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さて、どうやって死ぬか 「店仕舞いもまたよし」の死生観

 久しぶりに自宅近くの浜松中央図書館に出かけた。新着雑誌の棚を見ていたら、

 この国で死ぬということ

というタイトルで『文藝春秋スペシャル』2011年冬号が特集していた。50人以上の著名人が死や、死の周辺について寄稿していたが、編集者から避けてほしいと注文があったのか、最近では年間3万人以上に上っている自殺についてはだれも取り上げられていなかった。両親から授かった命に対する冒とくであり、不遜な行為とみられているからだろう。最後まであきらめず「生き尽くす」のが生あるものの務めという死生観が根強い。また、事故死もまったくといっていいほど取り上げられていない。

 ほとんどは病死についてだ。面白かったのは、社会学者の上野千鶴子さんの

 「さて、どうやって死ぬか、それが問題だ」

であった。死因別に死の様子を具体的に書いている。いずれも、ゆっくり死であり、理想的な「ピンピン、ころり」とは逝かないだ。そんな中、多くの臨床医は「がん死」が比較的に楽な死に方だと指摘していると紹介している。緩和治療が急速に進展したからだという。

 しかし、上野さんは、こう締めくくる

 「さて、どうやって死ぬか。すぐには死ねそうもないことがわかった今日、ゆっくり死にそなえてあれこれシミュレーションしてみるのも一興かもしれない」

 しかし、どうやって死ぬか、それが問題だという問いかけとなると、自ら選択できる死に方を考えたくなる。そんな思いで、寄稿されているエッセーを探していると、作家で私大学長の後藤正治さんが、

「店仕舞いもまたよし」

という少しドキリとするようなタイトルで書いていた。こうだ

「どっちみち、〈人生の物語〉は中断によって終わる。すでに六十歳半ばまで生きた身であるのだから、神様がこのあたりで店仕舞いせよとおっしゃるなら黙ってそれに従うのが大人の心得というべきものであろう」

 後藤さんには心臓移植ノンフィクションに長くかかわっていた経験があり、これはおそらく、そこから割り出した死生観であろう。無理な延命治療はやめましょうという風にも聞こえる。

 私などは、無理な延命治療に限らず、さらに深読みして、神様などに頼らず、勇気のいることだが、自分の判断で〈人生の物語〉を店仕舞いするのも悪くはないと思うが、どうだろう。長く生きるだけが〈自分の物語〉ではない。ひと歳いったら、無理な延命人生はやめましょうということであり、不遜ではないように思う。それはちょうど、小説同様、すべてを書ききらず、読者に少し余韻を残して考えてもらうエンディングがあっていいのと同じだ。

 ただ、この店仕舞いの場合、あとに残った人にできるだけ迷惑がかからないようなエンディングをするのが「大人の作法」ではないかとは思う。

 そんな思いで、冬号を見ていたら、

 現場から見えてきたもの

として、「自分らしい最期を迎えたいと考える人が増える一方で、現場ではいま、一昔前には考えられなかったことが起きている」と無縁社会やそれを補う「きずなの会」(小笠原重行専務理事)のエッセーが紹介されている。NPO法人「きずなの会」では、緊急時の対応から納骨まで、一人暮らしのサポートが具体的に書かれていて参考になる。

 店仕舞いの「大人の心得」

であろう。

 最後に、理想的な死に方としては、

 ねがはくは花の下にて春死なん そのきさらぎのもちづきのころ (西行)

というのがある。ブログ子もそんな死に方ができたらいいとは思う。しかし、そうはうまく問屋が卸さないだろう。とすれば、ブログ子が酒を飲んで詠んだ歌

 ねがはくは雪の上にて冬死なん そのきさらぎのもちづきのころ

となる。きさらぎとは旧暦二月。2011.01.27

  追記

 このブログを書いて、一晩、つらつら考えたのだが

 「この国で死ぬということ」特集

には、もうひとつ、切実な「死」が書かれていないことに気づいた。

 この国で死ぬということは、大抵、病院で死ぬということであり、それは概ね、長い闘病生活を強いられる「ゆっくり死」であることは分かった。しかし、

 うつ病という精神科病や、アルツハイマー病などの脳神経科病の認知症患者の話は特集には書かれていない。なぜだろう。あまりに深刻であるからだろう。

 アルツハイマーの場合、よほどの初期はともかく、自覚症状がない。症状が進行してしまえば、自覚症状があるかどうか判断する脳神経細胞が器質的に犯されているのだから、ほかの病気のようなわけにはいかない。徘徊など、どんな奇行も、周りの人はともかく、アルツハイマー病患者にとっては、正常以外の何者でもないのだ。

 アルツハイマーも、今後改善の余地はあるものの、今のところ基本的には「ゆっくり死」であり、長い闘病生活を強いられるだろう。

 うつやうつ状態なら、自殺も考える人はいるかもしれない。しかし、アルツハイマー患者ではそうした判断はできない。

 上野さんが、ゆっくり死のシミュレーションをしてみるのも一興と提案しているが、これはなかなか怖い思考実験ではないか。

 ブログ子の実母がアルツハイマー病で介護8年で特養施設で亡くなったが、人には言えない苦労を味わったことを今も忘れない。

 不遜かもしれないが、自殺できる人は、ある意味、人間らしくもあり、その分、幸せではないか。母親を看取って、つくづくそう思う。

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