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新田次郎『武田信玄』を読む 合理精神と宿命と テーマについて

東日本大震災のさなか、新田次郎の浩瀚なライフワーク

 『武田信玄』(全巻)

を読み直した。かつて、中井貴一主演でNHK大河ドラマにもなった大作だが、読み直してみて改めて、この小説のテーマは何か、について考えてみる余裕があった。再読の効用だろう。

 この小説のタイトルだけをみると、

 殺伐とした戦闘シーン、合戦場面

が思い浮かぶ。が、読み直してみて、気づいたのは

 さまざまなタイプの女性の活躍が殺伐さを和らげ、作品に厚みを加えている

 特に、和歌や舞いが、ストーリー展開上で重要な役割を果たしている

 細作部隊など諜報活動が重要視されており、小説としてリアリティがある

などである。ハイライトとしては、

 武田信玄の細作部隊が重要な働きをした桶狭間の戦い

 霧の川中島の戦い

 ラストの熾烈な駆け引きの三方が原の戦い

が小説を盛り上げているが、これらを描くことで原稿用紙3000枚を費やして、作者は何を訴えたかったのか、再読して初めてわかった。

 それは、生涯、労咳(不治の病の肺結核)に悩まされながらも、天下統一という戦国武将の夢を追い求めたが、合理精神や、非情さと厚い情の使い分けだけでは、その夢は実現しないということを示したかったのではないか。

 つまり、テーマは、夢実現にあと一歩で、宿あに倒れた男の悲劇

を新田次郎は描きたかったのではないか。その意味で、『武田信玄』は単なる戦国武将伝ではない。合理精神だけでは天下は取れない。持って生まれた宿命も背負って生きなければならない過酷さを作者は描きたかったのだろう。その意味で、武田信玄が追いかけた織田信長も同様に、本能寺の変で倒れた。非情なる合理精神だけでは、天下の大事はならない。

 そんな思いが、なぜか、東日本大震災に右往左往する菅内閣の取り組みを見ていてした。2011.03.24

 

 

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