドラマをみたら、そうじゃない、と嘆いたであろう。

 もっとも、作=大森寿美男も、

 このドラマで描いたのは、岡本太郎の本質の一部でしかない。全部ではないと断っている。作品に自信がなかったのだろう。核心をつかんだという実感がなかったのだ。

 つまり、岡本太郎は反体制派、前衛芸術の旗手

としてもてはやされたということばかりが、ドラマで強調されていたが、それは岡本太郎芸術の本質とはむ違う。

 岡本太郎は日本人の源流、縄文人の芸術、土偶のエネルギーを

 べらぼうなもの

として高く評価していたのである。

 いわば、岡本太郎は、西洋かぶれではない保守本流

なのだ。だから、岡本太郎は、テーマ像づくりを引き受けたときに

 「人類は進歩などしていない。こんなテーマなどくそくらえだ」

と正直に言ったのだろう。

 まとめると、べらぼうなものをつくろうとした太郎の製作の原点は

 縄文の土偶のエネルギー

なのだ。それを「芸術は爆発だ」と表現したのだろう。岡本太郎氏は後半生では、仮面に大変に興味を持った、顔に興味を持ったのも、土偶からの影響だろう。

 さいごに、岡本太郎は、芸術は見る人になんらかの影響を与えるものでなければならないとして、だから、

 「芸術は心地よいものであってはならない。不快であるべきだ」

 といったのも、諧謔趣味ではなく、むしろ岡本芸術の本質を突いていると思う。

 

 最後に、メキシコで岡本太郎の

 「明日への神話」

という作品(1969年)が、五、六年前、35年ぶりに見つかったのはうれしい。修復して、川崎市岡本太郎美術館で展示されてることになるという。

 このタイトル「明日への神話」というのは、これまでの「人類の進歩」という現代の神話に対する痛烈な批判とみるのは、うがちすぎであろうか。

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夜の虹 ハワイ諸島カウアイ島

 先日の夕方、BSプレミアムTV

 夜のレインボーを探せ

とばかり、夜の虹探しをしていた。雨上がりに太陽を背にして前方を見ると、雨粒の大きさや、雲などの障害物さえなければ、理屈の上では虹は見える。そんなことは、理系出身のブログ子は当然のことと知っていた。仕事場のあった静岡市内の五階のガラス張りから富士山に虹がかかっているのを見たことがある。梅雨時の、思わず見とれる美しい光景だ。

 ところが、同じ理屈で、雨上がりの夜の満月を背にしても、条件さえ整えば、

 夜にも虹

が見えるはずだ。太陽よりは光の強さが格段に弱いから、夜の虹を見たことのある人はきわめてすくないだろう。ブログ子も見たことはない。出ていても気づかないこともあるだろう。雨上がりだから、空にはまだ雨雲もあり、そらが晴れたようにはなっていないことも、なかなか見ることのできない理由だろう。

 ところが、「グレートネイチャー」という番組で、

 夜の虹を見事に撮影した様子を紹介していた。

 場所は、ハワイ諸島カウアイ島(ハワイ諸島でも北の方)。

 実に、幻想的な虹である。ちゃんと七色に、しかし、うっすらと見えていた。ただ、肉眼ではレンズを通してみたほどにははっきり見えないのではないか。月の光が雨粒に反射してできる夜の虹は淡いからだ。集光力のある大きなレンズが欠かせないだろう。

 夜の虹。なんだか、小説のタイトルにしたいような現象だ。2011.06.21

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「父の日」前夜に一人飲む酒は「五百万石」純米吟醸 「E」さんありがとう

Image151  もう何年も前から、

  父の日(6月の第三日曜日)

にプレゼントなどもらったことがなかったのに、突然、一人住まいのマンションに

 純米吟醸酒

が届いたのにはびっくり。しかもラベルには、ブログ子の名前が、墨で大きく書かれているのに二度びっくり。醸造に使った米は極上の「五百万石」。ブログ子が酒好きだと知って奮発したのだろう。息子の女性知人からのプレゼントにまたまたびっくり。

 いつもはコンビ二で2リットル入り紙パック=1000円の安酒を毎晩2合ずつの晩酌をしている身分にはもったいないお酒である。もっとも、安酒の分、器、お猪口やお銚子にはこだわっている。たいていは、古九谷(再興)のお猪口と、能登半島突端の伝統名品、黒土の手触りがある素朴な珠洲(すず)焼きのとっくりで飲んでいる。

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 父の日前日のこんばんは、気分を変えて、能登半島の中ほどにあるガラス工芸博物館(能登島)で10年以上前に買った

 お気に入りの黒の高盃(ガラス製)

で吟醸を飲んでみたい。いかにも金沢らしく、盃の内側には金箔が散らしてある。

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり  (若山牧水)

  プレゼントされた酒は、とても、この調子では秋までは持つまい。「E」さん、ありがとう。こちらからは、新茶でも贈ろうかな。2011.06.18

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東日本大震災は、おいしいビジネスチャンス? うんざり、がっかり

 浜松市内でバスの待ち時間の合間に、浜松市でも有数の大きな書店をのぞいてみた。入り口のところに、

 東日本大震災、話題の本

という特設のコーナーがあった。この三ヵ月間、うんざりするほどの大震災本がバタバタとお急ぎで出版された。主に手早さが売りの新聞社、週刊誌を発行する大手出版社が中心。さすが機動力があり、商売上手である。

 ところが、この特設コーナーには、震災発生からまだ、三か月しかたっていないのに、

 なんと、

 『現代思想』7月号臨時増刊号 総特集 震災以後を生きるための50冊

 というのがあって、びっくり。もっともらしい特集だが、なんでもいいから50冊をかき集めて、その内容について、もっともらしい人に、震災にむりやり関係付けもっともらしい解説をしたものであり、じっくり思索にふけって特集を組んだというしろものではない。なにしろ、50冊のトップは

 竹内啓『偶然とは何か』

であり、これを大震災と結びつけるのだから、解説者も苦労しただろう。『海辺の生き物』というのもある。笑ってしまったが、これは図鑑なのだ。これが震災と何の関係があるのかと、解説を読み始めたが、ばかばかしくなって読むのをすぐやめた。紹介されたこの図鑑の著者、小林安雅氏もこんな紹介をされて、うれしいというよりも、怒っているのではないか。この伝では『How to sex』も50冊の中に含まれてもなんら不思議ではない気がしてきて、笑ってしまった。とりいそぎ出版しましたという、なんの思想もない増刊号のような気がした。

 私は、ときどきこの月刊雑誌を購入している。きちんとしたテーマをじっくり掘り下げている特集に感心しているからだが、今回の特集はいかにも安易。考える時間がないから、こんな特集でとりあえずお茶を濁したといえば、怒られるるかもしれない。が、この月刊誌の愛読者としてはなさけない気持ちにさせられた。せめて、じっくり考え、それを濃縮して一年後という節目に出版をしてほしかった。そうすれば、ひょっとすると被災者の心を捉えた特集に仕上がったかもしれない。裏を返せば、そんな悠長さがゆるされないほどに、今出版不況がますます深刻化しているからだろう。

 もうひとつ、このコーナーにいかにもふさわしくない本があった。

 『震災歌集』

というでかでかと署名を表紙に刻印した本だ。本というよりも、一ページに一首収められている装丁。著者は元大手新聞記者だったそうだから、こうした大慌て仕事は得意なのだろう。まじめに詠んだ歌が並んでいるために、余計にこっけいだ。

 アメリカに九・一一日本に三・一一瞑して想へ

という語呂合わせ的なごくごく程度の低い平凡な歌もあれば、

 二・二六事件企てし陸軍将校の幾人(いくたり)かは東北の青年なりき

という、不思議な歌もある。今回の震災と軍事クーデター、それも時代もその背景も違うものがどのように結びつくのか。だからなんだといいたい。とても「震災以後を生きるための一冊には決してならない」と思う。

 この歌集のあとがきには、「今回の震災は  (中略)  心の奥に眠っていた歌をよむ日本人のDNAを目覚めさせたようだ」

 と書いているが、そんな日本人がいないとは言わないが、多くても1人ぐらいだろう。

 とるものもとりあえず、震災を奇貨として、地震直後にともかくあわただしく詠んだのだろう。その目から鼻に抜けるような鋭いビジネス感覚には、のんきなブログ子などは足元にも及ばない。脱帽しなければならない。感心というよりも、えらいともいえる。

 ただ、ふと思ったのは、こんな出版は、今回の震災とはいささかも関係のない人たちののんきな世迷いごとのように感じた。被災者をばかにしているとまではいわないが、どこか非人間的なような気がする。思想もなければ、悲しみに共感する心もあるのかどうか心もとない。あるのはただ、瞬発力に訴えたビジネスだけだと、つついつい言いたくなる。

 思想とか歌集などというのは、技術や科学とは異なり、人間の心の奥にかかわる本であるはずなのに、それがどこか飛んでいってしまっていたのが悲しい。

 たとえば、被害者自身が震災直後にその怒りと悲しみを川柳にした記事があれば、ほかのうちひしがれた被災者を大いに勇気付けることになる。

 たとえば、「週刊ポスト」2011年6月3日号。

 「大津波 みんな流して バカヤロー」

 涙が涸れたその後に

 震災川柳「傑作選」

を特集している。被災者の恐怖、絶望、嘆き、不安がストレートには出さずに、ユーモアくるんでいて、読む人のこころを打つ。

 「ノーメーク 亭主おどろく 電気つき」

 「大津波 マニフェストまで 流し去り」

という川柳には、政治への怒りがにじみ出ていて、力強い。

 記事によると

 「困ってます 救援物資で 嫁がほしい」

 この句にはルーズリーフのメモ帳に書かれた「返句」がつけられていたという。

 「これだけは 無理だと思う 支援用」

 被災者のたくましさ、せつなさが伝わってくる。まだまだたくさん書かれていたが、要するに

 「いずれも目の前に厳然とある悲惨な現実を詠みながらも、どこかそれを前向きに笑うユーモアが感じられる」(同特集)。つまり、震災なんかに、津波なんかに負けないぞ、という心意気が川柳から伝わってくるのだ。

 上記二冊にはそんな心意気は伝わってこない。そこが悲しい。

  津波震災で、世の中になぜ川柳があるのか、その存在意義がわかった。それと、今回の震災では、週刊誌がおおいにその存在意義を発揮したといえそうだ。2011.06.16

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老フォトジャーナリストの執念 原発下請け労働者の取材40年

 なにげなく、毎日新聞夕刊6月14日付

 特集ワイド

を読んでいたら、フォトジャーナリストの樋口健二さん(74歳)が大きく紹介されていた。ブログ子も、もんじゅのナトリウム漏れ事故を事故直後しばらくたって現地を訪れた際、樋口さんに会ったことを思い出した。もう、16年も前の話だが、新聞の写真を見る限り、当時とあまりかわらない精悍さが印象的だ。当時、すでに原発労働者の下請けでは一年間の被爆線量が国の基準を超えていたことは広く知られていたが、樋口さんは、40年間にわたり下請け労働者の被爆の実態調査をレンズを通して取材していたらしい。肩書きは、当時、フリーのフォトジャーナリストだったが、現在は

 日本写真芸術専門学校副校長

とあった。肩書きと、原発との関係がうまくかみ合わないが、そこが、

 老ジャーナリストの執念

を感じさせる。記事によると、これまでに、百五十人もの労働者に取材したそうだ。

 樋口さんの執念を一口で言えば、

 起きる前に警告し、告発するジャーナリズム

を目指しているといえるだろう。現在のジャーナリズム、とくに科学ジャーナリズムが

 起きてから騒ぐジャーナリズム

 に堕している、あるいはいつの間にか話題にしなくなる

 尻切れトンボのジャーナリズム

であることを鋭く、そして静かに批判しているように感じた。これではいくら問題点を発掘しても、解決にまでは結びつかない。

 ブログ子は、そんな科学ジャーナリズムをなんとか変えたいとこれまでさまざまな著作やメディアを使って訴えて来たし、わずかな分野ではあるが、実行もしてきた。

 樋口さんは、今回の原発津波震災も含めた原発取材の集大成写真集

 『原発崩壊』(合同出版)

を来月、7月に世に出すという。大新聞、地域と結びついた県紙、大マスメディアにはこれまでできなかった優れた出版にしてほしい。

 この一冊が今年の意義ある一冊となることを期待したい。2011.06.15

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「想定外」を見通す想像力って何? 日本科学技術ジャーナリスト会議会長の巻頭言読んで

 東日本大震災で有名になった

 想定外

という言葉は、間違いなく今年の流行語大賞に選ばれるだろう。それくらい最近のマスメディアに頻出している。

 日本科学技術ジャーナリスト会議の会誌も震災特集(臨時増刊号)2011年5月号の巻頭言で、武部俊一会長(元朝日新聞社科学部長、論説委員)が

 「想定外」を見通す想像力

と題して、持論や反省を述べている。「ジャーナリストの基本は事実を正確につかむことにあるにせよ、「想定外」を見通す想像力が欠かせない」という。だから、想定外という「この言葉を安易に受け入れては、ジャーナリストの敗北」と書いている。だから、今回の原発災害では、取材不足、勉強不足を恥じなければならないとも書いている。

 いちいちもっともだ。しかし、ことが起こった後になら、そんな抽象的なこともいえるが、ことが起こる前にどこまで想定して、あるいは想像して取材すればジャーナリストとして妥当なのか、具体的、かつ経済合理性とのかねあいを図りながら、であることも考慮すると、現実的には、よく取材して想定外を想定せよ、想像せよと言ってみてもきわめて難しいのではないか。

 そのことは、専門家にもいえる。たとえば、

 原発において、その安全基準において、すべての外部電源が長期にわたって喪失する事態は考慮する必要はない」と原発安全基準に明記されている。今回、そういう事態が津波によって引き起こされたわけだが、この基準を決めた内閣府の原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は、そういう記述があることは知っていたが、この考え方が間違っているかどうか考えたことはなく、「つい、うっかりしてそのままになっていた」と、NHKのインタビューで話している。この長期にわたる外部電源の喪失で、事故直後の原子炉の状態がまったくわからず、その後の事態を混乱させたり、深刻化させたりしたことはその後の事故対応ではっきりしている。原子炉が崩壊(メルトダウン)しているのではないかとの憶測が周辺住民に恐怖を与えた。事実、事故初日には、1号機では、冷却用の水が循環しなくなっており、その結果、炉内が空焚き状態になり、燃料棒が高熱でメルトダウンしていた。

 想定外を想定することは、このように専門家でも難しい。科学者依存性の強い日本の科学ジャーナリストに、専門知識はもちろん、社会との関係にかかわる分野に対しても

 「想定外」を見通す想像力

を期待するのは至難ではないか。ないものねだりとまでは言わないが、むなしい気がする。

 武部会長は最後に

 「3.11に開いたパンドラの箱から、さまざまな災いが飛び出した。希望は残っているはずだ」

とこころもとない結びをしているが、ブログ子に言わせれば

 起きてから騒ぐ日本のジャーナリズム

にそんな希望が残っているとは、言葉のあやとしてはともかく、実感としては、受け止められない気がする。

 悲しいことに、私自身、原発担当論説委員を長くやってきたが、津波が発電所のすべての外部電源を長期にわたり喪失させることがあるというとは、一度も考えたことはなかった。稼動中の原発において、地震発生時、制御棒が燃料棒にすばやく差し込まれることがない事態、すなわち地震時には核暴走がおきるのではないかという疑念は何度も警告したことはあったが、今回は、この点は想定どおりにことが運んだのには、むしろブログ子は驚いている。2011.06.14

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新しい作風の映画に挑戦し続ける周防監督 「ダンシング・チャプリン」

 ちょっと暇なのにかこつけて、浜松市民映画館「イーラ」に出かけて、

 「ダンスイング・チャプリン」(周防正行監督・構成)

を観た。「街の灯」などチャプリン映画をダンスで表現し続けているフランスバレー団の出し物を、映画として永遠に残したいという監督の願いを実現したもの。

 今風のいやな言葉で言えば、

 ダンスと映画の〝コラボレーション〟

といえば、一般にはわかりやすいかもしれない。もともとチャプリンの映画だったものをバレーにして20年近くフランスを中心に公演していたものを、そのバレーを周防風に映画化しようというややこしい発想だ。せっかくのフランスでの「チャップリンを踊ろう」というのが団員の高齢化で廃れていくのを防ぎたいという事情もあったらしい。

 撮影場は真っ黒な舞台。

 これは観客をダンスにひきつけるのに効果的であった。しかし、途中に警官のバレーの野外での撮影が挟まったのは残念だった。失敗とまではいわないが、興ざめである。これはないほうがいい。

 パート1は、チャップリンと踊ろうという映画+ダンスができるまでの苦労話、楽屋話である。これもないほうが、良かった。ごたくを並べた分、作品の切れが悪くなった。パート1の言い訳が観客に緊張感を失わせてしまったのだろう。

 車内での痴漢をテーマにした「それでもボクはやっていない」ほどの社会性はないが、さりとて「Shall we-」のような娯楽映画というのでもない。観客に何を訴えたいのか、よくわからない映画だった。

 まあ、こんな映画もあっていいか

という程度のもので、たまにはこんな映画も肩がこらなくていいかもしれない。

 ただ、周防映画ではこんな新しい試みもしています、という意気込みは感じられた。やはり、監督の妻でバレリーナの草刈民代の魅力で観客を集めようとした作品だったように思う。2011.06.13

  追伸

 収穫は、今話題の

 ポーランド映画「木洩れ日の家で」が同館で10月に上映されることを知ってうれしかったことだ。そして、訪れる人生最後の時。孤独の中でいかに決断し、生きるか。満足のいく、あるいは納得のいく死とは何か、この映画を通じて考えてみたい。いかにもポーランド映画らしい作品であり、ぜひ見てみたい。

 それと、もうひとつ、こんな映画があるとはまったく知らなかったが、原発から生まれる放射性廃棄物の地下埋設施設の危険についての告発映画、

 「100000万年後の安全 フィンランドの場合」

 八月中旬に同館で上映するという。日本でも、ブログ子もかつて訪れたことのある青森県の六ヶ所村に建設中の中間処理施設が稼動直前になった今、トラブル続きでにっちもさっちもいかなくなっている。告発映画で六ヶ所村の施設も大きな話題になることだろう。見逃せない映画だと思う。2011.06.13

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『いとしのブルーフィルム』  もうひとつの映画史 長谷川卓也氏の執念

 かつて、ふとしたことで大阪の新聞社で出会った長谷川卓也氏(85歳)と、先月5月末、浜松で30年ぶりに再会した。今は奥様を亡くし、一人暮らしだそうだが、かくしゃくとした歩き方、何にでも興味を持ち、いかにも話し好きな後期高齢者だった。ブログ氏も定年が過ぎた62歳だから、干支で言えば、二周りも年回りが違うのに、話が弾んだ。

 夜は馴染みの赤提灯「串膳」で一杯飲んだ。そんな折、

 長谷川氏の自著

 『いとしのブルーフィルム』(青弓社)

をいただいた。ブルーフイルムと聴いただけで、私たち団塊世代には懐かしい。「大正末期から1970年代まで、大衆の秘匿された欲望をプライベート・テクノロジーを駆使して焼き込んだ「青映画」-〝もうひとつの映画史〟を掘り起こす」

との宣伝文句が表紙に書かれていた。赤提灯の近くには、路上に中国人らしい女性の「おにいさん、マッサージ、どうですか」の立ちんぼがあり、ファッションマッサージの店ありの雰囲気だから、なお懐かしかった。

 もう十数年も前に発行されたものだが、奥付をみると、長谷川氏は、「推理小説家、現代風俗研究家。主な著書に『<カストリ文化>考』『猥褻出版の歴史』(ともに三一書房)などがある」

と紹介されている。

 ブルーフィルムと、今のAV(アダルト・ビデオ)、裏ビデオとはどこが違うのか、と聴いたら

 長谷川氏「ブルーフイルムには、ちゃんとストーリーがある。今のはなんにもない」

と一刀両断だ。

 圧巻は、資料として巻末についている

 古今内外九百本のタイトル

 である。あいうえお順にずらりブルーフィルムのタイトルが並んでいて、壮観。

 長谷川氏(埼玉県越谷市在住)とは、今後、ある企画を練っているところで、ひょっとすると来年当たり、企画が実現するかもしれないと今から楽しみにしているので、飲み屋では、その件で大いに盛り上がった。

 もうひとつ、私には忘れられない不思議な本が手元にある。

 『SF 知識鉱脈』(笹原雪彦、日刊工業ウイークエンドブックス、1979)

 いわば、数学小説とでもいいたいような小説である。著者の本名は竹野萬雪(まゆき、昭和6年生まれ)で、著者から直接いただいたものである。当時問題になっていたエネルギー問題の新しい解決方法を推理小説風にかいたものである。なにせ、竹野氏(千葉県印西市)は、京都大学理学部物理学科出身だけあって、エントロピーなどという難しい言葉がしょっちゅう出てくる。

 この小説の考え方は、簡単に言うと、知識という情報をエネルギーに変換することで、当時のエネルギー問題は解決するという発想であり、なかなか理論的だ。物理学的には納得できる部分が多く、理系出身のブログ子としては、今も大変に興味を持っている。

 これらに札の本は、頭が硬くなり始めているブログ子には、ちょうどいい刺激剤となっている。2011.06.04

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蔵書は一代 どうする死に際の処分

 「週刊文春」(6月2日号)の写真コラム

 CATCH UP 児玉清さんが遺した1万冊の「才人の証」

というのが目に付いた。児玉さんは先月5月になくなった。銀行の待合室で待ち時間を利用してちらちら読んだが、無類の本好きだった児玉さんの書庫には、きちんと分類して整然と本が並んでいた。全集、著作集など長尺ものが多そうな書庫の前で、ご自身、本をぺらぺらめくっている生前の姿がほほえましい。

 一万冊となると、これはよほどしっかりした基礎工事がしてないと、書庫が崩壊する。そんなこともがっちりとした立派な書庫をみて、うらやましいなあ、とブログ子はため息をついた。

 ところで、ふと、気づいた、テレビ司会、俳優稼業に忙しかった児玉さんだが、本好きなのだから、平均して週に二冊、だから年間100冊をなめるように読んだとしても、30年で3000冊。二十歳から本好きで買いあさり、読み続けたとしてもせいぜい50年、5000冊を読破するのが限度だろう。

 つまり、半分しか、読めないのだ。いや、本好きというのは、読むだけでなく、手元に本があるだけで、満足なのかもしれない。

 写真を拝見すると、ラベルがきちんと貼られている。取り出しやすい整理がしてあるように思うが、貴重な本、高価な本は見当たらない。

 そこで、ふと、思った。この書庫の本は、児玉さん亡きあとどうなるのだろう。他人事ながら、はっきり言えば死蔵だろう。いまどき、図書館ではよほどの貴重本か一級資料しか寄贈を受け付けない。古本屋もたいていの本は、引き取らない。ひきとってもびっくりするほど安い。

 ブログ子も、引越しのとき、金を払って、そして頭を下げて、引き取ってもらった経験が何度かある。それでも引き取らないときは、こんどは古紙回収業者に古紙として引き取り料のお金を払って、引き取ってもらうことになる。 

 司馬遼太郎さんの膨大な蔵書は、同氏の記念館にほとんど収容されて、社会的に活用されているらしいが、児玉さんのものは知らないが、ブログ子の蔵書などはほとんど、死後は紙くずとして消えていくような気がする。

 蔵書は一代

というのが蔵書界の常識らしい。

 遺しておき、子供たちに役立たせようという場合、処分のコツは、

 全集、著作集などをまず処分する。雑書は残す

のだそうだ。その心は、全集ならいつでも図書館で読める。安価で珍しい雑書は図書館ではなかなか読めないからなんだそうだ。図書館も本であふれて、全集は残すが、古い、しかも安価な本は珍しくて貴重なものでも、その価値はそう簡単には判別できないから、一律に「廃棄」する。

 だから、蔵書の廃棄は、図書館の逆の処分、高価でいかにも保存したいような全集から処分せよ

というわけだ。卓見だろう。

 ブログ子もこれまで引越しのたびに本を処分してきたが、定年過ぎた今でも、2000冊ぐらいは持っている。書庫はないし、息子は本をほとんど読まないから、蔵書はすべて古紙回収業者に渡るのだろう。

 だから、前回も書いたように、お迎えが来る足音が少しずつ聞こえてきた最近は、これまでつんどいた大長編の小説や、全集などを次々と熟読する気になった。日本国語大辞典(全20巻)、諸橋轍次氏の大漢和辞典(全13巻)、日本大百科全書(全24巻)をできるだけ、活用するようにしている。そうそう、このブログを書くにも、「新世紀ビジュアル大辞典」(全1巻)をよく活用しているし、日本史辞典(角川書店)、世界史小辞典(山川出版社)などハンディタイプのものはできるだけ手元において利用するようにしている。

 蔵書は、書庫にしまっておくより、生きているうちにまず、自分が活用することが、第一なのだ。うかつにも、そんなことに、死ぬ間際になってようやく気づいた。

 これなら、死後、ブログ子の本が古紙回収にまわってもあきらめがつく。大判の高価な美しいカラー天体写真集は、自宅近くの科学館にボランティアに行っていることもあり、何冊もあるので寄付しようと考えている。こどもたちの夢を育てるのに少しは役立つだろう。

蔵書は、読まずに死ぬな。これである。2011.06.01

 

 

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