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2011年2月

ストックの花咲く「赤提灯」 浜松中心街、ちとせ通りを飲み歩く

 浜松市中心街、千歳町。その真ん中を東西に走る「ちとせ通り」。その四つ角に、文字通り、赤提灯を点けた居酒屋「なとり」。夫婦で切り盛りしている気が置けないこじんまりした店だ。そのカウンターでの男と連れてきたバーの若い女性との会話にびっくりした。

 「ねえ、赤提灯って何のこと ?」

 連れの中年男性も

 「赤提灯知らないの、ここだよ、ここ」

とあきれる。すかさず、陽気な大将が

 「そう、高級居酒屋のこと」

とはやしたてた。店の中年男性みんな、ドッと拍手、

 「そうだ、そうだ」

と盛り上がった。ちょうど、この日は2月25日、つまり、京都では梅花祭。カウンターには、ママさんの心得なのか、白い梅花のような花、なるほど、粋だねえ、白梅か、とママさんに声をかけたら

 「浜松では梅は、もうお仕舞。これは、ストック」

と教えてくれた。アラセイトウのことだ。南ヨーロッパ原産らしい。今頃が出荷時期だとか。外来種らしいが、高級居酒屋にもいい雰囲気をかもし出していた。このちとせ通りには、夜ごと、いろいろな男と女の会話が弾む。

 ブログ子にとって、というか、団塊世代にとって、というべきだろうが、忘れられない男と女の会話がある。あの映画「カサブランカ」の「リックの店」でのものだ。こうだ。

 「ねえ、昨日の夜、どこにいたの?」

とお酒を口に運びながら、粋な男にしなだれる。すると、男は

 「そんな遠い昔のことは忘れた」

 「じゃ、明日の夜、どこに?」

  男は、女の顔も見ずに、

 「そんな遠い先のことは、わからない」

と、きめた。今がすべてといいたいのだろう。しびれるような会話。ブログ子も、一生に一度でいいから、こんな会話を飲み屋街でしてみたい。白いストックの花の下で。 2011.02.27

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最近の連続中東革命を〝フェイスブック〟する デジタル若者が世界を変革する

 ジャスミン革命とも呼ばれるチュニジア革命から、エジプト革命、そして、この二国にはさまれたリビアも国内が大きく揺れている。一連の動きを主動したのがそれぞれの国の若者たちだ。彼らの武器は、

 フェイスブック

というSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)。いわば登録制のブログ、ツイッターのようなものだ。このネットワークを使って、独裁政権をまたたくまに崩壊に導いてしまった。中国の共産党指導部は、次はうちかと、戦々恐々だろう。

 そのフェイスブックを開発したのも20歳前後のアメリカの若者たちだ。そんな開発の経緯を描いた公開中の

 映画「ソーシャル・ネットワーク」

を浜松の映画館で見た。わずか5、6年前、ハーバード大学内の「学生名簿名鑑(ザ・フェイスブック)」を同大学生なら誰でもプロフィールを写真付でパソコンで遊び感覚で簡単に見れるようにしたのが始まり。それが全米大学に広まり、一般社会に、そしてヨーロッパの社会にまであっという間に拡大した。今では、世界名鑑、フェイスブックにまで成長した。人脈づくり、人脈活用術として圧倒的な人気となっている。

 面白かったのは、中高年のブログ子には、この映画のストーリーについていけなかったことだ。ちんぷんかんぷんの映像も多くあった。そして、つくづく、

 これからは若者の時代だ

ということをいやがうえにも思い知らされた。今では、お互いに連絡しあい、交流することを

 フェイスブックする

という言い方もあるそうだ。

 映画を見て、ストーリーはあまりよく分からなかったものの、少なくとも

 これからのデジタル時代、若者が社会変革の原動力になる

ということは間違いないと感じた。若者の変革力に注目する。2011.02.21

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なぜか、夜のしじまに、高橋真梨子を聴きながら 

 久しぶりに、息子たちが浜松のマンションにたずねてきてくれた。連れてきた小さな琴葉ちゃん、あおいちゃんも、元気で、かわいいその姿に心和む。

 そんなせいか、小椋桂もいいが、ブログ子も団塊世代の男だから、時には、夜のしじまの中で

 高橋真梨子

を聴いてみたいという気になる。彼女のコンサートには何度も行ったが、同世代とは言え、歳を取るにつれ、魅力的になるのは不思議だ。

 ちょっと古いが、ソニーの「Discman」で、

 もいちどロマンス

を聴いている。「桃色吐息」がなんといっても懐かしいが、ひと歳いったのであろう、

 愛はルフラン

に聞き入っている。そういえば、

ジョニィへの伝言

が若き日の思い出だ。あのころは夢もあり、そして、未来もあった。

 こんな気分になったのは久しぶりである。

 なぜだろう。

 いつもは日本酒なのに、今夜は、ウイスキーをオンザロック飲んでいる。

 なぜだろう。

 人生62年、夢の如し

とはよく言ったものだ。今しばらく、このひととき、静かな時間を楽しみたい。静かな夜に、乾杯。2011.02.20 深夜

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予測はホント、むずかしい 中国の2010年GDP、日本抜き世界第2位

 バレンタインの日の夜、NHKニュースを見ていたら、

 経済成長が著しい中国のGDP(国内総生産)が、2010年、日本を抜いてアメリカに次いで世界第二位の経済大国になったと伝えていた。内閣府が発表した速報値である。アメリカはこれに対し、存在感を増す中国に対し警戒感を強めているらしい。

 内閣府の推計によると、中国がこのままの成長を続けると、2025年ごろにはアメリカを追い抜く勢いだという。もっとも、それでも国民一人当たりの換算では中国はまだアメリカの4分の1。しかし、大変な経済大国になることは間違いない。

 ところで、こうした状況を国際経済学者はどの程度、予測していたのかということだが、世界的な国際経済学者、C.P.キンドルバーガーが1996年に刊行した

 『経済大国興亡史 1500-1990』(岩波書店、全2巻)

には、アメリカの衰退については、かなり詳しく言及してはいるものの、中国の台頭については、ほとんどまったくと言っていいほど何も触れていない。

 わずかに触れているところを探すと、第12章結論のところの、そのまた、最後の最後にこう書かれているだけだ。

 次は? との見出しの下に、

  「わたしは(中略)混乱を予測する。」 「混乱の中から、ある国が世界経済の首位に立つ強国として、しばらくの間台頭してくるであろう。ふたたびアメリカか、日本か、ドイツか、全体としてのヨーロッパ共同体か、もしかすると、オーストラリア、ブラジル、中国のようなダークホースか。だが、それを誰が知ろう。私には分からない」

とこの浩瀚な著書は結ばれている。

 刊行した1996年時点では、中国がこれほどまでに経済大国にのし上がってくるとは、国際経済学の大家も予想できなかったのだろう。

 ただ、残念なのは、日本語訳が出たのは2002年であり、「日本語版への序文」まで著者は書いているのだから、日本の隣国中国の台頭や今後の行方について、一言言及があっても良かったのではないか、ということだ。日本語版序文にはまったく中国についての言及はない。しかし、2002年には、世界的なベストセラー『大国の興亡 1500-2000』で知られるポール・ケネディ氏ですら、自分の著書の知見を踏まえて、グローバル化を契機に中国経済の台頭を論じている(たとえば、2002年10月21日付読売新聞1面「地球を読む」)。当然、翻訳に当たって著者と詳しいやりとりをしていたという訳者もこの点に気づいていたはずなのに、どうしたことだろう。

   国際経済の動きの10年先を読み、その中で首位の座にあった大国がその座を明け渡し衰退に向かい、代わってどの国が首位に向かって勃興するのかという予測はとかく難しいということを知った「中国2位」だった。

 予測の前提として、首位の座にある経済大国がなぜ衰退したのかということはある程度分析できても、それに代わって、いろいろある国の中である特定の国がなぜ突然台頭して、その勢いを増し、首位の座をうかがうまでになってきたのかという分析はよほど難しいのだろう。そのときの国のリーダーの資質が大きくかかわってくるからだろう。その意味では、今後の中国経済の動向を、リーダーの指導力の発揮を中心に注意深く分析し、観察していくことが、今後の大国の興亡を見極める上で大事なのではないか。

 要するに、経済大国の興亡のかぎは、その時々のリーダーが握ってるということだろう。

 ちょっと変わった「科学と社会」ブログになってしまった。2011.02.16

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科学革命はなぜ17世紀西欧にだけ起こったのか かぎは16世紀西欧の文化革命

 最近は、日本の小惑星探査機「はやぶさ」の感動的な地球帰還が話題になり、科学とか、技術とかに、一般の関心が高まっている。

 ブログ子も、三連休を利用し、この機会に、

 現代物理学につながる科学革命がなぜ西欧にだけ起こったのか、それも17世紀西欧だったのか

という問題意識を持って、

 『磁力と重力の発見』(山本義隆、みすず書房、全3巻)

および、

 『16世紀文化革命』(山本義隆、みすず書房、全2巻)

を読んでみた。いずれも、見事な大著である。

 科学とは、独自の目的と合理的な方法で新しい知見を発見し、それらを理論的に、あるいは体系的に研究する学問

のことであり、

 技術とは、人間の生活に役に立たせるためにさまざまな知識を活用する手段

のことである。科学と技術が互いに影響しあいながら相互作用することはよく言われている。しかし、ながら、具体的な事例はなかなか示されなかった。たとえば

 磁力と重力発見

では、互いの影響がどういう具合になされたのか、具体的に、実証的に文献などを調べ上げたのが、前書である。これを読むと、お互いに接触しなくても影響を与えるという摩訶不思議な遠隔作用である重力が、磁力とのアナロジーから、自然界に存在する力として認識されてくる様子が浮かび上がる。そこには、自然魔術が実験科学として発達し、科学と技術の媒介役になっていたという事実を説得力を持って提示している。魔術が、形而上的な科学と、形而下の技術の相互作用役をになったというのだ。

 なぜ17世紀の西欧にだけ、科学と技術の相互作用による科学革命が起こったのか、という問題意識で書かれたのが、後著である。著者の山本氏は、ほかの文明圏にはなかった

 言語革命や数学革命といった文化革命

が16世紀西欧に起きていたからだと、膨大な文献を挙げて結論付けている。著者によると、文化革命とは、

 印刷術の普及に伴い、部数拡大の論理から必然的に、著作言語が少数者のためのラテン語から多数者の使用する各国語に変化してきたこと、そのことでそれまでラテン語で書かれてきた科学と、自国語で書かれる技術との相互作用が起きたこと、出版文化の浸透で秘密主義から情報の公開が始まったこと、新大陸の発見に伴い実用技術に関心が高まったこと、それまでの質の議論から白黒決着をつけることのできる定量的な議論が行われるようになったこと、負の数、少数なども扱う画期的な代数学の進展に伴い、厳格な実証性、合理性が図られるようになったこと、手写本では図版が書写のたびに劣化するのに対し、印刷図版には劣化はなく、情報の正確な伝達が可能になったこと

など、である。これに対し、アラビア科学やインド科学、中国科学は、応用面では知的な水準としてはむしろ西欧より優れていた面があったにもかかわらず、こうした文化革命が伴わなかったといえないか。この点については、著者自身明確には指摘していないが、推測されるところである。

 大筋まとめると、こんなところだろう。

 こう考えると、日本のように科学と技術を一緒くたにして、「科学技術」と表記するのは、間違いであることがわかる。2011.02.14 

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知的地球外生命はたくさん居る? NASAケプラー宇宙望遠鏡の快挙

誰でもが思うことだが、

 あんなに(知的な宇宙人が操縦しているかもしれない)UFOがたひたび地球上で〝観察〟されているのに、なぜ、地球を訪れるよりもはるかに簡単なはずの何らかの事前サイン、あるいは連絡がこの60年地球にはまったく届いていないのだろう。

 これにはいろいろな理由があることをこのブログでも詳しく紹介したが、NASAでも、地球外生命探査にことのほか力を注いでいる。そのための宇宙望遠鏡「ケプラー」が打ち上げているが、なんと、天の川のほんの一部を数か月かけて探索しただけで、約1200個もの太陽系のような惑星系を発見したというニュースには驚いた。

 惑星系であれば、地球から見て、中心の星の前面を通過すると、ほんのわずかだが光の量が減る。そんな仕組みで捜索するのだが、発見した惑星系のうち、生命にとって中心星から適当に離れていて熱すぎもせず、また、さりとて遠すぎず、あまり寒くもないところを回っている惑星がありそうなのは数%の54個。そのうち、惑星の大きさが地球ぐらいなのは5つだったという。

 うまく中心星の前面を通過しない惑星系もあるだろうし、わずか数か月の探索では、長い公転周期のものは引っかからないだろう。そんなことや、探索したのがわずか天の川のごく一部、100分の一くらいだというから、実際には、生命の存在してもおかしくない惑星系はこのわが銀河系には非常に多いということが推測できる。

 したがって、地球みたいな環境の惑星もずいぶんたくさんある

ということが想像できる。にもかかわらず、あいかわらず、そんな惑星系からの連絡はないというのはどういうことだろう。

 ひとつには、地球のような環境であっても、生命がその惑星上で誕生するというのは、きわめてまれな現象ということなのだろうか。いや、生まれることは生まれるのだが、それが人間のような知的な生命体にまで進化するのがむずかしい、あるいは時間がかかるということなのだろうか。それともお互いの進化の度合いがうまく重なり、連絡しあうタイミングがなかなかあわないか、まれなことというのだろうか。いろいろ想像できて面白い。

 ブログ子の意見は、以前にも言ったかと思うが、

 すでに地球に知的地球外生命は到着している

という説だ。これだと今回のケプラーの成果とは矛盾しない。地球は一人ぼっちではないという考え方に賛成している。

 ではなぜ、連絡はないのか。しているのに、互いに連絡が取れない状態になっていないだけのことかもしれない。進化のメカニズムの違いがあるからだ。人間が想定する連絡手段を相手が持っているとは限らない。あるいは、知的地球外生命は、暗黙のうちに人間ぐらいの大きさであるはずという前提で話をしているが、これが間違いで、地球にやってきているのに、たとえば、あまりに小さくて発見できない。あるいはコミュニケーションについても、知的な生命体は人間が話すくらいの時間間隔でできるはずという思い込みがあるので、連絡が受け取れないということなのかもしれない。100万分の1秒ぐらいの時間で百科事典を読破できるようだと、人間はこれを知的生命からの連絡であるとは気づかない可能性もあろう。

 ケプラーの情報はいろいろなことを考えさせてくれる。2011.0212

追記 2011.02.19

  このニュースを聞いて、久しぶりに、浩瀚な労作

 『地球外生命論争』(マイケルJ.クロウ、工作舎、全3巻)

を読み直してみた。その感想。

 「一般に宗教的著述家は多世界論を支えるものを科学に求め、科学者は主として宗教的理由で多世界論を受け入れたと言うと言いすぎであろうが、こうした面もあったであろう」という著者の見方に納得した。ほとんどの多世界論者は科学も宗教も多世界論を支持していると信じたことは確実だともこの本の著者は指摘している。

 全巻を通じて感じたのは、知的かどうかは別にして、地球外生命に関する論争の焦点は、

 キリスト教と多世界論は整合性がとれているかという神学的な問題であり、また、地球外生命の存在を示す明確な天文学的証拠がないという問題に帰着する

ということである。

 この意味で、時代とともにさまざまな論争は

 「宇宙のあり方と神のあり方はどこまでも極めがたい」

という著者の意見には、多くの知見を積み重ねてきた現代天文学においてもなお傾聴に値する。

 多世界論のほうが、宗教的にも、科学的にも、実りが大きいだろうという点で、魅力的であり、今後もなくなることはないだろう。

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自分の死、他人の死 

 このブログ欄で、先日、

 この国で死ぬということ

という特集をしていた雑誌を取り上げた。しかし、どうも、死というものに肉薄していない、どうも、書いている人とは無縁な、何かよそ事のようなタッチなのが気になった。

 何が足りないのだろう

と考えて、気づいた。書いている人は、みんな今は元気なのだ。今、死というものに直面していない。今、死と闘っているという実感が伝わってこない。死は他人事なのだ。

 ほしいのは、

 死を現在進行形で語り、死んでいく人の内面を語る寄稿

である。現代の死は、そのほとんどは「ゆっくり死」。つまり、そうした死の余命宣告後の

 〝死者の声〟

がほしい。そこに「死ぬということ」の真実があるのだ。先の特集では、このことがすっぽり抜けている。だから、特集に切実感、現実感が薄い。要らないとは言わないが、死の周辺の話ばかりになってしまったのではないか。はっきり言えば、

 自分の死

について語ったものが必要なのだ。

 そんな思いで、自宅近くの浜松中央図書館をいろいろ探したら、最近のもので

 『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二、文藝春秋、2009年、大腸がん)

  『ガン日記』(中野孝次、文藝春秋社、2006年、食道がん)

 というのを見つけた。読んでみると、なかなか含蓄がある。先ほどの特集とは違って切実感が伝わってくる。

 たとえば、66歳で亡くなった前書の科学者の場合、現代医療を全面的に信頼して、余命19か月と告げられる中、抗がん剤の効果、たとえば投与に対する腫瘍サイズの変化をグラフにするなど自分の病状を冷静に観察し、ブログにも公表していた。これなど「ゆっくり死」だからできる。

 その一方で、死の恐れについての対処法を箇条書きにまとめている。

 自分の死が頭に浮かんだら、他の考え(事?)に強制的に頭を変えること

 死は自分だけに来るものではない。すべての人にくる。高々10-20年の差だ。その間の世界がどうしても生きて見なければならない価値があるとは思わない(ことだ)

とつづっている。まさに、死にゆくものの悟りにも似た生の声だ。

 さらに、対処法として、がんになったことについて、自分以外を決して恨まない

 妻に愚痴らない(それでなくても妻は本人以上に苦しんでいるのだからという意味)

ということも語っている。これらは戸塚さんにとっては「修業の一種」と書いている。痛ましい死の現場であろう。

 もうひとつの後者(『清貧の思想』で知られる文学者で79歳で死去)の場合、末期の現代医療に疑問を持つ作家の闘病記だが、

 「余命、あと一年」

の宣告を受けた。妻と相談し、それなら、入院などしないで、一年を一日一日大事にして自宅で生活しようと決意する。しかし、末期がんの場合、自宅療養は介護で妻に大変な迷惑をかけることから、結局、入院を決意する。

 病状が悪化するにつれて、死に対する心境も変化してくる。

 「従容として死につく、という言葉あり、人の死の理想」と述べている。

 「生きる意義は、いかによく生きるかにありて、どれだけ長く生きるかになし」

 「生の期限が定まりたることは、その間に死についての手続きなど俗事をあれこれきめておくイタズラの楽しみあることか、と思いつく」

 「日々何かの楽しみを見つけなければ、生きていても詮なし」

 「(生の期限が定まりたることは)今生における人間関係を見直す好機也」

とも書いている。余命宣告で動揺しつつも、まだ余裕があるようにみえる。

 そんな中野氏も、余命数か月となり、再発し二度目の入院をするかという段になると、そうした余裕もなくなったのか、自宅療養をあきらめて入院を決意。医療的な「拷問」に対して、

 その時々に覚悟を決めるほかない

というような悟りともあきらめとも、気弱な心境になっている。

 とても、理想とする「従容として死につく」という心境とはほど遠いように思えた。

 このように現代医療に絶対の信頼を寄せる人も、必ずしもそうではない人も、また、年齢的にまだ若い60代であっても、後期高齢の80代に近くなっていても、期限を切って、刻々と近づいている自分の死については、なかなか従容とはいかない。そんなことを、二つの現在進行形の〝死者の声〟から知った。

 「この国で死ぬということ」特集には

この現在進行形がないのは、やはり、問題だったように思う。せめて、上記二冊ぐらいは

「死を思索する読書案内」欄

に紹介しておいてほしかった。単なる他人の死について語った本では、「死を思索する」ことにはならない。2011.02.03

追記 2011.02.16

  忘れていたが、もうひとつ、現在進行形の〝死者〟の声が残っている。ジャーナリストの筑紫哲也さんの「残日録」(週刊朝日MOOK  筑紫哲也特集 2009年11月10日発行)で、2008年11月に亡くなるまでの約1年半にわたる「肺がん日記」だ。

 この中で、心に残ったのは亡くなる半年前の2008年5月6日付の記載。自分の情報番組のアンカーマンを降りて1か月である。抗がん剤治療を打ち切り、やがて放射線治療に切り替えようとしていた時期で、家族に見守られながらも死期が迫っていた。そんな状況の中、筑紫さんは心境をこんな風に書いている。

 頼りは好奇心

 生きる気があるのかを試されている

 普段はそんなこと考えなくて人は生きていける

 病いと対面して突き付けられたのはそれだ

 どこまで生きる気があるのか、と。

 もういいや、という気もする。

 よほど、やりたいことが残っていないと。

 なんかおもしろいことないか、でやって来た者はとくにこれに弱い。

 おもしろいことが見つからなくなると途端に支えるものがなくなるからだ。

 頼りは好奇心か。

 以上だが、正直な心境だろう。このあと、痛みとの闘いが続き、亡くなる1か月ぐらい前には、

 他人に自分の運命を委ねるなかれ

 楽しませなければ存在理由ない

 と、いかにも自立したジャーナリストらしい、そしてまた、いかにもテレビアンカーマンらしい言葉で「残日録」は終わっている。

 73歳。

 このほかに、世界的な免疫学者、多田富雄さんの

 『寡黙なる巨人』(集英社)

がある。2001年5月、金沢で脳梗塞により倒れたのちの1年間の闘病記。最初は絶望して、

「確実に死ぬ方法」

はないかと真剣に考えている。電動ベッドを動かせば、それができると書いている。

 これなども、脳梗塞に陥った医学者が、死を他人の気楽な死としてではなく、切実な自分の死として、受け入れ、死線をさまようという葛藤を描いている好著。

 もう一つ、単行本ではないが、夫で直木賞作家の吉村昭さんの闘病とその最後について、見取った、妻で作家の津村節子さんのドキュメンタリー小説

「紅梅」(「文学界」2011年5月号)

も秀逸。ここでも、夫が

「いい死に方はないかな」

とつぶやくのを妻が聞いている。昭さんが自分の死について、真剣に考え込んでいる様子が赤裸々につづられていて、感動する。(追記 2011.08.30)

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