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あんパンを献上した男 駿府博物館の山岡鉄舟(鉄太郎)展

 明治天皇の侍従をしていた山岡鉄舟については、徳川時代から明治にうつる境目で行われた歴史的な会見、江戸城無血開城の

西郷・勝会談をセットした男

という印象が強い。場所は江戸・三田の薩摩藩邸。しかし、この歴史的な会見が実を結ぶためには、鉄舟の決死の覚悟での下工作、談判があったはずである。その程度は小生もなんとか知っていた。しかし、鉄舟の覚悟のほどが伝わってくる展覧会がある。鉄舟の人となりや、かかわった明治の群像について

 山岡鉄舟と明治の群像展

を開催している駿府博物館である。静岡県外出身の私は、下工作の談判(西郷が提示した降伏7か条など)が行われた場所(西郷・山岡会談)が、静岡市葵区伝馬町の繁華街(トップセンタービル近くのベガサート)であると知って、はじめて博物館の帰りに、その歴史的な場所に立ち寄った(伝馬町通りは、旧東海道)。案内板だけだったが、会談は1868年(明治元年)3月9日に行われたらしい。

 見に行ったのは、3月14日、日曜日だったが、この日に談判の結果を受けて最終的な合意に向けて東京の薩摩藩邸で勝・西郷会談が行われたというから、思いひとしおだった。それにしても、明治時代の出発点が伝馬町の繁華街あたりにあったことに思いを馳せた。なお、石碑が建てられているところは、松崎屋源兵衛の屋敷があったという。

もうひとつ、この展覧会には、なぜか、

 静岡新聞 第一号、第二、第三号

が展示されていた。木版でB5くらいの大きさの冊子本型である。発行日はいずれも明治6年(1873年)2月。活字で日刊紙ではないものの、全国でも比較的に早い発行だろう。「官許」の印が押されており、定価は「貳銭」である。2銭である。

 なお、この新聞は、現在の静岡新聞(]1941年12月1日創刊、真珠湾攻撃の一週間前)とは無関係らしい。

 勉強になった日曜日であった。

 鉄舟というと、どこか堅いイメージだったが、会場で配られたパンフによると、

 あんパンを明治天皇に初めて献上した男

と出ていた。あんの日本文化とパンという西洋文化の融合であり、文明開化の象徴の1つである「あんパン」が山岡につながるとは面白い。山岡鉄舟という男が急に身近になった。この意味でも、繰り返すようだが、非常に勉強になった日曜日だった。2010.03.15

追記 2010.05.24

山岡鉄舟の生涯については、山本兼一さんの最新刊

 「命もいらず名もいらず」(NHK出版)

があることを知った。5月23日付静岡新聞「読書」欄に、文芸評論家の末國善己さんが「人生を変える一冊」となるような小説と高く評価している。書評によると、鉄舟は

 うそをつかない、己の心に恥じない、腹を立てない

などの生活ルールを厳格に守った生き方をしたという。あんパン男は、あんパンではなかったのだ。

 しかし、最初の二つはともかく、腹を立てない生き方は、今の世の中、無理というか、そんなことをしていれば、

 うつ

になるだろう。小生なら、腹を立てないために、腹の立つことを、大いに笑い飛ばそう、というのにしたい。これなら、うつにはならない。これが、うそをつかず、自分に正直に生きる人生のコツだ。 

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