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2010年9月

坂本竜馬と土方歳三の生き方 「燃えよ剣」を読んで

 司馬遼太郎さんの

 「燃えよ剣」(文芸春秋社、上下2巻)

を読んだ。若いときに読んだものを本箱から取り出し、再読してみたのだが、新撰組副長土方歳三(ひじかたとしぞう)の生涯を描いたものだ。坂本竜馬と同じ年(天保6年=1836年)に生まれ、幕末に、30代前半に函館五稜郭から覚悟の出戦で戦死している。龍馬もまたこの2年ほど前に暗殺されている。

 上下2巻を読んだ感慨を一言で言えば、

 自分の考え方を変え、時流に乗って走り抜けた竜馬も、時流にさからう選択しかなかった歳三も、ともに、自分を信じて最後まで目いっぱい人生を生きた男だった

ということだ。

 晩年、それを静かに見守った女性もいた。

 龍馬には、おりょうが、歳三には、お雪

が、かれらの生き様を見届けた。歳三にしてみれば、

 節義を通す。世の中の風向きが変わったからといって変節しない。それが武士であり、男だ

 と言いたいだろう。

 龍馬の妻、おりょうについては、このブログでも、「波枕」という小説があり、以前、紹介した。

 「それからのお雪」

については、いまだ小説化されたものはないようだが、女たちのそれからの生き方として小説のテーマになると思った。

 司馬さんの小説の最後によると、明治十五年の青葉のころ、函館の称名寺に歳三の供養料をおさめて立ち去った小柄な婦人があったという。司馬さんは小説で「お雪であろう」としている。

 司馬さんの小説に注文をつけるのは、はなはだ読者としては気が引けるが、余韻を残すよう、この

 お雪であろう。

 で、この小説を終えてほしかった。実際の小説は、このあと2行あるが、カットしたほうが、今の私にはよほどうれしい。2010.09.26

 付記。2010.09.26

  龍馬や土方が生きた実際の幕末がどのようなものであったかについては、

 近著「攘夷の幕末史」(町田明広、講談社現代新書)

が参考になる。

 この本は、結論的に言うと、今まで分かっているようで、理解していない幕末の論争をズバズバ書いていて、面白い。定価720円の価値はある。ただし、著者の日本語の書き方が、ごちゃごちゃしている上に、論理があちこちに飛ぶなど、分かりにくいというのが欠点。

 面白い点を挙げると、幕末の論争のポイントは

 大攘夷、つまり、幕末の現状の武備では、西欧列強と戦えば必ず負けるとの認識の下に、砲撃など襲来でもないのに来航に対して即刻打ち払うなど、杓子定規で無謀な攘夷実行を否定、無二念打払令(1825年にできた国是)を弾力的に運用する。具体的な運用策としては現行の和親、通商条約をとりあえず容認する。容認で国力養成に時間を稼いで、その上で海外に進出、あるいは浸出しようという考え方(条約容認派=幕府側)

 小攘夷、つまり、勅許も得ていない現行の通商条約を即時に、しかも一方的に破棄し、それによる対外戦争も辞さないとする過激な考え方(即時条約破棄派=朝廷、長州側)

との対立であると結論づけている。

 言い換えると、幕末の政争の主たる原因は

 攘夷の実行(打ち払い)をめぐる策略、謀略である。つまり、外国船が武力でもって来襲する場合は、1825年に国是となった無二念(無条件に)打払令により、即刻打払うが、そうでもない場合は、無謀な攘夷の回避など慎重に対応するか、それとも、単に通過するだけでも砲撃を加えるかの違いだと言うのだ。

 攘夷をめぐっては、これまであまり言われてこなかった事件として、

 朝陽丸事件(1863年)

をかなり詳しく、しかも具体的に、こまごましすぎるくらいに取り上げている。要は、下関海峡をはさんでの大攘夷(幕府、小倉藩)と小攘夷(長州藩)との大激突騒ぎであり、攘夷をめぐる政争がこの事件で沸騰点に達したという。

 こうした現実の中で、ヒーロー伝説とも言える、事実ではない龍馬伝説も生まれているという。小説に書かれていることと、実際の歴史的な事実とは、当然ながら、区別しなければならないことも、この小著から分かる。

 坂本龍馬は、町田さんによると、大攘夷の立場の先駆者

であり、直接証拠や状況証拠を挙げて

 「朝鮮侵略の第一歩として、竹島(韓国領の今の鬱陵島)を狙っていたことは自明」

とまで断定的に書いている。龍馬の考え方は、国際主義、平和主義のようにとらえられているが、この指摘が正しいとすると、どうもそうでもないらしいことが分かる。

  それにしても、この本は、日本語が読みずらい。司馬遼太郎さんの文章とまでは言わないまでも、意味がもう少し取り易い達意の文章であってほしいと感じた。

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イギリス映画「月に囚われた男」 星新一さんならどんな感想を持つだろうか。

 契約期間3年、募集人員1人、ただし、勤務地は月。

 そんな設定の

「月に囚われた男」(2009年製作、出演は主演のサム・ロックウェル1人)

という、ちょっと変わったギリス映画を、浜松市の市民映画館「シネマ・イーラ」で見た。「このミッションは何か、おかしい」というのが宣伝文句。メジャーではないが、9つの国際映画賞を獲得しているのだから、低価格予算の映画としては上出来だ。いかにも新人監督、ダンカン・ジョーンズ氏らしい。「卓越したアイデア」が評価されたのか、監督賞も獲得した。

 近未来-。

 地球に必要なエネルギー源を採掘するため月にたった1人派遣させられた男、サム。会社との契約期間は3年。月での話相手は1台の人工知能をそなえたロボットのみで、地球にいる家族などへの電話など、地球との直接交信はできない。そして、契約期間が来て、地球に帰還する直前になって、サムの周辺で奇妙な出来事が次々に起こる。「なぜ、自分しかいないはずの月に、自分と同じ顔の人間がいるんだ?」とサム。

 ちょっとホラー映画のようだが、ぼんやりこの映画を見ていると、なにがなんだかよく分からない。見終わって、反芻すると、ようやくそのおどろくべき仕掛けがわかるという仕掛けである。

 そんなことから、この映画を見終わっての感想は、ショート・ショートの名手と言われた今はなき

 星新一さんなら、どんな感想を持つだろうか

というものだった。星さんには「最後の地球人」という名作があるが、この映画は

映画版ショートショート

ではないかと感じた。

 SFなどの謎解きの結末、仕掛けをしゃべるのはマナー違反かもしれないが、簡単に小生が咀嚼した結論を言うと、

 最初に月に送り込まれた契約者(初代サム)は本物の人間で、契約3年で無事、地球に帰還した。月滞在中は、家族との直接対話もテレビ電話などを通じてできた。生まれたばかりだった子どもも3歳になっていた。しかし、サムの交代要員(2代目サム)は、ほんもののサムのコピー(クローン)人間。初代サムの月滞在中のすべての記憶を話相手のロボットが保存する。そして、それを月滞在中に初代サムからつくられたコピー肉体にインプットして再生する。クローン人間の寿命は3年しか持たないので、3年ごとに、月基地にたくさん貯蔵してある初代サムのコピー人間に交代させるというわけだ。こうしておけば、地球との交信がなければ、二代目サムに初代の地球とのテレビ電話交信記録をみせても、二代目サムは違和感はない。地球にいる初代家族の映像を見て、二代目も初代同様、早く地球に帰りたいとさえ、思うだろう。初代が月に来て、3年+3年の6年間がまもなくすぎようとしているのに。

 この映画では、肉体と記憶は、コピー人間自身には気づかないが本人が体験した記憶ではなく、初代からコピーされたもの。しかし、悲しい、楽しいといった感情などの精神活動は本物としている。

 この映画では、ある事情から、サムが職場の何かがおかしいと感じて、地球の家族との直接交信しようとし、成功する。すると、これまでに見せられた家族映像(実は初代サムの家族)には、2、3歳の娘だったのに、直接交信、つまり現実では、その娘は15歳。娘は母親はずいぶん前になくなったという。父親どうしたかと娘に聞くと、今、家にいるという。「パパ」と電話口から父親(初代サム)を呼ぶ。これに月から直接通信していた二代目(実は、5代目サム)が呆然とする

 これにより、主人公は、真実を知る。自分が初代のほんもののサムの5代目コピー人間であることを。

 この映画は、用意周到に準備されなかったのか、細かいところで、さまざまに納得しがたいことが多い。しかし、着眼点としては、

 地球上の現実の情報を遮断できる月の裏側では、こうしたコピー人間を使ってただ働きさせることが原理的に可能

という点が面白い。月と地球に要員交代のための3年後との輸送宇宙船は必要ない、地球での宇宙飛行士の訓練も必要ない、しかも、寿命三年とは言え、コピー人間を期間社員として、「使い捨て」にできる。二代目以降は賃金の支払いすら、いらない(3年の寿命がきたら地球に帰還させるとして、カプセルに入れて、そのまま地球には戻さず、月で廃棄すればいい。初代の本物の人間ならともかく、初代から月でコピーされた人間は、地球にはいかなる関係者もいない)。コピーを月基地にたくさん保存しておけば、労働力不足は生じないだろう。

 この映画は、現代の大企業の「使い捨て」期間工を痛烈に批判しているとさえ、思えてくる怖い映画だ。

 この映画には、さまざまな致命的ではない欠陥があるが、クローン技術などさまざまな生命操作の時代に入りつつある今、

 考えさせる怖い名作

としておきたい。

たとえば、1度きりのかけがいのない人生とは何か

そんなことを考えさせる。それには、まわりからの情報を取り込んで、主体的に生きることだ

とこの映画は示唆しているようにも思える。

 さすが、クローン羊「ドリー」を生んだイギリスらしい映画だ。ハリウッド映画では、もう少し大掛かりに、しかも分かりやすくするだろう。しかし、その分、考えさせることの少ない作品に仕上げるだろう。小さな欠陥がかえって鑑賞者にいろいろと考えさせる不思議な作品だ。2010.09.23

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未分化の倫理とは何か。iPS細胞の未来 

  9月18日、土曜日夜のNHKスペシャル

 医療に革命が起きる iPS細胞の未来 

を拝見した。iPS細胞(人工多能性幹細胞)の発見者、山中伸弥教授を、京都大学iPS細胞研究所に訪ね、ニュースキャスターの国谷裕子さんと、ジャーナリストの立花隆さんがインタビューした番組である。

 素人のお二人が、どんなインタビューをするのか、注目していたが、iPS細胞そのものの理解が十分でないこともあり、さすがのお二人も何を質問していいのか、ポイントがつかめず、おろおろの番組になったというのが、小生の感想だ。NHKでもこのことを予想し、松本零士さんの漫画、イラストをさしはさんで、いろいろ分かりやすくしようと工夫はしていたが、その努力は評価に値する。が、それがかえって番組を理解しにくくしていた。努力は失敗に終わったというのが、私の印象だ。

 番組を見終わって、生命操作が今後急速に進み、医療に革命が起きるような気がしたことは確かだ。その上で、言うのだが、60歳をすぎた小生としては、

 難しいことはよく分からないが、ともかく、そんな時代に生きなくてよかった。自然な死に方をしたい。

という正直な感想をいだいた。多くの視聴者もそうだったろう。

 あえて、iPS細胞とは、どうやら

 分化万能性を持つ胚性肝細胞(ES細胞)と同様の機能を備え、かつ、

 細胞分裂しても依然安定して自己複製能力を維持している細胞のことで、個体のどの部分の分化した体細胞に対しても、「山中ファクター」という4遺伝子を導入することで作成できる

というものらしい。旧来のES細胞とは、受精卵を元にしなくていい、増殖しても安定した自己複製能力が維持される-という特長の違いがある。もはや受精卵やそれに付随した材料を利用しなくてもよくなり、その臨床応用が生命倫理に抵触することがこれまでより少ないという利点もあるらしい。

 ただ、番組では、まったく触れられていなかったが、この倫理問題について、政府として今どういう取り組みをしているか、言及がなかったのは残念だ。せめて、今、こうなっていると一言ポイントを提示してくれたら、視聴者は今何が問題か、少なくとも少しは理解できたのではないか。考える糸口がつかめたであろう。それがないものだから、番組を見た人は、ただ、

 なんだか難しくて、よく分からないが、いやな時代になった

と嫌悪感を抱いた人が、そこに光明を見出したというよりも、多かったのではないか。当の山中教授も基礎研究競争に忙しく、この点について深く考察する時間がないせいか、番組でも当事者らしい見識、基本方針を提示できなかったのは残念。むしろ当事者自身が戸惑っている様子で、かえって視聴者を不安にしたような印象であった。番組開始前に、インタビュアーと山中教授とがこの点に絞り討論し、番組で言うべき最低限の明確な結論を得た上で、番組の収録をしてほしかった。

 厳しい言い方かもしれないが、視聴者を宙ぶらりんにして、そして、インタビュアーも話は聞いたもののよく分からず宙ぶらりんな気持ちのままで、番組で何が言いたいのか、そのメッセージが不明など、いわば尻切れトンボの番組だったことは否めない。

 政府の生命倫理に対する基本的な見解のまとめやそれに基づく指針づくりなどの政策を担当しているのは、内閣府の総合科学技術会議。その中の生命倫理専門調査会が専門家を集めて衆知を集めている。

 iPS細胞の発見から4年たつが、専門調査会は2009年2月に

 生命倫理上の新しい課題について

討議している。iPS細胞の倫理問題について「問題がありえるならば(専門調査会で)討論すべき」との意見が出ている。これを受ける形で、2010年1月、専門調査会は

 iPS細胞研究の社会的・倫理的課題への取り組み-国際動向について

をまとめている。現在、これを受けて、人間への応用研究についての指針づくりが検討されている。日本では、胚の作成禁止など「ヒトES細胞使用指針」はあるが、iPS細胞については、ES細胞に比べて、何が社会的、倫理的に問題なのか、法律家を含めた専門家でも、見極めるがむずかしいのが現状なのだ。発見されてまだ間がなく、研究動向が流動的であり、その行き着く先の方向性すら見極めにくいからだ。

 最後に、この番組を見て、根本的な意味での感想を言うと、

 生命とは何か

ということがますます分からなくなったということだった。変な言い方だが、

 たかだか100年、1000年しか生きられない生き物のために、その設計図DNAがあるのではなく、その逆、つまり、何十億年と〝生き〟続けるDNAのために、生き物が盛者必衰の理のごとく、その入れ物として入れ替わり立ち代り、登場し存在しているにすぎない。永遠に生き残るのは、分化した体細胞からなる生物個体ではなく、DNAを内部に持つiPSなのだ。そのiPS細胞すら、DNAの永久保存箱にすぎない。

そんな気さえしてくる。

 もっと飛躍させれば、

 DNAを永遠に生きさせているのは〝誰か〟ということに行き着く。はて誰だろう。

 敬老の日にこんなことを妄想した。2010.09.20

追記 2010.10.05

10月上旬は、ノーベル賞ウイークと言われていて、10月4日、月曜日、6賞のトップを切って2010年のノーベル医学・生理学賞に

 世界で初めて体外受精を成功させたイギリスの生理学者、ロバート・エドワード博士

に与えられると、ノーベル賞委員会が発表した。博士は現在、85年で成功は、32年前の1978年。第一号となった、ルイーズちゃんは、少し太ってはいるものの、立派に成人し、今年32歳の女性として成人している。その映像を見て、試験管ベビーの成功当時、世界的に倫理的に問題があるのでは、とセンセーションを巻き起こしたが、それも歳月が解決し、今までに世界で約400万人が体外受精が成功し、各国で体外受精が浸透しているのは感慨深い。

 ということで、日本で注目されていた

 iPS細胞作成に成功した山中伸弥京都大教授

は「落選」した。しかし、いずれは、受賞するであろう。たぶん、実用化に目途が立つ10年以内には確実、早ければ基礎研究がほぼ確立する5年以内だろう。

  追記 2010.10.14

  「日経サイエンス」2010年11月号によると、

 幹細胞 未分化の倫理

と言う問題については、iPS細胞にも、受精卵を基にする胚性肝細胞(ES細胞)と似たような問題が、いや、より深刻な倫理問題があると指摘されている。

 iPS細胞(人工多機能幹細胞)とは、胚性幹細胞(ES細胞)に対し、体細胞性肝細胞

という言い方ができるからだ。皮膚からiPS細胞をつくり、そこから、生殖細胞、卵子、精子を作り出すことができるのだ。マウスではこれらを使って受精卵をつくり、子どもが生ませるところまで研究が進んでいるという。

 こうなると、

 iPS細胞は、卵子、精子などの生殖細胞や、それらからつくられる受精卵にかかわらないから、その応用には倫理問題は生じない

という言い方はできなくなる。

 こうしたことから、2010年6月の国際幹細胞研究学会でも生命倫理学者が盛んにiPS細胞研究・応用にかかわる規制の国際基準づくりが話し合われたという。その前提として喫緊の課題はiPS細胞の管理基準を定めることであろう。

 未分化の倫理に注目し、その在り方をしっかり見極めたい。

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記憶力のいいことは幸せか 

 テレビ静岡(フジテレビ系列)の番組「ベストハウス123天才脳シリーズ」に脳科学者の茂木健一郎さんが、久しぶりに出ていた。相変わらずの〝活躍〟に感心した。

 トランプ52枚をランダムにシャッフルして、あるシャッフル後、それを、記憶の天才と称する被検者に1分程度見せて、その後、茂木さんが、再び、シャッフル。そのトランプを見せた元とおりに52枚を並べ変えてもらうという趣向である。

 この実験は、単に数字を元とおりに並べ替えるよりもはるかに難しい。ダイヤ、スペード。ハート、クローバなどのカード種類と、そこに書かれている数字をセットで記憶しないと、元通りには復元できないからである。

 記憶力世界チャンピョンという被検者のベンさんという50代の男性は、見事、数分で、完全に正しく、元通りに並べ替えていた。確かに驚異だ。

 記憶方法は、数字などを絵にしてイメージをつくり、物語をつくり記憶するというのがコツだそうだ。

 ベンさんは、今、1セット52枚のトランプではなく、36セットのトランプで世界記録に挑戦しているのだという。全部で1872枚だから、もうこれは人間業ではない。

 番組では、もう一人、なんでも記憶してしまうリック・バロンさんという中年男性アメリカ人も登場した。この人は、物語にして数字を思い出すのではなく、出来事の起こった日時と曜日を瞬時に、何の努力もしないのに思い出せるというのだ。

 起こった出来事の日付記憶人

というのだ。これは、出産時に起こった、ある種の脳の病気

によるものだろう。超記憶力症候群というステキな名称を番組では使っていたが、いわゆる「サバン症候群」という病気だろう。

 しかし、〝病気〟とはいえ、人間の脳には、まだまだ知られざる能力が眠っていることをうかがわせる。脳障害はたいていその人に悪影響を与えるが、人間の脳の新しい機能がまだまだあり、この3次元世界や宇宙についての認識を今とは根本的に異なるものにしてしまう可能性がある。

 そんなことを考えさせる貴重な本に

 「脳のなかの幽霊」(角川書店、ラマチャンドラン著)

という世界的な名著がある。小生の終生の出会いの本であり、

 人間とは何か

 宇宙とは何か

ということを人間の脳の認識機能から深く、哲学的に示唆してくれる著作だ。何度読み返してもそのたびに信じられないくらい脳の不思議を思い知らされる

 ところで、サバン症候群の若者が書いた不思議な、不思議な本当の話

 「ぼくには数字が風景に見える」(講談社、ダニエル・タメット)

もびっくり仰天の本だ。

 最後に、記憶力がいいことは、一般にはいいことだ、幸せなことだと信じられている。しかし、果たしてそうか。記憶がたかだか8時間しかもたない数学者を主人公にした

『博士の愛した数式』(小川洋子、新潮社)

はいかにも、芥川賞作家らしい視点と筆力でさわやかに私たちに、そのことを考えさせてくれる。

 本の紹介は、これくらいにするが、茂木さん出演の仰々しく騒がしい番組にはこうした考察がないのは仕方がないとしても、脳科学者の茂木さんに

 深い哲学的な考察

を踏まえて、脳機能の不思議さをほんの少しでも視聴者に訴えていたら、ただの「驚き番組」に堕しなかったであろうと惜しまれる。脳の記憶部分の「海馬」ばかり説明しているようでは、三流科学者になってしまう。世界的な科学者らしい一言がほしかった。所詮、この人は-いや、愚痴になるからやめておこう。2010.09.18

 

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「21世紀のライト兄弟」スイスに誕生 太陽光発電のみで永久飛行

 9月17日夜の民放テレビ「報道ステーション」を見ていたら

 太陽光発電のみで昼夜24時間飛行に成功、スイスの技術者 寄付金118億円で開発 

 2013年には、世界一周飛行に挑戦 永久飛行に挑戦

というニュース映像を流していた。

 このニュースを見た感想を一言で言えば

 21世紀のライト兄弟の誕生

というものだった。それが、飛行機を発明したアメリカではなく、環境にやかましいヨーロッパの地であったことは意義が大きい。しかも、ヨーロッパの僻地(?)、小さなスイスだというのもうれしい。また大企業によるものではなく、環境に関心を持つ多くの人たちによる寄付金でこの10年間で開発したというのは偉業だろう。

 成功のポイントは、67メートルの巨大一枚翼に貼り付けたソーラーパネルの発電効率の向上と、機体の耐久性の技術革新だったという。太陽光は化石燃料に比べて、エネルギー密度がかなり小さいのがここでも壁になっているが、4枚プロペラの巨大グライダーは

 ソーラーインパルス

と名づけられていた。操縦者は1人。夜間飛行は、昼の飛行中の余剰太陽光エネルギーをバッテリーに溜め込み、これを動力として使う仕組み。

 この脱化石燃料飛行に挑むソーラーインパルスは、見事、ある晴れた日の日の出から翌日の日の出まで、雨風も少ない高度8500メートル(雨風のない安定した成層圏に近い対流圏。プロペラ機なので空気のない成層圏は飛べない)を、ほぼ予定通り飛行した。このときの映像は、感動的なものだった。

 ツァラストラはかく語りき

の音楽を流したいような衝動を覚えた。

 これで、機体の耐久性さえさらに向上すれば、燃料の心配もなく、燃料の補給のいらない永久飛行の道がぐんと近くなったと言えそうだ。

 問題は、ハイブリッドにしなくて、どの程度、実用化できるか、である。オーストラリアでは世界的な大陸横断ソーラーカーラリーが盛況だが、ガソリン車、ハイブリッド車と比べてそれほど遜色ないというほどまでの実用化にはまだ遠い。

 ところで、自転車製造業者のライト兄弟が人類最初の動力飛行(プロペラ発動機付き複葉機)に成功したのは、1903年。当時は、飛行機の可能性はそれほど認識されていなかった。

 こうしたことを考えると、ソーラー飛行機、ソーラーカーの実用化は、今はいろいろ問題があり、それを乗り越えるのが困難と考えられているが、やがて22世紀、いや今世紀半ばには、今の飛行機に代わる輸送手段となっているかもしれない。すくなくとも、ほかの燃料と組み合わせたハイブリッド飛行機はもう目の前であろう。

 まさか、とは思うが、完全な脱化石燃料の時代へ、期待を抱かせたニュースだった。2010.09.18

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宇宙の運命 ちんぷんかんぷんの暗黒物質って何? 反重力物質を探せ

 このところ、NHKは

暗黒物質とか、宇宙の未来を決める暗黒エネルギー

についての番組を相次いで登場させている。9月10日の教育テレビ「サイエンスZero」と9月13日の「クローズアップ現代」であるが、さすが科学番組のZeroでは、この問題に直接かかわっている杉山直名大教授を出演させているなど、比較的に分かりやすかった。

 宇宙の膨張速度が一定ではなく、遠くの銀河ほどその速度は大きくなっているという。つまり、宇宙膨張は加速度がついていることが10年ぐらい前に発見され、その後も追試で確認されていることが紹介されていた。このようなことは、重力が支配する通常の物理現象ではありえないはずだ。重力のみが作用する世界では、宇宙の始まりから時間がたてばたつほど、銀河速度は小さくなる、つまり、減速するか、むしろ膨張から縮小する、つまり、重力に引き戻されるからだ。最初の爆発(ビッグバン)が大きくて、振り切って宇宙が膨張しつづけるにしても、重力により、その膨張速度はだんだん小さくなるはずである。

 ところが、現実の宇宙では、遠くの銀河団ほど、加速しているというのだから。不思議だ。互いに離れていればいるほど、互いに及ぼす力の大きさが、重力とは逆に、大きくなるという力が存在するということを想定させる観測結果である。反重力の存在である。この力はわれわれの銀河系程度では、ほとんど計測にかからないくらい小さく、したがって、重力のみ勘案すればいいというわけだ。

 いまはまだ未知だが、その反重力に対応する粒子(物質)を

 ダークマター(これまで感知できなかった物質)とか、ダークエネルギー

と呼んでいるらしい。しかも、この物質はこれまで私たちが捕らえてきた「見える物質」よりもはるかに多いというのだから、驚く。

 クローズアップ現代の番組によると、神岡の地下観測所ではそれをとらえる実験も始まっているらしい。

  さて、クローズアップ現代だが、キャスターの国谷裕子さんも、ゲストのジャーナリストの立花隆さんも、互いによく知らない話題を取り上げたせいで、ちんぷんかんぷんのやり取りをしていたのが印象的だった。立花さんは宇宙にも詳しいが、さすがに出演を引き受けたものの、しどろもどろの返答しかできなかったように受け取った。無理もない。

 これに対し、サイエンスZeroでは、この分野の専門家、杉山直さんが出演していたから、こんなしどろもどろではなかったが、果たしてどの程度、視聴者に理解されたかどうか疑問だ。

 両番組ともに

 1000億年先の、こんな宇宙の未来を知って何になるのですか

という質問が出なかったのは幸いだった。そんな質問をするのがはばかれるような現実離れした宇宙像研究だったからだろう。

  小生、きょう9月14日で満62歳になった。宇宙の年齢(約137億年)に比べれば、約2億分の一だ。

  追記 

 夏バテ防止というわけでもないが、このところ、徳川家康一代記ともいうべき

 「覇王の家」(全2巻、新潮社、司馬遼太郎著)

を読んでいたが、読み終えた。感想を一言で言えば、家康も遺訓として書き残しているように

 人の一生とは重荷を背負うて遠き道をゆくがごとし

ということっだった。「だから、急ぐべからず」ということなのだろう。苦労人、家康らしい箴言だ。2010.09.14

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櫻井よしこ氏講演のあとさき 米国防総省年次報告の衝撃

 櫻井よしこさんの気骨の講演(静岡県湖西市)については、先日、このブログで紹介したが、その内容は中国の海軍力が拡大している。しかも、長期計画にのっとって戦略的に着々と実現している。だから、日本はのんきにしている場合ではない。有権者は、自らの生活に汲々としている場合ではない。政治家に働きかけて、日本の国益がそこなわれないように、政治家に物を申すときである、と言うものであった。

 そのことを裏付けるような米国防総省年次報告書の内容が8月17日付静岡新聞夕刊に具体的に報道されている。

 中国、海洋作戦能力拡大へ 年内にも国産空母建造に着手

 櫻井さんも指摘していたが、報告書は

 「中国軍がインド洋や、伊豆諸島(東京都)やその南の小笠原諸島、マリアナ諸島、パプアニューギニアをつなぐ「第2列島線」を越える西太平洋までも行動範囲にしようとしている可能性」

と指摘している。さらに、

 「中国が最南部の海南島に建設している弾道ミサイル搭載可能な原子力潜水艦の新基地について「重要な部分は完成した」と分析している。地下施設もあり、紛争地域である南シナ海に潜水艦がひそかに出航できる」という。「中国軍の能力は東アジアの軍事的均衡を変える主たる要因」と強調しているのだから、衝撃的である。中国軍は中距離の対艦弾道ミサイルを開発中であり、(完成し、配備されれば)西太平洋の空母を含む艦船を攻撃する能力を持つことになるとも指摘。中国が今後海洋権益を求めて、東シナ海などに押し出してくるのは時間の問題だろう。

 こうなると、最近、またトラブルの起きている尖閣列島の領有権だけの問題ではない。

 21世紀版「坂の上の雲」

になるのではないか。かつての日露戦争の相手だった南下膨張政策のロシアが中国に変わり、現代の脅威になりつつある。

 それにしても、こうした情報、報告書が日本の防衛省からはほとんど危機感をもって国民に伝えられないのはなぜだろう。平和ボケではすまない事態だ。 

 こう考えると、今は、朝鮮半島有事とともに、

 台湾を含めた東アジアの有事

に対し、中国を包囲するべく協力関係を築くなど備えを急ぐときではないか。それにしても、集団的自衛権を日本は持っているけれども、憲法の制約上、行使できないというなんとも奇妙な政府見解を、改憲も視野に入れて早く解消することが喫緊の課題ではないか。

 今、民主党の代表を選ぶ選挙運動が終盤にさしかかっている。菅直人氏も小沢一郎氏も、中国の軍事的な脅威をどう取り除くのか、早急に戦略を練る必要があろう。

 重陽の節句とばかり、太平楽を並べているときではない。2010.09.09

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それからの、おりょう  NHK「竜馬伝」 寺田屋騒動、竜馬襲撃

 NHK「竜馬伝」は、9月5日日曜日が寺田屋騒動、9月12日が「竜馬の妻」と大きな山場にかかっている。とりわけ、おりょうにとっては、最大の見せ場であろう。テンポよくドラマが進行するのも、小気味よい。おりょう役の真木よう子さんの演技もイメージも、たとえば司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」にぴったりで好感が持てる。おりょうにとって、歴史の転換点で、その人生でもっとも激しく、愛と激情と幸せに生きたときであったろう。

 テレビを見ている女性なら、どの世代でもほとんどすべての人が、こんな男性と一生ともにしたら、なんと幸せなことであろう

とため息が出るだろう。男の小生にも、その気持ちがよく分かる。竜馬に愛された女の幸せは、男にも分かる。男だって、そんな恋がしてみたいと思うからだ。

 だが、しかし、竜馬が暗殺されたあとの、明治時代に入ってからのいわゆる「それからのおりょう」は、凄惨な人生を送ることになる。

竜馬と3年、残りの人生30年をどう生きたか

 作家の鳥越碧(みどり)さんが

 近著「波枕 おりょう秘抄」(講談社)

に、おりょうの内面の葛藤を女性らしいこまやかな視点で浮き彫りにしている。

 これを読むと、「竜馬は竜馬。自分は自分」と割り切って、自分の人生を精一杯生きることのできなかった女性の晩年のすさまじさが伝わってくる。「竜馬の妻」という重荷が、それからのおりょうを翻弄し、押しつぶしてしまっていたのだ。あわれとしかいいようのない人生だったように思う。実際にも、最晩年は、女性にもかかわらず、大酒のみになり、ついにアルコール中毒患者となり、手足がふるえながら、人生をとじている。

 それでもなお、長い人生のほんの一時期でも、燃えるような恋に出会えたというのは、おりょうにとっては、幸せなことだったろう。

 なぜなら、この小説の最後、あるいは巌流島の夜桜見物のシーンで、竜馬とおりょうのふたりだけの会話。

一人一人が、あれこれ思い煩わさんと、己の生を精いっぱい楽しんだらええと思うぜよ

と竜馬が言って、おりょうがうなづく。

 小説の最後にも、竜馬が、おりょうの夢枕に登場

「おりょうも、これからはもう前を向いて歩けるやろ」

「自分の人生を精いっぱい大切に生きてこそ、人間じゃき」

「精いっぱい大切に」

と問い返す、おりょうに、竜馬は

「そうじゃ、人を好きになるのは、なによりその証やろうが」

として、おりょうが、30年以上連れ添った再婚相手、心優しき行商人、西村松兵衛をようやく好きになったことを、夢枕に立っている竜馬に打ち明けたとき、それを竜馬は喜んでいる。おりょうの生き方が、「竜馬の妻」から解放されてまもなく、その人生をとじている。逆に言えば、それほど「竜馬の妻」は重荷だったと言えよう。

 時代の変革者の妻というものの、その後の生き方の難しさを、心のひだに触れるように細やかに教えてくれた小説であったと思う。

 そんな思いで、来週12日日曜日の「竜馬伝 竜馬の妻」を見てみたい。2010.09.06

 

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ジャーナリスト、櫻井よしこさんの平成版「坂の上の雲」 今こそ国益を考えよう

 硬派のジャーナリストで元ニュースキャスターの櫻井よしこさんの講演会に出かけた。会場は、静岡県湖西市の会場(旧新居町民センター)だったが、いかにも硬派のジャーナリストらしい

 気骨ある講演会

だった。「世界の中の日本 今私たちができることは何か」というのが、タイトル。一言でこの講演内容をまとめれば、

 日本を取り巻く国際環境、とくに中国の制海権をめぐる動きは大きな脅威となっており、今こそ私たちは自分の生活のことばかりを考えるのではなく、日本全体にかかわる国益を考えるべきである。政府が何をしてくれるかではなく、国民が政府に対して何ができるのかを考える時である

と訴えていた。

 これは、最近、このブログで書いた「坂の上の雲」のように、かつてのロシアに対して、今は、中国の脅威、東に制海権を広げ、近い将来には西、つまりインド洋にも制海権を求めようとしている実態を紹介していた。

 この話を聞いていて、明治国家が日清戦争、日露戦争で、南下膨張政策の阻止に国家の存亡をかけて阻止しようとした国際情勢と今はよく似ていると感じた。中国の日本列島を含めた「第一列島線」を確保する動きに日本は安閑としていていいのか、桜井さんの焦燥感が伝わってくる講演会だった。

 要するに、櫻井さんは、

 平成版「坂の上の雲」

を話していたのだと思う。ロシアの南下膨張政策の阻止が明治国家の正義であったように、平成の日本にとって中国の東方制海権の確保政策、つまり、第一列島線政策の阻止が日本国家の存亡であるというわけだ。

 それには、今、私たちができることは、もっと「公」のことを考えるべきであり、有権者は国益を考えて政治家に物を言うことである。たとえば、憲法改正をすること、集団的自衛権の行使ができるようにすること、中国に迎合すべきではない、中国の立場に立つべきではないことなどを櫻井さんは話していた。

 一言で言えば、日本人はもっと戦略力をもとう

と言うことであろう。ちまちました生活が第一の感覚はもうやめようと言うことでもあろう。

 いかにも、3年前に

 国家基本問題研究所

を設立し、今、理事長として活躍している櫻井さんらしい骨太の講演だった。日米安保改定50年の今年、ひさしぶりに講演らしい講演を聴いた。2010.09.05

 

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猛暑の夏、司馬遼太郎「坂の上の雲」を読む

 前月8月の終戦記念日から、

司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」、全6巻

を20数年ぶりに再読した。今年は、韓国併合100年であり、韓国併合条約調印8月22日、8月29日施行日であることから、じっくりそこに至るその背景を考えたいと、読み換えしてみた。真夏の読書はなかなかしんどかったが、スポーツジムで汗を流したあと、シャワーを浴び、冷房のきいた静かな部屋で、一人読み進んだ。

 その感想。

 タイトルの意味についてだが、どうやら、

 ロシアの満州など南下膨張政策の阻止が明治国家の正義であり、それが当時の国民の正義、つまり、実力による立身出世主義と、明治時代には一致した。国民個人ががんばることが、すなわち、国家の正義につながった。そのことを司馬さんは、

 坂の上の雲

と表現したのだろうということが全巻を読み通して分かった。

 もうひとつ分かったのは、この物語は、明治時代の日清戦争、日露戦争のことを書いているのだが、それは、

 昭和時代に入り、国民を大東亜戦争にかりたてた日本の陸軍、海軍への痛烈な告発が執筆動機である

ということだった。自分の体験も踏まえて昭和の軍部を告発することが小説の執筆動機だったと思う。司馬さんの激しい怒りが伝わってきた。

 このことは、第六巻のあとがきで

 「昭和前期の日本の滑稽すぎるほどの神秘的国家観や、あるいはそこから発想されて瀆武の行為をくりかえし、中略 結局は不幸をもたらした」

と書いていることからも分かる。

 さらに、このあとがきで

 「書き終えてみると、私などの知らなかった異種の文明世界を経めぐって長い旅をしたような、名状しがたい疲労と昂奮が心身に残った」

としていることからも分かる。悪戦苦闘の創作であり、明治と昭和のあまりにも違う文明に戸惑ったのだろう。この感想は、これ以上ないというぐらいの、司馬さんらしい昭和日本軍に対する痛烈な批判と言えるだろう。

 同じテーマを扱った吉村昭さんの

 「海の史劇」

 も読んだが、どちらかというと、ロシア側からみたものだ。こちらのほうは別に、昭和日本軍の告発という執筆動機はなかった。不思議なことに、「坂の上の雲」の完結は1972年8月、「海の史劇」は1972年12月に刊行されるなど、いずれもほとんど同時期に発表された小説だが、著者の創作意図はかなり違う。

 小生にとって、猛暑の今夏は「読書の季節」だった。これも、快適なスポーツジム通いの成果としておこう。この夏、7月には一ヶ月かけて

「竜馬がゆく」全5巻

も読んだので、満足の夏となった。2010.09.02

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