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元死刑囚、免田栄の旅 冤罪はなぜ繰り返されるのか

 浜松では、大型連休中は

 昼は凧揚げ合戦(中田島砂丘 )

  夜は御殿屋台引き回し(市内中心部)

でにぎわう。小生も、3日夜、引き回しを見ようと、市内に出かけた。浜松餃子やトウモロコシを食べながら。確かに、御殿屋台というだけあって、見事なものだ。屋台には町内の子ども、女性が乗り込み、法被姿の青年、あるいは男性陣が町内を引っ張りまわすという姿は、祇園祭。祇園祭のように優雅さはないが、元気いっぱい。そこがいい。

 小生の町内からも、「塩町」、「旅篭町」の提灯をつけた御殿屋台が登場していた。そのほか、「元魚町」「中山町」の提灯を点けた屋台が豪華練り歩いていた。

 ラッパの音は、深夜、1時ごろまで市内に鳴り響いていた。

 そんな中、ちょっとお祭りとは対照的にシリアスなNHK教育テレビ「免田栄の旅、裁判員へ なぜ冤罪は繰り返し起こるのか」を見た。裁判員制度がスタートして1年になるのを機会に、人を裁く、とくに死刑判決を出すのはいかに難しいか、よほど慎重な審理が必要だという内容。この

 冤罪はなぜ繰り返されるのか

について、先に免田さんの結論を言うと、

 検察・警察、裁判官、さらには弁護士までが、本音では被告を推定有罪としているからだ

 というものだ。判決が確定するまでは推定無罪という憲法の基本精神が空洞化しているのだと言う。裁判員は、よくよくこのことをわきまえてほしいというのが、免田さんの訴えたかったことだ。35年間、死刑囚として処刑におびえて暮らしてきた免田さんならではの重みのある主張だ。免田さんは、だから、

 裁判員のみなさん、被害者の立場で裁くことになりがちだが、一度は、いや、何度も、自らを被告の立場において、そして、推定無罪の立場で被告の主張に耳を傾けてほしい。。少なくとも無罪を主張する被告には耳を傾けてほしい。そうしないと、無実の罪で死刑に処せられる人はなくならないであろう

と、概略そう訴えていた。 

  好企画だ。静岡市でも、死刑囚、袴田巌の袴田事件があり、現在、再審請求中ということもあり、関心をもって見た。

  この番組を警察関係者や検察にこそ、見てもらいたいと強く感じた。いや、裁判官にこそ見てもらいたい番組だ。裁判官も人の子、出世の妨げにならないよう、

  疑わしきは、裁判官の利益に

となりがちだからだ。 

  番組では、この結論に至るまでに、いろいろ具体的に冤罪原因を指摘している。

  第一。無実であるのに、なぜ被告は「やりました」と自白をし、署名までするのか、という疑問には、外界から隔離して、暴力に近い形で取り調べが行われており、極限状態になり、また自暴自棄になり、「自白」するという現実がある。憲法が禁止しているはずの物的証拠がないにもかかわらず、自白だけで証拠を固めようとする自白主義の弊害だ。DNAk時代に入ったとはいえ、まだまだ自白中心主義が横行している。自白は証拠の王様という考え方は、捜査現場では今も幅をきかしている。

  第二。目撃者の目撃証言がいかにデタラメで、検察や警察の誘導にかかりやすいか、このことを十分承知してほしい。目撃証言重視は、冤罪を生む大きな原因だ。その事例として番組では、甲山事件を例に挙げていた。目撃証言があるのだから、被告が犯人に違いないというのは、危険だとしていた。

  第三。最後の砦、最高裁の判決は、合議制で最終的には多数決。全会一致ではない。全員一致するまで合議を続けるべきであり、多数決では、冤罪を生む。ここにも問題がある。

  番組では、以上の三つが主な冤罪を生む原因として論じられていた。しかし、思うのだが、確定判決が出た後の再審請求にも問題があると思う。再審請求が最高裁の決定にお任せしているだけでいいのか。できるだけ再審をやりたくない、あるいは裁判の安定性の確保という建前をいいつのりがちな最高裁を動かすには、それこそ、検察審査会のような

 強力な「再審審査会」

という最高裁を牽制する仕組みが要るのではないか。国民感情ではなく、国民の良識を代表して、最高裁の再審開始のあり方をチェックする必要があるように思う。

 同時に、もう少し大きく言えば、最高裁裁判官の国民審査は現在、ほとんど機能していないが、この

 国民審査は国民の参政権の一つ

と考えて、活用し、積極的に最高裁裁判官の適否を、衆院選のたびに審査をすることも必要であろう。ただ、審査にあたってわかりやすく各裁判官を評価する方法を考える必要がある(この点については、小生は、日本弁護士会の踏ん張りを期待している)。今のような「おざなりな、そして味も素っ気もない1枚チラシ」では、とうてい国民は裁判官の良し悪しを正しく判断できないだろう。結果として、承認したことになるのは、ひどい。

 国民審査は参政権

という意識を醸成したい。今のように、最高裁裁判官がどのようにして決定されるのか、きわめて不透明な状態は改善すべきであろう。時の内閣の恣意性をできるだけ避けて、代わって国民が直接チェックするのがいいのではないか。

 最高裁裁判官の国民審査の死物化

はぜひ見直したい。長い間国民審査が空洞化したままであることを知りながら、国民の関心がないことをいいことに、何ら手を打たずに放置したところにも、最高裁の事なかれ主義がうかがえる。

 いやはや、いかにも、憲法記念日の5月3日にふさわしい(再放送)番組であった。2010.05.03

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