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2010年1月

写真家、白川義員 × 登山家、野口健  「神々の座」はどこにあるか

 毎週土曜日午前、楽しみにしているNHK「アーカイブス」で、1月30日には、

 白川義員、世界の百名山を撮る

という番組を見た。話下手の写真家、白川さんと、話上手のゲストの登山家、野口健さんの番組をはさんでの対話が面白かった。今回のアーカイブスは、2001年に放送されたNHKスペシャルの再放送だった。

 遠くに水平線が見える中、そこから昇ってきた太陽の朝日が、ひとり、エベレストの東壁だけにあたり、赤々と輝き、エベレスト山頂の三角形の影が遠くの水平線上に黒々と影エベレストとして顔を出していた。まさに、圧巻であった。この一瞬のために、苦労してきたということがよくわかる空からの1枚だった。

 そんな神々しい映像だったが、それだけなら、たいした番組ではないと思った。

 ところが、この番組の最後に、朝日に映える堂ヶ島(静岡県西伊豆町)の様子を写真に撮る白川さんの様子を紹介していた。堂ヶ島といえば、前人未到のエベレスト山頂とは大違いで、近くを車がびゅん、びゅん通る場所である。そんなところにも、一瞬ではあるが、荘厳な景色がある、そんなことを実際に見せようとして、その様子と、実際に取った写真を番組では紹介していた。なるほど、すがすがしい写真だった。それなりに苦労もあり、感心した。

 そのとき、話下手で、言葉による表現があまり上手ではない白川さんが言った言葉はすばらしい。こんな趣旨のことを言ったのだ。

 「神々しい場所は、なにもエベレストなどの世界の百名山だけにあるのではない。騒々しい堂ヶ島にもある。それに気づくことが大事だ」

 いいことを言う、そのとおりだと思う。神々は私たちの日常にもその神々しい姿を常に見せてくれている。問題は、私たちがそのことに気づこうとしているか、どうかなのだ。そんなことを番組は教えてくれたように思う。見て、得をした番組だった。2010.01.30

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ゆく河の流れは絶えずして-  「動的平衡」って何 ?

 1月29日付朝日新聞を見ていたら、分子生物学者の福岡伸一さんと、サッカー日本代表の岡田武史監督が対談している記事が目に入った。異色の対談なので、見ていたら、

 動的平衡チーム 一つの生命体のように11人が同時に感じ合えれば世界に勝てるのでは

と岡田氏は語っていた。当然だが、意味不明の禅問答だったが、福岡さんによると、

 動的平衡とは、構成要素が絶え間なく交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランスが保たれていること

と定義している。そして、福岡さんの近著

 「動的平衡  生命はなぜそこに宿るのか」(木楽舎)

が紹介されている。動的平衡が、あたかも生命体の本質であるかのような言い方をしているが、動的平衡は無生物でも成り立っている。

 たとえば、鴨長明の『方丈記』の冒頭は

 ゆく河の流れは絶えずして しかももとの見ずにあらず よどみに浮かぶうたかたは

 かつ消え かつ結びて 久しくとどまりたる例なし

が、その典型だろう。生物も河川も、開放系の動的平衡の一つにすぎない。

 そうではなくて、つまり、物質的な、あるいは熱力学的なものではなくて、

 生命体の本質は、エネルギーや物質のやりとりだけでなく、情報のやりとりをしているシステム

 なのだ。生物の進化も、実はDNA上の遺伝的な変異という形で情報が、生殖細胞をつうじて受け継がれ、それが種内にプールされている結果起こるのである。

 生命体の本質は、情報なのだ。

  福岡さんの先の著書の副題の

 「生命はなぜそこに宿るのか」

という疑問に答えるとすると、それは、

 「生命とは、情報系だからだ」

となるだろう。

 なぜ生物には心が宿る必要があったのか、という疑問にも、情報の選択が「心」なのだと答えたい。生物は、生きるために、そして、進化するために、体外から情報を取り入れ、選択し、主体的に生きている。福岡さんの言うように、生物はエネルギーや物質などのやりとりだけで生きてきたり、進化してきたのではないのだ。しかも情報の取捨選択は主体的だった。受け身では到底、生き残れない。環境にいつまでたっても適応できない。

 この意味で、自然淘汰のダーウィンの進化論は間違いなのだ。

 種は変わるときが来たら、そのなかの個体は一斉に変わるのだ。親から子へ、いつ起こるかわからない突然変異が遺伝し、しかも自然選択で適者として種内に生き残り、その適者が悠長に種内に次第に広がるのを待っていたら、種は絶滅する。

 それまでに得た情報を巧みに生かす「主体性の進化論」を私は信じたい。そして、そのために福岡さんの『動的平衡』の本をじっくり読んでみたい。2010.01.29 

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路上生活者と言うけれど、「めげない」余裕のユーモア川柳

 1月28日の朝、出勤前に、NHKニュース「おはよう日本」を見ていたら、

 路上生活者の川柳

を放送していた。ユーモアで自らを笑い飛ばす、これぞ「めげない」余裕の生き方なのだと感心した。比較的に真剣なものに

 路上から 飛び立つ羽は どこにある

 雪が舞うなか、必死に、笑いを忘れずに生きていこうとしている路上生活者に勇気をもらったようなさわやかな朝だった。

 暗い話ばかりではなく、こうした気持ちを明るく切り替えたくなるようなニュースも大事にして、報道してほしい。2010.01.28

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3人称の社説、2.5人称の社説  柳田邦男氏の新しい視点

 ノンフィクション作家の柳田邦男さんが、講談社のPR誌『本』に連載していた

 2.5人称の視点が

 2010年2月号の

 今こそ「臨床の知」から再出発を

で最終回となった。医療現場、事故現場などの根本的な問題点を根底から見直し、新しい視点を具体的に提示した、いわば渾身の労作だ。感心した。

 この2年間、ずっと読んできたが、読み終えて、

 合理的で客観性はあるものの、どこか冷たい他人事の「3人称の視点」ではなく、また、温かくはあるが、客観性には欠け、また合理的でもない「2人称の視点」でもない、いわば、

 2.5人称の視点

とも言うべき視点は、実は、

 社説にも当てはまると、思い至った。

 これは、先日指摘した、元神戸新聞社論説委員長、三木康弘さんが阪神大震災で自分の父親を亡くして書いた社説

 「被災者になって分かったこと」が、実は、柳田さんの言う「2.5人称の社説」に対応することに気づいた。三木さんは、他人事の社説、3人称の社説を批判していたのだ。

 柳田さんは、JR福知山脱線転覆事故時のトリアージに対する問題点を指摘し、日本救急医学会が改善策を打ち出したことを例に挙げて、最終回の最後を、こう結んでいる。

 「このように、専門家の眼では十分に配慮したように見えても、患者・被害者の視点に立つと、現代社会の中には様々な分野で見落とされていたり切り捨てられたりしているものが、極めて多いことが見えてくる。専門分化が進む現代社会は、あらゆる場面で、『2.5人称の視点』によるきめ細かい検証と総点検が求められているのだ」

 このことは、社説にも当てはまるだろう。三木さんは、このことを15年も前の大震災時に、父親の死に直面し、自ら書いた「やりきれない」社説(1995年1月20日付)で訴えたのだ。この柳田さん、三木さんに共通する精神は、にわかには困難があろうが論説委員たるもの、受け継ぐ努力をするべきであろう。そんな思いで、柳田さんの連載を読んだ。

 連載は、いずれ単行本になるというから、あらためて読んでみたい。2010.01.25

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常識を疑う おでんには、はんぺんがつきものだが

 冬場は、温かい「おでん」が恋しい。静岡県に転居して来て、1年たったが、

 静岡おでん、しぞーかおでん

 が次第に好きになってきた。安くてうまい。しかし、最初は、関西風の味付けに長らく慣らされてきたせいか、食べたいのはやまやまだが、あの独特の見た目にはいかにも濃そうなだし汁にはやや食べるのをちゅうちょした。しかし、食べてみると、なかなかおいしい。むしろさっぱり感があり、好きになった。だし汁ではなく、だし粉を振りかけて食べるという風習、いや食文化も体験した。辛口の日本酒にはよく合っていた。転居してよかったなあ、極楽とはこういうのを言うのだろう。

 ただ、今でも慣れないのが、おでんのタネの

 黒はんぺん

 静岡県にいて、こういう言い方はないのかもしれないが、まだ、灰色のはんぺんには違和感がある。

 はんぺんというのを、イワシなどの魚肉の赤身や白身をすりつぶし、小麦粉、調味料などを交ぜた加工品

 とすると、以前住んでいた金沢では「つみれ=摘み入れ」もはんぺんだ。しかし、つみれはゴルフボール大であり、色は灰色と「黒はんぺん」と同じだが、はんぺんのように板状ではない。はんぺんは「半片」なのだろう。

 さて、先日の日曜日夜、TBS系の番組「となりのマエストロ 東海道五十三次、激走、日本おでん調査、知られざる地域格差」というのを放送していた。

 箱根山より東、首都圏+神奈川県では、おでんのタネとなる「はんぺん」とは、ふわふわの白い板状と決まっているようだ。

 それが箱根を越えて、静岡県に入ると、黒いはんぺんと、白いはんぺんがあるのだ。赤身の黒はんぺん、白身の白はんぺんだ。

 さすが、おでん王国、静岡のはんぺんには、白と黒(つまり、イワシはんぺん)があるのだ。

 浜松でも同じだが、さらに西に行き、愛知県豊橋市となると、なんと、はんぺんはあるのだが、板状ではあるが、揚げたはんぺん(つまり、薩摩揚げ)に変わっていた。色は、黒でも白でもなく、油揚げのような色。改めて、県境をはさんだ浜松市と豊橋市の間には文化の違いがあることをおでんから学んだ。

 その後、番組では、調査隊は、滋賀県に入り、大津市のおでん店に入り、調査していたが、

 大津市には、「はんぺん」という名のおでんダネはない。ないが、魚肉をすりつぶしたものとしてあるのは、「ひらてん(平天)」だった。ところ変われば、品変わるだ。

 京都には「はんぺん」はない。このことは、京都市に10年以上住んでいたから、知っていた。金沢にはある「つみれ」もない。そりゃあ、そうだ、京都は山の国だもの。

 以前、雑煮文化圏について、紹介したが、角もち/丸もち文化圏、赤または白みそ仕立て/すまし仕立て文化圏、焼きもち/煮もち文化圏だ。京風は丸もち・白みそ文化圏であり、江戸徳川風は角もち・すまし汁文化圏だが、おでんにも文化圏があある。徳川支配が浸透している金沢市内は、当然、角もち・すまし汁文化圏だが、徳川支配が浸透しなかった能登半島はもともとの関西風の丸もち・白みそ文化圏。ただし、小生出身地の福井は、なぜか、京風の丸もち・赤みそ・煮もち文化圏だった。

 さて、おでん文化圏のなかでもはんぺん文化圏がおもしろい。おでんには「はんぺん」がつきもの、とはかぎらないのだ。常識を疑え、の身近な好例だろう。

 それにしても、身びいきかもしれないが、はんぺんがなくても「しぞーかおでん」はうまい。このご時世、安さもあって、お世話になった金沢にお歳暮として何人かに贈答したが、礼状に

「つみれがない」

との指摘があった。

 蛇足を一つ。

 金沢のおでんの特徴は、丸いはんぺん=つみれのほか、日本海でとれるカニがあることだ。メスのセイコ、香箱の甲羅に具がつめてあることから、

 カニ甲羅

という。これは高いので、なかなか手にできない。

 さて、さきほどの礼状だが、

「黒はんぺんが、つみれだよ。四角いけど、中身は同んなじなんよ」

と電話しておいた。もう一度、言うが、常識を疑おう。2010.01.25

 と言うだけでは、ちと、つまらない。静岡県民については、

 しぞーかおでんフェア (2月12、13、14日、静岡市の青葉シンボルロード)

で、全国の名物おでんの屋台が勢ぞろいすることをお知らせしておきたい。金沢、富山、北海道、はては、韓国おでんも並ぶと言うから、おでんの常識を見直す、驚きの1日になるかも知れない。

 

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ソーラーカーは今 オーストラリア大陸横断、公道3000キロ

 土曜日の夜、毎週楽しみにしているNHK「ワンダー×ワンダー」を見ていたら、オーストラリアの北、キャサリン市から、真南に大陸を横断、砂漠地帯の公道をアデレート市まで3000キロを走破するというソーラーカーレースを紹介していた。2009年10月下旬に開催されており、4日間の耐久レースだ。結局、日本の東海大グループが優勝した。シャープやヤマハが技術支援をしている。

 番組では、東海大の木村英樹教授(おそらく、同大チャレンジセンター所属)がスタジオで苦労話を語っていた。

 レースを見ての感想は、ようやくここまで来たか、オーストラリアではソーラーカーも一般道路の公道を走れるのか、と感心した。

 しかし、番組のタイトルにもあった「未来の車」になるのは、近距離通勤用ならともかく、またはハイブリッド車なら可能かも知れないが、単独では、今の車に取って代わるのはほぼ不可能だろう。太陽電池パネルでは太陽光のエネルギー密度が薄くて、貼りつけるパネルが大きくなりすぎて、とても公道を走れるようにコンパクトにはできない。技術的な限界というよりも、原理的な問題だ。いくら変換効率を、100%は無理としても、その半分50%近くまで上げたとしても無理だろう。

 そんな思いで、見ていたが、思い出すのは、国内ではかつて最大級のレースだった「ソーラーカーレース イン 能登」のことだ。能登半島の付け根、千里浜なぎさドライブウエイの砂浜での往復10キロのレースだ。1992年8月末のレースでは、小生も現地で観戦したが、「HONDA R&D」が優勝した。ゴキブリのような車体だった。地元の工業高校もがんばっていたと記憶する。

 それに比べると、18年後の今回は、公道で3000キロ、なんと時速100キロのスピードというのはすごい進歩である。砂嵐にも耐えたレース運びには、ひょっとすると未来車になるのかもしれないという気にはなった。このオーストラリアのレースではホンダも優勝している。

 こうした挑戦から、いつか限界を破るアッと驚くブレイクスルーが生まれるのかも知れない。賢しらな限界説は慎みたい。若者よ、挑戦だ。2010.01.24

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この映画を観たら、ダーウィンはどう言うだろう ドキュメンタリー「Oceans」

 ダーウィンは、そう、きっとこう言うだろう。

「動物であれ、植物であれ、環境が生物のその後の進化を決めると言う私の自然淘汰説は間違っていた。食うか食われるかの生存競争に勝ったものが、環境に対する適者であり、生き残るとしたのは、間違いだった。そうではなくて、たまたま運の悪いものが捕食され死に、運のいいものが幸運にも生き残るのだろう。海の生き物は、環境に盲目的に鼻ずらを引きずり回されて進化してきたのではない。映画からは、海の生き物は自らの判断で、むしろ環境を巧みに利用して、知恵を絞り、捕食しているのが分かる。そもそも個体には遺伝的な変異に差なんかない。わしは、ほんのわずかの個体差に対して、自然淘汰が働くと考えたのじゃが、そもそも個体の間には遺伝的変異について差はない。どうやら私の自然淘汰説、適者生存という、進化論は間違いだったようだ。少なくとも海洋の生き物については」

 このドキュメンタリー映画には、ハンドウイルカの群れが一斉にイワシの大群を追い込み、囲い込み、一気に捕食する豪快な「狩り」の様子が映し出されていた。明らかに、イルカはイワシの捕食という共通の目的に向って互いにコミュニケーションを取り、しかも、場当たりではなく、ある意味、主体的な戦略、あるいは戦術を持って、臨機応変に行動しているように見えた。イルカには、みずからの状況判断で行動すると言う意味の主体性があるのだ。

 この様子を上空で旋回しながら待ち伏せしていた海鳥、カツオドリの群れが、囲い込まれてイワシがぐるぐる一定域を海中で旋回しているときを狙いすまして、翼を閉じて一気に急降下し、次々と海中のイワシをくちばしでとらえるシーンは、まさに、運の悪いイワシが捕食される様子をまざまざと私たちに見せつけている。決して、泳ぎのうまい強いイワシが巧みにその攻撃から逃れているようには見えない。たまたま狙われたイワシの運が悪かったと言えそうだ。この様子からは、イワシの環境適応の差、つまり個体の遺伝的変異の差はまったく関係ないように思える。

 その後、このイワシの大群は、大きな口を空けて襲い掛かってくる何匹かのクジラに飲み込まれるが、これはもうはっきり言って、どのイワシが適者であり、どのイワシが弱者であるかなどという問題ではなく、運の悪いイワシがクジラに飲み込まれていったにすぎないと感じた。どんなに弱いイワシでも、たまたまクジラから離れていたから、捕食を免れたに過ぎない。

 こうした捕食されるイワシの側にも、捕食されまいとして、まとまって行動するためのコミュニケーションがあることがはっきり分かる。統制の取れた行動が画面から伝わってきた。ここからは、個体の集まりである「種」として、生き残るための主体性がある。決して、捕食者の意のままにされていない。ただ、人間集団のように、統制を図るためのリーダーがいるようには思えないから、不思議だ。危機に瀕しても、たとえ統制をとるリーダーがいなくても、「種」は、統一行動がとれるようだ。個体の主体性だけでなく、

 種の主体性

を感じた。

 「海って何?」という問いかけで始まったこの映画から、主体性の進化論の復活を強く印象づけられた。海とは、地球生命の出発点であり、その後の進化、それも、主体性の進化論の正しさを証明する場だったと応えたい。

 北洋の海域のセイウチでは、母セイウチが生まれた子どもを抱きかかえるようにして、海中生活になじませいようとしている感動的なシーンが最後に出てくる。その母親の表情といい、そのしぐさといい、人間の母親の場合とそっくりだ。そこには親子の絆があるとしか考えられない映像だ。

 セイウチにも人間性がある

という強烈な印象を与える。これを本能と片付けられないのではないか。ダーウィン進化論は環境至上主義であり、生物に自ら状況に応じて選択したり、判断したりする意味での主体性を認めていない。しかし、この映画は動物には主体性がある、動物は機械ではないことを強く印象づけている。

 また、体制(ボディ・プラン)についても、驚くほど見事であり、とても、ダーウィン、あるいはネオ・ダーウィン進化論の言うように、親から子へ、子から親へと、その間にたまたま起きた突然変異の積み重ねで出来上がったとはとても信じられない。そんな悠長さでは生きながらえなかったであろう。種全体が絶滅する。そうではなくて、

 変わるべき時が来たら、種全体が、親から子へというような悠長なことではなくて、一斉に、環境にふさわしいように体制、ボディ・プランを一気に変えるというのが、進化の実相ではないか。もたもたしていては、順応の限界を超えてしまって、種は環境に適応できず絶滅する。体制のなかでも、特に精緻な構造を持つ目の進化は、この極端な例ではないか。いつ起こるかわからない、しかも盲目的な突然変異を待っていて、中途半端に目が見えるでは種の存続は極めて困難だ。環境の変化が激変し、変わるべきときがきたら、種全体が一斉に変わる。さまざまな種の中で、うまく、そして、運よく、体制を(それまで生殖細胞内に蓄積してきたDNA調節制御の部分を多重フィードバックを通じてフル動員して)変化させた種のみが、したがってその種の個体も生き残ってきたのだ。運悪く、うまく体制、ボディプランを完成できなかった、つまり、袋小路に陥った種は、残念ながら、絶滅した。これが進化の実相ではないか。 

 このフランス映画は、冒頭、あのダーウィンの島、ガラパゴス諸島の海に住んでいる水生のイグアナから始めているのは、決して偶然ではあるまい。製作者の意図がわかる。ただ、監督でナビゲーター役のジャック・ペラン氏は、ダーウィンの進化論を信じていることだろう。2010.01.23

 追記 2010.02.28

  上記のイルカたちの、そしてクジラたちの「狩り」の様子から

 運のいいものが生き残り、運の悪いものが死ぬ。個体差は関係ない

と書いたが、実は、生き残った、たとえば1%のイワシには遺伝的な個体差があり、ここに自然淘汰が働くと考えれは、りっぱにダーウィンの進化論は成立する。つまり、生き残ったものの間に、その後の増殖率に差が出てくる。増殖率の高いものが、生存に有利になり、低いもののをいつかは押しのけてしまうという理屈である。

 この理屈は「今西進化論批判試論」(柴谷篤弘、朝日出版社)のp159に解説されている。柴谷氏は、この本で、生物学者、今西錦司氏の「主体性の進化論」について、縷々検討した結論として

 「現在、生物進化について生物学が到達しているところは、案外、今西のいおうとしている内容と一致すると私はおもう」

 「自然淘汰も、実は今西の棲みわけの内容とだいたい重なり合う概念であるし、種の形成についてもほぼ重なり合う概念として現代の遺伝学の成果を考えることができる。-現代のネオダーウィニズムからみると、今西の考えているところと現代のネオダーウィニズムの間には、実は基本的な矛盾は全然ないのだ」

 と書いている。

 ただ、生物の主体性について、生物学ではふつう行われていないとした上で、主体性を持った生物が主体的な行動を選択することは、なおネオターウィニズムの枠内であるとして、また、ダーウィン自身も「種の起源」でこの可能性にある程度気がついていたふしがあるとして(p204)、

 「私自身(柴谷)も、今西進化論の中心は、その最近著の書名にあるように、生物の主体性を重視する考え方考え方にあり、その限りにおいてこれを支持してゆきたい」

と主体性の進化論に賛意を示している。

 つまり、生物の多様性の原因は、環境の多様性よるよりも、むしろ生物自体に内在する理由によると見るべきであるというのだ。

 小生も、今西進化論の独自性は、この点にあると思う。

 生物に主体性をはなから認めていない(欧米流の客観主義一辺倒の)生物学はおかしい。生物は環境に鼻面を引き回され続けて進化してきたのではない。単細胞にしろ、哺乳類にしろ、まして人間にしろ、環境に積極的に働きかけてきたのだ。この意味で、すべてが偶然に支配されてきたとする進化中立説もおかしい。

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3Dテレビ元年 何が課題か  映画「 アバター」は面白かったが

 世界的に、今年は

 3Dテレビ元年

という話題がにぎやかだ。3D映画「アバター」の大ヒットも後押ししているのだろう。小生も確かに、映画は面白かったと感じた。これからは3Dだ、という気もした。しかし、家庭に入り込む3Dテレビとなると問題、課題も多いのではないか。

 まず、3Dに適したコンテンツの制作、提供システムを安価にいかに築くかという問題がある。その上で、専用眼鏡、つまり左右異なった偏光の光を通す偏光板メガネを掛けて視聴しなければならない。さらに、長時間、長期間、繰り返し視聴した場合、果たして、健康への影響がないのかどうか、懸念されるなどである。

 こうした議論を幅広くする必要があろう。単に技術的な面だけの議論には注意が必要だ。勝負は安価な、3Dにふさわしいコンテンツだろう。日本はこの点では、米国に出遅れている。アバターを見た感想である。

 受像も送像もともに電子式にして今のテレビを開発したのは、日本である。だから3D技術では世界に、米国には負けないであろう。しかし、3Dソフト、3Dコンテンツとなるとどうだろう。早急な対処基本方針を急ぐ必要があろう。

追記。

 「AVATAR」の撮影の舞台裏が動画で公開されている。映画専門チャンネル「ムービー・コレクション」で動画を見て、びっくり。これでは、

 俳優は演じるだけでなく、想像を働かせて演じなければならない

ということがわかった。当の俳優と言えども、作品が出来上がって初めて、自分が何を演じたのか、わかるのだ。それまでは、おそらく何を演じているのか、定かではないのではないか。これは映画100年の歴史の大転換ではないかと思った。

 映画の3D時代は、俳優にとって受難の時代かもしれない。2010.01.21

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「被災者になって分かったこと」 元神戸新聞社論説委員長、三木康弘さんのこと

  先日、テレビ静岡を見ていたら、特集「阪神・淡路大震災から15年」として、

 「神戸新聞の7日間」

のドキュメンタリー調のドラマを放映していた。この中に、震災前だが、小生が一度あったことのある

 震災時の神戸新聞社論説委員長、三木康弘さん

が出ていた。三木さんは、震災後5年たった2001年4月にがんでなくなった。確か、ヨットマンだったと思うが、法学部出身とは思えないような、スポーツ好きのなかなかシャイで、すらっとしたダンディな方だった。三木さんは、震災で、父親をなくしたが、その体験を下敷きに執筆した社説

 「被災者になって分かったこと」

で知られている。震災に立ち向かうには、国家のしっかりした政策が大事だと書いていたように思うが、それよりもなによりも、それまでの社説は、しょせん、出来事を「他人事」として、論じてきたという忸怩たる思いを吐露していたのが、印象的だった。本音であろうが、それを紙面にするのはなかなか勇気がいったことだろう。どこか、ひょうひょうとしていた三木さんらしい。これには、

 父が被災で死亡した時、被災救援を頼んだが、

 声がするなど、今、生きていて、手を差し伸べれば助かる可能性がいくらかでもある被災者を優先して救援するという非情な現実を目の前にしたことが大きいだろう。いわゆる、トリアージに直面したのである。

 「理解できる。理解できるが、やりきれない」

 そんな三木さんの悲痛なうめき声が「社説」から聞こえてきそうだ。これこそが、血の通った我が事社説なだ。この社説を書いた三木さんは、ほかの被災者を慮って、書いてよかったかどうか、悩んだそうだが、こういう社説がもっとあっていい。建前の社説が多すぎるからだ。

 全国紙はいざ知らず、社説にしろ、論説にしろ、評論にしろ、当事者の痛みが伝わる

 血の通った論説、地域の匂いのする評論

が地方紙社説の基本だろう。そんなことをあらためて、三木さんは思い出させてくれた。ありがとう、三木さん。

そんな気持ちで、2010年の元日付神戸新聞社説 シリーズ「転換のあとに」

 20年の重み 新たな豊かさを再構築しよう     

を読んだ。「大転換の先に、本当の明かりが見えてくるのだろうか」という現状認識で始まっている。成長至上主義を脱し、ローカルから動こうとも呼び掛けている。「国のビジョンを待つだけでなく、地域からも「転換のあと」へ動き出したい」とも語っている。20年の重みとは、今山積している難題の発端の多くが20年前ごろにあるとの認識からつけたものだろう。

 これを受けて、加古川の取り組みを取り上げた3日付の社説も読んだが、

 結論を言えば、

 地域の匂いのする社説ではあるものの、まだどこか他人事の評論

という印象を持った。地域の出来事をわが事として取り上げているとは言い難い。

 大震災では、京都新聞社編集局に神戸新聞社臨時編集局を設置しているが、京都新聞の元日付社説は、三木さんの思いをまだしも伝えている。こうだ。

 新たな年に 包み込む力を社会に、地域に

として、「うっかり滑り落ちると二度とはい上がれない社会に、いつの間にかなっていたことに暗たんとする」として、社会がうすっぺらになっていると訴えている。ただし、この京都新聞の社説も、最後は

 「転換期に新たな羅針盤を携え、地域再生へ歩み出すのは私たち自身だ」

ともっともらしく締めくくっているのは、神戸新聞の社説主旨と同じ。つまり、京都新聞もまだ他人事社説なのだ。斬り結ぶ、つまり、新聞社が身を切って、あるいは、ライターの論説委員が身を切って具体的に何をするのか、それは余所においての社説なのだ。雑煮をたらふく食べているだけでは、むなしい。読者に響かない。

 私はそう思うのだが、冥界の三木さんは、これらの社説を読んで、どういう感想を持っただろう。あっ、そうか、そんな社説は読んでなかったか。三木さん、ごぶさたしてました。2010.01.21

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岡林信康の純情 レクイエム-我が心の美空ひばり

 きょう、フォークの神様、岡林信康さんが、歌謡界の女王、美空ひばりさんを偲んで、

 CD「レクイエム 我が心の美空ひばり」

をリリースしたという。昭和とともに逝った美空ひばりさんのレクイエムを今ごろになって出すなんて、いかにも岡林さんらしい。それほど、岡林さんの心の中では、ひばりさんの存在が大きかったのだろう。なくなってすぐではあまりに衝撃が大きかった。時間をおくことで、岡林さんの素直な心情、純情を込めることができたと推察したい。昇華したと言ってもいいだろう。

 美空ひばりさんが随分以前に書いて岡林さんに曲をつけてほしいと渡した詩に曲をつけた曲もあるというから、ぜひ聞いてみたい。きっと、美空ひばりさんの心の叫びが、それとなく暗示しているような曲になっているのではないか。2010.01.20

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チェルノブイリを世界遺産に 炉心への旅 風化する石棺、風化しない恐怖 

 2010年4月末で、24年がたつ。チェルノブイリ原発事故のことである。

 今、どうなっているのか

 「週刊新潮」1月14日号に、ライターの藤倉善郎氏の〝決死〟と言えばオーバーだが、チェルノブイリルポが写真付きで載っている。

 チェルノブイリ 炉心への旅

である。この記事を読んであらためて、

 石の棺の激しい老朽化

 に驚いた。このままでは、原発近くでは自然放射線の600倍以上という今も危険な放射線を出している棺が壊れ、再び、崩壊した原発がむきだしになるだろう。それを防止するために、今、

 新棺の建設計画

も進んでいるという。この戦慄の記事を読んで、思った。

 この石の棺こそ、人類共通の負の遺産として、世界遺産として登録すべきだ。

 ロシア政府にとって、社会主義政権がしでかした恐怖の事故を二度と繰り返さない教訓にすることは、有益だろう。

 ポーランドのアウシュビッツ強制収容所、日本の原爆ドームと並んで、世界の三大負の世界遺産として大切に保存したい。新しい棺づくりに1000億円規模の資金が要るという。また、危険な放射線がある程度弱まるまでには、まだ100年はかかるという。

 だとするならば、世界遺産に登録し、100年間にわたる資金集めに一役果たすのも、世界遺産の趣旨に沿うだろう。

 チェルノブイリを世界遺産に !

 それにしても、チェルノブイリ原発、今は40万円を支払えば、ガイド付きで観光できるというのだから、皮肉だ。歴史がゆがめられる前に世界遺産にしたい。2010.01.17

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広島と長崎の二度、原爆にあった男 山口彊(つとむ)の 数奇な人生と崇高な行動

 数奇な運命というのは、こういう人の人生を言うのだろう。1月14日の夜の「報道ステーション」を見ていたら、最近、全身がんにより93歳で亡くなった二重被爆者、山口彊(つとむ)さんのことが紹介されていた。

 終戦の年、長崎市の会社員だった山口彊さんは、この年8月出張先の広島市で原爆の被爆を爆心地近くで受けた。瀕死の重傷で、なんとか汽車で長崎市の会社に戻って、一部始終を上司に報告したという。しかし、上司は

 一発の爆弾で、広島市のような大都市が壊滅するはずはない

となかなか信じてもらえなかったという。そのやり取りの中、なんと、長崎に落とされた二発目の原爆に被爆したのだという。

 えらいのは、戦後、自分が二重被爆者であることを隠していたが、息子が60歳で全がんで亡くなったのを機会に、積極的に非核平和を海外に向かって訴えていたことだ。なかなかしっかりした英語で受け答えていた。

 「国内で非核平和を訴えても空しい。核兵器保有国に行って、あるいは国連で訴えなければ非核平和は前進しない」

 そのとおりである。国内にこもっていては、世界に非核平和の切実な願いは届かない。

 その証拠に、山口さんの訴えに、

 3D映画の話題作「AVATAR」の監督、ジェームズ・キャメロン監督が

 「原爆をテーマにした映画を製作する」

ことを、山口さんの臨終間近のベッドサイドで誓っていた。これに答えて、山口さんは

 「(これで)私の役割は終わった」

と言い残して、その一週間後にこの世を去ったという。

数奇な運命の崇高な人生だったように思う。2010.01.16

  追記 2010.01.28

  この山口さんの死後のことが、1月26日付毎日新聞「記者の目」に出ている。山口さん担当の阿部弘賢氏(長崎支局勤務)の論考だ。山口さんが望んでいたにもかかわらず、山口さんの遺体が病理解剖され、研究機関に提供されることがなかったというのだ。その理由が、なんと、一般病院に入院していた山口さんの場合、大学病院などに病理解剖を依頼するための負担金、約26万円が入院病院にも患者側にもなかったというのだ。いろいろな事情があったのだろうが、たったこの程度くらいの資金で、貴重な遺志を生かせなかったのは無念である。せめて、今、流行の死亡時画像病理診断(Ai)ができなかったものか、数万円でできるはずなのだが、残念だ。

 それにしても、長崎大学が負担するとなぜ引き受けると言わなかったのだろうか。被爆者医療の研究拠点としてつとに全国に知られている大学なのに、あまりに残念だ。

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散り際の美学はどうなる 突然変異でサクラ年中咲かせる いいの?

 1月15日付静岡新聞の第三社会面を見ていたら、ベタ記事で

 花見 年中楽しめる? 理研がサクラの新品種

 サクラに放射線の一種、重イオンビームを当てて突然変異を誘発し、室内で栽培すれば一年中いつでも花が咲く新品種を開発したと報じられている。発表したのは、開発者の理化学研究所仁科加速器研究センターの研究員だ。

 通常の桜木は、秋から冬にかけての低温で休眠する。突然変異でこの休眠期間をなくすことに成功したらしい。つまり、屋外では年春と秋の二度、桜木は花をつける。さらに、屋外に比べ寒暖差のほとんどない室内では四季折々、四季をを通じてというか、いつでも花が咲いた状態にしておくことができるらしい。

 さらには、葉を落とすなどで、巧みに調整すれば、すべての花の開花時期をそろえることもできる。そうなれば、一斉に開花し、しかも、花の数は通常の数倍にもなり、豪華な咲きぶりのサクラになるという。

 花は桜木、人は武士。桜木の散り際の良さは日本人の美意識をむよく表している。しかし、突然変異の桜木では、年中咲いているのだから、

 散り際の美学なんて、もはや見られなくなりそうだ。

 こうした特定の突然変異も、進化論的に言えば、いくつかのランダムな突然変異から特定の変異を人為的にピックアップして品種改良するという意味で人為選択なのだろう。自然選択では生まれない。

 この伝で言えば、人間だって、多くの変異の中から、特定の突然変異を選択すれば、例えば、空飛ぶ新人類を生み出すことだってできる案配だ。遺伝できるように卵子や精子という生殖細胞に突然変異を起こさせれば、この新人類は新たな種を形成するのだろう。

2010.01.15

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氷河期がやってくる? 長崎、鹿児島に大雪

 1月13日の夜、NHKのニュースウォッチを見ていたら、小沢一郎氏側の政治団体や関連ゼネコンに強制捜査が入ったというニュースを大々的に流していた。ゼネコンに強制捜査が入ったということは、元秘書だった石川衆院議員に対する容疑捜査という、単に政治資金管理団体の不記載、単純ミスうんぬんではなく、小沢氏本人への容疑捜査であり、一連の資金の流れが「わいろ性の高いカネ」が動いていると特捜部がにらんでいるからだろう。

 ところで、この報道が一段落した後で、日本海側というか、九州地方でも大雪というニュースをやっていた。なんと、

 南国土佐、高知県でも坂本龍馬の銅像に雪が降り積もるし、鹿児島では西郷さんの銅像にも雪が吹き付けている映像が流れていた。さらに、愕いたことに、ほんの目の前が台湾という沖縄県の宮古島の海岸では、あまりの突然の寒さからなのか、魚が死亡し、海岸近くに、白い腹を見せた魚が沢山浮いていた。

 こんな様子を見て、

 地球は温暖化ではなく、もうすぐに、氷河期がやってくる

と騒いでもおかしくないのではないか。そう、元気象庁予報官の根本順吉さんの20年ぐらい前の〝名著〟

 「氷河期がやってくる」

を思い出したのだ。でも、そんな報道はほとんどない。

 温暖化は、大気の一律な高温化ではなく、地球の異常気象化

であろう。

 そんなわけで映画「デイ・アフター・トモロー」

を思い出した。大気温度が少しずつ上昇していくと、ある日突然、、北極の氷が解けだし、地球規模の深層海流の流れが変化するなど、その影響でニューヨークに氷河期がやってくる。映画はそんなストーリーだったが、あながち突飛ではない。この映画にはしっかりした根拠がある。

 暖冬続きの後に異常な厳冬がやってきたこの機会に、温暖化という常識を、一度は疑ってみる見識を持ちたい。2010.01.14

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ダメ押しか、奈良・桜井茶臼山古墳から銅鏡81枚 「卑弥呼」年号入りも

 先日、この欄で

 邪馬台国=畿内説り決定打か

という記事を書いたが、1月8日付静岡新聞に、見出しのような記事が出ていて、

 もはや畿内説は確実、今回の出土はダメ押しか

という感想を抱いた。謎の4世紀をはさんで

 奈良県桜井市を中心とする3世紀の卑弥呼の時代から、5世紀の畿内を中心とした初期大和政権へ、スムースに移行したようだ。 

 ところで、一昨年秋、竹中直人+吉永小百合主演の「まぼろしの邪馬台国」という映画が全国の東映系映画館で公開された。しかし、どうやらさっぱりの入りだったらしい。これだけの豪華、ユニーク俳優をそろえたのだから、さぞかし話題を呼びそうなのに、小生も公開されていることすら知らなかった。

 原作は、盲人となった宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」。宮崎氏は長崎県島原出身だから、当然、邪馬台国は九州、それも地元島原にあるという説。戦後の邪馬台国=著者出身地説ブームのハシリであり、最もよく知られた著作であろう。小生も、この本の中身を読んだことはないが、書名は覚えている。

  一昨年の「週刊新潮」2008.12.4日号によると、ある映画評論家は「ただのメロドラマ」と酷評している。監督の堤幸彦氏は、数々のヒット作を生み出しているのに、今回はどうしたことか、脚本(大石静氏)がまずかったのか、俳優の組み合わせがいいだけに惜しい。それとも、原作者側が思い入れからあれこれ注文し、それが原因で、結局、監督の思い通りの完成度の高い作品にすることができず、ダメにしてしまったのかもしれない。それとも、今流行の「制作委員会」方式のために、大口スポンサーから、あれも入れろ、これも入れろと、横やりが入ったのかも知れない。この弊害で完成度の高い、観客に感動を与える作品ができなかったのかも知れない。

 見もしないでいうのもなんだが、映画は、やはりいい脚本が勝負。横やりが入るなどして、この出来が悪いと、俳優がいくら頑張っても限界がある。

 それにしても、最近の邪馬台国関連の考古学的な発掘成果は邪馬台国=畿内説が断然有利。邪馬台国論争も隔世の感だ。論より発掘品で勝負あったようだ。2010.01.11

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ウナギ百まで先祖忘れず  進化の記憶、ウナギは深海魚だった

 スズメ百まで踊り忘れず、ということわざがある。幼いときに身につけた習慣は年老いてもなかなか抜けきらない、というぐらいの意味だ。この伝で言えば

 ウナギ百まで先祖忘れず

だろう。東大海洋研究所などの研究チームによると、類縁の魚とのDNA比較解析から、

 ウナギの祖先は深海魚

だったらしい。1月6日付静岡新聞夕刊に、小さく出ている。全国紙にはカラー囲み記事でかなり大きく出ている。静岡新聞はウナギの産地、浜松市を抱えているのに扱いが小さいのは少し残念な気がする。

 ウナギはもともと深海魚だったが、餌を求めて次第に浅い海に進出し、さらに、淡水の川や湖に生息しはじめた。しかし、ご先祖が深海魚だったことを忘れずに、今も、産卵するときには、日本からはるか南の深海に戻り、そこで産卵するという、なんとも麗しい回遊性を維持しているというわけだ。ウナギの複雑な生活パターンの謎は、その進化の過程にあったことを研究チームは突き止めたという。

ウナギの産卵場所はフィリピンはるか東方ということはおおよそ分かってはいたが、特定が難しかったのにはこんなわけがあったのだ。

 今回の研究は、単なるおもしろい話題という域をこえて、むずかしいと言われるウナギの養殖方法にも少なからず役立つような気がする。

 それにしても、ウナギはどんな手を使って、遠い進化の記憶をたどり、ふるさとの深海に産卵のため戻っていくのだろう。その具体的なメカニズムの解明を待ちたい。本能と言って片付けてはなるまい。2010.01.06

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常識を疑うには尺度を変えてみる CO2排出国、断然世界一はどこか

 上の質問に対し、大抵の人は、二酸化炭素排出国世界一は

 そりあ、決まっているよ、米国だよ。いや、最近は中国が追い抜いたかな

と答えるだろう。とりわけ中国は最近経済成長が著しいせいで、ものすごい勢いで排出が増えている。これに歯止めをかけないと、とんでもないことになる。そう考えがちだ。

 しかし、これは、その国が排出している総量を尺度にしたものである。1月5日付静岡新聞の連載、

 日本の実力 第一回 環境・エネルギー

によると、米国も中国も総量で年間約60億トンもの二酸化炭素を排出していて、ともに第一位である。ところが、これを国民一人当たりに換算したデータが出ている。それによると、

 米国  19.3トン

 ロシア 11.0トン

 ドイツ  9.9トン

 日本   9.7トン

 英国   9.6トン

 中国  4.3トン

 インド  1.1トン

で、米国は断然世界一の排出国であり、それに比べれば中国は、その4分の1にも満たない、むしろ低排出国と言えるだろう。中国政府がこのことを事あるごとに言い募っているのも、あながち間違いではないのだ。意図あって尺度を変えているのだけなのだ。

 また、年間総排出量は最近では米国も中国もほぼ同じだが、中国のGDPは米国の半分だがら、GDP当たりの排出量では、中国の排出量は米国の2倍であり、断然多い。米国としては、中国経済は二酸化炭素排出の多い非効率な経済を強調したいところだろう。国民一人当たりのGDPで比較すれば、その倍率はさらに広がり、中国の排出量は米国の約8倍にもなり、

 中国は断然世界一の排出国

となる。

 このように、データ解析で尺度を変えることで物事のもうひとつの側面がみえてくることがある。逆に言えば

 尺度を変えることで、もうひとつの側面を隠す

ことができるのだ。

 常識を疑う良い方法は、尺度を変えてみることだ。座標軸を変えてみると言ってもいいだろう。伸縮、あるいは原点をシフトさせる。そうすると、物事のもうひとつの側面をあらわにしたり、覆い隠したりできる。

 世の中には、統計でウソをつく方法という類の有名な本があるが、実は、これなのだ。

 数字にごまかされてはならない。

 おまけで、言えば、

 わが県は全国1位がこんなにある、というお国自慢リストがときどき各県で出ているが、実は、ランキングしている項目が恣意的で、その県に都合よく選ばれているのだ。これも一種の尺度を変えて、その県の評価をフレームアップしているのだ。ランキングそのものはウソではないが、ランキングする尺度、つまり項目が都合よく選ばれている点で実像をゆがめることなく正しく現しているとは言えないのだ。統計でウソをつく典型例だ。

 気をつけよう、甘い言葉と尺度。010.01.05

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常識を疑おう 例えば、いつから富士山は「日本一の山」になったか

 この質問の答えは、日本大学の梶川信行さんによると、

 富士山が間近に見える江戸が日本の政治の中心となった江戸時代である。

 その江戸時代でも、特に江戸が出版の中心になった1700年以降である。つまり、

 「日本一の山」という富士山の常識は、この300年間の常識にすぎないのである。

 それ以前では、憧れの山、富士山ではなく、畏怖の山、不尽山だった。だから、富士山は、万葉集では「不尽山」であり、富士山ではないのである。万葉集には

 山部赤人が不尽の山を望む歌一首

 として、

 田児の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける

 とある。「不尽」こそ、平城京の官人たちの富士山に対する認識だと梶川さんは講演で強調していた。つまり、奈良時代の富士山は、活発に噴火を続ける火山であり、それは神代の昔から生命の「尽きない山」という認識だ。

 それが、その後、富士山の火山活動は沈静化し、平安時代、室町時代には、美しい山として「富士」が文学にしばしば登場する。「三国一の山」という言い方も室町時代に現れるという。

 新春の話として、美しい山の話をしてみた。

 文学も、富士山の成り立ちを知らないと、万葉人も今と同様、美しい富士山を愛でていたなどと、とんでもない間違いを起こす。そんなことを教えてくれた。新年を寿ぐとともに、年頭に当たって常識を疑おう。2010.01.04

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「左側のない男」の初詣  秋葉山本宮秋葉神社

 正月2日、あまりに天気がいいので、初詣に出かけた。浜松市内には五社神社が知られているが、鎮座1300年、正一位秋葉神社(あきはじんじゃ)に出かけた。浜松市天竜区春野町の秋葉山、885メートルの山頂近くにある。冬晴れだったが、山頂付近は小雪がちらついていた。この神社、火防、つまり防火、昔流に言えば「火伏」の神様らしい。

 最近は便利なもので、スーパー林道ができいて、下社から石畳の表参道を経て上社へ、という昔ながらの難儀な山伝いの順路は通らなくても、いきなり、上社の本殿近くまで車で行けるのだ。昔ながらの道は、本殿近くにあった。下社から上社まで2時間はかかるらしい。本殿からの眺めはすばらしかった。せっかくだからと、

 正一位秋葉神社祈祷札 300円

をいただいて下山した。

 遠州鉄道の西鹿島駅で一服。駅前の軽食堂「すぽっと」のおばさんに聞いたら、スーパー林道のせいで、下社への道はすっかり昔の賑やかさを失ったと嘆いていた。

 開発は大事である。しかし、1300年の伝統を大事にした開発にしないと、地元住民はたまらない。そんな悲哀を教えてくれた「すぽっと」女主人兼料理人だった。焼きそば400円を食べながら貴重な意見を聞かせていただいた。

 なお、秋葉神社に通じる街道、秋葉街道については

 静岡県教育委員会編「静岡県歴史の道 秋葉街道」

が平成8年に刊行されている。その表紙カラー写真は、近代的な上社ではなく、下社近くのうっそうとした表参道である。1300年の重みが伝わってくる古道の風格のある参道である。この参道をいつまでも大切にしたいものだ。2010.01.02

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