« ジャズ・ギタリスト、マイク・スターンを聴く イン 浜松  | トップページ | 新聞も読める「iPad」 いよいよ来るべきものがきた感じ »

子どもの臓器移植 意思不明のためらいは「提供OK」の改正法 移植は増えるか

 5月30日付静岡新聞の社説に

 子どもの臓器移植、虐待見抜く情報共有を

という主張が載っている。改正法がこの7月に全面施行されるのを受けた社説だ。これまでは、臓器提供の意思があると書面で意思表示した15歳以上のみが、対象だったのが、これからは「提供しない」との意思表示を書面でしないかぎり、年齢に関係なく、だれでも臓器提供者になりうる。つまり、

 子どもの臓器提供が可能

となったというわけだ。これまでの提供意思不明の人は摘出ダメというのから、意思不明は「OK」と見なすというわけだ。しかし、大人の場合と違い、子どもの臓器移植には、虐待児童の問題がある。移植児童の助かる命が、虐待児童の命によってあがなわれてはならないと指摘している。その通りだろう。社説では、そのためには虐待を見抜く手立てをしっかり整えよ、といろいろ提案している。

 ところで、改正法で、臓器提供の機会が飛躍的に増えると思いきや、実際には臓器提供は

 これまでの年間5、6人から、改正法でもせいぜいが70人程度

という国の試算がある(米国では毎年7000人!とは比べものにならない。日米の人口を勘案しても、米国並みなら、年間3000人くらいの提供が日本であってもいいはずだが)。米国の場合、本人の提供意思表示の確認だけで摘出が可能なのに対し、われかれの文化の違いから、日本では仏様にメスを入れるのはダメだという文化土壌から、結局、移植法でも必要な承諾または、拒まないという家族(遺族)の承諾が得にくいからだろう。それも両親、祖父母、子、孫、兄弟のいずれからも必要なのだ。2010.06.01

  追記

 現在、日本臓器移植ネットワークだけでも提供登録しているのは、約6万人。日本では現在、毎年約100人に1人が死亡する。これをそのまま単純に臓器提供登録者に適用すると、

 ネットワーク登録者だけで毎年約600人の提供者が出る

はずだが、そうはなっていない。日本全体では圧倒的に65歳以上が死亡するのに対し、登録者はほとんどが60歳未満であり、この年齢層ではそうそう死亡するということはないという事情がある。100人に1人というのが、過大なのだ。登録者の年間死亡率は、おそらく1けた小さく、1000人に1人くらいだろう。そうすると、

 ネットワークだけで60人くらいは毎年提供者が出てくる。これに対し、家族が提供を承諾しないものも、上記のような事情から多いとすると、60人からかなり下回るだろう。

 これを補うのが、というか、それよりもかなり多いネットワーク以外で意思表示している、たとえば、ドナーカード、運転免許証、保険証などによる意思表示、つまり提供OK者または、拒否者は、これまでの15歳以上を対象にした調査では、10人に1程度。

 ということは、日本人の9割は「意思表示不明」となり、家族が提供を承諾すれば、臓器提供者になり得る。問題は、亡くなった本人の生前の意思が書面上不明なのに、家族(遺族)がにわかに承諾するかどうかだ。それは稀であろう。よほど臓器提供について、亡くなった本人が生前に提供を仄めかしていたという場合に限られるであろう。そういうケースがどのくらいか、推定は難しいが、100人に1人としても、毎年100万人の意思不明者がでるわけだが、そのうち移植可能な「健康な臓器」の人は、さきほどのように10人に1人として、

 毎年1000人の臓器提供の承諾

があるはずだ。これは現実としては、1けた大きい数字だ。ということは、おそらく、意思不明者に対し家族が提供を申し出るのは、100人に1人よりもう一けた低く、1000人に1人ということだろうか。子どもの臓器提供は、推計は難しいが、もっと少ないような気がする。

 社説では触れられていないこうした数字をあれこれ考えると、改正法でも、移植が大いに進むとは考えにくい。ましてや、15歳以下の子どもの移植はむしろ稀であろう。

 そもそも子どもが脳死状態になると言うのは、通常は考えられないからだ。交通事故の場合が考えられるが、その場合でも法的な脳死判定ができないようでは、臓器摘出はできない。

 それで、興味あるのは、国立こども病院とも言うべき国立成育医療研究センター病院(東京都)の実態だ。2008年4月までの5年間に、重い病気やけがで小児集中治療室(PICU)に運ばれた子どものうち、心肺停止が予測されたのは84人だった。年齢はゼロ歳から2歳が多く、たいていは最後は、親が子どもを抱っこするなどしてみとったという。過度の延命治療を控えた。こうした実態からは、悲歎に暮れる親が子どもの臓器提供をそう簡単に承諾するとも思えない。制度として改正法ができたとは言え、子どもの臓器移植はそう期待できないだろうと推察される。

 3月19日付読売新聞の「緩話急題」に佐藤良明科学部次長が

 改正臓器移植法 ためらいの国ま意思表示

について書いている。「ためらいは(これまでと違って)拒否とみなされない」。いやならいやと家族に言っておくか、書面で意思表示しておく。そんな国に日本はなったのだと注意を促している。優柔不断、ためらいは危険だと言うことだろう。その意見に賛成したいが、人間なら、死後とは言え誰しも決断できずためらうのが普通だ。それを認めないというのは、不幸な国になったということだろうか。

 ここまで書いてきて、ふと思った。新生児や幼児、さらに、就学前の小児、小学生の意思表示というのはどういう風に考えるのだろう。どこから自分の意思と認めるのだろう。これは一律に決めるのは難しい。拒否の意思表示があれば、摘出はできないとしている移植法自体にもあいまいさがあるのではないか。2010.06.01 

|

« ジャズ・ギタリスト、マイク・スターンを聴く イン 浜松  | トップページ | 新聞も読める「iPad」 いよいよ来るべきものがきた感じ »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/48513865

この記事へのトラックバック一覧です: 子どもの臓器移植 意思不明のためらいは「提供OK」の改正法 移植は増えるか:

« ジャズ・ギタリスト、マイク・スターンを聴く イン 浜松  | トップページ | 新聞も読める「iPad」 いよいよ来るべきものがきた感じ »