« 「ここに記者あり」 生涯一記者、村岡博人の78年 | トップページ | 便利さの陰で ツイッターを疑えとか »

科学技術か、科学・技術か  「・」問題を考える

  日本科学技術ジャーナリスト会議の会報(2010年3月号)の巻頭言に、元村有希子(毎日新聞科学環境部記者)理事が、

 「科学技術」と「科学・技術」の違い

というタイトルで論説を書いていた。小生もこの会議のメンバーだが、先日のこのブログでも、池内了氏が同様の問題について中日新聞で論じていたのを紹介した。科学の貧弱さを改めるにも「科学・技術」とするほうに肩入れしている。

 この問題は、要するに

 科学技術というと、技が主役で、科学が従、つまり修飾語になってしまう

という科学者からの異議申立てなのだ。これに対し、元村理事は、「一考の余地がある」と問題提起している。「科学・技術」と対等に扱うべき、というか、これだと、科学が主で、技術はその後からついてくるという意味合いになり、科学者は満足する。科学報道は、とかく役に立つかどうかをどうしていも優先しがちであり、「科学技術」と書くと、政策決定者に技術優先、役に立つのが科学技術ととらえられて、誤解するというのだ。

 小生の意見は、科学を勉強してきた立場であり、科学・技術としてほしいし、歴史的にもこれが正しいと思う。ただ、技術の発達が、新しい科学の水平線を切り開いてきた、つまりブレイクスルーを生み出してきたという歴史的な側面も見逃してはなるまい。技術の進展は、質的な転換、新しい科学を生み出す。

 ただ、今では、「科学技術」という言い方は定着していて、いまさら「科学・技術」としても、社会が、あるいは政策決定者が意識改革するとも思えない。科学技術会議あたりで始めているようだが、定着しない気がする。

 なんとなれば、この論説を掲げた日本科学技術ジャーナリスト会議自身が、その組織名に「科学技術」としているのだもの。

 日本科学・技術ジャーナリスト会議とすべきだった。しかし、その英文名はしっかり「Japanece Association of Science & Technology Journalists」と「&」とつけてきちんと区別している。科学と技術を対等にしている。というか、どちらかというと、欧米同様、科学に重きを置いている。

 国民の、そして政策決定者の意識改革を迫る狙いで「科学・技術」とするのであれば、それは、まず、隗よりはじめよ、だねえ(笑い)。2010.04.12

|

« 「ここに記者あり」 生涯一記者、村岡博人の78年 | トップページ | 便利さの陰で ツイッターを疑えとか »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/48066276

この記事へのトラックバック一覧です: 科学技術か、科学・技術か  「・」問題を考える:

« 「ここに記者あり」 生涯一記者、村岡博人の78年 | トップページ | 便利さの陰で ツイッターを疑えとか »