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猛暑の夏、司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む

 前月8月の終戦記念日から、

司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」、全6巻

を20数年ぶりに再読した。今年は、韓国併合100年であり、韓国併合条約調印8月22日、8月29日施行日であることから、じっくりそこに至るその背景を考えたいと、読み換えしてみた。真夏の読書はなかなかしんどかったが、スポーツジムで汗を流したあと、シャワーを浴び、冷房のきいた静かな部屋で、一人読み進んだ。

 その感想。

 タイトルの意味についてだが、どうやら、

 ロシアの満州など南下膨張政策の阻止が明治国家の正義であり、それが当時の国民の正義、つまり、実力による立身出世主義と、明治時代には一致した。国民個人ががんばることが、すなわち、国家の正義につながった。そのことを司馬さんは、

 坂の上の雲

と表現したのだろうということが全巻を読み通して分かった。

 もうひとつ分かったのは、この物語は、明治時代の日清戦争、日露戦争のことを書いているのだが、それは、

 昭和時代に入り、国民を大東亜戦争にかりたてた日本の陸軍、海軍への痛烈な告発が執筆動機である

ということだった。自分の体験も踏まえて昭和の軍部を告発することが小説の執筆動機だったと思う。司馬さんの激しい怒りが伝わってきた。

 このことは、第六巻のあとがきで

 「昭和前期の日本の滑稽すぎるほどの神秘的国家観や、あるいはそこから発想されて瀆武の行為をくりかえし、中略 結局は不幸をもたらした」

と書いていることからも分かる。

 さらに、このあとがきで

 「書き終えてみると、私などの知らなかった異種の文明世界を経めぐって長い旅をしたような、名状しがたい疲労と昂奮が心身に残った」

としていることからも分かる。悪戦苦闘の創作であり、明治と昭和のあまりにも違う文明に戸惑ったのだろう。この感想は、これ以上ないというぐらいの、司馬さんらしい昭和日本軍に対する痛烈な批判と言えるだろう。

 同じテーマを扱った吉村昭さんの

 「海の史劇」

 も読んだが、どちらかというと、ロシア側からみたものだ。こちらのほうは別に、昭和日本軍の告発という執筆動機はなかった。不思議なことに、「坂の上の雲」の完結は1972年8月、「海の史劇」は1972年12月に刊行されるなど、いずれもほとんど同時期に発表された小説だが、著者の創作意図はかなり違う。

 小生にとって、猛暑の今夏は「読書の季節」だった。これも、快適なスポーツジム通いの成果としておこう。この夏、7月には一ヶ月かけて

「竜馬がゆく」全5巻

も読んだので、満足の夏となった。2010.09.02

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