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久米三四郎さんのこと 東海村JCO臨界事故から10年

 今日、9月30日で、東海村で起きたJCO臨界事故(1999年)からちょうど10年がたつ。バケツでウラン処理をしていた二人の従業員が亡くなった。この時の作業員もそうだったが、当時、「臨界」という言葉は一般的ではなかった。それが、この事件で一挙に広まった。

 「もはや、臨界に達した」

と怒りをぶちまける光景もちょくちょく当時目にした。その後、というか、この30年間で原子力発電所の原子炉の一部で何回も、臨界事故が起きていたことが発覚している。制御棒がうまく挿入されずに、部分的な炉内が高温になるなど、そして、一時的にではあるが、制御不能になるなど、びっくりするような事件が起きていたのだ。制御棒が一部炉内に脱落するという信じられないような事態もあったという。それを電力会社の多くは、設置差し止め訴訟をかかえていたこともあり、公表というか、国にも報告していなかったことが明るみに出た。

 そのことで、全国のいろいろな原発でこうした臨界事故が起きていた事実を共有できなかった。対策が遅れに遅れ、結果として、事故をその後も引き起こすという事態になったのだ。

 こうした臨界事故などにも警告していた反原発の科学者

 久米三四郎さん

が今夏なくなったことは、惜しい。83歳と高齢だったが、大阪弁がよく似合った放射化学の専門家だった、。大阪大学理学部講師だったころ、移転する前の老朽化した理学部に反原発の論理の教えを請うために、久米さんを訪ねたことがある。時代に抗する科学者という偏屈さはなく、むしろ大阪人らしい人なつっこい人だった。若造の私も理学部出身だったから、生意気なことをいろいろ入ったが、いつも、にこにこしながら、

「それ、無茶やがな」

と黒板に数式を書いて、私の間違いを丁寧にただしてくれたことを思い出す。

 東(東京)の高木仁三郎さん、西(大阪)の久米三四郎さん

互いに、天国でどんな反核論議をしているだろうか。ともに脱原発ではなく、はっきり反原発を打ち出した科学者なのがいい。2009.09.30

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