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将棋で言えば「寄せ」? 邪馬台国、畿内説有力に

 このニュースを聞いて、邪馬台国論争は、将棋で言えば

 いよいよ「寄せ」の段階に入った

という印象を持った。ニュースというのは、高さ10㍍の巨大な高床建物と、整然と並ぶ建物群が、奈良県桜井市の巻向遺跡で発見されたというものだ。四棟の建物が東西に並んでおり、政務や祭儀の施設であるという。この時代、これほど巨大な建物群をつくることができたのは、文献上は、卑弥呼以外に考えられないという。この遺跡は、三世紀前半に建てられたもので、卑弥呼の時代に相当する年代であることも、この考えを支持している。

 さらに、今春、この遺跡の近くにある箸墓古墳(前方後円墳)も、築造時代が三世紀半ばであることが、国立歴史民俗博物館の研究グループにより、日本考古学協会に報告されている。ただし、この築造年代の割り出しには、放射性炭素年代測定法という手法が使われており、そこから年輪年代測定法に換算するという、いわば間接的な年代推定法であり、精度や方法自体に対して慎重な見方をする研究者もいる。学会発表時でも、こううした点について、突っ込んだ議論があったようだ。

 そういう点はあっても、これだけ考古学的な証拠が出てくると

 邪馬台国論争は、寄せの段階

に入ってきたと言わざるを得ない。

 九州説の有力地、吉野ケ里遺跡をかかえる佐賀県では、当然、論議を呼ぶことだろう。2009.11.20

 追記 2009.11.28

  上記の巻向遺跡群のなかの箸墓古墳=卑弥呼の墓説、遺跡中心部の巨大建物群=卑弥呼の宮殿のほかにも、この遺跡群のなかの天理の黒塚古墳からは、卑弥呼の鏡、つまり三角縁神獣鏡32面が出土していることに気づいた。「切り抜き速報(社会版)」(ニホン・ミック)の2009年9月号の特集「邪馬台国はどこにあったか」に出ている。

 その新聞切り抜きによると、1998年1月10日付奈良新聞に

 〝卑弥呼の鏡〟32面 天理の黒塚古墳 邪馬台国 やはり大和に 大和政権中枢部で初の三角縁神獣鏡

と大きく出ている。

 こうした事態に、当然、吉野ケ里遺跡をかかえる佐賀県の地元紙、佐賀新聞は2009年6月14日付で

 論説 邪馬台国の現場 吉野ケ里から積極発信を

として、量を競う必要はないとしながらも、新しい情報の多寡が所在地論争に影響していないかと危機感を募らせている。もっと九州からも情報発信を、と檄を飛ばしている。県の財政難から吉野ヶ里歴史公園の中核施設とるはずの博物館が公園ができてから9年もたつのにいまだに先送りされたままとなっている現状を嘆いている。佐賀県としては当然であろう。

 繰り返すようだが、邪馬台国論争における九州説は、いまや外堀は埋められている。後は、否定されるのは時間の問題だろう。

 折りしも、11月26日付静岡新聞朝刊には、今回の巻向遺跡中心部の巨大建築物群の発掘を現場で指揮した

 奈良県桜井市教育委員会職員、橋本輝彦さん

を「時の人」として紹介している。もう20年もこの遺跡にかかわっている40歳。女王、卑弥呼の宮殿を掘り当てた興奮が記事から伝わってくる。記事には今回の発見を決定打とまでは言い切っていないが、勝負はついたとの印象が強い書き方になっている。

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