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2009年7月

文学にも副作用がある 「1Q84」の場合

 バカ売れの村上春樹「1Q84」について、7月31日付中日新聞夕刊の超辛口文芸コラム「大波小波」で、「騒動の陰で」と題して、筆者の文学解体業者子が嘆いていること、嘆いていること、こうだ。

 「百万部、二百万部も売れた本なんか、もう文学とは関係ない」

と一刀両断というべきか、単なるベストセラーに対するやっかみではないか、知らないが息巻いている。しかし、中身を読んでみて、なるほどと納得した。

 このバカ売れ現象で

 伊井直行「ポケットの中のレワニワ」だけでなく、

 宮本輝「骸骨ビルの庭」

 辻原登「許されざる者」

 山崎豊子「運命の人」

 山田詠美「学問」

がどれも、ほっちらかされてしまっていると苦り切っている。そう言えば、小生もこのいずれも手にとってみたことはない。もっとも「1Q84」も、手にはとったが、読んではいないが。

 ベストセラーには、かくも深刻な副作用がある

ことを知った。この結果、

 ベストセラーは、出版界をますます大不況に追い込む。

 これは逆説ではない。

 真実だろう。2009.07.31

 追伸。

 こんな事態を少しでも改善してくれるのが、書評である。ホッとした書評が8月2日付毎日新聞書評欄に出ていた。

 文学の手法で迫る「密約」事件の本質 『運命の人』 全4巻 山崎豊子著

である。実際に起こった事件を元に、国家権力とメディアの関係を小説化したものであり、「8月に読むには、ずっしりと胸にこたえる小説だ」というから、これはジャーナリストとして、読まないわけにはいかないだろう。早速、アマゾンに注文した。ジャーナリスト、山崎豊子氏の健在に乾杯したい。

 もっとも、実際に起こったこの事件の記者は、毎日新聞記者であり、山崎氏も元毎日新聞記者だから、ある意味、当然の書評かもしれない。それにしても、書評者の張競氏とは、どんな人なのだろう。 2009.08.02 

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原爆症認定のあり方 臨床医、肥田舜太郎さんの信念と科学

 地方紙は、これだからうれしい。広島・長崎の「原爆の日」を前に、懐かしい顔が、7月26日付中国新聞(本社・広島市)に載っていた。

「内部被ばくこそ、原爆症の根本原因」

と主張し続けてきた臨床医の肥田舜太郎さん(92歳)である。かつて広島市での講演会でお会いし、数多くの原爆症患者を看続けてきた臨床医としての体験を聞かせていただいた。小生自身、科学記者、科学担当論説委員として、体内に蓄積された放射性物質による内部被ばくの恐ろしさを知っていただけに、この主張にいたく共感したのを記憶している。

 原爆症というと、とかく直接被ばくばかりが問題になる。原子爆弾の破裂によって大気中に飛散した放射性物質を吸い込んみ、その後、体内からの放射線に被ばくされ続け、今になってさまざまな症状が出てくる人たちも、原爆症と認定すべきであるというのが、肥田さんのとらえ方だ。肥田さんは、戦後一貫して

 原爆症とは何か

を問い続けた。簡単に言えば

 直接被ばくだけではなく、吸い込み被ばく(内部被ばく)も救済を

ということである。この点が、厚労省の認定では大きく欠けている。

 広島・長崎の「原爆の日」を前に、30年間務めた日本被団協中央相談所の理事長をこのほど退任した肥田さんを同新聞の岡田浩平記者がインタビューしている。「内部被ばくこそ病気の原因」であり、科学的な根拠がないことを理由に、厚生労働省が患者の認定を切り捨てるのは愚の骨頂だ、と舌鋒は相変わらず鋭い。

 インタビューむでも、原爆症をどうとらえるか、という記者の質問に、肥田さんは、

「がんや白血病ばかりが(原爆症患者として)認定されているが、それ以外にも認定すべき人はたくさんいる」

と主張する。臨床医としての経験が、そう言わしめているのだろう。

 原爆の日を前に、

 原爆症認定集団訴訟をめぐり、原告全員の「一括救済」を、被告側の政府(厚生労働相)が受け入れるかどうか。あと一週間と、その回答期限が迫っている。

 山陽新聞(本社・岡山市)も、7月29日付で、この問題を大きく取り上げている。同紙は、「集団訴訟の提訴から6年。各地の裁判所では国側敗訴の判決が18回も続いた」と指摘している。だが、「放射線との因果関係が判然としない疾病を認定するなど一審判決は問題が多い」という厚労省幹部の言い分を紹介している。こうした言い分は、これまで公害訴訟などで何度聞いたことだろう。科学的な確証がないことを理由に問題を先送りし、さらに被害を拡大する。戦後、この繰り返しが、薬害訴訟、公害訴訟などていかに多かったか。国側は大いに反省すべきである。国側は一審とはいえ、敗訴が続いている事実を重く受け止めるべきであろう。

 ところで、こうした原爆症のとらえ方は、過去の出来事に関わることだけではない。今も医学的には解明が難しい、こうした内部被ばくはさまざまな分野で起きている。

 たとえば、7月28日付高知新聞は、

 石綿、喫煙/体内被ばくで中皮種か/岡山大チーム、肺にラジウム蓄積

と伝えている。「中皮種など肺にできるがんは、吸い込んだアスベスト(石綿)や喫煙により肺に放射性物質のラジウムがたまって〝ホットスポット〟ができ、非常に強い局所的な体内被ばくが続くのが原因とする研究結果を岡山大などがまとめ、発表した」と記事は伝えている。

 さらに、遠くイラクでは、

 2度の戦争、後遺症/子供の白血病10倍/米劣化ウラン弾でイラク

と、7月16日付静岡新聞は伝えている。これも、戦闘で飛び散った、あるいは蒸発した放射性ウランを抵抗力のない子供たちが肺に吸い込んだ内部被ばくによるものであると想像される。ここでも、科学的な確証がないことを理由に、米国はこの事実を認めていない。こうした後遺症については、現在でも医学的に因果関係を証明するのはなかなか難しい。そのことをいいことに、事実に目をつぶるのは政治のすることではない。

 人の命にかかわることでは、確証を待っていては、救済が間に合わない。想像力や洞察力が必要だ。

 そんなことを考えさせられた。

 肥田さんの原爆症認定の考え方は、おしなべて今起きている内部被ばく問題をも告発している。2009.07.31

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信濃毎日新聞「ライチョウ」社説

 地方紙を読む面白さは、その地方独自の関心事を紙面から感じ取れることである。

 長野県で発行している「信濃毎日新聞」(7月28日付)社説、

 ライチョウ/絶滅防ぐ手だてを広く

は、まさにその好例だ。「南アルプスはライチョウが生息する世界の最南端だ」

との指摘に、ドキリとした。南アルプスの北側が長野県であり、南側が私の暮らす静岡県だからだ。その南アルプスでは、社説によると、

 特に南アルプス北部での減少が著しい

という。北部と言えば、北岳、赤石岳、聖岳あたりだろう。しかも「中央アルプスでは既に絶滅したとみられる」とも書かれている。

 南アルプスのライチョウ

に注目したい。ライチョウ対策が必要なのは、よく生息が知られている立山などの北アルプスだけではない。むしろ、南アルプスのライチョウに目を向けなければならない、ということがよく分かった。2009.07.30

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誰も教えてくれない「宇宙下着」

 ちょっと気づかないが、そう言われてみれば、不思議だ、ということがある。そのひとつに、

 入浴や洗濯なんかできない宇宙船のなかで、長期滞在している宇宙飛行士はどうしているのだろう。風呂に入らないでどうするのだろう。人ごとながら、心配になる。

というのがある。4カ月半以上も宇宙ステーションにいた若田光一さんの下着はどうなっているのだろうと、思う。野口聡一宇宙飛行士なんか、これから6カ月間の宇宙滞在に挑むというが、とてもじゃないが、無理なのではないか。男はまだいい。女性宇宙飛行士、たとえば、来年3月には野口さんが滞在している国際宇宙ステーションに、山崎直子飛行士が米シャトルで訪れるが、これなんか、とてもじゃないが、耐えられないのでは。いやいや、ロシアの男性宇宙飛行士なんか、随分以前に世界新記録の1年半も宇宙基地ソユーズにすでに滞在していたのだから、なんとかなるのでは。

 そんな疑問になんとか答える記事が、7月30日付読売新聞朝刊「顔」欄の

 若田光一さんの宇宙滞在用下着をつくった沼田喜四司さん

である。記事によると、沼田さんは「現代の名工」に選ばれている。「登山者用の下着開発をヒントに、2年がかりで、消臭力や雑菌抑制力に優れた下着」つくったという。沼田さんは、スポーツ衣料メーカー「ゴールドウイン」研究所(富山県小矢部市)の研究員。汗のにおいを中和する有機化合物を含んだ糸を繊維メーカーと研究したという。その結果、自ら試して、

 夏でも3日は大丈夫

という成果を上げた。宇宙ならもっと長く使用できるらしい。何回も着替えるとしても、これは大変なことだ。あらためて、人間が宇宙に長期滞在するというのは、そのこと自体がまず想像を絶する大仕事なのだと思い知らされる。それが、半年滞在をするとなると、気の遠くなるような偉業だろう。

 そんなことを考えると、先の世界新記録を持つロシア宇宙飛行士の挑戦は、あきれるばかりに偉大な挑戦であったと言えそうだ。

 米国は、数十年後には、到着までに数年はかかる火星への有人飛行を計画している。気が遠くなるような壮大な挑戦であることがわかる。

 ただ、こうした下着技術は、寝たきり高齢者用として、病院や福祉施設で広く活用できるというところが、面白い。今回の若田さん自身、骨粗しょう症治療薬の臨床試験をしているが、

 宇宙は福祉とつながっている。

 そんなことを教えてくれた「顔」だった。もうひとつ、こうしたユニークな視点で記事化したのが、女性記者であるのも、面白い。小生だけかもしれないが、男はなかなか「宇宙下着」という視点に気づかない。2009.07.30

 野口さんは、7月28日付の静岡新聞、高知新聞(こちらのほうが、同じ共同通信の配信記事でも少し詳しい)によると、

 「宇宙で料理したい」

と、宇宙滞在を前に、筑波宇宙センターのあるつくば市で記者会見している。宇宙料理もいいが、宇宙下着についても、語ってほしい。何しろ、地上では福祉に役立つのだから、よほど関心は高いだろう。2009.07.31

後から、気づいたのだが、地球上にも、一生、あるいはほとんど一生、風呂などには入らない民族もいるらしい。砂漠地帯の遊牧民、あるいはアジアの乾燥地帯の山岳民族などである。こうした人々の生活をつぶさに医学的に調べて、その知恵を借りるのも、宇宙滞在には有益な気がする。ともかく、宇宙は人間にとって、極限環境であり、これらの民族の伝統にも学びたい。

 先端の長期宇宙滞在は、地上の極限生活ともつながっている。2009.08.02

 追記。

 8月3日の静岡朝日(SA)TVを見ていたら、若田光一さんは、実験ということもあり、

 宇宙下着、2カ月におわず

と出ていた。無重力で衰えが激しいことから日課として行っている筋肉トレーニングのため、船内では、毎日のように大汗をかいている。しかし、2カ月たっても、下着のにおいは大丈夫だったそうだ。驚異の宇宙下着だ。逆に言うと、今の技術では2カ月が限界ということか。それにしても、すごい消臭力繊維である。

 ただ、心配なのは、におわないのはいいとしても、いくら実験とはいえ、そんなに長期間下着を着けたままで、若田さんの皮膚は大丈夫なのだろうか、ということだろう。2009.08.03

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気になる本「31文字のなかの科学」  

 小さなベタ記事なのに、そして、右下の片隅という見えにくい紙面位置なのに、

 「おや?」

と思わせる。

 そんな歌人で、科学記者が書いた新刊の案内記事を見つけた。

「31文字のなかの科学」(NTT出版)

である。7月29日付中日新聞夕刊に掲載されている。カラーで本の表紙も付いている。そこには「身体から宇宙まで歌を通して見はるかす」と銘打っている。なかなか雄大であり、読んでみようかな、という気にさせる。さすがは歌人である。うまい表現だ。著者は、松村由利子さん。

 と、書いたものの、実は、まだ読んではいない。読んではいないが、1890円出してもいいから、読んでみたいという気にさせる。新刊案内記事は、こうでなくては、と思う。そんな「気になる本」だ。それにしても歌人は怖い。2009.07.29

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100年後が恐ろしい ? 当たった気象庁の温暖化予測

 気象庁が、多数の死者、行方不明者を出したこのところの山口県、九州北部の記録的な豪雨について、

 平成21年7月中国・九州北部豪雨

と命名した。それほど、記録的な豪雨だったことを気象庁は認めたということであろう。なにしろ、特別擁護老人ホームに大量の土砂が流入し、多くの死者・行方不明者を出した山口県防府市では、降り始めた19日午後1時から21日午後4時までの2日間の総雨量が298ミリ、21日午前9時20分までの1時間には、防府市で観測史上最大の71ミリ。九州北部の各地でも、軒並み、降り始めからの雨量が500ミリを超えた。太宰府市では、26日夕方までの72時間(三日間)雨量が月間降水量平年値のほぼ2倍の609ミリに達したほか、北九州市の隣りの飯塚市で、559ミリなど、いずれも観測史上最多を記録した。

 なんとも、ものすごい雨量だ。これでは、気象庁が今回の豪雨に名前を付けるのももっともだ。

 ところで、今回のような記録的な豪雨について、気象庁は、予測できなかったのだろうか。こういうと、大抵の人は、それは無理だ、そこまで気象庁を責めるのはかわいそうだ。そんな声が聞こえてきそうだ。だが、実は、気象庁は

「だから、言わないこっちゃない。予想したとおりになったでしょ」

と言うかも知れない。というのは、共同通信社の配信だが、かつて北國新聞夕刊(2004年10月6日付)に、そんなコンピューター・シュミレーション予測が、カラー地図付きで、そしてこんな見出しで出ているのだ。

 気象庁予測/100年後の夏は大雨続き/温暖化で降水量20%増

これだと、たいしたことはない、と思うかも知れない。しかし、よく、本文記事を読んでみると、例えば、出だしはこうなっている。

 「温暖化の影響で百年後の夏には、北海道を除いて全国的に降水量が20%以上増加し、北陸、山陰、九州北部では一回に降る雨の量も大幅に増えるとする予測結果を、気象庁気候情報課の石原幸司係長らのグループが6日までにまとめた。福岡市で開催の日本気象学会で報告。本年度中に気象庁が公表する「地球温暖化予測情報」に盛り込む」

 「降雨強度も、九州南部を除いて全国的に約20%増加するが、特に北陸、山陰、九州北部ではより強くなる傾向が出た。」

 「これは、異常気象をもたらすエルニーニョ現象の発生時に似た大気の変化が起き、温かく湿った空気が日本に入り込みやすくなるためで」

 「降水量の増加だけでなく、梅雨明けも遅くなるという」

というのだ。わが故郷、北陸も危ないのだ。それはともかく、いずれの予測も、おおむね5年後の今回に当てはまっており、当たっている。7月ももう終わりというのに、梅雨の出口はなかなかみえない。平年梅雨明けは、九州北部では7月18日、私の住む東海では、20日。今年は10日前後も遅れている。しかも、今後一週間の予想天気では雲の多い天気が続く見込みであり、梅雨明けは異常に遅れそうだ。今回の豪雨の原因も、南西から熱帯並みの湿った温かい空気が大量に流れ込んだからだというから、100年後の予測と一致している。

 記事には、シュミレーションの結果の100年後降雨量分布が、日本地図上でカラー表示されている。気象研究所が開発した地域気候モデルで、1981年-2000年と、その百年後の2081年-2100年の6月-9月の気象を計算、比較した。温暖化シナリオとしては、政府間パネルによるシナリオのうち、温室効果ガスの排出が今後も比較的高水準で続くケースを採用したという。

 念のために言うが、この予測は100年後である。しかし、この予測が公表されて、今年で5年、早くも、大筋で予測がどうやら当たっているというのには、驚く。温暖化が、あるいは気候変動がこの調子でいくと、

 100年後が恐ろしい? 2009.07.28

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ライチョウと富士山と温暖化と ダーウィンが来た !

  冬の鳥と言えば、立山のライチョウである。金沢に20年以上暮らしていたので、立山のライチョウを何度か見たことがある。夏は、立山全体に広がって活動するので、なかなかお目にかかれない。しかし、冬は、というか、まだ雪が20メートルぐらい残ってはいるものの、パスが室堂まで通じるので、大型連休明けには、雪の立山でライチョウがつがいでいるのをよく見かけた。餌場として、ホテルの近くの残飯をあさりに来るので、むしろ冬場がライチョウを見かけるのには都合がいい。

 7月26日のNHK番組「ダーウィンが来た !」でこのライチョウの一年を追いかけて、その生態を紹介していた。この番組で興味を持ったのは、かつて、1960年代に寒いところが好きな雷鳥なら、より高い富士山の山頂付近に連れてくれば、もっと生息環境がよくなって、繁殖が進むのではないかとして、7羽のライチョウが立山からヘリコプターで富士山に移住させられたという話である。特別天然記念物だから、大切に育てようという試みなのだが、結局、失敗に終わったという。

 原因は、冬場の餌場となる、高山植物の実があるハイマツが、地質上の関係で富士山にはないことであり、生息が定着しなかったという。移住から10年でせっかく繁殖したライチョウも含めてすべて死亡したという。

 あらためて思うのは、現在の生物分布は、ライチョウに限らず、生物たるもの環境に適応して生存が可能となっているということだ。人為的に移住させても、繁殖は難しい。単に、寒いところだから、立山より、富士山がよいとは限らない。生き伸びるための環境全体を考えなければならないということだろう。とりわけ、餌場の確保が大事なのである。よく考えなくても、こんなことは当たり前なのだが、人間の傲慢さがこのことを忘れさせるのであろう。人間の都合ばかりを考えていると、こうしたおろかとも言うべきことが、ちょくちょく起こるのである。

 しかし、その努力と失敗を笑うことはできない。なぜか。

 ライチョウは立山だけでなく、ノルウェー、シベリア北部、北米アラスカあたりにも生息しているらしい。ただ、立山のライチョウはそのなかの南限に生息しているのが特徴なのだ。それだけに、世界のどこのライチョウよりも、温暖化の影響をより強く、また、より敏感に受ける。あらためて、現在の日本のライチョウの生息数が千数百羽であり、「絶滅危惧種」であるというだけでなく、立山の、いや日本のライチョウの貴重さを思い知らされた。一般に、鳥の場合、1000羽を切れば、もはや野生のままでは、いずれ絶滅は避けられないと言われており、ライチョウはそのぎりぎりのところに立たされている。

 ライチョウを救うのは、世界のライチョウ国と繁殖を手助けするために、その知恵を借りるなど相互協力する以外に手はないのではないか。今、よみがえろうとしているトキの場合のように。

 そんなことを思い起こさせてくれた番組であった。2009.07.26

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文化進化 「ワンダー×ワンダー」にびっくり

 毎週楽しみにしている土曜日の番組に

NHK「ワンダー×ワンダー」

がある。なかなか感じのいい司会者、山口智充と神田愛花さんが司会をしている。7月25日土曜日のテーマは

大自然のモノマネ動物/声マネ名人の鳥/進化の謎に迫る

である。鳥の中には、歌(さえずり)上手がいることは知っていたが、自分の本来のさえずりのほかに、なんと12種類ものほかの鳥の鳴き声(さえずり)を発声する鳥がいるとは知らなかった。いずれも、生まれた後に、周囲にいる鳥のモノマネで学習したのであろう。確かに驚異、ワンダーである。このさえずり上手なのは、確かに

「メスはオスの歌に惹きつけられ、より複雑な歌を歌うオスを好む。メスにもてるためオスの複雑な歌は進化してきたといえる」「鳥の歌(さえずり)は性選択上の機能として進化してきた」(『現代思想』2009年4月号 総特集ダーウィン「鳥のさえずり行動と四つの質問 動物行動学における進化論」加藤陽子など)

せいなのだろうということが、よく理解できた。特に番組では、メス鳥が、美しくさえずっているオスに引き付けられて近寄ってきて、ついにつがいになり、巣の中に入っていく一部始終が映し出されていたのには驚いた。オスは、さえずりだけでは十分ではないと思ったのか、孔雀のような美しい羽まで揺り動かして見せびらかし、メスを誘い込んでいた。その鳥の名前は忘れたが、お見事、動かぬ証拠とでもいいたいような映像であった。オスがさえずりを進化させてきたと同時に、メスもさえずりの美しさを見分ける鋭敏な感覚を、子孫を残すために、磨くよう進化してきたのであろう。

 このことを学問的に言うと、上記の論文によると、

「オスの歌には発達過程の神経回路の発達具合や発声学習の完成度が反映される。したがってメスはオスの歌を指標にすることで、発達状態のよいオスを繁殖相手に選ぶことが出来る」

というわけだ。

 もうひとつ、番組を見て、鳥の学習能力の高さに驚いた。都市公園などにいる鳥(名前は忘れた)が、ベンチにいて、近くから人間がその鳥を撮影するためにアナログカメラ(高級なニコンカメラ)を向けると、逃げるでもなく、カメラに収まった。そのときのシャッターを切る「カシャ」という独特の音や、その後に自動的にフィルムが巻き上がる音まで、即座に、しかも正確にこの鳥は発声していた。これには、びっくりした。こんな人工音のモノマネは、自然選択による進化にも、性選択による進化にもおよそ関係がない(と思う)のに、その鳥は身につけている。これはなぜなのだろうと考え込んでしまった。

 よくわからないが、上記論文を読んで、いろいろ想像したが、それは生き残るための生物学的な進化とは関係のない

文化進化

ではないかと思い至った。都市に生息する鳥は、カラスもそうだが、えさを探して一日中忙しく飛び回る必要がない。人間が食べ残したものがいくらでもある。その分、ヒマなのである。その結果、正確なモノマネという遊びを発達させた。人間と同じである。自然淘汰をめぐる闘争も、性淘汰をめぐるオス同士の闘争も、自然界に比べたら少ない、居心地のいい都市。それらの淘汰圧がない分、鳥たちにも文化を生み出す進化が用意されたのかもしれない。人為選択の育種で育った鳥たちはもっと文化進化が顕著であることになる。それはともかく、

文化の発達にはヒマや余裕が必要

というわけだ。

 ところで、この上記論文によると、鳥のさえずりと、人間の言語とは「相似性が高い」のだそうだ。つまり、鳥のさえずり研究は、人間が進化の過程でどのようにして言語を獲得していったのか、その手がかりを与える可能性があるという。

 鳥のさえずり研究は、人間の起源に光を投げかけているのかもしれない

 今回の番組は、何人もの死者を出す北海道・大雪山系大遭難で急遽差し替えられた「急ぎ仕事」のその場しのぎ放送であり、内容がないとあきらめていた。しかし、意外にも優れた示唆に富む放送だった言えよう。こういうのを怪我の功名というのだろう。2009.07.26

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共生経済 赤ちょうちんとサクラエビと   

 勤務先が駿河湾に近い。駿河湾と言えば、4月、5月の春のサクラエビ漁である(11月の秋漁もある。この間の夏は産卵期で禁漁)。このブログでも、踊り食いができる保存法のニュースを紹介した。小生が週何回も行きつけている浜松市中区の「赤ちょうちん」では、春の味覚として、釜揚げサクラエビが突き出しとしてよく出された。日本海側の金沢から転居してきた身には、これがなかなかおいしい。かき揚げてんぷらもあるそうだが、生食もいける。金沢もいいが、東海地方に暮らすようになって、駿河湾のうまいものを食ったと実感した。

 ところで、このサクラエビ、なんと、駿河湾に面するどの漁港でも、また、どの漁協でも自由に漁獲できるのかと思っていたら、静岡市清水区の由比(ゆい)地区の漁港、蒲原地区(清水区)、そして大井川地区(現焼津市)の三漁港の漁協に所属する漁船しか漁獲はできないのだそうだ。勝手にとれない。そんな決まりがあるとは知らなかった。

 なぜだろうか。110年以上ほど前の明治時代(正確には明治27年)に、由比(ゆい)出身の漁師(望月平七+渡辺忠兵衛)が初めて駿河湾の深海にサクラエビがいることを偶然に見つけたのだそうだ。現在、由比地区では、望月漁師のひ孫にあたる漁協組合長(望月氏)がサクラエビ漁を出漁対策委員として、蒲原地区、大井川地区の対策委員とともに仕切っている。いつ、何隻を出漁させるか、この人たちが足並みをそろえて決めるのだそうだ。乱獲を避けるためだろう。

 ところで、なぜ、110年前まで、駿河湾にサクラエビがいることに気づかなかったのだろう。不思議に思って、手元の「新世紀ビジュアル大事典」を調べてみたら、わかった。サクラエビの項目にこうある。

 「白色の地に小さな赤い色素が点在する小形のエビ。甲殻類サクラエビ科。体長4cm。深海性で発光器をもち、夜間は上層に(えさとなるプランクトンを求めて)浮かび群泳。食用。」

 ヒカリエビとも言うらしい。夜に海面近くにやってくるから、夜に出漁することのなかった明治時代まで人間は気づかなかったようだ。それが電気が普及するようになった明治30年代に夜出漁できるようになり、先の発見後に、ようやく盛んになったのであろう。その子孫が由比地区にいて、今も由比地区の「仕切り」役となっているというわけだ。

 7月19日日曜日、NHK東海・北陸ローカル番組「駿河湾サクラエビ漁」が放送された。サクラエビ漁は、春漁(由比沖など湾奥部)と秋漁(焼津沖などの湾西部)で行われる。漁船は大きさも、乗組員の数(一隻7人)も決まっている。夜、出漁する。魚群探知機で海面近くに向って「群泳」してくるサクラエビを確認。二隻の船がペア(これを伝統的な用語で「統」という)を組み、左右に分かれて、群れ目掛けて網をかける。失敗の許されない一発勝負の、一網打尽の漁法を紹介していた(ただし、稚魚はとらない)。ペア内のチームワークが肝心だ。だからペアのことを「統」というのだろう。

 面白いのは、この30年、漁獲したサクラエビは、すべて蒲原、由比、大井川地区の三つの市場でセリにかけられるが、三地区の総水揚げ額の合計を共同で管理し、各乗員に平等に分配する

プール制

をとっていることだ。乗員(漁船員)の年齢にも関係なく給料がもらえる。全国でも珍しい制度である。なぜか。自分さえよければいいという過当競争による乱獲防止と、その結果である価格暴落の防止を図るためである。世界的にも大変に珍しい、しかし、資源管理としては大変に優れた仕組みであると感心した。今流行の成功報酬制でも成果主義でもないところがいい。さりとてなまけていたら、みんなの収入が等しく減る。そうならないために総売上高を大きくする必要があるが、そのために各「統」は知恵を絞り、全力を上げる。競争ではなく、協力しあい、平等に成果を分配する。言ってみれば、弱肉強食の強欲経済、強欲資本主義の対極にあるような、

 共生経済

の見本のような仕組みである。もう少し大げさに言えば、

公益資本主義

と言ってもいいかもしれない。このようにサクラエビ漁は共同作業による漁法をとっていることに感心した。

一人はみんなのために。みんなはひとりのために

の精神だ。これには、正直者がバカをみないよう抜け駆けをさせない、掟破りをさせない、乱獲をさせない強力な統制力、つまり鉄のリーダーシップを発揮できる組合長の存在が必要である。それが各地区にいる対策委員であり、由比地区で言えば、サクラエビの発見者のひ孫(望月氏)なのである。これならどこからも文句がでにくい。そのことで、みんなが折り合いをつけているのだろう。これは、サクラエビ漁を今後も末永く続けていくための、そして、ある意味公平な、いかにも日本人らしい知恵とも言える。

 1960年代までは、互いの競争で乱獲をしたため、漁獲高が1970年代には半分くらいにまで落ち込み、不漁に悩まされた経験を踏まえた反省から生まれたシステムらしい。言い換えれば、長期的な視点で資源管理をするということだ。資源管理とは、言葉は悪いが、昔からよく言うではないか、「生かさず、殺さず」と。あれである。あれを人間ではなく、漁業資源にうまく生かしたのが、サクラエビ漁システムなのだ。

 乱獲防止が叫ばれる中、漁業に未来はあるか。ある。なぜなら、そこにサクラエビ漁が語る共生経済という生きたうまい方法があるからだ。2009.07.25

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経済物理学の光と影 強欲マネー資本主義の教訓

 経済学に革命をもたらしたと言われるのが、経済物理学である。2004年には、『経済物理学の誕生』(高安秀樹、光文社新書)という本まで出ている。この十年、物理学の法則などの成果を、高度の数学を駆使して経済学分野に適用してきた。分子レベルでマクロな沈殿現象を解析した物理学の方程式を、金融取引のリスク管理に応用し、華々しい成果が上げた金融工学はその典型である。経済物理学の光の部分と言えよう。

 ところが、昨秋(9月)のリーマンショック以来、金融工学を駆使した商品開発や売り込みにかかわったウォール街やハーバードビジネススクールが、野放図な強欲マネー資本主義者として批判された。

 その背景に迫ったNHKスペシャル

 マネー資本主義/天才科学者が生んだモンスター/リスク消滅 ! の幻想

として放送された。なぜ、暗転したのか。経済物理学のどこが問題だったのか、経済物理学がモンスターとなった、その背景に迫っていた。その背景を4つの側面から当事者に取材している。要約すると以下のようになろう。

 徹底した成果主義で脇役であるはずの投資銀行が主役として、跋扈した

 金融工学が見えにくくなったにすぎないリスクを忘れて、市場を制御できなくなるほどにモンスター化した

 巨大年金マネーが、もっと、もっとと高い利回りを追い求めた

 米政府も、規制のない新自由主義の下に、弱肉強食をあおった

ということだろう。番組の中では、金融工学はテクノロジーであり、善悪の責任はない。問題はそれを利用する人間のリスクを省みない判断に(未曾有の金融危機を引き起こした)責任がある、との金融工学派からの新自由主義擁護の声も紹介されていた。規制のない新自由主義は、もっとも効率的に民主主義を推進するというわけだ。

 金融工学の影は、それを利用する人間がつくり出したものである

ということだ。

 高度の数学に責任はない。則を超えた野放図な人間の欲望が未曾有の金融危機を引き起こしたのである。

 結局、モンスター、なんじの名は人間なり。金融工学でも、ハーバードビジネススクールでもない。

 それでは、その人間はどうすればいいのか。投資家のリスク感覚を麻痺させないためには何が必要なのか。番組では、世界の有識者にその提言を求めている。少しふえんして、まとめると、

 今回の投資銀行については、金融市場の主役であるかのような振る舞いをあらためて、本来の金融の脇役に徹すること。その場合、発想の転換も必要だ。つまり、できるだけ高利回りの運用を行い、その利益は株主に還元するものという強欲資本主義の片棒を担ぐのではなく、利益は社会に還元するという

 公益資本主義

に貢献せよ、ということ。

 無策だった政府については、規制と監視を強化する政策に転換すること。すべてを市場主義に任せるという新自由主義の考え方で律するのは危うい。社会の目的は経済成長がすべてという発想も必要だ

というものだった。

 この公益資本主義は、実は、「情けは人のためならず」という、巡り巡ってゆくゆくはその利益は自分に大きくなって戻ってくるという商人道に通じる。短期的には「損」しても、長期的には「得」をとるという考え方であり、強欲資本主義の対極にある。

 公益資本主義=商人道資本主義

と言えるだろう。これは決して「心掛け」や、最近の品格論や精神論ではない。これは、経済評論家の内橋克人の

共生経済学

にも通じる。

人間が生まれながらに備えている人間性にかなった商人道の重要性については、

『日本の「安心」はなぜ消えたのか』(集英社)

の著者、社会心理学者、山岸俊男氏が詳しく分析し、武士道や品格論が日本をダメにすると分析している。この本の内容、主張をひと言で言えば

 正直、勤勉、利他心を含めた広い意味の利己心といった人間性にかなっている商人道こそ、今回の未曾有の金融危機を引き起こした強欲マネー資本主義を乗り越える処方せんである

ということを学んだ。

 もっと、人間性にかなった商人道を。品格論のような精神論ではダメ

 今回の番組は、いろいろ考えさせるスペシャル放送だった。2009.07.22 

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桜、開花せず 温暖化このままでは

 温暖化、という言葉に、まあ、日本人の生活には関係ない、と思いがちだ。本気でえっ ! と驚き、日本人として

 「それは困る」

という実感がなかなか伴わない。100年後に世界中で年平均気温が最悪の場合、6度、いやそれ以上高くなる。地球は熱死する。なんて言われても、日本人としてピンとこない。そんなことは、どうでもいい、とまでは言わないが、本気にならない。

 ところが、7月19日付の各地方紙には、

 100年後、桜開花せず/ 温暖化このまま進めば/九州、東京、静岡など/冬の「寒さ不足」原因(佐賀新聞朝刊)

と出ていて、びっくり。九州が危ないというので、日本列島のカラー地図付きで、佐賀新聞が社会面で大きく取り上げている。山陽新聞(岡山市)などは、18日付夕刊1面トップで「温暖化、7度上がると」として報道している。ただ、岡山県では、なんとか桜は咲くにもかかわらず、大きく取り上げている。18日付信濃新聞夕刊も、中面で大きく取り上げている。ただし、長野では、7度上昇しても、桜は咲くとの予想なのに、掲載している。

 ところが、肝心のわが静岡新聞は、県内100年後には桜は咲かなくなると言うのに、全然、取り上げていない。18日付夕刊にも、翌朝の19日付静岡新聞朝刊にも掲載されていない。びっくりした。

 記事そのものは、東日本以西の太平洋側では、桜(ソメイヨシノ)が開花しなくなるという民間の気象情報会社「ウェザーニューズ」(東京)のシミュレーション予想をまとめたもの。最悪のパターンの場合の結果であるとしても、日本人としては、ショックである。

 これだから、各地方紙をときどき丹念に読んでみるのも面白いのだ。全国紙ばかり読んでいては、世の中、いや、未来は分からない。

  どうした、静岡新聞。「花は桜木、人は武士」が日本人の美意識ですぞ。2009.07.22

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浜松の文学力 文芸館「特別収蔵展」に寄せて 愛しき言葉の悲しき現実

   20年暮らした金沢から定年を機会に浜松に転職してきて半年あまり。久しぶりの三連休ということもあって、暑い中、浜松市中区の浜松文芸館に出かけた。浜松が生んだ、あるいは育てた文人、作家を紹介する「特別収蔵展」が開かれていた。「愛しき言葉」と銘打たれた館内はほとんど人影がないので、ゆっくり見て回れた。

 浜松と言えば、「二十四の瞳」で知られる映画監督の木下恵介氏が有名だが、なんと、文芸館の名誉館長であるとは知らなかった。この映画は観た。作家では、藤枝市出身の藤枝静男が知られている。浜松市で眼科医をしていたそうだ。ただ、作品は読んだことがないのが少し恥ずかしい気がした。

 この程度であったので、楽しみにして来館したのだが、浜松にはおおよそ、全国に知られる作家、俳人、文人は十人くらいのようだ。民芸運動に奔走した内田六郎(俳号・六楼、産婦人科医)はガラス絵収集家として知られる。京都の河井寛次郎、柳宗悦などが仲間だったのだろう。

 そのほかには、思い浮かばなかったが、展示では、墨絵の山根七郎治(やまね しちろうじ)、相生垣瓜人(あいおいがき かじん)、俳人の百合山羽公(ゆりやま うこう)、俳人の原田濱人(はらだ  ひんじん)が紹介されていた。いずれも、平成以前に活躍した人ばかりであり、平成に入る前に、藤枝氏を除けば、いずれの文人も鬼籍に入っている。その藤枝氏にしても、亡くなってもう20年近くになる。

 これらをじっくり拝見しての感想を遠慮なくはっきり述べれば、今、浜松からこうした文人、作家の跡を継ぐ、これといった若い世代がほとんど育っていないのは、どうしてだろうというものだった。平成に入って、これという人材が育っていない。それどころか、1980年代から育っていない。このことと、浜松が1980年代から産業都市として著しい発展を始めたということとは無縁ではないように思う。今では政令指定都市である。静かにじっくり、愛しき言葉をつむぎだす環境がなくなったといえば言いすぎであろうか。しかし、それが、活気ある浜松の悲しき現実なのかもしれない。

 伸びゆく浜松、低下する文学力。

 なかなかうまくいかないものだ。

 ただ、金沢もまた、この20年、いや30年、いや、ひよっとすると40年以上、全国に通用する作家や文人を輩出していない。金沢の文学力も低迷している。唯一、金沢市出身の唯川恵氏が5、6年前に直木賞をとったくらいだ。それも、金沢を離れてからの作品『肩ごしの恋人』で受賞している。

 金沢は、かつて、といっても主として戦前に活躍した人物だが、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星の三文豪を生んだ。1970年代にノーベル文学賞を受賞した川端康成氏は、自然主義文学の徳田秋声をいたく敬愛していたことから、

 金沢は文学のふるさと

と地元の求めに応じて、受賞まもない時期に揮毫している。金沢は、今では、たいていの調査で、「住んでみたい街」のトップ5に入る。美しく、魅力ある落ち着いた住みやすい街であり、一度住むとなかなかそこから抜け出ることはできない。ついつい住み着いてしまいそうな街である。それはそれでいいのだが、文学の才能を発揮するには不向きな街なのだろう。才能が開花しにくい、あるいはせっかくの才能をしぼませてしまう魔力が潜んでいる。文学力を高めるには、それこそ、孤独に耐え、何かに立ち向かうために、心を切り刻む気迫と気力が必要なのだ。それがいやなら、その街から抜け出すことである。豊かな浜松にも、暮らしやすい金沢にもかつては文学力があったのに、今はそれが衰えている。これが、

 愛しき言葉の悲しい現実

なのではないか。そんな印象を展示室を出て、持った。この間、小一時間、来館者は私のほか、1人だけだった。2009.07.20

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「つながる脳」 せっかくの好著も意味不明な悪文書評で台無し

  時宜を得たせっかくの好著も、意味不明な悪文で書評されて、台無しになっている場合がちょいちょい、新聞の書評欄に見られる。書評する人は、懸命に好著であることを強調し、読者の興味を引きつけようとしているのだが、いかんせん悪文で、読者が途中で読むのをあきらめてしまう。悪気がないだけに、書評された著者も怒るわけにもいかない。そんな書評者にあたったのが不運、とあきらめるしかない。

 そんな最近の7月19日付朝日新聞書評欄の事例。

 広井良典千葉大学教授(公共政策)が

 『つながる脳』(藤井直敬著、NTT出版)

を、「他者との関係性が幸せをもたらす」と題して、書評している。このタイトル自体がまず、意味不明で、過半の読者は書評を読むのをあきらめるかもしれない。それでも、我慢して(朝日新聞の書評欄なのだから、いい本にちがいないと信じて)本文を読もうと努力する。しかし、大事な書き出しからして悪文だ。出だしはこうだ。

 「本書は「社会脳(ソーシャル・ブレイン)」、つまり人間のように他者との「関係性」が決定的な意味を持つ存在を、脳研究を通じて明らかにする探求についての印象深い書物だ。「『つながる』という言葉が、これからの脳科学のキーワードになるのではないかと確信した』という著者の表現がそうした関心を集約している」

 この文章を一度読んで、意味の分かる読者はまれであろう。2、3回読んでも分からないのがほとんどだと思う。なぜか。筆力がないのに、一つの文章で、二つのことを言おうとしているからだ。悪文の典型がこれだ。だから、文章を二つに分ければ、まだわかる。第一の文章は、たぶん、つぎのようなことを言いたいのだと思う(まちがっていたら、ごめん。なにしろ、意味不明の文章なのだから)。

 本書は「社会脳(ソーシャル・ブレイン)というものを、脳研究を通じて明らかにする印象深い書物だ。社会脳というのは、つまり人間のように他者との「関係性」が決定的な意味を持つ存在のことである。

 これなら、なんとか批評者の言いたいことがわかる。それでもわかりにくいのは、悪文によく見られることだが、やたらと、かっこ、かぎかっこが多いことだ。出だしだけでなく、この批評者の書評には、かぎかっこがやたらと多い。「関係性」のほかにも、思わせぶりな「人間」、「ケア」、「コミュニティ」、「科学」、「生命」、「関係欲求」、「社会性」、「リスペクトが循環する社会」と、短い書評文章にこんなに出てくる。加えて、悪文の特徴なのだが、ひげかっこ、゛良識゛、゛常識゛まで出てくる。

 それでも、まだ、この文章がわかりにくいのはなぜか。これまた悪文の特徴なのだが、指示代名詞が、やたらと多いのだ。冒頭で言えば、「そうした関心」とは何をさすのかわかりにくい。数えてみたのだが、書評の中に「その一つの背景は」「「そうした閉塞状況を」「その上で」「そうした『リスペクトが循環する社会』」「それは社会性や他個体との関係性」「そこに」「その結節点になっていく」と、いやになる。いちいちこれは何を指すのかな、と考えているとますます読むのが嫌になる。いやになるだけなら、まだいいのだが、『つながる脳』がつまらない読むに値しない本のように思えてくるから、書評者の罪は深い。

 なぜ、こういうことが起きるか。簡単である。書評者自身が、紹介する本について、理解していないからだ。こういうことは、たいてい、文系の学者が、背伸びして、理系の著書を無理に紹介しようとするときに起きている。この場合も、そうだろう。

 こういう場合、朝日新聞書評欄担当者は、遠慮せず、具体的に意味不明点を指摘して、書き直しをお願いする、あるいは命ずるのが親切というものだ。批評者に遠慮して、それをしないで、そのまま掲載するからこういうことになり、読者が迷惑する。勇気を出すべきだ。私自身も自戒し、この点をあえて指摘しておきたい。

 それでは、どう書評するか。同じ『つながる脳』について、7月12日付静岡新聞書評欄に書評が載っている。 書評者は河野哲也立教大教授だが、

 脳科学の「壁」に新展望

と魅力的なタイトルで批評している。読者を引き付ける見出しである。内容をよく咀嚼して、理解している証拠だ。そして、名文ではないが、達意の内容である。冒頭はこうだ。

 「脳科学ブームである。しかし、とても科学的とは言えない飛躍した主張に満ちていると、まゆにつばして眺めている方も多いはずだ。そんな脳科学嫌いの読者にもぜひ薦めたいのが本書である。本書は、社会性をテーマとしているが、そこには三つの特徴がある。第一は、現状の脳科学の限界と問題点をはっきりと認め、それに向かい合っている点である。-うんぬん」

と一つ一つが短いセンテンスで、論理明快に書いている。ここまで読んだだけで、脳科学嫌いの読者も、2310円を握り締めて書店に走っていくだろう。うまい。内容を十分理解して書いているからだ。これが書評というものだ。上記の書評とは雲泥の差以上である。

 先の書評とは対照的に、かぎかっこは、本文中に一回しか出てこない。しかも、問題点も指摘しており、最後は、総括して

 「文系の人間にも読みやすい平易な文章で書かれた、しかし、驚くべき最先端の成果である。」

と、殺し文句、落としどころを心得て結んでいる。これでは文系の読者も買わないわけにはいくまい。ましてや理系であれば。書評された著者は幸せである。2009.07.20 

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アポロ11号月着陸ねつ造説の終焉 NASA、月面の残骸写真公開

 米アポロ宇宙船が月面着陸してから、7月21日(日本時間)でちょうど40年になる。これを記念して、NASAは、月を周回する探査機から、40年前のアポロ11号はじめ月着陸船の月面上に残された残骸を撮影することに成功し、その画像を公開した。その映像写真が7月18日付静岡新聞夕刊に小さく掲載されている。月面上「静かの海」に残された11号の残骸は、月着陸船「イーグル」が帰還に向けて離陸する際に発射台の役割を果たした直径約3.7メートルの台座。画像には、台座が小さな突起のように写り、月面上に長い影を落としているがわかる。静岡新聞には、ベタ記事だが、共同電として

 月にアポロ11号残骸/探査機が40年ぶり撮影

と掲載されている。

 小さな記事だが、意味は大きい。というのは、この40年間、アポロ11号は、月周回軌道には達したかもしれないが、そこからの月着陸については、一部の人たちによって、ねつ造だというアポロ11号月着陸ねつ造説が根強くささやかれていたからだ。40年前の当時、着陸の様子が全世界に中継されたが、その中で、米国旗が真空のはずの月面で、はためいていたように見えるのはおかしいなどが根拠である。今回の映像公開で、こうしたねつ造説はほぼ完全に否定されたと言えるだろう。

 ここで「ほぼ完全に」といったのには、わけがある。ねつ造説の直接の根拠となった星条旗については、解像度が今ひとつよくなかった関係で、その残骸が確認できなかったからだ。今後、周回衛星の軌道修正などにより解像度を数倍上がれば、とらえることができそうだという。

 ところで、このニュースは、19日付朝日新聞朝刊にも

 アポロの「足跡」ここにあり

という見出しで、比較的に大きく取り上げられている。それによると、11号のあとに再び月面着陸した14号の飛行士の月面上を引きずったような足跡が線上に写っていたという。これは、実に驚くべき精度である。38万キロ離れた月の回りを回っている軌道探査機から、月面の人間の足跡が確認できるのである。

 だれでも考えることだろうが、この技術を地球上に応用して、兵器技術に応用してはどうかということになる。地球上から、月面上の人間の足跡が確認できるのである。これを利用しない手はない。

 そんな思いつきで、7月19日付静岡新聞朝刊を見ていたら、あった。「GLOBAL FLASH」という欄に、

 無人飛行船で敵を識別

という見出し。「米国防総省の国防高等研究計画局が、(敵のミサイルが届かない)高度約20キロの成層圏から高性能レーダーで戦場を監視し、敵を高精度で識別する無人飛行船の開発を進めている。」というもので、アフガニスタンなどで米空軍爆撃による民間人被害が問題化しており、新型飛行船でその防止を図るという。2012年には飛行実験が始まるという。新型飛行船は、高度の高いところの地球軌道を周回する偵察衛星よりも、森林内や市街地の敵を高い精度で見通すことができるという。

 この場合、リアルタイムで監視する必要があることから、高性能レーダーを使うようだが、いずれにしても、近い将来、個人識別できる戦争兵器が登場するようになるだろう。レーダーよりはるかに波長の短い光での映像化で、それこそ足跡どころか、敵の戦闘員、あるいは味方の民間人の表情まで、確認できる兵器。なんとも、すさまじい「人道」兵器というべきであるが、これが世界の平和を維持するような「すばらしき新世界」が未来であるとするならば、おぞましい。2009.07.19

 ところで、話は変わるが、同じ夕刊には、

 若田さんら13人、国際宇宙基地に/「きぼう」完成へ、シャトルがドッキング

という記事が大きく掲載されている。国際宇宙ステーションに史上最多の13人(米国人、ロシア人、日本人、ベルギー人、カナダ人)の飛行士がそろったというものだ。今回、宇宙ステーション建設史上初めての日本の船外実験棟の取り付けに成功し、これで計画から24年、日本の実検棟「きぼう」が完成した。

 問題は、完成した「きぼう」で、地球上ではできないどんな革新的な実験をし、成果を上げるかである。実験棟は、米国のおかげで完成したが、今後、日本独自の成果をどう上げるか、ステーション運用はあと5年、長くてもあと10年くらいで、残り時間はそう多くはない。地上との往復に使われた頼みの米シャトルも、来年2010年には退役する手はずとなっている。その後は、ロシア頼みである。今後5年間の運用費(年間400億円)も含めると、自前の「きぼう」プロジェクトは総額1兆円プロジェクトとなる。優先されている医療・福祉分野では、今回活躍した若田光一飛行士が自ら骨粗しょう症治療薬の実験台になって開発はしているものの、画期的な成果を疑問視する声は依然根強い。官の仕事はおおむねここまでである。官頼みでは、世界がアッと驚く成果は期待できまい。完成したこれからについては、民間企業の知恵が問われる。

 いでよ、希望の宇宙ベンチャー企業 !   

 ものづくり日本の宇宙での正念場は今後5年だ。こちらは、皮肉ではなく、1兆円に見合う本当の「すばらしき新世界」づくりであってほしい。2009.07.19      

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美は「困窮」の隣りにあり 政令指定都市浜松の奇妙な現実

 休みの土曜日の朝、ときどきJR浜松駅周辺を散歩する。駅前の象徴は、なんといってもアクトタワーを中心にしたアクトシテイだろう。大、中、小のコンサートホールがある。そのすぐ横の通路には、陶板を重ねてつくった大壁画

 「伸びゆく浜松」

というのがある。ものづくり浜松の代表的な産業や歴史を陶板で表現したものである。だが、そのほんの隣りの片隅に、生活困窮者、ルンペンが寝泊りしているのだ。たたみ一枚分の隙間に寝泊りしている。大壁画の左右には掲示がある。

 「鎖の中へは入らないでください」

ルンペンを近づけないための対策である。少し、右には、倉庫のドアです、物を置かないでください、と書いてある。が、そんなことには、困窮生活者は何の痛痒も感じない。悠然と、土曜日の午前10時になっても、寝ている。トイレは駅のトイレを借りる。水は近くの都市公園の水道を使う。これが、伸びゆく政令都市浜松の現実なのだ。

 「美は乱調にあり」とは、瀬戸内晴美(寂聴)さんの小説のタイトルだが、それ風に言うと

 美は「困窮」の隣りにあり

ということになる。美と困窮が隣り合わせのちぐはぐな街、それが浜松の現実なのだと、久しぶりの土曜散歩で知った。「伸びゆく浜松」の大壁画が見落としているものをこの生活困窮者は見事に指摘している。このことに気づいただけでも、早起きは三文の得、ということになろうか。

 「伸びゆく浜松」大壁画が美と言えるためには、生活困窮者の存在を壁画の中に表現しておく必要があったのだ。それを忘れた。いや、あえて、それを避けた。そのために、この壁画は「美」とは言えなくなった。大壁画の前を通る人の誰一人として、この壁画に目をやる人はいない、感動する人もいないのは、そのためだろう。やはり、

 美は「乱調」にある。2009.07.18

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「信じる者」は救われない ニセ科学の世界

 業を煮やして、ついに出た、という感じである。これまでニセ科学について散々批判してきた菊池誠大阪大学サイバーメディアセンター教授と、渋谷研究所Ⅹが共同で最新刊

 『おかしな科学 みんながはまる、いい話コワい話』(楽工社)

を上梓している。身の回りのニセ科学を徹底的に語る。そう宣言している。それも、真正面から語るのは、バカバカしいからか、ちゃかして面白く書いているところがいい。たとえば、このブログでも何回も取り上げた脳ニセ科学については

 オー、脳 ! (Oh  No ! )

で片付けている。お見事と言うほかない。

 「信じる者」は救われない

とまで言っているのだから、すごい。そのとおりであろう。

 問題は、なぜ、今、こんなにニセ科学が繁盛するのか、ということだ。この本によると、世の中忙しくなり、難しい理屈より「わかりやすい二分法」を好むからだろうと分析している。ともかく白黒はっきりさせたいのだ。そういえば、テレビ番組を見ていると、○か×かでこたえるクイズが多いのも、ニセ科学と同じ背景なのだろう。

 あれこれ考える。○でもないし、さりとて×でもない。そんなことを深く考えない世の中になってきている。もっともらしい理屈さえあれば、すぐ納得する。すぐ答えがほしいのだ。まてよ、本当かなあ、などと悠長に考えなくなっている。ここにニセ科学が世の中にはびこる温床がある。そう考えれば、結論はこうなる。

 結論。このところのニセ科学のはびこりには、著者だけの責任ではない。著者の言うことを、よく考えもしないで真に受ける私たち一般国民にも責任がある。

 となれば、こうも言える。

 出版界にとって、ニセ科学は、この大不況の中、絶好のビジネス・チャンスなのだ。

 わかりやすく、イイ話はこわい。2009.07.18

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事実は伝えたが、知りたい真実がない ひとり老後のウソはなぜなくならないか

 NHKともあろうものが…、とついつい言いたくなる似たような番組が今週は続いた。

 ひとつは、鋭い問題意識で語りかける勉強熱心なキャスターが売りの「クローズアップ現代」。7月13日の放送は

 「ひとり老後も安心の住まい」

 もうひとつは、7月16日放送のシリーズ「ヒューマン・ドキュメンタリー」。新聞タイトルは

 「人生の最後を過ごす家/がんや認知症と向き合う日々/生まれる絆家族の思い」

となっている。いずれも、ひとり老後の最後をどう看取るか、という深刻な問題を扱っている。それだけに視聴率も高いし、期待も大きい。それなのに、視聴者が本当に知りたい真実がない。ただ、ただ、笑顔と、よかった、よかったという安直な内容。そこには何の問題もないかのような番組の進め方。いや、あるのだけれども、それは、問題があまりに深刻で、解決が難しい故に、こっそり素通りする。知りたい真実をこっその隠す。放送された映像は事実ではあるが、どこかにウソがある。

 そんなことを敏感に感じたのであろう、7月17日付朝日新聞朝刊「はがき通信」に視聴者からの反響が掲載されている。先の「クローズアップ現代」について、一部引用するとこうだ。

 「高齢者が助け合いながら、若者にエネルギーをもらい、地域のサポートを得て(寂しさや不安の解消が)可能になった。これからの住まい方として注目していきたいが、問題点や課題点も取り上げて欲しい」(主婦・61歳)

 あまりに、話がうますぎるので、ほんとかしら、なにか問題点があり、それをこっそり落として、うまい話ばかり紹介したのではないかしら、と素朴な疑問、というか、鋭い疑問をこの主婦は感じたことがうかがえる。うまい話には気をつけろ、というわけだ。ゲスト出演者はともすると、耳に入りやすい心地よい話ばかりをしたがる。困っていることは、なるべく知らんぷりしたい。当然である。そんな場合、キャスターが視聴者の聞きたいことをズバリ、斬りこんで聞き出すことが求められる。この番組のキャスターはこの点で、放送前に勉強しているはずなのに、そしてそれがこの番組の売りなのに、視聴者からはがゆい思いを抱かせてしまったようだ。

 なぜ、そうなったか。それは、ひとり老後の安心住まいという、身近であり、しかも深刻な、それでいて解決がきわめて困難なテーマであることから、視聴者が納得するうまい解決策がないからだ。問題点を指摘すれば、視聴者から、番組の事例がきわめて稀な事例であり、とても参考にならないと思われてしまう。それは避けたい。放送側としては、放送した事例は、どこでもできることなのだということを強調したい。そこにウソがどうしてもまじる。その結果は、単にウソだけにとどまらず、解決すべき問題から視聴者の目をそらしてしまうという危険がある。これは放送側にとって不本意であろう。しかし、繰り返すようだが、一見、こうしたウソは仕方のない罪の軽いウソと思いがちだ。が、実は、放送する側の制作意図をも知らず知らずのうちに踏みにじる怖いウソなのである。自戒を込めて、あえてこのことを指摘しておきたい。

 このことは、上記の「ヒューマン・ドキュメンタリー」にも当てはまる。いいな、いいなの連続であり、そのためにその背後にある深刻な問題を覆い隠してしまった。映像出演者の自己満足に終わっている。映像に映っている笑顔の出演者がかかえる深刻な問題が覆い隠されてしまっている。すべては万々歳ではないはずだ。そこに斬りこむ、メスを入れなければ、ドキュメンタリーとは言えない。「家族に乾杯」ではあっても、ドキュメンタリーではない。その意味で、悪気がない分、言葉は悪いが「悪質」である。そのことを直感的に感じて、視聴者の多くは、きっと「問題点や、解決しなければならない課題を具体的に取り上げて欲しい」と思ったことだろう。わたしも期待していただけに、その同じ気持ちである。

 「生まれる絆家族の願い」で、ひとり老後の現実の厳しさをごまかしてはならない。このことを思い知るには、一年後に、もう一度、番組に出てくる施設(かあさんの家)を再取材してみれば、わかるだろう。その意味で、再取材を元にした、

 それからの「かあさんの家」

に期待する。宮崎市のNPO法人ホームホスピスが運営する「かあさんの家」で、幸せの看取りがほかの入所者にも広がっているだろうか。運営に立ちはだかる問題点は何か。これからの課題は何か。全国に広がるには何が足りないのか。ここに斬りこんで欲しい。そこから、一人老後という深刻な問題の、どこででも可能な具体的な解決口が見いだされてくるだろう。2009.07.17

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しつこいが、「赤い糸」の科学って何?

 天下の朝日が…、と言ったら失礼だが、ある全国紙の朝刊広告に

 『脳は0.1秒で恋をする 「赤い糸」の科学』

というのが掲載されていた。著者は、茂…、と書こうと思ったが、またまた、そして、わざわざ書くのもうんざりなので省略する。表紙だけ見て、あれこれ言うのも失礼だと思って、冒頭の部分も開いたら、なんと、いきなり

 恋愛は科学である

と、赤々の太字が目に飛び込んでくる。これでは、科学者が怒る前に、科学に弱いと思っている女性も怒るだろう。追いかけるように、自信たっぷりに

 恋愛に科学のスパイスをふりかける

というのには、あきれた。科学のスパイスとは何だろう。ひょっとすると、ニセ科学のことだろうか。それならわかる。とても、全部読む気にはならなかった。ひどい。

 それでも勇気を奮い起こして、ぱらぱら読んでいたら、表題の「恋愛は0.1秒―」の意味に相当する見出しが跳びこんできた。先生曰く

 通りすがりの異性を一瞬で計算する脳

というわけである。

 科学を装った科学本。これをニセ科学という。ニセ科学はビジネスである。2009.07.17 

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体温を上げるとなぜ健康になるか 湯船の健康法

 健康ブームということで、いろいろな健康法が広告に出ている。しかし、なかなか

 いゃー、これは簡単。三日坊主のぼくにもできそうだ

というのは、ない。しかも、信頼できそうだというのは、なおさら、少ない。そんな中、確かにこれはできそうだ、という最新刊を最近の地方紙の広告で見つけた。早速、本やで内容を確かめてみたが、医学や医療も担当する科学ジャーナリストの小生にも、なるほどと感心した。それは、

『体温を上げると健康になる』(齋藤真嗣、サンマーク出版)

 売れているらしいが、著者は、米国・EU・日本で認定されたアンチエイジング専門医。最近、米NY州マンハッタン5番街にクリニックを開院したと奥付にある。

 体温アップ健康法とは、簡単に言ってしまえば

 1日、1回、体温を1度上げよ

ということに尽きる。そのためには、夜帰宅したら、風呂を沸かし、湯船につかりなさい、ということだ。湯船の温度は41度くらいにする(同書では「必ず41度に設定する」となっている)。体温を平熱(36.5度)から1度上げると、免疫力がなんと、50%から600%もアップするという。逆に1度下げれば、30%も低下するという。湯船につかれば、血管が開き、ストレス解消にもなるので、さらに免疫力が向上する。35度台の低体温の人は、ぜひ、やってみるといいという。

 どうして、体温を上げると免疫力が上がるのか。同書によると、体温が上がると、白血球数は増えないものの、侵入してきた細菌やウイルスを駆逐する個々の白血球の機能が向上するとともに、侵入細菌やウイルスに対する感応度が高まる。加えて、体温が上がると血流が早くなり、応援の白血球の到着が早まり、治癒力が向上するという。つまり、三重の相乗効果があり、体温と免疫力との間に、単純な比例関係ではないことになる。1度下げると免疫力は30%降下するが、逆に1度上げると、50-600%もアップするという効果が出てくるというわけだ。分かりやすい説明である。

 体温を上げるには、風呂だけでなく、筋肉を動かす朝のウォーキングもいいらしい。筋肉を動かすと、筋肉から熱が発生するので、結果的に体温が上がる。これが極端な発熱となると、熱中症になるから要注意だ。だから、1日1回、せいぜい1度くらい高めるのが健康法のコツなのだろう。それが夜の湯船であり、朝ウォーキングである。

 このほか、老化防止には体温を上げるのが一番

なども気に入った。老化は免疫力の低下が原因である場合が多いからだろう。

 以上は、まがりなりにも健康である場合の話。脳に重大な障害を受けたような場合、患者の体温を31度から33度くらいに下げて、代謝活動を抑え、脳への負担を減らす。このことで、障害の進行を遅らせて、その間に治療を行い蘇生させたり、後遺症を最小限に抑えるという脳低体温療法がある。これなども、体温を上げると健康になるという健康法の逆応用と言えるだろう。

 一読をすすめたい。2009.07.17

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こちらもやはり登場した「霊長類考古学」 

 こちらも、いずれは新しい学問分野として提唱されるであろうという思っていた。7月16日付毎日新聞朝刊に

 人間以外にも文化 「霊長類考古学」 石器使用を比較検討

という囲み記事が掲載されている。「京都大霊長類研究所の松沢哲郎所長ら国際的に活躍している国内外の研究者グループ18人が16日発行の英科学誌「ネイチャー」で、考古学と霊長類学を融合させた新たな研究分野「霊長類考古学」を提唱した。『人間を含めた霊長類の過去と現在の遺物を検証し、その文化と歴史を知る学問』と定義付け、霊長類学と考古学の双方に資することを目指している。」

 と記事は伝えている。近年、野生のチンパンジーが石器を使って、堅い殻の中にある木の実を、石で殻をたたきわることにより、中の木の実を取り出す様子が映像でとらえられるようになった。しかも、それが、子にも伝わっていく様子が映しだされている。つまり、チンパンジーやゴリラにも、道具の使い方という文化が親から子へ、また、ほかのチンパンジーにも伝えられる。このことからサル社会全体に道具づくりやその使い方という文化が広がっていくことが推測されている。こうした背景から、今回、新しい学問分野が提唱されたのであろう。

 ただ、そうした文化を考古学として遺物から検証していく場合、難しい面もある。

 その実例が、なんと、7月16日付静岡新聞夕刊に載っていた。

 浜松動物園 ゴリラのショウ、栓開けゴクゴク ボトルで飲むと格別 !?

として、ゴリラが特製ペットボトルに入った飲料を飲むカラー写真が掲載されている。記事によると「最近は飲んだあと一服後、栓とペットボトルを返しに来るようになった」という。これは実に驚くべき事実だ。また、飲みたいという意思表示であるからであり、人間の子どもでもこうしたことをするのは、2、3歳ぐらいになってからだろう。

 問題は、どのようにしてこれを覚えたか、ということである。記事によると、「ある日、職員が目の前で栓の開け方を実演してからペットボトル飲料を与えると、1カ月ほどで「マスター」したという」。このゴリラはオスの33歳という。

 しかし、よく考えると、こうした文化は遺跡として残らないから、新しい霊長類考古学でも実証するのはきわめて難しいだろう。

 とにかく、やわらかい記事の夕刊には、時々、驚くべき記事がでる。夕刊が毎日、楽しみである。2009.07.16 

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やはり登場した「ステルス戦闘艦」 いずれはステルス空母も?

 いつか、いや、そう遠くない将来、きっと登場するであろうと思っていた。湾岸戦争のときに、実戦に使われた攻撃用ステルス機や、最近の本格的な最新鋭ステルス戦闘機F22の艦船版である。7月16日付産経新聞1面に

 これが米の次世代戦闘艦

という見出しの上に、「ステルス性が高くレーダーにも捕捉されにくい三胴船」のカラー写真が載っている。全長127メートル、2800トン。最高速度は、なんと時速80キロというから、鉄道で言えば、「特急」並みの速さだ。それでいて、三胴船だからか浅瀬でも安定して航行できるという。形も、通常のイメージの戦闘艦、戦艦とは似ても似つかない奇っ怪な艦船。たとえて言えば、このステルス戦闘艦の船首が異常に細く尖っていて、長く前に伸びている。全長の半分くらいある。普通は、甲板から水面に向かってすぼまっているのに、こちらのステルス戦闘艦は、逆に、甲板から下に向かってすそ拡がりになっている。ステルス性を持たせるために、こんな形になったのであろう。船尾には、ヘリも離着艦できるようになっている。この戦闘艦の全体の印象は、水面を這うように素早く移動する長い角を持ったゲンゴロウというものだ。

 こんなカラー写真は、産経新聞ならではの掲載だが、この写真を見ながら、それこそ、いつの日か、レーダーに捕捉されにくい

 ステルス原子力空母

も登場するであろうと確信した。この登場はもはや時間の問題だろう。そして、この空母には、数百機のステルス戦闘機が積載されている。しかも、その戦闘機には、人間のパイロットは乗っていない。すべて、パイロットは自動操縦で、自走するロボット。危険な最前線は、昔は傭兵の外人部隊、将来はロボットになるだろう。米陸軍は、自ら判断しながら、自走するロボット戦車などの兵器の開発が真っ盛りである。

 今、戦闘兵器に革命が起こっている。戦争では、戦場に、あるいは前線に人間はいない。第二次世界大戦で活躍したレーダーに代わって、ステルス性を無力にする革命的な探知機器の開発も進んでいることだろう。新聞のカラー写真から、そんなことを空想した。さらに言えば、

 東西冷戦時代に考えられたような全面核戦争はたぶん、今後も起こらないだろう。人間には英知があるからだ。人間はそれほど愚かではない。しかし、核戦争がない分、通常兵器による戦争はますます先鋭化し、かつ、高度化するものの、なくなることはないだろう。

 戦争のない世界はすばらしい。しかし、それは幻想なのだ。戦争のない世界が幻想であるところに人間の英知の限界があると言えまいか。戦争のある世界、それが人間らしい世界なのだろう。これは言い過ぎだろうか。2009.07.16 

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政権交代の脳科学 ああ、「週刊ポスト」よ

 どんなことでもこれさえあれば、解決、あるいは解釈可能であるという理論があるという。脳科学である。ところが、科学と名が付くためには、それが反証可能でなければならない。こういうことは起こりえないという出来事を提示できることが、そして、起こり得ないことが多くあればあるほど、優れた理論なのである。

 ところが、脳科学はどんなことでも、いとも簡単に出来事を説明できる。それはそうだ、どんな出来事も人間の脳にまったく無関係ではありえないからだ。たとえば、「週刊ポスト」2009.07.24号の

 脳のトリセツ 第三回 政権交代の脳科学 茂木健一郎氏

という「新連載 ! 人気脳科学者のサイエンス・エッセイ」である。「トリセツ」とは「取扱説明書」の略であろう。このネーミングはなかなか現代風であり、うまい。きっと切れ者の編集者がつけたものであろう。感心する。問題は中身である。

 「与党と野党-異なる立場を交互に経験してこそ、人間の脳はその潜在能力を最大限に発揮できるのである。」

というのがエッセイの趣旨。この程度のことを言うのに脳科学を登場させなければならないというのはちと、情けない。単なる常識である。

 「日本人は、人間の脳は変わることができるという真理を知らないままでいるのかもしれない。自分自身の脳が変化するその潜在的な可能性にも、気付いていないのかもしれない。」

とした上で、

「政権交代の脳科学。どちらが正しいからではなく、交代すること自体に意味がある。」と乱暴に結論付けている。脳科学とは、こんなにすばらしいことを結論付けている、と感心する読者は、おそらく一人もいないであろう。脳科学者とは、こんなにも幼稚と感じた人は多いのではないか。学者だもの、それは仕方がないというところだ。

 脳科学は、いまや「ノー」科学に成り下がった。本物の脳科学者はこの事態に、黙っていていいのだろうか。学問の冒涜と考えないのだろうか。

 日本の科学者の良心はどこに行ってしまったのだろう。科学者とはどうあるべきか、そんな「トリセツ」が今、必要なように思うのは、科学ジャーナリストの私一人ではないと信じたい。あまりにひどいではないか。

 われらが「週刊ポスト」よ、しっかりせい。2009.07.15

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カラス、なぜ「ハロー」。カラスの勝手でしょう、のびっくり

 カラスは賢い。そんな話は、このブログでもいくつか紹介した。しかし、英語を話すことができるとは知らなかった。7月14日中日新聞夕刊に

 国際派カラス「ハロー」 日比谷公園に出現/ものまね遊びから進化?

という記事である。「ハロー、ハロー」と、なんと英語をしゃべるカラスがいるというのだ。さすがは、大東京のど真ん中の日比谷公園であると感心した。

 カラスはオウムのようにしゃべるか

ということを話題にしている。普段はカーカーと鳴くのだけれども、何かの拍子に「ハロー」となるという。カラスに詳しいグループ代表は、餌に不自由しないから遊ぶ余裕もある、という見方をしている。ものまねの遊び時間があり、そんな中から「ハロー」も出てきたのではないか、というのだ。宇都宮大学農学部の杉田昭栄教授は

「人間と同じで、(カラスも)パンのみにて生きているわけではない。これは進化の過程の一こま」

と記事は、コメントさせている。それと、カラスは、人間のように、声帯にほかの鳥よりも多くの種類の筋肉があり、これがこうした発声を容易にしているらしい。

 それにしても、カラスの「ハロー」には驚いた。カラスの勝手でしょう、のびっくりだ。2009.07.15

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空飛ぶオタマ異聞 衆院解散へ騒々しい世の中だが…

 都議選で与党(自民・公明)過半数割れ、民主党躍進で、一気に政局は解散総選挙に動き出し始めた。

 7月21日に解散、投票日は8月30日。とすると、公示日は、旧盆明けの8月18日?

というニュースが流れている。さらに「脳死は人の死」とする臓器移植法改正A案が、そのまま参院で可決、成立した。これまでの臓器提供の検証や、提供者家族の声や、死に直面している看取りなどの数々の問題点を残したまま、移植賛成派が押し切った。「鎮魂の8月」を迎えるというのに、まったく暑く、騒々しい夏になりそうだ。

 そんな中、のんびりとした話が、7月13日付産経新聞朝刊「オピニオン」欄「ソロモンの頭巾」に載っている。

 空からオタマが降るわけは

と題して、長辻象平氏が、蘊蓄(うんちく)を傾けている。世の中にはすごい物知りがいるものだと感心した。古今東西の魚など奇妙なものが降ってくる記録を丹念に詳述している。

 「龍は漁蝦(ぎょか)を巻いて雨とともに落ち」

というのがあるという。中国・北宋の文人官僚、蘇拭(偏は「車」)の「連雨江脹二首」の詩だという(脹の偏には、さんずい有り)。漁蝦とは、魚とエビであり、魚類の総称らしい。龍は竜巻のことであろう。日本でもいろいろあることがこのエッセーに紹介されている。

 「米ニューヨーク自然史博物館の『ナチュラル・ヒストリー』誌に魚類学者のE.ガジャーが、「魚の雨」と題する論文を発表している。1921年のことだ」

とも書いている。この論文では、古今の44事例が紹介されているという。なんとも、すごい論文だ。ガジャー氏は竜巻説を採用しているらしい。ともかく、機会があったら、読んでみたい研究だ。

 オタマジャクシの雨については、

 『カエルや魚が降ってくる!』(新潮社、1997年)

にも載っているという。いやはや、長辻氏の博学には、驚くばかりだ。せめて、新潮社の本ぐらいは読んでからでないと、

 空飛ぶオタマ

について、あれこれ主張したり、もっともらしい仮説を立てて解説したりするのは慎まなければならないかもしれない。騒ぎから1カ月以上たつが、

 空飛ぶオタマの謎は、科学的にみて、奥が深い。2009.07.13

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脳科学ブームまたは脳ニセ科学ブーム 

 昨今の脳本ブームは、科学とはほとんど無縁の代物とこれまで書いてきたが、こんな思いは科学ジャーナリストの小生だけでなく、本職の大学教授もにがにがしく思っていることがわかった。日曜日付の読書欄、7月12日付静岡新聞に

 「つながる脳」(NTT出版) 脳科学の「壁」に新展望

として、立教大学の河野哲也教授が書いている。出だしを少し紹介すると、こうだ。

 「脳科学ブームである。しかし、とても科学的とは言えない飛躍した主張に満ちていると、まゆつばして眺めている方も多いはずだ。そんな脳科学嫌いの読者にもぜひ薦めたいのが本書(「つながる脳」のこと)である。」

 なぜ、薦めるかというと、第一に、現状の脳科学の限界と問題点をはっきりと認め、それに向かい合っている点である、と指摘している。氾濫する、書き殴ったような最近の脳本にこの真摯な態度がなく、ただ、ただ、売らんなかの商売として出版している。これらの本は、河野氏が言うように「不確かな仮説、社会の過剰な期待、倫理的課題など、脳科学に立ちはだかるさまざまな「壁」」については、知らんぷりして、やたら、あやふやな仮説をあたかも真理であるかのように書き散らしている。ニセ科学と大して変わらないあこぎな本があまりに多い。

 この点、評者の河野氏は「つながる脳」の著者は、脳測定装置のエンジニアとして優れている、これまで脳科学が扱えなかった社会適応やコミュニケーションの「過程」を研究対象にしている-などで優れていると河野氏は指摘する。鋭い指摘である。

 自分の脳を使え。タレントのようなニセ脳学者を疑え。いかさま本にだまされるな。「学ぶ冒険」とはこのことだ。2009.07.12

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Knowing 知らないでいることの幸せ

 誰でも一度は透明人間になりたい、未来について予知能力があれば大もうけができるのにと思ったことがあるだろう。しかし、ニコラス・ケイジ主演のこの最新映画、

 「ノウイング(予知能力)」

を見て、つくづく、未来を知ることができない、その幸せを強く感じた。人間は未来なんてものがどうなるか、知らない。そのことがいかに幸せか、この映画は語りかけてきたように見終わって感じた。地球消滅を知って、いまさら人間はどうする。逃げ場なんてない。ならば、死の瞬間まで知らないほうがいい。

 人間、明日がどうなるか、知らないから生きていける。楽しみもある。希望も出てくる。知れば、絶望だけが残るだろう。人間は、未来を予知することはできない。しかし、過去に対しても、未来に対しても思いを馳せることはできる。それは一つの可能性としてであり、確実な予知ではない。未来は決まっていない。決めるのは現在の自分だという信念こそ、人間に希望を与える。神というものがいるとしたなら、神はなんと絶妙な配慮を人間に対して行ったのだろうと感謝したい気持ちだ。

 映画の最後では、宇宙船が下りてきて、選ばれた男女二人と、つがいのウサギ2匹が地球消滅に先立って助けられる。そして、別の星で、復活する。つまり、アダムとイブである。そう考えると、宇宙船とは

 現代の箱舟

ということになる。

 それはともかく、主演のニコラス・ケイジの演技をしばらくぶりで見た。見たが、やや失望した。かつての映画、

 「月の輝く夜に」

のときのような初々しさがすっかり消えていた。あのときのパン職人、ロニー役を見事に演じていた。満月は人を狂わせる。月の魔力を背景に、再婚を決意した女性が婚約者の弟(ケイジ)と恋に落ちるという役をユーモラスに、そしてみごとに演じていた。

 こんなことを、見終わった映画館の近くの洒落た小さなスタンドバー「ASK」のカウンターでマンハッタンのカクテルを飲みながら思いをめぐらせた。

 繰り返すが、予知能力は不幸である。

そんなことを知っただけでも幸せな、そしてすばらしき土曜日であった。2009.07.11

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政治と科学2 上昇2度以内、合意重い

 案の定、G8の先進国の温暖化対策に対して、中国やインドなど新興国との対立が解けないまま、温室効果ガス排出削減の長期目標設定は、頓挫した。

 しかし、先進国と途上国の間で初めて、重要なことで合意があった。共同通信はそれを次のように書いている。

 「ただ、新興国も含めて、産業革命以来の気温上昇を2度以内に抑えることの重要性の認識で一致した。温暖化の抑制で温度の上限が設定された意義は大きい。温暖化対策の国際交渉の指針になる数値の1つとして生き残るだろう。」

というのだ。

 新興国も含めて、産業革命以来の気温の上昇を2度以内に抑える

というのは極めて重い合意である。排出量がどのようなプロセスになろうと、結果として、この数値になるようにすれば、よいのだから、この結果は今後のひとつの基準になるだろう。

 2度以内という意味は、2050年にこの状態を保っている場合とするならば、具体的にはIPCC第四次報告書によると、持続発展型社会モデルのカーブに近いことだ。目指すべき目標は一応、理にかなっている。少なくとも破滅的ではない。しかし、これをいかに実現するかというと、途上国はその責任は先進国にあるとし、先進国は中国、インドなど主な排出国も参加する形で取り組まなければ意味がないとして対立している。

 科学的な知見から生まれた地球温暖化問題ではあるが、それは決して中立であり、政治には無縁とはいえない状態となっている。それぞれの立場によって、国益を守るために異なる意見になる。それでも、共倒れの破滅だけは避けたいという認識があることが、先進国と途上国との間のこの合意はよく示している。2009.07.10

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科学と政治 温暖化とG8

 9日付の各紙夕刊は、余震が続くなど、地震の恐怖がいまだ冷めやらぬイタリア・ラクイラでわざわざ開催されている首脳会議の成果を伝えている。

 G8首脳宣言/先進国、温室ガス80%減/気温上昇2度以下/途上国との協議難航

 静岡新聞夕刊の見出しだが、「2050年までに世界全体の温室効果ガス(排出)を少なくとも50%削減、先進国全体では80%以上削減するとの長期目標を掲げ、先進国として温暖化対策に率先して取り組む姿勢を示した。『産業革命以来の気温上昇を2度以下にする』ことの重要性にも初めて言及した」

 2050年には、G8のいずれの首脳ももうこの世にはいないだろうからか、「50%削減」の基準年もかなりあいまいな幅のあるものにしたまま、こんないい加減なことを平気で言えるのだろうと、皮肉のひとつも言いたくなる。

 ところが、9日付朝日新聞夕刊1面を見ると、

 「先進国80%削減」盛る/温室ガス 気温上昇は2度以内

として、見出しには明記されていないが、

 「測定量を測定する基準にする年について、京都議定書は1990年としていたが、首脳宣言は日本などの主張で『90年またはより最近の複数年の年」とした」

と、静岡新聞よりはわかりやすく、宣言のあいまいな基準年についてきちんと書いていた。感心した。同時に、

 「2度以内」の意味

についても、

 「今回打ち出した『気温上昇を2度以内に抑制」のためには、先進国全体で『20年に90年比25~40%減』『50年に80~95%減』が必要とされる。ともに、日本が掲げる目標より厳しい」

と具体的に記述している。日本の約束は「20年に90年比15%減」だからだ。宣言くらいに排出削減をしないと、大気中の二酸化炭素濃度を現行より引き下げることができないというのは、大変なことである。こうした深刻な科学的な知見に比べて、首脳宣言は「すべての主要排出国が責任ある形で参加することの重要性」をうたって、中国やインドの積極的な参加を間接的に言及してはいるものの、首脳の温暖化に伴う認識はいかにも低いし、鈍い。2009.07.09

  

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29歳、肺がん死 余命半年の花嫁の悲歎

 びっくりするようなニュースが携帯に流れていた。モデルで歌手の勝野七美さんが、結婚間もない29歳で肺がん死したというのだ。せきが出る。おかしいというので、今年2月に病院で診察を受けたら肺がん。タバコは吸わなかったというから、遺族としてはさぞや無念であろう。余命半年の花嫁という本当の話である。

 統計的には、タバコの喫煙習慣がある人は、吸わない人に比べて、肺がんになる高いリスクがあることはよく知られている。しかし、吸わないから、肺がん死のリスクはないというわけではない。がんは一般に生活習慣と関係が深いが、若い人の場合、一般には、がんになりにくい。しかし、全然がん死がないというわけではないというのが、今回の勝野さんの悲劇は示している。

 がん制圧が21世紀中には達成しないというくらいに、がん研究は難しいと言われている。このことを改めて思い知らされた勝野さんの死である。2009.07.08

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地上に降る「天の川」 私の脳活性化法

 久しぶりに、金沢から元職場の若い友人が浜松に訪ねてきてくれた。明日は七夕というわけでもないが、仕事を早めに切り上げて、行きつけの赤ちょうちん「串善」でワイワイと楽しんだ。七夕のせいか、とてもリラックスした気分になった。もう一軒ということで、近くの洒落たスタンド・バーに出掛けた。そこをでると、ふと見上げると、雲間に「天の川」が地上に降るように見えた。つくづく、孔子ではないが、

 朋あり、遠方より来たる。また楽しからずや

の気分である。マンションに戻って、二人で再び、旧交を温めたころには、酔いも回って、すっかりボケそうになっていた頭が生き生きしてきた。

 脳に関する本が最近、盛んに出版されている。例えば、脳科学者と称している茂木健一郎氏がこの半年に、対談も含めて七冊もの著書を書き殴っている。JR浜松駅に入居している浜松の代表的な書店「谷島屋」の平台に並べられている新刊本をちょっと書き出してみる。いずれも茂木健一郎氏のものだ。

 『クオリア立国論』(ウェッジ)  人々が求める上質感を提供することが、ビジネスを成功させるカギとなる-。

 『脳を活かす生活術』(PHP研究所) 笑顔の人は、脳をフルに使っている !

  『脳を活かす仕事術』(PHP研究所) 「わかる」を「できる」に変える

 『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社) 人間の賢さとは何だろう。茂木史観誕生。

 対談本として、

 『教養脳を磨く !』(対談者=林望、NTT出版) 今求められているのは「総合的な脳」である

 『涙の理由』(対談者=重松清、宝島社) 小説家と脳科学社が涙について考えた

 『女脳』(対談者=矢内理絵子、講談社) ひらめきと勝負強さの秘密/女脳の潜在力に感服!

 そのほか、

 『脳を活かす勉強法 奇跡の「強化学習」』

という2008年発行のもあった。これと『脳を活かす仕事術』(2008年9月発行)を除いて、6冊はいずれも、今年2009年に入ってから発行した新刊本。

 小生のみるところ、意味のある、まともなのは『偉人たちの脳』ぐらい。あとは学者の良心とは無縁の代物という印象である。書き殴った本であり、科学を装ったニセ科学すれすれという印象を受けた。どんなテーマでも脳に結びつけられるということを巧みに利用した出版である。りっぱな経歴を持つ研究者のすることではないのではないか、と言いたくなる。

 ところが、最近の脳本ブームにあおられたのか、あの経済評論家、長谷川慶太郎氏まで対談、

 『長谷川慶太郎の「完全脳」』(2009年3月、李白社)

を急いで出している。七夕の日に、言いたくはないが、これでは気骨の人も情けない。

 こんな本を読むより、よっぽど、旧友とワイワイ、楽しく話しをする方が、脳は活性化する。七夕の恋物語ではないが、

 人に会う、これが脳活性化の基本だ。本を読んで脳が活性化するという幻想は捨てよう。特に、脳科学者と称する人の本は、売らんかな精神が旺盛で、危ない。

 そんなことを知った金沢からの気のおけない旧友の来訪だった。2009.07.07 

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ピラミッドの内部構造解明にも威力? 火山版レントゲン写真の快挙

 静岡県知事選挙の速報をみるために、日曜日(7月5日)夜、NHKスペシャル

 エジプト発掘/ ピラミッド  隠された回廊の謎

というのを見た。どうせ、これまでの考古学者の学説の焼き直しであろうと、あまり期待せずに、なにげなく見ていた。見て驚いた。今から5000年前に建造された世界最大の石造建築物「クフ王の大ピラミッド」はどのように建造されたのか、という謎に挑むフランス人建築家、ジャン・ピエール・ウーダン氏に密着して、新説を紹介していた。これまでのような考古学者の説の紹介ではない。しかも、ピラミッド研究では世界的に知られるエジプト人研究者も登場して、ウーダン氏の説にいちいちコメントしていた。なかなかユニークで有力な説として、このエジプト人研究者はウーダン氏の説に好意的であったのが印象的であった。

 ウーダン説とは、ひと言で言えば、

 最初の下三分の一は、ピラミッドに接した直線の坂道をつくり、石材の石灰岩(約2トン)を人力で引き上げる通常の石積みで建設する。それから上の三分の二については、坂が急勾配、あるいは緩やかなものにすると長大な坂道になり使えない。そこで、ピラミッド内部に回廊型の緩やかなのぼりのトンネルを造り、そこを利用して成形した石材を人力で引き上げ、方向転換しながら、次第に積み上げて建造した」という内部回廊説

である。完成後は、この頂上まで続く回廊型トンネルは痕跡が残らないように石材でおおむね埋めた。番組では、この説の根拠について紹介していた。ある最近の調査隊がピラミッド内部の重力異常について調べたところ、回廊らしい空隙が頂上まで続いているらしいことを報告していたという。この調査隊の報告書(論文)では、それが、石材を運ぶ回廊であるとまでは言及していないことから、ウーダン説は俄然、あり得る新説として真実味を帯びてくる。エジプト人研究者はウーダン氏の説を裏付ける実例として、今は破壊されている別のビラミッドに案内、そこに回廊らしい跡があることを示していた。

 クフ王のピラミッドのかなり上部の角に、回廊の跡らしい穴が開いている。この穴が回廊の方向を転換する場所の露出部分にあたるとして、実際に許可を取って、エジプト人研究者がそこに登り、写真を撮っていた。確かにトンネル回廊の跡らしい。ただ、一部石でふさがれており、今後の調査が望まれる。

 第二の謎として、王の棺の間の天井などに使われた1個の重さ60トンもの石数十個をどのように引き上げたのか、という謎に挑んでいた。これは人間が引いたのでは、千人ぐらい必要で、とても、回廊トンネルでは運べない。第一、角に来たときに、直角に方向転換するターンがとてもできない。細長い直方体だからだ。

 そこで、ウーダン氏は、王の棺につながる急な大階段は、実は、現代のエレベーターの釣り合い重りの上下移動用だったと説明する。これを使えば、100人程度で引っ張り上げることができるという。その証拠として、大回廊の側面には、上下移動のためについた無数の傷痕がある、そこには、すべりをよくする潤滑油をかけた跡が今も残っている-などを挙げていた(当時、こうした潤滑油があったことは、壁画にその様子が描写されていることも示していた)。ただ、当時の植物性ロープでそんなことが可能かどうか、ウーダン氏は、シュミレーション専門会社に依頼し、可能であることを確かめている。なかなかウーダン氏は周到である。つまり、当時(今から5000年前 ! )すでに、滑車の原理を実用化していたのだ。こうした知恵はおそらく、数千年の歴史のなかから生まれ、実地に活用されていたものであろう。その意味で、エジプト文明は5000年以上かなり前から高度に発達していたと想像それる。

 以上の話を大変に興味深く見たが、内部に回廊型トンネルがあるかどうか、確証するには、重力異常だけでは心もとない。もっと直接的な方法はないか、と思っていたら、なんと、7月4日付毎日新聞夕刊の1面に

 火山版 ! レントゲン 世界初 宇宙線利用し成功

という記事を見つけた。宇宙線ミュー粒子を使ったもので、東京大学地震研究所の田中宏幸特任助教(高エネルギー地球科学)の研究チームが成功した。火山の内部のマグマの動きが画像でとらえられたことから、噴火災害に役立てるようだ。しかし、応用は広く、ピラミッド内部のレントゲン写真にも利用可能だろう。

 番組終了後、そんなことをあれこれ考えていたら、新しい静岡県知事に民主党推薦の

 川勝平太氏が「当選確実」

とテロップが流れた。2009.07.06

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波動は科学か ? オカルトか  

  今日7月5日付静岡新聞の1面トップは

 知事選きょう投開票/ 政局に影響も/ 深夜には大勢判明

であるのは、当然である。立候補者と主な公約が載っている。保守王国、静岡県が大きく変わるかどうか、県民の審判が下る。同紙社説でも

 かつてなく重い1票だ

と主張し、その理由を縷々説明して、投票を呼びかけている。静岡県知事選挙では、過去10回いずれも低調に推移している。同紙によると、この20年を見てみると、

 前回(2005年7月)=44.5%/ 前々回(2001年7月)=62.2%/ その前の

 1997年7月=41.6%

  1993年8月=35.1%(前知事の石川嘉延知事初当選)

  1990年6月=42.8%

となっている。前々回を除くと、有権者の半分も投票所に足を運んでいない。こんな状態で知事を選んでいる。民主主義の国なのだから、少なくとも有権者の過半数が投票した上で、その中の比較第1位の候補者が知事に選ばれるのが自然な形であろう。全国的にも、国政であろうと地方選挙であろうと、過半数の60%の投票率に届くことはそう多くはない。むしろ少ないほうだろう。その意味で、今回、全国的にも注目されているのだから、

 静岡県民の民度が問われている知事選

でもある。少なくとも投票率は60%は超えてほしいものだ。天気も全県的にはおおむね「曇り」なのだから、投票しやすい状況だ。

 保守王国、静岡県にどんな変化、波動が起きるのか、注目したい。

 ところで、この「知事選きょう投開票」の紙面の真下(コラム「大自在」の下)に、ちょっと気になる書籍の新刊案内広告(メタモル出版)が出ている。

 ベストセラー 波動は科学か ? オカルトか/ 「最新刊」波動を使って人生を大きく変える ! 

 「現実に効果(変化)があるものを なぜ簡単に否定してしまうのだろうか? 人生を変えたいなら、波動で人生を変えればいい。」という解説が、一段小さな活字でなされている。「あなたの波動力チェック・シート付き」である。

 この広告には、このほか、

 神か? 波動か? / 波動による分析・改善で運気は飛躍的にあがる !

  霊障も運気も科学する未来波動学/ 波動を知ると、成功する。幸せになれる。

という書籍も紹介している。もちろん、著者名も書かれている。大方の血液型性格判断は、科学的とか、科学するという表現を使っていない。それはそれでいい。科学をうたい文句にしていないのだから、ニセ科学の範疇ではない。

 しかし、この広告をみるかぎり、未来波動学なるものがどういうものかは小生にはわからないし、知らないが、はっきり「科学する」としているのが気になる。波動というような物理学の用語を巧みに使って、あたかも科学的であるかのように装って読者を信用させるようなこの種の本は、波動に限らず、最近多い。

 この本の著者が言うように、波動は科学か、オカルトか。ニセ科学かどうか。きちんと調べてみる必要はある。ただ、こうした本が「ベストセラー」になるのは、やはり社会のどこかに病んでいる部分があり、そのことが人の心の中に言いようのない不安感を漂わせているからだとみるべきだろう。裏を返せば、本来宗教が果たすべき問題なのに、その宗教がだらしがないことの反映でもあろう(このメタモル出版の広告は、7月6日付中日新聞(東海本社版)の1面真下にも掲載されている)。

 最近のニセ科学の隆盛は、結局、不安の時代の申し子

なのだ。

 もう一つ、この新刊案内の横には、別の出版社の書籍広告が載っている。

 「それでもあなたは、忘却のスープを飲みますか ? 飲まなければ来世でも愛する人を忘れない ! 魂の不滅と記憶の保持を徹底取材 !」として、

 生まれ変わりの村② 中国奥地 前世を記憶する村、84人の証言

が紹介されている。「ベストセラー『生まれ変わりの村』 第2弾 ! / あの世の構造について新たな証言を取材 ! / 「あの世に審判がないのを知って生きるのが楽になった」(第1巻アンケートより)

となっていて、どこにも、科学用語を使っていないし、また、科学するとか、科学的であることをうたっているわけではない。徹底取材による証言に基づいた本である。したがって、生まれ変わりの村が中国奥地にあるというのは、最近の医学的な知見や、一般的な現在の科学水準では考えにくいことではあるが、ひょっとすると本当で、新発見かもしれない。この場合は、証言=事実であったとしても、それがただちに真実とは限らないものの、科学的であるということをうたい文句にしていないのだから、ニセ科学本の範疇には属さない。読む人の受け止め方次第であり、どう解釈するかは自由だ。これが先ほどの広告とは、大きく違うところである。

 ただ、共通しているのは、ともに現代の宗教が人々の不安な気持ちに十分こたえていないという結果を反映した出版であるという事実だ。宗教者はこの事実を重く受け止めるべきであろう。 

 現代の宗教は、人々の不安感にこたえずして、どこへ行くのか。このままでは地獄へ行くのではないか。2009.07.05

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Mrs.Brain 脳科学で天才を育てるおばあちゃん、久保田カヨ子

 金曜日とあって、仕事帰りに行きつけの飲み屋でママさんと、滅多に見ないTBS系(SBS)のバラエティ番組、

 中居正広のキンスマ

を見て驚いた(7月3日)。脳科学で天才を育てるおばあちゃんとして一躍有名になった久保田カヨ子氏(くぼたのうけん主宰)が出演していた。いやはや元気で、口達者なおばあちゃん(77歳)だと感心して見ていた。もちろん、最初は、今流行のインチキ脳科学をうたった娯楽番組だと思っていた。そのうち、赤ちゃんが泣いている時間は、赤ちゃんが集中している時間であり、脳の発達を促す天才教育には欠かせない重要な時間であると指摘しているのをみて、これは本物だと気づいて、カウンターにあった紙ティッシュにメモをし始めた。それくらい説得力のある娯楽番組だった。ご丁寧に、わが子(広氏)を、開発した幼児教育法の正しさを証明する実験材料に使い、見事、東大に合格させたというのだから、偶然かもしれないが、まんざらインチキでもない。脳の発達が著しい一歳ぐらいまでが教育の勝負どころと言っていた。ここに目をつければ

 「赤ちゃんはみな天才に育てられる」

というわけだ。そのための、子どもの手と指を刺激する実践トレーニング法が紹介されていた。

 その一つが、

 どっちが好き ? と質問することだという。つまり、決断する、判断するのは、脳の中でも前頭連合野の最も重要な働きであり、この質問でこの部分を鍛えることは頭をよくする基本だというのだ。これは脳科学的には正解だ。赤ちゃんに限らず、大人の世界でも、正解のない質問に答えさせることは、いろいろ考える必要があり、脳を鍛える合理的な方法だ。脳に可塑性がある赤ちゃんの場合、大人より、効果的な成果が得られるだろう。

 疑問に思ったのは、どうしてカヨ子氏がこんなことを学んだのか、ということだった。番組で、アッと驚いたのは、このカヨ子氏の夫が、なんと、久保田競氏なのだ。大脳生理学や認知神経科学で世界的に知られる京都大名誉教授、医学博士。東大医学部卒で、京都大学霊長類研究所でサル(チンパンジー)の前頭葉の構造と機能を研究、京大教授、同研究所所長を歴任している。

 彼女がえらいのは、夫の学問に興味を持ち、たくみに自分のものにし、幼児教育に応用しようとしたことである。普通は、夫の仕事に興味を持つ妻はいない。内助の功というのはあっても、自ら、夫の学位論文作成の手伝いまですることはない。カヨ子氏はこれを手伝い、脳科学の重要な成果を教育に生かそうとしたのである。わが息子で実験して開発した教育法の正しさをまがりなりにも実証しようとしたのである。その上で、広く、社会に脳科学の成果を還元しようとした。夫のように、研究だけに成果をとどまらせておかなかったところが、えらい。

 ところで、この番組を見た次の日、土曜日(7月4日)の午前、毎週見ている「NHKアーカイブス」で、なんと、京都大学霊長類研究所の松沢哲郎教授が出演していた。研究所で、1978年から始まった「チンパンジー・アイ・プロジェクト」をすすめているサル学者である。番組としては

 チンパンジー、アイの子育て日記/9年間の記録

である。ここでも、生まれてから1年ぐらいは、母親アイのしぐさをじっと見て、マネをすることから子育てが始まっている。決して、母親アイは、教えない。ただ、アユムの前で、ひたすら繰り返し、繰り返し、やってみせる。つまり、

 教えない教育

をしている。これは、子どものアユムが自主性を発揮して、自分でもやってみようという気にさせるまで、ただ、ただ、親が目の前で、やり方をみせる。実験室でもそうだが、野生のチンパンジーでも、石で硬い殻に入った実を取り出す方法として、石の上に殻ごと乗せて、別の石で上から叩き割る。そして、中身を取り出す。こどもは、それを何回も見ていて、ついに、誰に言われるでもなく、自ら、やってみる。最初はうまくいかないが、いつかは親同様、中身を取り出せるようになる。サルの社会にも、こうして道具を使うという文化が親から子へ伝わっていくことが実証されたことを番組は視聴者に紹介していた。

 ただ、真似るから、自分ひとりで学ぶようになるのは、サルでは4-5歳(人間で言えば小学1年生くらい)。1から5までの数字を順番に示すことができるようになるのは、半年。1から9まででは、5歳半ぐらいでてきるようになる。

 ただ、驚くのは、コンピューター画面に、1から9までの数字をランダムに1秒程度一度に表示し、その後、消去。チンパンジー、アユム(5歳)に小さい方から順番にその数字のあった場所を指でタッチさせる学習をさせていた場面である。大人では完全な正解はほとんどできないが、5歳のアユムは、

 瞬間記憶

では大人の人間より優れており、少しの訓練で、かなりの確率で、1から9までの数字のあった場所を小さいものから順にすべてタッチできた。実に驚くべき能力だ。人間でも、小中学生のほうが、携帯電話の文字・数字タッチが、ほとんどブラインドタッチで早く正確なのは、このせいだろう。サルでも、人間でも、若いほど、瞬間記憶能力が高いのだ。

 番組では、アユムが8歳になった最近の様子も紹介されていた(母親アイ32歳=人間では48歳に相当)は。30年近い研究から松沢教授によると、サルには

 ねたんだり、そしったりすることはない。コンプレックスもない。絶望することもない。

ということらしい。最後に、チンパンジーから学んだ「人間の心」について、松沢教授が語っている。人間には、ねたんだり、そしったりする心がある。絶望したりもする。コンプレックスもある。しかし、チンパンジーにはどうやらそういうものはない。チンパンジーには、目の前にあるものについては、すごい記憶力を持っている。しかし、過去や未来について想像することはできないようだ。人間には、チンパンジーにはない絶望や希望という感情があるのは、過去や未来について想像する能力が人間にはあるからなのだろう。

 絶望したり、希望を抱いたり、コンプレックスを持ったりするサル。それが人間なのだ。それは、目の前のことだけではなく、想像する能力があるからこそできる。人間の特徴とは、想像することのできる能力を持っていることだと言えるだろう。2009.07.04 

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有性寿命 心が「寝たきり」にならない方法

  相変わらず、全国紙の夕刊が面白い。6月26日付朝日新聞夕刊に、シリーズ「人生の贈りもの」というのがあり、

 枯れ木老人を脱し、輝け「有性寿命」

というエッセイを、『透光の樹』で知られる小説家、高樹のぶ子さんが書いている。63歳になったのぶ子氏自身へのラブコールであろうが、還暦団塊世代の小生にもおおいに参考になった。

 平均寿命(正しくは、今年生まれた赤ちゃんが今後どれくらい長生きするかという平均余命)というのがある。これがどんどん長くなり、最近の日本人では80歳前後になっている。この手前に、

 健康寿命

というのがある。寝たきり、痴呆症などにならないで、元気に暮らしている年齢。これも最近の日本人では、70歳をこえているだろう。高樹さんは、この手前に、男である、女であるということを意識した健康な心を持った寿命

 有性寿命

というのがあるというのだ。想像するに、50代、60代は有性寿命の時代かもしれない。70代の、男でもない、女でもない、まるで枯れてしまったような健康寿命は、肉体的には健康かもしれないが、「不自然」と話す。作家、渡辺淳一が、いみじくも言ったように

 老いても恋を

というのであろう。渡辺氏は、70代になっても、有性寿命の時代に生きている。有性寿命について高樹さんは「不倫愛を薦めているわけではなく、恋心であれ、ときめきであれ、自分は男である、女であるって意識することは、すべての感性に通じるもの」と指摘する。性を意識して生きることは、(平均余命がますます長くなる高齢社会という)これからの日本の社会にとって、(心の健康を保つ上で)大事なことだと話す。つまり、ひとことで言えば、

 心が「寝たきり」になるのはやめよう

ということだろう。こうなったら、医師では治せない。自分で治すしかない。「心の寝たきり」は薬を飲まなくても、リハビリをしなくても、心がけ次第で治せる。

 小生は、この説に賛成で、

 めざせ ! 定年後、ダンス天国

を定年5年前から心がけて、社交ダンス教室の個人レッスンに週一回通った。ダンスパーティにも何回か出かけた。定年で浜松に転居、転職しても、社交ダンスは続けている。心が「寝たきり」にならないために‐。

 もう一つ、定年、転居後に始めたのは、

 高橋真梨子コンサート

にちょくちょく出かけることだ。大人の女性の魅力を楽しむためだ。中年女性ファンが多い高橋真梨子のコンサートは、還暦を迎えた小生が有性寿命を生きているかどうかを判断するバロメーターになりそうだ。先日は静岡市内でコンサートがあったが、11月にも、浜松市のアクトシティ大ホールで開かれる。もちろん、仕事はさておいて、出かけるつもりである。定年後の自由人生をうまく活用したい。2009.07.03

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科学記者は何をしていたか 足利事件「検証」から

 再審が決まった足利事件について、全国紙がこのところ大きく「検証記事」を書いている。

 6月24日付朝日新聞は、

 菅家さんはなぜ有罪とされたか

として

 裁判所の判断の根拠/自白、周辺の証言、DNA型鑑定

 弁護側の無罪主張/自白の矛楯/アリバイ/目撃証言

 朝日記者/犯行詳細に供述/まじめだが短気/スゴ腕のDNA鑑定

 と見出しを打っている。ただ、検証記事では「DNA型鑑定の信頼性を検証する記事はなかった」としている。また、DNA型が一致しない疑いがあるとして「菅家さん側が宇都宮地裁に再審請求したときの報道は社会面の「ベタ記事」だった」、「宇都宮地裁が再審請求を棄却した時も、地域面では詳述したものの、社会面では小さな記事にとどまった」

 これに対し、立教大の服部孝章教授(メディア論)は「重要なのは、異論を訴える人がいる限り、それを伝え続けることだ。それがプロとしての矜持」と強調している。

 この検証記事が掲載された日付の朝日社説/足利事件再審/誤判の検証が欠かせない

としている。この中で、「宇都宮地裁に求めたい。一審、二審、最高裁、再審請求一審の審理にあたった計14人の裁判官はなぜ間違ったのか。その答えを国民は聞きたいはずだ。そうした姿勢なしに裁判所の信頼は回復しない」と主張している。「そもそも誤判を究明する仕組みがないことも問題だ」とも書いている。最高裁、最高検、日本弁護士連合会共同による「裁判所版事故調」、いわば

 第三者的な誤判調査委員会が要る。

 現在のような

「疑わしきは、裁判所の利益に」では困る。

 朝日新聞は、この事件も含めて、6月26日付朝日新聞で

 科学報道を科学的に検証する

という社内論説委員、社内無編集員、社外識者のオピニオンを特集している。

 このオピニオンで興味があるのは、評論家の宮崎哲弥氏が

 「いまや科学は、政治や経済も含め、社会のすべての領域と深いかかわりを持つようになっている。報道する側はこの状況に対応しているのだろうか」と問題提起している。その上で「足利事件は、事件報道にも科学的な認識や知見が不可欠であることを明らかにした。政治や経済、文化も含めた記事を、必要に応じて科学記者が精査するような仕組みがいるのではないか、科学記者も、従来的な狭義の科学報道ものフィールドに閉じこもらず、積極的に領域侵犯して、さまざまな議論にかかわっていくべきだろう」「ただし、科学報道は、常に抑制的、客観的、中立的、多角的であることを意識し続けなくてはならない」ともクギをさしている。

 この指摘は、現実に実行できるかどうかは別にして、正鵠を射ている。

 読売新聞については、6月27日付で

 足利事件/DNA一致発表、疑わず 鑑定精度への言及不十分

を掲載している。この検証記事では、事件当時の紙面について、DNA型鑑定を「捜査革命と言われるほど画期的な技術」と解説していることを指摘している。一方で、国内DNA鑑定の生みの親、帝京大名誉教授の談話「鑑定だけを決め手にするのではなく、他の物証の支えとして利用する方がいいのではないか」と指摘していたことも紹介している。

 しかし、記事では、指紋なみ捜査革命とプラス評価だけを強調したため、精度は100%ではないという事実を十分読者に印象付けられなかったと問題点を指摘している。

 同時に、菅家について、

 逮捕時、逮捕後に「ロリコン趣味の45歳」などの見出しや記事があった。つまり、菅家さんが犯人である直接証拠ではないが、間接証拠(状況証拠)として記事化している。

 その一方で、「機会がある度に、逮捕当時のDNA鑑定に問題があるとの弁護側の指摘を記事にしている」とも書いているとした。

 読売の検証記事も、朝日新聞同様、「報道では導入されたばかりのDNA鑑定への過大評価があった」と結論づけている。さらに、メデイア倫理に詳しい大石泰彦青山学院大教授(メデイア・倫理法制)の談話として「今後、裁判員制度で裁判員が何らかの形で報道の影響を受けることも考えられる。報道機関として事件報道、犯罪報道を自ら(裁判中であっても)検証しようという姿勢がますます求められる」と掲載している。

 裁判前、裁判中、一審後に独自の事件検証はやはり、必要だろう。客観報道を意識するあまり、現在のように、独自の調査報道を過度に抑制する姿勢は見直す必要がある。いかに情報の過度な捜査機関依存から抜け出すか、独自調査とのバランスが課題だ。

 なお、読売新聞では、この検証記事が出る前に、6月25日付で社説

 捜査、裁判を徹底検証せよ

という主張を掲げている。冒頭、「なぜ、捜査当局が白旗を掲げる事態になったのか。裁判所はチェックできなかったのか。徹底した検証が必要である」と書いている。

 毎日新聞は、6月11日付で検証記事を掲載している。

 事件報道、重い課題 「犯人」前提の表現も

 この場合の重い課題とは、事件報道と人権との兼ね合いのことである。

 検証記事では、DNA鑑定について「科学捜査時代を象徴する事件」と位置づけていたとしている。一方、「当時のDNA鑑定について『100%の個人識別はできない』とも指摘した」としている。しかしながら、捜査幹部の話に依存し、結果として、「『真犯人は菅家容疑者』を前提もに報道を続け、疑問をはさむ記事はなかった」。逮捕後には「犯人であることを前提にしたような報道があった」(例えば、「心の亀裂に病理が潜んでいるようだ」というような行きすぎた憶測的な心理描写)。検証記事は、「取材班は、当時のDNA鑑定の証拠能力を過信し、容疑者特定の決め手ととらえていた。精度をめぐる議論は十分ではなかった」と反省点を挙げて、結んでいる。

 さらに、捜査段階の供述報道は伝聞に基づくものであるにもかかわらず、「供述について、情報の出所を明らかにしないまま断定的な表記をしていること、容疑者を犯人視するような表現が目立つこと-などの問題点がありました」として、改善点を挙げている。前者については、「確定した事実と受け取られないよう表現に留意する」としている。後者については、予断を与えないために、「容疑者をおとしめるような言い回しや表現は避ける」としている。結論として、最後に検証記事は、裁判員裁判に向けて、「すでに運用している事件・事故報道に関するガイドラインにのっとって記事の質を一層高めていきます」とまとめている。

 毎日新聞は、こうした社内検証記事のほか、6月29日付朝刊で、毎日新聞「開かれた新聞」委員会の月例報告として、

 足利事件の17年半 報道の問題点は

と題して、柳田邦男委員(作家)、玉木明(フリージャーナリスト)、吉永みち子(ノンフィクション作家)、田島泰彦委員(上智大学教授)の分析と主張を1ページ特集を組んでいる。

 「物語性」の落とし穴(柳田)  誤認逮捕には捜査陣による見事なストーリー

 情報の相対化、怠った(玉木)

 再発防止へ検証を(吉永)

 当局依存で犯人視(田島)

と主張している。「編集局から」では、

 多角的取材と冷静な判断、肝に銘じ…

とし、「実質を伴う報道にするよう、この事件を教訓にしていきたい」と懺悔している。

 以上、3紙をまとめると、

 事件報道にも、科学的な知識とセンスが要る

ということだろう。事件報道は、もはや事件記者に任せておけない時代になった

ということであり、現代の新聞社はこの現実に追いついていない。昔ながらの察回り記者が担当しているかぎり、捜査機関頼みの報道が続くだろう。そこからは、冤罪の可能性を鋭く突く報道は生まれないだろう。

  足利事件で科学記者が何らかかわらず、社会部記者に任せっぱなしにしたことが、何度も冤罪を晴らす機会があったのにもかかわらず、ついに、そのチャンスを逃した原因だろう。科学記者こそ、大いに反省すべきである。このことが、サイエンスライターはいても、日本には科学ジャーナリズム不在論がこの30年、根強くある原因だ。

 まもなく、再審が始まる。3紙同様、6月24日付静岡新聞の社説も

 足利事件再審/冤罪の経緯解明の場に

としている。今からでも遅くはない。再審の審理に科学記者、科学ジャーナリストの出番がある。汚名返上名誉挽回のチャンスである。2009.07.02

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