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親鸞「教行信証」、その隠された十字架 悪人正機説の謎に迫るか

 先日、このブログで、久々に京都で開かれた大学の同窓会に出席したことを書いた。宇宙会という理系の集まりだから、宗教都市、京都に集いながら、ほとんど宗教の話はしない。最近の科学の話ばかりだった。

 ただ1人、同窓生の中に、今は浄土真宗大谷派の住職におさまり、信州木曾谷に腰を落ち着けた友人がいた。あいさつを交わすと、宗教学者、山折哲雄さんの近著「『教行信証』を読む 親鸞の世界へ」(岩波新書)を紹介してくれた。ジーパン姿の彼もこれから読もうと買ったばかりだと話してくれた。わが家も浄土真宗であることから、興味を持って、浜松に帰る途中で買って読んでみた。

 「科学と宗教」

との接点探しというわけではないが、疑うことから始まる科学と、信じることから始まる宗教にどのような違いがあるか、身近に知りたかったからだ。

 教行信証は、言うまでもなく、親鸞の主著で、教、行、信、証、真仏土、化身土の6巻からなる。

 山折さんの近著によると、この中で急所なのが「信」巻である。いわゆる、有名な悪人正機説の根拠が述べられているからだ。なぜ、親鸞は、善人だけでなく、極悪人も救済されると説いたのか、近著はその謎に迫っている。この教行信証が書かれたのは、親鸞が関東在住時代の1220年代から1240年代であり、この時代は武将一族内で、肉親同士が血で血を洗う凄惨な殺戮を繰り返していた時代であり、

 親鸞としては、どうしても極悪人こそ救済されなければ宗教の意味がない

と考えたらしい。その確固たる根拠を求めて、仏教書を読み漁ったのである。

 教行信証は、このように格闘の書

なのだ。

 なぜ、悪人正機なのか。

 山折さんは、「信」の巻にも、あらためて序文があることに着目する。そして、その用紙の裏に、親鸞自身による「落書き」、いわゆる反故裏書きに注目する。これまでこの反故裏書にはほとんど注目されないどころか、無視ないし削除されてきたという。それは、

 大般涅槃経(だいはつねはんきょう)の一節、すなわち、阿●世逆害(あじゃせぎゃくがい、●は門の中に者)のエピソード

であった。

 救済の対象として、極悪人除外規定を設けた「大無量寿経」に対して、このエピソードが出てくる大般涅槃経には、

 極悪人も含めて、原則、救済されると説いている

ことに山折さんは着目している。

 つまり、悪人正機説の根拠を親鸞は発見したのだ。

 この裏書きは、山折さん流に言えば「見過ごされてきた不幸な事実」=隠された真実であり、聖徳太子信仰の謎に迫った、かの哲学者、梅原猛さん流に言えば

 裏書き=隠された十字架

なのだ。こうした悲惨なエピソードの中の人間にも救いを与えるのが宗教であると、親鸞は考えたのだろう。親鸞の時代にはそうした武将たちが沢山いたのである。それを除外してしまっては宗教の、というか、浄土真宗の存在理由はないというわけだ。

 ただし、救済といっても、上と並みがあり、

 善人には、真仏土という終の棲家、

 悪人には、化身土というそれなりの仮の棲家

が与えられるというのが、親鸞の教行信証の後半の解釈らしい。分かりやすく言えば、

 誰でも、原則、救済されるが、行き先の浄土には「並み」と「上」がある

というわけだ。坊主に悪口雑言をはき、否定するやからも、父殺し、母殺しの非道の極悪人にも救済があるが、それは化身土という仮のお浄土というわけだ。

 おもしろい解釈であり、親鸞の、時代と戦った苦闘の結晶が教行信証であったことがこの近著から分かったような気がした。

  ここまで書いてきて、あらためて思うのは、

 教、行、信、証  ⇒ 起、承、転、結

と考えると、親鸞は論理構成としては、転にあたる「信」に進むに当たって、あらためて「序」を設けて、「転」の展開に説得力を持たせて、「結」にもって行きたかったのだろう。その意味で「信」の巻の執筆では、親鸞は渾身の力を込めて、大般涅槃経に取り組んだのだろうと思う。

 この一か月、読書週間ということもあり、丹羽文雄さんの「蓮如」全8巻を読み終えたが、

真宗の根本聖典「教行信証」について立ち入った話はほとんど出てこなかった。せめて、一章は割いてほしかったというのが、小生の感想だ。悪人正機説の丹羽流解釈を聞きたかった。

  山折さんの新著を読んで、

 親鸞は浄土真宗の確立者であり、蓮如はあくまで、優れたその伝道者であった

と言えるのではないか、と思った。蓮如はその伝道の仕方に創意工夫をし、真宗の興隆という自分の人生のテーマを見事に成功、成就させた。

 こう考えると、科学の営みと、宗教の営みは矛盾することなく共存できると確信した。つまり、科学も宗教も、その目指すところは人間を大きく解放するものなのだ。2010.10.31

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