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なぜDNA型は一致したのか 人は見たいと思うものを見る

 前回の続きになるが、それではなぜ精度の悪い、また、導入間もないことでもあり、鑑定不慣れもありそうなのに、最初の鑑定でDNA型が一致したということになったのか、という問題が残る。これについて、ヒントを与える記事が、6月5日付朝日新聞朝刊「時々刻々」に出ている。

 足利事件の発生した1990年初頭では、DNAが一致しているか、どうかの判定は、人間の目で判定していた

 ここに問題がありそうだ。女児の肌着に残っていた体液のDNA型と、容疑者とされた男性のDNA型がなぜ一致したのか。

 まず、容疑者の男性のDNA型は「18-29」。ところが、旧鑑定では、体液と男性のDNA型はともに「16-26」で一致するとしている。この点について、弁護士推薦の再鑑定人は、旧鑑定人は二つの誤りを犯したと指摘している。

 第1は、男性のDNA型番がそもそも正しくなく、間違えた。

 第2は、男性のDNA型番と体液の型番が一致していないはずなのに、一致したと間違えた。

 再鑑定人は、このうち一番目の誤りは、当時の技術に限界があったことを考慮すれば、「責めるつもりはない」としている。問題は、二番目の誤りである。一致していることを示す写真が鑑定書の中に残っている。しかし、再鑑定人は「これでよく、同じ型と言えたな」と感想を漏らしている。そこからこの再鑑定人は、一致していると断定したのは「勇み足だった」と評価している。

 問題はなぜ、勇み足になったのかという理由だ。それは、一つは、今日では機器が自動的に判定してくれる(一致度の程度、正しさを確率でも表示)のに対し、事件当時では、目視であったからである。それでは、とても一致しているとは言えないようなデータに対して、なぜ、一致していると目で判定したのであろうか。

 ここからは、心理学の話であり、推定である。旧鑑定人(警察・検察側の)としては、期待される結果(つまり、一致しているという結果)を知らず知らずに、引きづられたのではないかと推測できる。DNA鑑定に限らず、

 人間は見たいと思うものを見る

という過ちを犯しやすい。例えば、火星人説を唱えたP.ローエルが20世紀初頭前後に火星表面を望遠鏡で観察し、人工的な線状の「運河」を「発見」して、高度文明の火星人がいると考えたのもその好例だ。この場合、火星表面の線状を確認するには望遠鏡の解像度が足りないか、ぎりぎりであったことから、知らず知らずローエルが見たいと思ったものを見たという結果を生んだのだ。意図的ではないこうした事例は、科学史上にはいくらもあり、研究分野に少なからず論争や混乱を招いている。

 こうしたことを排除するには、今回のように、対立する双方がそれぞれ別個に鑑定人を選定し、結果を比べることだ。たとえ機器の性能が劣っていても、人間の心理効果にできるだけ左右されない公正な鑑定が可能となるであろう。相手側も鑑定結果を出してくるということから、間違ってはならないという抑制効果が働き、その分、依頼人の期待に引きづられる効果を排除しやすくなる。もちろん、目視という人為が這入りこむような鑑定はできるだけ採用しない工夫も大事であろう。

 ローエルの場合の事件でも、さまざまな人が火星に本当に人工的な運河があるのかどうか、火星が地球に接近する二年ごとに、賛成派、反対派が競って線状模様の観測を行った結果、いわゆる火星人の存在はほぼ1910年代には完全に否定された。最終的な決着は、直接、火星に探査機を火星に接近させ、そこから「運河」を確認するには十分な高い解像度の写真撮影を行うことが可能になった1970年代であった。2009.06.05

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