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「坂の上の雲」、日露開戦を見て 新史料発見で原作にはないシーン

 開戦前夜について、どういう扱いをしているか、興味を持って

 NHKのドラマ「坂の上の雲 日露開戦」

を拝見した。案の定、司馬遼太郎さんの原作にはない

 ロシア皇帝、ニコライ二世が開戦直前に日本提案に対して「全面譲歩」を決意し、その旨、主戦派で、極東の全権を任されているアレクセイエーフ総督に指示したというシーン

が放映されていた。これが直ちに日本側に伝えられていれば、なんとか戦争は回避された可能性は高かっただろう。ところが、受け取った総督は、この勅令をあえて無視する形で、駐日公使には当分伝えず、金庫に保存したというシナリオになっていた。それが東京に伝えられたのは、二週間後の、なんと、開戦1日後にあたる1904年2月7日だったという設定にしてあった。

 大変に重要なシーンであるが、原作にはない。どうしてこうなったのか。左翼運動家で、ロシア史研究の日本における第一人者と言われる和田春樹東大名誉教授の

 日露戦争の直前「同盟案」を黙殺 日本、ロシア側情報入手の新史料

 「坂の上の雲」の説に異論 東大名誉教授、和田春樹氏 

という事情があろう。共同通信社からの配信で、たとえば、2009年12月7日付静岡新聞夕刊に大きく報道されている。和田氏は、「戦争前史の再考が必要」との談話を掲載しており、NHKも、これにこたえて、上記のシーンを設定したのであろう。

 さらに云えば、NHKドラマでは、ロシアの極東総督が握りつぶしたことにっているのに対し、和田説では、新聞記事によると、日本政府が開戦1か月前には詳細な情報を駐露公使から得ながら黙殺したとなっている。この食い違いも気になるところだ。

 こうした食い違いもの経緯も

 満州・朝鮮半島をめぐる当時のつばぜり合い

のひとつなのだろう。これとても、意地悪い見方をすれば、戦争準備のまだできていないロシアを有利に導くための欺き、そういって悪ければ開戦時期を引き延ばす策略にすぎないともいえないこともない。しかし、すくなくとも、

 これで、ロシアの理不尽で、がむしゃらな南下膨張政策に対して、日本は窮鼠猫をかむ思いで開戦にやむなく踏み切ったという司馬史観を無条件に正しいとは言えなくなった。ただ、この勅令が直ちに日本側に伝えられていれば、開戦が一時的には回避された可能性は高かったであろうが、いずれ、たとえば1、2年後には、日露戦争は避けられなかったであろう。そのときは、ロシア側の戦力は圧倒的になり、かなりの確かさで、日本は壊滅的な敗戦に追い込まれたであろうことが想像できる。日英同盟もどうなっていたか、わからない。親ロシア派の和田氏には悪いが、引き伸ばし作戦だとして黙殺したことは結果的には、日本にとって賢明の決断であったと云える。

 和田氏は、こうした史料についての詳しい研究を

 『日露戦争 起源と開戦  上下』(岩波書店、2009-2010)

を展開しているらしい。下巻に、今回の発見が詳述されており、一読してみたい。

 日本側、ロシア側の史料をつき合わせてみないと、歴史の歪曲につながる。そんな反省をした。

 反省といえば、もうひとつ、朝鮮の動きも歴史の真実に迫るには大事だ。そうした点で、司馬さんの原作には、日露戦争のひとつの舞台となった朝鮮、李氏朝鮮の政府、国内事情がまったくと言っていいほど触れられていないのは、どうしたことか。小説とはいえ、不見識であろう。少なくとも一方的ではないか。朝鮮はもはや独立国ではなく、保護すべき国であるという日本側の主張は、不遜であり、傲慢であると気づいた。日露戦争は、帝国主義的な半島進出と言われても仕方あるまい。

  戦争をテーマにしたドラマはむずかしい。そのことを司馬さんはよく知っていたからこそ、生存中はこの原作をドラマ化することを承知しなかったのではないか。そんな気がする。2010.12.22

 追記 2010.12.28

  上記の日本側に伝わった日露同盟案が、ロシア政府内ではどのように扱われていたか、気になるところだ。

 12月27日夜のNHKスペシャル

 プロジェクトJAPAN

  第0次世界大戦 日露戦争・渦巻いた列強の思惑

によると、ロシア公文書館にその同盟案は保存されていた。開戦1か月前に日本政府の駐ロシア公使に伝えられたと紹介されていた。しかし、伝えられた同盟案を日本政府がどう処理したのか、それは不明とされた。結果的に黙殺されたことになる。

 この話は、和田春樹氏の発見と軌を一にする。

 このことからすると、開戦1年前には満州からの撤兵を宣言するなどもしており、ロシア皇帝、ニコライ2世は開戦回避に傾いていたことがうかがえる。

 和田春樹氏の『日露戦争 上』でも、

 日露開戦直前においては、主戦派を含めて、クロパトキン陸相、ベゾブラーゾフ皇帝補佐官などロシア政府首脳は、容易ならざる軍事上の日本の実力をよく理解し、朝鮮での衝突のきっかけをつくらないよう開戦回避の努力をしていた

ことを詳細な公文書発掘により、詳述している。これを読むと、ニコライ2世もこの点について十分認識していたといえそうだ。こうした事情について、日露交渉の最前線に立っていた肝心の駐日ロシア公使、ローゼンがどのように認識していたか、はなはだ心もとないように思う。この点の解明がないと、最終的な開戦事情はわからないのではないか。

 とはいえ、『坂の上の雲』の、日本は窮鼠猫をかむ思いでやむなく開戦に踏み切ったという司馬史観は一方的であるということが言えそうだ。選択肢はいろいろあった。そのことを少し、踏み込んで言えば、

 日露戦争は、日本が仕掛けた戦争

といえなくもない。ロシアを恐れるあまり、疑心暗鬼に追い込まれたという側面があるとしても、日本政府はロシア側の真意を見誤って、開戦に踏み切ったことにならないか。ロシア側の国内事情として足元に革命の動きもあり、ロシア政府部内は強硬派一辺倒ではなかったことはもっと知られていい。

追記 2011.01.09

お正月休みに、図書館で借り出した和田春樹氏の

「日露戦争 下」

を読んだ。読んでの強い印象は、

 日露戦争は、ロシアから無理やり仕掛けられた戦争だという史観から、実は

 日本政府、とくに小村寿太郎外相が「仕掛けた戦争」ではなかったか

ということだった。この著書によると、

 開戦直前の「(ニコライ2世皇帝の補佐官)ベゾブラーゾフの乾坤一擲の露日同盟案に対して皇帝はどのように反応したか」という問題にふれている。宮殿文書の中にのこる(皇帝に手渡された)意見書には、いかなる書き込みもない。皇帝の日記からも何もうかがえない。

 このことから、和田氏は

 「おそらく皇帝は(同盟案に)支持を与えなかったのだと考えられる」

と結論付けている。

 とすると、NHK特別ドラマの皇帝は、開戦1か月前に、現地のアレクセーエフ総督に対して、世は平和を望むとして、

 戦争回避のため「全面譲歩」

を勅令したというのは、事実ではないことになる。

 このことから、和田氏は、著書の最終章「日露戦争はこうして起こった」で、

日露戦争は、開戦決定の2月4日、つまり開戦2日前までに、小村寿太郎など政府高官が回避するつもりがあれば、十分余裕を持って同盟案を一か月近く検討できたと分析している。

 日露戦争は、司馬さんの言うように日本が窮鼠猫をかむといったやむにやまれない窮地に立たされて、仕方なく戦争に突入したというものではなく、

 日本が、ある意味積極的に仕掛けた戦争だった

と述べている。ロシア側からの公文書を克明に分析した専門家の分析であるだけに説得力がある。

 これに対し、歴史学者ではないが、和田氏と同世代人であり同じ東大文学部教授だった

 島田謹二氏の

 「ロシヤにおける広瀬武夫」「アメリカにおける秋山真之」「ロシア戦争直前の秋山真之」

といういずれも浩瀚な著作とは、大きく結論が異なっている。島田史観は司馬史観にほぼのっとっている。

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コメント


3日目でソッコー8万いただきますたーっ!!!!!
想像以上に簡単で逆にちょっとビビったww
http://2hrhnzw.tee.navitime.me/

投稿: オメガワロスww | 2010年12月24日 (金) 13時24分

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