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あおむけ 人間はなぜ進化したか

 もう10年以上になるが、講談社のPR誌「本」が毎月送られてくる。今月、October2009号に面白い記事を見つけた。

 あおむけの姿勢が人間を進化させた

という、松沢哲郎氏(京都大学霊長類研究所所長・教授)の寄稿である。サルの研究で知られる松沢さんでなかったら、読まなかったかもしれない。

 「あおむけの姿勢こそが、両手を自由にさせた」「人間のあかんぼうは、(中略)生まれてすぐから手で物を操るようになる」「人間のあかんぼうは、あおむけの姿勢で安定している」「そこから、対面コミュニケーションや発話や、道具(を操る出発点)が生まれた」

というのである。これに対し、サルの赤ちゃんは、四肢を動かし、なんとか母親にしがみつこうとして、人間の赤ちゃんのようにはならないのだそうだ。いかにも、天才サルのアイちゃんやその子、アユムちゃんを長年育てながら、その行動や知能を研究してきた松沢さんらしい結論だ。寄稿文を読んで、あるいはそうかもしれないと合点がいった。

 ところで、国内外の研究者たちとともに、松沢さんは、今夏、

 霊長類考古学

なる新しい学問を提唱していた。「ネイチャー」7月16日号に掲載された論文に提唱している。それによると、人間を含めて霊長類の過去と現在の遺物を検証し、その文化と歴史を知る学問だそうだ。この前提には、人間以外の、たとえば、サルにも、あるいは哺乳類のネズミにも、さらには、鳥のダーウィン・フィンチにも、道具を使う、道具をつくるという文化があるという認識がある。これらの動物は、石器を使う、つくる。自然の小枝を使う、加工する能力を持っている。

 文化を持ち、それを次世代に受け渡す

というのは、人間だけだと思いがちだ。しかし、そうではないことが少しずつ明らかなってきた。道具だけでなく、

 動物には、たとえば、ニューカレドニアカラスには、魚をとるために釣り針づくりをするなど、驚異の知力がある

 道具を使い、こしらえる、考え出すのは、せいぜいが霊長類まで

と思われてきたが、鳥類にもあるのだ(「NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版」2008年8月号特集)

 とすれば、人間とは何か。人間をほかの動物と区別する特徴とはなにか

 ますますわからなくなった。

 フランスの哲学者、ブレーズ・デカルトは、「パンセ」で

 人間とは考える葦である

と言った。ここには、葦という植物は考えないという前提がある。しかし、なにしろ、最近では、脳がないはずの植物ですら生き残るために「考えている(としか思えない)」ことが、日本人研究者たちによって次第に明らかになりつつあり、哲学者の洞察も怪しくなった。2009.09.27

 追記

 9月27日付静岡新聞の読書欄には、道具どころか、

 「建築する動物たち」(青土社)

という本すら登場している。書評者は、構造物をつくりだしているのは、どうやら遺伝子であるらしい、と紹介している。

 こうなると、現状認識にとどまらず、生物にとって進化とは何かということにまで影響が出てくるだろう。進化とは、環境に適応しながら、ホモサピエンスに向かって種を変化させることという単純な進化論はもはや笑い話であろう。

 ほかの動植物と区別する人間の特徴、ほかにはない根本的に異なる特徴などというものは人間の単なる思い過ごしであり、そもそもそんなものなど存在しないのかも知れない。

 その意味では、松沢さんの人間「あおむけ」説も、的を射ていない。

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