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2011年5月

読まずに死ねるか! この一年、大長編小説に熱中、滞貨一掃

 前回のブログにも書いたが、この二十年のサラリーマン生活の中で、ぜひ読もうと買ってはみたものの、本棚にまったく読まれずにほこりをかぶっていた大長編小説、仕事で必要な部分だけちょこっと読んでほったらかしにしておいたこれまた長編小説。

 定年を過ぎてふとしたことから、この一年間、暇になったこともあり、滞貨一掃とばかり、暇なとき、暇でしょうがないときに読み続け、その一部はこのブログにも感想をいろいろ書いてきた。

 この一年間に読んだ長編のリストは以下のとおり。これらがブログ子の本棚に20年前後読まれもせずに眠っていたのだから、オドロキだ。これら単行本を読まずに死ねるか、という気持ちでじっくり読破した。ほぼ読んだ順番に

 『竜馬がゆく』(全5巻、司馬遼太郎、文藝春秋)

  『燃えよ剣』(全2巻、司馬遼太郎、文藝春秋)

 『最後の将軍』(全1巻、司馬遼太郎、文藝春秋社)

  『新選組血風録』(全1巻、司馬遼太郎、中央公論社)

  『寺田屋騒動』(全1巻、海音寺潮五郎、文春文庫)

 『坂の上の雲』(全6巻、司馬遼太郎、文藝春秋)

  『海の史劇』(全1巻、吉村昭、新潮文庫) 

  『ロシヤ戦争前後の秋山真之 明治期日本人の一肖像』(全2巻、島田謹二、朝日新聞)

  『覇王の家』(全2巻、司馬遼太郎、新潮社)

 『豊臣家の人々』(全1巻、司馬遼太郎、中央公論社)

 『日本の風景を歩く』(全5巻、水上勉、河出書房新社)

  『蓮如』(全8巻、丹羽文雄、中央公論社)

  『宣告』(全2巻、加賀乙彦、新潮社)

  『歳月』(全1巻、司馬遼太郎、講談社)

 『翔が如く』(全7巻、司馬遼太郎、文藝春秋社)

  『この国のかたち』(全6巻、司馬遼太郎、文藝春秋社)

  『風塵抄』(全2巻、司馬遼太郎、中央公論社)

  『敦煌』(全1巻、井上靖、講談社)

  『天平の甍』(全1巻、井上靖、中央公論社)

  『氷壁』(全1巻、井上靖、新潮社版) 

  『孔子』(全1巻、井上靖、新潮社)

  『磁力と重力の発見』(全3巻、山本義隆、みすず書房)

  『十六世紀文化革命』(全2巻、山本義隆、みすず書房)

  『地球外生命論争』(全3巻、マイケル・J・クロウ、工作舎)

  『剣岳 点の記』(全1巻、新田次郎、文藝春秋)

  『武田信玄』(全4巻、新田次郎、文藝春秋)

  『富士山頂』(全1巻、新田次郎、文藝春秋)

  『真田太平記』(全16巻、池波正太郎、朝日新聞社) 

 『太閤秀吉』(全10巻、舟橋聖一、講談社)

ざっと、こんなものだが、その気になれば、一年でこれだけ読めるのだ。

これだけ、お小遣いを使って買ったのだから、

 読まずに死ねるか

という気持ちで、読んだ。全部で30セット読破の充実の一年だった。

 もっと早く読んでおけば、もっと生産的な仕事に結び付けられたのにという気持ちも少しはある。しかしこれだけ楽しんだのだから、もう今、死んでも悔いはないという気持ちを強くしてくれた長編読破の一年間だった。

 今後も、山岡荘八の『徳川家康』(全18巻)や、『湯川秀樹著作集』(全10巻)、『寺田寅彦全集』、『勝海舟』(全6巻、子母澤寛)を読破したいと思うようになった。これもこの20年間、完読することなく、書棚に飾ってあったのだ。もったいない。2011.05.30

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NHK「江」って、「小督(こごう」のことだとは、不覚にも知らなかった!

 この半年、うかつだったが、今年のNHK大河ドラマ「江」の

 江という女性が、なんと、浅井三姉妹、お茶々、お初、小督(こごう)の

 あの小督

だとは知らなかった! 知らないものだから、この大河ドラマも正月以来、一回も見ていなかった。定年を過ぎて、最近、大長編小説にこっていろいろ読んでいるが、二週間前から

 『太閤秀吉』(舟橋聖一、全10巻、講談社』

を読み始めて初めてこのことに気づいた。私だけの無知かと赤面したが、なんと手元の『角川 新版 日本史辞典』(角川書店、1996年)にも、「江」も「小督」も出ていない。

 そういえば、秀吉をめぐる男と女の心の機微、その運命の転変を描いた『太閤秀吉』でも、まだ半分くらいしか読破していないが、お茶々、お初は頻出するが、小督はほとんど出てこない。ごくたまに出てきても、ほとんど会話らしいものがない地味というか、その他大勢以下の扱いだ。これが、あの徳川二代将軍の正室として江戸城に君臨する女性になっていたとはおどろきだ。おてんば娘のお茶々ですら馬には乗らなかったのに、ドラマでは江は颯爽と馬で疾駆しているのだから、仰天だ。

 この大河ドラマが描いている江について、おおむね真実に近いとするならば、これまでの歴史書はあまりにも歴史において女性を無視しすぎていることになろう。日本史では女性が登場しなさ過ぎるのも、無視の結果だと気づいた。

 女はすっこんでろ

というわけだ。歴史研究でも、武将ばかりの名前だけでなく、せめて歴史を動かした、あるいは騒がせた、あるいは翻弄された女性の本名をきちんと解明し、もっと歴史書などに生きた人間として男性並みにきちんと紹介したり、記述したりするべきではないか。なにしろ、舟橋氏の小説でもわかるが、

 歴史は、夜に、そして女性がつくる

のだから。

 こうした無視の背景には、武士の時代の日本人の男尊女卑の歴史がある。しかし、それでは歴史の真実を誤らせる。武士の時代の前、平安時代にはあんなに女性が、才女が輝いていたのになぜ、それがいつの間にか消えてしまったのか、不思議だ。鎌倉以来の武将が歴史をつくるという一面的な歴史観をブログ子も含めて反省すべきであろう。無骨者ばかりの歴史はそろそろお仕舞いにしたい。せめて舟橋氏の小説並に、歴史研究においても女性、あるいは百姓から見た戦国時代研究をもっと盛んにしたいものだ。2011.05.29

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移動する、音楽を聴く 植物にも〝心〟がある? 地球ドラマチック

 深夜のBS放送を見ていたら

 地球ドラマチック オドロキ !  植物の知恵

というのをやっていた。映像を見て、

 植物にもきっと〝こころ〟があるだろうと感じた。単に外からの刺激に対して、あらかじめ定められた反応をするだけではなく、環境や状況に応じて自ら判断して対応する心があるように感じた。

 番組によく登場していた

 ねなしかずら

 葉っぱのないツル状の寄生植物であるが、土から出てきた緑色の針金状の茎が近くの植物に絡み付いて、そこから養分を吸い取る。そうなると、もう、土近くには根はなくなり、茎を絡みつけて植物の中を移動しながら生きていくという映像があった。

 この動きはゆっくりしたものだから、人間の目には、生きて動いているようには見えない。しかし、放送のように早回しして、その動きを見てみると、まるで、ツル状の形をした動物が動いているように見える。植物は動かないという先入観を打ち破る。

 このほか、植物は身を守るために、匂いを発散させる。ライマメなどは葉っぱを食べているスズメガの天敵、オオカメムシを呼び寄せ、天敵を追っ払うシーンもあった。これなど、植物自らが状況を判断しているようにしか見えなかった。ある植物は天敵にやられようとしているとき、近くの仲間に匂いを発散し、天敵にやられないように仲間に警報を発するという利他行為するというからオドロキである。こうなると、チンパンジーの知能レベルである。いや、それを超えているかもしれない。自衛し手段として、タバコの葉は、虫に葉を食べられそうになると、ニコチンを大量に葉に発生させて、虫を退散させる。

 こう見てくると、植物の生き残り戦略も動物と変わらない。植物のこうした行動は、いずれも、長い進化の過程で身につけたものであろう。中には反射的な行動というよりも、植物の自主的な判断で対応しているように見える行動もあった。

 こうなると、植物と人間のコミュニケーションも可能になってくるのではないか。鉢植えの植物が水分不足になると、生体内の電気信号が発せられる。それを検知した装置が携帯電話に通報するという仕組みである。番組でもそんな一部を紹介していた。携帯を受けた人は、携帯に特定のキーをたたいて、返信すれば鉢に水が注がれるというわけだ。

 もし、仮に植物の動きや反応が、人間のしゃべる時間程度と同じだったら、人間は

 植物にも心がある

と確信するだろう。ちょうど、人間と同程度の大きさや動きをする動物には、きっとこころがあると感じるように。というのは、植物体内の電気信号は、千分の一秒くらいで交信する。これが人間にきこえるくらいに引き伸ばすと、人間と植物の会話は可能であるような気がする。

 このことは、生き物の大きさ、サイズについてもいえるだろう。もし、単細胞アメーバーが団扇くらいの大きさだったら、きっと人間は

 アメーバーにも心があり、自ら判断して捕食などで行動していると感じるだろう。はっきり言えば、大変に小さくはあるが、人間と同様な大脳があるように感じる。したがって、人間ともコミュニケーションできるに違いない

と感じるだろう。人間はほかの無動物や植物と違って大脳がある、したがって知性があるというのは、単に人間の傲慢さにすぎないのではないか。大脳がなければ、もっと高度のコミュニケーションが可能になっていたはずと考えるのは、考えすぎか。人間は大脳のせいで、匂いを通じた交信ができないのだ。

 それと、人間中心のスケール尺度主義、あるいは人間中心の時間尺度主義

というのは、

 生命とは何か

を考える基準にはならないのではないか。千分の一秒で大百科事典の全情報を理解できる知的な生命体は宇宙のどこかにいても、少しも不思議ではない。そういう生物と、人間とがコンタクトした場合、会話はなかなか難しいだろう。宇宙に、たくさんいるはずの知的生命体がなぜ、この60年間まったく地球人にコンタクトがないのはなぜか、というパラドックスの解答がここら辺にありそうだ。

 そんなことを考えさせる番組だった。このごろの深夜番組は、ハッとさせられることが多く、見逃せないものが時々ある。この番組もそのひとつだった。2011.05.23

 追伸

 植物の生存戦略については、、

『植物の生存戦略 「じっとしているという知恵」に学ぶ』(朝日新聞社、朝日選書)

が出ている。腰巻に

 「動かない生き方」は、こんなに魅力的 わくわくする植物学

とあるが、こむつかしいはなしが、くだくだ書いてあって、ますます植物学が嫌いになりそうな内容にあきれた。しかし、

 植物は動かない

という先入観を捨てたら、この番組のように、とても面白くなった。

 植物は、じっとしていない

 じっとしているように見えるのは、人間中心の時間尺度や、人間中心のスケール尺度に惑わされているからなのだ。

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偉大なるかな「痕跡本読書会」 あなどるなかれ、コペルニクスもよみがえった

 ときどき、NHK、それもBSで気の利いた番組が放送されているが、金曜日の夜、アルバイトが終わって、赤提灯でワイワイ一杯やった後、自宅に戻って、何気なく見た

 熱中人「こちら痕跡本読書会」

は秀逸であった。痕跡本とは、古本屋に売られる前の持ち主の書き込みやキズのある古本のことで、たいていは、古本屋での売値は安い。読書会を率いるのは、犬山市で、サラリーマンのかたわら、痕跡本古書店を営む古沢和宏さん。30歳。

 どこが秀逸かというと、普通、古本では「書き込み」があったり、キズのあるキズ本は、古本としては価値が低いと見られている。ところが、実は、書き込みやキズ本こそ、価値があるという、いわば逆転の視点に眼をつけた点である。その視点を取り上げて犬山市まで取材に出かけて、映像化したNHKも鋭い。読書会には、古書店主、古書ライターが登場していた。

 ただ、残念なのは、痕跡本の研究がいかに大切かを視聴者にうならせるように納得させる事例が放送ではなかったことだ。たんなる、「お遊び」の域を出ていなかった。

 しかし、痕跡本の研究が、いかに世界の科学史に大きな成果をもたらしたかという事例があるのだ。それは、原題をそのまま日本語に訳した

 『誰も読まなかったコペルニクス  科学革命をもたらした本をめぐる書誌学的な冒険』(O.ギンガリッチ、早川書房)

である。天動説を地動説に転換させたことで有名なコペルニクスの初版本『天球の回転について』(ラテン語、1543年)には、大量の書き込みがあることを著者は見つけ、世界中に散らばっている初版本を訪ね歩き調査したものをまとめた「冒険」である。これまで、コペルニクスの本は、あまりに画期的でありすぎ、また、数学的にも難しすぎて、また、実証性にもかけていたことから、有力科学史家からは、

 あんなもの、誰も読まずに、地動説を観念的に信じただけ

といわれていた。ギンガリッチ氏は、気の遠くなるようなその調査で、当時の大天文学者たち、チコ・ブラーヘ、ケプラーなど多くの天文学者に詳しく読まれていたことを、初版本や再販本の書き込みの追跡から実証したのである。この本を読むと、共産圏としてのソ連の国立レーニン図書館にも何度となく足を運ぶほどの徹底した調査だったことがわかる。誰が、誰からその本を借りて読んだかもわかったのである。その結果、16世紀ヨーロッパには知的なネットワーク(ギンガリッチは、これを「見えない大学」と書いている)が形成されていたことまでつきとめたのである。

   著者のギンガリッチは、米スミソニアン天文台の天文学・天文学史教授だったが、よくも世界に散らばっている数百冊もの初版本の追跡を根気よく行ったものだと感心した。世界中の図書館、個人蔵書のなかに目指す本がないか、数十年にわたる追跡を敢行したのには頭が下がる。すぐれた書誌学者であったのであろう。

 テレビに登場した読書会も、痕跡本の追跡調査などによって書斎に閉じこもっている学者にはできない足が勝負の在野らしい成果、常識をくつがえさせるような研究成果を世に問うような会に成長してほしい。2011.05.20

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刑務所の中でビジネスチャンスをつかむか  『ホリエモンの宇宙論』

 JR浜松駅ビルの本屋「谷島屋」で何気なく新刊本の棚を見ていたら、

 『ホリエモンの宇宙論』(講談社、堀江貴文)

というのを見つけた。どんな宇宙論だろうとぱらぱらとめくってみて驚いた。

 もし携帯電話を宇宙に飛ばしたら

という奇想天外なビジネスアイデアを紹介していた。宇宙といっても人工衛星のように地球軌道に乗せるくらいの話。紹介するだけではなく、自ら会社を立ち上げて、最大の課題である

打ち上げ手段、つまり、ミニロケットの開発

に携わっているというのだから、えらいし、驚きもした。数千万円くらいの開発費らしい。彼に言わせれば、

 通信ができて、高性能カメラもついていて、画像処理もできる携帯は衛星の基本性能をそなえている

のだそうだ。ただ、その打ち上げ手段が民間にはない。そこで、自らビジネスの可能性を信じてミニロケット開発に乗り出したのだそうだ。まもなく、ライブドア事件の最高裁確定実刑判決を受けて、刑務所に収監されるのに、である。

 民間活力で宇宙を目指せ

というわけだ。この本では、宇宙携帯電話ビジネスの新しい具体的な活用策は(あえて)示していないが、いろいろ考えているようだ。

 事実、現在の宇宙飛行士も携帯電話でツイッターを使う時代だから、いくつもの携帯電話衛星が地球の周りに二十四時間ぐるぐる回っていて、そことの通信が今のように中継局なしに、画像などの情報が交信できればグローバルビジネスだけでなく、地域のビジネスにも使えそうだ。

 そんなアイデアについてはとっくに堀江氏はご存知で、その上でロケット開発に乗り出しているのだろう。

 きっと、2、3年後に出所したら、その間にじっくりと温めたビジネス事業で日本の民間宇宙携帯衛星ビジネスを本格化させて、その先頭に立つかもしれない。2011.05.19

 刑務所はじっくりとものを考えるにはよい場所かもしれない。

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B級映画だと思っていたら  スカイ・キャプテンに敬意

日曜日の夜、BS放送でたまには面白い映画をやっていないかな、と期待もせずにチャンネルを回していたら、

 SFらしい〝白黒〟映画「スカイ・キャプテン/ ワールド オブ フューチャー」

をやっていた。時代設定は、1939年のニューヨークというから、5、60年前のフィルムであろうと思い、なんだか懐かしい鉄人28号のような巨大な、そして無骨なロボットの大群がニューヨークの街を襲っていた。出演者の服装も5、60年前のださいものばかり。

 なんとなくみているうちに、ストーリーがわかってきた

 地球滅亡に備えて地球脱出用の箱舟ならぬ箱宇宙船を科学者が造ったロボット自身が開発し、今にも完成する。場所は、チベットの雪の地下。

 たしか、2009年秋に公開された米映画「2012」も地球滅亡に備えて地球を脱出する

 巨大な現代の箱舟

をチベットの地下で建造する。たしか、二隻だった。

 ストーリーもアイデアもつまらない映画、B級映画、いや、C級かもしれないとあきれていた。

 ところが、何気なく見ていると、どうもこの映画、昔の実写映画や特撮映画ではなく、最新のCG技術を使っていることに気づいた。あとでわかったことだが、2004年製作なのだ。

 手持ちの『世界SF映画全史』(北島明弘、愛育社、2006)にも、やや詳しいストーリーが載っているから、間違いない。この本によると、

 俳優と俳優が触れる小道具以外はすべてCG

なのだそうだ。実写がほとんどないのだ。秘密基地もロボットも、飛行機も、鳥のように翼を動かす飛行機もみんなCGで製作したらしい。制作費がかさむはずだ。とても、採算は取れなかったであろう。

 でも、目立たないが、映画史に残る優れたB級映画だろう。

 そんな中から、怪鳥にまたがって大空を飛び回る大迫力の

 あの3D映画「アバター」

が生まれてきたのかもしれない。

 SF映画は、特にそうだが、ポツンとその映画一本だけをみても、その映画のどこが画期的なのかなかなかわからない。

 監督をしたケリー・コンラン氏に敬意を表したい。2011.05.16

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「五平もち」を食べながら  浜松・まちなか軽トラ市イン モール街

いわゆる

まちなかの土曜市

である。先日の土曜日、産地直送の軽トラックを店先にした市が浜松市中心部で開かれていたので、朝から出かけてみた。そのなかで、まず、興味を覚えたのが

 御幣餅(ごへいもち)

である(てんてんゴーしぶ川=浜松市北区引佐)。てっきり、「五平餅」と書くのだと思っていたが、どうやら違うらしい。

 中央アルプス南端の恵那山を中心に伊那谷側の飯田一帯、木曾街道の中津川、馬籠、妻籠などに古くから伝えられる山家(さんか)料理

と百科事典にある。島崎藤村の『夜明け前』に出てくることで有名だが、これまで、ブログ子は食べたことがなかったので、買い求めて食べてみた。なかなか香ばしい味であった。

 白ご飯を半練りにしたもちをこしらえ、くるみ、ごま、などをすりつぶして味噌と和えたタレを塗り、炭火でこんがりと焼き上げたものだった。軽トラックの荷台で焼いたのをすぐにいただいたが、なかなかおいしい。くしに、小判のようなだ円のもちを刺すのだが、このだ円形が神社で使う紙の「御幣」に似ていることから「御幣」餅というのだそうだ。

 くしは棒状ではなく、薄いへぎ板状であった。これなどは飯田あたりのやり方らしい。

 もうひとつ、注目したのは、

 南信州 大鹿村

からの軽トラック。村の名前から鹿の多いところらしいと推量して、いろいろ聞いてみた。場所は、静岡県側からみて、3000メートル級の塩見岳の向こう側のふもとらしい。最近は、南アルプスの高山植物がシカに食い荒らされる、いわゆるシカの食害がひどく、高山植物が全滅するのではないかと、自然愛好家から心配されている。

 大鹿村の観光パンフにも、

 鹿もいた自然豊かな大鹿村

とうたわれているくらいだ。静岡県でもこの年々急増する一方の鹿、特にメス鹿退治に本格的に乗り出している。ふもとでは農産物や果樹を食い荒らすからだ。

 しかし、鹿肉を食べる習慣が日本人にほとんどないせいか、捕獲してもその処分に困っている。

 大鹿村には、

「味付け鹿焼肉」パック、鹿肉のたたき

なども販売しているようだ。問題は鹿肉の食感やにおいが日本人に合うように調理できるかどうかである。そうすれば、静岡県だけでも、数千頭以上の捕獲目標を立てても、市場でさばけるのだが、今は、とてもそんな量はさばけていない。

 軽トラック市、産地直送の市場だけに、産地の現状を直接聞くことのできる良い機会であることを知った。

 土曜の午前、近所の顔見知りと談笑しながら、中央アルプスの御幣餅を食べ、南アルプスのシカの食害に思いをはせた。2011.05.15 

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明治以後、繰り返し三陸を襲った大津波  「想定外」は通用せず

 最近なくなった作家、吉村昭さんのドキュメンタリー小説とも言うべき作品に

 『三陸海岸大津波』(文春文庫)

というのがある。明治29(1896)年と昭和8(1933)年に三陸を襲った大津波についての

 貴重な証言・記録

を発掘している。海底地震が原因だが、これによると、明治29年6月の大津波の平均の高さは

 10メートルとも15メートル

とも言われている。今回の東日本大震災の津波の高さも、本地震の震源に近い

 宮古=8.5メートル以上

 大船渡=8.0メートル以上

 相馬=9.3メートル以上

であるから、明治29年の大津波と同程度であろう。吉村さんの調査によると、

 「海上の不気味な大轟音に驚愕した人々は、家を飛び出し海面に眼をすえた。そこには飛沫をあげながら突き進んでくる水の峰があった」

というから、今回の大地震と似たような状況が記録されている。

 「すさまじい轟音が三陸海岸一帯を圧し、黒々とした波の壁は、さらにせり上って屹立した峰と化した」

 そして、

 「波は、すさまじい轟きとともに一斉に崩れて村落におそいかかった」

という。

 人的な被害は、宮城県内だけで死者3452人、岩手県内ではさらにひどく、死者22565人にも上った。今回の地震・津波の人的な被害は死者=約13500人以上、行方不明=約14500人以上だから、明治29年の大津波は死者数は、今回を上回ることになる。

 こんな大被害が、わずか115年前に起こっていたことを、私たちは忘れていたのである。そして、わすれることにより、

 「想定外」

という言葉を安易に、しかもこともなげに使ってしまったのだ。

 明治29年6月の大津波について、きちんと語り継がれていれば、

 軽々しく「想定外」

という言葉を使うことはなかったであろう。

 それどころか、三陸海岸には、

 昭和8年3月にも大津波が押し寄せていることが、同じ吉村さんの同著に、津波被害区域図、住民の証言など津波被害について詳細に記録されている。

 地震や津波の体験を語り継ぐには、子供たちの役割が大事だ。その体験を次世代に伝えてくれるからだ。吉村さんの著書には、そうした「子供の眼」から見た津波の恐ろしさが多く収録されているのは貴重だ。

 著者のあとがきにも

 「昭和8年の津波については、田老町で貴重なものを見つけた。田老尋常高等小学校生徒たちの作文集であった。子供の鋭敏な眼に津波がどう映ったか、興味をいだいたが、読んでみると、予想通りのすぐれた作文ばかりで、しばしば目頭が熱くなった」

と書いている。語り継ぐ貴重な文集だ。今回の大震災についても、こうした文集づくりをして、津波や地震の恐ろしさを忘れないで次の世代に警告するための貴重な手立てにしたいものだ。

 注目したいのは、この津波が襲ってくる前には、井戸水の水位の変化、濁り、枯れなどの

 前兆現象

があったという記録が多数収録されていることである。

 さて、三陸海岸では、明治29年の大津波の二年前、明治27年にも、また、明治元年にも、安政3年にも、津波が押し寄せている。

 今回、こんな大津波は想定外という言い方が、関係者、地元住民の間からしばしば聞こえてくるが、決してそうではないことを、吉村さんのこの小著は教えてくれたように思う。2011.05.13

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新緑の関ヶ原古戦場をゆく 石田三成はなぜ負けたのか、不思議だった

Image202  大型連休中の最後、好天の日曜日、のんびりと、岐阜県関ヶ原町の

 410年前の古戦場

をハイキング気分で出かけた。田植えの季節だったが、戦場となったこの地域一体は、今も400年前の当時ののどかな風景だった。かつて、徳川家康を総大将とする東軍、石田三成を総大将とする西軍、合わせて15万の兵力が激突したとはとても思えない静かなたたずまいだった。

 西軍の本陣のあった笹尾山に登って見ると、さすがに地元出身の石田三成だけあって、戦場を一望できる見晴らしのいい場所に陣取った。兵力もほぼ互角だったというから、断然、三成の西軍が最初から有利な体勢を整えていたらしい。

 解説パンフレットも

「開戦当初、必勝の陣形で西軍が圧倒的に優勢に」

となっている。手前味噌ではなく、後の明治政府の軍事顧問だったドイツのクレメンス・メッケル少佐など軍事専門家の意見も「山や丘を押さえた見事な陣形」を賞賛している。

 なのに、石田三成の西軍は最終的に負けている。

 なぜだ

ということになる。実は、ブログ子は、若いころに買い込んだが、ほとんど読まなかった

 『真田太平記』全16巻

を読破中で、4月には関ヶ原の戦いの部分を読んでいたので、今回の小旅行となったのだが、この中で、西軍に味方した戦上手の真田昌幸・幸村も、

 なぜ、負けるはずのない戦いに、負けたのか

と何度も嘆いている。これでは死に切れないというわけで、小説は続くのだが、普通は、この西軍敗北、東軍家康の勝利は、戦いの終盤で、

 どちらに味方するか、松尾山山頂で形成をうかがっていた西軍の小早川秀秋が徳川方に、密約どおり、裏切ったからだ

と説明されている。歴史教科書に、そう書かれているものもあるようだ。

 しかし、それは戦いが始まって5、6時間もたっていた午後の段階であり、それまでに、いくらも、戦場のど真ん中に本陣を構え、移動していた家康を急襲する機会はあった。それがなぜ、行われなかったのか。

 一言で言えば、三成の戦下手

ということなのだろうが、西軍を心ひとつにまとめ切れなかったことにつきるともいえそうだ。兵力の減少を恐れて、西軍を徳川撃破に向けて先鋭化しなかったことが、つまり、純化しなかったことが兵力では互角であっても、戦闘能力を逆に弱めたのではないか。

 その点、家康の軍の純化は徹底していた。それに加えて、大垣城での城攻めで開戦しそうになったのを、謀略情報で西軍を関ヶ原に誘い出した戦略の効果が大きい。なにしろ、家康は野戦が得意であり、城攻めは苦手だったからだ。家康は、自分の土俵で相撲をとるように仕向けたのである。

 あれや、これや、考えると、

 総括的に結論付けると、

 チャンスは放っておくと、必ず逃げていく。しかし、ピンチは放っておくと、必ずやっておく。

 これは、秀秋裏切りの前に、なんども勝つチャンスのあった石田三成に当てはまりそうだ。裏切りはチャンスを何度も放置した三成に対する最後の一押しだったのに過ぎなかったように思う。裏切りが西軍勝利の決め手だったという見方はたぶんに一面的だ。

もうひとつ、

 幸運な成功はある。しかし、不運な失敗はない。失敗には必ず合理的な理由がある

ということだ。

 家康にとっては、関ヶ原の戦いは幸運な勝利であった。何度も訪れたピンチを放置せず、そのときそのときに、本陣を移動するなど適切に処理、叱咤している。三成にとっては、作戦の合理的な理由を見つけて、すばやく修正する機会を放置したから、敗北を喫したように思えた。

 これを一言で言えば、三成の戦下手

ということになろう。

 春の日差しの中をのんびり、歩いてみて、そんな気がした。

 浜松に帰り、JR浜松駅構内の遠州濱乃屋で

 しぞーかおでん790円

とともに、生ビールつきの「ちょい飲みセット」890円

で一日の疲れを取りながら、旅の思い出を反すうしながら、

 歴史小説はこうした小旅行をはさんで読むと、いっそう、リアル感が出て楽しみが倍増することを実感した大型連休だった。2011.05.09

 

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神は円周率に何を隠したか それは人間の生きがいである。

先日、NHKの新番組

 しびれるTV

というのを見た。5月4日、みどりの日の夜の10時からだったから、見た人も多いのではないか。何がしびれるのかな、と思って缶ビールを飲みながら見ていたら

、なんと、

 円周率にしびれる

というのだ。サブタイトルは「神は円周率に何を隠したか」。なにを隠したのが知りたくて、最後まで見てしまった。

 驚いたのは、私の好きな俳優、伊東四郎さんが、なんと、せりふを覚える能力を衰えさせないために、円周率をながながと暗記しているのだ。だいたい、小数点以下3、40桁くらい丸暗記していたのには驚いた。

 円周率=3.14159265358979

ぐらいならたいていの人は、すぐにおぼえられそうだ。ブログ子もなんとか覚えていた。わずか少数以下15桁。伊東さんの暗記がいかにすごいかがわかろうというものだ。

役者はすごい

と認識した。そこで、調べてみたら、なんと、現在の暗記世界記録は、

中国人で10万桁という。今から約30年前の1980年11月30日付読売新聞には、

 円周率の暗記日本一 友寄英哲さん(48歳) 15000桁

と「ギネス」入りしたことが紹介されている。記事を読むと、役に立たないことを承知で熱中できる。これはまさに「ジンルイのジンルイたるゆえん」と記者は驚嘆している。

 ブログ子に言わせれば

 人生は偉大なる暇つぶし

なのだから、円周率暗記は、伊東四郎さんを除けば、究極の暇つぶしかもしれない。というべきか、何の役にも立たないとみんな思っている円周率暗記をせりふを覚える道具としてちゃんと役立てているところが、伊東さんのすごいところというべきだろう。

 一方、円周率の計算では、なんと日本の長野県飯田市の会社員、近藤茂さん(54歳)が5兆桁を去年達成し、つい最近、ギネスブックから記録認定書が届いたそうだ。定年後は、ひたすら10兆桁目指して挑戦するという決意を番組では語っていた。ここまでくると家族もあきれるよりも応援しはじめているという。生活の大部分をつぎ込んでの熱中だが、自作パソコンで挑むのだが、5兆桁計算のケースで、数ヶ月の計算時間がかかり、電気代がなんと毎月数万円らしい。これが10兆桁となると、単純に倍の電気代ではすまず、もっとかかり10倍にはなるだろう。記録を打ち立てるにも、ここまでくるとそろそろ金力次第の時代だ。

 円周率をめぐっては、さまざまなエピソードがある。

 それはさておいて、ブログ子の結論。

 神は円周率に何を隠したか。 それは、ごく一般の人間の生きがい、あるいは功名心をそこに埋め込んだのだ。

と確信することができた。

 だから、円周率は、どこまでも続く果てしのない無理数であり、数字の出方も(おそらくは)は無味乾燥なランダムであり、有理数の係数を持ついかなる有次元代数方程式の解にもならない超越数なのであろう。つまり、円周率を手間隙かけずに簡単に、エレガントに求めようという数学者も含めて不届きものの登場を排除したのだろう。いかなる超高速コンピューターといえども、円周率の正確な値を永遠の時間を費やしても弾き出すことができないのだ。

 そして、それは全能の神ですらもできないのだ !

 つまり、神は、円という単純な幾何学図形の中に、自分が全能ではないことを隠したのであろう。

  これこそは、しびれる話ではないか。2011.05.06 

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ついに出た『チリ33人』 もうお忘れかもしれませんが  世界同時発売

 もう、すっかりお忘れかもしれませんが、昨年8月にチリで起きた落盤事故の「事故発生から救出までの時系列を追った克明な記録」とのうたい文句で

 『チリ33人 生存と救出、知られざる記録』(ジョナサン・フランクリン著、訳 共同通信社国際情報編集部)

が出版された。東日本大震災でそれどころではないよ、という御仁も多いだろうが、このブログ(2010.10.27付  ころんでもタダでは起きないたくましさ)として紹介した。

 著者は、「レスキュー・パス」という特権的な通行証を手に入れた」らしい。インタビューも200人にも及ぶというからすごい。しかも、世界同時発売。

 事件はビジネスになる

といったら著者に失礼かもしれないが、ともかく、この落盤事故には、表面のヒューマンなドラマとは裏腹にいろいろな思惑が今も疑念として残っている。

 落盤事故にあって、さぞ鉱員たちは〝ラッキー〟とこころひそかに思っているのではないか。

 だまされたと思って、また、高名なルポライター、鎌田慧さんの好意的な書評も出たことだし、一度読んでみるのも一興かもしれない。今日は「メーデー」、労働者、働くものの記念日。2011.05.01

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