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金のない悲劇、金のある悲劇  映画版「ハゲタカ」を読む

 浜松に住むようになって映画館が近くになったせいか、最近はよく映画館に行くようになった。封切りの「ハゲタカ」を土曜日の夜、見に出かけた。まず、投資ファンド代表、鷲津役の主演、大森南朋のニヒルで、一度も笑わない演技が光った。目だけで演技をするのは大変なことだ。映画のエンディングで一度だけメガネをしていない顔が大写しになるが、間抜け面でよくない。十秒ほどでふちなしの横細のメガネをかけて、振り向き田舎道をすたすたとニヒルに歩き去るシーンはすばらしい。かつて、このほこりだらけの道をあの赤い「アカマ」自動車が走り去ったことから、物語が始まったことを観客席に知らせる絶妙な演出である。

 映画の最後で、次期社長になる芝野(俳優、柴田恭兵)が、会社を敵対的買収から救ってくれた鷲津と別れの挨拶をする。そのときの芝野の言葉が印象的だ。

 「幸い、日本人にはまだ、勤勉さと誠実さがある」

と。所詮、強欲資本主義は脇役にすぎない。実業としての「ものづくり」には、この二つが欠かせないと言いたいのだろう。これは、アメリカの投資ファンドに見られる強欲資本主義を痛烈に皮肉っている言葉として、痛烈だった。

 映画では、敵対的買収に乗り出した劉の言葉に、

 「悲劇には二つある。金のない悲劇と金のある悲劇」

という言葉も一面の真実を言い当てていて、感心した。カネがすべてという強欲資本主義をその中にいる人物に語らせているのも面白い演出である。

 この映画を見終わって、ふと、堂目卓生(大阪大学大学院(経済学)教授)の近著、

 『アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中公新書)

を思い出した。カネのないものは、アダム・スミスが『道徳感情論』(1759年)で述べている「財産への道」を目指す。そして、徳への道を踏み外し、悲劇を招く。カネのあるものは、それゆえに「徳への道」を踏み外す。

 「したがって、スミスが容認したのは、正義感によって制御された野心であると結論づけられる。それは、フェアプレイのルールを守ること、胸中の公平な観察者が認めない競争を避けること、「徳への道」と「財産への道」を同時に歩むことでもあるともいえる。これらは、すべて同じことを意味する。スミスにとって、正義感によって制御された野心、および、そのもとで行われる競争だけが社会の秩序と繁栄をもたらすのである。」(同書)

ということになる。これは次期社長となる芝野の信念でもあろう。

 国富論や道徳感情論が言う「神の見えざる手」=市場メカニズムも、勤勉さや誠実さが根付いていない社会では、お手上げなのである。

ここまで書いてきて、また、ふと、アダム・スミスのこの『道徳感情論』(1759)の内容は、梅岩の石門心学、つまり、日本流に言えば、勤勉さと誠実さをもって「お互いに身が立つように配慮しながら、各人が自分の利益を追求する道こそが商人道」(『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』)の中身と基本的に同じではないか、と気付いた。西洋流の表現で書かれた商人道(あきんどどう)=石門心学がスミスの『道徳感情論』なのだ。

 日本では「商人道」提唱者として石門心学を創始した石田梅岩(1685-1744年)が有名。アダム・スミスより20年近く早く著作を出している。それらで梅岩は経済と道徳の関係について哲学的に考察した。この考え方は、今日まで受け継がれ、映画の芝野の言葉として表れているように思う。2009.06.07

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