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美をめぐる心理的な闘争  「利休にたずねよ」を再読して

 新茶の季節ということで、休日にはお茶を楽しんでいる。ふと、山本兼一さんの直木賞受賞作

 「利休にたずねよ」(PHP)

をあらためて読み返してみた。帯には

「おのれの美学だけで天下人、秀吉と対峙した男、千利休の鮮烈なる恋、そして死」

を描いた。それも、時間をさかのぼる形式で書かれているのが面白い。読み返した感想を言えば、これは

 美をめぐる秀吉と利休の心理的な闘争

を描いたものだということだった。わび、さび茶に、利休の秘めた恋をからませたのがユニーク。この恋が、わざ、さび茶につややかさを生み出したというのが山本流のテーマであったように思う。それに対する秀吉の嫉妬が利休を死に追いやった。その間の関係者の心理的な、というか人間の心理を掘り下げたものだろう。

 小説とは、人間の葛藤を描くこと、男と女の心理を描くことだ

ということを、徹底的に、そして見事に作品化したように思う。

 利休はなぜ死を賜ったのか。利休の茶にはなぜつややかさがあるのか。利休の死と恋をめぐる心理劇。小説をじっくりと再読すると、最初には気づかなかった新たな読み方、テーマが見えてくることがある。読み手の環境や心境が変わり、それが再読時の読み手の心理に影響するからだろう。2010.05.23

 追記 2010.05.24

  5月23日付日経新聞「美の美」は、偶然だか

 千利休 「闘うわび茶」

だった。見開きで、先週に続いての連載。記事(文・内田洋一)でも、

 利休はなぜ自刃したか

については、謎であるとして、いろいろな説を紹介していた。ただ、大徳寺山門事件は、利休などの北政所派と石田三成などの淀君派との「政争の具」となり、淀君派が巻き返し、利休が粛清された「可能性は高い」と解説していた。秀吉は利休を死に追いやるつもりはなかったが、この流れの中では秀吉といえども抗しがたかったというのだ。こうした背景は小説では、「石田三成」の章以外ではほとんど出てこないが、大きな流れてしては、いかにもありそうなことであったと思う。結果を知っている今から思うと、そんなバカなと後知恵として思うが、現在進行形の当時としてはあり得る話だ。

 秀吉と利休の美をめぐる格闘だけではなかった。事実は小説よりも奇なり、ということか。いずれにしても、

 闘うわび茶

は言い得て妙だ。事実はその通りであったろう。権力者、秀吉も歴史に翻弄されていたのだ。

 追記 2010.05.29

   こうした「闘うわび茶」という見方に対し、

 人生の可能性は、自分の心の中にあるということを(狭い)茶室は語っている

という内省的な見方がある。5月24日付静岡新聞夕刊「窓辺」に「茶室の原理」と題して書いている熊倉功夫・静岡文化芸術大学学長だ。当然、こういう見方はあるだろう。

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