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2009年10月

太陽系外の太陽系は約400 地球生命の移住先には困らない?

  先日、10月28日付朝日新聞夕刊を見ていたら、

 太陽系外の惑星 新たに32個発見 欧州南天文台

こうなると、太陽系という惑星系は銀河系てはもはや珍しい存在ではなくなったと言えそうだ。問題は、こうした多くの系外惑星系のうち、地球のように生命が誕生しやすい、あるいは、生命が育ちやすい環境として、どのくらい

 地球型の惑星

があるかであろう。生命は地球型でしか、育たない、生まれないというのは幻想かもしれない。ほとんどの環境で、生存可能と考えてもいいかもしれない。その場合、われわれ地球人が考えている「生命」とは、似ても似つかないものであるようにも思う。

 こうなってくると、

 地球生命は一人ぼっちではない

ということになる。

 生命はこの宇宙に満ち溢れているということになりはしないか。

 いや、系外太陽系はありふれた存在だが、生命が存在できる環境は、きわめてまれということも考えられる。これも

 地球人の一人よがり

であることが、いつかわかるだろう。そんな予感の朝日新聞記事だった。2009.10.31

  残念だったが、この記事は静岡新聞には、載っていなかった。地方紙と全国紙との違いを感じた。

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口笛で会話するトルコの村 2キロ離れていてもOK

  先日、夜のNHKニュースウオッチ9を見ていたら

 口笛で会話するトルコの村人

というのを紹介していた。両手の小指を巧みに使って、アルファベットの29文字を口笛で使い分けるというから、すごい。遠くの人とも会話できるのだ。まさに鳥のようだ。

 ところが、この山の文化、最近では強敵が現れていると言うのだ。

 携帯電話

である。こどもたちは、携帯でコミュニケーションを図り、この「鳥ことば」すっかり、受け継がれなくなってしまいそうなのだという。そこで、

 大人たちによる「口笛教室」

ができて、ようやく子どもたちもこの口笛コミュニケーションができるようになったという。2009.10.30

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静岡県の「上高地」 さわらじまの紅葉

 こんなことを言っては、静岡県の人に怒られるだろうか。

 「さわらじま」は、静岡県の上高地

 ロッジに1泊して、先の土曜日、日曜日、南アルプスの登山基地となっている静岡市最北端に近い「さわらじま」の紅葉を見に入った。簡単に言えば、「さわらじま」は大井川の源流の地である。間近に悪沢岳、聖岳を眺めながらの

 素晴らしい紅葉

だった。山岳写真家の白旗史朗さんを中心とした「南アルプス100人会議」にも出席した。話題になったのは、

 シカ食害対策

だった。何らかの原因でシカが増えて(例えば森林伐採でエサが増えて)、1頭当たりのエサの量がもともとの棲み処の低地では少なくなり、そして温暖化もあってか、どんどん亜高山帯から高山帯にエサを求めて仕方なく上ってきて、高山植物を食べてしまうというのだ。そのため、南アルプスの高山植物が20、30年前にくらべて、激減しているのだ。かつては「足の踏み場もない」ほど咲いていたのが、今では、「まるで掃除機ではいたように」高山植物が消えているという。白旗史朗さんの怒りを込めた会議での証言である。

 食害対策にはどんな問題点があるか、それを探ることもさることながら、また、シカ生息の実態調査もさることながら、当面まず、緊急に必要なのは、シカの頭数の調整、はっきり言えば捕殺だということを一応は理解できた。このままでは南アルプスの高山植物は「全滅する」と白旗さんは悲痛だった。会議には、動物、シカの立場から、こうした「シカ退治」に批判的な声は、動物愛護関係者がたぶんいなかったせいで、なかったが、動物愛護というか、シカ退治反対者の意見も聞きたいところだ。

 紅葉を愛でながら、食害の現場を亜高山帯ながらガイド役の専門家とともに見学した。

 伊豆半島では、全域で、伊豆市などが中心となり、毎年約5000頭前後を捕殺しているにもかかわらず、一向にシカが減少したという様子はないそうだ。これには、最近までメスを捕殺禁止だったこともあるが、静岡県の担当者によると、7000頭くらい毎年捕殺しないと、被害減少という効果がないらしい。最近ではメスも捕殺の対象になっているが、シカの繁殖力はそれくらい強力らしい(メスは毎年1頭の子を生むらしい)

 問題は、シカを捕殺して、その後、どうするか。焼却するか、補殺現場で埋めるか、あるいは食肉加工するかである。イノシシ肉は、ボタン鍋などの食習慣があるのに対して、シカ肉を食べるという習慣が日本文化には、一般化していない。ここにも補殺の難点がある。罠を仕掛ける、殺すのではなく誘い込みをする、などいろいろ対策は試みられているが、いずれも有効な対策とはなっていないのが現状だ。

 対策が遅れれば遅れるほど、食害に加速度がつく。まごまごしていて気づいたときには手遅れという事態にならないかという危機感が、会議の会場にはあった。

 南アルプス/シカ食害対策 連携を強め共生を総合的に

ということを痛感した。

 問題は、どう総合的に、取り組むか

である。3県、環境省の連携と言うことになるが、

 南アルプス高山植物保全計画の策定が進行中

で、08年度に基本計画がまとまるそうだ。今年度、来年度にも環境省は3県とともに計画を実行に移すという。こうなると、増えたシカを退治すればいいという単純なむ問題ではなく、

 生物多様性の確保

という観点も大事であろう。シカとの共生をどう図り、生物多様性というバランスを保っていくかがポイントだろう。

 そんな思いで、静岡県よりも、高山帯を多く抱えてもっと深刻な長野県はどうかと思い、

 信濃毎日新聞の社説

を調べてみた。最近はこうだ。

 温暖化と高山 深刻な環境に目を 2009年9月11日付

 シカ害対策   連携を強めて総合的に 2009年6月29日付

 いずれも、なかなかシカ食害対策の有効でうまい解決策に踏み込めていない。シカの補殺という言い方にしても、「個体数を減らす」「個体数の調整」という言い方になっているところに、この問題の難しさが垣間見える。2009.10.28

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鳩山首相の所信表明演説とアインシュタイン博士

 やはり、

 金ストライプのネクタイと、なんと、胸ポケットに金色ハンカチも

 国会で鳩山首相が初所信表明演説をしているのを、テレビ中継で聞き入った。その時に気づいたのが、この出で立ちだった。ネクタイもハンカチも金色。よほど力を入れた演説にしたかったのだろう。

 ユニークだったのが、

居場所と出番のある社会、支え合って生きていく日本

の下り。この部分の締めで

 「私が尊敬するアインシュタイン博士も、次のように述べています。人は他人のために存在する。何よりもまず、その人の笑顔や喜びがそのまま自分の幸せである人たちのために(ある)。そして、共感という絆(きずな)で結ばれている無数にいる見知らぬ人たちのために(ある)」

 歴代首相の所信表明演説のなかで、「アインシュタイン博士」が登場したのはこれが初めてであろう。いかにも、理工系内閣らしい。そして、「地域の絆」へと話が移る。

 ユニークな演説であることは認めるが、思うにアインシュタイン博士が言うような、そんなイエス・キリストのような、あるいは聖人のような人が、この世の中にどれほどいるのだろう。そんな人のために政治をするのだろうか。

 これが「友愛政治」の原点だとするのならば、不安になる。

 というのは、アインシュタイン博士が出てくる下りの前で、「支え合いという日本の伝統を現代にふさわしいかたちで立て直すことが、私の第1の任務です」と述べて、「政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。そのことだけは、私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます」と言っている。

 この宣言は、アインシュタイン博士の言葉の引用に通じる。

 だがしかし、注意したいのは、友愛とは、博愛のことであり、それは、首相自身も論文ではっきり断っているように、フランス革命といった、血が流されることも厭わない革命の、そして闘いの論理なのだということだ。友愛は、一歩間違うと、血が出る。その覚悟が要る。友愛は怖いのだ。鳩山首相にその覚悟があったかどうか、演説を聞いただけでは、よく分からなかった。

 金ストライブのネクタイと金色ハンカチだけでは、「友愛」は実現しない。2009.10.26

 追記

 こんなブログを書いたのだが、10月27日付静岡新聞の1面コラム「大自在」子も、理工系出身の鳩山由紀夫首相の所信表明演説を取り上げて、同じ思いだったのか、こんな書きだしとなっていた。

 「物理学の天才アインシュタイン博士が日本を訪れたのは-」

 として、上記の引用を紹介している。なかなかの辛口批評となっているが、

 最後は、中国の名言を引き合いに、肝心なのは内容だと首相に注文している、というか、クギを刺している。同感だ。2009.10.27

 

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戦後の歴代首相にはO型が多い 鳩山首相もしかり

 以前務めていた会社が発行している月刊誌

 「月刊北國アクタス」2009年11月号

が届いた。北陸整備新幹線の進ちょく状況が24地点ごとにカラー写真で報告されていて、泉田裕彦新潟県知事の地元負担金不払い宣言騒動で工事がストップするのではないかとはらはらしたが、なんとか一応の解決が図られ、ともかくも工事が進んでいるようなので、ホッとした。

 今後の正念場は、認可申請中でいまだ未認可の金沢-福井間で、この12月の予算折衝で認可予定だったが、政権交代で、さてどうなるかである。北陸新幹線を含めた3整備新幹線が「無駄」との声もあり、これにどう反論していくか、また説得していくか、注目したい。

 もう一つ、この号で面白かったのは、

 歴代首相に多いO型、鳩山首相もしかり

という記事。1900年にオーストリアの病理免疫学者、ラントシュタイナーが発見したとされている血液性格診断である。あまりにも有名な話題だが、

 鳩山由紀夫氏までの戦後歴代首相30人のうち血液型が分からない芦田均首相を除く29人を調べてみると、多い順に

 O型が15人と52%(日本人の平均は約3割で、せいぜい9人のはずだが) 

 A型が 9人と31%(日本人の平均は約4割で、12人はいてもいいはずだが)

 B型が 3人    (           約2割で、6人いてもおかしくない)

 AB型が2人    (           約1割で、3人くらい)

である。日本人平均とは、歴代首相の血液型分布は、29人とサンプル数が少ないことを考慮しても、パターンが異なるような気がする。双方のパターンに有意な差があるかどうか、厳密な検定は置くとして、数字をグラフにして比較してみると、

 歴代首相には、日本人全体の平均に比べて、O型の割合が(有意に)高い

とは言えるだろう。

 鳩山氏もO型だ(ちなみに幸夫人はB型)。同誌の性格診断(市川千枝子氏=NPOヒューマンサイエンスABOセンター所長)によると

 O型は、大らか、生命に対するバイタリティーがある

 A型は、完壁主義、秩序やチームワークを大切にする

という。最近では、O型=森喜朗、A型=麻生太郎、福田康夫、小泉純一郎(安倍普三氏はB型)。

 小生はO型だが、それはともかく、このところの歴代首相に限れば、なんとなく、あっているような、いや、あっていないような気がする。2009.10.23 

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「星の時間」って何 ? 

 週刊誌の「サンデー毎日」のコラムに

 文明の星時間

というのがある。ある高名な脳科学者の連載エッセーであり、10月25日号でもう85回目だが、テーマは

 「八百屋お七」

だった。星時間というのと、八百屋お七というのが、どう結びつくのか分からなかった。そうこうしているうちに、共同通信社論説委員の粟村良一さんのコラム(時言)で、オーストリアの作家ツバイクは歴史短篇集「人類の星の時間」を紹介しているのを見つけた。それによると、ツバイクは、

 常に無数の坦々(たんたん)たる世界歴史の時間が流れ去るからこそ、やがていつかほんとうに歴史的な、人類の星の時間というべきひとときが現れ出るのである

 と書いている。ベルリンの壁崩壊は史上に輝く「星の時間」の一つであるという。なるほど、と感心した。これならわかる。

 そのベルリンの壁崩壊から20年の記念すべき日、2009年11月09日が間もなくやってくる。

 それにしても、文明の星時間と八百屋お七とは何の関係があるのだろう。中身を実際に読んでみたが、文明とも、星時間ともな何んの関係もなかった。2009.10.22

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開花した「やってみなはれ」 青いバラづくりの20年、浜松花博の思い出から

10月21日の朝刊各紙には、

 「夢かなう」青いバラ発売 サントリー  静岡新聞

という記事が一斉にデカデカと出ている。読売新聞の1面などは、郵政民営化見直しについての閣議決定を受けて

 西川善文日本郵政社長、辞任表明 「内閣方針と隔たり」

という1面トップに対して、なんと青いバラの記事は準トップ扱いで

 ため息誘う「青いバラ」

と力の入れようだ。しかも、若い女性が大量の青いバラをかかえてほほ笑んでいる写真は、西川氏の苦汁のポーズ写真よりかなり大きい。女性もこんなに大きく出るとは思わなかっただろう。何しろ、この女性の写真は全国へ1000万部も届けられたのだから。各紙合わせると5000万部以上だ。サントリーも「してやったり」の抜群の宣伝効果であろう。大成功とほほえんだに違いない。サントリーはやはり宣伝の仕方が、洒落ていて、うまい。

 それはともかく、バラには青を発色させる遺伝子がない。したがって青いバラづくりは不可能なのに、青発色を可能にする遺伝子を組み込んで、それを可能にしたというのだから、すごい。

 この世界初の青いバラ、20年越しの成果なのだそうだ。きっかけは80年代の主力商品のウイスキー「オールド」の不振にまでさかのぼる。創業者の鳥井信治郎氏の口癖

「やってみなはれ」

というチャレンジ精神の後押しでスタートしたらしい。創業者の指示だっただけに、こんなに長い開発期間が許されたとも言える。が、飲料中心のサントリーが、飲料だけから抜け出し、それまで培った技術をベースにして将来の事業転換に備えた挑戦だったことは確かなようだ。独自の品種を生み出し売り出す植物ビジネスへの挑戦だろう。まさに、

 ピンチはチャンス

の典型例。このバラ、小生、5年前、浜松市で開かれた花博会場で拝見した。そのときは、ピンチはチャンスという事例であるとは気づかなかった。2009.10.21

 商品化に、こんなに時間がかかったのは何故か。ようやく気づいた。遺伝子が組み込まれた植物を売った場合、枯れたりして廃棄されたりして環境破壊が起こらないかどうか、農水省の商品化基準をクリアする必要があったからだろう。さらに、バラを、例えば、パーティなどで飾りとして出したりして、幸運を呼び込む縁起物として、食べたりしたとき、健康被害が起こらないかどうかのチェックも大変であったろう。遺伝子組み換え植物を大量栽培することによる環境への影響も調べなければならなかったであろう。

 ピンチはチャンス、そうなるにはそれなりの周到な準備と、事後の周到なフォローが大事

なのだ。そんなことを気づかせてくれた記事だった。

 チャンスは、1日にして成らず

 2009.10.23

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息が詰まるくらい誠実 理系サラリーマンの悲哀と誇り

 理系出身の身には、それこそ身につまされるような週刊誌の記事を読んだ。10月17日号の「週刊現代」だ。

 この号には

 ファーストレディの台所 鳩山レストラン

というカラーグラフが載っていたので、買った。首相の夫人、幸氏は名うての料理上手だというのだ。マグロ一匹まるごと台所で解体し、さくにして隣近所におすそ分けとして配ったり、カルパッチョにしてみたりと、いやはやすごい。どうしてこんなに上手なのかというと、前夫が日本料理店を出していたから、それを見て、覚えたのだというから、ますますすごい。

 ところが、このカラーグラフの近くに、こんな記事が載っていた。

 新・職場考現学 理系サラリーマンの悲哀と誇り

 鳩山政権では、首相を含めて4人が理系出身者ということから、サラリーマンにも理系に注目が集まっているという記事。しかし、

 会話がない

 心苦しくなるくらい誠実

というのが、理系のダメなところと書いている。心苦しいくらい誠実というのは、融通が利かないことの裏返しでもある。

 冷遇されることが多かった理系サラリーマンの時代がこれから始まると思いたい。しかし、反省を込めて言うのだが、この点を改めないと、いつまでたっても、職場で文系人間には頭が上がらない、ような気がする。

 このことは家庭でも言える。これは自信を持って断言できる。

 心苦しいくらい誠実というのは美質にあらず。悪なのだ。2009.10.19

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「人生に乾杯!」 怒りの高齢者を元気にするユーモア

 かつては社会主義の国だったハンガリーの映画(2007年にハンガリーで公開)にも、こんなにユーモアがあるとは、知らなかった。しかも、年金生活者の老夫婦が生活苦の揚げ句紳士的なやり方ではあるものの連続銀行強盗をするという物語なのに、駐日ハンガリー大使館が推奨しているのだから、面白い。強盗のたびに、ニュースを聞いた国民が拍手喝采するという設定なのだ。

 上映しているというので、浜松市の中心街にある浜松市民映画館「イーラ」(有楽街通り)に出かけた。資本主義の国になったとはいえ、まさか、銀行強盗をほめるわけにはいかないのだから、ラストシーンがどうなっているか、注目した。

 この映画は、社会主義の時代にあんなに国家につくしたのに、一向に楽にならないどころか苦しくなるばかりの今の生活を描いている。かつての社会主義に対する怒り、資本主義に今更ついていけない年金生活者の心情を描いている。ついに、資本主義に抵抗感のない若者の裕福な生活をみるにつけ、そのあまりの不公平感に対する「失われた世代」の怒りが爆発、銀行強盗に走る。

 主役の老人の夫は81歳、妻は70歳。夫は旧ソ連共産党幹部の運転手だから、運転がうまい。車は旧ソ連のリムジン、黒のチャイカ、GAZ14。

 問題のラストシーンは、追い詰められた老夫婦は、人質を解放し、二人だけで取り囲まれた警察陣に自慢のチャイカで突っ込み、自爆するというものだった。これだとタイトルの

「人生に乾杯!」

とは、ならない。おかしいな、変だなと思った。ところが、最後の最後で、実は、老夫婦はチャイカには乗っておらず、そのかわり、大きなぬいぐるみのクマが運転していた。それを捜査陣は老夫婦と勘違いする。その間に、盗んだ大金とともに、老夫婦は捜査網をかいくぐり、どこかに消えてしまったのだということが、ちらっとした映像で分かる仕掛けになっている。台詞も説明もない。そのことに気づいて、映画を見た人たちは、なんだか、

 紳士的な銀行強盗の老夫婦に乾杯をしたくなる

 年老いても、二人で協力するならば人生は変えられる

そんなメッセージが言葉はなくても、ラストシーンから伝わってくる。捜査陣も、老夫婦の「勇気ある行動」に内心では応援しているかのようだった。この映画の持つ高度なユーモア精神、社会批評精神がそうさせているのだろう。ヨーロッパ映画の粋なところだ。

 久しぶりに、社会性があり、高い質のユーモアのある映画を見た気になった。ハリウッド映画ではこうはいかない。2009.10.19

  この映画を見て、5年ほど前にNHK「アーカイブス」だったか、スペシャルだったか、

 「ヨーロッパ・ピクニック ベルリンの壁はこうして崩壊した」

というのを思い出した。ハンガリーとオーストリアとの国境の町、ショブロンでの東西住民が集っての交流イベントが、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊のきっかけとなったというものだ。このイベントの最中、東ベルリンから沢山の市民が押し寄せ、オーストリアへ、国境を越え、そこから西ドイツに移住したという話である。この出来事には、西側と綿密な連携を図るなど、ハンガリー共産党幹部たちによる周到に準備された極秘作戦があったという。

 このベルリンの壁崩壊を引き起こした歴史的な「小さな門」の出来事は、1989年5月に起きた。東ドイツ市民が大挙してハンガリーに流入、ついに、東ドイツ当局は、この小門でなくても、国境を越えて西ドイツへの移動を許可せざるを得なかった。ベルリンの壁の崩壊である。

 だが、20年後の現在まで、東欧は欧州連合(EU)へ次々と加盟、「新しい欧州」となった。しかし、世界経済危機で苦境にあえいでいる。極右の台頭もあるらしい。「古い欧州」時代に比べて、経済的な格差は拡がり、EU不信も深まっている。政治統合の足がかりとなるはずの基本条約、リスボン条約が間もなく成立する。しかし、東西欧州統合の道は、今なお遠いと言えるだろう。そんなことを

「人生に乾杯 !」

の映画は教えてくれた。つまり、人生に乾杯とは言えても、苦しい生活を強いられているハンガリーの年金生活者にとっては

「EUに乾杯  !」

とまではいかないのだ。2009.10.22

追記 2009.11.25

 この「人生に乾杯!」の映画について、その米国版のような映画が

 パブリック・エネミーズ(ジョニー・デップ主演)

 このチラシには、伝説の指名手配犯(パブリック・エネミー)、ジョン・デリンジャー。その愛と野望の逃亡劇、となっている。「大胆不敵な銀行強盗。奪うのは、汚れた金。愛したのは、たった一人の女。」とも書かれている。言ってみれば、大恐慌時代、美学を貫き通した銀行強盗、ジョン・デリンジャーの物語といったところである。

 殺し文句がにくい。「俺は、殺さない。俺は愛する女と年老いて死ぬ」。いいねえ。

 チラシには、こんな解説も。

 「不況に苦しむ多くの国民は魅了され、まるでロックスターのようにもてはやした」となっていて、この点でも映画「人生に乾杯!」と似ている。

 

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最高裁、久々に「気骨の判決」 調書裁判からの決別

 10月17日付静岡新聞の社説に

 広島女児殺害事件 / 調書裁判からの決別を

というのを読んだ。すでに始まっている裁判員裁判を意識した判決であり、1審重視の姿勢を鮮明に打ち出しており、久々の「気骨ある判決」である。裁判員裁判の推進を掲げる最高裁が自ら、全国の高裁に対し司法改革にあたっての意識改革をあらためて求めたものであろう。

 この最高裁判決もそうだが、つくづく、保守的と思われがちだった司法の内部にも、このところ変化というか、「異変」が起きていることを感じる。1審の鞆の浦判決しかり、控訴審の沖縄海岸埋め立て裁判にしろ、これまでなら考えられないような判断が示されている。やはり、開発、地元活性化というよりも、歴史的な遺産である景観を、国民の財産として大事にしよう、取り返しのつかない環境破壊をやめて保護しようという流れが、保守的な司法界にも少しずつ浸透しているように感じる。これが、歴史的な政権交代という政治の変化のせいではないことを祈りたい。交代があろうが、なかろうが、司法はあくまでも政治から独立していなければ、

 「気骨の判決」を出した大審院判事(民法)、吉田久

に申し訳ない。

 ただ、とは言っても、まだまだ、地元の公益性と、国民全体の公益性とのどちらを優先すべきか、という点では、やはり、地元優先、公共事業優先、開発と活性化優先の従来の考え方が、司法界でも行政でも主流である。まだまだ総論賛成、各論地元優先だ。鞆の浦景観裁判でも、全国的には、公共事業を差し止めた地裁判決を歓迎する意見が多いのに対して、地元の広島県は、これまでの経緯から納得せず、またほかの公共事業への影響が大きすぎることもあって、控訴する方針を明らかにしたのもその表れであろう。

 沖縄・那覇市の埋め立ての差し止めの裁判も、沖縄の美しい海を守れ、さまざまな渡り鳥の、いわば「ハブ海岸」を守れだけでは、地元自治体としては、地元の活性化はどうしてくれるのだと言いたくもなる。環境を守るだけでは、市民の生活は成り立たないというのもわかる。こちらも、広島と同様、総論賛成であり、自分のところだけは、総論は置いといて地元優先でお願いします、というのが地元の本音なのであろう。

 こうなると、気骨の判決も大事だが、それだけでは問題は解決しない。合意形成に向けた政治の出番なのだとつくづく思う。2009.10.18

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安全装置付きの絞首刑台 脳直撃の絶叫マシン、恐怖と快感と

毎週土曜日夜、楽しみにしているNHK「ワンダー×ワンダー」を見た。今週は

「脳直撃 ! 絶叫マシン」

だった。見終わっての結論は、

 安全装置付きの絞首刑台、それが絶叫マシン

ではないか、というものだった。重力加速度(G)が通常の1Gを超えてかかり始めると、脳から足に向って血液が移動する。当然、脳内の血液量が減少する。そして、今までかかっていたGが減り始めると、足から脳に向って逆流し脳内血流量は増加する。心拍数でいうと、血流量減少で、緊張が高まり、心拍数が増大する。一転、血流量が増えてくると、開放感や爽快感で、心拍数が減少する。この境目で、「奇声」を発するといわけだ。下向きの遠心力によりGが増大し、上向きの遠心力で、かかっているGを相殺するようにマシンのループを上手につくるのがポイント。絶叫マシンが苦手の人は、Gの変化に対して、シンクロせず、心拍数が一方的に上がりっぱなしになるという(実験した嶋津秀昭杏林大教授、生理学)。

 生理学的には、この過程で、(ノル)アドレナリンの変化となって現れ、恐怖と快感か゛得られるようだ。

 つまり、マシンのループの上下変化というのは、脳内血流量の変化におおむね対応している。

 ただし、 このほか、 テレビではまったく触れられなかったが、目からの視覚も、Gの変化に伴う血流量の変化とともに、大事であろう。野外マシンでは、屋内のパイロット訓練用G装置より、目から入ってくる大きな恐怖により、(目をつぶっている場合より)生理作用がより複雑かつ強力に起きるだろう。

 脳内の血流量の変化の仕方をさまざまに変えることができれば、かならずしも高さが高くなくても、さまざまな快感が味わえることになる。そうした

 G変化が予測できない、つまり飽きない新感覚の4次元コースター

が、外国では登場していると言う(インセイン)。高さはそう高くないのだが、さまざまなG変化を乗客にかかるように、人の乗ったゴンドラ自身をループ移動中に回転させたり、その回転が乗客の座り方の違いにより異なるように設計されている。お客が少ないときと、多いときとでは、一人一人の乗客にかかるG変化のパターンが異なる。このことは、乗るたびに異なる快感が味わえるということであり、飽きがこないという仕掛けである。

 絶叫マシンに似た感覚を味わえるのが

 命綱付きのバンジー・ジャンプ、あるいは

 ベルトに吊り下がって滑空するハング・グライダー

であろう。最近では、アメリカあたりで

 ベース・ジャンプ

というスポーツが盛んになりつつあるという。落下傘のようにハング・グライダーを背負って、川にかかる吊橋の中央から川面に向って飛び降り、空中でグライダーを開いて、滑空するというものであり、スリル満点、快感満点のようである。これも、最初は1Gと変化はないが、最後のところでGが大きく変化し、目からの恐怖も重なって、体内で生理作用の変化を引き起こすだろう。

  この番組を見ていて、ふと思った。死刑囚は、執行のとき、絞首刑台に立ち、足元の床が開くと同時に落下し、首が絞まって心臓から脳への脳血流量が一気にゼロになる。死の恐怖から一転、気を失うまでのわずかな時間にどんな快感を味わうのだろうと。それとも、その間もなく、失神するのだろうか。刑が執行された死刑囚に聞けたらと思う。

 絞首刑台は、奇声のない、一度きりの、いわば「究極の快感が味わえるマシン」かもしれない。

 2009.10.17

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総理の余裕 ? 鳩山首相が梅干し入りお湯割り焼酎をつくってくれた訳  

 先日、鳩山由紀夫首相が、官邸生活だけでは息が詰まるというので、恵比寿の居酒屋のハシゴをした話をここに書いた。二番目の行き先、会合先で待っていたのは、誰かと思ったら、なんと政治家なんかではなく、意外にも惑星科学者の松井孝典・千葉工大惑星探査研究センター所長だったという。「週刊文春」2009.10.15号の「鳩山由紀夫と小沢一郎 50人の核心証言」の記事に出ている。さすが

 宇宙人、鳩山首相

である。どんな話をしたのかと思ったら、松井氏はこう語ったという。同誌によると、

 火星に生物がいる可能性

について、松井氏が語り、首相は「身を乗り出して聞いていた」そうだ。松井氏は、火星儀をプレゼントしたらしい。「時折、宙に(火星儀を)掲げて、しげしげと眺めて」いたらしい。その間、ずーっと、梅干し入りの焼酎のお湯割りをつくってくれたらしい。

 故人献金問題をかかえる首相だが、懇談会の席で、焼酎をつくりながら火星儀を「ずーっと」ながめるなんて、大した余裕のようにもみえる。2009.10.16

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チンパンジー、見返りがなくても利他行動 

 最近、進化論にまつわる話を綴ってきたが、

 道具を使ったり、さらに道具づくりをするのは人間に限らない。鳥にも、チンパンジーにもある

ということを紹介してきた。しかし、人間の好ましい精神は、ほかの動物にはない。たとえば、博愛精神というのは、人間のみだ、と考えがちだ。ところが、きのう10月14日の

 NHKニュースウォッチ9

を見ていて、びっくりした。博愛精神とまでは言わないが、

 見返りを期待しないで、ほかのチンパンジーの利益になることをしている様子

の映像が映しだされていた。遠くにある食べ物をなんとか手前に引き寄せようとしているチンパンジーに対して、隣りの檻にに入れられたチンパンジーが、ステッキをそのチンパンジーに手渡して、手助けしているのだ(互いは、ステッキを手渡す窓はついているものの透明な壁で隔てられている)。お蔭で、ステッキを渡されたチンパンジーは首尾良く、食べ物を引き寄せることができたのだ。ステッキを渡した隣りにいるチンパンジーには、これといった見返りはなかったが、それでも利他行為に出たのだ。もっとも、獲得した食べ物の幾分かを、分け前として、隣りの檻にいるチンパンジーに与えたとしたら、それはそれで、大変な発見になるだろう。映像ではそこまではなかった。京都大学霊長類研究所での実験映像である。実験者は、京都大野生動物研究センターの田中正之准教授(比較認知科学)ら。

 面白かったのは、赤の他人のチンパンジー同士よりも、親子(母子)である場合には、この協力関係が頻繁になるというデータだった。赤の他人では、半々だが、親子だと、7、8割方、協力するとのことだ。ただ、協力の仕方を詳細に観察すると、ステッキを要求しなくても自発的にステッキを相手に渡すというケースは、要求があってそれに応える形でステッキを渡す場合に比べて、少ない、というか大変にまれだそうだ。困っている相手の気持ちを忖度して、

 このステッキを使ったらどうか

と気を回して助っ人するまでにはなかなかいかないようだ。それはそうだろう。そんなこと、人間だってなかなかできない。しかし、いずれにしても、こうなると、精神面でも人間とチンパンジーは極めて近いと考えたくなる。

  かつて(1996年10月)、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世は法王庁科学アカデミーに送った書簡で「進化論はもはや単なる仮説以上のものであり、科学的な根拠を持つ」との趣旨を述べて、140年ぶりに進化論を認めた。ただし、「人間の精神(あるいは魂)は神から与えられたものである」とも述べている(原文はフランス語)。いまやこのただし書きも怪しくなっている。2009.10.15

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ラミダス猿人の全身骨格 驚くべきは足の特徴

 ちょっと古いが、現生人類の祖先とみられている

 ラミダス猿人

 のほぼ全身骨格が「サイエンス」の最新号(10月2日号)に発表されたというニュースが出ていた(10月2日付各紙)。440万年前というから、よくぞ遺っていたものだと感心した。表紙には、その全身骨格が載っていて、圧巻である。

 注目したいのは足だ。土踏まずがない。そのかわり、ラミダス猿人の足は、親指とほかの指の関係が、人の手のようになっていて、物を握ることができるようになっている。ここから樹上生活をしていたことをうかがわせる。頭蓋骨と背骨の関係から、4足歩行ではなく、直立2足歩行をしていたことがわかる。しかし、人のようなはっきりした土踏まずが(ほとんど)ないことから、2足歩行を始めていたとしても、進化論的にみて、樹上生活から、そう時間がたっていないのだろうと推測される。土踏まずは、4足から2足歩行になると、倍の体重が足にかかることから、アーチ状にして、体重を分散させるための構造なのだ。土踏まずは、きわめて合理的な骨格と言える。以上、

 つまり、ラミダス猿人は、完全な樹上生活から完全な地上生活の中間の存在

ということになる。440万年前のことである。いやはや、すごい発見だ。2009.10.14

  追記

 11月3日付朝日新聞(2009)に

 440万年前、東アフリカにいたラミダス猿人 描かれ始めた最古の人類像 解釈煮詰め15年

 というカラー科学特集が掲載されている。

 

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ダーウィンの神聖なる動機 なぜ「種の起源」を書いたのか

 この3連休を利用して、体育の日なのに読書三昧で

分厚い「ダーウィンの信じた道」(NHK出版)

および

 びっくり仰天の「建築する動物」(青土社)

を読んだ。前書は、ダーウィンは、航海に出る前から奴隷制の残虐性に心を痛めていたが、実際に航海してますますその意識が強くなり、奴隷制廃止に向けてその科学的な根拠を示したかったというのが「種の起源」執筆の動機だったというもの。

 いずれも翻訳書で、原著者はイギリス人。今年一番の出合いの書となりそうだ。前書についてもう少し詳しく言うと、奴隷制度の残虐性に心を痛めていたダーウィンが、白人とニグロはそもそも別々の系統であるという奴隷制度の根拠や、だから、酷使しても問題はない、むしろ虐待するほうがニグロにとっても幸せなのだという奴隷制擁護論者の主張を科学的にダーウィンは論破しようとした。白人もニグロも同一系統=人類単一起源論であることを、ウォレスの突然の論文が届いたのを機会に、大急ぎで「種の起源」としてまとめた。このことをさまざまな個人メモや手紙から論証している。奴隷制擁護論者の多起源論を論破し、さらに、人類だけでなく、生物全体にまで拡張し、生物の共通の祖先という考え方を提示した。しかし、これは、種は造物主が創造したものであり変化しない、人間はいくら過去にさかのぼっても人間であり、サルやゴリラのような類人猿には行き着かないという聖書の教えと矛楯する。このことを考えると、元題名「ダーウィンの神聖なる動機」が成功しているかどうか、微妙だが、なかなかの力作であることは間違いない。

 後書は、道具を使ったり、つくったりするのは人間だけという考え方を木っ端みじんに打ち砕く本だ。なにしろ、脳がないはずのアメーバのような単細胞でも、タコつぼのような自分用の微小な住居をつくるし、アリのような脳らしい脳のない生物でも、実に理にかなった見事な空調設備のととのった巨大ビルのような巣を「建築する」というのだから、驚く。

 この本を読むと、生物の進化が、ひたすら周りの環境に引きずられてきただけという見方はあまりに皮相的にすぎると感じる。現在一般に受け入れられている外圧一本やりの受動的な進化論から、自ら積極的に、つまり内発的に造り替える主体性の進化論をもっと考えてもいいように思う。「変わるべき時が来たら、一斉に種は変化する」。今西進化論の再考が必要ではないか。

 ダーウインは、こうした主体性の進化論の可能性を否定してはいない。ダーウィンは昆虫少年であったし、観察に基づいて進化論を組み立てているからだ。同時代に生きた、これまた克明な昆虫観察を30年にわたって行ったフランス人昆虫観察家、アンリ・ファーブルは、その観察経験から、ダーウィン進化論には懐疑的であったという。昆虫の進化には主体性があると直感していたように思う。わかる。

 内圧的な、つまり主体的に体制を変える具体的なメカニズムとはなにか。

 それは、蓄積された突然変異を発現させる多重フィードバック

ではないか。このことは「逆システム学」あるいはさまざまな動物を対象にした解剖学「遺体科学」からも、支持されるのではないか。

 そんな妄想が、二册の本を読みながら、浮かんできた。2009.10.13

 種は変化するというのがダーウィン進化論。事実であろう。問題は、種の変化の原因は、自然淘汰や性淘汰というダーウインの漸進的な要因だけでなく、ある条件が満たされた場合、種の中の個体それぞれが、一斉に主体的に自らの体を、蓄積した突然変異を総動員して変化させるという劇的な進化もあるのではないか。ダーウインの漸進的な進化は、生物進化の初期段階で起こるのに対し、種の短時間の劇的な進化は、生物進化の比較的に後の段階で起こるというように、進化のメカニズムは、時間とともに変化すると考えられないか。突然変異の蓄積が比較的に進んだ段階では、後者のメカニズムが有効に働くと考えたい。こう考えると、生物進化のスピードが、次第に速くなるのもうなづける。

 それは、ともかく、いずれの本も、進化論再考の重要な手がかり与えているように感じた。2009.10.13

 追記

 現生人類の起源については、最近まで、単一のアフリカ起源説と、世界各地の原人がそれぞれ別々に新人に進化したとする多地域起源説が対立していた。しかし、1999年1月には、単一アフリカ起源説に軍配が上がったようだ。

 というのは、「現生人類は十万年~15万年前にアフリカ(東部)に出現し、その後世界各地に広がっていったことを示す大規模なDNA分析を、米ペンシルベニア州立大のサラ・ティシュコフ博士らが米科学振興協会年次総会で発表した」(1999年1月24日北國新聞=ワシントン共同)からだ。記事は、大規模調査がアフリカ起源説を支持したことで、論争に終止符を打ちそうだと伝えている。この結果によると、ジャワ原人や北京原人は、現在の日本人などアジア人の祖先ではないことになる。これらの旧人は、何らかの原因で絶滅したことになる。その後、改めて、アフリカから、世界各地に広がり、現在の人種が形成されていったことになる。

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It's all too much (あまりに多すぎる) 人生逆転ゲーム「カイジ」

主題歌のタイトルが

It's all too much (あまりに多すぎる)

というので、何がかなあ、と思いながら、封切られた佐藤東弥監督の

 (負け犬の)人生逆転ゲーム「カイジ」

を観た。原作があるらしいが、破天荒でおもしろい。たまにはこういう映画があってもいい。主演の「伊藤開司」役には藤原竜也、そして天海祐子、香川照之が好演していた。このことが見終ったときに、観る者に嫌な印象を残さなかったのだと思う。また、変な説教調にもならなかったのも、彼ら、彼女らの熱演のお陰であろう。天海さんも、この映画で、「女王の教室」に続いて、また一つ女優開眼したのではないか。持ち味と役柄がよくマッチしていた。香川さんも、最近の映画「点の記」の剣岳地元案内人役とは対照的な役柄をうまくこなしていた。憎まれ役も、生真面目な善人役もできる役者である。

 ところで、先ほどの疑問だが、どうやら、金利があまりに高すぎる、あるいは借金があまりに多いということらしい。

 1分あたり、1%

というのもあったから、これはもう、笑ってしまうほどに、あまりに高すぎる。来年6月に完全施行となる

 改正貸金業法

とからめたテーマ設定の映画であろう。3年前の最高裁の判決以来、社会問題化していた。

 この映画で監督が訴えかけたのは、

 若者よ、将来を考えずに、安易に借金しすぎると、人生を狂わすよ

ということのようだが、わかりやすく言うと「借りすぎに注意しましょう」ということらしいが、あからさまに説教調にならないところが、いい。辛うじて、作品を成功させている。主題歌には、その分、なぜこの映画をつくったかという警鐘意図が明確に表現されている。

 ただ、一言注文するとすれば、博打を奨励するなど反社会的な映画にならないようにとの心配からか、ラストシーンは少し甘いことだ。博打は、所詮、ダメということを伝えるにしても、もう少し、わさびの利いた結末にすべきであったと思う。そうすれば、記憶に残る映画に仕上がっただろう。抑制の効きすぎが惜しまれる。

 そんな思いで、深夜自宅にもどって、映画の内容を反芻しながら、ちびちび日本酒を飲んでいたら、日本テレビ(浜松市では、「だいいちテレビ」)の

 恋のから騒ぎ

に、なんと主演の藤原竜也が、封切り日ということもあって、ゲスト出演していた。案の定、「カイジ」の案内をしていた。

 そこでの発言が面白い。藤原は、こう言っていた。

 「(出演した)天海さんは、この映画を観れば、男がわかる、と言っていた」

若い女性が多く登場していた番組のタイトルを意識した発言だが、うまい宣伝文句である。確かに、この映画、ほとんど女性は出てこないが、男がわかるかもしれない。

 負け犬になりたくないという意識、でも約束は守ること、社会的な信義は大事にすること

そういうことがわかるかもしれない。ただ、天海さんのような女の心は、この映画をみただけでは、残念ながらわからなかった。それにしても、「浪速金融道」など、漫画には多いようだが、

 金利をテーマにした映画は珍しい

 やたら数字が出てきて、映画やテレビといった映像向きではないからだろう。そこに挑戦した佐藤監督にもエールを贈りたい。2009.10.11

追記

 「サンデー毎日」10月25日号の表紙は、藤原竜也だ。中のカラー紹介グラフ

 「SUNDAY CAFE」によると、やはり「カイジ」の撮影について、藤原がインタビューで語っている。個性的な役者、香川照之、天海祐希などと一緒に仕事ができたことを喜んでいた。次の仕事のために、この夏、イギリスに語学留学したという。若いということは、やはりすごいことだ。本人が気づいているかどうかは知らないが。

 映画では、台詞で「お金なんていらない」と叫んだ藤原。実際は

「命も金も両方とも大切だ !」

とか。そりぁ、そうだろう。

 金も、命も、ご利用は計画的に、と言ったら、世間から叱られるだろうか。2009.10.17

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私は虫である 「ファーブル昆虫『絵』」の熊田千佳慕、70歳からの30年

 土曜日はNHK「アーカイブス」を楽しみに見ている。今週は、今夏8月に98歳で亡くなった

 熊田千佳慕 「私は虫である」

という1991年に放映された「プライム10」を紹介していた。熊田の生涯を、一言で言えば、克明な観察を行い、いわば

 「ファーブル昆虫記」に相当する細密画づくり100枚に、晩年の30年を賭けた男

というものである。

 ガの「夜間飛行」

 満天の星空の下「コオロギの愛のセレナーデ」

 カエルと虫の「天敵」

などを紹介していた。テレビを拝見して、感心したのは、

 「人生、70歳を過ぎてから面白くなってきた」

 「よく見ること、これが私の基本」

 「虫の知恵はどこからくるのだろう」

 「私は虫である。虫のこころがわかる」

という言葉である。最後の言葉などは、地べたにはいつくばって、虫の目線になって克明に観察することから到達したものであろう。人生唯一人の師と仰ぐアンリ・ファーブル(1823-1915、92歳)もまた、中学校の数学・物理教師を引退した後、昆虫の生態を30年間続けたのだろう。そうして、かの「ファーブル昆虫記」が誕生した。

 この番組を見て、つくづく感じたのは、

 熱中できるものを持つことで人生楽しくなる

ということであり、

 本当にやりたい仕事って何 ?

ということを、熊田さんは視聴者に語りかけていたのではないかということである。

 少し調べたら、フランス人、ファーブルは、その克明な観察体験から、同時代人が唱えていた

 ダーウィンの進化論には否定的だった

という事実に突き当たった。さもあろうと、納得がいった。というのも、昆虫にも主体性がある。生物の進化は、環境にひたすら引きづり回されてきただけというのは、あまりにも乱暴で、粗雑であるとファーブルには思えたのであろう。虫の知恵はどこからくるのだろうと不思議がったり、虫の心がわかるという熊田さんも、同感なのではないか。私の研究にとって重要なヒントが得られたように思う。虫には主体性があるのだ。

 ところで、この番組には、昆虫採集が趣味のフランス文学者、奥本大三郎氏がゲスト出演していた。趣味が高じて自宅に「ファーブル昆虫館」をつくったほどの昆虫マニアである。「昆虫記」10巻の翻訳者でもあるところが、いかにもユニークなフランス文学者らしい。

 最後に、一言。熊田さんのように、あるいはファーブルのように、老いてからも、

 本当にやりたい仕事って何 ?

  何か熱中するものがありますか ?

  いい番組を見た。作家の渡辺淳一さんには悪いが、人生老いても恋を、だけではむなしい。

 最後に、熊田さんの挑戦に、生涯、貧乏に耐え、黙って支え続けた、いかにも日本人女性らしい糟糠の妻の偉大さを忘れてはなるまい。2009.10.10

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日本はノーベル賞の小国か 自然科学系3賞を考える

 臨時ニュースで、あるいは号外で

 オバマ米大統領がノーベル平和賞

というニュースが流れている。オバマ氏の核廃絶を訴えた「プラハ演説」を、口先だけに終わらせないよう、有言実行せよ、とクギを刺した授賞だろう。後退は許さない、という選考に当たったノルウェー国会(ノーベル賞委員会)の政治的な強い意志を感じる。こうなると、オバマ氏にとっては、喜ぶというよりも、むしろ、辛い受賞だろう。

 ノーベル賞も、平和賞ともなると、国際政治が強く働いた選考となりがちであると感じざるを得ないが、いわゆる自然科学系3賞、物理学賞、化学賞、医学・生理学賞ともなると、そうとばかりはいかない。運もあるが、誰でもが認める実力と業績が肝心だ。

 この3賞については、アメリカが圧倒的に強く、日本はノーベル賞の小国と考えがちだ。だが、よくよく、これまでの受賞を調べてみると、21世紀に入ってからの最近の日本は、アメリカ、イギリスに次いで、受賞者が多い。中国国籍、あるいは韓国国籍の受賞者は、ノーベル賞100年余の歴史において、これまで一人もいないことを考えれば、大いに誇っていい。2009年の受賞者を含めた国籍別の数字を少し示す。

 日本  物理学 6人 (世界=187人)   

             化学   5人 (世界=157人)

             医学   1人 (世界=195人)

             合計  12人   (世界=539人)

 日本国籍では、第9位である。物理学では、2008年に物理学賞を受賞した日本人、南部陽一郎氏は、受賞時は米国籍。これを入れれば、日本人の物理学賞受賞者は、1人増えて7人。米国籍の受賞者は、539人のうちの44%、235人と圧倒的である。これは、日本人受賞者の約20倍という驚異的な数字。戦前にはそれほど受賞者がいなかったアメリカが、戦後、これほど多くの受賞者を輩出するようになったか、考察すると、日本にも参考になり、面白いだろう。

 ただ、21世紀に限って、統計を調べてみると

 日本 2000年までで 6人

     2001-2009年 6人

と半々で、最近はがんばっていて、好成績である。今世紀に入って6人というのは、アメリカ、イギリスに次いで第3位。ドイツ、フランス、ロシアを抜いている。お隣の中国、韓国には過去100余年の歴史において一人の受賞者もいない(中国人だが、受賞時は米国籍という受賞者は何人かいる)。このことが両国ともに、国内で何故なのだ、とマスコミの新聞などで愛国心と結びついて問題になっている。こうしたことを背景に、韓国では2005年に、

 国家を騙した科学者、ソウル大学元教授の「ES細胞」論文捏造事件

というおぞましい科学スキャンダルが発覚したといえよう。

 世界的なノーベル賞研究には、科学者の社会学とも言うべき

 H.ズッカーマン 『科学エリート』(1977年、玉川大学出版会)

があり、一読を進めたい。ノーベル賞の歴史は、3賞受賞者と言えども科学的な業績だけで選ばれたわけではないことを、具体的にわれわれに教えてくれる。2009.10.10

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第四の男 ノーベル賞は3人までだが

 この二、三日、各部門のノーベル賞が選考委員会から発表されている。医学生理学賞、物理学賞に続いて、今日7日あたり、化学賞も発表される。明日は文学賞だ。

 ところで、すでに発表された医学生理学賞(3人受賞)、物理学賞(3人受賞)について、

 第四の男

にも賞を授与してもいいのではないか、あるいは、重要な貢献をしたことを選考委員会自身も認めるニュースが出ている(ノーベル賞は各部門3人までと規定されている)。

 まず、細胞の老化やがん化にかかわる染色体のテロメア構造と酵素の発見に授与された医学生理学賞。受賞の3氏の1980年代の研究が評価された。

 これに対し、ロシア通信は、一部のロシア科学者の声として、

 ロシア研究者、アレクセイ・オロブニコフ氏(現在、ロシア科学アカデミー生物化学物理研究員主任研究員)は、1961年にテロメアの長さが細胞の老化に関係しているとの理論研究を発表しており、同氏にも同賞を授与すべきであり、そうでないと「極めて不公平」

だと伝えている。同通信の取材に対して、オロブニコフ氏自身は

「ノーコメント」

としているという。第四の男、オロブニコフ氏がどの程度、3氏に影響を与えたのか、その見極めも必要だが、問題は、それなら、ロシア国内からオブロニコフ氏を選考委員会のあるスウェーデンのカロリンスカ研究所に対し、ノーベル賞にふさわしい業績であることをアピールする推薦状を毎年出していたかどうか、である。発表を見て、それなら、同氏も受賞資格があると後から主張するのは、おかしい。受賞した3氏は、それなりに獲得運動をこれまでしてきたのだから。ロシア人科学者自身、オブロニコフ氏の業績の重要性に気づいていなかったか、また、それを選考委員会にアピールしなかった責任も問われる。これを棚において、授与すべきであり、不公平と言うのは

 負け犬の遠吠え

と言われても仕方がないだろう。不公平と言うならば、毎年、じゃまくさい推薦手続きをした上で主張すべきであろう。

 もう一つ、光ファイバーなど光通信技術の実用化などで3氏が受賞した物理学賞。

 スウェーデンの王立科学アカデミーが発表した資料によると、受賞者の研究に先立つ基礎研究の一つとして、西沢潤一元東北大学長(首都大学東京学長も歴任)が提唱した光ファイバーの原理を紹介しているという。

 この場合には、西沢氏の研究が受賞者になにがしかの影響を与えていたことをアカデミー自身が認めていることになる。それでも、受賞者にはならなかったのはなぜか。影響が少なかったせいか、または強烈な推薦運動を展開しなかったか、それすらしなかったせいではないか。賞は向こうから自然にやってくるものではない。獲得するものであるという意識があまりに日本人には稀薄だ。これでは、アカデミーも

西沢さんは、あるいは日本は、賞など要らない

のだろうと考えても無理はない。はしたない組織的な獲得運動などしなくても、以心伝心、分かってもらえるだろうというのは、いかにも上品であり、日本的ではあるが、国際的には通用しない。

 それにしても、医学賞にしろ、物理学賞にしろ、ノーベル賞はもともとあった理論や基礎重視の選考基準が最近は、薄らいでいるように感じる。

 応用重視のノーベル賞選考には異論がある。2009.10.07

 追記。

 あす8日には、ノーベル文学賞が発表される予定だが、日本人では話題豊富な村上春樹氏が注目されている。ばかばかしい限りだ。

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首相の動静 9月29日 鳩山さん、立ち飲み屋をハシゴ

 ニュースがないので、何気なく、新聞の

 「首相動静」欄 9月29日

を見て、びっくりした。首相のこの日の行動が次のように簡潔に記載されていた。

 「午後6時47分 東京・恵比寿西の居酒屋「もつ焼き 縄のれん」着。松井孝治官房副長官、電通の佐藤尚之クリエーティングディレクターと懇談。午後7時03同所出発。同05分 恵比寿西の居酒屋「さいき」着。松井、佐藤両氏と会食。同33分、仙谷行政刷新担当相が加わった。午後8時34分-」

と書かれていて、午後10時03分、同所発。

 つまり、居酒屋をハシゴしているのだ。居酒屋のハシゴというのは鳩山首相のイメージとはほど遠い。案の定、10月2日付毎日新聞「酒に唄えば」欄で、鈴木琢磨編集委員がこの件を、やや立ち入って書いていた。「縄のれん」にはアポなしで、いきなり入ったという。「すぐそばの老鋪居酒屋「さいき」での会合までのほんのちょっと間があったのでふらっと立ち寄ったとか」。庶民的な肉刺し、レバーステーキを食べたという。

 わずか16分間の立ち飲み屋滞在。ややぎこちなかったようだが、居合わせた来客からはなかなかの評判だったらしい。おそらく鳩山さんにとっては、立ち飲み屋に入ったのは学生時代はともかく、政治家になってからは初めてではないか。

 こうした庶民ぶりをアピールするのは、なにも赤ちょうちんだけではない。

 鳩山総理と猪瀬(直樹)都副知事 千秋楽の升席で「只今密談中」? 

                                 「週刊新潮」10月8日号

と見開きで写真が大きく出ている。幸首相夫人も同伴。9月27日の東京・両国国技館。

この時も、幕内の取組が進んでいた時、正面の升席に突然現れたらしい。突然現れるところは、いかにもニックネーム「宇宙人」の首相らしい。「密談」の内容は、どうやら、直前に迫っていたIOC総会に出席する件について、副知事が念押しをしていたらしい。2009.09.05

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10月の悪夢 全面核戦争のキューバ危機はなぜ回避できたか

 昨日、土曜日の午前、NHK「アーカイブス」で、あわや全面核戦争かという

「10月の悪夢 戦慄の記録」

が放映されていた。1962年10月のキューバ危機については、「10月のミサイル」など映画にもなっていて、知っているような気持ちになっていたが、あらためて、

 全面核戦争は、米ソ首脳の思惑を離れて、偶発的に起きていたかもしれない

という気持ちにさせられた。回避できたのは、人間の英知などというものではなく、たぶんに

 たまたま幸運であっただけ

という印象を受けた。遠いカリブ海の話ではなく、当時、旧ソ連は日本に対しても核攻撃の照準を合わせ、発射準備が完了していたらしいことも、当時のアメリカ軍の情報文書を大写しして、伝えていた。特に、全面核戦争に突入すると見られていた

 「暗黒の土曜日」の10月27日

と、フルシチョフ首相の「ミサイル撤去のラジオ放送」により突入回避の

 「黄金の日曜日」の10月28日

の2日間の米ソの駆け引きは文字通り、息詰まるものだった。一つ間違えば、全面核戦争は起こっていたと確信させる迫力があった。あの状況で、全面核戦争が回避されたのが、むしろ不思議なくらいだ。

 全面核戦争は、ちょっとした行き違い、偶然から起こりうる

そんなことを番組は訴えていた。

 フルシチョフ首相の土壇場での「キューバからのミサイル撤去」決断は、理性というよりも、今まさに起らんとしていた全面核戦争の恐怖からなされたものだったように思う。

 この話は、冷戦真っ只中で起きたものだが、冷戦が終わってまもなく20年がたつ。だが、全面核戦争は互いの疑心暗鬼によって偶発的に起き得るとすると、冷戦後も核戦争は起きないと言う保障はない。

 核廃絶への道

のゴールは、はるかに遠い。が、そのゴールに向かって確実に人類が歩み始めることが、疑心暗鬼を少しずつ取り除くことにつながるだろう。人類に英知があるとするならば、それは、その努力を怠らないことだ。遠いゴールではなく、ゴールに至る足元のプロセスこそが、人類滅亡を回避する。2009.10.04 

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パンダのフンでごみ減量 ユーモア研究「イグ・ノーベル生物学賞」

 10月2日付各紙に載っているのだが、

 パンダのフンでごみ減量 ユーモア研究「イグ・ノーベル生物学賞」

という話題である。このほどハーバード大で授賞式が行われた。受賞者は北里大の田口文章名誉教授+北里大大学院生だった2人の中国人研究者。

 経緯は、こうだ。「田口氏は、ササを大量に消化するパンダの腸にササを分解する特別な菌がいるのではと考え、ふんに着目。上野動物園(東京都)でパンだのふんをもらって研究を進めた結果、分解能力の高い菌を発見、家庭用ごみで試したところ、ごみの95%以上を水と二酸化炭素に分解することに成功した。実用化に向けた研究を継続中だ」

 受賞理由は「ふんを利用し、ごみを大幅に減らすという一石二鳥で地球環境に優しい研究が評価された」となっている。分解後には、水と、温暖化の原因とされている二酸化炭素を生成するのに、地球環境に優しい研究というのも変だが、そこがユーモア研究の所以なのかもしれない。笑える研究である。

 ところで、このイグ・ノーベル賞というのは、どういう賞なのだろう。これには、創設者のマーク・エイブラハムズで、「ユーモア科学研究ジャーナル」編集長の

『イグ・ノーベル賞 世にも奇妙な大研究に捧ぐ ! 』(講談社プラスアルファ文庫)

が好著だ。

 これによると、受賞基準は、1つは

 まず人を「笑わせる」こと

なのだそうだ。

 次に人を「考えさせる」こと。

 どう考えるかと言うことは問わない。ともかく、まず笑い、そして、待てよ、と考え、えらいとならなければ、受賞者にはなれない。「本物の」のノーベル賞のような、真理の発見だけでは、受賞はとてもできない。もう20年近く続いている賞だが、これは大変に栄誉ある賞である。なにしろ、ロダン彫刻のように「考える人」にさせるだけではダメで、その前に、笑わせることが不可欠なのだ。いわば超ロダンである。まず、その彫刻をパッと見て、人を笑わせ、次に思わず「考える人」にさせる、そんな彫刻とはどんな作品なのだろう。ロダンの「考える人」の彫刻が台座から転げ落ちて、地面を背中にして仰向けになり、考えている姿の彫刻であろうか。これなら、確かに、人を笑わせる。しかし、その次に、人を考えさせるところまでいくかどうか。そんなことを考えると、このイグ・ノーベル賞は、恐ろしい賞だ。これでは、推薦する人のユーモアセンスも鋭く問われる。2009.10.03

  ところで、まもなく「本物の」ノーベル賞の季節になる。医学生理学賞では、日本人は受賞するだろうかというのが関心事。各紙も伝えているが、「週刊新潮」10月8日号「TEMPO」欄でも、

 ノーベル賞候補、脳機能研究の小川誠二氏(東北福祉大特任教授、75歳)

を紹介している。米国の文献データ会社、トムソン・ロイター社が、同氏の論文被引用回数などから、日本人候補なら、唯一人、小川氏だけということらしい。

 小川氏は、同誌によると、脳内の働きを画像化する「機能的MRI(磁気共鳴画像装置)」の手法開発者。東大卒業後、米スタンフォード大、ベル研究所、イェシーバー大アルバート・アインシュタイン医科大学に在籍した。

 同社の予測が当たるかどうか、わからないが、これまで医学生理学賞の有力候補と発表した92人のうち、本当に受賞したのは11人とか。確率は1割。日本人なら小川氏となることを期待したいが、もう一人、京都大教授で、新型万能細胞(iPS細胞)の作成に成功した

 米ラスカー賞の山中伸弥氏

も、今年受賞するかどうかは別にして、今後の有力候補であろう。ラスカー賞は、米医学界の最高賞と言われているからだ。この10月2日に授賞式に出席している。話題の人である。

 医学賞については、10年以上前、あのクローン羊ドリーを生み出したイギリス(当時、エジンバラのロスリン研究所)のイワン・イルムット博士もいつかは受賞するであろう。むしろ、いや、なぜか、遅いくらいだ。原論文は

 「Nature」 27February1997

に掲載されている(ドリーが表紙を飾った)。あの衝撃からはや12年がたつが、あいかわらず死産が多いなど謎がまだまだ解決していない。この点の見極めを選考委員会はしているようだが、その医学界、獣医学界に与えた衝撃度や影響は絶大だったことは、この12年間が証明している。いまだ受賞していないのには、獣医学界に対するヨーロッパの偏見があろう。

 追記 

 日本では、カラオケの発明者、井上大祐氏、カラスが寄り付かない金属づくりの広瀬幸雄金大名誉教授、たまごっちの発明者などがこれまでに受賞している。

 そもそも「イグ・ノーベル」というのは

 ig .no .ble

であって、下品なとか、卑しいという意味がある。ここではユーモアのあるという意味であり、「本物の」アルフレット・ノーベルの「ノーベル」とは関係ないようだ。発音が似ていることから名前をかけただけのようだ。このネーミングも、まず、人を笑わせ、次に、なるほどと考えさせる。

 さらに、追記すると、

 歴とした学問の世界にも、ドイツ人の気候学者、アルフレッド・ウェゲナーにちなんだ

 ウェゲナー賞(ヨーロッパ地球科学会賞)

という高名な賞がある。ウェゲナーは、大陸と海洋の起源について、

 大陸移動説

を提唱した(『大陸と海洋の起源』1928年)。この大陸が移動していると言うのだから、奇想天外だ。最初は、そんなバカなことがあるはずがないとプロの研究者が一笑に付したものが、その後、たいていは数十年もあとになって、大発見であることが実証された研究に贈られる。学者冥利につきる表彰だ。

 たとえば、地球科学分野ではないが、ブラックホールの存在を戦前に理論的に予想したインド人、チャンドラセカール、あるいは、地動説を唱えたコペルニクスなども、受賞してもおかしくない人物である。地球科学では、スノーボールアース説はこの賞にふさわしい奇抜な学説である。なにしろ、7億年前の地球は、地球全体が氷に閉ざされていたというのだから、にわかには信じがたい。が、当時の赤道近くにも氷があったことなど、どうやら少しずつ証拠が固められてきて、今ではおおむね信じられるようになってきている。そのせいで提唱者のポール・ホフマン博士が最近、このウェゲナー賞を受賞している。

 私も、『地球は動く、大陸は移動する。そして地球生物は移住する』という仮説を提唱しているのだが。さて-。

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「中秋の名月」なんて知らない なんと20代2割強

 今日10月3日は、旧暦の8月15日、つまりは、

 中秋の名月

の満月。お月見を楽しむには持って来いの土曜日で、快晴だ。ところが、

 20代の21.1%が「聞いたことがない」

という驚くべきデータについて、10月5日付「日刊ゲンダイ」が紹介している。一面トップ

 1016年五輪開催/ リオに決定/ 2回戦敗退 東京 石原(都知事)大罪

の影に隠れて目立たないが、日本文化もここまで来たか、とショックだった。どういうわけか、コニカミノルタホールディングスが主に東京都、神奈川県など首都圏の成人を対象に行った調査だ。20代を含めた全体でも10.5%が知らないと言うのだから、二度びっくりだ。

 この中秋の名月を見上げながら、落選した石原慎太郎都知事は、

 (3期目の公約として招致をかかげた)石原の、石原による、石原のための五輪招致

失敗に、どんな無念、残念の思いを語りかけたのであろうか。

 桐一葉、落ちて天下の秋を知る

であろうか。いや、石原都知事に、そんな機微は通じまい。

 ところで、この落選に一番喜んだのは、何を隠そう、この3年振り回され続けた都庁幹部職員だったと「日刊ゲンダイ」は分析している。「これで終わった。当選して、これ以上振り回されてはかなわない」。そのとおりだろう。2009.10.03

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あの日を思い出して 東海臨界事故に関連して

 きのうの東海JCO臨界事故10年について、改めて、その後出版されたドキュメンタリー本を広げて、夜、読んでみた。

 10年たっても衝撃的なのは、被爆死した作業員、大内久さんの被爆治療

 「被爆治療83日間の記録」(NHK取材班、岩波書店)

 であり、この臨界事故に至るまでの道のりを丹念に辿った記録

 「東海村臨界事故への道 払われなかった安全コスト」(NHK記者七沢潔、岩波書店)

である。事故の原因は「バケツ」のせいではない、安全対策マージンが少しずつ削られていった構造的なプロセスを丁寧に調査している。安全審査が形骸化していた事実も証拠立てていて、今でも説得力がある。つまり、特殊事例として片付けられないということを、事実を示して読者に提示している。

 この二册を読み返して、ふと思った。

 今、原発の耐震安全性の信頼が、能登半島地震、中越沖地震、さらには今夏起きた8.11駿河湾地震で、大きく揺れている。耐震安全性の審査が形骸化していないか、あらためて考え直す機会ではないか。そんな臨界事故10年であることに気づいた。2009.10.01

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