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世界サッカー界のオレンジ革命 ヨハン・クライフ氏が語る

 サッカーW杯の1次リーグ突破を決めたデンマーク戦に3:1で、日本が勝ったときの早朝の号外「中日新聞」が面白かった。日本代表チームの一人がこんなことをコメントしていた。

 「うれしいが、思っていたよりもなぜか喜べない。目標はまだはるか先にある。優勝と日本国民の前(記者会見)で公言しているので、一歩一歩、不可能はないと証明したい」

というのだ。さすがに、決勝Tでベスト4入りすると公言していた岡田監督らしい発言だと関心する人も多いだろう。しかし、この発言は、実際は本田圭佑選手(FW)のものだ。小生も、ゴールネットの近くで実際にこの発言を引き出したインタビューをテレビ中継で拝見したが、確かに、そんな趣旨の感想をむしろ淡々と話していた。

 じゃあ、岡田武史監督はどんなコメントだったかというと、

 「選手が集中を切らさずに頑張ってくれた。これがまず最初の目標。ある意味、ほっとしている。次はかなり強い相手なのでチャレンジしないといけない」

となっていた。小生、このインタビューを直接中継で聞いてはいないが、本田の発言に比べて、日本代表監督としては、さびしいという印象を受けた。「勝って兜の緒を締めよ」の心境かもしれないが、勢いも大事にしたい。これでは、どちらが、監督かわからない。優勝を目指す選手と、ベスト4を目指す監督の違いか。

 強豪ぞろいのヨーロッパ予選を勝ち抜いてW杯に出場してきた優勝候補の一角、デンマークに圧勝したのだから、もっと力強い、そして常識を破るぞと国民や選手にアピールするような、監督の挑戦心がほしかった。名将の必須条件だ。

 次の決勝Tまでしばらく時間があるようなのか、NHK日曜日午前のテレビ番組で、

 世界サッカー界の常識を破ったオランダの

 オレンジ革命(1970年代)

について、その立役者、ヨハン・クライフ氏(オランダ人)がインタビュー応じていた。オレンジとは、オランダ代表のチームカラーらしい。

 同氏を中核とするオランダは、それまでの役割の決まった「退屈なゲーム運び」を「トータルフットボール」、つまり、

 全員守備、全員攻撃、試合中のポジション・チェンジ

という攻撃的な試合展開にサッカースタイルを変えた。当時のブラジルなどの強豪に圧勝して、サッカーの常識を打ち破り、今のようなスタイルに近いものを確立したという。

 「小国が試合に勝つためには賢くなければならない」

 「退屈な勝利よりも、美しい敗北を」

とも語っていた。いかにも、当時、華麗なプレーで「飛ぶオランダ人(フライング・ダッチマン)」とも呼ばれた人らしい言い方だ。勝つことは大事だ。同時に、試合中のポジション変更など常識を破るゲーム運び、相手をオフサイトに誘い込む巧妙な戦術といった当時の監督の「見ていて楽しい攻撃的なプレー」を体現して見せるのもサッカーの醍醐味であり、欠かせない。

 これに対し、本田選手は共鳴することだろう。しかし、果たして、岡田監督はこうした「美しい敗北」をしてでも、攻撃的なプレーに挑戦する余裕があるだろうか。

 南アフリカの大会では、どの国も守りの試合を徹底させているという。そんな中で、岡田ジャパンが、ベスト4入りの試金石、つまり常識を破る攻撃的な試合をみせてくれるかどうか、決勝Tではこの点をじっくり見てみたい。2010.06.25

 追記

 最近、少し暇になったので、分厚い

 『DARWIN    世界を変えたナチュラリストの生涯』 Adrian Desmond & James Moore

という浩瀚な2巻本(総ページ1000ページ以上)を読み終えた。原著は1991年発行。翻訳本は、工作舎。ダーウィン伝の世界的な教科書との評価があるが、著者にはその後、

 『Darwin'Sacred Cause』(2009年)   翻訳「ダーウィンが信じた道 進化論に隠されたメッセージ」(NHK出版)

がある。「種の起源」執筆の動機は、当時イギリスで盛んになっていた人種差別撤廃、奴隷制廃止運動への科学的な根拠提供であったと執筆動機を明らかにしている。

 浩瀚な『ダーウィン』伝には、この点について、明示的に語っているのは

 「奴隷制への嫌悪感」(p317)

という2ページ足らずのセクションだけであるのには、驚いた。

  果たしてダーウィンの動機が、奴隷制廃止運動の一環であったかどうかは、これだけではなんともいえない。しかし、当時の、つまり、今から200年前から廃止運動が盛り上がっていたことは、たとえば、

 英で進む奴隷制の検証 ダーウィン、ディケンズも関与(2010年3月4日付毎日新聞夕刊)

の富山太佳夫青山学院大教授(英文学)の記事に詳しい。英国で奴隷貿易など奴隷売買が禁止されたのは、ダーウィンが生まれる2年前の1807年。奴隷制そのものが大英帝国内で禁止されたのは、ダーウィンがビーグル号航海から帰国して2年後の1838年。帰国の翌年、1937年春には、もうダーウィンは秘密の「レッドノート」(ノートB)に、生物起源の単一説、つまり系統樹を記録し、考察している。

 航海に出る前には、種の変化に対して、懐疑的、あるいは否定的だったダーウィンは、5年の航海後帰国してすぐに、種は変化するということを確信していたらしい。問題は、どのようにしてというメカニズムだった。そして、航海中にアフリカ、南米で見てきた悲惨な奴隷たちの実態を知っただろうから、そこから、強い奴隷制度廃止に向けた科学的な根拠づくりを始めたらしいことは想像に難くない。

 つまり、まず、人間を除いた生物一般について単一起源説を考察し、その反響を見ながら、人間の単一起源説(人種はみな同じ起源、血のつながりがある)という大変に宗教的に危険な考え方に踏み込んでいったと言うことだろう。

  こうした考え方について、まだ遺伝物質やその遺伝法則が知られていない時代に考察し、大筋正しい結論を導き出したのは驚異的であり、それを可能にしたのは育種家としての長い観察実験経験があったからであろう。さらに、種の変化の元、つまり、突然変異すら知られていなかった時代でもあり、ダーウィンの悪戦苦闘は並大抵ではなかったであろう。個体に発生した突然変異が、繁殖を通じてどのように種内に広がっていくのかの解明は、20世紀の集団遺伝学が受け継いだのである。

 多数の手紙類やメモ類を丁寧に整理してまとめられた今回の浩瀚な伝記は、奴隷制廃止に向けた科学者としての動機もさることながら、考察結果を公表するにはよほどの勇気が当時必要だっただろうことを語ってくれた。2010.06.27

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