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もうひとつの筑紫哲也 家族から見た「パパ」

 ニュースキャスターだった筑紫哲也さんが亡くなって、一年がたったということで、週刊朝日MOOKが追悼特集「筑紫哲也」を出している。中でも、買って読んで一番面白かったのは、というか、意外な一面を垣間見せてくれたのは、

 妻、筑紫房子さんと、長男、拓也さんの記事

だった。自由を愛した男に、家族愛はあったかと以前から思っていたのだが、本人も、家族も、共に語り合う時間はそうそうなかったらしい。筑紫哲也さん自身、肺がんで亡くなる直前4カ月でようやくそのことに気づいたようだ。妻がどんな思いで夫を見つめていたか、長男がどんな思いで父親を見つめていたか、自由を追い求め続けた本人は、迂闊にも、気づかなかっただろう。身につまされた。

 『父たちよ家へ帰れ』(宮脇檀、新潮文庫)、『帰宅の時代』(林望、新潮文庫)

を、筑紫さんには、生前、読んでほしかった。

 こうした家族への愛について、つぶさに、そして遅ればせながら、仕事の上で綴り始めたのが、息子に自殺されたノンフィクション作家、柳田邦男さんだ。同氏は、講談社のPR誌「本」に

 「2.5人称の視点」

を連載中である。つまり、ニュースを他人事としてではなく、また、さりとて私的な感情を排し、

 ぬくもりのある3人称、つまり2.5人称として

見つめようと提案している。

 筑紫さんについては、追悼特集でも指摘されていたが(沖縄 この島で、自由に出会った)、

「あれだれ沖縄にこだわりつづけたのに、どこか傍観者としての立ち位置を超えようとはしなかった」

 これには本来、ジャーナリストとはそんなものであるという信念があったように思う。ニュースをどこか他人事ととらえていたと言ったら、筑紫さんに、言いすぎだとして怒られるだろうか。単に群れることを嫌っただけかもしれない。

 共感すれど、群れない

 これが、ニュースに対して何がしかの距離を置く筑紫流ジャーナリズムの根幹のような気がする。だから、筑紫さんは、きっと、

 地域に密着して自ら問題解決に乗り出し、提案する「パブリックジャーナリズム」

には反対しただろう。そんな気がする。

 実は、筑紫さんにとって、これは何もニュースだけではなく、家族に対しても当てはまったのではないか。自由に生きなさい、と。これが筑紫流の家族愛だったように思うが、家族が求めたものは、そうではなかったように、追悼集の中の家族の証言を読んで、感じた。

それはともかく、「今日はこんなところです」。2009.11.23

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