« あおむけ 人間はなぜ進化したか | トップページ | 官僚たちの冷夏   »

「軽率」では済まないJR事故報告漏洩 人の痛みを感じる企業への転換 

 9月29日付静岡新聞の社説は、

 JR事故報告漏洩 「軽率」では済まない

と主張していた。JR西日本が、しでかした尼崎JR脱線事故をめぐり事故調査委員会の最終報告書案を、元委員に接触して、公表前に入手していたのだから、そりゃ、そうだ。中間報告書素案も入手していたというから、一部委員のしたこととはいえ、また、JRトップなど役員、幹部社員に限られていたとはいえ、もはや調査する委員会と調査されるJR西日本が「つるんでいた」と言われても仕方がない。

 共同通信の論説資料なのだろうが、「軽率」では済まないというのは、当然だ。

 問題は、100人以上の乗客・乗員が亡くなった大事件なのに、なぜ、こんなことがJR西日本で起きてしまったのだろうということだ。

 ノンフィクション作家の柳田邦男さんが、講談社のPR雑誌「本」2009年10月号でいみじくも、この疑問にずばり答えている。この場合は、500人以上の乗客・乗員が死亡した御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事件(1985年8月12日発生)を取り上げている。

 人の痛みを感じる企業への転換

するにはどうすればいいのか、という問題を、柳田さんの視点

 2.5人称の視点

から具体的に指摘している。まさに、JR西日本の企業体質を突いてる。

 柳田さんは、この中で、

 自分や家族が乗客だったら

という気持ちで、企業の安全文化を考えるべきだと指摘している。1人称の死とは、私の死であり、2人称の死は、家族の死である。3人称の死とは、そのほかの他人の死。3人称の死では、客観性や合理性という冷静さはあっても、どこか冷たく乾いた視点となる。これに対し、1人称、2人称の死では、あまりに当事者でありすぎ、冷静さがなくなる。2.5人称の視点では、その中間、つまり合理性や客観性という専門性をもった姿勢と、患者、家族、遺族の願いに寄り添う姿勢の両方をもって事件に対応するというわけだ。

 JALは次第にこの2.5人称の考え方を受け入れていった。どうしてそうなったかというと、残骸展示をするなど、現物を見る。社員の多くが自主的に現場の御巣鷹山に慰霊登山をする。当事者・関係者の生の声や証言を聞く。これによって、遺族の心情理解と、自分たちの犯した事故の重大さの実感的な理解を深める。

 このことが、遺族側の信頼を醸成する。そこからJALの社内において、誇りと意欲が回復してくる。当然、一時、事故には至らなかったもののトラブル続きだったが、最近はそういうことも少なくなった。安全文化が新党し始めてきた証拠だろうという。これにより、事故を起こさない安全文化とともに、

 人の痛みを感じる企業への転換

が果たせるようになったという。柳田さんは、こうしたJALの取り組みに対して、アドバイザーとして参加してきたが、経営トップが提案を素直に聞き入れ、実行してきた、2.5人称の姿勢を率先して社内外に示してきたことが転換を実現する上で大きな役割を果たしたという。これに対し、

 現場、現物、現人間に学ぶ取り組みが、事故を起こしたJR西日本にはいまだない。あるのは企業防衛と保身。

 トップの姿勢に問題があるようだ。ただ、JALも、極めて厳しい経営環境にあり、せっかく実りかけてきた安全文化が台無しにならないように望みたい。2009.09.29

|

« あおむけ 人間はなぜ進化したか | トップページ | 官僚たちの冷夏   »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/46346325

この記事へのトラックバック一覧です: 「軽率」では済まないJR事故報告漏洩 人の痛みを感じる企業への転換 :

« あおむけ 人間はなぜ進化したか | トップページ | 官僚たちの冷夏   »