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2010年12月

素数の魔力と宇宙の調和  数学と宇宙の関係。なぜか天文学者、ケプラーを思い出した

 年末ということで、なんやかやとテレビ局も忙しいのだろう。日本再放送協会とも揶揄されるNHKも、過去の優れた、あるいは話題になった番組を再放送している。

 NHKハイビジョン特集 素数の魔力に囚われた人々  リーマン予想・天才たちの150年の闘い

というのを日曜日に見た。素数とは、その数と1以外には約数を持たない自然数のことで、たとえば、2、3、5、7、11、13、17などだ。

 優れた番組として賞を獲得するなどしたこともあって、この一年、これまでにも何度か再放送されたらしい。自然数の並びの中で素数といわれる数字がどのように出現し、素数と素数の間にはどのような関係があるのか。その謎を解く鍵を握るといわれているリーマン予想について、数学に興味を持っている人が対象とはいえ、一般の人にわかりやすく紹介しよう、興味を持ってもらおうという試みには、説得力や出来栄えはともかく、その意欲には感心した。

 もちろん、番組を見たからといって、数学者にすら分からないのだから、一般の人に概略すら分からない。分かるのは、なんとはない雰囲気だけだ。

 ただ、面白かったのは、この純粋に数学者の脳の中だけで考えられていた問題、すなわち素数の並び方の法則を見つけ出すための鍵を握るリーマン予想が、実体のある物理学の法則と密接に関係しているらしいこと、しかもそれが宇宙の成り立ちと関係していることが、この20年くらいの研究から分かり始めたということだった。

 具体的に言えば、素数の並び方には、原子のエネルギー準位の法則と密接に関係していること、宇宙の法則、いわゆる超ひも宇宙理論とも何らかの結びつきがあることなどが、分かりだしたと番組で紹介されていた。

 この話を聞いて、小生、何故か、400年前の天文学者、ヨハネス・ケプラーを思い出した。彼は太陽系の惑星運動に関する3法則を夜空の惑星運動観測データから見つけた。かの有名なアイザック・ニュートンは、この3法則を成り立たせている宇宙原理とは何か、宇宙全体を支配する

 自然哲学の数学的原理

の発見に向かって、自ら発明した微分・積分学という数学を駆使した。そして、ケプラーの法則発見から数十年後、ついに逆二乗の法則という万有引力を発見し、その宇宙原理の成果を『プリンキピア』という大著にまとめたのだ。

 宇宙の法則から、その背後にある数学的な帰結を導き出したのが、ケプラー・ニュートンの仕事であった。これに対し、リーマン予想においては、その逆、素数という数学から宇宙の成り立ちの法則を解明しようという数学者と物理学者の挑戦であるように感じた。

 ケプラー/ニュートンの時代にも、現代の数学者や宇宙論物理学者にも、ともに共通するのは、

 数学も宇宙も美しく調和した世界であり、それぞれコインの裏表のような関係で一体である。つまりは数学者の脳の世界とこの広大な宇宙の数学的な原理は同じであり、その一体を創造したのは、ほかならぬ〝神〟である

という深遠なる信念であろう。数学者をとりこにする「素数の魔力」とはこの深淵さによるものなのだと気づいた。

 ケプラーの著作には、

 処女作『五つの正立体による宇宙形状誌 宇宙の神秘』(1596年。訳=工作舎、2009年)

大著 『宇宙の調和』(1619年。訳=工作舎、2009)

がある。前著は幾何学で太陽系惑星の調和を捉えようとしており、後著は音階など音楽理論で宇宙全体の調和を解明しようとしている。

 宇宙物理学の理論も取り込み、素数に関するリーマン予想を証明しようとしている天才数学者たちの150年の闘い

 それは「現代のケプラーやニュートン」の姿ではないか。

 少し立ち入って言えば、たとえばニュートンの微分・積分学に当たるのが、番組に出てきた天才数学者、アラン・コンヌの非可換幾何学のような数学ではないか。この数学理論から、果たして、ビッグバンを統一的に説明できる現代の究極の宇宙理論が生まれるかどうか。

 それにしても、150年も前にこんな素数予想をしたドイツの数学者、リーマンは、やはり大天才だ。小生、ユークリッド幾何学すら満足にマスターできなかったが、リーマンは非ユークリッド幾何学のひとつ、リーマン幾何学を打ち立てたのだから、当然かも知れない。この数学が、やがてアインシュタインの一般相対性理論の数学的基礎になるのだから、宇宙と数学は一体なのだと信じたくなる。

 ひょっとすると、人間という生物の脳から生み出される数学は、宇宙のすべての場所で適用可能な普遍性を持っているのかもしれない。これは驚くべきことではないか。

   年末の慌しさを忘れさせる「哲学的な番組」だったと思う。2010.12.27

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人工合成生物の時代 ? 今年の科学界重大ニュースにびっくり

 今年の科学界のビッグニュースはなんと言っても

 小惑星サンプルリターン探査機「はやぶさ」の感激の帰還(2010年6月)

と思っている人も多いだろう(問題もある。追記も参照)。宇宙に関心を持つローエル協会としても、それに異存はないが、しかし、世界は広い。地上では、それよりもあっと驚く出来事が起きていた。

 日曜日のNHK番組「サイエンスZERO」でも紹介されていたが、

 あのDNA解読競争で活躍したC.ベンター博士率いる米ベンチャー研究機関が

 人工的に合成したゲノムを、いわゆる借り腹として自然界でそのゲノムを持つ細菌に移植し、自己増殖させることに成功

という大ニュースがあった(はやぶさ帰還と同じ6月)。本物のゲノムと入れ替えた移植のゲノム情報を基に、借り腹役の細菌が実際にたんぱく質を作り出し、細胞分裂するなど自己増殖を始めたことが確認されたのだ。この借り腹の部分が人工的に行われるようになれば、

 完全な人工合成生物の誕生

だ。自然界には存在しない新しい生物を〝創造〟できる合成生物学の道を開いたといえる。同研究機関では、すでにこのことに成功しているのではないかとの見方も出ているらしい。こうなると、

 人工ロボットならぬ、生物ロボット

の誕生である。ある有用な医薬品を作り出す生物ロボットも可能なのだという。すばらしいというべきか、恐ろしいというべきか。これはもう、「はやぶさ」どころの騒ぎではない。これまで神の仕事とされてきた生物の創造が、人間でもできる。使い方を誤らないか、事態は深刻だともいえる。

 今から40年以上前、米誌「ライフ」の科学記者、A.ローゼンフェルト氏は

 『第二創世記 来るべき生物学時代への提言』(早川書房)

で、その書き出しにおいて「生命をコントロールする時代が到来しつつある。人間の生命を含むあらゆる生命。それが人間自身によってコントロールされるのだ」と述べ、「今度創造者となるのは-人間だ」と指摘している。当時は、心臓移植や人工臓器、生殖革命を想定していたが、いまやより根本的な人工ゲノムの時代の到来であり、いわば第三創世記の時代と言えるかもしれない。今年はその元年というわけだ。

 日本でも、今年京大にiPS細胞研究所が開設されるなど、急速に胚性幹細胞(ES細胞)から、より根源的な多機能幹細胞の研究に態勢がシフトし始めている。

 ローゼンフェルト記者は、新しい時代の到来で、どんな事態が社会発生するのか、事前に予測し、必要な措置がとれる仕組みが必要だと提言している。日本でも新しい事態対応できているかどうか、点検し、体制を見直していくことが大事だろう。

  そう考えると、小生としては、

 はやぶさ帰還と、自己複製もできる人工ゲノムの作出成功

を今年の重大ニュースの上位に挙げたい。このほか、

 うなぎの完全養殖の成功(養鰻業者はショックだろう、8月)

 反水素の捕獲に成功(東大など国際研究チーム、11月)

などを挙げたい。今夏の異常な猛暑も身近な重大ニュースだろう。2010.12.27

  追記

 浜松市でも、はやぶさのカプセルの実物公開が先日(12月18日)行われたので、見に出かけた。浜松科学館のサイエンスボランティアもたくさん応援に駆けつけていた。

 浜松市民としてうれしかったのは、小惑星の上空から観測するために浜松ホトニクスが開発した

 蛍光X線分光器および近赤外線分光器用の光センサー

が展示されていたことだ。これで、はやぶさは小惑星接近とともに、上空から小惑星がどのような物質で成り立っているのか、詳しく分析するためのデータを取得して、地球に送信していたのだ。

 もうひとつ、追記。

 「はやぶさ」については、その帰還では賞賛の声ばかりが目立つ。

 しかし、大きな問題点もあることを見逃してはならないだろう。

 それは、これほどさまざまな深刻なトラブルが発生したということは、技術がまだまだ未熟であるということだ。軽量化のため、信頼性や安全性を高めるための

 トラブルが起きてもリカバリー機能のある、いわゆる「フェール・セーフ」の設計思想

が徹底していなかったことをさらけ出した。後継機の「はやぶさ2」の大きな課題ではないか。

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地球外文明探しの奥深い意義  UFO情報の公開 

 こういうニュースは大抵、新聞では囲み記事になるのだが、

 ニュージーランド国防軍 55年間分のUFO情報を公開

と12月23日付静岡新聞に、やはり囲み記事が出ていた。1955年から2009年までに寄せられた情報、数百件だというから、かなりまとまった報告書で、総計2000ページにものぼる。ただし、地元紙「Dominion Post」によると、同軍は「公開された情報について今後検証する計画はない」としている。ただし、中には、確かに未確認飛行物体であり、しかも地球外から飛来した可能性が否定できないものもあるという。

 小生は、知的な生命としての宇宙人は必ず存在すると信じている。地球だけがこの宇宙で特別なはずはないからだ。しかし、それならば同時に、いきなり地球に宇宙人の操縦するUFOがやってくる前に、何らかの連絡があってもいいはずなのに、なぜ、この50年間、まったく宇宙から連絡がないのだろうという疑問が残る。こちらの確率のほうが、直接飛来するよりはるかに高いはずなのに、まったく電波その他で地球には連絡らしい信号は届いていない。これはなぜだろう。

 短絡的には、それは、やはり宇宙には知的に高度な宇宙人はいないからだと考える人もいるだろう。逆に、いるのだが、地球人の知的なレベルが低くて、宇宙人からの連絡をうまくキャッチできないだけだと解釈する人もいるだろう。探し方が間違っているのだ。宇宙に生命を捜し求めている天文学者は大抵、この考え方を取っている。

 さらに、最近の宇宙創生理論を敷衍して、地球が存在するこの宇宙には、たまたま地球人だけしか生命がいないが、この宇宙とは別の条件で同時に生まれたほかの無数の宇宙では、たくさんの宇宙人が存在するという考え方もできるだろう。時間も空間もまったく別の宇宙に存在するのだから、連絡がこないのは当然なのだ。

 それとは別に、宇宙人問題は、地球外にかかわる宇宙の問題ではなく、単に地球内の人為的な問題であり、宇宙人とは関係ないという社会学的な見方もあるらしい。

 そうこう考えてくると

 宇宙人探しは、これはなかなか奥が深い

といえそうだ。

 小生たちの日本ローエル協会もそうした奥が深いテーマを研究のひとつにしている。

 この奥深さを科学的にいろいろケースに分けて論じているのが、

 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由  フェルミのパラドックス』(S.ウェッブ、青土社)

である。

 そこで、小生の見解をここに紹介しておこう。

 宇宙人は、じつは今もかつても微生物として宇宙から地球にやってきている。きわめて高度な知的な微生物が地上に降り注いでいる。ただ、時間スケール、空間スケールの違いで、人間が微生物と交信できないだけなのだ

というものだ。

 知的な宇宙人は人間と大体同じ大きさだという錯覚、交信はだいたい人間が話すぐらいの時間で行われるという誤解がありはしないか。こうした思い上がりの人間中心主義を見直すのに、宇宙人探しはおおいに意義あると思う。

  今日は、クリスマス・イブだが、サンタというのも、あれは、人間が生み出した一種の宇宙人だろうとふと思った。人間の顔と精神を持った宇宙人なのだ。

 これに対し、本物の宇宙人がいるとしても、地球人と同様の顔や精神を持っているとはかぎらない。それらがどんなものか、容易に想像はできないが、まったく異なっているだろう。一致していると考えるほうが、はるかに確率的には小さい。

 この意味で、「スターウォーズ」の世界はとんでもない虚構なのだ。あれは宇宙人映画ではなく、たんなる地球人映画なのだ。2010.12.24

  

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「坂の上の雲」、日露開戦を見て 新史料発見で原作にはないシーン

 開戦前夜について、どういう扱いをしているか、興味を持って

 NHKのドラマ「坂の上の雲 日露開戦」

を拝見した。案の定、司馬遼太郎さんの原作にはない

 ロシア皇帝、ニコライ二世が開戦直前に日本提案に対して「全面譲歩」を決意し、その旨、主戦派で、極東の全権を任されているアレクセイエーフ総督に指示したというシーン

が放映されていた。これが直ちに日本側に伝えられていれば、なんとか戦争は回避された可能性は高かっただろう。ところが、受け取った総督は、この勅令をあえて無視する形で、駐日公使には当分伝えず、金庫に保存したというシナリオになっていた。それが東京に伝えられたのは、二週間後の、なんと、開戦1日後にあたる1904年2月7日だったという設定にしてあった。

 大変に重要なシーンであるが、原作にはない。どうしてこうなったのか。左翼運動家で、ロシア史研究の日本における第一人者と言われる和田春樹東大名誉教授の

 日露戦争の直前「同盟案」を黙殺 日本、ロシア側情報入手の新史料

 「坂の上の雲」の説に異論 東大名誉教授、和田春樹氏 

という事情があろう。共同通信社からの配信で、たとえば、2009年12月7日付静岡新聞夕刊に大きく報道されている。和田氏は、「戦争前史の再考が必要」との談話を掲載しており、NHKも、これにこたえて、上記のシーンを設定したのであろう。

 さらに云えば、NHKドラマでは、ロシアの極東総督が握りつぶしたことにっているのに対し、和田説では、新聞記事によると、日本政府が開戦1か月前には詳細な情報を駐露公使から得ながら黙殺したとなっている。この食い違いも気になるところだ。

 こうした食い違いもの経緯も

 満州・朝鮮半島をめぐる当時のつばぜり合い

のひとつなのだろう。これとても、意地悪い見方をすれば、戦争準備のまだできていないロシアを有利に導くための欺き、そういって悪ければ開戦時期を引き延ばす策略にすぎないともいえないこともない。しかし、すくなくとも、

 これで、ロシアの理不尽で、がむしゃらな南下膨張政策に対して、日本は窮鼠猫をかむ思いで開戦にやむなく踏み切ったという司馬史観を無条件に正しいとは言えなくなった。ただ、この勅令が直ちに日本側に伝えられていれば、開戦が一時的には回避された可能性は高かったであろうが、いずれ、たとえば1、2年後には、日露戦争は避けられなかったであろう。そのときは、ロシア側の戦力は圧倒的になり、かなりの確かさで、日本は壊滅的な敗戦に追い込まれたであろうことが想像できる。日英同盟もどうなっていたか、わからない。親ロシア派の和田氏には悪いが、引き伸ばし作戦だとして黙殺したことは結果的には、日本にとって賢明の決断であったと云える。

 和田氏は、こうした史料についての詳しい研究を

 『日露戦争 起源と開戦  上下』(岩波書店、2009-2010)

を展開しているらしい。下巻に、今回の発見が詳述されており、一読してみたい。

 日本側、ロシア側の史料をつき合わせてみないと、歴史の歪曲につながる。そんな反省をした。

 反省といえば、もうひとつ、朝鮮の動きも歴史の真実に迫るには大事だ。そうした点で、司馬さんの原作には、日露戦争のひとつの舞台となった朝鮮、李氏朝鮮の政府、国内事情がまったくと言っていいほど触れられていないのは、どうしたことか。小説とはいえ、不見識であろう。少なくとも一方的ではないか。朝鮮はもはや独立国ではなく、保護すべき国であるという日本側の主張は、不遜であり、傲慢であると気づいた。日露戦争は、帝国主義的な半島進出と言われても仕方あるまい。

  戦争をテーマにしたドラマはむずかしい。そのことを司馬さんはよく知っていたからこそ、生存中はこの原作をドラマ化することを承知しなかったのではないか。そんな気がする。2010.12.22

 追記 2010.12.28

  上記の日本側に伝わった日露同盟案が、ロシア政府内ではどのように扱われていたか、気になるところだ。

 12月27日夜のNHKスペシャル

 プロジェクトJAPAN

  第0次世界大戦 日露戦争・渦巻いた列強の思惑

によると、ロシア公文書館にその同盟案は保存されていた。開戦1か月前に日本政府の駐ロシア公使に伝えられたと紹介されていた。しかし、伝えられた同盟案を日本政府がどう処理したのか、それは不明とされた。結果的に黙殺されたことになる。

 この話は、和田春樹氏の発見と軌を一にする。

 このことからすると、開戦1年前には満州からの撤兵を宣言するなどもしており、ロシア皇帝、ニコライ2世は開戦回避に傾いていたことがうかがえる。

 和田春樹氏の『日露戦争 上』でも、

 日露開戦直前においては、主戦派を含めて、クロパトキン陸相、ベゾブラーゾフ皇帝補佐官などロシア政府首脳は、容易ならざる軍事上の日本の実力をよく理解し、朝鮮での衝突のきっかけをつくらないよう開戦回避の努力をしていた

ことを詳細な公文書発掘により、詳述している。これを読むと、ニコライ2世もこの点について十分認識していたといえそうだ。こうした事情について、日露交渉の最前線に立っていた肝心の駐日ロシア公使、ローゼンがどのように認識していたか、はなはだ心もとないように思う。この点の解明がないと、最終的な開戦事情はわからないのではないか。

 とはいえ、『坂の上の雲』の、日本は窮鼠猫をかむ思いでやむなく開戦に踏み切ったという司馬史観は一方的であるということが言えそうだ。選択肢はいろいろあった。そのことを少し、踏み込んで言えば、

 日露戦争は、日本が仕掛けた戦争

といえなくもない。ロシアを恐れるあまり、疑心暗鬼に追い込まれたという側面があるとしても、日本政府はロシア側の真意を見誤って、開戦に踏み切ったことにならないか。ロシア側の国内事情として足元に革命の動きもあり、ロシア政府部内は強硬派一辺倒ではなかったことはもっと知られていい。

追記 2011.01.09

お正月休みに、図書館で借り出した和田春樹氏の

「日露戦争 下」

を読んだ。読んでの強い印象は、

 日露戦争は、ロシアから無理やり仕掛けられた戦争だという史観から、実は

 日本政府、とくに小村寿太郎外相が「仕掛けた戦争」ではなかったか

ということだった。この著書によると、

 開戦直前の「(ニコライ2世皇帝の補佐官)ベゾブラーゾフの乾坤一擲の露日同盟案に対して皇帝はどのように反応したか」という問題にふれている。宮殿文書の中にのこる(皇帝に手渡された)意見書には、いかなる書き込みもない。皇帝の日記からも何もうかがえない。

 このことから、和田氏は

 「おそらく皇帝は(同盟案に)支持を与えなかったのだと考えられる」

と結論付けている。

 とすると、NHK特別ドラマの皇帝は、開戦1か月前に、現地のアレクセーエフ総督に対して、世は平和を望むとして、

 戦争回避のため「全面譲歩」

を勅令したというのは、事実ではないことになる。

 このことから、和田氏は、著書の最終章「日露戦争はこうして起こった」で、

日露戦争は、開戦決定の2月4日、つまり開戦2日前までに、小村寿太郎など政府高官が回避するつもりがあれば、十分余裕を持って同盟案を一か月近く検討できたと分析している。

 日露戦争は、司馬さんの言うように日本が窮鼠猫をかむといったやむにやまれない窮地に立たされて、仕方なく戦争に突入したというものではなく、

 日本が、ある意味積極的に仕掛けた戦争だった

と述べている。ロシア側からの公文書を克明に分析した専門家の分析であるだけに説得力がある。

 これに対し、歴史学者ではないが、和田氏と同世代人であり同じ東大文学部教授だった

 島田謹二氏の

 「ロシヤにおける広瀬武夫」「アメリカにおける秋山真之」「ロシア戦争直前の秋山真之」

といういずれも浩瀚な著作とは、大きく結論が異なっている。島田史観は司馬史観にほぼのっとっている。

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倹約とは「絵に描いたタイ」のこととみつけたり 映画 「武士の家計簿」

 遅ればせながら、話題の

 「武士の家計簿」を見た。刀ではなく、そろばんで家族を守った侍

の話である。私の第二のふるさと、加賀百万石の金沢の侍の話である。歴史上の主人公の猪山家の屋敷は、金沢の中心街、香林坊にあった。その後の跡地には10年ぐらいまえまで「ぼたん」という有名喫茶店があった。現在はそれもなくなり、角地のコンビニになっている。映画に出てくる猪山家には、その近くの閑静な武家屋敷の一角にある元下級武士の家屋が利用されていた。私もこの由緒ある貴重なお宅(金沢市長町1丁目、大屋宅)に伺って、ご主人の話を何度か聞いたことがある。

 加賀藩の武士の正月のしきたりとはどんなものだったか

 ご主人にそんな話を伺って、感心した。その場所が今回の映画の舞台だった。

 猪山家は、現代で云えば、当主の年収が1200万円ぐらいで、なかなかの高給取りだ。それなのに、なぜ、そんなに借金まみれになってしまったのか。家禄のある当主のほか、長男、直之もそろばん侍としてそれなりの年収もある。それなのになぜ、たけのこ生活といわれるような借金生活なのか。

 映画は、倹約術については、たとえば、家財処分や、「絵に描いたタイ」など食費の節約などが描かれていたが、このなぜについては、はっきりとは描かれていない。

 原作の「武士の家計簿」を読んでみると、原因は3つあるのだ。

 そもそも農本主義の下では、家禄、つまり知行は物価が上がってもそうそう増えない。商品経済が発達していたにもかかわらず、土地に縛られていて昇給制度がないのだ。

 第二は、身分制度の下では、身分維持のためのいわば「身分費用」が削れない。不合理で削りたくても、武士であるためには削れないのだ。一定家来の確保、参勤交代の参加などの費用は削れない。その上、武士の身分を維持するための年100回以上にもおよぶ元服などの祝儀、付き合いの費用は削ることができない。武士は付き人なしでは町をあることはできないので、家来をなくすことはできない。このように武士は体面が大事なのだ。

 最後は、世襲制下では跡取り、長男の教育費用が、町人に比べて莫大に上る。手習い、剣術修行、「四書五経」などの武士の教養を身につけるための費用などは、削れない。猪山家でも、優秀な経理マンになるには、それ相当の教育投資が欠かせない。

 この映画をみて、思ったことは以下のとおりだ。

 まず、その場を糊塗する大借金生活を抜け出し、それと真正面から敢然と立ち向かおうという一大決心をするのは、大変であるということだ。それも十年以上の耐乏生活だ。たいていはくじけるだろう。倹約しながら、(武士として)誇り高く生きるのは大変なのだ。それにはそれなりの覚悟が必要だと、この映画は教えてくれた。借金の半分を家財道具売却で清算し、残りの借金については、これまでの年利18%から無利子返済に切り替え、これ以上借金が膨らむのをともかく止めることができたのが成功の元だった。これが認められなかったら、猪山家は、再び借金が膨らみ破産したであろう。この教訓は、「借りすぎには注意。ご利用は計画的に」の現代消費者金融時代にも通用しそうだ。

 もうひとつ、生きている時代に過剰に適応することは、変革期には特に危険だということ。新しい時代に柔軟、積極的に対応する心の余裕がないと、家族は守れない。これが明治時代に生きることになった猪山家の成之の成功の秘訣だった。ほかのひとにはない、そろばんの腕があったればこそ、海軍省主計大監という官途につけたのだ。

 全体として、家族を守ることと、天下国家のために奔走することとは、両立するということをこの映画は教えてくれた。これは、原作にはない映画の新しい視点だったと思う。

 最後に、この映画製作の「エクゼクティブ・プロデューサー」が飛田秀一氏であると知って、納得したり、驚いたりした。というのは、同氏は、かねてから、映画館はその地域の文化程度の高さを表すとして映画文化の振興に力を入れたいと抱負を語っていたからである。地元である加賀百万石が舞台のこの映画の制作に積極的にかかわった理由がよくわかる。ありきたりではない、原作のユニークな視点も積極的にかかわろうとした理由ではなかったかと思う。

  もうひとつ。「家計簿」というタイトルからか、映画鑑賞者には中年女性が多かった。しかし、この映画、むしろ男性が見るべき映画ではないか。家計簿改革には、男の決断と覚悟が何よりも必要だからだ。男がそんなことは、という時代はとうに過ぎ去ったと思う。2010.12.20

  追記

 この映画は浜松市で見たのだが、この映画のほかに、もうひとつ話題の映画

 「最後の忠臣蔵」

が上映されていた。役所広司さんが主演。「武士の家計簿」が幕末の話に対して、この映画は、江戸初期の物語。

 討ち入りから16年、生き尽くす。その使命を、その大切な人を、守るために。

という映画だ。こちらは、武士が刀で家族を守った話。

 どうも、目の付け所の良さから評価すると「武士の家計簿」の勝ちだろう。「武士の家計簿」のような映画は、とかく甘口で、その場限りの映画になりがちだが、なかなか鋭い仕上がりだったと思う。監督の腕が冴えたといえよう。2010.12.21 再追記

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そもそも地デジは何のため 「つながる」社会を目指そう

 わが家も、ついに、年末商戦に踊らされて、

 地上デジタル放送用の省エネのテレビ

を購入した。エコポイントがどうのこうのというのが「売り」だった。

 しかし、よく考えてみると、

 そもそも何のために、まだまだ使えるアナログテレビを廃棄し、地デジテレビを買う必要があるのだろう。もったいない。こうしたそもそも論は、量販店ではとんと説明されていない。単に、地デジテレビを買うなら、今がチャンスということばかり、声高に叫んでいた。

 そこで、地デジ化が全国的な話題になった4年前の2006年を振り返ってみる。この年は、すべての県庁所在地で地上デジタルが完了した時期である。地デジ化の旗振り役の総務省の説明によると、

 放送のデジタル化のメリットとして、高品質な映像・音声サービスとともに、簡易な番組検索・いつでも出せる番組情報、高齢者・障害者に優しいサービスの充実、多チャンネル化の実現、通信網との連携サービス

などが挙げられた。その目指すところは、一言で言えば

 いつでも、どこでも、何でも、誰でも利用できる「つながり」を実現する

 ためであり、さらに、当時のはやり言葉で言えば

 ユビキタス社会の実現

なのだ。したがって、地デジテレビが、取り替える前のアナログTVのように、パソコン、携帯などと何にもつながっていない、というのでは、せっかくのわが家の地デジ化も宝の持ち腐れなのだ。

 これを少しむずかしい言葉で言えば、

 通信と放送の融合

であり、テレビでインターネットに簡単、たとえば、ワンクリックでつながれていなければならないだろう。つまりは、

 地デジテレビを家庭での総合情報端末する

ことなのだ。ここがアナログテレビとは本質的に異なる。こんなことをある程度知っている人はどのくらいいるのだろうか。量販店をのぞいて、やや不安になった。

 それでは、何のために「つながる」社会が必要なのだろう。

 今、社会問題になっている無縁社会の解決

もその有力な「何のために」の解答ではないか。これからは、単身急増社会になるといわれているが、社会的な孤立化を回避し、互いに支えあう道具として、地デジを考えていく必要があろう。

  そんなことを、今公開中の小林政弘監督、仲代達矢主演の

 「春との旅」

でも確信した。

 生きる道、きっとある

という思いから、年老いて生活に困った障害者の主人公が親類兄弟を訪ねる旅に孫、春と出かける。訪ねた先の生活はそれぞれにまた大変だったが、そこには「つながり」があった。決して、無縁社会ではなかったのだ。そこに、この映画の救いがある。

 現実の社会では、このつながりを地デジテレビにも一役買ってもらおうというものだ。とすれば、この

 地デジのための痛い出費は、安いもの

というべきではないか。若者より、むしろ高齢者、障害者こそ

 地デジの推進

に熱心になってほしい、そう思わずにはいられない。2010.12.19

  追記 2010.12.20

  上のブログを書いたが、その翌日、12月20日付日経新聞朝刊「インタビュー領海侵犯」に

 情報端末から距離を 人と「つながる」は錯覚

という主張が掲載された。『考えない練習』の近著や、座禅道場の開催などで知られる月読寺住職、小池龍之介氏である。

 その理由とは、「距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ、言語だけで、あれこれ考える〝脳内生活〟になってしまいます」ということらしい。これには、人はみなさびしく、情報端末に振り回されているという現実認識があろう。振り回されているだけなので、人と人とがつながるということはありえず、錯覚である。つながるためには、脳内生活ではなく、身体感覚が欠かせないというのだろう。

 確かに一理はある。しかし、マクルーハン理論ではないが、身体感覚を拡張する道具として、情報端末があることも確かである。座禅を組む、人と人とが直接向き合い、コミュニケーションを図ることだけがすべてではない。それではコミュニケーションの意味があまりにも狭小となり、人間の目の拡張とも言えるテレビの映像も錯覚ということになりかねない。

 放送と通信の融合は、単にビジネス機会を広げるだけでなく、人の目や耳といった五感という身体感覚の拡張にも大きな影響を与えるであろう。それには、情報端末に振り回されることのないよう、主体性が求められることは事実だ。小池さんもこのことを指摘したかったように思う。

 東大教養学部卒の住職のことだから、そこはわかってくれるだろう。

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日米同盟50年 日本は主動的な外交をしてきたか

 NHKスペシャルで

 日米安保50年

を放送している。このシリーズ放送を見終わって、思った。50年前の改定時の日本防衛の義務付けにしろ、1960年代の核政策にしろ、1980年代の条約の軍事同盟化にしろ、1990年代の冷戦後の見直し・再認識論議にしろ、そして、21世紀に入っての周辺事態対応にしろ、

 日本は、アメリカに追随するばかりで、主体的に、もっと強く言えば主動的に、時代の要請にこたえようとしていたか、

という疑問だ。アメリカは終始、日本に対して主導、あるいは主動的な対応をしていたのは間違いない。しかし、日本はひたすらアメリカの意向をうかがい、云いなりだったように感じた。

 そこで、思い出したのだが、今から100年以上も前の

日英同盟

のことだ。これについては、今放送中の「坂の上の雲」にも出てくる。

 『ロシア戦争前後の秋山真之 明治期日本人の一肖像』(全2巻、島田謹二、朝日新聞社)

という浩瀚な大労作がある。「坂の上の雲」にはない詳細な同盟前後の背景が紹介されている。たとえば、

 満韓をめぐる外交のつばぜりあい

は、行き詰るような緊張感が漂ってくる。結論的に云えば、

 「この桂内閣の外交政策が今までの慣例を変えて、日本が主動者の地位に立って、英米両国を誘導し、清国を啓発し、ロシアをたじたじとさせている。それは外交史上空前の成功と一部の有力政党員からは評価された」

となる。日本もかつては、知力を振り絞って自らの運命を切り開こうとしていたのだ。決して、日本はもともと外交苦手ではなかったのだ。以心伝心の文化だけではないと、この大労作を読み終えて、感じた。

 そんなことを考えさせられた。

 それにしても、原作の司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」もすごい大歴史小説だが、島田謹二さんの大労作は、それ以上にすごい著作だ。島田さんの晩年20年間の執念の著作だというから、なお驚く。秋山真之のロシア戦争前夜の行動をこれほど克明に掘り起こせるものか。歴史学者はすごい。2010.12.11

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「裸眼3Dテレビ」を開発した女性東芝研究員

 「今年の女性」大賞に

 福島理恵子東芝研究開発センター主任研究員(39歳)

が選ばれたというニュースがきのう、あった。今話題の3Dテレビを特殊なめがねをかけないでも裸眼でOKのテレビを開発したのだという。この女性、仕事もできるし、子育てなど家庭もしっかり切り盛りするというので話題になっている。しかし、どうやら、夫の協力が大きく貢献しているらしい。

 こういう女性は、男性からは「すごい」と一様に感心される。しかし、女性からは、働いていても、働いていなくても、どちらからも好感をもたれない。むしろ反発されるだろう。キャスターの鳥越俊太郎さんも「すごい」の口だった。

 ただ、小生としては、女性研究者が活躍していることに対して、心強く感じた。

 しかし、発売が今夏からスタートした3Dテレビは、まだまだ課題が多い。思ったようには売れていない。省エネの液晶テレビの10%程度を3Dテレビともくろんでいたが、大幅に下回っているようだ。

 そもそも、割高な上に、3Dに見合う番組がそもそも少ない。ましてやいかにも3D向きの魅力的なコンテンツがない。その上、

   3D酔い

という船酔いのような不快感があるらしいことも購買欲を削いでいるように思う。

 勝負はこれからだろう。3Dの需要は、大きな反響を呼んだ

 映画「アバター」、「カールじいさんの空飛ぶ家」

で実証済みだ。

 最後に、かの福島理恵子さん、どこかでみたような美人だと思った。そして、思い出した

 映画「感染列島」で主役のWHO医官役を演じた檀れい

に似ていることに気づいた。元宝塚トップスターだ。

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冬のダイヤモンド 音楽と星空と 浜松科学館がゆく

 科学というと、むずかしそうに聞こえる。しかし、こんな試みは、いかにも音楽の街、浜松らしい。しかも、若いカップルが、子供たちが、そして、小生のようなシニアも参加していた。12月4日、土曜日夜、浜松科学館プラネタリウムホールでの

 クリスマス星空コンサート

に出かけた。あくせくした日常生活が長かったせいか、久しぶりに

 星座、6つの一等星たちがつくる「冬のダイヤモンド」

を見上げた。浜松市出身のチェロ奏者、藤田裕美さん、同じく浜松出身のピアニスト、澄田聖子さんの美しい共演、そしてやさしい案内に静かなひと時を楽しんだ。

 青白いリゲル、赤いアルデバラン、全天を圧するシリウスなど、プラネタリウムの天空いっぱいに見させていただいた。

 このダイヤモンドには、含まれないが、ちょうど、今頃の季節の真夜中に頭上に

 青く輝く、すばる(昴)  つまり、牡牛座のプレアデス星団 

も久しぶりだった。「昴」は小生と同世代の谷村新司さんの曲として有名であり、

 星の研究家、野尻抱影さんの

 「日本の星」(研究社、昭和11年)

によると、この星名の由来は

 「統星(すばるぼし)であり、一所に統(すべ)あつまりたる故にかく云ふなり」

という。そう云えば、6つの星が見えたが、星が生まれつつある神秘の現場だ。また、美しく、豪華にみえたのも、そのはずで、

 「上古の王子や貴族が自分たちの頸にかけた髻(もとどり)に垂れた玉飾の形を星空に発見して、その名で呼んだのである」

と抱影さんは同書に書いている。古代人の想像力の豊かさと、優雅さを思わずにはいられない。

 このコンサートに参加して思ったことは、 

 音楽や楽器の街、浜松が星空の街でもあるような賑わいのある街づくり

で、天文学をもっと役立ってほしいということだった。なにしろ、かつては、西洋天文学とは、「天の音楽」を聴くことから始まったのですから(注記)。そのためには、音楽と天文学の〝コラボレーション〟をもう少し緊密にするなど、もう一工夫がほしい。それによって、科学が人の心を耕すものとなるだろう。科学が理屈だけのものであってはさびしい。

 そんな思いで、帰り道、浜松駅近くの暗がりから頭上を見上げたら、

 晴れ渡った星空の中、昴が静かに輝いていた。

 赤提灯がいつも以上に恋しくなった。2010.12.05

 注記

 天文学と音楽との関係を示す西洋中世文献に

 「不朽のコスモロジー 宇宙の調和」(ヨハネス・ケプラー、工作舎)

  「宇宙の神秘」(ヨハネス・ケプラー、工作舎)

がある。前著には、「惑星が奏でる美しい音楽」との書評まである。

  2010.12.05 

 

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激安食の不都合な真実 安全性が危うい 添加物という〝新公害〟

 店頭で見たとき、思わず手にとってしまった。そして買ってしまった。

 宝島別冊 徹底解説 命を脅かす !  激安メニューの恐怖 知らずに食べるな

        薬品・添加物まみれ !  模造品も一杯 !

という、つい最近発売された近著である。やたらと「 ! 」が多いのが気になるが、一読の価値は十分にある。

 激安には、それなりの理由がある

ということだ。「あまりに安くて、あまりにうまい」ものには気をつけろということだ。最近の激安ブームに対する消費者への警告であろう。

 安けりゃいい、うまけりゃいい、というものではない。食品にはそれ相当の人手と時間とコストが要るということを消費者は自覚するべきであり、それを忘れると、5年先、10年先に消費者自身の体にその悪影響というツケが回ってくる。とくに、子供への影響は大きいのが心配だ。

 これまでにも添加物の健康被害は何度も警告されてはいた。しかし、激安メニューを支える添加物大量使用がここまでくると、また、これほどまでに広がりをみせているとなると、新たな公害、それも目には見えない公害と言えそうだ。

 本には、添加物の使用実態に詳しい安部司さんのインタビューもあり、怪しい食品の見分け方も具体的に示されている。これから年末、お正月に向かい、飲み食いの時期でもある。その前にじっくり考えるための一冊、880円は十分価値がある。2010.12.03

  追記 2010.12.09

  最近は、世の中、不景気ということもあり、激安メニューが多いところから、上記のコラムを書いたのだが、かの米「ニューヨークタイムズ」紙(10月16日付)も大阪の「激安」ぶりに驚き、特集しているらしい。「週刊新潮」2010.12.09日号に、

  NYタイムズも驚いた 日本最貧 ! 「大阪」を歩く

の記事が出ている。それによると、

  10円飲料自販機、生ビール100円、1490円ラブホテル(休息2時間)、飲料何でも50円自販機、お好み焼き「キャベツ焼き」130円

というからすごい。対象商品は、賞味期限、消費期限切れ直前のもので、捨てるのはもったいないと、赤字覚悟で売りさばいているらしい。

 こんなのもある。「酒はただ」。しかし、これは、お一人で酒2合お飲みのお客様に、1合無料サービスという意味だ。つまりは、条件付の33%値引きである。確かに「大阪で一番安い店」(看板)だろう。

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