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ゆく河の流れは絶えずして-  「動的平衡」って何 ?

 1月29日付朝日新聞を見ていたら、分子生物学者の福岡伸一さんと、サッカー日本代表の岡田武史監督が対談している記事が目に入った。異色の対談なので、見ていたら、

 動的平衡チーム 一つの生命体のように11人が同時に感じ合えれば世界に勝てるのでは

と岡田氏は語っていた。当然だが、意味不明の禅問答だったが、福岡さんによると、

 動的平衡とは、構成要素が絶え間なく交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランスが保たれていること

と定義している。そして、福岡さんの近著

 「動的平衡  生命はなぜそこに宿るのか」(木楽舎)

が紹介されている。動的平衡が、あたかも生命体の本質であるかのような言い方をしているが、動的平衡は無生物でも成り立っている。

 たとえば、鴨長明の『方丈記』の冒頭は

 ゆく河の流れは絶えずして しかももとの見ずにあらず よどみに浮かぶうたかたは

 かつ消え かつ結びて 久しくとどまりたる例なし

が、その典型だろう。生物も河川も、開放系の動的平衡の一つにすぎない。

 そうではなくて、つまり、物質的な、あるいは熱力学的なものではなくて、

 生命体の本質は、エネルギーや物質のやりとりだけでなく、情報のやりとりをしているシステム

 なのだ。生物の進化も、実はDNA上の遺伝的な変異という形で情報が、生殖細胞をつうじて受け継がれ、それが種内にプールされている結果起こるのである。

 生命体の本質は、情報なのだ。

  福岡さんの先の著書の副題の

 「生命はなぜそこに宿るのか」

という疑問に答えるとすると、それは、

 「生命とは、情報系だからだ」

となるだろう。

 なぜ生物には心が宿る必要があったのか、という疑問にも、情報の選択が「心」なのだと答えたい。生物は、生きるために、そして、進化するために、体外から情報を取り入れ、選択し、主体的に生きている。福岡さんの言うように、生物はエネルギーや物質などのやりとりだけで生きてきたり、進化してきたのではないのだ。しかも情報の取捨選択は主体的だった。受け身では到底、生き残れない。環境にいつまでたっても適応できない。

 この意味で、自然淘汰のダーウィンの進化論は間違いなのだ。

 種は変わるときが来たら、そのなかの個体は一斉に変わるのだ。親から子へ、いつ起こるかわからない突然変異が遺伝し、しかも自然選択で適者として種内に生き残り、その適者が悠長に種内に次第に広がるのを待っていたら、種は絶滅する。

 それまでに得た情報を巧みに生かす「主体性の進化論」を私は信じたい。そして、そのために福岡さんの『動的平衡』の本をじっくり読んでみたい。2010.01.29 

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足とか靴とか。走るのは嫌いだけど歩くのは好き。 [続きを読む]

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