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2010年4月

失われた被爆遺産 旧浦上天主堂

 4月30日付きの静岡新聞朝刊を出勤途中のJR電車の中で読んでいたら、

 長崎 旧浦上天主堂 1945-58年 失われた被爆遺産

という新刊案内が目にとまった。原爆はいかなる歴史を壊したのか、という説明がついている。著者は、横手一彦氏が文章を、高原至氏が写真を担当している。いかにも、岩波書店刊行らしいのは、英訳(ブライアン・バークガフニ氏)がついていることだ。米国人にこそこの実態を知ってもらいたいというわけだろう。先日もこのブログで書いたように

 失われたもう一つの「原爆ドーム」

なのだから、英訳を付けたのは卓見だったと思う。

 未公開写真によって、未曾有の破局を語った「幻の証言者」がよみがえるとなっている。

 大型連休中に何とか、読んでみたい本だ。

  ふと、思った、著者の横手一彦氏とはどんな人なのだろう。2010.04.30

 追記

 後で調べたら、長崎総合科学大学工学部教授。日本近代文学が専門。

 YOKOTEkazuhiko@NiAS.ac.jp 

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本と本屋が消える日 電子書籍の衝撃

 ゴールデンウイークが始まり、お出かけ日和で、本など読んでいる場合ではないかも知れない。しかし、「週刊現代」5月1日号を読んでいたら、

 本と本屋が消える日 そんなバカな!?

という取材ルポ特集が出ていた。グーテンベルグの活字印刷術の発明(1453年)以来の衝撃だと書いている。当時も、活字で紙に印刷するなんてバカげている。わざわざ印発したものを手書きで、羊皮紙に書き写していたという。雨に濡れれば紙はダメになる、羊皮紙なら安心だというわけだ。

 それはともかく、特集は

 出版界の〝黒船〟

とも書いていた。昨年以来、電子書籍用の端末

 アマゾンの「キンドル」 アップルの「iPad」

が、米国に次いで、日本でも普及してきたというのだ。

 冗談だが、このままでは、 

 書店で万引ができなくなる、ブックオフが倒産する

という(笑い)。電子書籍になると、紙書籍に比べて返品もなく、コストが極端に削減され、その分、著者印税がグンとアップし、50%以上にもなるという。これは著作者には魅力だが、一冊ダウンロードしていくらの出来高制だと、売れなければ印税はないし、電子書籍側は出版のリスクはゼロ。宣伝にも力が入らない。知名度だけで売れる著者はそれでいいだろうが、無名の新人が育たないのではないか。出版文化が危ない、ような気がする。

 もっとも、電子書籍は雨に濡れても破れないから、確かにいい。

 こうなると、これからの出版は情報産業、とりわけ通信産業が主流になるのかと思われがちだが、何が文化で、何が売れるか、世の中、何を求めているのか、という目利き役、つまり編集者の役割はやはりなくならないだろう。

 それにしても、紙がなくなる、紙の本がなくなる日が来るのだろうか。活版印刷術の発明で羊皮紙がなくなったように。

 小生は、少し古いのか、紙はなくならないと思うが、ふと、

 レイ・ブラッドベリーの「華氏四五一度」(元々社、昭和31年発行。最新科学小説全集7)

を手に取ってみた。書棚の隅に埃をかぶっていたのだが、ざっと

 「進歩主義者達はテレビ、フィルムの時代になっては書物など読む必要もなく、返って過去に執着し進歩を妨げると考え、あらゆる書物を没収焼却し所有者を厳罰に処した。しかしふと老婦人が火焔の中で蔵書から立ち去りかね遂に焼け死ぬのを見た一官憲は、この職務に疑問を持ち火事場から一冊の聖書をコッソリ盗む」(全集の広告から)

という筋書きらしい。華氏451度とは、紙が自然と燃え出す温度だ(セ氏では233度に対応する)。小説には挿絵もあり、古風だが、文明批評でもある。

 電子書籍にしろ、紙書籍にしろ、いずれも文化を築くための手段にすぎない。それに振り回されてはなるまい。そして、進歩主義にも。

 ただ、印刷業界は大打撃だろう。2010.04.29

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長崎の被爆マリア像 もう一つの「原爆ドーム」

 朝日新聞(4月22日付)の1面を見ていたら、高速新料金見直しへ、のトップ記事の下に

 被爆マリア 法王と対面

という大きな写真付きの記事が出ていた。

 「長崎原爆で傷ついた「被爆マリア像」を携えた高見三明・カトリック長崎大司教ら平和を祈る巡礼団が21日、バチカンのサンピエトロ広場で行われた定例の一般謁見に参列。ローマ法王ベネディクト16世と面会」

と報じている。写真には、被爆したマリア像に法王が祝福する様子が写っている。大変に珍しい光景である。記事には出ていないが、このマリア像は、このブログ(2009年8月10日付)でも書いたように、

 「もう一つの原爆ドーム」と言われている旧浦上天主堂の瓦礫の中

にあったものだ。法王はどんな思いで、被爆マリア像に対して祝福、つまり、神の恵みを祈り求めたのだろう。この写真を見て、

 爆心地で、被爆した旧浦上天主堂は瓦礫のまま残すべきだった

と強く感じた。なにしろ、取り壊された1950年代というのは、まさに第五福竜丸被爆事件(1954年3月)など、反核運動が盛り上がりを見せていたのだから。いや、だからこそ、痕跡を残さないよう、完全に取り壊して、その地に新たに天主堂を再建したのだろう。政治が働いた、それが歴史の真実ではないか。

 大司教ら巡礼団は、5月3日からニューヨークで開かれる核不拡散条約(NPT)再検討会議に出席するという。

 もう一人、この再検討会議に参加する日本人がいる。太平洋ビギニ環礁で米国の水爆実験に遭遇、被爆し母港、焼津港に戻ってきたマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七さん、76歳だ。今は東京都大田区に暮らしているという(中日新聞4月25日付社会面)。大石さんによると、被爆した元乗組員23人のうち、今も存命なのは9人。

 「オバマ大統領のプラハ演説などで核廃絶の機運は盛り上がっているようにみえる。しかし、パフォーマンスに一喜一憂しているよでは、まだまだ(核のない)平和は遠い」

との大石さんの思いは鋭い。記事によると、ニューヨークではデモ行進にも参加するというから

 喜寿の気骨

を感じた。これを引き継ぐのは、戦後ずっと、平和を享受した小生たち団塊世代であると気づいた。今日は、元「天皇誕生日」。それにしても、昭和は、また一つ遠くになった。

 そんな思いで、今度、焼津市が創設した

 焼津平和賞 選考委員長、佐藤博明さん(元静岡大学学長、専門は会計学)

の話を聞く、小さな会合の機会があったのは大変に有益だった。佐藤さんによると、賞の性格を、政治的にも、宗教的にも中立であることを目指しているという内容であった。だからこそ、選考委員長は政治的にも、宗教的にも無縁の会計学の専門家に依頼したのだろう(佐藤さん自身の話によると、自ら直接、平和運動にタッチしたことはない「中立」の学者らしい)。裏を返せば、それだけ、核廃絶問題は政治的、宗教的にならざるを得ないということだろう。また、政治的にも、宗教的にも中立な核廃絶運動というのも、背反二律でおかしいという見方もあろう。意味がないとも言えそうだ。その辺がむずかしい。

 要は、一般市民が素直に運動に入っていける態勢をいかに整えるか、ということだ。平和賞がその一つの方策となるかどうか、それは、焼津平和賞第一回の受賞者の顔ぶれでおおよそ決まるような気がする。その意味で、発表の6月30日に注目したい。2010.04.29

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林忠四郎さんのこと 追想メモリアル

 静岡新聞の「追想メモリアル」(4月27日付)に、小生の大学院時代に習った先生、林忠四郎さんが出ていた。2月28日死去、89歳

 物理を天文学に導入した/学問一筋に生きた巨星

と書かれていた。内容を読んだが、よく書けていた。林先生の身辺に長くいた門下生が書いたのだろう。2010.04.28

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「宇宙人はいる」とS.ホーキング博士 

 何気なく、静岡新聞を見ていたら、あの車椅子の天才科学者、ホーキング博士が

 高度な文明を持つ宇宙人が地球を植民地化する可能性がある

として、宇宙人の来訪は地球の破滅をもたらす恐れがあると警告したというのだ。ディスカバリーチャンネルのインタビュー番組で語ったというから、よほど博士は確信があったのだろう。博士は

「わたしの数学的頭脳にとって、宇宙人の存在を想像することは完全に合理的だ」

と語ったという。

「資源を求める高度な技術文明を持った宇宙人が地球に来訪すれば、コロンブスが米大陸の先住民にもたらしたのと同じ悲劇が起こる」。知的生命体は宇宙遊牧民となり、行き先を次々と植民地化するというのだ。

 博士の発言でなければ、まゆつばものだろうが、天才宇宙物理学者の言うことだけに、なんだか本当のような気がした。もっとも、博士は今すぐ、宇宙人がやってくるとは言っていない。

 ただ、現在までのところ、高度な文明を持つ宇宙人が存在するような気配はまったくない。この50年、知的な生命体の存在をうかがわせる信号は地球には届いていないのだ。

 なぜだろう。そんなことを考察したS.ウェッブの

「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」(青土社)

が面白い。宇宙人はそもそも存在しない。存在するけれども、広い宇宙なので連絡がまだ届かない。届いてはいるのだが、その信号を人間は認識できない。

 このいずれであろうかと、いろいろな考察をしている。そのプロセスは科学の面白さワ垣間見せてくれる。つまり、宇宙人がいるということは、原理的に証明することができる。宇宙人を見つければいいからだ。しかし、いないということを証明することは、原理的には不可能なのだ。せいぜい、現在の知識を総動員した範囲で「存在しない」ことが証明できるだけなのだ。これでは、宇宙人はいないことを証明したことにはならない。

 この本はそのことを承知の上で、知的な、というか、科学的に合理的な解釈を展開している。遊べる本だ。

 ウェッブ氏自身の解答が、最後に披瀝されているが、それは-、いやいや、そんな野暮なことはやめておこう。ヒントは、意外にも常識的な結論だったということだ。

 小生の結論は、連絡は来ているのだが、人間が認識できないというものだ。これだと、ホーキング博士の結論と矛楯しない。ちなみに、ウェッブ氏の結論はホーキングの結論とは相いれない。

 大型連休中にこの本を読んで、こせこせした地球のことなど忘れることをお勧めしたい。2010.04.28

  ホーキング博士なら、この50の理由をすべて瞬時に解答できるだろう。そして、上記の3つのどのカテゴリーで「宇宙人はいる」と言うだろうか。それを聞いてみたい。2010.04.28

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微生物の世界 宇宙の支配者は誰か

 たまには、本屋にぶらりと入るのもいいものだ。最近、JR静岡駅北口の目の前の新築「葵タワー」に

 地元資本の戸田書店

がオープンした。開店日直後に出かけてみたが、あまりに本が多くて、結局買わず仕舞いになった。いつか、じっくり出かけてみたい。

 一方、1年前くらいにJR浜松駅ビル最上階にオープンした

 谷島屋

も、店内にカフェを設けるなど、にぎわっている。本は読まれなくなっているとよく喧伝されるが、この雰囲気からは、そんな印象は受けない。ぶらり、土曜日の昼下がり出かけた。相変わらず、込んでいる。

 ついつい、買いたくなるような本がある。

 「微生物の世界」(筑波出版会、宮道慎二他編集、12600円。発売=丸善)

が目に付いた。帯によると、1000枚の写真が掲載されている。しかもほとんどはカラーであるのだが、ぱらぱら見ていると、思わず、人間の世界など小さい、小さいと考えてしまいそうなくらい、

 微生物はたくましい

 この本を眺めていて、ふと、

 宇宙を支配しているのは、神でも人間でもない。微生物だ

と考えるようになった。

 値段が高すぎて、買わなかったが、その近くにあった

 『居酒屋百名山』(太田和彦、新潮社、1500円)

のほうは、よっぽど買おうかと思った。

 宇宙の支配者でもない人間、せめて、美酒をもって人生を終えたい。そう思うのは酒好きのせいだろう。2010.04.25

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再会の夜 人形劇「新三銃士」 日曜朝の楽しみ

 ちょうど一週間前、日曜日のNHK朝の人形劇「新三銃士」が面白いと書いたが、4月25日、日曜日は

 「再会の夜  噴水広場  第四話」

というのをやっていた。いやはや、面白い。三谷幸喜の脚色だから、当然かもしれない。いよいよ、アトス、ポトス、アラミスたちが、三銃士を再結成する場面である。若きダルタニアンもこの三銃士に教育を受けながら、成長していくのだろう。元銃士隊長も表舞台に登場した。

 国王派(国王、王妃)とリシュリュー宰相派との戦い、つまり権力闘争

がいよいよ始まる。

 この人形劇の場合、出会いは、元銃士隊長の仕掛けによるものであり、必然的な出会いとなった。

 しかし、意気投合の、しかも、偶然の出会いというものも楽しいものだ。

 先週水曜日、少し早く仕事が終わったので、JR静岡駅南口の立ち飲み屋「たちより屋」で、熱燗日本酒1合と鯛の刺身(計900円)で夕食をとっていた。そこに、偶然、横の立ち位置に、一人の定年前の部長らしき一人の男が入ってきて、

 「ホタルイカ、きょう入っている?」

と、これまた日本酒を注文。店員が

 「お客さん、運がいい。今日は入っているよ」

と、1枚のプラスチックさらに20匹も並んだホタルイカをカウンターに出した。小生もおいしそうだったので、思わず、

 「私にも、1枚」

と注文しようとしたら、

 「残念、お客さん、これ、最後の1枚。今日はこれでお仕舞い」

とつれない。となりの御仁、

 「よかったなら、私のを、どうぞ」

とすすめられた。ついつい、いただきます、1匹、2匹いただいた。これを機会にいろいろ話して、20分くらいで気心の知れる仲になっていた。小生、買い物があるからと、先に店を出て、買い物を済まして、有料快速、ホームライナーに乗ろうとした。ところが、なんと、先ほどの御仁もちょうどその快速に乗ろうとしていて、互いに、和気藹々、向かい合わせに座り、名刺交換し、互いの家庭の話をするまでに、うちとけた雰囲気に。偶然とは言え、なにかしら縁を感じざるを得ない。どちらからともなく、

 「奇遇ですなあ、これからもお付き合いを」

となった。来週の大型連休を利用して、久しぶりに、定年前につとめていた金沢に遊びに行くと話したら、そして、この季節、静岡からいくのだから、

新茶をお土産にしたい

とかなんとか。静岡では、八十八夜のこの季節、お茶の話で盛り上がっていた。代表的な「静岡茶市場」の初取引がつい先日始まったばかりで、これからが本格的な新茶シーズン。いろいろと世間話をしていたら、ひょんなことから、御仁から、

 「それでは、私の知り合いにお茶関係者がおります。岡部のお茶、玉露を近じか、お届けします。プレゼントします」

と言われたのにはびっくりした。後日、新茶が手に入ったからと、早速電話があった。その御仁、静岡駅の近くの郵政グループ「かんぽ生命」の法人部署の部長だった。定年、1、2年前だろう。金沢の帰りには、なにか金沢らしいお土産を届けねばなるまい。こうした出会いもある。長く続きそう。酒の勢いでこうなったのかもしれないが、仕事抜きの、長く続く付き合いの始まりであってほしい。2010.04.25

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「一石仙人」  物理学者をシテにした「能」

 世界的な免疫学者の多田富雄さんが亡くなった。4月22日付静岡新聞朝刊にその死亡記事が顔写真付きで載っている。免疫細胞の中には、異物を攻撃するだけでなく、過剰な反応を抑える細胞もあることを発見し、その驚くべき巧妙な仕組みも解明したことで知られる。

 小生にとって、印象深いのは、こうした免疫の話ではなく、多田さんが能に造詣が深いことだった。金沢で仕事をしていころ、2004年10月、ある医学会を取材した折、多田さんの新作能

 「一石仙人」

を拝見した。相対性理論で知られるアインシュタイン博士が主人公、シテで、時空を超えて私たちに世界平和について語りかけるというテーマだったように思う。一石とは、アインシュタインの日本語直訳。2005年が、博士の特殊相対性理論発表など「奇跡の年」からちょうど100年であり、それを記念して、創作されたのだろう。なんとも

 物理学者と能楽師

という組み合わせがユニークだった。多田さんは、この金沢公演の数年前から脳梗塞となり、半身不随になった。それでも、後進の指導や能創作、研究などを続けていた。

 いかにも能の盛んな金沢らしい趣向だった。ただ、そのメッセージ、科学の役割やその世界平和への寄与について、どの程度学界参加者の医学者に伝わっただろうかと考えると、どうも心もとないと今でも感じている。

 多田さんの医学に対する深い洞察力、さらに踏み込んで科学が果たすべき役割を組み込んだ能だったのではないか。

 多田さんの冥福を祈りたい。2010.04.22

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日曜日、早起きは三文の得 新三銃士

 いつもは、休みの日曜日は8時過ぎまで寝ていることが多い。歳をとったせいか、最近では少しずつ早く起きるようになっている。4月18日、日曜日、8時前に起きたら、NHKのテレビ番組で

 「新三銃士」

という木彫りの人形劇をやっていた。なかなか面白い。そのはずだ。今を時めく三谷幸喜が脚色している。大酒飲みのアトス、女狂いのポルトス、そして今は牧師に身を隠している切れ者のアラミス。この三者と、主人公、ダルタニアンが登場するあのデュマの大衆歴史小説の人形劇なのだ。かつて読もうとして読み切れなかったあの名作を人形劇でやっているのだ。井上ひさしの原作「ひょっこりひょうたん島」の大人版、文学版といってもいい人形劇だ。

 子どもだけに見せておくのは、ほんともったいない。十分、大人の鑑賞に堪える。早起きはしてみるものだ。連載しているらしいので、来週の日曜日は、

 噴水広場の決闘シーン

だろう。来週も早起きしたい。2010.04.20

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科学者7人の名言 猿橋勝子の気骨

 たまには、専門を離れて、ちょっと畑違いの雑誌を読むのもいいものだ。

 考える人の実感マガジン『望星』2010年4月号の特集「科学者の名言」

を何気なく読んだ。どうせ、文系雑誌だから、たいしたことはない。ありきたりのことが書いてあるに過ぎないと、見くびった。

 案の定、取り上げられた科学者は、中谷宇吉郎、寺田寅彦、岡潔、牧野富太郎、今西錦司、矢野健太郎

が取り上げられていた。手垢に汚れた逸話がえんえんとつづられていて、理系人間としては、うんざり、

 バカ雑誌

と叫びたい内容だった(湯川秀樹や朝永振一郎が取り上げられていないのは、まだしも見識というものであり、感心もしたが)。しかし、最後に

 猿橋勝子

が取り上げられていて、思わず、うなった。お主やるな、と感心した。評伝者は、今をときめく最相葉月氏。猿橋氏は日本では、化学者を除いては、ほとんど知られていない。しかし、1954年のビキニ事件の第五福竜丸が持ち帰った白い灰が、放射性物質を含んだ汚染物質の「死の灰」であることを実証し、米側の妨害にもかかわらず、敢然と世界に発表した

 気骨の科学者

なのだ。日本占領後間もない当時、米国に逆らってこうした

 事実を事実として正直に発表する勇気

があった科学者はごくわずかだった。帝大系、大学の研究者にはほとんどそんな気骨はなく、沈黙していたのだ。それを、帝国女子理学専門学校出身で気象庁気象研究所に勤務していた彼女が「真実を真実として勇気を持って守る」、これが科学者の良心だと生涯説き続けた原点だったのだ。

 この特集によると、彼女の名言とは

 「たゆみなく正しいことを説いていく」

だそうだ。そのことは大変に難しい。科学者も論文書きにばかりうつつを抜かすのではなく、社会に対してその責任を果たす気骨を示してほしい。自戒を込めて訴えたい。

 分野の違う雑誌から、重大な反省を指摘されたことをうれしく思う。バカ雑誌呼ばわりしそうになった自分を恥ずかしく思った。ありがとう、『望星』。

 女は強し、男は弱し。2010.04.18

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星新一と画家、久里洋二  阿刀田高がつなぐ

 先日のブログで星新一さんのことをあれこれ、書いた。書き終えて思い出した。ハッとするユーモア画家として国際的に評価が高い

 久里洋二さん

のことだ。ずいぶん前に、いただいた

 久里洋二作品集「KURI YOUJI」(求龍堂、非売品)

を休日の夜、何気なくみていて気づいたのだ。奇想天外な、そしてユーモアのある発想で見る人をはっとさせてくれる。今頃、5月。机の上にあるコップの中に金魚が泳いでいるのだが、金魚の中には、コップのそとに飛び出して泳いでいる。金魚だって、水槽を飛び出し、恋の冒険がしてみたいのだというわけだ。

 そんな絵をみていたら、推薦文を作家の阿刀田高さんが書いていた。「一つ一つに趣向がある。ソフィスケートされた想像力がある」とうまい表現があった。一言で言えば、シュールな絵と言うことだろう。阿刀田さんの作品にヒントを与えてくれる「飯の種」にもなってくれると評していた。この伝で言えば、

 星新一のショートショートはシュールな作品

と言えるだろう。 

 その阿刀田さん、実は、星新一さんの大の理解者でもあったというのは、わかるような気がする。

 星さんと久里さんはともに、昭和初期の生まれであり、同世代。しかも、久里さんは、私の出身高校(福井県立武生高校)の大先輩なのがうれしい。確か、敦賀市から武生市(現在の越前市)に通学していた。

追記 

 阿刀田高さんの近著、というか、編著に

 「ショートショートの花束2」(講談社文庫)

というのが、あるのもうなづける。星さんも、あの世で、きっと喜んでいるだろう。2010.04.21

 さらに追記すれば、

 SFとは何か

について、考えているうちに、

 日本でもSF映画、とくにハリウッドSF映画

はますます盛んになっていると気づいた。最近では

 「AVATAR」

 「地球が静止する日」

 「2012」

などスケールの大きな、あるいは革新的な映画が公開されており、日本でも評判になっている。そんな思いで、

 「世界SF映画全史」(北島明弘、愛育社)

をぱらぱら読んだ。この浩瀚な全史を読んでいると、人間の特徴は想像力があることだとすると、やはり、

SF映画は不滅、したがってその原作となるSF小説も不滅

と感じた。ならば、ショートショートは ? と考えたが、不滅ではないにしても、

 ショートショートは「現代の知的な民話」

として、生き残るのではないかとふと思った。蛇足。

 そう、ショートショートは、アンチ自然主義文学であり、時間と空間を超えて将来にメッセージを届ける、いわば「現代の民話」なのだ。その意味で

 ショートショートは文学なのだ。2010.04.25

 

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動物の地震予知

4月16日付 静岡新聞夕刊の随筆欄「窓辺」に、地震防災対策強化地域判定会委員の吉田明夫(浜松市出身)さんが、

 動物の地震予知

について、自分の考えを述べていたのが、興味深かった。結論的に言えば、

 いつ、どこで、どのくらいのという「地震予知の3要素を、動物の異常行動を基に予測しようというのは、一般的な手法として実際的ではない」

ということだった。動物は、自分の生存にかかわる異常を感じるかも知れないが、それが必ず地震であるとは限らないというのがその理由だ。地震はその1つにすぎないというわけだ。

 大きな地震が起これば、生存にかかわるから、地震を察知して、異常行動をとるかもしれない。しかし、異常行動をとったからといって、それが地震を察知したからだとは言えないのだ。つまり、地震の発生と動物の異常行動が一対一に対応していない。だから「一般的な手法として実際的ではない」という持って回った言い方になったのだろう。

 大変に慎重な言い方だが、こういう言い方は、吉田氏が動物による地震予知を否定したかのように誤解しかねない。

 だから、動物の異常行動を予知につかえないない

と主張しているのか、それとも、

 (実際的ではないが)つかえる

と言っているのか、あいまいなのは困ったことだ。吉田氏は、文章全体から判断すると、動物の地震予知能力について、否定も肯定もしていない。結論の部分の「一般的な手法として実際的ではない」というのは、どういう意味か、はっきり、わかりやすく書いてほしかった。特殊な手法としては実用的であると主張したいのであろうか。だったら、動物の予知能力をおおいに活用していいではないかとならないか。特殊であろうが、一般的であろうが、予測できればいいのだから。一般的な手法として実用的である、というのはどんな場合なのだろう。現在の正統派地震予知研究の体積ひずみ計のことを指すのだろうか。しかし、それとて、確実に予知できるとは正統派予知研究者も保証していない。見逃しや空振りは大いにありうると予防線を張っているくらいだ。

 科学者の言葉には、読者が誤解しないように厳格にしようとして、かえって誤解を招くような表現がある。こう発言すると、これはどう受け取られるか、読み手の立場に立って吟味していない。自分だけで独り合点して、正確に表現したつもりになっている。これはこわい。2010.04.17

  追記 2010.04.21

 この問題について、直接、吉田氏(神奈川県温泉地学研究所、気象庁元地震予知情報課長)に真意を問いただしてみたところ、つぎのような回答だった。

  一般的な手法として実際的ではない、というのは、具体的には、気象庁などの公的機関が有効な防災情報として公表するものとしてはつかえない、という意味。

  ただ、吉田氏は、個人的には

  動物の異常行動については、それが何を意味するのか、科学的な分析が今後も必要であり、大いに関心を持っている

とのことだった。いずれの日にか、特定の動物について、ある特定の異常行動が地震発生の前触れとして、相当高い確率で、一対一で対応するということが突き止められる可能性があるかもしれないというわけだ。 

  だから、随想で、吉田氏は、動物の異常行動の観察からは予知はできないと主張しているわけではないのだ。異常行動をもっと絞り、磁気の乱れや地電流の変化、あるいはそれらに伴う電離層の変化など解明を進めれば、あるいは成功するかも知れない。ただ、現状では「一般的な手法としては実際的ではない」のだ。

  進化した人間ではすでに失われた「超能力」をほかの動物はいまだ備えているかも知れないのだ。それを活用する研究だ。人間はもっと謙虚であるべきだ。

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サクラエビのおどり食い 

 駿河湾の春の風物詩の

 サクラエビ漁の出漁

が遅れている。4月1日解禁なのに、荒天でもう2週間も遅れている。思い出すなあ、

 サクラエビのおどり食い

 静岡市清水区の「やましち」

で生きたまま味わえるらしい。2010.04.16

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偉大なる屈託の人 評伝「星新一 一〇〇一話をつくった人」

 読書好きで、ショートショートの名手と言われた星新一さんの名前を知らない人は、おそらくいないであろう。しかし、名手と言われるまでになるまでに、いかに苦労したか、這いずりまわるような精神的な苦悩や模索があったことを近著、

評伝「星新一 一〇〇一話をつくった人」(最相葉月、新潮文庫)

で知った。上下刊で800ページにもなるが、星さんを知る100人以上の関係者に取材し、まとめた労作だ。オリジナルな手紙や遺品を整理し、そこから得られた情報も活用しているだけに、星さんの人間像を掘り深く浮かび上がらせている。ざっと読み終えて思うのは、あらためて、

 SF小説とは何か

ということだった。星さんは、科学小説、SFが文学作品として、一段低く見られていることに晩年まで苦悶したらしい。

 「なんでぼくには直木賞くれなかったんだろうなあ」

と、どこかでショートショートを軽んじている編集者を恨んだり、抗議したりしていたという。

 この評伝は、通常の

「私は偉かった、彼はすごかった」

という類のものとは、一線を画する仕上がりになっている。星さんを直接知るインタビューと遺品整理から得た生情報のもつ迫力だろう。

 星新一は、最後まで、屈託の人だった。それも、この評伝上下2巻の表紙の穏やかな星さんの表情からはおよそ想像できないほどの

 偉大なる屈託の人

だった。2010.04.16

 追記 2010.04.16

ところで、先の

 SFとは何か

ということだが、星さんは、結局、何と戦っていたのだろうか。ショートショートがなかなか文学として日本に受け入れられない理由は、日本では自然主義文学が主流だからではないか。異様な状況設定や異様な出だしはしない。最後にオチはは要らない、というのが鉄則だ。人間を描け、登場人物の心の葛藤を書き込めというのだ。

 しかし、ショートショートでは、何よりも

 異様なシチュエーション、状況設定

が大事だ。つまり、星さんはこの狭間でもがいていたのだ。これでは直木賞がとれないのも無理はない。

 星さんは、アンチ自然主義文学を目指していたのだ。文学は否定していないが、自然主義は否定していたのだ。これでは、直木賞はとれない。

  ショートショートは、アンチ自然主義文学

なのだ。異様な出だしと、異様な状況設定と、ハッとするオチ。いずれも自然主義文学は否定していた。そんなことに気付いた。2010.04.16

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遠州灘の美味「ナガラミ」貝を味わう 

 自宅近くの馴染みの赤ちょうちんにふらりと入ったら、

 「きょう、珍しくナガラミの貝が入ったよ」

とネ元気なママさんに言われて、思わず、こちらの顔がゆるんだ。見てみると、2センチほどの美しい貝がテーブルに出されてきた。熱燗を注文し、刺身しょうゆ。爪楊枝で、身を取り出す。熱燗とともに、口に含むと、なるほど

 「うまい」

 浜松に転居して、なかなか食べられなかった「ダンベイキサゴ」の味は格別だった。ママさんによると、ずっと以前には、春から初夏によく子どもも食べたそうだ。そのご、取りすぎたのか、一時、魚屋から姿を消えたという。しかし、中高年者には懐かしい味なのだという。思い出話に花を添える貝なのだという。わかる。

 10年ほど昔の静岡新聞夕刊の随筆欄「窓辺」に、静岡県水産試験場浜名湖分場長の鈴木克宏さんが、この貝には、私の食べた3センチほどの貝のほか、この貝には、もっと小さい1センチほどの小型群もあるという。今ごろの季節は、この両方が獲れるが、8月以降は小型だけになるという。

  鈴木さんによると、大昔からさかんに食用とされていたらしい。しかし、最近ではナガラミ漁は、短期間の知事許可漁業だという。この貝の進化過程については、詳しい研究があるとのことだが、小さいながら、荒海でたくましく進化し、生きてきた貝だからこそ、うまいのだろう。

  なお、ダンベイキサゴの進化史については、2009年6月21日付静岡新聞の

 しずおか自然史 進化の履歴500万年

に詳しい。この延原尊美静岡大学教育学部准教授の記事によると、

 この扁平貝は、1500万年前の温暖な時期に南方から移住してきたのだという。今の貝に分化したのは、500万年。悠久の時間をかけてきたのだから、うまいはずだ。

 2010.04.16

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髪留め 宇宙での身だしなみ

 4月11日付きの静岡新聞を見ていたら、

 髪留めで身だしなみ 山崎さん、特注

と出ていた。そういえば、宇宙ステーションに入るとき、山崎さんの長い髪は、後ろで束ねられて、ポニーテールのように結んでいた。無重力状態では、そのままの長い髪は放射条に広がってしまう。ステーションから送られてきた山崎さんの映った映像を見ると、確かにポニーテールにしても、留め金の先はやはり、宙で広がっていた。ちょっと、地上ではみられない光景だった。

 この髪留めをつくったのかは、記事によると、神奈川県大磯町の宝石店らしい。髪留めは実用品であるとして、NASAが持ちこみを認めたらしい。女性宇宙飛行士らしい。身近に髪を切った男性には気付かない。2010.04.13

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便利さの陰で ツイッターを疑えとか

 よちよち歩きだが、ツイッターを使い始めたが、まだまだ何が何だかわからないのに、週刊ポスト4月23日号の広告に

 ツイッターを疑え! 日本全国「24時間つぶやき社会」に警告続々

という読み物が出ていた。あえて問う「日本の大問題」だという。つい先日、日刊工業新聞の社説に「情報収集に便利なツール」と評価していたのに、これはどうしたことか。

 曰く「企業の売り上げアップはただの幻想だ」

 曰く「米ネット帝国主義の下僕に成り果てる?」(岸博幸慶応大大学院教授)

 曰く「もし、書き込み作法を間違えてしまったら」

などなど。いまだに使い方がよくわからないでもたもたしている小生には、ドキンとする指摘だ。それに、このtwitter、米国システムであることを忘れていた。

 気をつけよう、甘い言葉とtwitter。2010.04.12

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科学技術か、科学・技術か  「・」問題を考える

  日本科学技術ジャーナリスト会議の会報(2010年3月号)の巻頭言に、元村有希子(毎日新聞科学環境部記者)理事が、

 「科学技術」と「科学・技術」の違い

というタイトルで論説を書いていた。小生もこの会議のメンバーだが、先日のこのブログでも、池内了氏が同様の問題について中日新聞で論じていたのを紹介した。科学の貧弱さを改めるにも「科学・技術」とするほうに肩入れしている。

 この問題は、要するに

 科学技術というと、技が主役で、科学が従、つまり修飾語になってしまう

という科学者からの異議申立てなのだ。これに対し、元村理事は、「一考の余地がある」と問題提起している。「科学・技術」と対等に扱うべき、というか、これだと、科学が主で、技術はその後からついてくるという意味合いになり、科学者は満足する。科学報道は、とかく役に立つかどうかをどうしていも優先しがちであり、「科学技術」と書くと、政策決定者に技術優先、役に立つのが科学技術ととらえられて、誤解するというのだ。

 小生の意見は、科学を勉強してきた立場であり、科学・技術としてほしいし、歴史的にもこれが正しいと思う。ただ、技術の発達が、新しい科学の水平線を切り開いてきた、つまりブレイクスルーを生み出してきたという歴史的な側面も見逃してはなるまい。技術の進展は、質的な転換、新しい科学を生み出す。

 ただ、今では、「科学技術」という言い方は定着していて、いまさら「科学・技術」としても、社会が、あるいは政策決定者が意識改革するとも思えない。科学技術会議あたりで始めているようだが、定着しない気がする。

 なんとなれば、この論説を掲げた日本科学技術ジャーナリスト会議自身が、その組織名に「科学技術」としているのだもの。

 日本科学・技術ジャーナリスト会議とすべきだった。しかし、その英文名はしっかり「Japanece Association of Science & Technology Journalists」と「&」とつけてきちんと区別している。科学と技術を対等にしている。というか、どちらかというと、欧米同様、科学に重きを置いている。

 国民の、そして政策決定者の意識改革を迫る狙いで「科学・技術」とするのであれば、それは、まず、隗よりはじめよ、だねえ(笑い)。2010.04.12

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「ここに記者あり」 生涯一記者、村岡博人の78年

 生涯一記者の物語、と聞けば、うんざりで

 「ああ、また、わしゃえらかった」

の類の自慢話、ホラ話かと思う人も多いだろう。事実、元共同通信記者が大先輩の戦後取材史についてまとめた

 「ここに記者あり !  村岡博人の戦後取材史」(片山正彦、岩波書店)

も、仲間ぼめも加わって、余計にそんな印象を持つかもしれない。否定はしないが、後輩とはいえ、複数の第三者が本人にもインタビューしてまとめただけあって、なかなか面白い。

 10日付静岡新聞に「沖縄密約 存在認める 東京地裁 文書開示を命令」

というトップ記事が出ているが、この沖縄返還をめぐり米軍用地の原状回復費の日本側肩代わり問題のそもそもの発端にも、村岡さんはかかわっていることが、この本に具体的な様子書かれていて、興味深い。原告団は毎日新聞の元記者西山太吉さんら。

 同書によると、村岡さんは

 民主主義を守る番犬として権力を監視し、どんな誹謗中傷を受けても、不正に牙を剥くことを止めなかった男

として紹介されている。勇ましいのだ。この本によって

 記者の仕事とは何か、取材とは、ジャーナリズムの役割とは何かを問いなおす

という。とにかく、カッコいいのだ。しかも、共同通信に入社する前は、なんとサッカー日本代表の選手、しかもゴールキーパーだったというのだから、格好がよすぎるのだ。まぶしいのだ。

 それでも、一日かけて、じっくり読んでみた。印象は、権力を監視し、不正を暴いた正義の味方、国民の味方だったことは、間違いないのだが。はて、さて、彼の独自のスクープとか、生涯のテーマはなんだったのか、というのが、今ひとつ、はっきりしなかった。出現した事件を追い回したというだけではないのか。自ら問題意識を持って奔走したというのは、そう多くはなかったように思った。いかにも、新聞記者らしいとは感じたが、何か、新しい視点を提示したり、成し遂げたと言うものはないように感じた。

 あえて言えば、同書にもあるが、

 ライフワークといえる取材テーマは、在日韓国・朝鮮人の人権擁護や日朝国交正常化といった「チョーセン問題」と、金権政治を批判・追求し、腐敗に切り込む「政界浄化」

だったようだ。帯で「権力の闇を追った戦闘的リベラリスト」と、これまた共同通信元編集局長でジャーナリストの原寿雄さんが激賞している。「彼のような記者たちが、戦後ジャーナリズムの正義を支えてきた」とも。

 この推薦文が的を射ているかどうかはともかく、

 新聞記者といえば、社会部記者(事件記者)、政治部記者

のことを指すことが多いのは事実。

 先の西山さんには、「わしゃ、えらかった」という類の回顧ではなく、西山さんにしか書けない、しかも

 人には恥ずかしくて言えない悔悟と苦渋のジャーナリズム

について、勇気を持って書いてほしい。一言で言えば

 人間の顔をしたジャーナリズム

である。それが西山さんの歴史的な使命だと思う。「わしゃ、えらかった」はもう結構。

 さて、同書と似たような「正義の味方」記者について書かれた本は、ざっと本屋をのぞいてみた

だけでも、以下のように沢山あった。ただ、これほど沢山の正義の味方が輩出したのにもかかわらず、一向に正義が実現したようには感じられないのはなぜだろうとは思った。負け犬の遠吠えだからだろうか。

 「黒田清  記者魂は死なず」  報道とは伝えることやない。訴えることや

 「ペンの自由を貫いて」 帯=「昭和」を駆け抜けた反骨記者の生涯

 「記者風伝」 帯=彼らがいて新聞は輝いた

 「記者魂 君は社会部記者を見たか」 

 「我、拗ね者として生涯を閉ず」(東京読売社会部元記者、本田靖春)

    この本は、すごい。一読の価値は十分ある。両足切断、右目失明、大腸がん闘病記。

 これとはうってかわって、軽いのは

 「こちら石巻さかな記者奮闘記 アメリカ総局長の定年チェンジ」(高成田亨)

 「毎日新聞社会部」 帯=猛者事件記者たちの迫真のドキュメント

 「徹底検証 日本の五大新聞」 

 そのほか

 「闘う社説」(朝日新聞論説委員室)

 「地方紙の研究」

などもある。

 いずれにしても、社会部、政治部が中心。唯一つとして、科学ジャーナリズムを取り上げたものがない。これには、科学ジャーナリズムがまだ、ジャーナリズムとして、業界からも、社会からも認知されていないことがあるのかもしれない。

 政治部や社会部と科学記者、あるいは科学担当論説委員との間の確執をテーマにした現代ジャーナリズム現場、あるいは小説は新鮮かもしれない。現代的なテーマである。2010.04.11

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世界初、ウナギの完全養殖に成功

 ついに、ウナギの完全養殖に成功したというニュースが静岡新聞など各紙に出ている。独立行政法人水産総合センターの養殖研究所(三重県南伊勢町)での快挙だという。ここまでくるのに40年かかったというから、執念の成果と言っていいだろう。

 各紙、大きく扱っているが、

 静岡新聞 2世代目ウナギ 完全養殖に成功 水産総合研、世界初

 中日新聞 世界初 ウナギ完全養殖 

となっており、いずれも1面(中日はトップで、完全養殖の解説図付きで分かりやすい)。

  要するに、

 受精卵 ⇨ 仔魚 ⇨ 稚魚(シラスウナギ) ⇨ 成魚(オス、メス) ⇨ 受精卵

というサイクルを確立することだ。それには、

 仔魚に育つまで何を食べているのか

 稚魚に育つまでに何を食べているのか

 成魚になるまでに何を食べているのか

という3つの難関をクリアする必要がある。これが難しいらしい。

  オス、メスの親ウナギから、受精卵をつくり、エサを与えて仔魚(しぎょ、幼生)にまで育て、仔魚はすべてオスなので、これを特殊なホルモンを使って一部をメス化し、変態させてシラスウナギにまで成長させた。それをまたエサを与えて、2、3年、生殖が可能になるまで育て、オス、メスから精子と卵子を取り出す。そして、それを人工授精させた。その結果、25万個の受精卵でき、その多くがふ化して、幼生として生存しているという。

 こうした一連のサイクルをみると、仔魚になるまでに、ウナギは何を食べるのか、シラスウナギになるまでに何を食べるのか、成魚になるまでに何を食べるのか、という研究が非常に大事であることもわかる。

 小生が住んでいるのはウナギの街、浜松なので、とりわけこの話題はうれしい。中日新聞は、

 資源保護、安定供給に光

と見出しを打っていた。天然ウナギに頼らないウナギの再生産に道を開いたものとして、今後の実用化に注目したい。2010.04.09 

 ただ、そう書いたものの、ウナギ養殖発祥の地、浜松では、この成功に複雑な事情がある。「大量生産で安値になり、生活の道が絶たれる」というわけだ。

 物事には、いい面と、悪い面がある。浜松市に住んでいる小生としては、今回の成功を手放しでは喜んでばかりはいられないのだ。2010.04.16

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科学技術か、科学・技術か 科学と技術の違いって何?

 科学と技術の違いというのは何だろう。以前から、この疑問を持っていた。そんな折、4月7日付中日新聞朝刊に、総合研究大学院大教授の池内了さんが、「時のおもり」欄で

 違い認識し、価値見直しを

と主張している。つまり、役に立つという技術の価値だけでなく、文化としての科学の価値を見直そうというわけ。賛成したい。

 日本では、とかく技術や科学は、経済の道具という意識が強い。明治維新で、西欧に追いつき、追い越せという中で、技術や科学を導入したからだろう。これに対し、科学の発祥の地、ヨーロッパでは、科学重視、文化としての科学という意識が強い。科学や技術に弱いことを得意満面に語る経済人が今もっているのは、残念だ。

 科学とその応用である技術が互いにバランスよく発展する社会が科学技術立国だろう。その意味で、科学・技術立国とすべきなのだろう。2010.04.08

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ニホンジカは古着がお嫌い? こうして食害防止

 全国で、ニホンジカの食害が問題になっている折、4月7日付毎日新聞夕刊に

 ヒノキに古着 シカ退散 600本に巻き、食害防止に効果

と出ていて、ビックりした。小生も南アルプスゃ静岡県内のシカ食害に関心があったことから、余計に驚いた。記事によると、

 シカによる山林の食害に悩まされていた山梨県北杜市白州町の農業、上原公夫さんが、古着を地表から1メートルくらいのところの幹に巻き付けるとという独自の防止策を考案し、効果を上げている

というのだ。なぜ、古着なのか、山梨県森林総合研究所も「不思議だ」という。古着にしみついた人間のにおいを、シカの嗅覚が感知して、警戒して近づかないのかも知れない。だとすると、長い間には、その効果も薄れて、再び、シカ食害が出てくることになるだろう。

 ただ、この防止策、いくらやっても、追い払うだけで、増えすぎたシカの駆除には、当然、役立たない。つまり根本的な解決にはつながらないのが、苦しい。2010.04.08

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宇宙飛行士の離婚 夢と現実の狭間で

 日本人で二人目の宇宙飛行士、山崎直子さんが、米スペースシャトルで宇宙ステーションに向けて飛び立った。1992年9月の毛利衛さんの日本人として初めてのシャトル飛行から18年、11年間の長くて苦しい訓練の賜物であり、快挙だ。これで、ステーションには同時に4人の飛行士が滞在することになる。NASAによると、これまでに50人もの女性宇宙飛行士が誕生している。宇宙ももはや男だけの世界ではなくなった。

 ここまでは、うれしいニュースだが、緊張感を持続して長く苦しい訓練の日々に耐えるのは大変。山崎さんは、実は、母親。女の子がいる。それも話題になっているが、実は、離婚の危機があったという。

   その危機というのは、妻の直子さんというよりも、陰で支える側に徹した夫の大地さんのほうが深刻だったようだ。無力感で自殺まで考えたという。そして、07年には家裁で離婚調停にまで至ったと言う。現実の家庭と宇宙へ行きたいという夢の実現との両立は大変に難しいのだ。ひょっとすると、宇宙環境よりも、ある意味過酷かもしれない。

 大地さんには『宇宙主夫日記』(小学館)というのがあるが、苦しみを乗り越えてきた心境がどんなものだったか、きっと分かるだろう。

 そういえば、現在の現役宇宙飛行士約100人近くいるが、多くは離婚者だという。引退した宇宙飛行士にも離婚者は多い。想像するに、訓練に明け暮れる日々で結婚生活は大変なのだろう。夫の大地さんも、主夫として、悩んだ日々もあったであろう。それらを乗り越えても、打ち上げだったのだ。そんな思いで、シャトルの打ち上げを見送った。2010.04.06

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内視鏡検査体験記 便は大腸がんからの「血塗られた手紙」である

 会社の定期健康診断(人間ドック)で、

 検便で二度とも潜血反応が基準値をこえている。紹介状を持って、専門医に精密検査をしてもらうように

との指示を受けた。紹介状は1通1200円+消費税だった。還暦を過ぎてはいても、初めての経験だ。日本人の2人に1人は、大腸がんなどなんらかのがんにかかるし、3人に1人はなんらかのがんで死亡する。

日本では大腸がんは年々増加し、厚生労働省の推計では、2015年には男女ともに、がん死因の1位になるという(現在、がん死因の1位は肺がん、2位は胃がんで、大腸は3位)。

  かかる患者数では、最近では、大腸がんが第1位。第2位は胃がん、前立腺がんは第3位。死因と合わせて考えると、大腸がんは、肺がんや胃がんに比べて、かかっても治りやすいがんということになる。

 大腸がんの最もできやすい部位は、肛門から10-20センチのところの直腸だという。

 いよいよ小生にもおよびがかかったかと覚悟した。しかし、痔(じ)の気があるから、潜血があったからと言って、大腸がんとは限らない。が、ものはためしとばかり、内視鏡検査を受けることを決心した。

 気持ちを明るく切り替えることが未来を開く元である

この小生の信念にかけた。会社のかかりつけ医が書いてくれた紹介状先のクリニック(浜松市)に電話をすると、まず、紹介状と保険証をもって診察予約を取った。その日に紹介状を差し出すと、

「まず、直腸を触診します」

と言って、ベッドに横向きになると、肛門から医師が指を突っ込んで肛門や肛門に近い直腸の部分を指でぐるりと回して、診察した。

「これといったポリープはないようです。しかし、より詳しく直腸、大腸、小腸を検査するために、内視鏡検査を」

となった。検査日を予約しようとしたら、なんと2カ月も先になるという。それくらい、予約がいっぱいなのだ。しかし、うまい具合にキャンセルがあり、10日後に精密検査と決まった。

 第一段階の診察料は、3割保険がきいて、約4000円。

 この日は、血液採血の検査も行われた。

 検査日の前日夜10時ごろに、小腸・大腸の中をきれいにするための下準備用下剤として渡された

 プルゼニド(4錠、ピンク色)

 コップ一杯にといたラキソベロン水液

を飲んだ。夜9時以降は絶食というのは、通常の健康診断と同様。検査当日、朝起きると、さっそくトイレに行きたくなった。2度行く。さらに、何の薬かわからなかったが、指示されたとおり、

 ガスモチン3錠

を飲んだ。朝食はとらず、水のみを飲む。絶食して午前8時半にクリニックへ。 

  ここまでが第一段階。本番の第二段階の内視鏡検査は以下の通りだった。

 朝8時半から、本格的な下剤を飲み始める。

 900ミリリットルの下剤を約30分かけて飲む。これが大変。甘い味付けがしてあるものの、なかなか飲めない。説明では「腸内をきれいにする飲み物」という。緊張感をとこうとして、クリニックは全館、常時、クラッシックが流れていた。検査センターには10数人が一度に検査をするために、みなさん苦心して飲んでいた。

 飲み終わると、ほとんど10分置きぐらいに便意、というか下痢状態になり、それぞれ個人に割り当てられたトイレに行って、排便する。ここで感心したのは、看護師がその便の出具合を、排便者がトイレを出た後に、入れ替わりにトイレに入り、いちいち便器をのぞいて詳しく検査し記録して、完全に便が腸から取り除けたかどうか判定していたことだ。いずれも若い女性看護師である。仕事とはいえ、毎日毎日、他人の便の出具合を検査するというのは、辛いだろう。小生なら、とても続かない。

 ふと思ったのだが、この下剤、世の便秘に悩む人には朗報だ。なにしろ、飲んだらすぐにトイレに行きたくなる。これは便利だ。

 2時間ぐらいで、どの人もすっかり腸内が空っぽになるらしい。

 そしていよいよ、午後から内視鏡検査。

 いよいよ肛門から内視鏡を突っ込んで検査すると思ったら、そんな乱暴なことはしない。まず、更衣室で、着替えをする。パンツを脱いで、おしりの肛門あたりに切れ込みがある紙パンツをはく。そして、あおむけにベッドに横たわる。十数人が2台の検査室前に横たわる。検査自体は10分ぐらいだそうだが、患者はその間、点滴に入れられた睡眠剤でほとんど瞬間的に眠ってしまうので、どんな検査をしているか、分からない。分からないうちに、検査は終了となる。この点が、検査行程がテレビモニターに映り出されて患者本人にも見える胃カメラの内視鏡とは違う。

 検査終了後、検査医師による説明。小生の場合、良性のポリープが直腸にあった。

 まさに、最もよく発見される位置に、ポリープ

があったのだ。5ミリの大きさだった。そのカラー写真も見せられて、内視鏡で手術して、取り除いたという。そのカラー写真は患者にも手渡されて、持ち帰ることができた。ポリープを切除する前、手術後の様子が映っていた。手術後には、クリップのようなもので患部がクリップされていて、完治すると、それが自然ととれて、便と一緒に輩出されるという。つまり、傷口をふさぐ止血クリップ(1本5000円)。

 そんな説明を聞いて一安心。良性ポリープは念のため、細胞検査(生検)をして、がん細胞でないことを確認するという。通知は、2週間後に、また、予約して、受診。担当医師の最終的な診察を受けて、無事、終了となるらしい。

 この日の内視鏡手術(良性ポリープ1カ所)代は、使用したさまざまな手術材料費も入れて、3割負担の保険でも

 手術代=21000円

だった。

  支払って、家に帰り、安心したせいもあるが、ポリープのほか、自分の尻の穴のカラー拡大写真をしげしげと見てみた。確かに痔(じ)であり、ここから血液が漏れだして、検便で潜血反応が出たのだろう。医師によると、小生の年齢で、痔(じ)に悩まない人は少ないという。多分、そうだろう。

 それにしても、生涯、初めて、自分の尻の穴のカラー拡大写真をみて、汚いということよりも、正直不思議なものをみるような感情にとらわれた。もう一組、大腸の内部のカラー写真が添えられていたが、これはどうということのないただの管内部だ。自分の大腸の内部を見たのも初めてだった。

 この写真を見て、こんどは痔(じ)の治療かな、とイヤな気持ちになり、早めにベッドに入った。

 翌日、つまり、内視鏡検査・手術の翌日、術後の状況を医師の診察あるいは問診により確かめるために、また、来院し、

 診察費=390円

支払った。

 これが、一連の大腸検査(内視鏡検査)の一部始終だが、最終的な検査結果は、2週間後である。交通費も含めて総額は3万円近くかかった。しかし、内視鏡では取り除けないがんだと、大事になったところだ。別途、後日の手術(腹腔鏡下手術など)で手術代がかかるから、経済的にも大変だ。

 ただ、この検査後に毎食、3回にわたって飲むように指示された薬があった。

 アドナ(AC-17)錠 30mg 毛細血管を補強し、抵抗力を高める止血剤

 トランサミンカプセル 止血剤

となかなか慎重である。このほかにも、一週間にわたって毎食飲むように指示された粉薬(ラックビー微粒 1g グラニュー糖 ? )を渡された。説明書きには、下痢などを改善し、腸内の有害な菌の増殖を抑え、腸内環境を整える整腸剤とあった。

 こうした慎重な検査後処理の背景には、どうやら、手術に伴う副作用の抑制があるらしい。

 少し調べてみた。

 国立がんセンター がん予防・検診研究センターの検診研究部長、斎藤博氏の

 近著「がん検診は誤解だらけ 何を選んでどう受ける」(NHK出版)

によると、内視鏡検査による大腸がん検診について、

 「大腸の内視鏡検査はがんを診断するための検査としては(腹部CT検査よりも 本欄記入者の註)精度が最も高い大腸がんの検査法」

と書かれている。だから、斎藤氏は、50歳-70歳の人はこの検査を、安全性が担保された病院で、一度受けることを推奨している。

 それでは、なぜ、そんな大腸検査を、健康政策としての、いわゆる「対策型検診」に組み込まれていないのか、不思議だ。現在は、任意型検診として受ける事になっている。その理由は、この本によると、検査そのものや、下剤に「重大な副作用があり、不利益が大きいから」だという。「中には命にかかわるものもあります」と指摘している。胃カメラよりも危険が伴うらしい。それで、検査に入る前に

 検査承諾書

を取った訳なのだろう。ただ、有効性がしっかりと確立している便潜血検査を前提にしており、また、内視鏡検査自体も有効性が確かめられているという。つまり、もっと不利益を最小限に抑えられるようにになれば、対策型検診に取りいれられるのだろう。

 ただ、大きなメリットは、内視鏡検査で異常がなければ、つまりがん細胞が見つからなければ、「5年間はリスクが変わりない」という。つまり、5年生存率が極めて高く、5年間は安心なのだという。これは大きい。

 内視鏡検査は、近い将来、いずれ、対策型検診として通常の検診に取りいれられるであろう

ということが分かった。

 感想。

 まず、紹介状で、いい医師を紹介していくれるかかりつけ医師を持つことだ。次に、いい検査機器もさることながら、診断能力の高い医師を探すことだ。それには、流行っている病院を選べ。ヒマな病院はまずダメ。そんな基準で病院を紹介してもらったのは、当然ながら、正解だった。

 内視鏡検査の前、朝、時間があったので、クリニックの近くの西ヶ崎八幡神社に、しゃれではないが願(がん)かけに行った。境内の桜は満開だったから、きっとがんではないとなんとなく無理矢理確信した。願いを聞いてくれたので、八幡様を信じる気になった。

 もう1つ。大腸がん検査の医師(副院長)は、元静岡県立総合病院の消化器センター外科医長だった人で、クリニック内の掲示板によると、

 大腸がん手術症例 350例(年間75例、うち腹腔鏡下手術25例)

 胃がん手術症例 120例 

これが多いのか、少ないのかはよく分からないが、これくらい症例を重ねていれば、十分信頼できるように感じた(全国には、何千例も大腸がんを処置してきた「名医」もいるらしい)。このくらい経験があるのであれば、大腸がんを見逃すことはないだろうと思った。こうしたことを堂々と掲示するぐらいの医師であってほしい。なお、この医師は

 セカンドオピニオン外来

も担当している。腕がいいからだろう。ただし、30分で5250円だ。5000円で命が助かると考えれば、安い。

 余談を1つ。

 この内視鏡検査を受けた翌日の

 4月5日付静岡新聞によると、小さな記事だが、

 職場がん検診「希望」は97% 官民プロジェクト調査

というのを見つけた。職場でがん検診があれば受けたいという人は97%もあるのに対し、実際に企業でがん検診が行われていると回答したのは、わずか2割強。(付記 厚生労働省によると、最近の40歳以上の日本人のうち、大腸がん検診(便潜血検査)を定期的に受けているのは、男女平均して約25%)

 これも問題だが、さらに問題なのは、94%の人が定期的にがん検診を受けるべきだと思ってはいるものの、つまりわかってはいるものの、実際に受けている人は13%に過ぎないという数字だ。強制力がないと受けないのだ。企業に検診がなくても、自治体も住民検診をやっているのだから、その気になれば、がん検診は受けることができる。しかし、会社の検診のように強制力が働かないので、なかなか、がん検診を受けないのが実情だろう。このことは会社勤めをしていない家庭の主婦には健康診断を受けていない人がかなり多いことをうかがわせる。本人負担があるから、余計に受けないのかもしれないが、自己責任とばかり見過ごすわけにはいかない。進行がん、末期がんの医療費となれば、国の、つまり税金の負担は重い。

 そんなことを考えさせられた内視鏡検査だった。こんなことがわかったたげでも、締めて3万円は案外、安かったかも知れない。それにしても、八幡さん、ありがとう。桜咲く。

 今年の私の10大ニュースの1つとなるだろう。あと5年は大腸がんで死ぬことはないことが分かったのだから。乾杯といきたいが、実は、検査後、2週間は酒を控えよとの指示が出ていた。残念。いや、ノンアルコール・ビール(キリンフリー 0.00%)があるか。2010.04.05

  追記 2010.04.18

  良性のポリープ(大腸腺腫)だったが、検査後、2週間後の4月18日に、生検結果など正式な検査結果が受け持ち医の柏原医師から伝えられた。

 良性から悪性の順に、グループ1から5までの段階で、内視鏡で切除したポリープは「最も軽いグループ1」だった。グループ5というのは、大きな大腸腺がん。

 これをもう少し詳しく言うと、大腸がんは多段階発がんであり、次第に遺伝子に傷がつくことでがんに成長する。

 正常細胞のAPC遺伝子が傷つくとグループ1になる。それが、さらに、k-ras遺伝子が傷つくと、ポリープはさらに大きくなり、この段階で、p53という遺伝子が傷つくと、ついに、がん化して、がんになる。この3遺伝子が段階的に傷ついて、がん化する。

 APC遺伝子 ⇒ k-ras遺伝子 ⇒ p53遺伝子

と段階を踏んで、がん化するという。

 がん化したポリープが、2センチ以内なら、クリニックの内視鏡で切除。それ以上大きくなると、浜松医大で開腹手術で切除するという手順なのだ。

 大腸がん予防薬はないが、食事療法で和食に心がける。しかし、高齢者ではこれまでの食習慣により、いまさら食事を変えても大腸がんの発生をとめることは難しい。それよりも、がん発生の初期、あるいは手前で内視鏡などで取り除くことが大事であると、医師からアドバイスを受けた。

 厚生労働省は、便潜血検査を3年に一度受診し、陽性の場合、内視鏡検査を受けること

と指導しているらしい。しかし、

 医師会側は、毎年受診すること

としているらしい。グループ1から5に2、3年で移行することがあるからだという。その間、見落としもあるからであり、商売としても、受診は頻繁であればあるだけ結構だからだろう。

 これだけの説明を受けて、医療費3割自己負担で

 510円

 だった(医療費は171点、つまり1710円。再診料である)

  クリニックを出て、境内のサクラが葉桜になってしまった近くの八幡神社に、無事検査が終わったことを報告し、快晴の空の下、帰途に着いた。

 血塗られた便は、痔または大腸がんからの手紙である 中谷便吉郎

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特別展北斎「冨獄152景」  様式化された富士山と生活感のある風景

 4月5日付朝日新聞朝刊を見ていたら、ヒマネタなのに、1面真ん中に

 いったいどれだけ離れたところから富士山は見えるのだろう

という記事が出ていた。ウェザーニュースという民間気象会社が情報提供を呼び掛けて得た結果の紹介だ。それによると、約200キロも離れた栃木県大田原市からも見えるそうだ。西では、約150キロ離れた愛知県田原市。南では、約100キロ離れた東京都利島(伊豆諸島)だったという。文献などによると、最も遠くから見えたのは、

 約320キロも離れた妙法山色川富士見峠(和歌山県)

だという。この記事で面白かったのは、

 都内から富士山が見える年間日数が最近では増加傾向にあるということだ。高度成長時代の1965年には、年間22日と過去最低だったのに対し、1999年には100日をこえ、昨年も101日だったという。1960年代には大気汚染が進んだからだろう。その後、ヒートアイランド現象が進んで、大気が乾燥し、霧や雲が発生しにくくなったからだと、観測を指導した教師(地理)は分析していると記事にあった。

 ところで、

 今、静岡市の駿府博物館で「北斎の152景」という特別展を開催している。カラー錦絵の本編(表富士)の36景、追加の10景、さらに色変わり4枚。さらに北斎がこの「冨獄三十六景」を描く前にかいた「富嶽100景」の102景、合わせて152景というわけだ。いずれも1830年前後に制作されたのだという。北斎が描いたほぼ全作品が一挙に看れるのだから、1000円の入場料は安いかもしれない。

 確かに、富士山に憑かれた男、葛飾北斎

という感じがした。並べて比較すると、やはり「冨獄三十六景」の46枚は、色使いが、全体青や緑で統一されている、あるいは富士山を自ら実見した実景を下地にしながらも、高度に様式化されているなど、完成度がスパ抜けて高い。それに、構図が大胆、たとえば、ど真ん中に太い幹の木が真っ直ぐに画面を二分している構図があったり、大きな桶の輪の中に遠景として三角形の富士山を配置するなど、びっくりだ。

 さて、北斎は、実際に富士山を、いろいろなところから見て、それを昇華し、自分なりにイメージして描いているが、それではどこからその冨士を描いたのか、その分析した表が、展示会場に張り出されていた。

 46枚のうち、三分の一は、江戸からだ。北斎は江戸に住んでいたから、これは当然

 ほとんどは雪を頂いた富士山だが、1枚だけ、夕景の両国橋から見た富士山は、雪のない黒い山だった。

 それでは、小生の住んでいる、そして富士山のすそ野の静岡県内からは、どうか。10カ所。もうすこし多いかと思ったが、こんなものかと合点した。このうち、静岡市からの景色は、

 駿州江尻 大風に菅笠や懐紙が何枚も飛ばされている様子

だった。

 様式化された冨獄図だが、こうした生活感のある風景

を北斎も巧みに描いているのには感心した。

 駿州江尻の図は、あきらかに文化的景観、生活感ある風景

であろう。三十六景には、愛知県豊橋の高台にある茶屋からの風景も描いていた。当時も、こんな遠いところからも、それも肉眼でちゃんと見えたのだ。2010.04.05

 追記

 気付いたのだが、「冨」獄三十六景であり、「富」嶽百景であるという点だ。注意しよう、「ワ」冠と「ウ」冠。

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堂平天文台 今は昔

 先日、NHKの朝の番組「小さな旅」を見ていたら、 

 堂平天文台

というのが出ていた。かつて私も、東京天文台堂平観測所だった時代に、あのりっぱな

 91センチ反射鏡

のお世話になった。当時は、岡山天体物理観測所(180センチ鏡)に次いで大きく、研究用に使われていた。それが、国立天文台堂平観測所になり、今日に至っている。

 番組で知ったのだが、一時、91センチ鏡が、観測所廃止に伴い、名古屋大に移設されることになっていたという。それが、何かの不具合で、再び戻ってきたのだという。それで、市民の観望会用に活用されているというのだ。なんとも、豪華な観望会だ。火星の観望会が行われている様子が紹介されていた。世話人は、微かに記憶のある、山口達二郎(台長?)だった。

 うれしかったのは、この堂平天文台のある埼玉県ときがわ町の街おこしに、この鏡が役立っていることだった。

 この小さな旅のタイトルは

 星空が呼んでいる

だったが、もう一度、訪れたいと思った。私の青春時代の一こまだ。2010.04.03

 

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遺伝子ドーピング 勝つためには、ここまでするか。あれば使うのが人間とも。

 3月31日付静岡新聞「時評」欄に、静岡大学教授(運動生理学)の山本章さんが

 遺伝子ドーピングの危険

について、書いている。ドーピングとは、選手の健康を脅かさないよう、あるいは競技の公平性を守るため、禁止された薬物や禁止された方法を使用することをいう。反ドーピングとは、そうした違反行為を取り締まることを差す。

 山本さんは、世界反ドーピング機関(WADA)のフリードマン博士らの米科学雑誌に掲載された論文

 「遺伝子ドーピングとスポーツ」

を紹介している。論文では病気を治すための遺伝子治療が、競技力向上のための手段として使われている現状を批判しているという。これだと、禁止薬物を飲むわけではないから、一見、不正行為ではないように思う。しかし、禁止方法なのであり、不正行為に入るのだ。

 ネット上には、瞬発力や持久力を高める遺伝子情報を調査する企業も登場しているという。ということは、それを必要としているスポーツ関係者がいるということだろう。この情報には、科学的に安全性が確かめられたものではないあやしげな方法、情報もあるという。勝利至上主義の行き着く先なのだろう。

 健全な肉体には、健全な精神が宿る

というスポーツの意義はもはや、遠い世界の話なのだろうか。

 現実は、勝利至上主義という邪悪な精神の行き着く先には、肉体の破壊が待っている。だが、人間の精神が、勝利至上主義から解き放たれることは至難だろう。それが人間なのだ。より速く、より高く、より強くのオリンピックは、この勝利至上主義とスポーツマンシップのせめぎ合いのなかで行われており、ある意味こわい。2010.04.01

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