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龍馬たらんとした男  映画「桜田門外ノ変」を見て

 この映画の封切り後初めての日曜日午後、浜松市中心部のTOHOシネマズ浜松に出かけた。若者が集まる中心街の映画館であり、また、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で盛り上がっているのだから、さぞや大勢がこの映画を見に来ているだろうと思った。

 しかし、観客は2、30人とガラガラだった。それもみんな50代、60代。20代は1人もいなかったのには驚いた。シルバー世代なら1800円の入場料が1000円なのだから、これでは採算が合わないように思った。

 龍馬伝の大河ドラマに比べて、どうしようもないほど暗い映画であったが、それはともかくとして、見て不満に思ったのは、

 この映画で監督は何を訴えようとしたのか

が、どうも明確でなかったことだ。

  10月18日付毎日新聞夕刊には、この点について佐藤監督は

 無名の人たちがたくさんいて歴史を動かし、犠牲になっている。そうした人たちの生き様を描きたかった

と話している。主人公の関やその家族については、生き様が描かれていたが、残り17人については、生き様というほどではなく、変後、幕府からどのような追跡を受けたか、という程度の印象だった。

 この暗殺には、当時20代、30代の若者が多く参加したが、彼ら一人一人が時代を切り開くために、何を考え、悩み、行動していったか、それをもっと掘り下げて描いてほしかった。史実に基づいたストーリーばかりが目だった。だから、何なのだというものがほとんどなく共感できるものがなかった。これではこの映画の現代的な意義が乏しくなる。言い換えると

 閉塞の時代、危機の時代を切り開くものは何か

 生き様を描きたかったと言う監督のメッセージを聞きたかった。司馬遼太郎の「龍馬がゆく」にはそれがあった。若者よ、自ら信じる道を、精いっぱい生ききろうというテーマがあった。この映画にはそうしたテーマがなかった。それがあれば、暗くても、見る人に感動を与えたであろう。共感が得られたであろう。この映画では、暗殺者の暗さだけが印象に残った。

 茨城県が挙げて支援の会をつくり、映画制作に力を入れたのだから、さぞかし、

 「水戸の脱藩藩士はえらかった」調の〝ヨイショ〟物だろうと、あまり期待していなかったが、さすがに、佐藤純弥監督である。それほどではなく、決めていた。

 映画の最大の売り物である凄惨な暗殺シーンを最初に持ってくることで、そのよってきたる原因を探るつくりにしていた。暗殺、テロリストの礼賛映画と受け取られない工夫だろう。これはよかった。

 だが、そのために、時間を巻き戻して、登場人物が回想する、いわゆるフラッシュバックする趣向が何度も繰り返されたため、観客は、映画の冒頭で死んだはずの井伊直弼大老が何度も登場してくるなど、筋立てがなかなか分かりにくかった。歴史的な事実関係を知っている小生ですら、戸惑ったというのが正直な感想だ。桜田門外の変に詳しくない若者がみたら、何がなんだか分からなくなったであろう。生首が飛び、血が激しく飛び散る凄惨なシーンばかりが目立った映画と誤解されかねない。

 主人公の関鉄之介(大沢たかお)は、幕末、このままでは日本は清国の二の舞になり滅ぶという強い危機感を持って果敢な行動力を発揮した若者、つまり、

 龍馬たらんとした水戸脱藩志士

であったということをもっと明確に打ち出してほしかった。ただ、関は、幕政改革を幕府に訴えるために、水戸・薩摩提携で暗殺に立ち上がったが、竜馬はもはや幕府の時代は終わったとして新しい国家建設を目指したという違いがあるだけだった。

 互いの目指すべき目標の違いを生み出したのは、国際情勢についての敏感さの程度の差であり、時期早尚として4、5年遅らせて立ち上がったという時局を見通す大局観の違いだったろう。この間に、攘夷論が沸点に達し、時局は煮詰まっていった。

 同時に、行動原理の違いもあったであろう。暗殺で時勢を動かそうと考える関と、暗殺では時代は開かれないという信念で、大政奉還という平和的な手段を目指した竜馬の違いである。

 そうした違いはあったものの、歴史とは面白いもので、暗殺の成功で、関たちの思惑をこえて、もはや、弾圧に狂奔する幕府では幕政改革は到底望めず、外国から日本を救えないという認識が庶民にまで広がった。このことは、結果論とはいえ、水戸浪士の果敢な行動力の賜物だろう。

 そのお陰で、この後の龍馬は一気呵成に新しい国家づくりに走り出し、維新に結実させた。その発火点が桜田門外ノ変だった。その間の時の流れは、わずか8年。

 変後、関鉄之介は38歳で、志半ばで幕府側に捕らえられ、処刑(斬首)された。龍馬も大政奉還を成し遂げた直後、33歳の若さで、幕府側に暗殺された。2010.10.18 

 追記

 原作は、吉村昭さんの同名小説。新潮文庫では上下2巻、計約750ページ。ほぼ、時間軸にそって物語が進行する。そして、暗殺シーンは、下巻の始めのほうに、わずか20ページほどで、全体の3%ぐらいの分量だ。そして、暗殺後の18人の様子が描かれている。わかりやすい構成であり、時代背景もよくわかる。

 吉村さんの「あとがき」で面白いのは、

 雪の井伊大老暗殺事件から維新まで8年と、雪の2・26事件から大東亜戦争敗戦まで9年

が、実によく似ているという感想であった。いずれも時代に敏感な青年たちの国を思う焦燥感から起こった暗殺事件であった。いずれの場合も、事件をきっかけに時代が大きく動き出し、当事者の想像をはるかにこえて、堰を切ったように歴史が生まれていった。

 いつの時代も、若者によって歴史が動き、創られる。映画を見て、そんな気になった。

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