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2011年3月

『大正震災志』を読む 東日本大震災、復旧から復興へ

 3.11東日本大震災から20日、そろそろ復旧から復興のあり方が政府でも議論されている。

 総務省の外局として復興院、あるいは復興庁

というような案を早くも打ち出している政党もあるようだ。これは、1923(大正12)年9月1日の関東大震災における

 帝都復興院

を意識しての議論だろう。当時の内務省の外局との位置づけである。もっとも、この機関は震災翌年に、規模を縮小して内務省の内局、復興局として活動している。ただ、この内局には帝都復興審議会が大物政治家を配置してバックに控えていて、帝都の復興を強力に推し進めることになった。その先頭に立ったのが、時の内相、後藤新平氏である。

 そんな中、内務省社会局編の

 大正震災志(大正15年2月発行)

を読んでみた。関東大震災の自然災害、たとえば火災の発生地点とその後の延焼経路などの様子だけでなく、復興をにらんで、社会経済的な被害状況も調査報告している。焼失戸数を被害状況の程度ごとにわかりやすくグラフ化している。

 一言で言うと、関東大震災の被害は火災がほとんどであった。震源(相模湾西部海底28キロ)に近かった伊豆半島東部もほとんどが火災被害である。

 今回のような津波被害は震源に近い伊豆半島東部でもほとんどなかった。

 この調査報告によると、伊豆半島東部、あるいは伊豆大島の海岸の様子について、

 「最初潮がひどく退いて」その後「高さ数尺乃至丈余の大波が襲来したらしい」と目撃談を総合して結論付けている。津波の動きが緩慢だったせいで、被害らしい被害はなかったと報告されている。

 現在の伊東市の中心繁華街を歩くとりっぱな歩道のところどころに、大震災ではこのへんまで津波が来たとの標柱が立っているが、被害の程度はたいしたことはなかったようだ。

 この震災志を呼んで感心したのは、この火災による大災害に対して、政府機関と地方自治体とが、どのように対応したかが、県別、省庁別にくわしく書かれていることだ。とくに救護については詳細に書かれている。

 また、経済的な被害状況として、失業者の発生を県別に棒グラフにしているのも苦心したあとがうかがえる。

 さらに、この大震災では、海軍が、連合艦隊のほとんどの艦船を動員して救護や物資補給に当たっている。その様子が各艦船ごとに日付を追ってグラフにしている。

 こうした調査報告をもとに、復興局は復興案をまとめ、約7年で一応の復興をはたしたと言われている。鉄筋アパートの建設、避難地用としても使える公園づくり、幹線道路の拡幅などがこのときから始まったと言われている。

 こうした経験を元に考えると、今回の復興計画も、一元化した取り組みが必要のように思う。阪神大震災のときも復興庁の構想があったが、被災地域が広くなかったこともあり、設置は見送られた。今回のように広い地域にわたって、しかも、根こそぎ罹災、さらには原発震災とあっては、外局、内局はべつにして、何らかの強力な一元化組織が必要だろう。

 そのためには、津波に強い街づくりに向けて今のうちに、つまり、瓦礫を取り除く前に、正確で、網羅的なしっかりした調査報告書づくりができるよう早急に態勢を整える必要であろう。2011.03.31

  追記

 上記の震災志は、政府刊行なのに対し、記録文学の第一人者、吉村昭氏には

 『関東大震災』(文春文庫、1977年)

というのがある。これを読むと、震災のすさまじさがひしひしと伝わってくる。数字が無機質に並べられた統計データ集のような政府刊行の震災志にはないものであり、記録文学の存在意義を再認識されられた。小説であるが、真実の姿、事実の姿が浮き彫りになっているのだ。ぜひ、参考にしたい。

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高峰譲吉博士研究会の今 バイオテクノロジーの父

 NPO法人高峰譲吉博士研究会が発足して2年、りっぱな会誌創刊号が届いた。博士は、今から110年も前に、現代医学の外科手術にも欠かせないアドレナリンの発見者であり、研究会では今なお未整理の一次資料を整理したり、発掘したりしようとしている。発掘や整理だけでなく、世界的な業績を上げているにもかかわらず、あまり日本人に知られていないか、知られていても評価が低い状況をなんとか改め、日本の風土に合った業績の背景に迫り、今後の日本のバイオテクノロジーの発展にその成果を役立てようという目的をもって活動している。

 昨年は、その生き方を描いた映画「さくら、さくら サムライ化学者高峰譲吉博士の生涯」が話題になった。来月4月9日には、北陸では先行して、第二作目

 「TAKAMINE アメリカに桜を咲かせた男」

が公開される。全国では今秋公開の予定だそうだ。楽しみである。

 高峰博士同様、酵素化学に携わり、博士の成果を生かしたメーカーで社長を長くつとめた研究会の山本綽(ゆたか)理事長からの研究会発足に当たっての私信によると、正確な博士の功績の紹介とともに、一次資料の分析成果のほか、日米友好関係推進者としての業績も取り入れた本格的な「高峰譲吉の生涯」をまとめたいとしている。

 これまでにも「高峰譲吉の生涯」については、アドレナリン発見の真実を軸にした著作、妻に焦点をあてたものなど、いくつかの優れた作品があるが、決定版評伝にしたいということだろう。大いに期待したい。2011.03.30

 

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春の浜松城をゆく  歩いて感じる家康の散歩道

 春休みのせいか、知人が浜松を旅したいと言ってきたので、晴天の浜松城を半日ともに案内した。手軽に、

 歩いて感じる浜松・家康の散歩道

というパンフレットをみながらの、道行となった。知っているようで実際に歩いてみると、あやふやであったり、まったく知らなかったりして冷や汗ものだった。

 浜松城の前身(パンフレット)の引馬古城址(ひくま、東照宮)にも足を運んだ。知らなかったが、久能山東照宮、日光東照宮とならんで、ここにも家康権現様が祭られているお宮だ。今も「曳馬」という地名が残っている。引馬城の女城主だった椿姫の観音堂にもおまいりした。四つ角にある小さなお堂を近所の老婦人たちが清掃活動をしていたのが頼もしい。

 そのほか、いろいろ回ったが、ブロク゛子がいちばん驚いたのは、浜松城内に展示してあった

 三方ヶ原の合戦の様子を示した詳細図

であった。いきなり浜松城を攻めずに、まず、本隊は天竜川左岸に南下し、遠州を分断し、その上で、戦略上の要衝、二俣城を攻め落としている点だ。戦略家らしい武田信玄の巧妙さがうかがわれる。その上で、天竜川に沿って南下し、浜松城を取り囲むと見せかけて、大群が戦いやすい広い三方ヶ原に徳川方を誘い出す。

 実際に、徳川方と武田側が対峙した地点は、三方ヶ原台地のずいぶん北側だということもおおよそわかった。

 県外から来た友人とともに、町歩きをすると、今まで知らなかった意外な発見があることを知って楽しかった。2011.03.26

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新田次郎『武田信玄』を読む 合理精神と宿命と テーマについて

東日本大震災のさなか、新田次郎の浩瀚なライフワーク

 『武田信玄』(全巻)

を読み直した。かつて、中井貴一主演でNHK大河ドラマにもなった大作だが、読み直してみて改めて、この小説のテーマは何か、について考えてみる余裕があった。再読の効用だろう。

 この小説のタイトルだけをみると、

 殺伐とした戦闘シーン、合戦場面

が思い浮かぶ。が、読み直してみて、気づいたのは

 さまざまなタイプの女性の活躍が殺伐さを和らげ、作品に厚みを加えている

 特に、和歌や舞いが、ストーリー展開上で重要な役割を果たしている

 細作部隊など諜報活動が重要視されており、小説としてリアリティがある

などである。ハイライトとしては、

 武田信玄の細作部隊が重要な働きをした桶狭間の戦い

 霧の川中島の戦い

 ラストの熾烈な駆け引きの三方が原の戦い

が小説を盛り上げているが、これらを描くことで原稿用紙3000枚を費やして、作者は何を訴えたかったのか、再読して初めてわかった。

 それは、生涯、労咳(不治の病の肺結核)に悩まされながらも、天下統一という戦国武将の夢を追い求めたが、合理精神や、非情さと厚い情の使い分けだけでは、その夢は実現しないということを示したかったのではないか。

 つまり、テーマは、夢実現にあと一歩で、宿あに倒れた男の悲劇

を新田次郎は描きたかったのではないか。その意味で、『武田信玄』は単なる戦国武将伝ではない。合理精神だけでは天下は取れない。持って生まれた宿命も背負って生きなければならない過酷さを作者は描きたかったのだろう。その意味で、武田信玄が追いかけた織田信長も同様に、本能寺の変で倒れた。非情なる合理精神だけでは、天下の大事はならない。

 そんな思いが、なぜか、東日本大震災に右往左往する菅内閣の取り組みを見ていてした。2011.03.24

 

 

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地デジ、「アナログ停波」延期か。東日本大震災で露呈したもの

東日本大震災の報道の様子を見て、ひとつ気づいたのは

  被災者がまだまだアナログ放送に頼って必要な情報を入手

していたことだ。原発事故にしろ、汚染された生鮮食料品にしろ、交通情報にしろ、避難情報にしろ、従来のテレビ、やがて7月には停止される、いわゆるアナログで得ているのだ。

 この7月からと地上デジタル放送がまじかに迫り、従来のテレビが見ることができなくなる。今回の震災を目の当たりにして、

 アナログ放送の停止

は、当分延期すべきであると感じた。予定通り、停波すると、災害時の重要な情報伝達の手段が奪われることになる。

 確かにデジタル化は、世界の潮流であり、いずれは日本も完全な移行は避けられないが、まだまだ普及が進んでいない現状で、予定通り停止すると、災害時に大きな障害が発生することは間違いないだろう。

 所管の総務省は、延期はしないとの強気の姿勢を崩していないが、実質的な普及率が7、8割では延期はやむをえないのではないか。2011.03.23

 すくなくとも災害時には、国民は何がしかのテレビを見る権利がある

と考えるべきである。

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人は水 水は人 東日本大震災一週間 想定外では済まされぬ

 3.11東日本大震災から1週間がたった。

 この一週間の混乱の中ではっきりとわかったのは、よく知っていると思っていたはずの地震についても、原発についても、ましてや津波についても、私たちはほとんどなにもわかっていないということだったと思う。その証拠が「想定外」ということばが、テレビなどのマスメディアに登場する関係者や専門家からしばしば出たことであり、象徴的であった。

 地震国日本、原発大国日本

というのは幻想だったのだ。想定外というのは、はっきりいえば思考停止のことだ。科学者や技術者と一般の人々との媒介役を果たすはずの科学コミュニケータの役割も、この点ではほとんど機能していなかった。これまで想定外について科学ジャーナリズムが組織的に警告をしたことも、予防しようとしたこともなかったのだ。科学者頼みのジャーナリズムであっては、日本には科学ジャーナリズムは存在しないと言われても仕方あるまい。自戒した。

 もうひとつ、露呈した重大な欠陥は、菅直人首相の存在感がほとんどといっていいほどなかったことだ。むしろその言動は、被災者や国民の心を奮い立たせるというよりも、不安を抱かせるような言葉しか出てこなかった。その表情は、暗く沈んでいた。いち早く被災地に降り立ち、被災者とともに、この惨状から力強く立ち直るべく全力を挙げるとなぜ、アピールしなかったのか。一国の首相のリーダーシップとはそういう危機の時にこそ求められるのだ。あの前米大統領ですら、9.11同時多発テロでは、現場の消防士と手を取り合って国民にともにテロと戦おうと国民を鼓舞し、9割の支持率をたたき出したのである。チリの鉱山事故でも生き埋めになった鉱員救出にあたって、チリ大統領はすばやく現場に駆けつけ、国民の一致団結を呼びかけ、被災者に勇気づけたではないか。

 最後に、この一週間を振り返ると、やはり

 人は水、水は人

という印象を受けた。津波によりたくさんの人の命が奪われた。そしてまた、原発事故では、これまた消火や冷却で最後は水に頼るしかなかった。

 水は人の命そのものである

ということだ。水を治めるものは、国を治めるという言い方がある。あらためてそのことに気づかされた一週間であったように思う。2011.03.17

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絵本作家、かこさとしの世界 「科学に感動を」の浜松科学館

定年を過ぎて、

 ひとつ、ボランティアをやってみたい

そんな気持ちで、先日、浜松科学館を訪れた。会合前のひとときを、同館でひらかれていた

 きみのみらい みらいのきみ

という、科学絵本作家の加古里子さんの展示を拝見した。私と同じ、福井県出身だということで余計に近親感を持った。工学博士で技術士。科学をどういうふうにやさしく、わかりやすく語っているのか、サイエンスボランティアとしては興味を持った。

 溶解の化学 

というのは、なんと

 妖怪のばけがく

として描いていた。お見事。溶解度の話でも、

 砂糖は水に茶さじ何倍で〝消える〟

しかし、塩は少し入れるととけなくなり、底に塩として残る。だから、塩は一部は残るものの〝溶ける〟のである。

 不思議だなあ、と思ったのは、砂糖が消えてしまうのに、なんと、コップの水の高さは、変わらないのだそうだ。

 これに対し、塩の場合は、少し、高さが低くなるのだそうだ。塩を加えるのに、嵩が減るという理屈があるのか、ちょっと考え込み、驚いた。

 ブログ子は大学の理学部大学院に学んだことがあるが、この謎は容易には解けなかった。理解できるまでに時間がかかった。

 このブログのテーマである宇宙の生命については、

 宇宙の中のきみ

 「広い宇宙にはわたしたちの仲間がきっとみつかるよ !」

と呼びかけていた。私と同じ意見だ。きっと地球人より、はるかに高度な知的生命は

存在していることだろう。展示では、生命のもとには、彗星の尾、いん石などが考えられるという。

 見終わっての、感想は

 科学は理屈よりも、あっと驚く感動こそ、発展の原動力

ということだった。その感動のもととなっている理屈はあとでもいいのだ。まず、感動。これこそが子供たちを科学の世界にいざなう決め手であろう。

 小惑星探査機、はやぶさ帰還のフィーバーも理屈ではない。まず、感動があったからだ。

 科学に感動を、科学館の使命だろう。2011.03.08

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