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これが最後の将軍の「知的余生の方法」45年  「家康と慶喜」静岡展

 静岡市美術館に

 家康と慶喜 徳川家と静岡展

を見に出かけた。33歳で将軍職を自ら退いた「最後の将軍」、慶喜がその後、亡くなる77歳まで、つまり、明治時代の45年間をどのように過ごしたかに興味を持った。彼の「知的余生の方法」は、一言で言えば、

 旺盛な趣味力、あるいは文人力

であったとの印象を持った。それとあくなき好奇心もあった。

 写真は撮られるのも、撮るのも好きだったようだ。

 撮られるほうでは、幕末(1866-67年ころ)の将軍職在位中の古写真には、

 だぶだぶのジャケットを着て西洋椅子の横に立った慶喜

というのがあった。革靴を履き、今で言えば作業帽のようなものさえかぶっている肖像(髷は将軍職なので当然結っているはず)。坂本竜馬が大政奉還に走り回っていたころ、こんな写真を撮っていたのだ。

 こうした全身写真のほか、異例とも言える大写し、クローズアップ写真もあった。慶喜が写真師に許可したのだろうと説明書きにあったが、写真撮られ好きな様子がこれでも分かる。これも幕末ぎりぎりの写真で、髷は結っているのだが、少し見えている服装は、なんと蝶ネクタイをした洋装。よほど写真撮られ好きだったことが分かる。

 自ら写真を撮るほうでは、これは玄人はだしだ。風景写真が多かったが、静岡市の郊外を流れる安倍川の鉄橋を驀進する汽車という動きのある写真。しかも、シャッターチャンスや構図が決まっている。とても素人写真ではない。アングルも見事な作品だ。

 油彩も見事。とても幕末の将軍がこんなものを当時描いていたとは信じられないくらいの出来栄えであり、遠近法もきちんとマスターしている。当時の日本であれば、西洋画家として生計を立てていけたであろうと思いたくなるほどだ。最後の将軍は芸術家だったのだ。

 そうかと思えば、弓道に汗を流したり、鷹狩もしていたらしい写真もあった。

 拝観して、慶喜は多趣味で、凝り性

だったように思った。45年間も「余生」を送るには、これくらいの多趣味、凝り性でないと、人生、とても間が持たないのかもしれない。

 というのも、引退後は、政治的に利用されることを恐れ、ひたすら人に会わない生活をしてきたからだ。彼にとって、この多趣味、凝り性は生きるのに欠くべからざるテクニックだったのだろう。自覚して多くの趣味をもったり、それぞれに対し凝り性になったりして、生きたのだ。

 この展覧会を見るまでは、なぜ慶喜が大概の予想に反して、大政奉還という歴史的な決断をしたのかについて、歴史の流れに逆らえないと認識したということもあるのだろうが、しかし、もっと単純に、それは幕府内での自分に対する評価の低さにうんざりして、藩や幕臣たちに意趣返しをしたのではなかったか、と思ったものだ。

 しかし、どうもそうではなく、文人慶喜として生涯を過ごしたいという「人生の設計」が将軍職にあったときから芽生えていたからではなかったか、とさえ思うようになった。それほど、

 慶喜の「知的余生の方法」は見事

だったように感じた。

 一般に慶喜は歴史的な出来事を比較的に長いスパンで考えることのできた英傑と言われたりする。しかし、存外、個人として生活を楽しむ方法を知っていたといえないか。2011.01.30

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