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2010年2月

地球温暖化スキャンダル

 2月25日付読売新聞社説、

 地球温暖化 不信を広げる研究者の姿勢

を読んで、思い出したのは、20年前の

 超電導スキャンダル

であった。この社説の書き出しは、

 地球温暖化問題の前提とされてきた科学的な論拠を巡り、国内外で場外乱戦が続いている。

と、科学問題にしては、尋常ではない書きだしである。例のイギリス人研究者のデータごまかし電子メール事件などを論じているのだが、結論は、「研究者には、冷静な議論が求められる。」と結んでいる。

 この社説の「国内でも、CO2による温暖化説を疑問視する研究者が、東京大学の刊行物で自説を誹謗中傷されたとして、東大を東京地裁に訴える事態が生じている。」というのは、刊行物は知っていたが、それが基で訴訟騒ぎになっているとは知らなかった。

 例の「2035年」は、もともと「2350」だったというから、「0」と「5」が意図的に入れ替えたか、単なる単純なミスだろう。

 小生は、温暖化が起きているのは事実だが、それが、人為的な原因によるものという説にはいまだに疑問を持っている。産業革命以来の大気中の二酸化炭素濃度の上昇幅が、ここ数十万年の変動幅をかなりこえているのは事実。しかし、人為的だと仮定して、自然変動と人為変動を重ねて、現実の変動の様子を比べてみると、変動プロフィールがよくフィットするというのは、当たり前だ。パラメーターを増やせば、自然変動だけを仮定した場合よりよくマッチするのは、どんな場合でも理の当然だからだ。いくらパラメーターがリーズナブルな範囲に収まっているからと言って、根拠も示さないようでは「アワスメント」であり、ちゃんとした研究者がすることではない。

 今回のスキャンダルは温暖化を冷静な目で見る機会にはなる。2010.02.25

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歴代天皇のうち、富士山を初めて見たのは誰で、それはいつか

 表題の質問の答えは、

 明治元年10月4日、明治天皇が、現在のJR金谷駅にあるトンネルの上にあたる金谷台だ。小生は、平日、浜松から静岡までJRでこのトンネルを通過しているが、まさか、この上で明治天皇が、歴史上初めて富士山を眺めたとは知らなかった。2月22日付静岡新聞

 連載「皇室と静岡 天皇、大井川を渡る」

で、静岡福祉大学教授の小田部雄次さんが書いている。小田部さんは、皇室に詳しいことから、信頼していいだろう。金谷からは確かに、大井川越しに晴れていれば富士山が見える。ただし、現在は、大井川沿いにある東海パルプの工場煙突も見え、時々、煙突から白い煙が出ているのが気になるが、明治のころは、それもなかったから、天皇もその雄姿にきっと感動したに違いない。

 それにしても、明治維新で天皇が京都から江戸東京に遷都するまで、富士山を直接見ることはなかったことに初めてこの連載を読むまで気付かなかったのは、不覚だった。

 では、どうして渡ったかというと、まだ、鉄道は当然なかったから、昼食をとった後、見出しにあるように

 中州から中州へと仮橋架け

と大井川を渡ったらしい。つまり、それまでは人足の肩車か、蓮台によるしかなかったという。しかし、明治天皇は、それらではなく、禁止されていた架橋で、堂々と渡ったのだ。

 徳川時代は終わったということを天下に知らしめる一大イベント

だっただろうと思った。その後は、明治天皇も大正天皇も昭和天皇も鉄道で通過したらしい。

 身近な通勤風景の中にも、こんな歴史的な出来事があったことに驚いた。2010.02.25

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「富士山の日」(2月23日、静岡県) 

 静岡県が、川勝平太知事の肝入りで今年から、語呂合わせで、

 2月23日を「富士山の日」

と定めている。あらためて富士山の姿を見てみたいと、2月20日、土曜日、絶景のビュー・ポイント、

 駿河湾上からの雄景(駿河湾フェリー上)

 伊豆市の達磨山や金冠山山頂(820㍍)からの絶景

を楽しんだ。快晴に近い好天だったが、それでも、雪を頂いた山頂がまわりにうっすらかかる雲やかすみなどから顔をだしたり、隠れたりと刻々とその姿を変える洋上からの眺めは圧巻だった。時には、わずか数分だったが、雪のない4合目まで姿を現したのには感激した。かつて住んでいた北陸の霊峰白山も神々しいが、やはりその均整の取れた秀麗な富士山の山容はすばらしい。中央アルプスの雪をかぶった山々のつながりが小さく見えたのは気のせいか。あらためて、

 静岡県は、北の富士山、南の駿河湾の国

だと納得した。修善寺梅林の白梅、紅梅があちこちに咲き始めていた。北陸はまだ雪の中で、春はまだ名のみだが、伊豆では春は近い。そんな気分にさせてくれた伊豆の旅だった。

 富士山を世界文化遺産にしようとの運動が静岡県、山梨県で進んでいるが、そして、一点豪華主義の登録は最近では極めて難しいと言われている。富士山と駿河湾を結びつけた世界文化遺産運動ができないものか。そんな思いにしてくれた小さな旅だった。2010.02.21

  追記

 2月22日付静岡新聞夕刊1面「窓辺」に川勝平太静岡県知事が

 富士山の日

と題して、エッセイを寄稿している。それによると、

 富士山の見える日数の割合は、12月から2月の冬季には7割をこえている

という。平均して3日のうち2日以上見えたことになる。さらに、一昨年の月別では、2月は9割の日で、富士山が見えたという。つまり、ほとんど毎日見えたというから、すごい。

 ただ、雪を頂いた山頂からすそ野まで、くっきりと、しかもかなり長時間にわたって見えていたという日は、すさがにそう多くはないだろう。小生、富士山の見える静岡市のビル5階で仕事をしているが、その経験で言えば、2月でも、一週間に1日か、2日くらいしかないのではないか。

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再来 ? デイ・アフター・トゥモロー ワシントンの意外な弱点

 毎日新聞の2月15日付によると、ワシントンなど首都圏で、大雪の降る日が続いているらしい。

「AP通信によると、ワシントンDCではこれまで、1898~99年にかけての積雪量138㌢が過去最高だった。だが、今回の冬は、すでにそれを1㌢上回ったそうだ」

と書かれているのだ。意外な弱点というのは、

ワシントンDCは、首都なのに大雪への備えが十分ではなく、これしきの雪で、なんと、聯邦政府が「臨時休業」を宣言し、3連休したそうだ。同紙の北米総局記者は「ほぼ機能停止状態に陥った」と書いている。こんな時にテロが起きたら、どうなるかと嘆いている。

 なるほど、面白い見方

と感心した。

米国は海外で敵を見つけて戦う備えはできている。しかし、9.11同時多発テロもそうだったが、国内の備えは意外となされておらず、弱点となっている。

「今回の大雪は、米国の心臓部の弱点を、(9.11事件に続いて)改めてさらけだしたような気がする。」

と記者は結んでいる。その通りだろう。

この記事を読んでいて、6年前の夏に日本でも公開された

「デイ・アフター・トゥモロー」

を思い出した。異常気象で、ニューヨークが大雪と大寒波で都市機能が完全に麻痺する話である。

今回の大雪は、温暖化の将来は、地球の熱死ではなく、異常気象の時代

ということか。

温暖化で大気温度が上昇すると、ある日突然、氷河期がやってくる

そんなことを想像したくなる。

つまり、温暖化は、だんだん暑くなり、ついには人類は熱死するというような単純なリニア現象ではない。ノンリニアな気象現象だということを知るべきだろう。厄介だ。

今回の歴史的な大雪も、映画も、そんなことを警告しているような気がする。2010.02.18

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「横綱の品格」って何だろう 静岡新聞社「社説」読んで

 静岡新聞社の2月5日付社説

 朝青龍引退 土俵の美学理解できず

を読んで、あらためて

 「横綱の品格」ってなんだろう

と考えた。どの新聞の社説を読んでも、この疑問に対する明確な答えはなかったように感じた。そこで、自分で考えたのだが、要するに

 土俵上にあっては、勝ち負けにかかわらず、対戦相手を敬う振る舞いをする

ということではないか。そうすれば、社説に書いてあったような「まげをつかむ反則」もしないだろう。土俵上でのダメ押しのダメ押し、というはしたない行為もなくなるだろう。ましてや相手を敬う気持ちがあれば、勝った時のガッツポーズも慎むだろう。もうひとつ、

 土俵外にあっては、社会的な常識をわきまえる

ということも品格には含まれるだろう。そうすれば、「風呂場で対戦相手と口論を起こす」こともないだろう。いわんや、「過去に本場所で敗れた格下の相手に対し、けいこでたたきのめす」ようなこともできないだろう。社説によると、朝青龍には、けいこで「プロレスまがいの技で、けがをさせることまであった」というから、この常識が欠けていたといわれても仕方がない。

 横綱の品格とは、何もむずかしいことではない。土俵上にあっては相手を敬った戦い方をし、土俵外では、横綱に限らず、だれでもが求められる常識という社会規範を守ることなのだ。

 横綱の品格とは何か、と真正面からあらためて問われれば、ちょっと答えに窮するかも知れない。が、実は、簡単なことなのだ。簡単すぎて、かえって答えられないというのが、

 「横綱の品格」

なのだ。そんなことを社説から学んだ。

 ただ、別の角度から、マスコミに少し厳しく言えば、引退した後で、こうした行状をあれこれ言うのではなく、事あるごとにもっと指摘する必要があったと思う。マスコミがあまりこうした朝青龍の行状をたしなめなかったことが朝青龍を増長させた大きな要因だったように思う。指導に当たる親方だけが問題ではないのだ。2010.02.12

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森に行こう 日本の森、ドイツの森

 静岡大学名誉教授で、鹿児島大学名誉教授でもある今永正明さんの講演、

 日本人の森、ドイツ人の森

を静岡市内のホテルで聞いた。今永さんは、森林の効果的な配置を研究する

 森林経理学

の専門家だ。聞いてちょっと驚いたのは、ドイツ人と日本人の森林観のきわだった違いだった。

国土面積に占める森林面積が約7割と大きい日本の国民は、「見晴らしのよい山」や「静かな湖」を好む

のに対し、

森林面積が32%と少ないドイツの国民は、6割近くと圧倒的に、見晴らしのよくない「深い森」を好む

という森林観をいだいている。「深い森」に行きたいという日本人は、どの都市の調査でも、数%だ。ヨーロッパの国々はおおむねドイツ型だ。今永さんは、森林が多い日本では、森が意識の外に置かれている、これでは森林国家日本の将来が心配だと嘆いていた。日本の森は日本列島の背骨の、しかも急峻な山地に配置されていることから、日本では森に親しむ機会が、国内にほどよく散らばっているドイツに比べ、少なかったというのが、森林経理学からの結論のようだ。

 では、どうすれば、森林に親しむことができるのだろう。今永さんの「構想」によると、まず、お孫さんを連れて、身近なレクレーションの森に行こう、これまたお孫さんを連れて中高年は山歩きをしよう、というのだ。お孫さんを連れて行けば、お孫さんが将来ずっと森を愛するようになり、息の長い取り組みにつながるという。森の育成には、50年、あるいは100年の歳月が必要なのだ。

 今永さんの、理想の森とは、

 太いスギが谷筋をがっちり守り、中腹にはヒノキ、尾根にはアカマツ。さらに各地で特色ある色鮮やかな広葉樹林や混合林

だという。これも森林経理学の結論なのだろう。これを「森林楽土」ともいうべき姿と話していた。

 そこまで行くには、50年ぐらいは掛かるらしい。

 講演を聴いての感想。

 まず、その手始めに、静岡県のレクレーションの森

 静岡県立森林公園(浜松市浜北区)

 に行ってみたいというものだった。ここは主として天然のアカマツが多い。野鳥の森もあるらしい。

 何気なく聞いた講演だったが、意外に拡がりのある話だった。

 追記

 森についての最近のガイドブックには、ビジュアルのものとしては

 『日本の森 ガイド50選 森の中の小さな旅』(山と渓谷社)

がある。NHK-BS放送「日本の森」(2002年放送)を単行本化したものらしい。映像版もあることを紹介しておこう。

 この講演は「京友会」の卓話として行われた。2010.02.08

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孤高と清貧の画家 石井一男

 気になっていた画家の生涯を綴った本、

『奇蹟の画家』(後藤正治、講談社)

が出版されていることを、2月7日付静岡新聞「書評」欄で知った。かのルオーの表現方法とよく似た筆致が特徴だが、赤と黒で描いたような聖母マリアの絵が印象的である。心休まる絵だが、癒やし系というには、あまりに清冽だ。私生活も絵そのままに清貧で、それも孤独というより、孤高の生活のように感じた。飄々と人生を歩んでいる。時々個展を開いているようだが、一度訪れてみたい。

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「横綱、がんばってください」の ?  激励に、なぜ朝青龍は激高したか

 横綱、朝青龍が

「横綱、がんばってください」

に激高し、声をかけた男性にケガをさせた。この騒動から、朝青龍は二週間後に引退に追い込まれた。なぜ、激励したのに、横綱は激高したのか、不思議だ。10代で日本に来て、大相撲に入ったから、言葉の微妙なニュアンスがわからず、誤解したと思っていた。

 ところが、2月5日のNHK教育テレビ「視点・論点」を見ていたら、山本浩法政大学教授が、朝青龍はこの2、3年は

 身体のコントロール

限界、ぎりぎりの土俵をつとめていて、肉体の限界にあったと解説していた。ハッと気づいたが、あまりの強さに、横綱は軽々と土俵をつとめていたように早合点しがちだが、そうではない。限界に達していたのだ。それなのに、これ以上、

がんばれ

とは何事か、とカチンときたのではないか。堪忍袋の緒が切れた。これには参った、そのとおりだろう。

 この視点・論点は

 朝青龍引退が問うこと

というタイトルで話していたが、それは、

 完結型の部屋制度に問題がある

と言うことだ。日本人弟子の育成、外国人力士の養成はもう限界に来ている。相撲協会が日本人若者の育成、外国人力士の育成について、前面に出る時期に来ているという結論だった。もはや一親方では対応できない。協会が前面にでるへきだという趣旨だった。そのとおりだ。

 朝青龍の親方のしつけが悪いというだけでは、限界であり、問題は一向に解決しない。新理事になった貴乃花親方も、大相撲界の改革には理事として協会全体の取り組みが必要だと認識しているだろうし、それが必要だ。

 この視点・論点の解説を聞いて、初めて今回の朝青龍引退の意味がわかった。要するに、もはや部屋制で完結するシステムは限界であり、協会が改革の前面に出る必要がある。それができていないから、今回のような騒動が起きた。協会の改革はようやく始まったが、この改革がさらに進まないと、第二、第三の朝青龍がこれからも出てくるだろう。そういうことだったのだ。この意味でも、朝青龍は相撲界の救世主だ。2010.02.05

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グランブルー 人はどこまで素潜りできるか

 先日の土曜日、夜NHK「ワンダー×ワンダー」を見ていたら、バハマでの世界フリーダイビング大会の様子を紹介していた。沖縄県の海で活躍する日本人フリーダイバーも参加していた。要するに、潜水道具なしの、ウエットスーツだけで、どれくらいの深さまで素潜りできるか、という競技だ。番組では110㍍潜ったダイバーが優勝した(日本人ダイバーは100㍍を切っていた)。気圧はなんと、11気圧+大気圧に耐えたのだ。サッカーボールがぺちゃんこになる深さだという。このあたりが、

 漆黒のグランド・ブルー(グランブルー)

らしい。ここまでくると、肺の中の酸素もかなりなくなり、脳への血液供給も窮屈になり、とても、恍惚とした状態になるらしい。「ブラッド・シフト」という脳への血流が優先されるように体が反応するなど、海と自分の体が一体になるようにも感じるという。このあと、ターンして、浮上するという。ここで意識を失い(ブラックアウト)、失格するダイバーもいるという。大変に過酷というか、危険な競技だ。

 人間の順応とはすごいものだ。そんな感動を覚えた。

 ただ、進化論的には、なぜ、人間は100㍍、11気圧の深さに限界があるのか、このなぞを解明するのは面白いだろう。人間の体は、なぜ、この深さまで耐えられるのか、きっと人間の、あるいは哺乳類の進化の過程にそのなぞを解くカギがあるはずだ。番組ではそこまでは言及していなかったのは残念だ。というか、そんな発想はもともとなかったと思う。2010.02.03

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それでも火星を目指す 米国の心意気いまだ衰えず

 小さなベタ記事だが、かえって米国の火星に対する根強い憧れ、はっきり言えば

 米国人には火星人のDNAが組み込まれている

というがわかる報道を見つけた。2月2日付静岡新聞夕刊だ。

 有人月探査を中止 ステーション運用は延長

という記事だ。短いので、「ワシントン共同」電には悪いが、後半の14行を全文引用したい。

「月探査中止は、計画の遅れと予算不足が理由。次世代の有人宇宙船「オリオン」と、打ち上げ用のアレス1、アレス5という2種類のロケットを開発する計画で、これまでに90億ドルが投入された。今後は、より革新的な技術を開発し、(月以外の)新たな目的地を検討する。ロイター通信によると、目的地は火星などが対象という」

となっている。月に基地を建設し、重力の弱い月を足場に火星に有人飛行をするのが、これまでの計画。火星に行くのは、月に行くよりはるかに難しいのだから、月有人飛行を中止するということは、有人火星飛行計画をあきらめるのかと思いきや、むしろ、月よりも火星を目指すというのだから、米国人の火星好きは、百年前に火星人説を唱えたP.ローエル以来、少しとも変わっていない。米国人の宇宙開拓者精神には、火星人のDNAが組み込まれていると言いたくなる。

 リーマンショックで経済的に苦境に陥っても、米国は火星有人飛行という国民の夢を捨ててはいない。アメリカの強さの秘密を見たように思う。

 夢を高く掲げ、現実にめげないで着実に実現しようというその姿は、かつての開拓者精神の伝統を今も持ち続けていることを示していないか。

 日本で、月は資金不足でダメだが、その代わり火星にしようと提案したら、政治家はなんと言うだろう。想像するだにおぞましい。アメリカ国民には、有人火星飛行の実現という壮大なる夢がある。それが国益にもかなうというのだから、うらやましい。

 火星は、アメリカ政府にとっても、国民にとっても「めげない活力」なのだ。

 そんなことを強く印象づけたベタ記事だった。「ワシントン共同」さん、ありがとう。2010.02.02

  追記 2010.02.03

 と言ったのはいいのだが、この月有人飛行計画の中止を、もう少し広い視野で見ると

 宇宙版QDR

 と言えるだろう。理由はこうだ。

 米国防省は、つい先ごろ「4年ごとの国防計画見直し(QDR)」で、従来のような国家間の冷戦型兵器に大なたを振るい、アフガン、イラクなど「非対称で非正規」な脅威への対応にシフトした報告書をまとめた。報告書には、明示的には宇宙戦略について論じられたわけではないが、最先端の軍事技術開発の任務もあるNASAとしては、月有人飛行計画も冷戦型思考に基づいたものとみなされかねないとして、中止に方針転換したのであろう。つまり、発想の転換で予算改革に取り組もうとしているとも考えられる。

 そこで、NASAは新思考で、月といういかにも1960年代冷戦型のプロジェクトをやめて、いきなり火星を目指すという大胆ではあるが、21世紀型とも言うべき念願の構想に着手しようというわけだ。この転換は、ある意味、戦略的だ。こうした戦略転換も、国民の宇宙にに対する、とりわけ火星に対する強い支持があったればこそだろう。

追記の追記 2010.02.04

それでは、どのくらい、米国民は、月や火星へ有人飛行を望んでいるか、支持しているかということになる。2月4日付毎日新聞「科学」欄によると

 米有人月探査計画中止

について、特集している。このなかで、1月中旬に行われた米大手調査会社の世論調査で、

 「米国民の5割は、月にも火星にも人を送ることを望んでいない」

という結果が出たそうだ。このことが、オバマ大統領が計画(コンステレーション計画)の打ち切りとなったようだ。

 ただ、NASA長官は「有人宇宙飛行はわれわれのDNAだ。新しいアイデアと技術に投資するのであって、宇宙飛行からの撤退ではない」として、民間活用など宇宙への挑戦を続けると訴えたらしい。冷戦型のプロジェクトではなく、民間活用型というポスト冷戦型にシフトさせるというわけだ。

 問題は、今回の月への有人計画の打ち切りが、日本の宇宙開発計画にどう影響するか、である。月への有人計画には、大きな影響が出るだろう。

 日本には、昨年決定された「有人を視野に入れたロボットによる月探査」という宇宙基本計画がある。しかし、数千億円とも言われている巨費を投じて、月にロボットを送り込んでどんな意味があるのだろう。有人飛行については、日本は米国との国際協力を前提にしている。それが崩れ、ロボットだけでは、日本人に思想的な影響を与えるインパクトはないのではないか。また、無人に比べて1けたも2けたも高いハードルとなる有人計画に展望が開けないとなれば、技術的なブレイクスルーも望めないのではないか。

 今回の米政府の中止決断は、日本の宇宙政策に大きな影響を与える。

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アサリ育くむ〝里海〟 三河湾・六条潟

 里山という言い方があるのは、知っていたが、

 里海

というのがあるというのは知らなかった。NHK中部地域限定番組「金とく」を見ていたら、人の手が加わることで、その生態系が守られている海のことらしい。そんな海の一つが、

 アサリ生産量日本一の三河湾であり、そのなかでも、アサリの稚貝が湾全体から集まる浅い六条潟が里海として地域では有名。豊川の河口付近の浅い砂地なのだが、そこは引き潮時には、干潟になる。番組では稚貝が砂地に潜っている様子を紹介していた。

 アサリはプランクトンを餌にしており、その際、海をきれいに保つ掃除人の役割を果たしている。だから、一定程度、大きくなった六条潟の大量のアサリを三河湾の漁民が取りに来て、湾内の自分たちの漁場で再び海に戻していた。そこで育てるのだろう。アサリが、漁場を浄化する。三河湾はノリの養殖場としても知られるが、アサリによって浄化された澄んだ海があればこそなのだという。

 三河湾は、今ではアサリとノリの共生の場

になっているという。

 これだけなら、単なるエコ番組なのだが、後半は、この六条潟がかつて高度経済成長時代に、干潟を埋め立てる計画があり、漁民の漁業権放棄も行われるなど実施寸前まで言ったが、その後の経済の停滞、環境汚染への批判で、結局、取りやめになったという歴史があることを紹介していた。

 そのほかにも、豊川上流での設楽(したら)ダム建設も現在、本格的な建設に向けて準備段階にある。アサリの生育に必要な砂の供給が激減し、アサリ生産が大打撃を受けるのではないかという問題も持ち上がっており、周辺の住民による反対運動もある。何とか、里海を守る手立てはないものか。

 三河湾に近い、またアサリの多い浜名湖にも近い浜松にいると、アサリがいつも豊富に出回っていることを実感している。

 アサリの酒蒸し

を自宅でつくるほど、これが好きな小生だが、近くの里海にこんな事情があり、それを乗り越えてきたから、今のアサリ生産日本一があり、またその恩恵を我が家でも味わえるのだということに感謝した。

 追記

 この番組では、数年前、六条潟のアサリの稚貝がプランクトンの大量発生に伴う里海の酸欠、つまり「苦潮(にがしお)」で、大量に、ほとんど全滅の状態になったことを紹介していた。翌年にはその影響は、この潟は三河湾のほかの場所から数ミリの大きさになったアサリの幼生が流れ着いて稚貝にまで育つ場所なので、ほとんどなく、すぐによみがえったそうだが、生物の絶滅に酸素が深く関わっていることを知った。

 こうなると、『恐竜はなぜ鳥に進化したか 絶滅も進化も(大気中の)酸素濃度が決めた』(P.D.ウォード、文藝春秋社)の仮説も分かる。酸素濃度の上昇や低下が、生物の繁栄や絶滅、さらには、逆に大進化をもたらしたという話はまんざらではない。あり得るという気になった。

 さらに、2月1日付静岡新聞夕刊によると、酸素ではないが、海水中の二酸化炭素濃度が上昇し続けると、エゾアワビなどの稚貝に奇形ができて、正常に育たないらしい。

 海水の酸性化 アワビに大打撃 水産総合研究センターの研究 

 海の酸性化

が海の生物の生育に重大な影響をあたえる

というわけだ。同センターの高見秀輝主任研究員によるこの実験結果は、海水の二酸化炭素濃度が、現在の大気中の二酸化炭素濃度の約2.5倍になったとした場合のものであり、そうなるのはざっと100年先であり、その時は、アワビの大絶滅が起こるかも知れないという話。もっとも、こんな高い二酸化炭素濃度では、地球大気は高温になりすぎ、人類は、アワビが絶滅する前に、破滅しているだろうが。

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死生観より、卑近な死生活 忍び寄る無縁社会

 日曜日の夜のNHKスペシャル

 無縁社会 行旅死亡人、年間3.2万人の衝撃

を見た。2008年1年間の、引き取り手のない「身元不明」の死者、いわゆる

 行旅死亡人が分かっただけでも年間3.2万人

もいるという。身寄りのない独居老人の孤独死である。年間自殺者とほぼ同じ人数である。これらは仕方なく、行政が火葬しているらしい。火葬後は引き取り手がないので無縁墓行きか、遺品整理業という「特殊清掃業者」が行政からの依頼で、遺族に宅配便で届ける。そんな無縁社会ビジネスも始まっているらしい。

 この番組を見て、つくづく、高尚な死生観になんか惑わされるより、もっと卑近な死生活、死への準備が大事だと気付いた。高齢単身者は

 たとえば近隣付き合いや、楽しみながらの社交ダンスなど助け合える仲間づくり

が必要だろう。

 日ごろの近所付き合いは面倒くさくご免だが、孤独死はイヤは通らない。

 付き合いづくりだけでなく、

 ご自身の人生や研究を集大成した上野千鶴子東大大学院教授の近著、

 女性なら「おひとりさまの老後」(法研)

 男性なら「男おひとりさま道」(法研)

などを参考に、勉強することも。さらには、ちょっと、バカ、バカしいが、まあ、能天気な近著、

 「50歳からの楽しい楽しい『ひとり時間』」(三笠書房、三津田富左子)

もいいのではないか。 そんなこんなで、死への準備をおろそかにできない。 もう一度言うが、

 死生観よりも、死への準備生活。民主党など当てにはできないよ。2010.02.01

追記

 新「 I 家族-」に生かせそうだ。

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中立進化論  さらに「偶然」から「主体的な必然」へ

 静岡県三島市の国立遺伝学研究所教授の斎藤成也さん(福井県出身)が、最新刊

 『自然淘汰論から中立進化論へ』(NTT出版)

を上梓した。地元に住む者として、また、理系人間として、興味を持った。専門の分子進化学の最新の成果を、比較的に分かりやすく、また、進化論がダーウイン以来、どのような経過をたどって今日に至ったか、その結果を踏まえて現代の進化学の高見にまで、私たちを案内しており、少し程度は高いが、丁寧にまとめていた。好著だ。木村資生氏の革新的な2中立説論文も分かりやすく紹介している。眼からウロコのような明快な説明もあり、わかりやすさに目配りした労作でもある。

 注目すべきこの本の詳しい論評は、私には別の意見があり、いずれ、このブログで行うとして、その結論だけをここに書いておきたい。

 要するに、この新著は、分子レベルでは、生物の進化は、ダーウインの言う適者を生き残らせる自然淘汰ではなく、「遺伝的浮動」という偶然によって進行するということを丁寧に解説している。この中立進化説は、現代の分子進化学のパラダイムとして確立した、とも強調している。

 こう言うと、中立説は、ダーウインの進化論を否定したように受け取られるが、そうではない。「分子レベルでは」というただし書きがあり、ダーウインが考えたような、従って、私たち一般が考えているような生物個体レベル、つまり形態レベルではどうなのか、という点については何も答えていない。個体レベルでも、偶然(遺伝的浮動という)が支配して、進化が進むというのは、考えにくい(斎藤さんは、必ずしも、考えにくいとは考えていないようだが)。私は、形態レベルでは、偶然ではなく、

 「主体的な必然」が働く

と考えているが、つまり、分子レベルから形態レベル(個体レベル)に拡張するには、

 偶然から主体的な必然

に進化のメカニズムを転換する必要があると考えている。

 かつて静岡新聞の社説「法王庁と進化論 遺伝研の伝統を評価」(2008年12月11日付)にこう、書かれていた。

 「ダーウインの自然選択説では、自然環境に対して有益な突然変異を次第に蓄積しながら環境に適応していく子孫がより多く生き残れると考える。これに対し、遺伝研の木村教授は有益さがなくても変異遺伝子が偶然のゆらぎで集団内に広がることができるとする「分子進化の中立説」を提唱した。

 この説はダーウイン流の考え方と対立するものではないが、分子レベルの進化が生物の進化とどうつながるのかをめぐり、内外の自然選択派との間で論争が巻き起こった。その結果、ゲノムを活用した研究の重要性が認識されるようになった」

 おおむね、正しい記述だが、斎藤さんのこの本を読んで、より正確に、そして、より明快にすると、以下のようになるだろう。

 「ダーウィンの自然選択説では、自然環境の変化に対して、一定間隔で発生する有益な突然変異を親から子へ子から孫へと次第に蓄積しながら変化する環境に適応していく子孫がより多く生き残ると考える。これに対し、遺伝研の木村教授は、有益さがなくても変異遺伝子が遺伝的浮動、つまり偶然のゆらぎで集団内に広がることができるとする「分子進化の中立説」を提唱した。

 この説は、生物個体、つまり形態レベルの理論であるダーウィン流の考え方をただちに否定するものではないが、中立説のいう分子レベルの偶然による進化が、個体レベルの生物の進化とどういう関係にあるのかをめぐり、内外の自然淘汰派との間で論争が巻き起こった。その結果、ゲノムを活用した研究の重要性が認識されるようになった」

 要素還元論から出てくる最幸運者生存の中立説と、最適者生存のダーウィニズム、あるいは、全体論(ホーリズム)から出てくる幸運者生存の「主体性の進化論」(今西進化論)との関係を明確にすることが、次のステップであろう。

 斎藤さんは、新著の最後で、分子レベルの中立説の偶然性をそのまま敷延し、「生物進化だけでなく、人間社会においても、偶然の役割がきわめて重要である」として、個体レベルの生物進化を行き当たりばったりでもいいではないか、としているが、考えにくい。偶然が支配する分子レベルの話をそのまま個体レベルに延長するのは、還元論の重大な誤りではないか。

 盲目の偶然から、あれかこれか生物自身が選択できる「主体的な必然性」へ。これがこれからの進化論の目指すべき研究テーマではないか。2010.02.01

 追記

 適応とは、逆システム学的に言えば、それまでの進化過程で生殖細胞のDNAの調節制御部分が突然変異したものが次々に起動した多重フィードバックのことではないか。

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