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科学記者は何をしていたか 足利事件「検証」から

 再審が決まった足利事件について、全国紙がこのところ大きく「検証記事」を書いている。

 6月24日付朝日新聞は、

 菅家さんはなぜ有罪とされたか

として

 裁判所の判断の根拠/自白、周辺の証言、DNA型鑑定

 弁護側の無罪主張/自白の矛楯/アリバイ/目撃証言

 朝日記者/犯行詳細に供述/まじめだが短気/スゴ腕のDNA鑑定

 と見出しを打っている。ただ、検証記事では「DNA型鑑定の信頼性を検証する記事はなかった」としている。また、DNA型が一致しない疑いがあるとして「菅家さん側が宇都宮地裁に再審請求したときの報道は社会面の「ベタ記事」だった」、「宇都宮地裁が再審請求を棄却した時も、地域面では詳述したものの、社会面では小さな記事にとどまった」

 これに対し、立教大の服部孝章教授(メディア論)は「重要なのは、異論を訴える人がいる限り、それを伝え続けることだ。それがプロとしての矜持」と強調している。

 この検証記事が掲載された日付の朝日社説/足利事件再審/誤判の検証が欠かせない

としている。この中で、「宇都宮地裁に求めたい。一審、二審、最高裁、再審請求一審の審理にあたった計14人の裁判官はなぜ間違ったのか。その答えを国民は聞きたいはずだ。そうした姿勢なしに裁判所の信頼は回復しない」と主張している。「そもそも誤判を究明する仕組みがないことも問題だ」とも書いている。最高裁、最高検、日本弁護士連合会共同による「裁判所版事故調」、いわば

 第三者的な誤判調査委員会が要る。

 現在のような

「疑わしきは、裁判所の利益に」では困る。

 朝日新聞は、この事件も含めて、6月26日付朝日新聞で

 科学報道を科学的に検証する

という社内論説委員、社内無編集員、社外識者のオピニオンを特集している。

 このオピニオンで興味があるのは、評論家の宮崎哲弥氏が

 「いまや科学は、政治や経済も含め、社会のすべての領域と深いかかわりを持つようになっている。報道する側はこの状況に対応しているのだろうか」と問題提起している。その上で「足利事件は、事件報道にも科学的な認識や知見が不可欠であることを明らかにした。政治や経済、文化も含めた記事を、必要に応じて科学記者が精査するような仕組みがいるのではないか、科学記者も、従来的な狭義の科学報道ものフィールドに閉じこもらず、積極的に領域侵犯して、さまざまな議論にかかわっていくべきだろう」「ただし、科学報道は、常に抑制的、客観的、中立的、多角的であることを意識し続けなくてはならない」ともクギをさしている。

 この指摘は、現実に実行できるかどうかは別にして、正鵠を射ている。

 読売新聞については、6月27日付で

 足利事件/DNA一致発表、疑わず 鑑定精度への言及不十分

を掲載している。この検証記事では、事件当時の紙面について、DNA型鑑定を「捜査革命と言われるほど画期的な技術」と解説していることを指摘している。一方で、国内DNA鑑定の生みの親、帝京大名誉教授の談話「鑑定だけを決め手にするのではなく、他の物証の支えとして利用する方がいいのではないか」と指摘していたことも紹介している。

 しかし、記事では、指紋なみ捜査革命とプラス評価だけを強調したため、精度は100%ではないという事実を十分読者に印象付けられなかったと問題点を指摘している。

 同時に、菅家について、

 逮捕時、逮捕後に「ロリコン趣味の45歳」などの見出しや記事があった。つまり、菅家さんが犯人である直接証拠ではないが、間接証拠(状況証拠)として記事化している。

 その一方で、「機会がある度に、逮捕当時のDNA鑑定に問題があるとの弁護側の指摘を記事にしている」とも書いているとした。

 読売の検証記事も、朝日新聞同様、「報道では導入されたばかりのDNA鑑定への過大評価があった」と結論づけている。さらに、メデイア倫理に詳しい大石泰彦青山学院大教授(メデイア・倫理法制)の談話として「今後、裁判員制度で裁判員が何らかの形で報道の影響を受けることも考えられる。報道機関として事件報道、犯罪報道を自ら(裁判中であっても)検証しようという姿勢がますます求められる」と掲載している。

 裁判前、裁判中、一審後に独自の事件検証はやはり、必要だろう。客観報道を意識するあまり、現在のように、独自の調査報道を過度に抑制する姿勢は見直す必要がある。いかに情報の過度な捜査機関依存から抜け出すか、独自調査とのバランスが課題だ。

 なお、読売新聞では、この検証記事が出る前に、6月25日付で社説

 捜査、裁判を徹底検証せよ

という主張を掲げている。冒頭、「なぜ、捜査当局が白旗を掲げる事態になったのか。裁判所はチェックできなかったのか。徹底した検証が必要である」と書いている。

 毎日新聞は、6月11日付で検証記事を掲載している。

 事件報道、重い課題 「犯人」前提の表現も

 この場合の重い課題とは、事件報道と人権との兼ね合いのことである。

 検証記事では、DNA鑑定について「科学捜査時代を象徴する事件」と位置づけていたとしている。一方、「当時のDNA鑑定について『100%の個人識別はできない』とも指摘した」としている。しかしながら、捜査幹部の話に依存し、結果として、「『真犯人は菅家容疑者』を前提もに報道を続け、疑問をはさむ記事はなかった」。逮捕後には「犯人であることを前提にしたような報道があった」(例えば、「心の亀裂に病理が潜んでいるようだ」というような行きすぎた憶測的な心理描写)。検証記事は、「取材班は、当時のDNA鑑定の証拠能力を過信し、容疑者特定の決め手ととらえていた。精度をめぐる議論は十分ではなかった」と反省点を挙げて、結んでいる。

 さらに、捜査段階の供述報道は伝聞に基づくものであるにもかかわらず、「供述について、情報の出所を明らかにしないまま断定的な表記をしていること、容疑者を犯人視するような表現が目立つこと-などの問題点がありました」として、改善点を挙げている。前者については、「確定した事実と受け取られないよう表現に留意する」としている。後者については、予断を与えないために、「容疑者をおとしめるような言い回しや表現は避ける」としている。結論として、最後に検証記事は、裁判員裁判に向けて、「すでに運用している事件・事故報道に関するガイドラインにのっとって記事の質を一層高めていきます」とまとめている。

 毎日新聞は、こうした社内検証記事のほか、6月29日付朝刊で、毎日新聞「開かれた新聞」委員会の月例報告として、

 足利事件の17年半 報道の問題点は

と題して、柳田邦男委員(作家)、玉木明(フリージャーナリスト)、吉永みち子(ノンフィクション作家)、田島泰彦委員(上智大学教授)の分析と主張を1ページ特集を組んでいる。

 「物語性」の落とし穴(柳田)  誤認逮捕には捜査陣による見事なストーリー

 情報の相対化、怠った(玉木)

 再発防止へ検証を(吉永)

 当局依存で犯人視(田島)

と主張している。「編集局から」では、

 多角的取材と冷静な判断、肝に銘じ…

とし、「実質を伴う報道にするよう、この事件を教訓にしていきたい」と懺悔している。

 以上、3紙をまとめると、

 事件報道にも、科学的な知識とセンスが要る

ということだろう。事件報道は、もはや事件記者に任せておけない時代になった

ということであり、現代の新聞社はこの現実に追いついていない。昔ながらの察回り記者が担当しているかぎり、捜査機関頼みの報道が続くだろう。そこからは、冤罪の可能性を鋭く突く報道は生まれないだろう。

  足利事件で科学記者が何らかかわらず、社会部記者に任せっぱなしにしたことが、何度も冤罪を晴らす機会があったのにもかかわらず、ついに、そのチャンスを逃した原因だろう。科学記者こそ、大いに反省すべきである。このことが、サイエンスライターはいても、日本には科学ジャーナリズム不在論がこの30年、根強くある原因だ。

 まもなく、再審が始まる。3紙同様、6月24日付静岡新聞の社説も

 足利事件再審/冤罪の経緯解明の場に

としている。今からでも遅くはない。再審の審理に科学記者、科学ジャーナリストの出番がある。汚名返上名誉挽回のチャンスである。2009.07.02

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