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2009年11月

温暖化懐疑論への反論 

 11月30日付の静岡新聞朝刊の科学欄に小さな記事だが、貴重な情報が出ている。地球温暖化は人間活動に伴う二酸化炭素の増加が主な原因だとする正統派の説に対して懐疑的な論議について、「これまでの科学の蓄積を無視しており、社会に広まることを看過できない」として、東大など5大学の研究者が懐疑論に反論する「地球温暖化懐疑論批判」を出版した。ネット上では、

 http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/

に公開されている。なかなか面白い。冊子本も配られたらしいが、品切れらしい。温暖化が起きていることは確かだが、それが人為的なものかどうかは、現時点では確定的ではない。ともかく一読を勧めたい。2009.11.30

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温暖化のメリット 保健分野で効果

 物事は悪い面ばかりではない。いいというか、好ましい面もある。温暖化もしかりである。そう思わせるニュースが出ている。11月27日付毎日新聞夕刊である。

 温暖化「アフリカ内戦急増」 米研究機関予測 食料争奪戦で

という記事だ。気温が1度高い年には内戦の件数が4.5%、翌年に0.9%それぞれ増加する。だから、暑いアフリカがますます暑くなり、温暖化の今後の上昇を考えると、2030年には内戦の件数は現状より54%増加、その犠牲者は全部で40万人にもなるという。WHOの支援を受けた研究グループの試算だ。

 面白いのは、温暖化のメリットだ。温暖化対策で車の利用が減少する。すると大気汚染が抑制される。その結果、心臓病患者が減るというのだ。問題は、どの程度減少するかだが、なんと、大気汚染が今でもひどい中国では、100万人当たり年5000人の命が救えるという。中国全体では、2030年では年間500万人も救える計算だ。

 もっとも、これでは温暖化で中国はますます人口が増える結果になる。人口増加に悩む中国政府にとって果たしてこれがメリットといえるかどうか、それは別の問題だが。2009.11.27

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現代の方舟 文字通り箱舟だった映画「2012」

 こういうパニック映画は、やはり劇場の大画面でなければ、その魅力は伝わらない。封切られた映画「2012」を見て、そんな感想を持った。惑星直列による太陽の大異変で、地球のコアが崩壊するというもので、理屈ははちゃめちゃだが、さすが、ローランド・エメリッヒ監督である、面白い。地球崩壊は破天荒で面白い。同監督は、火星人襲来「インデペンデント・デイ」、温暖化で一気に氷河期がニューヨークを襲う「デイ・アフター・トモロー」と科学物でヒットを飛ばしている。どういうテクニックか知らないが、驚くべきシーンを次々に見せてくれる。

 箱舟建造は中国チベット自治区で行われたらしい設定だ。エベレスト北側である。大津波が引いた後に箱舟がたどり着いたのは、トルコ・アララト山だから、なんとなくその辺にしたのだろう。

 ただ、気になるのは、いずれの作品も、主人公か準主人公に、あるいは舞台回し役に科学者を登場させている点である。日本はもちろん、米国でもこうした科学者はいないということである。科学者は科学がからんだ社会問題には無関心である。こうした科学者設定は映画を薄っぺらにしている。所詮、パニック映画であり、深い人生を感じさせる、あるいは、社会の中における科学者の有り様を科学者も一般の人々も共感を持って考えさせるものにはなっていない。それが残念である。ここが同監督の限界かもしれない。絵空事としてのパニック映画であり、リアリテイがない。

 科学者は正義の味方であるということを自明としたつくりかたも、映画を薄っぺらにしている。これを打ち破る、血も涙も悪知恵もある悩める科学者像を描いてほしい。

  その意味で、ローランド監督には、科学者自身も深く考え込ませるようなリアリティのあるパニック映画をつくってほしいと言っておきたい。

  この映画の根本的なことについて、私の見解を述べたい。

 地球滅亡があるとするならば、それは惑星直列など外部の自然現象によるものなどではなく、人間のおろかさに起因する自滅であろうということである。外部要因で地球が滅亡することはあるかもしれない。が、その確率は、人間の所業によるものに比べたら、極めて小さい。2009.11.25

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もうひとつの筑紫哲也 家族から見た「パパ」

 ニュースキャスターだった筑紫哲也さんが亡くなって、一年がたったということで、週刊朝日MOOKが追悼特集「筑紫哲也」を出している。中でも、買って読んで一番面白かったのは、というか、意外な一面を垣間見せてくれたのは、

 妻、筑紫房子さんと、長男、拓也さんの記事

だった。自由を愛した男に、家族愛はあったかと以前から思っていたのだが、本人も、家族も、共に語り合う時間はそうそうなかったらしい。筑紫哲也さん自身、肺がんで亡くなる直前4カ月でようやくそのことに気づいたようだ。妻がどんな思いで夫を見つめていたか、長男がどんな思いで父親を見つめていたか、自由を追い求め続けた本人は、迂闊にも、気づかなかっただろう。身につまされた。

 『父たちよ家へ帰れ』(宮脇檀、新潮文庫)、『帰宅の時代』(林望、新潮文庫)

を、筑紫さんには、生前、読んでほしかった。

 こうした家族への愛について、つぶさに、そして遅ればせながら、仕事の上で綴り始めたのが、息子に自殺されたノンフィクション作家、柳田邦男さんだ。同氏は、講談社のPR誌「本」に

 「2.5人称の視点」

を連載中である。つまり、ニュースを他人事としてではなく、また、さりとて私的な感情を排し、

 ぬくもりのある3人称、つまり2.5人称として

見つめようと提案している。

 筑紫さんについては、追悼特集でも指摘されていたが(沖縄 この島で、自由に出会った)、

「あれだれ沖縄にこだわりつづけたのに、どこか傍観者としての立ち位置を超えようとはしなかった」

 これには本来、ジャーナリストとはそんなものであるという信念があったように思う。ニュースをどこか他人事ととらえていたと言ったら、筑紫さんに、言いすぎだとして怒られるだろうか。単に群れることを嫌っただけかもしれない。

 共感すれど、群れない

 これが、ニュースに対して何がしかの距離を置く筑紫流ジャーナリズムの根幹のような気がする。だから、筑紫さんは、きっと、

 地域に密着して自ら問題解決に乗り出し、提案する「パブリックジャーナリズム」

には反対しただろう。そんな気がする。

 実は、筑紫さんにとって、これは何もニュースだけではなく、家族に対しても当てはまったのではないか。自由に生きなさい、と。これが筑紫流の家族愛だったように思うが、家族が求めたものは、そうではなかったように、追悼集の中の家族の証言を読んで、感じた。

それはともかく、「今日はこんなところです」。2009.11.23

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 芸術は爆発にあらず、プライドだ 第7回浜松国際ピアノコンクールの本選鑑賞記

 土曜日、アクトシティ浜松で開かれていた浜松国際ピアノコンサートの本選を鑑賞しに出かけた。コンクールを聴きにいくのは久しぶりであった。6人の出場者のうち、3人のピアノを聴いて、もし、私が審査委員長だったら、優勝者に誰が入るか、考えた。その結果、ベートーベンのピアノ協奏曲「皇帝」を、東京交響楽団と共演して、弾いた

 チョ・ソンジン(韓国)

だと思った。若いのにどこか、才能がある。しかし、まだ未熟な感じもした。

 ところが、23日付静岡新聞1面を見て、びっくりした。そのとおりになったからだ。若いとは思ったが、正直に言えば、幼い感じがしたが、なんと15歳だという。日本で言えば、中学3年生である。それにしては、堂々としていた。このほか3人もが本選に登場した韓国勢は恐るべしとの印象を持った。豊かな日本では、もともと天性の若い才能がたとえあったとしても、花開くことは難しいであろう。

 芸術は爆発などではなく、やはり天性の才能が生み出すものだ。努力や練習による技術の向上だけではとてもじゃないが、限界があることを素直に認めたい。問題は持って生まれた才能を開花させる環境がその国にあるかどうかだ。才能を見出し、指導する人材がいるかどうかだ。本選出場者に一人も日本人がいなかったのは寂しい。国が豊かでありすぎることは芸術にとって不幸だということを、このコンクールでつくづく感じた。

 そんな思いだったが、日曜日夜、NHK教育テレビで

 ETV特集「ピアニストの贈り物 全盲の辻井伸行、バン・クライバーン国際ピアノコンクールへの挑戦」

というのを放送していて、びっくり。今年6月、東京生まれで、21歳の辻井さんが、米テキサス州フォートワースで開かれたこのコンクールで優勝するまでの20日間の全記録である。

 こちらの選考基準は、ある審査員の言葉によると「技術的には未熟であっても、将来伸びる可能性のある人」だそうである。

 しかし、かつて全盲のバイオリニストを取材したことがあるが、全盲のピアニストというのは、どのようにしてオーケストラとコミュニケーションして共演するのだろう。指揮者とピアニストの意思疎通はどうなっているのか、不思議だ。

 普通は目でコンタクトとしているが、辻井さんの場合は指揮者の息使いでコミュニケーションというか、タイミングを計っているのだという。

 それにしても、第一、楽譜が読めないではないか(点字楽譜がある)。演奏してもらい、それを楽譜に落とすこともできるという。しかし、それをすべて記憶するというのは並大抵のことではあるまい。しかも、英語がしゃべれないので、通訳を介して指揮者と打ち合わせをする様子が映し出されていた。母親の献身的な介添えはあるにしても、これはすごい。

 お涙頂戴では済まない。才能とはこういうものなのだろう。辻井さんが、あえて不利な海外のコンクールに出場したのも、わかるような気がする。全盲者のプライドなのだ。

 こうなると、ますます、豊かな国の、不自由のない豊かな環境は芸術には不向きなのだということを思い知らされる。

  不自由の中から、優れた芸術は生まれる。恵まれた環境はむしろ不幸だ。2009.11.23

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プロフェッショナル「4億円不申告」の流儀 茂木さん、NHK受信料は払っている ?

  誰かが書くだろうとは、思っていた。脳科学者の茂木健一郎氏の4億円不申告の件である。今週の「週刊文春」2009.11.26号に、毒ガス評論家、今井舞氏が斬っている。

 プロフェッショナル「4億円申告漏れ」の流儀 茂木さん、NHK受信料は払っているんだよね

として、皮肉っている。

 3年間に4億円稼ぐってことは、ジャニーズの曲を脳科学で考えてみましたぁ、といった類のデタラメをしているわけで、そのインチキさがなければとてもじゃないが、今の世の中、そんなに稼げないと手厳しい。そのとおりだろう。たまには、文春も、的を射たいいことを言う。

 ところで、驚いたのは、それでまた、番組を続けると言うのだ。これでは、

 破廉恥な脳科学者、いやNO科学者

と言われないか、理系出身の私でも心配になる。

 科学者に良心なし

では科学者も、いい面の皮で、とてもじゃないが、いたたまれない。

 科学をわかりやすく、社会に伝えようとしているのはいい。しかし、あまりにわかりやすくしすぎて、真偽不明なことを撒き散らすなど、科学の常識を極端に外れた行動は許されまい。

 わからないことは、わからないと正直に言う。そんな良識と謙虚さを科学者は持ちたい。そうでないと、社会が科学を誤解する。2009.11.21

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「棚から本マグロ」 中島みゆきの諧謔

 ひさしぶりに、気のきいた言葉を聞いた気がした。歌手の中島みゆきさんが今年の紫綬褒章を受けたときの、

 「棚から本マグロ」

という受賞言葉である。私も受賞に驚いたから、あるいは彼女の本音でもあろう。デビュー9周年のみゆきさんは、確か、最新映画

「ゼロの焦点」の主題歌「愛だけを残せ」

も歌っていたはずだ。映画は、原作が50年前の松本清長作品とあっては、さすがにどうも今の時代には合わないような気がした。しかし、主題歌はみごとだった。みゆきさんは、これもまた、確か、NHK番組「プロジェクトⅩ」の主題歌

「地上の星」

を歌って、ヒットさせている。ヒット中のある年の紅白歌合戦(確か、2003年の年末)で、東京ではなく、北アルプスの黒四ダムのある地下で歌っているのを、このとき香港に旅行中だった私は、ホテルで見た。息子たち夫婦も一緒だった。

 咄嗟に出る、意表を突く「気のきいた言葉」と言えば、歌手ではないが、女優の秋吉久美子の

 「子どもは卵で産みたい」

 「カシオペア、うんぬん」

が有名だ。マスコミを意識した諧謔性のある、ユーモアのある才媛はいるものだ。

 今週、高橋真梨子の浜松コンサートに出かけた。全国ツアーの一つなのだが、主題は「女心が桃色なら、男心は何色だろう」として、「オトコゴコロに理由はいらない」、つまり

「No Reason」

だった。これまでにも今年静岡市にも高橋真梨子コンサート「No Reason」に出かけているが、デビューして35年でまだまだ上品な色気が漂っているのに驚いた。気のきいた才気のある言葉はなかったが、むしろ団塊の世代にはそれがかえって好感が持てた。

 そのとき会場で思ったのだが、高橋真梨子って、歳を取れば取るほど、色気のあるいい女に変身しているような気がした。これは、やはり、亭主の、そして、バンドを率いる

 夫、ヘンリー広瀬氏の「外助の功」

なのだろう。その夫も、会場であいさつしていたが、66年の誕生日を迎えていた。

 このコンサートで懐かしかったのは、彼女のデビュー・シングル曲

「あなたの空を翔びたい」

 この曲は、私がちょうど結婚するころの曲だった。

 中島みゆき、秋吉久美子、高橋真梨子。歌や女優の世界も、日本はもっと大人の魅力をアピールできる成熟したものであってほしい。男の世界では、谷村新司、矢沢永吉など世界に通用する「団塊の世代」歌手は多いのだから。2009.11.21

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将棋で言えば「寄せ」? 邪馬台国、畿内説有力に

 このニュースを聞いて、邪馬台国論争は、将棋で言えば

 いよいよ「寄せ」の段階に入った

という印象を持った。ニュースというのは、高さ10㍍の巨大な高床建物と、整然と並ぶ建物群が、奈良県桜井市の巻向遺跡で発見されたというものだ。四棟の建物が東西に並んでおり、政務や祭儀の施設であるという。この時代、これほど巨大な建物群をつくることができたのは、文献上は、卑弥呼以外に考えられないという。この遺跡は、三世紀前半に建てられたもので、卑弥呼の時代に相当する年代であることも、この考えを支持している。

 さらに、今春、この遺跡の近くにある箸墓古墳(前方後円墳)も、築造時代が三世紀半ばであることが、国立歴史民俗博物館の研究グループにより、日本考古学協会に報告されている。ただし、この築造年代の割り出しには、放射性炭素年代測定法という手法が使われており、そこから年輪年代測定法に換算するという、いわば間接的な年代推定法であり、精度や方法自体に対して慎重な見方をする研究者もいる。学会発表時でも、こううした点について、突っ込んだ議論があったようだ。

 そういう点はあっても、これだけ考古学的な証拠が出てくると

 邪馬台国論争は、寄せの段階

に入ってきたと言わざるを得ない。

 九州説の有力地、吉野ケ里遺跡をかかえる佐賀県では、当然、論議を呼ぶことだろう。2009.11.20

 追記 2009.11.28

  上記の巻向遺跡群のなかの箸墓古墳=卑弥呼の墓説、遺跡中心部の巨大建物群=卑弥呼の宮殿のほかにも、この遺跡群のなかの天理の黒塚古墳からは、卑弥呼の鏡、つまり三角縁神獣鏡32面が出土していることに気づいた。「切り抜き速報(社会版)」(ニホン・ミック)の2009年9月号の特集「邪馬台国はどこにあったか」に出ている。

 その新聞切り抜きによると、1998年1月10日付奈良新聞に

 〝卑弥呼の鏡〟32面 天理の黒塚古墳 邪馬台国 やはり大和に 大和政権中枢部で初の三角縁神獣鏡

と大きく出ている。

 こうした事態に、当然、吉野ケ里遺跡をかかえる佐賀県の地元紙、佐賀新聞は2009年6月14日付で

 論説 邪馬台国の現場 吉野ケ里から積極発信を

として、量を競う必要はないとしながらも、新しい情報の多寡が所在地論争に影響していないかと危機感を募らせている。もっと九州からも情報発信を、と檄を飛ばしている。県の財政難から吉野ヶ里歴史公園の中核施設とるはずの博物館が公園ができてから9年もたつのにいまだに先送りされたままとなっている現状を嘆いている。佐賀県としては当然であろう。

 繰り返すようだが、邪馬台国論争における九州説は、いまや外堀は埋められている。後は、否定されるのは時間の問題だろう。

 折りしも、11月26日付静岡新聞朝刊には、今回の巻向遺跡中心部の巨大建築物群の発掘を現場で指揮した

 奈良県桜井市教育委員会職員、橋本輝彦さん

を「時の人」として紹介している。もう20年もこの遺跡にかかわっている40歳。女王、卑弥呼の宮殿を掘り当てた興奮が記事から伝わってくる。記事には今回の発見を決定打とまでは言い切っていないが、勝負はついたとの印象が強い書き方になっている。

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コアラが絶滅? この10年で半減の恐れ 

 11月11日付静岡新聞の海外ニュース囲み記事「GLOBAL FLASH」に

 コアラ激減、絶滅まで30年?

というのが載っていて、びっくりした。この記事のオーストラリアのコアラ保護団体「コアラ基金」によると、

 「コアラの生息数が地球温暖化や森林伐採などの影響で、過去10年間で半分以下に急減した恐れがある」

という。生息数が2000年の調査では推定10万匹だったのに対し、最新の調査では4万3千~8万匹に減少した。推定値とはいえ、コアラの生息環境に大きな変化が起きていることをうかがわせる数字である。

  ユーカリを食べるカンガルーの仲間、コアラに何が起こっているのだろう。コアラと温暖化の関係はどうなっているのだろう。南アルプスのシカ食害を考えると、そんなことが気にかかったニュースであった。2009.11.11

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近刊 ? 『脱税する脳』 (東京国税局) 茂木健一郎著

 11月10日付各紙夕刊に、「感動する脳」「化粧する脳」の著者として知られる高名な脳科学者

 茂木健一郎氏 申告漏れ 講演料など3年で4億円

と出ている。読んで、やっぱりと合点した。同氏のいかがわしさが、はしなくも、また一つ加わったと言える。これが同氏の正体だろう。追徴税額は、加算税も含めて計1億数千万円。申告漏れ約4億円という東京国税局の税務調査の指摘について、同氏は事実と認めている(出演番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」HPにも、指摘された点を認めて、茂木氏自身が「おわび」)。2005年までの確定申告はどうなっているのだろう。時効なのだろうか。

 「脱税」額が多いことも問題だが、ことの重大さに対する同氏の認識もひどい。同氏は、勤務先の「ソニーコンピュータサイエンス研究所」から給与をもらいながら、それとは別に、講演料、著書の印税、テレビ出演料を受け取っており、二箇所以上から雑収入としてこれらを受け取っていた。こういう場合、当然、2月に確定申告して、納税額を精算しなければならないにもかかわらず、しかも、そのことを知っていながら、「忙しさに追われ申告が遅れた」(日経夕刊)と弁解しているという。どこの世界に3年間も遅れるというのだ。会社の給与所得からの天引き以外、2008年までの3年間まったく確定申告をしていなかったというから、悪質な脱税行為と言われても仕方がないだろう。

 同氏は、NHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の人気キャスターである。同氏の仕事の流儀とは、まさにプロフェッショナルな脱税行為なのだろうか。番組のタイトルを地でいくとは、さすがは脳科学者、エライ。2009年分の確定申告(2010年2月)を注目したい。茂木さん、あす11日から「税を考える週間」ですよ。

  それはそうと、さて、NHK。番組公式HPで、この申告漏れについて、すでに追徴納税を済ましているとして、同氏を引き続き起用し、番組を継続するとしている。やれやれ。甘いのではないか。

 茂木氏の場合、事実は確定申告の「不申告」だが、

 脱税とは、意図的な「不申告」

である。行為が繰り返されたり、隠ぺい工作が行われたりするなど悪質であるかどうかは微妙であるものの、額が巨額であることなどを考慮すると、積極的に脱税しようという意図はなかったかもしれないが、さりとて単なる単純ミスによる「不申告」などではなく、限りなく違法な脱税に近いと言える。

 そこで、こんなお知らせを一つ。近刊?『脱税する脳』 東京国税局発行 茂木健一郎 著 

  こんな皮肉も言ってみたくなる今回の「事件」だった。2009.11.10

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城を訪ねる小さな旅 天浜線に乗車して

 秋晴れの先日、静岡県掛川市から天竜まで、天竜浜名湖線を「1日乗り放題フリー切符」(1500円)で楽しんだ。いわば城を訪ねる小さな旅といったところだ。

 まず掛川城。幕末の安政の大地震で倒壊し、以後、廃城となっていたのが、最近の平成時代に入って、ほぼ当時のまま木造で天守閣まで再建された。この城は

 山内一豊の城

として全国に有名だ。というべきか、司馬遼太郎の「功名が辻」(2006年NHK大河ドラマ)で知られている城と言ったほうが分かりやすいかもしれない。妻、お千代の内助の功

 黄金10両の馬

で有名だ。持参金を夫がのどから手が出るほどほしがった馬購入代金に使ったという話である。これがきっかけで、かつての敵、織田信長に見いだされるきっかけになり、その後も重用されるという幸運をつかむ。後日、関ケ原で、軍功を挙げて、土佐藩に転封している。

 快晴で天守閣からは、東に富士山、西に浜松のアクトシティ

がくっきりと見えた。

 そこから、天浜線に乗り、遠州森、天竜二俣、二俣本町へ。二俣本町では、

 徳川と武田が争奪戦を繰り広げた「二俣城」

に行った。天竜川沿いに天守閣の石垣土台があるが、二の丸、三の丸もある。しかし天守閣そのものはない。ただ、静岡国民文化祭ということで、仮設の一夜天守閣(張りぼて)がつくられていた。名付けて

 二俣一夜城

というそうだ。本格的な山城ではないが、平城でもない。小高い山の上に築かれた戦国時代の城。ボランティアの説明によると、設計図のたぐいは一切ない。さらに、本当に天守閣があったのかどうかも、不明とか。

 この城、徳川と武田のいわゆる三方原合戦後、武田側に奪われている。直後、信玄が病没し、ふたたび家康側に戻ったという経緯がある。現場に立ち、そんな歴史の攻防に思いを馳せた。

 この二俣城の北方には、高根城などもある。このほか浜松市域だけでも浜松城をはじめ80以上の城がある。ほとんどが山城だが、いずれも天下にその名を知られた武田軍勢の侵攻を食い止めるものであったのだろう。その多さに徳川家康の執念が伝わってくる。

 ただ、小生の勘違いがひとつあった。

 二俣城は、秀吉が一夜で築いたと言われている「墨俣(すのまた)一夜城」とは別

だということである。こちらのほうは、岐阜県大垣市の長良川沿い。

 今回の小さな秋旅の小さな発見だった。2009.11.08

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「ダーウィンの信じた道」追記

 以前、このブログで

 「ダーウィンの信じた道」(NHK出版)

について、論評した。進化論執筆の動機は、当時時代背景となっていた奴隷制反対というダーウィンの情熱であったというものである。そのために、人類の単一起源論を科学的に実証しようとして、進化論を展開したというものである。

 それでは、現生人類は、いつ、どこで生まれ、それがいつごろ、世界に移住するようになったか、ということについて、現代の到達点については、

 「ナショナルジオグラフィック日本版 2006 3月号「人類の大いなる旅」

に出ている。その移住ルートについておおよその移動年とともにそのルートを図示した美しいカラーグラフでわかりやすく解説されている。

 この図を見たら、ダーウィンはさぞ喜んだであろう。

  今からおよそ20万年前に東アフリカに、現生人類の祖先、つまり、Y染色体アダムとミトコンドリアイブが登場し、約7万年から5万年くらい前に、アフリカを離れ、まず、アラビア半島に進出したという。そこから、世界にその子孫が移住し、今から1万5000年くらいまでの間に移住を完了、定住した。人種によって異なるDNA配列部分(ゲノム塩基配列の0.1%)の突然変異の分析と、人類の化石や遺跡の分布とをつき合わせてわかった。

 なかなか面白い記事であり、これまでこの雑誌を見逃していて、今回初めて丁寧に読んでみたのだが、得るところが多かった。

 それにしても、この雑誌のイラストやカラー写真はエレガントで美しい。この分野でアメリカの技術水準の高さを如実に示している。2009.11.08

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キリマンジャロ山頂の氷河と南アルプスの高山植物 

 奇妙な符合に気づいた。ケニアの赤道直下、キリマンジャロ山頂の氷雪の急速な溶け具合と、南アルプス高山帯の高山植物の深刻なシカ食害とが、この十年、軌を一にして加速している。

 11月4日付静岡新聞夕刊によると、

 キリマンジャロ (この100年で)山頂の氷河85%減/ 米研究者「あと20年で消滅か」

と伝えている。記事から計算すると、

 1912年から1953年の約50年間については、年平均約1.0%で減少

 それが、この20年に限ると、年平均約2.5%で減少と加速、

 さらに、この7年(2000-2007年)に限ると、減少がさらに加速し、年平均約3.7%で減少

となる。この結果、2007年には、1912年に比べて、85%も山頂の氷河が減少したというのだ。

 これと同じような傾向が見られるのが、南アルプスの高山植物。その減少は

 1980年代までは、高山植物が咲き乱れていたのが、

 1990年代前半には、減少の兆し、異変が現れて、後半にははっきりした減少。

 それが、この10年では、加速度的に高山植物がシカの食害を受けて、今では消滅の危機に瀕するようになった。

 6000㍍近いキリマンジャロ山頂とその半分の3000㍍近い南アルプス山頂付近の異変には数十年という共通したタイムスケールの、しかも、アフリカと東アジアというグローバルなスケールの異変が進行しつつあると言えまいか。温暖化だろうか。これなら、両方を無理なく説明できる。それとも、ほかに考えられるのだろうか。周期11年の太陽黒点はどうだろうか。しかし、地球上の異変には周期性はない。

 それにしても、キリマンジャロ山頂と南アルプス山頂には、あまりに符合する異変が起きている。ひょっとすると、温暖化は真実かもしれない。2009.11.06

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太陽系外に地球型惑星は存在するか  あるが、生物の生息は困難?

 先日に続いて、太陽系外の惑星系について追記したい。9月19日付朝日新聞夕刊によると、

 質量が地球の約5倍で、密度は地球と同じ「コロー7b」

が「いっかくじゅう座」の方向に地球から500光年のところにあるという。生物の存在が注目されるが、この惑星が公転している中心の恒星に近くて、惑星の表面温度は2000度くらいという。これでは生物の生息は、常識的には難しい。

 ということで、系外惑星系は多いが、地球型惑星が存在するような系は案外少ないように思われる。2009.11.2

 

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映画「沈まぬ太陽」  柳田邦男さんの「2.5人称の視点」を思い出した

 公開中の映画

「沈まぬ太陽」(原作は山崎豊子)

を観た。日本航空(JAL)を意識した国民航空(NAL)が舞台。その労働組合運動に委員長として先頭に立っていた主人公、恩地のその後の人生を描いたもの。左遷されても会社に妥協せず生きようとする委員長の恩地と、副委員長だった行天との確執が見ものだった。行天は、立身出世のため会社と妥協し、第二組合をつくり、会社に取り込まれていく。妥協しなかった恩地も、海外支店に左遷されて、家族との絆が壊れていくなど、辛い日々を送る。どちらも苦しい立場となり、かつて共に会社と戦ってきた二人の間の溝は次第に深くなっていく。そして、

 日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故

を気に、恩地は事故家族の世話係になる。その間、会社の不正などが明るみになり、政治工作の果てに行天は破滅に向う。

 ジャンボ機墜落事故とその後の会社の対応が、この長時間映画のハイライトであるが、観終わって、

 柳田邦男さんの「2.5人称の視点 人の痛みを感じる企業への転換」

という連載を思い出した。講談社のPR雑誌「本」2009年10月号では、日航ジャンボ機墜落事故現場である御巣鷹山に慰霊登山をする様子が描かれている。これによって、日本航空が、これまでの体質を変えようとしている姿勢が描かれており、柳田さんが直接、日航の安全アドバイザリーグループとしてかかわった経験からの提言も盛り込まれていた。

 遺族の信頼を回復させ、社内的にも安全確保に本気で取り組むようになるには、事故を起こした企業自身が、

 現物を見る、現場に立つ、当事者・関係者の生の声・証言を聞く

ということが大切だと書いている。慰霊登山もその一つであろう。だから、柳田さんたちは、日航にも

 安全啓発センターの設置を提案、

し、提案を受けた日航側も、トップが率先して、その提案を直ちに実行に移した様子も紹介されている。

 映画でも

 絶対安全の確立

が会社の再建の土台であることが描かれていた。

 現在、日航は深刻な経営状態で、その再建が喫緊の課題となっている。そんななか、柳田さんは、この映画にどんな感想、感慨を持ったのだろうか、聞いてみたい。安全確保による信頼される企業再生と、経営の効率化、合理化を図り経営を再建することとは必ずしも矛盾はしない。が、どちらにも偏らないでバランスをとって両立させるのは難しい。

 この「沈まぬ太陽」の映画のラストシーンは、恩地の左遷先のアフリカ(ケニア・ナイロビ郊外)の夕日。地平線までなにもさえぎるもののない光景。「会社を辞めない」で不屈の精神で会社の再建に取り組んだ主人公の思いを主人公に語らせているが、何か違和感がある。アフリカの大自然に「逃げた」と言われても仕方ないだろう。ここは、しっかり、大自然の癒しに解決を求めるのではなく、大都会の人間集団の中で、生き抜く決意を語ってほしかった。たとえば、大都会のバックに沈みかけている夕日に向って、ジープではなく、歩道を歩いていくシーンぐらいにしてほしかった。

   この辺、原作がどうなっているのか、調べてみたら、

 アフリカ編上下 御巣鷹山編 会長室編上下の全5巻

となっている。大作なので映画ではこれらをかなり再構成し、コンパクトにしている。映画のラストシーンは、原作ではアフリカ編の下巻に登場している。

  アフリカの夕日は、明日を約束する力強さがあるとしている。映画ではラストで突然アフリカの夕日が登場し、唐突感がある。

  話は少しそれるが、それにしても、大惨事となった尼崎脱線転覆事故に対するJR西日本のなりふりかまわぬ組織防衛はひどい。被害者よりも企業防衛を優先した事故調査というのは被害者に対する裏切りである。これでは、死亡した被害者は浮かばれない。JR西日本の信頼回復は、一から出直しである。2009.11.01

   映画を見た感想は、以上だが、ふと心配になったのは、本物のJALが経営再建に大わらわ、言ってみれば「沈むJAL」なのだから、そんな時、こんな映画を公開されたら、たまらないのではないかということだった。そんな心配していたら、案の定、11月3日付静岡新聞朝刊に

 「沈まぬ太陽」日航批判/社内報で客離れ誘発に危機感

という囲み記事が出ていた。映画で描かれている組合つぶしや報復人事、役員の不正経理、経営幹部の政治家への利益供与や贈賄などについて、いくら「フィクション」と映画の最後で断ってあるとしても、明らかに日航をテーマにしていることは明らかであり、国民の日航に対する信頼を著しく損なうと批判している。いくら表現の自由があるからと言って、限度を超えれば、名誉棄損に当たるというわけだ。社内報では「しかるべき措置を講じることも検討している」と書かれているらしい。法的手段も辞さないと言うことだろう。

 ただ、これには難しい面がある。憲法21条が保障する表現の自由は、憲法12条が戒めているように、濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のために行使することを忘れてはならないという点だ。映画「沈まぬ太陽」はこの点、どうなのか。判断は難しい。また、原作について、10年以上前の作品なのに、日航が批判したという話は聞かないが、どうしたことだろう。2009.11.6

  追記

 上記の社内報の件だが、JAL側も、法的な手段も、と言えるほど、そんなに威張ることはできないのではないか、と思わせる記事が「週刊現代」2009年11月28日号に出ている。

 アップグレードは当たり前 JALにタカった政治家・官僚・マスコミ 盆暮れには株主優待券が

 という見出しで書いている。高級クラブ、株主優待券、コネ入社、接待旅行など、沈むJALにしたのは日本の翼を食い物にした小悪党たちの姿だ、と書いている。内部事情に詳しい関係者にも取材していて、映画「沈まぬ太陽」もまんざら見当違いではないことが分かる。法的な手段も、としているJALだが、こうなると、訴訟沙汰はできないだろう。起こせば、天に向かってつばをするようなものだ。やぶ蛇になる。2009.11.25

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