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1960年代後半、原爆を求めた日本 「少数製造は可能」と報告書

 日曜日、10月3日のNHK「スクープスペシャル 核を求めた日本」は衝撃的な番組だった。

 1960年代後半の佐藤内閣時代、「原爆を少数製造することは可能」とする報告書が、内閣調査室でまとめられていた

というもので、番組で佐藤内閣時代の元外務事務次官、村田良平氏が、1965年の中国の核実験成功を受けて「外務省内にも非公式に核保有の議論をしていた」との主旨の証言をしている(このインタビュー直後、肺がん死。つまり、末期の肺がんで、核保有の検討を証言する気になった。死去は2010年3月18日)。その理由は「何の疑問も持たず(何の検討もせずの意味)、NPTに参加することは日本が二流国に甘んじることになるという危機感」だったらしい。ただ、アメリカは核保有を思いとどまるよう日本に働きかけてきたという。「説得」の結果、日本の佐藤内閣は、アメリカの「核の傘」に入るという選択をし、核拡散防止条約NPTに1970年、調印した(批准は1976年)。

 番組によると、西ドイツとも核保有について「秘密協議」をしたという。当時のドイツは分断国家という国際的な冷戦状況から核を持つかどうか、(その製造能力はあったとしても)独自に判断をする情勢ではなかったとドイツ側は述べ、開発はあきらめたらしい。

 40年以上埋もれていた報告書によると、原爆開発の拠点として、当時、日本発の原子力発電所の建設が始まっていた茨城県東海村だった。原爆は開発の容易な「プルトニウム爆弾」。

 報告書の取りまとめに動いた元内閣調査室主幹、志垣民郎(87歳)氏は、

 これまでにこうした報告書を公表する意志はなかったのかというインタビューの質問に

「あまりなかった」

とあいまいな証言をしている。公表を前提としない、無期限の「機密」扱いの報告書だったからだろう。

 それはともかく、以下に、この番組を見た感想を書いておきたい。

 元外務事務次官のような衝撃的な証言や、それを裏付ける40年以上も前の機密報告書が官僚たちの証言や取材によってとにもかくにも出てきたというのは、自民党政権下では考えられないことだ。民主党政権になってこうした自民党政権下の「機密」が少しずつ官僚たちによって明るみになってきたことは喜ばしい。「無期限機密」というのは、もはや通用しない。すくなくとも作成から原則30年を過ぎれば、公文書は公表する。そんな体制を早く確立すべきだろう。

 民主主義の国にあっては、「公文書は国民の財産」という考え方を定着させたい。かってに処分することは許されない。これこそが、過去の歴史に目をつぶることなく、その教訓を今後に生かし、過ちを二度と繰り返さないための具体的な手段だろう。

 佐藤元首相は、中国が持つならという条件付で、原爆を保有すると主張したのは、中国、あるいは米側に対する牽制であり、さらには米側との「核の傘」交渉、米がすすめるNPT条約交渉の駆け引きであろう。国民合意など原爆開発の困難を知りつつも、保有を目指すかのように振る舞い、本心は、交渉をできるだけ有利に導き、アメリカの「核の傘」に入る算段だったろう。本気で原爆開発を模索したようにはみえない。ポーズだ。そのアリバイづくりとして機密報告書を一応まとめるよう、内閣調査室に指示したのであろう。その傍証に、核開発拠点となるはずの東海村の原発関係者には、原爆開発の動きについて、番組をみた限りでは、ほとんど知らされていなかったからだ。

 それにしても、村田良平氏が亡くなって半年以上もたった今、スクープを放送したNHKの意図は何なのだろう。作成から40年以上もたっているとは言え、極秘文書についてその中身を放送することに違法性など問題がないかどうか、単に専門家によるチェックしてもらうのに時間がかかりすぎたというようなものではないように思う。

 わざわざ「スクープスペシャル」と銘打って放送したNHKの真意、意図は何か。これが分からなかった。2010.10.05

 追記

 いろいろ調べてみると、日本が当時、原爆開発に関する報告書をまとめていたことは一部知られていた。たとえば、読売新聞が、核密約連載の一連の流れの中で、上記の志垣民郎氏の証言とともに、2007年3月記事化している。このときは、ほとんど反響はなかった。

 原爆を求めた日本

とテーマを絞ったところが、今回よかったのかもしれない。番組翌日の日経新聞には、外務省が当時の事実関係について関係者にあたるなど調査するという記事が出ている(電子版)。

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