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反骨の科学者 山本義隆氏の意気軒昂 「磁力と重力の発見」を読む

 元東大全共闘代表の近著、と言っても7年も前の浩瀚な

 「磁力と重力の発見」(山本義隆、みすず書房、全3巻)

を、ふと思い出し、暇になったのを機会に通読した。ひところ、話題になったのとは別の感慨に浸ることができた。これは話題の書ではない。

 研究者たるもの、どうあるべきか

ということを、山本氏自身が語りかけてくるような著作である。構想20年、山本さん、50代の仕事(受賞は62歳)である。地球温暖化スキャンダル騒動の後に、この本を読んで

 正統派アカデミズムとは何なのだ

ということを考えさせられた。

 この本の中身を簡単に言えば、

 一方で経験や「手仕事」を重視する技術的な発展があり、他方でスコラ哲学という「頭仕事」重視の正統派学問が現実からますます遊離していった16世紀。そこから事実重視の実証主義的な近代西欧科学が誕生する。しかし、それには、なにがしかの理論的な枠組み、つまり導きとなる思想が必要であり、それは占星術や錬金術といった魔術思想であり、その具体的なものとして磁石の不思議な振る舞いを解釈する考え方であった。

 占星術は、当時、天体は人間など地上物体に遠隔作用で影響を及ぼしていると考えられており、遠隔作用という重力の考え方受容の下地となった。また錬金術は、地球もまた天体と同様、活性的な存在であると考えられており、互いに力を及ぼしあうと考えられ、天体力学の受け入れに必要な自然観を持っていた。

 具体的には、重力という、なんとも不思議な遠隔力の理解には、目に見えるアナロジーとして磁石があり、その磁力から重力という考え方が生まれ、受け入れられていった。近代西欧科学は、自然界の不思議な現象を考察する自然魔術から、観察をこえてみずからテストする実験魔術を経て、自然科学へと脱皮していったというのが、山本説である。

 大変にうなづける仮説である。16世紀の実験魔術から17世紀科学革命が誕生して行ったのであり、そこには必然性と連続性があるとしている。突然に天才が現れて、科学革命が起こったのではないと言う点では旧来の定説と同じだが、その具体的な変遷を文献などで後付けており、上記仮説に説得力を持たせている。

 こうした山本さんの論考には、

 近代科学が、なぜ近代西欧に誕生したのか

という問題意識があろう。ただ、この本では、こうした比較文明論的な問題提起をしているのに、西欧ばかりの話で、ほかの文明との比較がまったくない。したがって厳密な意味で、「なぜ西欧に」という問題解決には至っていないのが残念だ。

 その後、山本さんは、66歳で

 「一六世紀文化革命」(みすす書房、全2巻)

を書き下ろしている。一言で、内容を言えば、「磁気と重力の発見」の続編であり、

 「16世紀西欧「手職人」革命」

ということだろう。いかにも大学アカデミズムを強く批判してきた山本さんらしい仮説である。

 これにより、さきほどの問題意識にこたえるつもりだったのだろう。

 ただ、この点については、少し強引に過ぎないかという思いが残った。「手職人」だけで、17世紀西欧科学革命が起こったとは信じられない。これだと、当時の日本でも、

 近代日本科学革命

が起こっても不思議ではない。日本ではそれが無理としても、高い科学や技術を当時誇っていた中国で、

 近代中国科学革命

が当時起こっても不思議ではない。それが西欧だけにしか起こらなかったのには、論理構成に巧みな「知」の拠点としての大学という西欧アカデミズムの果たした役割が大きかったからではないか。大学も新しい時代に向けて自らを変革させ、巻き返し、主導権を握り続けようとしていたことが西欧科学革命の内実ではないか。当時の日本や中国にそんな「知の拠点」がなかったことが、

 西欧のみに科学革命が誕生した原因

であった。当時の日本や中国のように、知識が家伝、秘伝であるような社会では、つまり、

 知識の蓄積や共有のない、それを実現する人材養成機関のない社会では、科学革命は起こりようがない

そんな気がする。

 ただ、この浩瀚な労作、実は、失敗作ではないかと思う。ホームゲームの前作「発見」はさすがに鋭いが、つまり物理の専門家にも読んでもらえる科学史となっているのに対し、この「革命」は、サッカーで言えば、アウェーでの仕事であり、鋭さがない。「手仕事職人」の重要性はいまさらだれでも知っていることであり、科学革命の前段階として当然であることは科学史家なら知っている陳腐な結論になっているのは否めない。また、アカデミズムの特長をことさらに低く評価しているのも、山本氏としては無理からぬところだが、限界でもあろう。

 反骨の科学史家として、アカデミズムのしたたかさをえぐってほしかった。アカデミズム否定の「革命」というのは、山本氏の人生を考えるとわからぬでもないが、目が曇ったということだろう。同じ時代、同じ分野を歩んだ者として、これが物理学徒の限界だとは思いたくない。

 山本さんには、大学と科学革命の関係について、まやかしでもない、そして、思弁的でもない、ましてや大衆迎合でもない人生をかけた透徹した史眼で、もう一度、著作活動に挑戦してほしい。70代の大仕事になるだろう。

 あえて言うが、東大全共闘崩壊から40年、残り10年の山本さんの人生は、西欧ではなく、日本における大学と科学革命について語るためにあるのではないか。大学についても、また、科学革命についても、山本さんにとってはホームゲームのはずだ。2010.06.16

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