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2010年10月

親鸞「教行信証」、その隠された十字架 悪人正機説の謎に迫るか

 先日、このブログで、久々に京都で開かれた大学の同窓会に出席したことを書いた。宇宙会という理系の集まりだから、宗教都市、京都に集いながら、ほとんど宗教の話はしない。最近の科学の話ばかりだった。

 ただ1人、同窓生の中に、今は浄土真宗大谷派の住職におさまり、信州木曾谷に腰を落ち着けた友人がいた。あいさつを交わすと、宗教学者、山折哲雄さんの近著「『教行信証』を読む 親鸞の世界へ」(岩波新書)を紹介してくれた。ジーパン姿の彼もこれから読もうと買ったばかりだと話してくれた。わが家も浄土真宗であることから、興味を持って、浜松に帰る途中で買って読んでみた。

 「科学と宗教」

との接点探しというわけではないが、疑うことから始まる科学と、信じることから始まる宗教にどのような違いがあるか、身近に知りたかったからだ。

 教行信証は、言うまでもなく、親鸞の主著で、教、行、信、証、真仏土、化身土の6巻からなる。

 山折さんの近著によると、この中で急所なのが「信」巻である。いわゆる、有名な悪人正機説の根拠が述べられているからだ。なぜ、親鸞は、善人だけでなく、極悪人も救済されると説いたのか、近著はその謎に迫っている。この教行信証が書かれたのは、親鸞が関東在住時代の1220年代から1240年代であり、この時代は武将一族内で、肉親同士が血で血を洗う凄惨な殺戮を繰り返していた時代であり、

 親鸞としては、どうしても極悪人こそ救済されなければ宗教の意味がない

と考えたらしい。その確固たる根拠を求めて、仏教書を読み漁ったのである。

 教行信証は、このように格闘の書

なのだ。

 なぜ、悪人正機なのか。

 山折さんは、「信」の巻にも、あらためて序文があることに着目する。そして、その用紙の裏に、親鸞自身による「落書き」、いわゆる反故裏書きに注目する。これまでこの反故裏書にはほとんど注目されないどころか、無視ないし削除されてきたという。それは、

 大般涅槃経(だいはつねはんきょう)の一節、すなわち、阿●世逆害(あじゃせぎゃくがい、●は門の中に者)のエピソード

であった。

 救済の対象として、極悪人除外規定を設けた「大無量寿経」に対して、このエピソードが出てくる大般涅槃経には、

 極悪人も含めて、原則、救済されると説いている

ことに山折さんは着目している。

 つまり、悪人正機説の根拠を親鸞は発見したのだ。

 この裏書きは、山折さん流に言えば「見過ごされてきた不幸な事実」=隠された真実であり、聖徳太子信仰の謎に迫った、かの哲学者、梅原猛さん流に言えば

 裏書き=隠された十字架

なのだ。こうした悲惨なエピソードの中の人間にも救いを与えるのが宗教であると、親鸞は考えたのだろう。親鸞の時代にはそうした武将たちが沢山いたのである。それを除外してしまっては宗教の、というか、浄土真宗の存在理由はないというわけだ。

 ただし、救済といっても、上と並みがあり、

 善人には、真仏土という終の棲家、

 悪人には、化身土というそれなりの仮の棲家

が与えられるというのが、親鸞の教行信証の後半の解釈らしい。分かりやすく言えば、

 誰でも、原則、救済されるが、行き先の浄土には「並み」と「上」がある

というわけだ。坊主に悪口雑言をはき、否定するやからも、父殺し、母殺しの非道の極悪人にも救済があるが、それは化身土という仮のお浄土というわけだ。

 おもしろい解釈であり、親鸞の、時代と戦った苦闘の結晶が教行信証であったことがこの近著から分かったような気がした。

  ここまで書いてきて、あらためて思うのは、

 教、行、信、証  ⇒ 起、承、転、結

と考えると、親鸞は論理構成としては、転にあたる「信」に進むに当たって、あらためて「序」を設けて、「転」の展開に説得力を持たせて、「結」にもって行きたかったのだろう。その意味で「信」の巻の執筆では、親鸞は渾身の力を込めて、大般涅槃経に取り組んだのだろうと思う。

 この一か月、読書週間ということもあり、丹羽文雄さんの「蓮如」全8巻を読み終えたが、

真宗の根本聖典「教行信証」について立ち入った話はほとんど出てこなかった。せめて、一章は割いてほしかったというのが、小生の感想だ。悪人正機説の丹羽流解釈を聞きたかった。

  山折さんの新著を読んで、

 親鸞は浄土真宗の確立者であり、蓮如はあくまで、優れたその伝道者であった

と言えるのではないか、と思った。蓮如はその伝道の仕方に創意工夫をし、真宗の興隆という自分の人生のテーマを見事に成功、成就させた。

 こう考えると、科学の営みと、宗教の営みは矛盾することなく共存できると確信した。つまり、科学も宗教も、その目指すところは人間を大きく解放するものなのだ。2010.10.31

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ネバー・ギブアップの勝利 川口淳一郎氏、「はやぶさ」帰還を語る 

「文化の日」、浜松でJAXAの川口淳一郎氏の講演、

 「はやぶさ」帰還へ、7年間の運用と今後の展望

を聞いた。第27回浜松コンファレンス(財団法人光科学技術研究振興財団、浜松ホトニクス)の「新しい文化論」として語ったのだが、何回も講演しているらしく、ユーモアたっぷりのさわやかさが印象的であった。聞いた感想を一言で言えば、

 さまざまなトラブルを克服して、通信途絶、イオンエンジン停止など、どん底から、3億キロメートルの彼方から奇跡の地球帰還を果たすことができたのは計算されたネバー・ギブアップ精神が同氏をはじめ運用にたずさわった研究者にあったからだ

ということだろう。

 イオンエンジンの「中和器」にかかわるトラブルでは、わらをもつかむ思いで中和神社に生還の祈願をするなど、神頼みもあった。まさか、まさかの幸運もあった。しかし、同氏の「高いところに登らなければ、(世界一の技術という)地平線は見えてこない」という科学者としての執念と言ってもいい信念があったからだろうと感じた。天は自ら助くる者を助く、ということわざを思い出したくらいだ。

 「はやぶさ」は、小惑星の試料(サンプル)を持ち帰える小惑星往復探査機(遠隔操作で動き、しかも自らも判断し、それに基づいて活動できる自立型ロボット)であり、その目的はイオンエンジン、小惑星ランデブー、小惑星表面の試料収集、光学航法など5つの技術の開発とその実証だ。サンプルを地球に持ち帰ることができれば、分析機械を積んで小惑星に向う場合に比べて、帰還時点で最新の情報が得られるという利点がある。

 何が世界一かというと、

 2003年に打ち上げられた「はやぶさ」は、月を含む地球圏以外の天体の表面に降り立ち(2005年11月)、表面の岩石などの試料を地球に持ち帰った世界最初の成功ミッション

だったということらしい。地球圏では、アメリカが「月の石」を大量に持ち帰っている。また、地球圏外の火星では、これまたアメリカが表面に降り立ち、表面の地形や岩石を、積んで行った分析機械で現地で分析し、その情報を地球に届けた。しかし、サンプルは持ち帰っていない。

 はやぶさの場合、本体は大気中で燃え尽きたが、試料の入っている可能性の高いカプセルは本体から切り離され、無事地球に帰還した(2010年6月)。しかも、ごく少量だが、カプセルには着地した小惑星イトカワの表面の試料が入っている可能性が高い(現在、分析中で、今年中にも結果が分かるらしい)。地球圏外から無事帰還したのも「世界初」だが、もし、カプセルに小惑星の試料が入っていれば、これは米NASAも文句のつけようがないほど「世界一」なのだ。

  持ち帰った試料の分析からは、太陽系や地球の起源と進化の様子がわかるらしい。さらにそこから、生命の進化の様子もある程度浮かび上がってくるという。

  もうひとつ、感心したのは、このミッションが、25年も前に計画されたことだ。小惑星のサンプルリターン(試料持ち帰り)のアイデアは、

 小惑星サンプルリターン報告書(1985年6月、宇宙科学研究所小研究会)

にまとめられている。それが、具体的なプロジェクトとして動き出したのは1996年。それから15年で奇跡の帰還を果たしたという息の長いミッションだった。

 やはり、「世界一の快挙」は息の長い、そして執念の研究から生まれる

ということがわかる。川口さんも、講演会でこのことを強調したかったのだろう。目先のことだけに囚われていては「世界一」はむずかしい。2010.11.04 

  追記 2010.11.08

  2010年11月06日付毎日新聞夕刊によると、

 6年をかけて太陽の周りを回り、地球に現在接近中のハートレー彗星に、NASAの探査機、エポキシが約700キロまで近付き、でこぼこした姿を撮影し、彗星から噴出しているガス状物質に関する情報を搭載分析器で取得したという。NASA研究者たちは、興奮気味でその快挙を誇らしげにアピールしているらしい。

 だが、しかし、快挙と言っても、彗星に着陸したわけでも、ましてや、ガス状物質を探査機が取り込んだわけでも、さらに、それを地球に持ち帰ったわけでもない。天体の形は、小惑星、イトカワもハートレー彗星も、中ほどがくぼんだピーナッツ型で同じだが、日本の「はやぶさ」がいかに優れた成果であるかが、わかろうというものだ。

 おそらく、似たような時期に、似たような探査機を飛ばしたNASAは、はやぶさの成果を地団太を踏んで悔しがったであろうと想像される。技術レベルは、日本の「はやぶさ」のほうが、格段に高度であることは間違いないからだ。

 航法でも、「はやぶさ」は、一瞬ではあるが、ランデブーしながら小惑星に着陸した。しかも、着陸地点も指定したとおりのところにきちんととうちゃくしたというから、すごい。これに対し、「エキシボ」は700キロも離れた宇宙空間からの活動であり、比較にはならない。

 ようやく日本のJAXAも、NASAに一矢を報いたといえよう。

 あえて、こう言おう。

 NASAkエキシポは、「はやぶさ」の技術と成果がいかにすごいかを日本人に示すために、飛行した。

 こう言えば、言いすぎであろうか。2010.11.08

  追記 2010.11.17

  昨日、持ち帰った試料(微粒子約1500個)が

 地球圏外の物質であることが確かめられた。地球外から降ってきた南極の隕石(いん鉄)と鉄含有量が一致し、しかも、それは地球上のものとはかなり異なっていた。つまり、試料はイトカワのものであることが証明されたらしい。

 川口氏「これは、私が望んだ理想以上の成果で、感極まっている」とそのうれしさを表現していた。そうだろう。

 

 

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もう一つのチリ鉱山救出劇 ころんでもタダでは起きないたくましさ

 チリ鉱山事故を取り上げたNHK番組(10月24日放送)、

 スクープ映像 70日間、「奇跡の生還」の真実

を見た。生存が確認かされた事故から17日以後の地下700メートルでの生活の様子を地上から、あたかも胃カメラで体内をのぞくようにとらえた映像が紹介されていた。ハイテク技術の勝利とも言える映像だ。この映像には、地下700メートルでは、地下に送り届けたスクリーンで、地下の救出を待つ作業員が世界の様子を眺めて、互いに励ましあっている様子も映っている。地下ではテレビ電話も設置されていたのだ。これで地上の家族と話もできたようだが、小生、いまだテレビ電話など使ったことがないのに、驚いたのなんの。

 「チチチ レレレ」の奇跡の救出劇ではこうしたハイテク技術が作業員を励まし続けるのに大いに役立ったのだ。科学に興味のある小生は、この一連の映像を見て、うれしくなった。

 すばらしい。快挙だ。ハイテク技術の勝利だ。

と涙ぐんだりもした。

 NHKの現地女性取材記者が言うように、今度の奇跡の生還は

 生きて地上に帰るのだという救出を待つ作業員の強い意志と

 家族の励ましという支え

から成し遂げられたと解説していた。その通り、と、つい信じた。

 加えて、さらに、ただ、救出を待つだけでなく、地下の作業員自身にも、土砂の除去、崩落防止など救出作業を手伝わせたことも生還を成し遂げる大きな精神力になったという。その通りだろう。そして、結束力を維持した信頼できるリーダーがいたことも幸運だった。その通りだろう。

 ところが、「週刊文春」10月28日号の特集によると、

 もう一つの、チリ人のしたたかな計算

も、生還の大きな力になったのだ。

 作業員は、世界が自分たちの事故に大きな関心を寄せていることを、ハイテク技術のお陰で知り、ある作業員は、地下の生活を克明に日記に記し始めた。生還した暁には、欧米の出版社に

 私はこうした生還した

という体験記で高額の契約料をせしめるためだ。はや、数十万ドルの契約で欧米メディアが獲得に動き始めているという。賢い。ころんでもタダでき起きないチリ人だ。

 また、救出劇中のインタビューでは、事故にあった作業員本人は、日本円にして数十万円、リーダー格となると、数百万円を要求したという。家族のインタビューですら、数十万円も要求されたそうだ(作業員の平均月収は多くて10万円くらいという)。

  事故(8月5日)から17日たって、生存が確認された8月22日ころから、

 救出劇は悲劇というよりも、ビジネス

の様相になってきたらしい。

 ハイテク映像で、地下には生活があったことが分かったが、そのときから

 地下でも、地上でも、千載一遇のビジネスチャンスがあったのだ

 このことにいち早く気づいたものが、生還の〝勝利者〟のだ。このことを忘れてはなるまい。

 これを〝強欲〟と呼ぶのは当たらない。むしろ誇るべきチリ人のしたたかさだろう。そんなことを教えてくれた救出劇であった。お人よしの小生などはみならいたいと反省した。

  つまりは、これこそ、ピンチはチャンスなのだ-。

 そう思うと、NHKだけを見ていては、世の中の「真実」は分からない。そんなことを教えてくれたNHKの「生還の真実」であった。ありがとう。2010.10.27

 追記 2011.10.09

   この番組は、2011年9月、アメリカ以外で放送された優れたテレビ番組に贈られる

 国際エミー賞

を受賞した。

 あらためて、番組を見たが、地下から「私たちは元気だ」という連絡メモを地上が受け取ったとき、NHKはすぐに、その細いパイプに入る

ビデオカメラ

を地下700メートルまで届けて、地下の様子を作業員に撮影させた。これが今回の

 スクープ映像

となった。NHKもなかなか、すばしこいと感心した。

 もうひとつ、閉じ込められたのが33人ではなく、

 たった一人

だったら、到底、その孤独と絶望を乗り越えて地上への生還は期しがたかったろうということだった。仲間がいて、励ましあい、いがみ合い、けんかをしていたからこそ、死の恐怖を乗り越えて奇跡が起こったのだと思う。

 最後に、それでも、孤独と絶望をなんとか忘れさせるには、じっと考え込むのではなく、体を動かすこと

 動け、動け

これが生還を可能にしたようにも感じた。

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秋の京都をゆく  ひっそりたたずむ親鸞聖人「奉火葬之古跡」

 大学の同窓会で、久しぶりに京都を訪ねた。「宇宙会」という、なんともはや気宇壮大な世界一大きな同窓会である。もっともそれは人数の多さではなく、気分だけだが。

 そのついでにと、言っては何だが、わが家は浄土真宗であることから、その開祖、親鸞の墓所を訪れた。浄土真宗は現在、本願寺派、大谷派、高田派、仏光寺派など十派にわかれているが、我が家は北陸に本籍があることからも分かるが、大谷派。つまり、東本願寺、通称、お東さんが総本山である。これに対し、西本願寺は浄土真宗本願寺派(ややこしいが、龍谷山本願寺のことである)と称し、通称は「お西さん」である。

 親鸞の墓所が京都市内のどこにあるか、すぐに答えられる人は少ないだろう。

 本願寺派(西本願寺)では、それは

 東山五条の大谷本廟(西大谷)

にあるというから、そこに出かけた。いわゆる五条坂の隣りである。なるほど、りっぱな総門の手前に、大きな親鸞立像が信者を迎えている。観光シーズンとあって、大勢の信者の墓参りでにぎわっていた。社務所で、はずかしながら

 「親鸞自身のお墓は、どこですか」

とおそるおそる聞いてみた。親切な人がいたもので、わざわざ案内してくれた。なんと境内の外に小生を連れ出し、境内に隣接する数千の信者の墓、先祖代々の墓がぎっしり立ち並ぶ墓所の奥の奥に、文字通り、ひっそりと、人っ子一人いない一角に、親鸞の遺体を「荼毘」にふした場所と説明してくれた石碑が立っていた。銘文には

 「親鸞聖人奉火葬之古跡」

とだけ、彫られていた。すぐ後ろは民家がいくつも立っていた。詳細は不明だが、1262年、ここで、親鸞が火葬にされたらしい。ということは、

 来年、2011年は「親鸞聖人七百五十回大遠忌法要」

なのだ。この大谷本廟の総門近くの入り口には、その旨のポスターが大きく張り出されているのを思い出した。

 そんなことを思いながら、東山五条を北に上がり、祇園近くに近づくと、今度は

 東山四条に近いところに、大谷派本願寺(東本願寺)本廟の参道が東に延びていた。

 大谷祖廟(東大谷)

である。ここがわが家のお骨もある。この場所は、分かりやすく大雑把に言えば、八坂神社(祇園社)の中の円山公園(円山音楽堂)東隣り。

 この祖廟の石畳を登りきった奥の奥に

 親鸞のお骨を祭った「御廟」

がある。来年の750回忌に間に合わせようと、整備事業が急ピッチで行われていた。西本願寺の場合と違い、この御廟は少し高いところにあるので、高齢者の多い信者のためであろう、御廟前まで、エレベーターが設置されており、結構、利用されていたのには驚いた。

 そうか、親鸞聖人の墓は、東山の二カ所にあるのか、

と思っていたら、社務所の職員によると、真宗十派それぞれに「ご廟」が東山周辺にあるらしい。なんともはや、親鸞聖人も大変だ。そんなことは、それぞれの信者はきっと知らないだろう。小生も知らなかった。もちろん、東本願寺の祖廟の社務所にも、親鸞聖人750回忌のポスターが貼られていた。

 ところで、来年は、

 親鸞が教えを受けた法然上人の八百年大遠忌

でもあるということが分かった。確かに、法然上人は、1212年になくなっている。

 だから、来年2011年は、親鸞の750回忌と法然の800回忌が重なる

ということになる。

 だから、来年は、いや、はや今年2010年の秋からは、真宗ブーム

になるだろうと、小生予想した。

 案の定、

 宗教学者、山折哲雄さんが親鸞の「『教行信証』を読む」(岩波新書)をつい最近(8月)に出版しているのだ。

 作家、五木寛之さんも、来年1月に地方紙各紙朝刊に「親鸞」の連載を再開するのだ。なんだかんだといっても、みなさん、商売が上手なのだ。TPOを心得ている。

 そんな思いで、京都を離れ、浜松に帰宅した。

 そんな商売上手に嫌気がさして、小生、最近、

 文豪、丹羽文雄さんが昭和50年代に10年にわたり月刊雑誌に連載した浩瀚なライフワーク

 「蓮如」(全8巻、中央公論社)

を読んでいる。蓮如は、浄土真宗の中興の祖。その生涯を浄土真宗の住職の家に生まれた丹羽さんが描いたものであり、さすがに鋭く、深い味わいがある。あたかも大河歴史ドラマといえるものだ。

 京都の親鸞墓所を巡って、あらためてこの浩瀚な小説に敬意を評したい気持ちになった。

 ライフワークづくりには、執筆だけでも10年はかかる。そんなとを知った。2010.10.24

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生きては帰らぬ現代の〝特攻〟 貧者の兵器と無人ロボット兵器

 もう日本人は忘れてしまったようだが、

 今、アフガニスタンでは何が起きているか

 NHKがスペシャル番組で紹介していた(10月17日放送)。「貧者の兵器とロボット兵器」である。アメリカの無人ロボット飛行機に対して、反政府のタリバン側は自爆テロ、それも洗脳教育された子どもたちが手製爆弾を積んだトラックで米軍施設に突っ込む自爆攻撃に走っているという。貧者のロボット兵器というわけだ。

 アフガン戦争では、無人攻撃機プレデターが地球の裏側の米国本土の司令室からの操縦で安全に任務が遂行されている様子が紹介されていた。これに対抗するには人間兵器が必要だというわけだ。

 この番組をみて一番、印象的だったのは、番組の内容よりも、そのナレーションだった。陰々滅滅の低いゆっくりした声で、あたかもお経をあげているような冷静さで、視聴者に語りかけていたことだ。番組の内容の深刻さ、やりきれなさが、ひしひしと伝わってきた。

 憎しみが、憎しみを生む貧者の特攻と無人ロボットとの果てしない報復に慄然として言葉を失いそうになった。

 暗鬱なナレーションが、この連鎖が今後どこに向うのだろうと問いかけ、番組を結んだとき、不気味な未来を想像してしまった。

 ナポレオン戦争下のロシア社会の変容を、愛と憎しみを描いたのが、

 トルストイの「戦争と平和」

だが、現代の戦争では、人間同士のにくしみさえ奪ってしまう。そして、戦争は洗脳された子どもたちが担うものになってしまうのだろうか。

 人間破壊の極といえるだろう。2010.10.19

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龍馬たらんとした男  映画「桜田門外ノ変」を見て

 この映画の封切り後初めての日曜日午後、浜松市中心部のTOHOシネマズ浜松に出かけた。若者が集まる中心街の映画館であり、また、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で盛り上がっているのだから、さぞや大勢がこの映画を見に来ているだろうと思った。

 しかし、観客は2、30人とガラガラだった。それもみんな50代、60代。20代は1人もいなかったのには驚いた。シルバー世代なら1800円の入場料が1000円なのだから、これでは採算が合わないように思った。

 龍馬伝の大河ドラマに比べて、どうしようもないほど暗い映画であったが、それはともかくとして、見て不満に思ったのは、

 この映画で監督は何を訴えようとしたのか

が、どうも明確でなかったことだ。

  10月18日付毎日新聞夕刊には、この点について佐藤監督は

 無名の人たちがたくさんいて歴史を動かし、犠牲になっている。そうした人たちの生き様を描きたかった

と話している。主人公の関やその家族については、生き様が描かれていたが、残り17人については、生き様というほどではなく、変後、幕府からどのような追跡を受けたか、という程度の印象だった。

 この暗殺には、当時20代、30代の若者が多く参加したが、彼ら一人一人が時代を切り開くために、何を考え、悩み、行動していったか、それをもっと掘り下げて描いてほしかった。史実に基づいたストーリーばかりが目だった。だから、何なのだというものがほとんどなく共感できるものがなかった。これではこの映画の現代的な意義が乏しくなる。言い換えると

 閉塞の時代、危機の時代を切り開くものは何か

 生き様を描きたかったと言う監督のメッセージを聞きたかった。司馬遼太郎の「龍馬がゆく」にはそれがあった。若者よ、自ら信じる道を、精いっぱい生ききろうというテーマがあった。この映画にはそうしたテーマがなかった。それがあれば、暗くても、見る人に感動を与えたであろう。共感が得られたであろう。この映画では、暗殺者の暗さだけが印象に残った。

 茨城県が挙げて支援の会をつくり、映画制作に力を入れたのだから、さぞかし、

 「水戸の脱藩藩士はえらかった」調の〝ヨイショ〟物だろうと、あまり期待していなかったが、さすがに、佐藤純弥監督である。それほどではなく、決めていた。

 映画の最大の売り物である凄惨な暗殺シーンを最初に持ってくることで、そのよってきたる原因を探るつくりにしていた。暗殺、テロリストの礼賛映画と受け取られない工夫だろう。これはよかった。

 だが、そのために、時間を巻き戻して、登場人物が回想する、いわゆるフラッシュバックする趣向が何度も繰り返されたため、観客は、映画の冒頭で死んだはずの井伊直弼大老が何度も登場してくるなど、筋立てがなかなか分かりにくかった。歴史的な事実関係を知っている小生ですら、戸惑ったというのが正直な感想だ。桜田門外の変に詳しくない若者がみたら、何がなんだか分からなくなったであろう。生首が飛び、血が激しく飛び散る凄惨なシーンばかりが目立った映画と誤解されかねない。

 主人公の関鉄之介(大沢たかお)は、幕末、このままでは日本は清国の二の舞になり滅ぶという強い危機感を持って果敢な行動力を発揮した若者、つまり、

 龍馬たらんとした水戸脱藩志士

であったということをもっと明確に打ち出してほしかった。ただ、関は、幕政改革を幕府に訴えるために、水戸・薩摩提携で暗殺に立ち上がったが、竜馬はもはや幕府の時代は終わったとして新しい国家建設を目指したという違いがあるだけだった。

 互いの目指すべき目標の違いを生み出したのは、国際情勢についての敏感さの程度の差であり、時期早尚として4、5年遅らせて立ち上がったという時局を見通す大局観の違いだったろう。この間に、攘夷論が沸点に達し、時局は煮詰まっていった。

 同時に、行動原理の違いもあったであろう。暗殺で時勢を動かそうと考える関と、暗殺では時代は開かれないという信念で、大政奉還という平和的な手段を目指した竜馬の違いである。

 そうした違いはあったものの、歴史とは面白いもので、暗殺の成功で、関たちの思惑をこえて、もはや、弾圧に狂奔する幕府では幕政改革は到底望めず、外国から日本を救えないという認識が庶民にまで広がった。このことは、結果論とはいえ、水戸浪士の果敢な行動力の賜物だろう。

 そのお陰で、この後の龍馬は一気呵成に新しい国家づくりに走り出し、維新に結実させた。その発火点が桜田門外ノ変だった。その間の時の流れは、わずか8年。

 変後、関鉄之介は38歳で、志半ばで幕府側に捕らえられ、処刑(斬首)された。龍馬も大政奉還を成し遂げた直後、33歳の若さで、幕府側に暗殺された。2010.10.18 

 追記

 原作は、吉村昭さんの同名小説。新潮文庫では上下2巻、計約750ページ。ほぼ、時間軸にそって物語が進行する。そして、暗殺シーンは、下巻の始めのほうに、わずか20ページほどで、全体の3%ぐらいの分量だ。そして、暗殺後の18人の様子が描かれている。わかりやすい構成であり、時代背景もよくわかる。

 吉村さんの「あとがき」で面白いのは、

 雪の井伊大老暗殺事件から維新まで8年と、雪の2・26事件から大東亜戦争敗戦まで9年

が、実によく似ているという感想であった。いずれも時代に敏感な青年たちの国を思う焦燥感から起こった暗殺事件であった。いずれの場合も、事件をきっかけに時代が大きく動き出し、当事者の想像をはるかにこえて、堰を切ったように歴史が生まれていった。

 いつの時代も、若者によって歴史が動き、創られる。映画を見て、そんな気になった。

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生きるとは  松本少年刑務所 塀の中の中学校

 チリ鉱山事故で作業員救出、成功のニュースが流れている。

 よくぞ生還したものだ。感激のシーンがテレビ中継で世界に流れている。「生きる」ってことはすばらしいことだと感じることができた。

 ところで、久しぶりに、勇気付けられるテレビドラマを見た。SBS(TBS系)の平成22年度文化庁芸術祭参加作品(10月11日放送)、

 塀の中の中学校  脚本=内館牧子

である。この刑務所内に設けられた中学校は分校なのだが、受刑者のうち、中学校未修了者を対象に、1年間で卒業証書を与える。この学校は松本少年刑務所に実在する。といっても、生徒はいわゆる中学生の年齢ではなく、たいていは何らかの事情で中学校に行けなかった、あるいは行かなかった中高年者である。

 俳優の大滝秀治さんは、10年間の認知症介護の果てに妻殺しをした76歳の老人役を演じていた。渡辺謙さんも好演していた。

 どきりとしたのは、ドラマの中の〝中学生〟に、

 「ウソをついているときだけが幸せだった」

という台詞をはかせているシーンだ。

  ドラマは何を視聴者に訴えようとしているのだろうか、見ながらいろいろ考えた。

 たぶん、生きるとは何か、幸せとは何かということを考えてみてほしいということだろう。

 人間を信じる。あるいは人間同士の信頼関係を築く。それが生きるということだといいたかったではないか。幸せとはそういうことだ。塀の中で生きるときも、塀の外で生きる場合も、それは変わらないということだろう。とすれば、これは塀の外で人間関係が希薄になっている現状に対する批判かもしれない。

  先生との信頼関係を取り戻し、1年間の学習で卒業証書を手にした受刑者たちはふたたびそれぞれの元の刑務所に護送されるシーンで終わる。その証書は、

  生きる意味を、人を信じる意味を、信頼関係を築くことの意味を知った証

を象徴しているように感じた。

 見終わって感じたことだが、塀の外にいる自分は、漫然とわがままな人生を送ってきたのではないか、そんな反省を持った。塀の中という不自由なところで生きなければならないがゆえに、生きる意味を痛切に感じることもあるのだろう。偶然に見たドラマだったが、考えさせるドラマだった。2010.10.13

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原題は「非常手段」  小さな命が呼ぶとき

 今夏、日本で公開されたハリソン・フォード、ブレンダン・フレイザー共演の実話に基づくヒューマン映画

 「小さな命が呼ぶとき」

をようやく見た。浜松の市民映画館「イーラ」での上映だが、多くの人に見てもらいたい実話映画だ。原題は「非常手段」となっており、難病ポンペ病の子どものため、製薬会社まで起こしたというストーリー。この難病は筋ジス病の一種で、この病気にかかると手足の筋肉や心臓や肺などの機能が次第に低下する。最後には歩くこともできなくなり、握力もなくなる。遺伝病だという。それだけに、責任を感じた親たちの悲嘆は並大抵ではないことが映画から伝わってきた。

 ただ、薬の開発の最終段階の臨床試験の描き方が、少し乱暴なような気がした。いきなり患者で新薬テストをしたようになっており、臨床試験の在り方に誤解が生じないか、心配だ。実際は、動物実験など三段階に分けるなど新薬テストは慎重に数年をかけて治療効果や副作用などの安全性について確認する。

 あれこれ、言うよりも見ていただいたほうが、わかりやすいが、この病気の治療薬として、現在、とりあえずの酵素補充療法があるが、この開発物語である。現在も、より効果的な治療法について研究されている。

 ところで、この映画制作では、日本慈恵医大が協力している。この大学には「日本ポンペ病研究会」事務局があるからだろうが、こんな研究会があるとは今まで知らなかった。よい勉強にもなった。2010.10.12

追記

 この映画を見た後、ふと、昨2009年秋公開の

 「いのちの山河」(大澤豊監督)

を思い出した。どこかの政党の「暮らしに憲法を生かそう」みたいな、あるいは憲法第25条映画といった感じのものだったが、これよりは、今回の映画はつくり方がうまかった。それには孤独な天才科学者役のハリソン・フォードの演技力が預かって大きかったように思うが、とにかくお涙頂戴に堕することのない非情さもからめてあり、なんとかうまく仕上がっていた。

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もっと若手の支援を ノーベル賞(自然科学系3賞)受賞者数、日本は世界6位に浮上 韓国、中国は?

10月11日は、なぜか「体育の日」とかで、小生も通っているスポーツジムに出かけた。簡単なストレッチをして、自転車こぎなど一汗かいた。疲れたので、休息室の静岡新聞を見ていたら、ノーベル賞の自然科学系3賞(物理、化学、医学・生理学賞)で、今年の分も含めて日本の受賞数が創設以来全部で15人(南部陽一郎さんも含めて)となり、世界第6位に浮上したと報じていた(第1位はアメリカで断トツの233人、次いで76人のイギリス)。今世紀に入ったこの10年では9人と、アメリカ(38人)に次いで第2位に食い込んだ。

 朗報である。日本の科学や技術の躍進をみる思いだ。と思ったら、この9人の受賞はいずれも、数十年も前の業績に対して贈られているのだから、安心はできない。じっくりと若手や基礎研究に対して手厚く支援しているのかどうか、この10年にわたる政府の政策を点検する必要があろう。

 というのも、この10年、ノーベル賞級の研究では、そのほとんどは、30代、40代前半のものであるのに対し、国の政策はどうもこの世代への支援がこのところ手薄であるように思うからだ。たとえば、行き場のなくなった、いわゆる若手のポスドク研究員が最近では2万人近くも滞留しているのは異常だ。10年前の15000人からさらに増加している。若手支援の政策を強力に打ち出す必要があろう。

  ところで、お隣の韓国や中国はどうであろうか。

 実は、110年のノーベル賞の歴史の中で、中国や韓国はこれまでこの3賞を一度も獲得していない。ただし、中国については、国籍は米国だが、生まれは中国という科学者は、戦後では数人いる。

 一方、日本が躍進している中で、韓国ではまだ受賞者が1人もいないことを「国辱」ととらえているらしい。今世紀に入って、国家的なプロジェクトを立ち上げて、必死に獲得競争に乗り出していたが、これがかえって裏目に出て、科学者の捏造論文騒ぎまで起こしている。これをみても分かるが、基礎研究では国家プロジェクト方式では画期的な成果はなかなか生まれないだろう。研究者の自由で独創的な発想の中から、研究をスタートさせたときには想像もしていなかった革新的な成果が生まれることは、これまでの数々の受賞を見ても明らかだ。

 もっと若手支援を

 科学・技術の在り方に思いをめぐらした「体育の日」だった。2010.10.12

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ぶっちゃけ、銀閣寺の「銀」って何 ?

 毎週楽しみに見ているNHK土曜日番組「ワンダー×ワンダー」には参った。10月9日放送を見た。京都・銀閣寺近くの大学の大学院に通っていた頃から

 金閣寺の「金」は金箔のことだが、銀閣寺の「銀」って何だろう ? 

と思いつつ、30年が過ぎた。銀閣というよりも、漆塗りのような「黒閣」なのになぜ「銀閣」かという疑問に、きちんと調べたこともなかった。不覚だった。

 それが、この番組を見て、500年前の創建時からかどうかはともかく、

 もともと、外壁には、ガラスや真珠のような光沢のあるミョウバンが塗られていた

ということを知った。だから、日差しの中では銀の輝きのようにみえたというわけだ(漆喰のような落ち着いた輝きよりも、きらきらとした上品な輝きになっていた)。解体修理に伴う学術調査で、最近、わかったのだそうだ。ミョウバンといえば、医薬品(防腐剤)や食品添加剤などに使われている白色結晶。

こんな贅沢な別荘が、あの応仁の乱後の荒廃した京都につくられたというのは驚異だ。統制力のない無能な8代将軍、足利義政が創建したとは想像できない室町文化の不思議さである。

 番組では、義政のことを、わび・さびなどの文化を大事にする「異能の将軍」と評価していた。

 銀閣寺には、院生時代、雪の降った早朝など、よく出かけたが、今回、初めて素朴な疑問が解けてうれしかった。

 この番組では、この銀閣、中秋の名月などをめでるに一工夫も、二工夫もしているとの成果を、天文学シュミレーションを駆使してある研究者が紹介していたが、これは、失礼だが、

 銀閣は「月の御殿」

というのは、ちと考えすぎ、あるいは、うがちすぎだろう。たまたまそうだったということであり、そこまで主張するのはあまりに「オタク」的な話だった。この「銀閣は計算された月の御殿」という〝仮説〟を証明するには、文献学的な調査で補強することが欠かせない。番組ではそこまでの直接証拠は紹介されなかった。今後の課題だろう。

 それにしても、この番組、なまなかやるではないか。ときどき出演する渡辺万理奈さんもいい感じだ。2010.10.11

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動かぬ証拠 中国は自国地図で「尖閣諸島は日本領土」と記していた

 なるほどと納得した。このところ、尖閣諸島問題で日中間がギクシャクしているが、

 「週刊ポスト」10月15日号に、上記のようなタイトルで問題の急所を突いていた。

 1960年4月発行の「世界地図集」(第一版、中国の北京市地図出版社)には、尖閣諸島は日本の領土として、日本名の「魚釣島」「尖閣群島」と記されており、中国名はない。しかも、それらは中国国境線外に位置している。つまり、日本領土の認識だ。

 ところが、

 1972年12月発行の「世界地図集」(第一版、中国の北京市地図出版社)には、魚釣島の日本名が、中国国内で使われている漢字で「釣魚島」となっている。

 つまり、1960年から1972年の間のある時点で、いつの間にか、この島は日本領土から中国領土に中国は勝手に書き換えてしまっているのだ。

 では、その間に何が起こったのか。同誌によると、実は

 アジア極東委員会(ECAFE)が1968年、尖閣諸島周辺にはペルシャ湾級の石油、天然ガスが埋蔵されている可能性があると、指摘していたのだ。

 そのせいだろう、1970年ごろから中国や台湾がこの島の領有権を盛んに主張し始めた。具体的には「釣魚島とその付属の諸島は古来中国固有の領土」と中国は主張している。

 そして、あろうことか、地図を書き換えるだけでなく、中国はかってに1972年に「釣魚島」の名称で、日本の「魚釣島」を中国領と明記した領海法を制定してしまったのだ。 

 1960年の「世界地図集」の記述は間違いでしたではすまない話だ。歴史的な事実の改ざんだ。もし、記載ミスというのなら、歴史的な根拠を示して具体的に説明すべきではないか説得力のある説明は到底できないはずだ。

 注意すべきは、この対中国領土問題の処理を誤り、譲歩すると、対ロシア領土問題の北方領土問題に飛び火するだろうということである。現に、中国とロシアの両首脳は日本に対する領土問題では、最近、したたかに足並みをそろえている。

 ロシアの南下膨張政策、中国の東方膨張政策は要注意であり、断固阻止すべきだ。それにしても、菅内閣の弱腰外交はいかにも稚拙である。

しっかりせい、と叫びたい。2010.10.10

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人間はなぜ空を飛びたいのか ノルウェーでも時速200キロ

 ウイング・フライヤーというのだそうだが、10月8日朝、NHK「あさイチ」を見ていたら、

 驚きの空飛ぶ人間 ノルウェーで時速200キロ

というのを放映していた。

 ムササビのようなスーツを着込んだ屈強の男たちが断崖絶壁をまっさかさまに落ちていって地上すれすれに上昇気流に乗って大空に舞い上がる右に左に自由に滑空しながら飛び回る1、2分ぐらいのスポーツ。ハンググライダーに似ているが、翼はなく、そのかわりムササビ・スーツを着込むと思えばいい。最後は、パラシュートで着地という。最初、加速度をつけるために、断崖絶壁からまっ逆さまに落ちるのがすごい。ここで気を失えば、それまでだ。番組ではこのスポーツを

 ウイング・フライヤー

と紹介していた。

 先週の土曜日にはなんと、このムササビ・スーツにジェットエンジンを付け人間が担いで高速で大空を通常の飛行機と並んで一直線に飛行するというすさまじい映像をこれまたNHK番組

「ワンダー×ワンダー」

で紹介していた。これは滑空するというものではなく、高速飛行だ。こうなるともうスポーツではなく、人間の限界に挑戦する冒険だろう。冒険家は、たしか元飛行気乗りだったように思う。決して若くはない。60年ぐらいのむしろ高齢者のようだった。

 これらを見て、

 人はなぜ空を飛びたいと思うのだろう

と考えてしまった。ライト兄弟しかり、ヘリコプターの設計に乗り出したレオナルド・ダ・ビンチしかり。そして、先月、このブログでも紹介した

 ソーラー飛行機(スイス)

しかりである。

 人類は、海の底から生命として生まれ、やがて陸地に上がり、そして大空を目指し、そして、大気圏外へ、さらには月へ、上へ上へと上昇しながら進化してきたようにみえる。

 やがて火星へも行くだろう。そして、地球生命は、太陽系を離れて遠い遠い次なる系外惑星に移住する。そこからさらに銀河系を植民するのだろうか。

 人類が空を目指すのはこうした進化の道筋の一場面なのかもしれない。

 そう考えると、地球生命のDNAの中に「宇宙の彼方に向いたいという、何か本能のような」遺伝子が刻まれているような気がする。2010.10.08

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あらためて糖尿病は怖い 外科手術もできないとは

 過日、飲み仲間のH氏を浜松市の遠州病院に見舞った。仕事中に屋根から落ちて、左足膝関節を折る複雑骨折。大怪我には違いないが、二か月以上も入院しているので、休日の午後出かけた。糖尿病を患っていることも気になった。

 見舞ってみると、ギブスはもう取れていた。驚いたのは、

 「糖尿病の治療中なので、外科手術ができず、骨折を整骨的な方法で自然治癒させている」

というH氏の話だった。麻酔をかけて外科手術をすると、糖尿病患者の場合、

 糖尿病性昏睡が起こりやすい

という。手術中に意識を失い、戻らず死亡例もあるなど危険だと言うのだ。

 すい臓からのインスリン(ホルモンの一種)の出が悪く血液中の血糖値が高い糖尿病。その症状はのどのかわき、夜中の頻尿、疲れやすく倦怠感、ひどくなると、激やせなどだ。さらには、糖尿病性の網膜症、たとえば失明なども起こる。血管障害で腎臓病を惹き起こすという。

 ある百科事典の解説によると

 糖尿病が重症になると、糖尿病性昏睡という状態となることがある。体内でインスリンが不足すると糖質の利用が阻害されて高血糖となり、また脂肪が分解されて生ずるケトン体が増え、血液が酸性となって意識が混濁し、昏睡に陥る。毎日インスリンの注射を必要とする人が注射をしなかったり、糖尿病であることを知らないで手術を受けたり、肺炎、腎炎、膀胱炎などの感染症にかかったりすると、糖尿病性昏睡が起こる。

 H氏はどうやら、こうした類の病状らしい。糖尿病患者はうっかりケガなどの外科手術もできない。これはこわい。

 日本には約600万人の糖尿病患者が医師の下で治療をしている。問題なのは、糖尿病なのに病院での健康診断、人間ドックを受けていないため、見逃されているケースだ。軽症者も含めてそうした予備軍が、患者と同程度、すなわち約600万人もいるという事実である。あわせて、1200万人、つまり、日本人の10人に1人は糖尿病患者ということになる。症状が顕著になる40歳以上だけで見ると、5人に1人は患者か、その予備軍と推定されている。そのほとんど9割が、遺伝によってインスリンの出が悪いのが原因(残りはウイルス感染による後天性のすい臓機能低下)。予備軍の発見と、治療対策が重要だ。

 治療には、インスリン投与のほか、糖質制限などの食事治療も大事だ。

 治療中のH氏は暑い夏を病院のベッドに横たわっていたせいか、さかんに冷たいビールを飲みたがった。そこで、気を利かして、入院中のアルコールはダメは常識だから、せめて

 ノンアルコール

ならいいだろうと、

 ノンアルコール「キリンフリー アルコール0.00%」「Asahi POINT-ZERO  0.00%」

を見舞い品として持ち込んだ。ところが、これもダメと、看護師からしかられた。

 「なんで ?」

と恐る恐る聞いたところ

「糖尿病患者は糖質など食事療法が基本。そんな差し入れをすると病院側で管理できなくなり、危険」

と諭された。

 キリンフリーには、350ミリリットル中に約10グラム

 アサヒポイントゼロには、約19グラム

も含まれている(アルコール缶と同程度)。つまり、

 ノンアルコールにはアルコールはほとんど含まれていないが、糖分が水に次いで多い

 だから、慎重に食事の管理をしている病院としては認められないのだ。栄養管理を怠ると、重症患者の場合、危険な昏睡を惹き起こしかねないのだ。

 もう少し、詳しく言うと、食事療法と薬物療法の併用患者の場合、合併症がなくても原則アルコールは禁止(禁酒)。

 ただし、禁酒に越したことはないが、どうしてもというならば、併用者ではない場合には、アルコールは一日2単位(160キロカロリー)、だいたい、日本酒なら1合、ビールなら中ビン1本程度なら、医師によっては認めるという。

 友人のH氏によると、朝の散歩など軽い全身運動を一定時間、定期的に行うことは、ブドウ糖の消費につながり、糖尿病の症状改善によいそうだ。これでは、思いっきり仕事をする定職につくのは、大変だ。生活保護を受けざるを得ない人も多いという。

 糖尿病は万病の元だが、貧乏神でもあるのだ

  このことをあらためて思い知らされた。ときどき病気療養中の友人を見舞うと、自分の健康を真剣に見直す好機になることを思い知った半日だった。2010.10.06 

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1960年代後半、原爆を求めた日本 「少数製造は可能」と報告書

 日曜日、10月3日のNHK「スクープスペシャル 核を求めた日本」は衝撃的な番組だった。

 1960年代後半の佐藤内閣時代、「原爆を少数製造することは可能」とする報告書が、内閣調査室でまとめられていた

というもので、番組で佐藤内閣時代の元外務事務次官、村田良平氏が、1965年の中国の核実験成功を受けて「外務省内にも非公式に核保有の議論をしていた」との主旨の証言をしている(このインタビュー直後、肺がん死。つまり、末期の肺がんで、核保有の検討を証言する気になった。死去は2010年3月18日)。その理由は「何の疑問も持たず(何の検討もせずの意味)、NPTに参加することは日本が二流国に甘んじることになるという危機感」だったらしい。ただ、アメリカは核保有を思いとどまるよう日本に働きかけてきたという。「説得」の結果、日本の佐藤内閣は、アメリカの「核の傘」に入るという選択をし、核拡散防止条約NPTに1970年、調印した(批准は1976年)。

 番組によると、西ドイツとも核保有について「秘密協議」をしたという。当時のドイツは分断国家という国際的な冷戦状況から核を持つかどうか、(その製造能力はあったとしても)独自に判断をする情勢ではなかったとドイツ側は述べ、開発はあきらめたらしい。

 40年以上埋もれていた報告書によると、原爆開発の拠点として、当時、日本発の原子力発電所の建設が始まっていた茨城県東海村だった。原爆は開発の容易な「プルトニウム爆弾」。

 報告書の取りまとめに動いた元内閣調査室主幹、志垣民郎(87歳)氏は、

 これまでにこうした報告書を公表する意志はなかったのかというインタビューの質問に

「あまりなかった」

とあいまいな証言をしている。公表を前提としない、無期限の「機密」扱いの報告書だったからだろう。

 それはともかく、以下に、この番組を見た感想を書いておきたい。

 元外務事務次官のような衝撃的な証言や、それを裏付ける40年以上も前の機密報告書が官僚たちの証言や取材によってとにもかくにも出てきたというのは、自民党政権下では考えられないことだ。民主党政権になってこうした自民党政権下の「機密」が少しずつ官僚たちによって明るみになってきたことは喜ばしい。「無期限機密」というのは、もはや通用しない。すくなくとも作成から原則30年を過ぎれば、公文書は公表する。そんな体制を早く確立すべきだろう。

 民主主義の国にあっては、「公文書は国民の財産」という考え方を定着させたい。かってに処分することは許されない。これこそが、過去の歴史に目をつぶることなく、その教訓を今後に生かし、過ちを二度と繰り返さないための具体的な手段だろう。

 佐藤元首相は、中国が持つならという条件付で、原爆を保有すると主張したのは、中国、あるいは米側に対する牽制であり、さらには米側との「核の傘」交渉、米がすすめるNPT条約交渉の駆け引きであろう。国民合意など原爆開発の困難を知りつつも、保有を目指すかのように振る舞い、本心は、交渉をできるだけ有利に導き、アメリカの「核の傘」に入る算段だったろう。本気で原爆開発を模索したようにはみえない。ポーズだ。そのアリバイづくりとして機密報告書を一応まとめるよう、内閣調査室に指示したのであろう。その傍証に、核開発拠点となるはずの東海村の原発関係者には、原爆開発の動きについて、番組をみた限りでは、ほとんど知らされていなかったからだ。

 それにしても、村田良平氏が亡くなって半年以上もたった今、スクープを放送したNHKの意図は何なのだろう。作成から40年以上もたっているとは言え、極秘文書についてその中身を放送することに違法性など問題がないかどうか、単に専門家によるチェックしてもらうのに時間がかかりすぎたというようなものではないように思う。

 わざわざ「スクープスペシャル」と銘打って放送したNHKの真意、意図は何か。これが分からなかった。2010.10.05

 追記

 いろいろ調べてみると、日本が当時、原爆開発に関する報告書をまとめていたことは一部知られていた。たとえば、読売新聞が、核密約連載の一連の流れの中で、上記の志垣民郎氏の証言とともに、2007年3月記事化している。このときは、ほとんど反響はなかった。

 原爆を求めた日本

とテーマを絞ったところが、今回よかったのかもしれない。番組翌日の日経新聞には、外務省が当時の事実関係について関係者にあたるなど調査するという記事が出ている(電子版)。

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ノーベル賞授与、なぜ事前に漏れないか 

 今年もノーベル賞の季節、つまり、ノーベル賞ウイークが始まった。トップを切って、医学・生理学賞に

 体外授精を初めて成功させたイギリスの生理学者、ロバート・エドワード博士(85歳)

が決まった。32年前の業績だ。ところで、日本では、本命として、

 非受精卵からの人工多機能幹細胞(iPS細胞)の山中伸弥京都大教授

が事前に挙げられていた。しかし、受賞を逃がした。

 小生、以前から、ノーベル賞の受賞者が、なぜ、事前に漏れないかということをやや不思議に思っていた。

 10月5日午前のフジテレビ「知りたがり !」を見ていたら、

 30年来、科学担当の朝日新聞記者(科学エディター)の高橋真理子さんが

 それは、6分野ごとに事前に3件に絞った中から、発表当日に、ノーベル賞委員会が最終的に(投票で)決定するからだ

と解説していた。なんらかの原因で事前に準備された3件がたとえ万一漏れたとしても、その中の誰が受賞者になるかは、当日にならなければ、分からない。投票による決定後、時間を置かずに、すみやかに発表されるので、漏れている時間がないというわけだ。投票は少人数によるので、ある程度投票結果は予測はできても、確実ではないのがミソ。委員会の苦心の選考方法だ。なるほど、納得。

 ちなみに、今日、発表されるノーベル物理学賞は、番組登場の高橋さんによると

 飯島澄男(71歳)さん

だが、果たしてどうか。カーボンナノチューブの発見(1991年)で世界的に有名なNEC特別主席研究員。どの分野でもいいから、日本人受賞者が出るかどうか、楽しみな一週間だ。2010.10.05

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単細胞の複雑な世界 今年のユーモア「ノーベル賞」 時間記憶し効率を図る驚異

 10月1日付の静岡新聞夕刊に

 粘菌の〝知恵〟で鉄道網 中垣俊之教授らイグ・ノーベル賞

という記事が出ている。

 「ユーモアあふれた科学研究などに贈られる「イグ・ノーベル賞」の授与式が9月30日、中略 ハーバード大で開かれ、公立はこだて未来大(函館市)の中垣俊之教授ら9人が「交通計画賞」を共同受賞した」

と出ている。

 かつて、「週刊プレイボーイ」(2010年2月22日号)に、

 迷路を解き、鉄道網を作る!? 体細胞なのに賢い生き物とは?  として、

 粘菌の不思議な世界

が掲載された、あの研究だ。効率的というのは

時間の経過を記憶するなんらかの能力

を持っていることになる。同誌記事によると「悩むような行動も見せる」という。これは、ひょっとすると、将来、本物のノーベル賞受賞にもつながるかもしれない。つまり、生き物の進化にもかかわる問題で、単なる

 交通計画賞

にとどまらないユニークさと奥深さがあるように思う。今回は粘菌による「交通計画賞」の共同受賞だったが、中垣さんは、2008年にもこの粘菌研究で「認知科学賞」を単独受賞している(詳細は、中垣俊之さんの近著「粘菌 そのおどろくべき知性」 PHP研究所 サイエンス・ワールド新書)

 このユーモアノーベル賞は、本物のノーベル賞の発表直前(ノーベル賞ウイーク=10月上旬)に授賞式を行う慣例になっている。2010.10.03

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