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2010年7月

科学を分かりやすくするために 横山広美さんの「視点・論点」

 これほど若く、美しい女性が科学コミュニケーターをしているのは、理系の人間としてはうれしい。しかも、東大准教授。広報担当だが、しかし、素粒子物理学にも詳しい「サイエンス・ライター」だった。しかも、いいところのお嬢さんらしい。いや、だったらしいかもしれない。28日のNHK教育テレビ、夜11時近くの

 「視点・論点」で横山広美さんの

 科学の説明 義務化

という論説を聞いた。まず、このタイトルそのものが分かりづらい。何を言いたいのか、パッと一目で分からなかった。よくよく聞いてみると、

 国の予算を3000万円以上獲得した研究者は今後、その研究をふくめて科学について一般の人にわかりやすく説明する、学校へ出前授業をすることが、研究費を受け取る条件として義務付けられたという最近の動きを取り上げたかったらしい。

 そんなことはけしからん。研究者にそんな雑用を押し付けてはただでさえ少なくなっている研究時間を無駄にしてしまうし、また、義務で仕方なく出前授業をしても、その成果は、その場限りで、科学に対する国民の支持にはつながらない

と言いたいらしいが、そうでもない。一定の理解は示しているようだった。

 また、科学は、分かりやすい(暮らしに欠かせない)

 医療や環境

に限らず、もっとほかにもあるが、これらは

 分かりにくい

という点で、メディアは敬遠しがちだということにも苦言を呈していた。

 なぜ、科学は分かりにくいか。それは、問題意識や、成果の説明には何段階もの説明ステップが必要であり、それをいちいち、研究者自身が説明しきれず、省略してしまうことにあると話していた。つまり、因果関係を丁寧に説明するのがむずかしいのである。

 それはその通りである。科学がなかなか感動にはつながらないことにも言及していた。その例外が、小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡的な地球帰還という快挙だとも話していた。

 そんなこんなで、彼女はいろいろなことをこのわずか10分で説明したいがため、論理はともかく、聞いている視聴者には

 何を言いたいのか、わからない。タイトルからも言いたいことが分からない

という印象を受けた。見終わって、少し考えたが、

 科学がもともと持っている分かりにくさ、パッと感動することのなさを解決するには、今こそ、科学者と社会を仲介する

 しっかりした科学コミュニケーターの養成と普及

が必要だ

ということだったように思う。

 久しぶりに拝見した横山さんの使命感は伝わってきたが、どうも、スパッと言いたいことが伝わってこなかった。あれほどの美人ではなかったら、途中でチャンネルを切り換えたかもしれない。

 タイトルは、

科学コミュニケーターの養成

とでもすれば、まだ、いいたいことが伝わったように思う。2010.07.29

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55回目の訪朝 運命の人、寺越友枝さんの執念とあきらめ

 27日朝、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんも出演する

 スーパーモーニング(朝日放送系列)

を見ていたから、北朝鮮に拉致、いや助けられたと騒がれた寺越武志さんの母親

 寺越友枝(79)

さんが55回目の訪朝で映した最新のピョンヤンの様子がビデオ公開されていた。いかにも、来日したキムヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚の扱いに対する北朝鮮側の政治的な宣伝のにおいのする映像だが、貴重な最新情報(7月7日から7月13日のピョンヤン市内の様子)である。

 武志さんの生存が突然の手紙により、確認されたのは、1987年。それ以来、55回も訪朝しているのもすごいし、これには政治的な意味合い、つまり、北朝鮮側の思惑が強い。

 武志さんと母、友枝さんがともに移っている映像が紹介されているが、

 友枝「(武志が日本に帰国できないのは)運命であり、仕方がない」

というような話をしていた。すでに武志さんには孫もできたし、北朝鮮での地位も高く、生活の根も生えているからだろう。拉致被害の問題がこれだけ日朝で棘のようになっている現状では武志さんの帰国はもはや個人的な問題を離れて、政治そのものになってしまった。番組からは、

 母子ともに運命の人

という印象を持った。母親も番組で似たような発言をしていた。

 日韓の政治に翻弄された

と言っていい母子の心中はいかばかりであろうか。

 15年ほど前に、小生、1度、金沢市内で友枝さんに会って話を聞いているが、今回出演していた友枝さんは当時とあまり変わらぬ元気さを示していたのには驚いた。2010.07.27

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恋の悩みに返事の来る世界文化遺産、イタリア・ベローナ市街

 先日の土曜日午前、何気なくNHK番組「世界遺産への招待」を見ていたら、

 イタリアのベローナ市は「愛の街」

というのをやっていた。シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台になったところだからだろうとそれほど興味もなく、見ていた。

 ところが、途中で、なんと、今でも

 親愛なるジュリエット様

とした恋の悩みを打ち明け、ジュリエットに相談の手紙が、世界各国の若き女性から年間5000通も届くのだそうだ。そして、驚いたことに、その返事が差し出した女性に届くと言うのだから、びっくりした。ベローナ市の援助で、ボランティア女性が返事を書いている様子が放送されていた。人生相談であり、これはなかなか大変な仕事だ。だからだろうか、ボランティアも複数人で、相談して、その結果をまとめて、返事を出しているらしい。それにしても、

 世界各国の女性からの恋の悩みに返事を出す世界文化遺産

というのは、いかにも「アモーレ」の国らしい。

 と思ったが、単なる文化遺産ではなく、今に生きる人々に勇気を与える世界遺産にしているところが、気に入った。

 日本でも、金沢市街、富士山などを世界文化遺産に登録しようという運動があり、関係者は躍起になっている。登録されるには、文化庁によると、たとえば、

 ある期間を通じて、またはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの

といったような厳しい普遍的な価値を実証する必要がある。

 ベローナもそうした条件をクリアしたものだが、それにしても、そのあと、こうしたボランティア活動を支援して、文化遺産を人の心の悩みを受け止める活動につなげているのには感心した。単に観光資源として利用するだけでなく、

 悩める現代の「ロミオとジュリエット」

に少しでも勇気を与えようとしている行政の姿はすごい。東北の平泉にしろ、紀伊半島の熊野古道にしろ、古都京都の文化財にしろ、たんなる観光資源に堕していないか、と反省させられた。

 世界文化遺産を単に観光資源という金儲けの手段にしない工夫

を日本でももっとすべきであろう。これこそが基準に言う

「人類の価値の重要な交流」

といえるのではないか。

 もっと露骨に言えば

 世界文化遺産、世界自然遺産は単なる「美しい不動産」ではないのだ。2010.07.26

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サッカー、本田圭佑「夢をあきらめない」  月刊北國「アクタス」が特集

 毎月送られてくる

 月刊北國「アクタス」2010年8月号

に「W杯躍進の立役者 本田圭佑 世界を沸かす」

という巻頭特集を組んでいる。この雑誌は、本田の母校、星稜高校のある金沢市で発行されており、その縁で、W杯帰国後に訪れた星稜高校でのメッセージが詳しく紹介されているのだが、在校生に向って

 「一番伝えたいのは、(夢を)あきらめないでほしいということ。 - 成功しなくても、目指すことに意義がある」

と呼びかけている。本田選手は大阪府摂津市出身。小学生時代の本田選手の「将来の夢」は

 大人になったら、世界一のサッカー選手になりたい

ということだった。卒業文集には、一年間の給料はいくらで、どのチームに入るかなど、その道のりを極めて具体的に語っている。その夢を今も追いかけていると在校生に語りかけたのだ。

 この特集によると、

本田選手は強い選手ではあるが、決して才能豊かな選手などではなく、「たぐいまれな努力型」(星稜高校サッカー部  河崎護監督)

という。努力できるという才能が他の人より優れていたという。

 これと似た選手が、やはり同じ星稜高校出身の松井秀喜大リーガーである。本田選手よりひとまわり年長の今年6月で36歳。松井も

 「夢」

を語り、

 それに向って努力できる才能の持ち主

であった。

 夢を持ち、努力する、努力できる

これが世界に通用する選手の土台として必要な条件なのだろう。しかし、それだけでは、なかなか一流選手にはなれないだろうが、あえて言えば、この土台の上にチャンスに強い、ここぞというときの決定力という強い精神力が一流になるには必要なのだろう。それを本田選手が今後これをどう身につけてくるか。

  4年後のW杯ブラジル大会が楽しみだ。 2010.07.21

 このアクタス号には、

 ゴジラ番記者日記「松井といく」 36歳の夏

という記事も掲載されている(北國新聞社ロサンゼルス支局 杉山圭一郎)。

強豪ヤンキースに7年間在籍し、今期、エンゼルスに移籍してきた松井の近況報告記事である。しかし、折り返し点の

 「現在の成績(打率2割5分6厘、10本塁打)でシーズン中の契約をとりつけるのは難しい」

状況のようだ。とりわけ、打率の低さが期待を裏切っているらしい。

 「現段階で残留ムードを感じることはない」(地元記者)

  どこかを探して、移籍の可能性があるのだ。サッカーにしろ、野球にしろ、世界で活躍するのは並大抵ではない。そんなことを感じさせてくれた杉山記者の報告だった。

 世界は厳しいのだ。

  そんな世界で生き続けるには、強い精神力の元となる

 「夢をあきらめない」

という努力が必要なのだろう。

 それができるのが、青春と思いがちだが、人生の後半戦は入ったわれわれ中高年にもこのことは、言えることではないか。

 中高年も、若き日にやりたい、なりたいと思った

 「夢をあきらめない」

 そんなことを、本田選手や松井選手は、この夏、気づかせてくれたように思う。2010.07.26

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二重被爆者の証言  「キノコ雲に追われて」 

 20日付静岡新聞朝刊を見ていたら、このブログでも紹介した

 故山口疆(つとむ)

さんなど、広島、長崎の原爆両方に被曝した9人を、米ジャーナリストが50年以上も前に取材してまとめた本の日本語訳が、まもなく出版されると出ている。「キノコ雲に追われて 二重被曝者9人の証言」(あすなろ書房)である。原著者は、ニューヨーク・タイムズ東京支局長だったロバート・トランブル氏。

 こんな原著があったとは、小生知らなかった。恥じるばかりだ。今年もまた、暑い8月がまもなくやってくる。一読も二読もしたい本だ。

 1365円。あすなろ書房=03-3203-3350. 2010.07.20

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コレって本当なの ? NHK恐竜絶滅 ! ほ乳類の戦い ダーウィンもびっくりでは

 19日夜のNHK番組「恐竜絶滅 ! (その後の)ほ乳類の戦い」というのを見て、いわゆる弱肉強食の進化論に基づいて語られていたのにはびっくりした。正直な感想は

 「ホンマかいな」

というものだった。地球に隕石衝突が6500万年前に起こり、それまで地球を支配していた恐竜が絶滅、その衝突でも水の中に生きたワニは生き残り、繁栄していった。しかし、水にあまりに特化した進化により、陸上では変化に対して適応できなかった。これに対し、特殊化していなかったネズミのようなほ乳類、番組では「キモレステス」が陸上の環境に柔軟に適応し、反映していったというのが番組の大筋。

 しかし、その進化は、牙などがある強いものが、弱いものに襲いかかり、その肉を食らうという「史観」で満ちているのは、分かりやすいが、進化論をねじまげていないか。

 そういう弱肉強食の世界があったかもしれないが、それはごく一部のことに過ぎない。生存努力として繁殖力の強いものが、そうでないものを押しのけてその環境で生きてくという、いわば流血のない「静かなる適応闘争」という結果が進化の実相ではないか。血で血を洗うのが進化ではない。静かなる生存競争に負けたものが、その環境を離れ、結果として「すみわけ」の共存世界をつくりだすのだ。

 番組には、「敵」とか「戦い」とかいう言葉がナレーションに使われていたが、擬人的であり、番組を分かりやすくするための手法として取り入れたにしても、進化とは血塗られた歴史であるかのような印象を視聴者に与え、誤解を生む。

 番組では、恐竜絶滅後のほ乳類、とりわけ人類誕生の意外な理由として

 (水中のワニのように)特殊化しなかったこと

を紹介していたが、これはこれでいい点を突いていたと思う。ある特定の環境に適応しすぎると、ある激変に対し(骨格などの体制が特殊化していて、もはや物理的に)適応できなくなるというのは理屈に合っている。弱肉強食ではなく、こうした環境との関係をもっと強調すべきではなかったか。こどもだましの番組ではダメだ。

 恐竜から大空の環境に適応しようと進化したのが鳥であり、体を軽くするため、牙も前足も失って、特殊化したことは、その後の適応にブレーキをかけたというのも一応納得できる。いわゆる進化の袋小路であり、柔軟に環境に適応しようにももはな物理的に不可能になってしまったのだ。

 ただし、後半、有袋類と、わたしたち有胎盤類の違いに話がおよび、脳の発達の違いが繁栄の分岐点となったというふうな説明をしていたが、これはこじつけだろう。大脳を持つことが進化の究極の目的であるかのような進化論はとうてい受け入れられない。進化に目的はないし、ましてや人間に向って進化してきたというように考えるのは人間の傲慢であろう。むしろ、脳の発達があったがために、人類はこの程度の進化しかできなかったのではないか。

 いろいろ考えさせる番組だが、米カーネギー自然史博物館の研究員を動員しての番組にしてはいかにも

 ちゃちな企画

という印象を持った。誤解を生む番組だ。2010.07.20

 あまりにひどい番組なのに比べ、

 つい最近発売された

 「NATIONAL GEOGRAPHIC 人類の系譜 最古の女性〝アルディ〟を検証」2010年7月号

の特集は、さすが、一流であり、人類進化の道について、昨年、全貌が明らかになった

440万年前の女性〝アルディ〟

について、詳細な解説記事を提供している。日本人、諏訪元東大教授の発見がきっかけで、人類史を書き換える骨格化石の復元に成功している。

 人類が2足歩行をしたのは440万年ごろ

とその骨格構造と発掘現場の地層年代から断定している。後味の悪いNHK番組を見た後で読んだからか、さわやかな印象が残った特集だった。これで980円は安い。

 日本にもこういうしっかりした、そして見てほれぼれするような美しいカラー理系雑誌が日本人の手でつくられる日はいつくるのだろうか。

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サッカーW杯、予言タコ、みごと決勝戦も的中  9つの脳を持つ生物の威力 ?

 サッカーW杯の人気者、ポール(ドイツ語読みで、パオル)というタコが、ドイツ国専門の予言をしていたが、決勝戦

 スペイン 対 オランダ

の試合も、(ドイツ国の対戦ではないのに)スペインの勝ちを予言し、見事に的中させた。これで予選から、7回連続ですべて的中させたことになる。こうなると、先日、このタコの予言能力には赤色好きに原因があるとの説を述べたが、この説、まんざらではなくなる。

 もし、これが、タコの予言能力があるように思うのは間違いであり、偶然によるものであるという場合、こんな偶然が起きる確率は

 「2分の1」の7乗= 128分の1= 0.78%

つまり、1%にも満たない。そんなことを私たちは、今回のW杯で見たのだと言うのは、統計的に見て、不合理。これは放り投げた硬貨で、「表」がいきなり連続して7回も出るというものに等しいのだから、常識的にも考えにくい。せいぜいが4回(その確率は約6%)、5回(約3%)であろう。

 ニュース(NHK)によると、この予言タコ、生まれて2年を超えており、タコとしてはかなり高齢。出演していたドイツ人飼育係によると、引退に向けて、静かな生活に戻させたいという。

 ここはやはり、タコには予言能力がある、と考えたい。ここからは、生物学者の登場である。それにしても、不思議だ。

 いや、不思議でもなんでもないという人がいたら、このブログのコメント欄にコメントしてほしい。2010.07.13

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高山植物が泣いている  ニホンシカ食害を考える「南アルプス100人会議」

 急増しているシカの食害、とくに高山植物の食い荒らしの深刻さが全国的に問題になっている。そろそろ高山植物が咲き始める先日、NPO法人日本高山植物保護協会がこの問題について考えようと、第二回の

 南アルプス100人会議

を南アルプスの現地ふもとで開くというので、参加した。南アルプス登山基地「さわら島」(静岡県北端部)の会議では、今は絶滅してしまった天敵のオオカミを南アルプスに外国から「再導入」してはどうかというユニークな提案があったのにはびっくりした。日本オオカミ協会(東京都)の提案だ。

 この提案について、いろいろな意見が出たが、果たしてそれでシカの食害が解決するかどうか、多くの疑問も出た。人への危害など、弊害もあるのではないかとの慎重な意見が多かったように思う。保護協会の白旗史朗会長は、前向きのようだったが、会場の雰囲気は今後の検討課題だろうというものだった。

 とは、言え、効果的な対策もなかなか出てこなかった。常時妊娠状態にある繁殖力の強いメスシカの捕殺がどうやら一定の効果があるらしい。しかし、メスの行動ルート、生態がある程度把握していないと、ハイテクわなをどこに仕掛けていいかわからず、せっかくのわなも捕獲効果が薄いなどの問題点も指摘された。

 ただ、静岡大学理学部の増沢武弘教授の提案で、ここだけはシカ食害から守るため柵で囲む必要があるとの訴えにはほとんどの賛成者がうなずいていた。死守するのは2箇所だ。

 第一は、北岳周辺のお花畑

 第二は、荒川中岳から見た赤石岳のお花畑(カール三兄弟周辺)

 ここがシカに食い荒らされるようでは、南アルプスの自然遺産登録運動は崩壊すると増沢教授。

 ともかく、シカの食害で、十年前に比べても、南アルプスの静岡県側の高山植物が見るも無残な姿になっていることをもっと広く知ってほしいものだと感じた。2010.07.11

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タコは賢いとは言え、こんなに予言が当たるとは!

 このブログでも、

 タコは賢い

と書いた。しかし、こんなにすごいとは知らなかった。7月7日付静岡新聞朝刊によると、サッカーW杯の南アフリカ大会でのドイツ代表の試合結果をすべて的中させている同国西部オーバーハウゼンの水族館「シー・ライフ」のタコ、パウルが決勝Tの準決勝

 ドイツ対スペイン

について、ドイツが敗れると予言した。カラー写真付きだ。「パウルは、、ドイツとスペインの国旗を付けて水槽内に置かれた二つの箱のうち、ドイツの箱に向うそぶりも見せたが、スペインの箱に入った」のだ。

 小生、これは、たぶん、赤、黒、黄の三色のドイツ国旗に、原因は不明だが、単に反応しているだけと思っていた。そして、今回、たまたまスペイン国旗のある箱に入ったに過ぎないと思った。スペインの国旗も三色旗に似ているが、両端がともに赤であり、赤の占める割合が、ドイツ国旗に比べて、多い。つまり、タコは「赤」が〝好き〟なだけなのだと思った。

 すると合点がいく。つまり、実際の準決勝が

 0  対 1

でスペインがドイツに勝つと予想したのも、単にスペインの国旗面積に占める「赤」ストライプの割合が多いからなのだ。だから、タコの予言は見事に的中したのだ。つまり、五回連続予言が当たる確率は32分の1= 3.3%。これは統計学上では、まれにしか起こらない確率の定義に入る。こうなると、タコの色好みとばかりはいえないのではないか。色好みや、偶然ではなく、ひっとすると、予知能力があるのかもしれない。まさか。

 記事によると、「パウルは2008年の欧州選手権でも的中率80%を誇った」

 タコに予言能力があると考えないとすると、この結果をどう解釈するか、偶然だけで説明できるかどうか、意外に難しいのではないか(5回連続で偶然に予言が当たるのは確率的に3%に過ぎない)。

 それはともかく、11日(日曜日)深夜の決勝戦、

 オランダ 対 スペイン

について、件のタコはどう予言するか、両国の国旗をぶら下げて、試してみては同だろうか。このタコ、ドイツと同国の対戦相手の試合を専門に占うというが、もし仮に、これも的中させるとしたら、6回連続で的中させたことになり、それは

 1.7%

の確率であり、統計学的にはとても偶然とは思えないことになる。もっとも、ドイツでは、タコを食べてしまえ、との声もあるそうだが、もうしばらく、生かしておくのも、貴重なタコの発見という可能性もあり、得策ではないか。

 人間のみが、占いの能力があるとする考え方はちと人間の傲慢ではないか。そのことをこのタコはひょっとすると教えてくれるかもしれない。

 ちなみに、タコの赤色好き説によると、優勝はスペインの国旗(赤、黄、赤の三色旗)と、オランダの国旗(赤、白、青の三色旗)における「赤」の割合が多いほうが勝つとタコは予言するはずだ。つまり、スペインの優勝だ。さて-。2010.07.08

(後記 2010.07.12 優勝争いは、1対0で、スペインがオランダを破り、初優勝することで決着した。もしタコがこの試合を予言していれば、赤色好き説が正しければ、当たっていたことになる。一方、予言が当たるのは偶然という説に従うと、7戦すべて的中させる確率は、128分の1=0.8%。統計学的には、そんな偶然的な出来事を私たちが今まざまざと見ていたと言うのは、あり得ない。ということは、でたらめに選んでそれが偶然に当たっているのではなく、タコには、赤色好き説が正しいかどうかは別にして、何らかの予知能力を持っていると考える方が合理的である。それにしても、パウルは決勝戦の結果を当てたのだろうか。深夜のW杯決勝戦が行われた早朝に)

 追記 2010.07.09

  驚いたことに、7月9日付静岡新聞1面下の「大自在」コラム子も、このタコについて、取り上げている。ここでは、もちろん、これまでタコの予言が当たったのは偶然というトーンの解釈で、常識的なものだった。

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梅棹忠夫と文化社会学

 7月7日付静岡新聞朝刊に

 梅棹忠夫氏、死去 行動する民族学者

と出ている。90歳。梅棹さんと言えば、ほとんどの人は

 文明の生態史観

 ベストセラー、岩波新書『知的生産の技術』

を思い浮かべる人が多いのではないか。小生も

『文明の生態史観』(中央公論社、1967年)

をときどき書棚から取り出しては読み返してきた。この本については、ほとんどの人が絶賛しているが、今の世界を主導しているアメリカの位置付けができていないなど、大きな欠点もある。しかし、スケールの大きい著作であることは間違いない。

 ただ、梅棹さんは、こうした大きなスケールでものを考えるだけでなく、たとえば

 『日本人の知恵』(中央公論社、1962年)

という、いわばスケールの小さな著作もあり、これが梅棹史観の土台になっている。手元にあるこの本を開いてみると、駅弁、おみやげ、会館、応援団、出前など、いろいろな日本人の知恵について、「歴史の糸をたぐることをつねに忘れずに」(あとがき)、「生きている現代社会の(都市)民俗学」(あとがき)を目指した。いまで言えば、

 文化社会学

ということだろう。文系、理系(梅棹=生態学、人類学)の学者が京都岡崎の「たき本」に集まり、共同討議形式で結論を導き出していったという当時としては珍しいやり方だった。この企画の最初のきっかけは朝日新聞社の提案らしい。

 文化社会学には文系だけでなく、理系の研究者も参加することでより豊かな発想が生まれ、学問の見通しがよくなる。しかも、社会的な説得力も出てくるのではないか。

 ところで、エピソードをひとつ。梅棹さんの訃報に接して、思い出したのは、万博跡地に開館した国立民族博物館の初代館長に就任して間もないころ、館長室に一度たずねたときのことだ。記憶では、室内に

 ひらがなタイプライター

がおいてあった。1970年代半ばだったと思う。梅棹さんは、あまり知られてはいないが、漢字が日本文化の進展を阻害するとして、戦後一貫して漢字廃止を主張。主張するだけでなく、ひらがなタイプライターまでつくった、

 ひらがな論者あるいはローマ字論者

だった。最後まで、意気軒昂な漢字廃止論者だったと聞いている。日本文化をこよなく愛する梅棹さんらしいが、残念ながら、

 漢字は日本からなくなることはないだろう

と、梅沢さんの大往生に接し、感じている。漢字はもはや日本人の血となり、肉となっている。それを承知で、廃止を主張し続けるところが、日本を愛する梅棹さんらしいとも言える。

 冥福を祈りたい。2010.07.07

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岡田武史代表監督の怒り  「人間万事塞翁が馬」

 サッカーW杯がベスト8同士の戦いに入っているが、パラグアイ戦のPKに破れ8強入りを逃がした日本のW杯は終わった。

 120分間の死闘を終えた岡田武史日本代表監督が代表辞任の意向を表明した。そのときの言葉に岡田監督の、オシム監督の途中降板の後を引きついで以来、これまでの苦しみと怒りがうかがえる。

 「もう、(代表監督を)やることはない。これ以上、日本のサッカーを背負えない」

と吐露した。選手たちとの最後の食事会では、監督は別れの言葉として

 「人間万事塞翁が馬」

を選手たちに贈ったという。人生の吉凶禍福は予測できないものであり、あざなえる麻縄の如しである。福と思ったことも喜ぶには足りず、逆に災いだと思っても悲しむに足りないという意味だろう。翻弄され続けてきた岡田監督らしい言葉だ。結果を見て、後からは何とでも言えるが、そのときそのときを判断しなければならない監督の苦しみから、そして怒りから生まれた別れの言葉であり、二度と代表監督なんかになりたくないという気持ちがにじんでいる。

 具体的に言えば、W杯直前の「守備の崩壊」が、本番で守備重視に切り替えさせた。そして、それが大方の予想を覆して決勝Tに勝ち上がることにつながった。災いが福となった。しかし、それは結果論である。また、その福が果たして、これからの日本サッカー界で災いにもなりかねないということもあり得る。これではとても代表監督などやってられない。

 岡田監督の「怒り」と苦しみ

が静かに、そして強力に伝わってくる。

 選手の本田佳佑のパラグアイ敗戦後の言葉も

 「応援してくれた人にも、批判した人にも、感謝したい」

とバッシングしてきたファンに強烈な〝フリーキック〟をけり込んだ。しかし、そのバッシングに耐え、本番直前に「戦術変更」したからこそ、たぶん、格上のカメルーン戦、デンマーク戦に勝てたのだと思うと、なにがなんだかわからなくなる。

 守備の崩壊を立て直すため、MF、阿部選手の守備陣の安定感、FWの本田選手の攻撃の決定力、そして、ゴールキーパー川島の防御力が決勝トーナメントへの道を開いたのだと思う。

 とはいえ、課題もある。冷静にみると、日本のサッカーはとても、ベスト8入りするようなレベルではないことも、素人の小生でも感じた。

 ベスト8入りするような、ブラジル、スペイン、ドイツ、アルゼンチンなどは、いずれも、

 トップスピードを維持したまま、ゴールにけりこむなど、ボールを扱える

 日本の選手にはないスピード感だ。

 岡田監督は、パラグアイ敗戦直後のインタビューで

 「私の力、努力が足りなかった。まだまだ日本は力が足りないと感じた」

と冷静に、謙虚に話していたが、このことではないか。日本のサッカーがベスト8入りするには、

 トップスピードのままボールを扱えるようになる

ことではないか。

 テレビでは、

 世界で存在感ベスト16

とその各国の反響の大きさを、無邪気に伝えていたが、こうした課題をおろそかにしていると

 次のW杯には、出場すらできない

という事態も起こり得る。人生万事塞翁が馬とは、よく言ったものだ。2010.06.30

  退職のあいさつの帰りの新幹線の中で、岡田辞任意向の車内電光ニュースを眺めながら、この言葉をかみ締めた。

 つまり、人生万事塞翁が馬なのだ。だったら、先が見えなくても、自分のやりたいことをやろうではないか。それだったら、その結果が禍福どちらになっても、耐えられる。禍と感じても、それがいつしか福となることもある。しかし、たいていの人は、人生の晩年になっても自分のやりたいこととはなんだったのか、気づくこともなく、そしていつの間にか人生を終えている。

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