« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

NHK「竜馬伝」 残念だが、最終回は失敗だったと思う

 NHK大河ドラマ「竜馬伝」、期待して最終回を見た。この1カ月、最終回に向けて、刻々と行き詰るようなストーリーのみごとな展開、そしてラスト。しかし、ながながしい饒舌には拍子抜けした。最終回は失敗だったと思う。通常よりも30分も引き伸ばしたのもまずかった。最終回では、この大河ドラマは

 「弥太郎伝」

だったのか、と錯覚してしまうだろう。

 では、どうすればよかったのか。

 はっきり言おう。暗殺者たちが切り込んできた白刃きらめく、その瞬間をストップモーションにして、突然終わるようにすべきであった。あとは、テーマソングだけを流してほしかった。

 それは、たとえて言えば、

 あの映画「明日に向かって撃て !」のラストシーン

のようにすれば、よい。そうすれば、

  永遠の竜馬

を描き出すことが出来たであろう。すべてを言い尽くすのではなく、あとは、視聴者の想像に任すことで、演出家の言いたいことを言い切る手法がほしかった。この我慢、抑制が演出家にできなかったのはとても残念だ。さいごの最後に大きな不満が残った。

 このことは、40年近くも前の、それも強盗団の最後を描いた「明日に向かって撃て !」がなぜ今なお、団塊世代が青春時代に見た映画として記憶に残っているのか、ということにも関係がある。滅びゆくものに対する愛惜について、見るものに考えさせるラストシーンがあったからだ。そこに流れるテーマソングが今も耳によみがえってくるからだ。そこに言葉は要らない。演技は要らない。

 竜馬伝の最終回には、鮮烈なストップモーション

がほしかった。

 最後に、これは、NHKに対する注文だが、

 ラストシーンを生かすには、

 それからの「おりょう」

をドラマ化してほしい。竜馬亡きあとの30年を貧困と悔恨の中で生きた女の一生を描いてほしい。愛に生きる女とはかくも強いものであることがわかるだろう。竜馬は、そんな女性の登場を夢見ていたのだと思う。

  こうしたことを除けば、今回の竜馬伝は、大河ドラマとしては成功だろう。国民に生きる勇気を与えた。2010.11.28

 追記 2010.12.05

  12月9日号の「週刊新潮」のTEMPO欄によると、

 暗殺のラストシーンは、いかにも「解説」風で軽い

との批評が出ていた。小生と同意見だったが、さもありなんだ。

 ただ、この欄によると、竜馬伝の年間平均視聴率は19%とわずかに20%の大台には乗らなかったものの、最終回は21%。これは、多メディア化が進んだ最近では、大河ドラマとしては、健闘したと言っていいのではないか。

 もうひとつ、苦言になるが、最終回のひとつ前の放送でも、

 竜馬は、新しい時代の夜明けだ、と大手を広げて叫んでいたが、それを本人が言ってはしらける。言わないで、視聴者の心にそのことをしみこませることで、

 永遠の竜馬

になるのではないか。ともかく、調子に乗りすぎて、あるいは気負いが高じて、かえって最後の2回分はおかしくなったような印象だ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

映画「春との旅」 寄り添っていきる、寄りかかって生きる

 このブログは、科学と社会のかかわりを書いているのだけれども、こんな映画も老い支度の人生が始まろうとしている人には面白い。仲代達矢さん主演の映画「春との旅」を浜松市民映画館「イーラ」に見に行った。

 こういう一見、お涙頂戴風の映画って、最後のエンディングが問題で、全体の出来、不出来が決まると思っていた。なにしろ、厚生労働省の社会保障審議会推薦であり、文部科学省選定であり、その上政府から補助金まで出ているのだから。ましてや、仲代さん、大滝秀治、田中裕子、淡島千景、柄本明、香川照之さんという豪華メンバーなのだから、ハッピーエンドでは話にならない。すべてが「パアー」だ。

 原作・シナリオの小林政広監督の腕の見せ所である。

 結果は、「老いても、貧しくても、生きる道、きっとある」と信じて、祖父が孫娘と旅に出たものの、結局、兄弟姉妹の誰にも助けてもらえず、もとの郷里に帰る羽目に。そして、家路にたどり着く直前、意外な結末で、映画はブツンと切れて、終わりに。

 このエンディングを見て、監督にやられたと思った。あとは、観客のみなさん、自分の身に引き当てて、考えてくださいというわけだ。私の言いたいことは、もうお分かりでしょ、とでも言いたいような見事さだった。

  映画では、足の悪い主人公、忠男がわが身を引き取ってほしいと兄弟の家を訪ね歩く。兄弟のいずれも、深刻な問題を抱えてはいたものの、寄りかかって生活していた横着者はいなかった。人は人に寄り添って悩みを乗り越え、生きていく。しかし、寄りかかって生きていては人生ではない。そのことに気づく忠男と孫娘との旅だった。元気の出る映画に仕上がっていると感じた。

 エンディングがハッピーエンドではなかったはよかったが、それにしても、意外な終わり方だった。

  科学と社会の関係だけを考えていては、こういうエンディングは思いつかない。2010.11.27 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

科学版「藪の中」 井上靖「氷壁」を読んで

 麻より丈夫で切れないはずのナイロンザイルがどうして切れたのだろう。実際に起きた事件をモチーフに、そのなぞに迫る井上靖の

 小説「氷壁」

を、秋の読書週間以来、この一か月、土日の休日に読んできた。いかにも、新聞記者だった井上さんらしい着想だ。30年以上前の若き日に読んだときには、気づかなかったが、読み終えて、ふと気づいた。

 この小説は、科学版「藪の中」だ

 「藪の中」は芥川龍之介の有名な、そして発表後、さまざまな論議を呼んだ短編。妻が盗人に犯されるのをただ見ていただけの情けない夫の武士が、事件後、死んでいた。自殺か他殺か、それとも偶然か、関係者がそれぞれ自分の立場から証言するが、ばらばらで死因の特定ができずに小説は終わる。

 井上靖さんは、この作品をヒントに、当時の黒澤明監督が「羅生門」で描いたように、「氷壁」を書いたのではなかったかと思ったのだ。この映画公開の5、6年後にこの小説は発表されている。誰も見ていない「藪の中」を同じく誰も見ていない冬の前穂高東壁に事件の現場を置き換えたのだ。

 このような作品になったのは、井上さんが、文学者となる前、高校は金沢のナンバースクール四高、しかも「理科甲類」に入学しているからだろう。大学は京都帝大文学部。こうした井上さんの文系、理系の経歴が、「氷壁」を書かしめたのではないか。

 ザイルはなぜ切れたのか。

 小説の中のその実験でわかったことは、実験で仮定した条件の下では、当時の定説どおり、ナイロンは麻よりも丈夫ということだけである。実験結果は、その丈夫なナイロンがなぜ氷壁で切れたのかという疑問の回答とはならない。それは論理の飛躍である。

 もし、仮に氷壁で麻とナイロン両方を同じ状況下で使っていて、ナインのほうが切れたとなれば、それは実験結果と矛盾する。この矛盾を解決する解釈は、設定した実験条件そのものが正しく現実の氷壁を反映していないか、たとえば、実験に使った岩角の先端が人為的に丸みを持たせたというよう場合(故意の欠陥隠し)か、反映しているとすれば、ほかの要因、たとえば事故にかわった主人公、魚津恭太らの人為的な操作ミスの可能性が高いということになる(過失か自殺)。

 小説では、こうした科学的な実験結果を受けて、関係者が、その立たされた立場を反映して、あるいは心理状態を反映して、さまざまな推測を語り合うという形で展開する。

 まさに現代の「藪の中」である

 小説のモデルとなった事件は、朝日新聞に連載が始まる2年前の昭和30(1955)年1月に実際に起きている。その後、さまざまな実験や取り組みを通して、

 ナイロンザイルに対する国の安全基準がまとまるのは、事件から21年後の1977年

 鋭く尖った先端になっているというような岩角の特定の条件下では、強いはずのナイロンザイルは容易に切れることが、事件関係者の執念によって確かめられたのだ(昭和63年9月3日付朝日新聞=昭和にんげん史 切れたザイル)。

 この記事の見出しには

 「岩角に触れブッツリ」

とある。この基準により、ようやく、「藪の中」だったものが、明らかになった。藪の中で何が起きたのか、その真実を明らかになった。その真実を踏まえて、安全対策を講ずるにはやはり、時間となによりも、関係者の執念が欠かせなかったようだ。それにしても、

 いち早く事件の問題点の核心に迫り、小説化にしたのは、ジャーナリスト、井上靖の面目躍如であると強く感じた。井上靖は、立派なジャーナリストなのである。

 読書百遍と言われるが、この読書によって、再読の効用を知った。2010.11.20

 追記

 井上靖自身は、この事件を取り上げるきっかけについて、事件の翌年、昭和31年夏にまとまった「ナイロン・ザイル事件」という遭難者を出した岩稜会メンバーによる調査報告書が同会から送られてきたことだと述懐している(『わが文学の軌跡』(井上靖、1977年)。これに対し、ナイロン・ザイルメーカーの実験(事件の年、昭和30年春)では、ナイロンは切れないという結果を公表していた。同会が主張する「切れた」という事実は間違いないという同会の正しさを、同会の関係者との面会を通じて、信じることができると感じて小説化したという。このことが明らかになるのは、安全基準がまとまったのを受けて、岩稜会があらためて、1977年に再編集した「ナイロン・ザイル事件報告書」によってである。事件から、21年もたっていた。

 この新聞小説は、連載当時、批評家からはそれほど反響はなかったが、一般読者からは大きな反響が当時あったらしい。そのため、小説では、慎重を期して、はっきりとどちらの主張が正しいか、という白黒決着させるような悪玉・善玉構成にはしなかったようだ。

 これらを含めて「氷壁」論についての詳細な研究は

 「井上靖研究序説」(武蔵野書房、2002年)

に詳しい。ただ、この研究では、このブログの最初に取り上げたような

 科学版「藪の中」

という見方はしていない。孤独と信頼というのが小説のテーマだったように分析されている。この点が小生にとっては、物足りなかった。藪の中かどうかは別にして、真相に迫る、理系人間、井上靖という側面からの分析がほしかった。この側面がなかったら、いくら岩稜会から報告書が送られてきても、理系ジャーナリストとしての井上氏の食指は動かなかったであろう。

 ちなみに、龍之介の「藪の中」については、ウィキペディア百科事典によると、いままでに100編以上の論文が書かれているが、いまだその真相について一致した結論は出ていない。この点は、科学版「藪の中」は時間はかかったものの、一定の結論は出ている。この点が、科学版の特徴だろう。

  最後に、もうひとつ。井上靖氏は、今、小生が暮らしている浜松で小中学校時代(浜松一中)を過ごしたというのも、今回、初めて知った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「テレビを見る権利」はあるか。 わが家も地デジ化して

 わが家はいまだアナログテレビを時々見ている。最近、気になるのは、画面の上下に頻繁に

 「2011年7月、ご覧のアナログ放送は終了し、見ることができなくなります。地デジ化のお問い合わせは054-333-5700(デジサポ゚静岡)」

 とテロップが流れることだ。うっとうしい脅迫だ。

 つい最近では、12月から、政府の地デジポイントが大幅引き下げ、半額に。それも来年3月まで、今がチャンスと、家電量販店が大宣伝しはじめている。量販店自身のポインも製品価格の10%、中には15%というのもあって、消費者心理を煽り立てている。日曜日などは結構、購入予約者で店内は混雑している。わが家もその手に乗ってつい、手続きをして買ってしまった。届くのは2週間後である。

 地デジ対応のテレビは、すべて各局のテレビ番組表が画面に呼び出せるから、もう新聞は定期購読する必要はないと思った人も多いのではないか。新聞の終面「テレビ・ラジオ」欄があるから、仕方なく、新聞を定期購読しているという家庭も多いはずだ。だから、地デジ化は、今でも斜陽化している新聞業界をますます窮地に追い込みそうだ。だがら、新聞は、速報ではなく、意見・主張や解説がますます重要になってくる。

 ところで、こうしたあわただしい情勢を見ていると、ふと、

 テレビを見る権利

というのがあるのではないかと思った。来年7月に電波停止した時、もし、地上波のデジタル化をしていなかった家庭、職場ではテレビが見られなくなる。新聞が読めなくなっても一向に構わないという人は多いだろうが、テレビは困る、という人は多いに違いない。

 テレビ関係者、総務省など放送行政にかかわる人は、きっと今、この対策に頭を悩ましているに違いない。特に、深刻なのは、国民にあまねく放送を提供しなければならないNHKだ。

 だから、来年7月でアナログ停波はない。すなくとも半年は延期

という声もあるようだ。お隣りの韓国やアメリカも柔軟に対応したではないかという声もある。

 この際、テレビはくだらない番組が多い、もう見ないと考えるのか。デジタル化は世界の潮流、そのメリットを生かす生活を創造しようとするのか。視聴者もなにげなく見ていたマスメディアのあり方を自ら見直すことになるだろう。

 ちなみに、小生は、憲法にうたう健康で文化的な最低限度の生活をする権利のひとつとして

 テレビを見る権利

 があると考える。最低限度とは、政府とは独立して国民が経営するNHKの総合アナログテレビを指すと考えたい。だから、現在、6割程度と地デジ化は十分とはいえない。国民の大多数が移行を完了するまでは、停波時期の延長はやむをえないだろう。

 ところで、アメリカの経済学者、ジョージ・ギルダーさんが、20年近く前、パソコンの普及で

 テレビの消える日が近い将来来る

と予測した(『テレビの消える日』(講談社)、1992年 )。パソコンにテレビが取り込まれるというのだが、一向にそのような様子がない。むしろ、テレビがパソコンを取り込みつつあるようにも見える。当時、小生は、大学のマスメディア講義で、この本を取り上げ、

 テレビは人間の目の拡張であり、パソコンに取って代わることはないだろう

と学生たちに訴えた。それから、15年、そのとおりになりつつある。

 テレビは人間の目の拡張であるというマクルーハン的な観点から言えば、

 国民には、テレビを見る権利がある

と断言できる。目の機能を停止させるような停波は、基本的人権の保護からは、到底許されないからだ。ここが多様な形態で発行されている新聞メディアとは違う。

 そんなことを考えさせられたわが家の地デジ化元年だった。

  とは言え、

 最近、

 「明日のテレビ チャンネルが消える日」(志村一隆、朝日新聞出版、2010年7月発行)

という本も出ている。双方向テレビ以上の衝撃が起きるのだろうか、地上波のデジタル化完了後の今後、注目したい。2010.11.19

| | コメント (1) | トラックバック (0)

飄々として毅然 糖尿病がエアロビクス日本一を支えた 世界デーで考える

 先日のエアロビクス全国選手権を見ていたら、

 飄々として毅然、しかし楽天主義でも、さりとて悲観主義でもない

 そんな若者が準優勝した(一般男子、シングル)。熊本県出身だったと思うが、大村詠一さん、24歳である。笑顔の絶えない好青年だ。音楽に合わせて激しく床を動き回り、難度の高い難しい技を次々に連発しなければならない。かつて日本一にもなったらしい。

 ところが、あとで知ったのだが、大村青年は、なんと、激しい運動は禁物の

 糖尿病、しかも1型糖尿病、つまり、先天性の糖尿病患者

だというではないか。若者に多く、糖尿病患者のわずか5%に過ぎない(あとは、40代以後に多い通常の後天性、つまり生活習慣病が原因で、インスリンが分泌されてもその効き目が悪くなる2型)。なんで、自分がこんな病気にかかったのだろうと、恨めしく、不運を嘆くところだが、この青年は、むしろ、この逆境を奇禍として、子どものときから好きだったエアロビクス日本一に向け心の支えにしてきたというのだから、感動した。普通は、運動を控える。しかし、彼の場合、すい臓から出ないインスリンを補う療法を巧みに体調に合わせて取り入れ、激しい運動に立ち向かっているのだ。しかも、競技中にインスリンの調整がうまくいかず、 

 倒れる、昏倒する、意識を失う

ということもありうる。それを細心の注意で

 倒れることだけは避ける

という気持ちで、周到に体調を整えて競技に出場しているという。そのことで同じ病気の患者を勇気付けたいと話していた。

 コントロールしやすい2型糖尿病でも、体調管理は大変だ。私の赤提灯仲間にも2型患者がいて、その大変さを知っている。そのことは先のこのブログでも触れた。それなのに、

 1型糖尿病患者がエアロビクス

というのだから驚きだ。

 日本には分かっているだけで900万人もの糖尿病患者がいる。検診を受けたら糖尿病患者と診断される予備軍もそれくらいいるらしい。だが、継続して治療しているのは200万人。

 小生も今春の「日帰り人間ドック」の検診で、

 血糖値が、血液100㏄中、ブドウ糖111mg(空腹時の基準値=70-109mg)

とやや高め。尿糖は幸い「陰性」。医師から「夜、飲酒後1時間は起きていましょう」と注意された。寝酒はだめなのだ。

 こんな情けない状態に対し、思うのは

 このごろの若者は、健気どころか、偉い

ということだった。老人よ、しっかりせよ。きょう、11月14日は、世界糖尿病デー。2010.11.14

追記

 あす、11月15日は

 龍馬忌(京都市・酢屋)

だ。1867年のこの日夜、坂本龍馬は暗殺された。飄々として、だが毅然として時代を駆け抜けた。久しぶりに、先斗町近くにある酢屋に出かけてみたい気分になった。日本を思うその無心さ。そんな心が、自分も含めて今の日本人に残っているだろうか、とわが心に問いかけてみたい。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あの入り江で一体何があったのか ドキュメンタリー映画「The Cove」

  (2010.11.10)  この映画を見終わって、ふと、思った。なぜ、こうした実態を知っていたはずの日本の新聞社はこれまで黙して、語らなかったのだろうと。その理由は、新聞社が和歌山県などで不買運動が起きるのを恐れたからだろう。

  もう一つ、考えさせられたのは、

 日本では伝統漁法であったとはいえ、知性を持っているうにも感じられるイルカを追い詰め、食料として捕獲するため、昔では考えられないくらい大量に殴り殺す、刺し殺すのはダメだが、安楽死のような殺し方ならいい、というような単純な問題でもないという

 ということだった。

  公開されてこの半年で、日本を除く各国で24もの国際的なドキュメンタリー賞を獲得したアメリカ映画「ザ・コーヴ」を浜松市民映画館「イーラ」で見た。あの第82回アカデミー賞(長編ドキュメンタリー賞)受賞作だ。

 観客は、平日ではあったが、午後7時からの上映で、わずかに5人だった。

 和歌山県太地町のある入り江でのイルカ漁の実態に迫った話題の映画も、はや日本では熱も冷めたようだ。この映画のテーマを一言で言えば、

 イルカ版「反捕鯨問題」

といえるだろう。聴覚の面では、いやそのほかの面でもひよっとすると人間以上に知性的な動物であるかもしれないイルカ殺しは許せない、というわけだ。なんという残虐な殺し方だ、という叫びも聞こえてきた。確かにむごたらしかった。

 また、多角的な視点から取材をしていて、決して

 環境保護と日本の食文化との論争という単純な二項対立

でテーマを追いかけていない。強引な取材姿勢ではあっても、10年以上にわたる綿密で執拗と言っていい調査の裏づけがあり、彼らの主張があながち軽薄として、一概に無視し得ないという印象を強く持った。

 日本で上映するに当たって、登場する日本人関係者の顔にぼかしをかけるなど、一定の配慮はなされている。ひとことで言えば

 ジャーナリスティックなドキュメンタリー映画

と言えるだろう。イルカ殺しはやめろという監督の主張を一方的に押し付けるのではなく、見る人に実態を示し、その背景を含めた材料も与えて、日本人によく考えてもらいたいという映画である。

 イルカ漁というと、太地町ばかりが有名だが、実は、小生の暮らしている静岡県の伊東市でも毎年、漁獲量を大幅に制限して「イルカ追い込み漁」が水産庁から許可されている。こうした漁法は伝統漁法であり、違法ではない。9月から翌年の3月までが漁期。

 こういう映画を、日本人ではなく、外国人につくられてしまったことを日本人として恥ずかしく思った。日本のジャーナリストは何をしていたのか、と猛省した。

  ともかく、イルカと人間の共存の道探れといった新聞社論説委員風の正論では片付かない映画だった。多くの日本人に見てもらいたい一本である。2010.11.10

  追記

  その後、2010年12月2日付静岡新聞朝刊によると、

 この映画で海洋生物の水銀汚染について語った遠藤哲也北海道医療大准教授が、上映権を持つ東京の会社と配給会社に対し、損害賠償と該当部分の削除を求めて、東京地裁に訴えていたことがわかった。取材時、イルカ漁非難を意図した映画の取材であることを隠したまま取材され、その映像を恣意的に編集し映画化したことは、「科学者としての信用を失墜させる行為」であると准教授は主張している。同日開かれた初公判では、訴えられた会社側は争う意向とみられるという。

 裁判所は、表現の自由と、基本的人権の尊重との兼ね合いが争点になる難しい判断を迫られるだろう。どこまで表現の自由が認められるのか。映画の公益性のためには、どこまで個人の名誉毀損が容認されるのか、意外に線引きは難しい。

   これについては、所沢ダイオキシン報道訴訟において、テレビ朝日側と農家との訴訟を思い出す。このときは、さいたま地裁は、信用を失墜させられたと訴え、損害賠償を求めた農家側の訴えを退けた。テレビ局側に名誉毀損はあったものの、放送内容が大筋で真実であり、しかも、放送の目的には(国民の健康被害を防止するという)公益性があったと判示した(2001年5月)。

 補遺 2012年10月31日

 なお、日本人のイルカ観についての優れた論考に、中村羊一郎静岡産業大学教授の

 『イルカの眼』(羽衣出版、2009年)

がある。同氏は、全国各地のイルカ漁について取材しているが、この本でその一部を紹介している。日本人のイルカ観とは、西欧の水族館の「かわいい」イルカ観とは違い、イルカは神からの贈り物という考え方であることを付記しておきたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

大きな一歩 (Giant Dip)  来るか、日本の太陽系大航海時代  

 先日、このブログで日本の小惑星探査機「はやぶさ」(宇宙航空研究開発機構、JAXA)の快挙について書いたが、この成果で、どうやらその後継となる「はやぶさ2」計画が国の2011年度予算で認められそうになっている。当初は30億円、今後5年間で150億円の見通し。はやぶさの帰還が、来年度予算の概算要求締め切り8月の直前、6月だったから、絶好のタイミングで決まったようだ。ともかく、「はやぶさ」は飛行中も帰還後も、奇跡に近い僥倖に恵まれたと言えそうだ。

 日本の太陽系大航海時代の幕開けをさらに印象づけているのが

 今年5月に地球を〝出港〟した宇宙ヨット「イカロス」がこの12月末にも、金星の謎解きに挑んで金星に到着

する見通しになっているらしいことだ。太陽から噴出す太陽風を受けて太陽系内を、海のヨットのように、自由に航海するというものだ。技術開発とともに、太陽系の起源や進化を探るのが目的。将来は、外惑星の木星にも挑戦するという。2010.11.09

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原爆、その隠された真実 北朝鮮被爆者の「ヒロシマ・ピョンヤン」

 浜松市の市民映画館「シネマイーラ」で、見たいと思っていた、

 戦前、朝鮮から「強制連行」され、戦後、北朝鮮に帰国した北朝鮮被爆者をドキュメンタリー風にまとめた映画

 「ヒロシマ・ピョンヤン  棄てられた被爆者」(伊藤孝司監督、2009年)

を見た。この映画を見て、強く感動したのは、ある個人のケースを丹念に監督が追ったルポであるという点だ。テーマの重さから言えば、当然NHKが取り上げてもおかしくはない。が、両国間に横たわる拉致問題が現在微妙な状態であるだけに、取り上げにくいという事情があったように思う。

 この映画の登場人物は、

 3歳で広島市で被曝した李桂先(リ・ゲソン)さん、68歳と、その母、許必年さん、86歳。

 桂先さんは、1950年代末の北朝鮮帰国運動で帰国。母親の必年さんは、在日朝鮮人である。彼女たちは、原爆に直接遭遇したわけではない。当時、広島市隣接市、大竹市からの、いわゆる「入市」被爆者である。彼女たちは原爆投下から12日目に広島市に朝鮮に帰国するための手続きをするため広島市に所在する県庁をたずねて、被曝した。

 県庁に訪れたのは、原爆投下から12日目と、2週間以内。だから、日本政府は、入市被曝した桂先さんの認定のための日本入国を認めることにしたが、現在、北朝鮮と日本は国交はない。そのため、思うように治療すら受けられないという。治療を受けるには、在外者向け「被爆者健康手帳」の交付が必要だが、そのための必要なさまざまな日本国内での手続きに来日できないのだ。映画では、原爆症状の本人に同行する付き添い人の入国を日本政府は認めていないという現状を紹介していた。

 桂先さんのように、被爆し、1950年代の帰国運動で北朝鮮に帰国した人たちは、当時推定で数千人にものぼるという。この中にはすでに亡くなっている人も多いだろう。それでも今も、桂先さんのように原爆症に苦しんでいる人は少なくない。

 健康手帳があれば、治療支援や手当てなどが受けられる。その手続きが国際政治の狭間でできないままになっている現状を映画は淡々と紹介していた。日朝には、被曝をめぐって、隠された真実がある。

 桂先さんのように、日本政府の支援がいまだ受け入れられないことから、北朝鮮の、たとえば医学放射線研究所でなんとか治療を受けている状態だ。しかし、いかんせん、被曝しているという事実の発見があまりにも遅く、症状は深刻するばかりだという。

 なぜ、被曝の事実を隠したのか。映画では、母親の必年さんに、なぜ、娘さんの被曝を本人にすら知らせなかったのかという疑問を、伊藤監督が投げかけている。母親の必年さんは、

 「事実が知られると、嫁にいけない。だから、隠した」

と告白している。母親と入市し、3歳で被曝した桂先さんの場合、被曝の事実は被曝から59年後、つまり2004年になって初めて知らされたという。桂先さん62歳のときであった。そのせいだろう、さまざまな原爆症と考えられる頭痛や吐き気指先がもろくなるなどの症状が現れ、彼女を不安に陥れているらしい。

 この映画では、被曝当時の朝鮮人が朝鮮人であるということだけで差別され、その上さらに、被爆者であることでも差別されていたという事実を紹介していた。そのことを、この映画は具体的に桂先さんのケースで描き出していた。

 こういう人たちを、人道的な観点から救済しようと、30年も前から広島県医師会が北朝鮮で活動しているとは知らなかった。

 現在、日本と北朝鮮には拉致問題が横たわっており、国交正常化のめどは立っていない。しかし、人道的な観点から、北朝鮮被爆者の一国も早い、医療支援などの救済を急ぐべきだ。

 広島の被爆者は、どの国に現在生活していようと、被爆者であることに変わりはない。そんなわかりきったことがなかなか実現しない現実の国際政治のじれったさ、もどかしさをこの映画はまざまざと描き出しており、国際政治の非情さを強く感じた。

 北朝鮮との間には、支援すべき事柄は多い。単に北朝鮮をたたけばいいというものではない。2010.11.04

| | コメント (1) | トラックバック (0)

最前線、認知症は生活習慣病 治るし予防もできる 血管の老化防ごう

 10月31日、日曜日夜のNHKスペシャル

 認知症を治せ! 劇的に改善する患者 アルツハイマーの予防法

というのを見た。母親がアルツハイマーだったので、興味を持った。要するに、この番組の言わんとするところをはっきり分かりやすく言うと、

 6割近くを占めるアルツハイマーなど認知症は生活習慣病だ

ということ。その証拠に、生活習慣病の患者の症状を薬などで改善した患者の場合、そうではない患者に比べてリスクは半減する(九大医学部)という結果が紹介されていた。逆に言うと、糖尿病や高血圧症など生活習慣病の患者は、そうではない人に比べて認知症リスクがざっと倍近くになるというわけだ。

 生活習慣病なのだから、番組の言わんとするところをさらに絞り込むと

 認知症は、予防も、発症後の改善もできる

ということにつきるのではないか。

 認知症はなぜ起きるのか、簡単に言うと、老化に伴い、脳の中の毛細血管が破れるのが原因。生活習慣病の糖尿病では血管が早くボロボロになり、破れやすくなる。高血圧症はその圧力で脳内の血管が高血圧症ではない人に比べて破れやすい。したがって、生活習慣病が始まる40歳くらいから20年くらいをかけて、大人はだれでも多かれ少なかれ、脳内の毛細血管が少しずつ破れ、その結果、近くにある脳神経細胞に血液の供給がストップし、神経細胞が死滅、認知症の発症リスクは歳をとるとともに増大する。生活習慣病患者の場合、このリスクが通常の大人よりかなり高く、生活に支障が出るほどになるというわけだ。

 この理屈で言うと、タバコ喫煙者は、比較的に認知症になりやすいことになる。

 難しい理屈はともかく、そして細かいことはともかく、

 認知症にならないためには、老化が始まる40代から、血管の老化を防ぐ

という手立てをすることが大事だということを知った。

 認知症になりたくなかったら、日ごろから糖尿病や高血圧症の予防に心がけよう。すでに、それらの患者の場合は治療し、症状の改善に努力しよう。そうすれば、認知症の発症リスクは減少するのだ。

 これって、これからの高齢社会に生きる私たちにとってますます重要な、しかも具体的な指摘、あるいはアドバイスではないか。2010.11.01

 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »