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2009年6月

どう活用する時間資産、年間1000時間

   大不況ということもあって、資産の投資術の話がマスコミに盛んに出ている。株投資は今ひとつ元気がない。債券投資や投資信託も低迷だ。そこで、ふと、時間資産の活用について考えてみたい。

 週休2日、有休年間20日は休むとする。仕事をしないで、暮らしを楽しむ。これらの時間を除いて、どれくらいの自由な時間があるのだろうか。週五日は、毎日8時間働き、睡眠は8時間とる。三度の食事と通勤時間は4時間ぐらいかかる。すると、平日の自由時間は

 平日1日の自由時間=4時間(週20時間)

 有休を大部分消化したとして、年間50週間働くことになる。すると、

 年間平均自由時間=20時間×50週=1000時間

ということになる。週休2日休み、有休もたっぷりとって、まだ、これだけの時間資産がある。これを無駄にするかどうかでその後の人生が大きく変わるかも知れない。過労死になるかも知れない月80時間のサービス残業を毎月、一年間続けるとすると、ほぼ、この時間資産が消える。

 ちなみに、時短法で政府が年間平均総労働時間の目標に掲げているのが

 年間平均総労働時間=1800時間(政府目標)

 時間資産は、細切れの時間であるとはいえ、この半分近くにあたる。

 1000時間あれば、短編小説一本仕上げることのできる時間であり、10000時間なら、その分野について、ひとかどの専門家になれる時間資産である。細々とした時間をうまく使えば、今の仕事を続けながら、別の専門家になれるのだ。

 使いようによっては、お金より、時間資産は貴重なのである。他人に盗まれる心配もない。盗むことができるのは、本人(の心掛け次第)だけである。

 最後に蛇足。

 タイム イズ マネー。これに対し、

 タイムストック イズ エキスパート。2009.07.01

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「空飛ぶオタマ」の正体は?  「遊び」をするカラス

 このブログで先日、石川県・能登半島を始め全国各地で空からオタマジャクシが降ってきた出来事を紹介した。騒ぎからまもなく一カ月になろうとするが、犯人はどうやら、遊び心のあるカラスであると、科学ジャーナリストの小生としては結論づけたくなった。

 カラスは賢い

とはよく言われる。しかし、どのくらい賢いのか、ということになると人によってまちまちである。毎朝のごみステーションでの人間とカラスの攻防戦から相当賢いことは、ゴミ出しをしたことのある人なら誰でも認めるところであろう。ところが、その賢さというのは、想像以上であることを突き止めた。鳥好きのサイエンスライター、細川博昭氏の近著

 『鳥の脳力を探る』(サイエンス・アイ新書、ソフトバンク・クリエイティブ)

に、そのことが具体的に紹介されている。なにしろ、カレドニアカラスなどは、自分でえさ取り用の道具をつくり、しかも、持ち歩いているというのだ。

 それどころから、同書によると、北海道から東北地方にかけての沿岸では、貝をくわえて空高く飛び上がったのち、一定の高さから貝を岩やコンクリートの上に落としたなら、殻が割れて中身を食べることができることを見つけ出したカラスがいて、その「文化」が地域のカラスに広まった、というのだ。この食べたい対象を上空から地面に落とすという行為は、日本だけでなくアメリカのカラスでも確認されているという。

 カラスは、人間同様「遊び」が大好きだという。公園の滑り台を滑って遊んでいるカラスをときどき見かけることがある。たまたま滑ったのではないことは、滑り台で何度も繰り返し滑っていることから、意図的にしていることが分かる。

 さらには、電線に逆さまにぶら下がり、くるくる、体操の大車輪のように回転して「遊ぶ」。下から人間が見ていると、いかにも、楽しそうに遊んでいるように見える。

 だから、空からのオタマジャクシの落下も、カラスのいたずらなのだろうと推定したくなる。

 では、鳥のなかでも特に、なぜ、カラスは遊びやいたずらが好きなのだろうか。それは、人間やチンパンジーに次いで、もともと知能が高い上に、「暇があり、考えることも得意」だからだと細川氏。街に住むカラスは必要なえさは簡単に手に入り、天敵もほとんどいない。「なにもする必要のない時間」があり、退屈しのぎに、ちょっと遊んでみたりする。

そんなことを同書で細川さんは指摘しているが、それが今回の「空飛ぶオタマ」事件の真相なのだろうと、小生は考えたくなった。2009.06.28

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レーダーより人の目 ゲリラ豪雨の民間予測

 6月27日付毎日新聞夕刊を読んでいたら、

 携帯で通報/ ゲリラ豪雨/ 民間気象会社ウェザーニューズ/ 雲の形、雨音を募る

という面白い記事が出ていた。官の気象庁も、GPSを使った「ゲリラ豪雨予測」を今秋から始めようとしているのに対し、民間では昨夏からすでにスタートしている。記事の概要(一部補足)は次のとおり。

 民間気象会社ウェザーニューズ(東京都港区)は、各地の登録者に雲の様子(携帯カメラ写真)などを携帯で報告してもらい、「ゲリラ豪雨」を予測する取り組みを強化している。人の目を生かす予測法として注目される。予測結果は、GPSで携帯を持っている登録者の位置を把握し、ゲリラ豪雨が予測される地域にいる契約者に、メールで注意を呼びかける仕組みとなっている。同社によると、昨年夏の成果は、該当者の6-7割に事前に連絡ができたという。いわば成功率がこの程度で、同社はこれを9割に精度と確実度を上げたいとしている。雲の様子から積乱雲の発生、発達状況を分析、予測し、ゲリラ豪雨の発生位置と時刻を特定するという。一般には、ゲリラ豪雨は、地形なども関係するために、短時間で精度の高い予測は難しいとされている。

 面白いのは、官がレーダー反射やGPSを活用した予測に力を入れているのに対し、民では、むしろ人の目と人海戦術を取っているなど、官と民では発想に違いがあることだ。力の官と、知恵の民というところだろうか。

 ちなみに、登録や情報提供の問い合わせは

 同社サポートデスク=043-299-2424。

  この民間予測の欠点は、人の目の多い大都市部では有効なのに対し、一般の都市部や農村部では、人の目が少なく情報がほとんど寄せられず、したがって成功率が低いであろうと想像される点だ。気象庁の予測では、こうした偏りは、基本的にはない。ただ、正確を期するあまり、10年以上前から予測研究がなされているにもかかわらず、実用化にはいまだに漕ぎ着けていない。空振り、見逃しを恐れず、そろそろ実戦段階に入ってほしい。2009.06.28

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快挙成し遂げた二人の静岡県人 生田信と長尾靖

 剣岳山頂に測量三角点を設置するために初登頂を目指す陸軍省陸地測量部の苦闘を描いた映画「点の記」が封切られている。そのブログは先日この欄で書いた。

 映画を見たついでに、新田次郎の原作を読んで驚いた。先遣隊の一員として初登頂に成功した生田信測夫(測量官助手=一年単位の臨時雇員)は、静岡県榛原郡上川根村千頭出身であったことだ。同じ県人として、知らなかった。登頂後も測夫として全国を転々とし、結婚を機に、故郷に帰り、商店を経営していた。昭和25年死去。66歳。新田次郎が原作を書いていた頃(昭和52年)には、同地に、遺族が住んでいたという。

 もう一人は、2009年6月27日付朝日新聞夕刊に、1960(昭和35)年10月に起きた旧社会党の浅沼稲次郎委員長刺殺事件で刺殺直前の様子を撮影し、日本人初のピュリツァー賞(ニュース写真部門)を1961年に受賞した元毎日新聞カメラマンの故・長尾靖氏。同氏は今年4月に78歳で亡くなったが、最近、遺族が遺品整理中に受賞証書が自宅で見つかった。記事には、金額縁に入れられた証書がカラーで掲載されている。この発見については、地元紙、静岡新聞には掲載されていない(ただし、死亡時に死亡記事(5月3日付)は短く掲載されている)。伊豆半島南端の自宅=静岡県南伊豆町。

 両氏ともに、今では一般には知られている人物ではない。しかし、「日本初」という快挙を成し遂げた功績は長く県人として記憶にとどめておきたいものだ。2009.06.27

 

 

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心のリセット 「高橋真梨子in静岡」コンサートのため息 

  久しぶりに、懐かしい高橋真梨子のコンサート(静岡市)に出かけた。相変わらず中年の女性が多いのに驚く。団塊世代の小生のような男性団塊世代はむしろ少ないほうだ。

 結論を言えば、ため息の出るような、華やかな2時間だった。ため息をつくと、幸せが逃げていくと言われたりもするが、小生にとって、浜松に転居して初めてのコンサートとあって、

 ため息が出るような「心のリセット」

となった。『ため息健康法』という著書のある武蔵野大学非常勤講師の原山建郎氏によると、

 ため息とは、無意識に出してしまう「身体知」による呼吸反射。これに対し、

 深呼吸は、「頭脳知」による呼吸動作。

 ため息とは、心のリセットと出ていた。コンサート帰りに、浜松に戻る新幹線の中で読んだ「Y !ニュース」に、そう出ていた。

 身体が無意識に行う「心のリセット」。

小生の場合、まさしくそうだった。このコンサートが、在住20年の石川県金沢市から、ある思いで、意を決して静岡県に来て、

「人生のリセット」

を始めた時期にあたっていたから、余計にそう感じたのかもしれない。

 思えば、ペドロ&カプリシャス時代の高橋真梨子(1973年-1978年)の6年間は、ちょうど、小生の京都での大学院時代にあたる。ペドロ梅村がリーダーで、彼女は2代目ボーカリスト。この時聴いた「ジョニーへの伝言」「五番街のマリーへ」がヒットした。これが、その後、ソロ歌手としてデビューするきっかけとなったのだろう。コンサートでも、こうした歌は、高橋真梨子にとって、忘れられない大切な曲で、今もコンサートなどで歌っているという。記念碑的な曲なのだろう。

デビューから35年。その歌唱力は少しも衰えを見せていないし、童顔の美貌は今もほとんど変わっていない。これが、実力ボーカリストとして、ちょっといい中年女性に受けているのだろう。年齢としては、二十歳でデビューしたとしても、もう60歳に近いだろう。舞台ではとても、そんな風には見えない。このことが根強くファンを弾き付けているのだろう。

 コンサートでは、フルート、サックス、キーボードを器用にこなすヘンリー広瀬(高橋の夫)が、バックバンドでギターを弾いていた。結婚15年である。2009.06.27

 追伸。今、気づいたが、小生の人生

 20歳ぐらいまでは福井の時代。その後、40歳ぐらいまでの20年間は京都時代。そして、定年60歳までの20年間は、金沢での新聞社暮らし時代。そして、60歳からの静岡時代(静岡市+浜松市)というふうに、約20年ごとに区切りがある。

 さて、これからの定年後。これまで言ってきたように

 めざせ定年後ダンス天国

となるかどうか。この自由の時代を楽しみながら、かねてから温めてきた新しい取材・著作に取り組む時期がすこしずつ来ている。そんなことを心に誓う、「心のリセット」となったコンサートだった。

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0.00%の味な価値観 ノンアルコールの意味  

 6月23日付毎日新聞夕刊コラム欄「大きな声では言えないが…」で、牧太郎専門編集委員が、

 「ゼロのからくり」

について書いている。いろいろ「0円」について紹介している。そして、最後に、

 「××乳業の知人が教えてくれた。「栄養表示基準で『脂肪ゼロ』と表記できるのは脂質を0.5%未満に抑えた商品。努力したんだ。でも、必ずしもゼロ=0ではないんだよ」 ゼロは不思議な価値観である。」

と結んでいる。

 ところで、最近、キリンフリー/ノンアルコール 世界初、0.00%

が売り出されている。普通のビールには濃度5%ぐらいのアルコールが含まれている。以前、これより一けた少ない0.5%程度しか含まれていないビールを「ノンアルコール」と表示したら、公正取引委員会から不当表示であると指摘された。低濃度アルコールだというのだ。最近では、この種のビールには「ノンアルコール」といった表示はされていない。栄養表示基準でいう「脂質ゼロ」とは勝手が違うようだ。

 これに対し、キリンフリーは0.00%で、ノンアルコールと銘打っている。実は、これも「0%」とは意味が違う。0.00%というのは、アルコールを含んでいるとしても、それは、

 0.001~0.009% ≠ 0%

なのだ。つまり、小数点以下3けた目の数字は、測定ができず、わからないという意味なのだ。従って、厳密にはノンアルコールかどうかわからない。言ってみれば、超低濃度アルコールといったところだ。しかし、通常ビールのアルコール濃度の1000分の1程度。これくらいなら、「ノンアルコール」と表示しても、景品表示法には、引っかからないらしい(10分の1程度では引っかかったが)。

 ビールの場合も、ゼロのからくりとはかくのごとし。牧太郎氏も言うように、確かに「ゼロは不思議な価値観である」 。キリンフリーがどんな味がするのかは知らないが、苦労を重ねた末の、味な「0.00%」ではある。2009.06.23

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「空飛ぶオタマ」社説 すごいぞ北國新聞

 なぜ空から-。池や田んぼにいるはずのオタマジャクシが、石川県の能登半島で空から降ってくるという珍現象が起きてから半月がたつ。七尾市から始まり、輪島市、中能登町の能登半島から、白山市。そして、石川県外の浜松市、岩手県紫波町、広島県三次市と全国へ拡がりを見せている。なぜだ、に

 サギやカラスなどの鳥説、いや、いや、突風説

など、いろいろだ。ブログでもさまざまな原因が取りざたされている。これに対し、地元紙、北國新聞が面白い社説(6月21日付)を書いている。珍しく「です、ます」調なのもいい。以下、一部をそのまま、紹介する。

 空飛ぶオタマ/ 「科学する心」育てる一助に

 オタマジャクシが空から降ってくる現象が全国で目撃されています。新聞はもとより、テレビの情報番組でも報道されない日は珍しいほどの過熱ぶりです。子どもたちがいる家庭では、「なぜ」「どうして」の攻勢にお父さん、お母さんがタジタジになっている光景が目に浮かびます。好奇心は、自分で探索し、考えるという自発的な行動を引き出します。試したり、失敗したりを繰り返す遊びの中から「科学する心」が芽生えてくるものです。いつの時代も子どもはオタマジャクシが大好きで、よき遊び相手です。

 梅雨の晴れ間に、散歩がてら親子でオタマジャクシを探しに出掛け、「空飛ぶオタマ」の不思議に思いをはせてみませんか。

 一連のニュースは、今月四日、七尾市中島市民センターで起きた不思議な現象を本紙が記事にしたのがきっかけでした。100匹のオタマジャクシが空から降ってきた「事件」を、若い記者が首をひねりながら報じたものです。それ以降-。

 と珍しく「です、ます」調で呼び掛けていて、ユーモアもあり、ちゃめっ気のある社説である。かつて、私も、十数年前、小学校が週五日制になり、土曜日が休校になる時、直接、小学生に呼び掛ける「ひらがな社説」

 拝啓 小学生のみなさんへ

を書いた。内容は小学生にも読めるようにほとんどひらがなで書いた。当時の論説委員長は岩上信次氏だったが、私のこの提案を「よし、書け」と決断してくれたことを今も懐かしく思い出す。その結果、小学5、6年生から数十通の手紙が届いたのを記憶している。今回のは、それに近い社説である。最近にしては、珍しい論説である。全文を読みたい方は、直接、北國新聞社のホームページを参照してほしい。

 ところで、私のこの謎に対する解答は、いや、やめておこう。みなさん、それぞれもう少し考え、楽しんで欲しい。2009.06.22 

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1メートルの誤差の謎 映画「剣岳 点の記」

 最近は名作が多くて困る。映画のことである。自宅マンション近くに映画館があるので、土曜日、日曜日ともなると、月に2、3回はついつい出掛ける。しかも、60歳以上は「シルバー料金」と言って、通常1800円が半額近い1000円。夜遅くなっても、一杯飲んだ後に、思いついたように、ひょいと出掛けられる。見終わるのが、午前0時を回っても、帰り道に、小粋なスタンドバーがあり、立ち寄って映画好きのマスターとともに余韻を楽しむことができる。便利である。それだけにお金がついついかかって、とてもシルバー料金だけではすまないので、困る。

 そんな中、黒沢明監督の下でカメラ監督をしていた木村大作監督が初めてメガホンを取ったという「点の記」を見た。丁寧な映像が圧倒的だった。日露戦争後の明治時代に、陸軍省陸地測量部が、日本地図完成のため、最後の空白地帯の剣岳への登頂を目指し、山頂に測量三角点を設置するというストーリー。創設間もない日本山岳会との先陣争いも映画に厚みを添えていた。測量隊が登頂成功したのは明治40年(1907年7月13日)であった。意外な結末、

 初登頂ではなかった測量隊/初登頂は1000年前/山頂に行者の錫杖

という史実もきちんと映像化されていた。どのようにして登るのか、測量隊も山岳会のパーティもそのルートを捜しあぐねているとき、測量隊の案内人が修験者から、古くからの言い伝えとして、

 雪を背負って登り、雪を背負って降りよ。開山すれば山(剣岳)は神となり、仏となる

というヒントを聞き出す。剣岳最大の大雪渓を一気に登り切ることで、ようやく登頂に成功する。大雪渓を首尾よく登り切ることができるかどうか、その成否は、その時の天気次第。日本で初めて天気予報(全国版)が気象台から出たのは明治17年(1884年)であることを考えると、当時、山岳天気予報を入手するなど夢のまた夢。気圧が高くなると天気がよくなるという理論的な知識はあったものの、また、気圧計にその傾向が出ていたという気象学的な根拠はあったものの、決行の決め手となったのは、山を知る現地の案内人の「勘」を信頼したことが大きい。案内人への信頼が、測量官をして大雪渓を一気に登ることを決断させたのである。

 この物語で、科学ジャーナリストとして、注目したのは、測量隊の測量結果

 剣岳=2998メートル(明治の測量隊、1907年。「日本百科全書」もこの数字を採用)

と、最近の結果

 剣岳=2999メートル(最近のGPS、2004年=確定値)

との差である。わずか1メートルの誤差と言われているが、本当に誤差かという疑問である。

 明治の測量隊の登頂は、ようやく雪の消えた7月13日。実際に測量をしたのは、準備作業などを考えると、この日から1カ月以内であろう。剣岳一帯は冬の間、雪の重みで山体全体が少し沈んでいて、ようやく少しずつ山体がタイムラグをもって、浮き上がろうとしていたときに、なされたものであると推定できる。もし、秋口に測量していれば、標高値はもう少し高くなっていたであろう。雪の重みを計算に入れると、この1メートルの「誤差」は誤差ではなく、物理的に意味のある「有意」な数字であろうと推定できる

 第二は、日本列島は、プレートの沈み込みの反動で、常に日本列島の背骨は年々、数ミリ程度、わずかではあるが押し上げられていることが分かっている。したがって、明治と今の100年間で剣岳は数十センチメートル程度、標高が高くなっているはずだ。

 以上の二点を考慮すると、明治の測量隊の2998メートルは、ほぼ正確な値であるように思える。つまり、仮に、明治時代にGPSがあり、測量隊の場合と同様、7月ないし8月に測定していれば、2998メートルとぴったりの数値が出たであろうと推測される。

 この映画とは直接関係ないが、海岸線を丹念に測量して歩いて、日本列島の形を驚くべき精度で確定した伊能忠敬(1745-1818年)も忘れがたい存在だ。約20年の歳月をかけて日本列島の輪郭(北海道の北端の一部を除いて)を確定した。死後、弟子達によって地図の形に仕上げられた(1821年)。これが

 「大日本沿海輿地(よち)全図」

である。昭和になっても使われたという。なにしろ、精度は1000分の1、つまり、10キロの測定では、10メートルの誤差しかなかったのである。百年後に、陸軍省陸地測量部が最後の空白地を測量したわけだが、精度は1メートル未満にまで高まったのである。そして、現代のGPSでは、1センチメートルまで測定精度は高まった。百年ごとに、10倍の精度向上である。

 この二十世紀初頭は、世界的な天文学者、木村栄博士(金沢市出身)が登場し、地球の形を正確に測地する技術に貢献した。つまり、Z項の発見である。いずれにしても、この映画の時代背景には、国家の基盤づくりとしての測地学がある。その基礎となるメートル原器が国際的に定められたのは1879年である。主権の及ぶ範囲を厳格に規定する必要から、国家的な事業として測地学がこの当時、世界的な規模で発達した。当時の測地学の発達は、近代国家建設を急ごうとする時代精神の結果と言えるかもしれない。「点の記」もそうした地球規模の動きに対する国内版と言えるだろう。

  「点の記」は、明治という近代国家建設の基盤づくりに貢献した1コマであり、日露戦争勝利を経た最後の仕上げにより、日本地図(縮尺5万分の一)は完成した。その出発点となったのが、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」づくりだった。この間、「国家の大計」に約100年かかった。

 「点の記」を見終わって、近くのスタンドバーのカウンターで、そんな感傷に浸った。2009.06.22

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遠州灘の「ながらみ」 進化の履歴500万年

 行きつけの「赤提灯」で、浜名湖産のアサリを沢山いただいた。その日、女将の近親者が浜名湖にボートを出して取ってきたもので、沢山取れたからと、わざわざ店に届けてくれたのだそうだ。だから、まだ生きている。帰宅後、早速、アサリの酒蒸しにして、一杯。自宅でアサリをこうして食べるのは、浜松に転居してからは初めてだったので、二枚貝のアサリをしげしげと見てみた。年輪のような筋が半円形にびっしり描かれている。それと直交するように放射状の筋がまっすぐこれまだびっしりと描かれている。進化の過程でできたものであろう。

 そんな二枚貝の酒蒸しを次の日、日曜日の朝からまた楽しんでいたら、日曜日付の6月21日付静岡新聞朝刊に毎週掲載される「しずおか自然史」に、静岡大教育学部の延原尊美准教授が遠浅の遠州灘に生息している巻貝

 ながらみ=ダンベイキサゴ

の進化の履歴500万年について書いていた。静岡県人には、子どもの頃から食卓によく登場していたから、身近な巻貝なんだそうだ。もっとも、最近では、とんと少なくなったそうだ。記事によると、この「ながらみ」

 今から約1500万年前の温暖な時期に南方から移住してきた。その後、日本列島の周辺で種分化を繰り返してきた。そして、「ながらみ」に至る系統は化石の記録や、現世種の遺伝情報(DNAの塩基配列)などに基づき、約500万年前に他の系統から分岐したと考えられているそうだ。その後、掛川層群の地層化石分析から、約300万年前から200万年前には、浅瀬から、不安定な環境変化がある外洋の浅い海、遠州灘にも進出していったらしい。これが現在の姿であり、そろばん玉のような、その扁平な巻貝の美しい貝殻模様、つい手にとってみたくなるような美しい巻貝の模様には、こうした500万年の履歴が詰まっているのだ。美は乱調にあり、と言った芸術家がいた。貝類の生物学者に言わせれば

 美は進化にあり

となるようだ。2009.06.21

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福井県立恐竜博物館の意地 2億8000万円で全身化石購入

 今や、大不況で、博物館などの運営が青息吐息だ。職員が減らされる。経費削減で、まずは人件費を削り、パートと非常勤に切り替える。そんな博物館が多い中で、決して豊かな財政事情でもない福井県が、恐竜博物館(勝山市)開館10年を記念して、

 米ワイオミング州で発掘された草食恐竜「カマラサウルス」の全身化石

をなんと、2億8000万円で購入すると発表した。6月16日付毎日新聞夕刊に出ている。だから、夕刊はやめられない。この不景気に、なんと太っ腹な出来事だと、福井県福井市出身の私としては、ふるさと自慢も手伝って、感心した。県の担当者はさぞや購入にあたっては、悩んだであろうと思ったが、なんと

 「たいして骨を折らなくても、元はとれる」

と平気。5年以内に購入費は入場料でまかなえるとそろばんを弾いたそうだ。えらい。いくら開館10年の記念購入とはいえ、今時、3億円近い公金を支出するのは大変なことだ。福井県立恐竜博物館は、恐竜骨骼30体以上を展示する日本で唯一の専門博物館。その意地でもあろう。国立科学博物館(東京・上野)は、日本で初めて恐竜の全身骨骼を常設展示している。しかし、専門博物館ではない。最近、新館がオープンし、恐竜展示ホールがある。そのほかの恐竜博物館としては、東海大学付属自然史博物館(静岡市清水区三保、付属社会教育センター)、豊橋自然史博物館(豊橋市)があるが、いずれも、レプリカ展示であったり、貧弱すぎたりで、学校教育用の域を出ない。

 専門博物館に全身15メートルにもなる全身化石であれば、専門博物館としては一人前と言えるだろう。箔が付く。全身骨骼のない専門博物館では、迫力を欠く。そんな思いが、失礼だが、ここは勝負とばかり、貧乏県、福井県を思い切った購入に踏み切らせたのであろう。これなら、宣伝しなくても、入場者は続々だろう。

 文化政策はどうあるべきか。どの自治体も、どの県も、そして国もそこにどう独自性を出すか、悩みの種となっている。今回の福井県の英断はそのヒントになるだろう。ちまちまとしたものを、ちびちびやるよりも、こどもを取り込んで、本物に思い切りよく資金を投入する。これが成功の秘訣だ。金沢市の現代美術館「金沢21世紀美術館」もこれで成功した。赤字覚悟の開館であったが、初年度から全国から観賞者が訪れた。年間200万人が入場し、黒字の経営だった。こどもをターゲットにした戦略と奇抜なアイデアで勝負に出た。伝統の城下町らしくない大胆さがあった。

 忘れてならないのは、大胆さをもって英断するには、やはり人物を得ることが大事である。これなくして、思い切った仕事はできない。 

 文化政策は、戦争戦略と同じで、戦力の小出し投入は愚の骨頂だ。小出しは効果がないばかりか、全滅する。2009.06.20

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邪馬台国はどこか 箸墓をめぐる波紋/ふたたび科学的とは何か

 6月8日付毎日新聞夕刊に、

 検証「箸墓は卑弥呼の墓」/ 波紋を呼ぶ歴博発表/懸念される数値の独り歩き

という面白い、ほんと夕刊は面白い、記事が出ていた。大学院生のころから、古代史に興味を持って、奈良のあちこちを休みの日には同僚とよく出かけていたから、つい、つい、読んでしまった。箸墓からの出土品の実年代が、おおむね、西暦240年から260年であったことから、中国の史書『魏志倭人伝』などによれば、卑弥呼は247年ごろに亡くなったことになっているので、したがって、箸墓は卑弥呼の墓であると断定している。たから、邪馬台国は、今の畿内であるという論理構成になっている。これまた飛躍である。しかし、これは、卑弥呼の墓であってもおかしくない、矛盾はしないということを示唆しているだけであり、卑弥呼の墓であると断定するのは飛躍であろう。飛躍の背景には、このころの日本列島に、こんな古墳をつくれるのは卑弥呼だけであるという、あまり根拠のはっきりしない前提がある。

 奈良県桜井市にある箸墓については、大学院生の小生がこの箸墓に院生仲間と訪れたころ(1970年代)から、卑弥呼の墓ではないかと推測されていた。最近では、この箸墓の近くに、邪馬台国の遺跡ではないかと言われている巨大纒向(まきむく)遺構があり、大和政権は大和であるという説が有力になりつつあった。そこへ持ってきて、今回の、

 炭素14年代測定

という科学的な測定法による結論で、いよいよ、江戸時代以来の論争に決着か、と思わせた。しかし、炭素14年代測定は直接、実年代、つまり、西暦年代をはじき出してくれるわけではない。炭素14年代(BP)をはじき出すだけであり、これを実年代に変換するひつようがある。この過程で、1対1に対応した実年代が出てくるわけではない。ある程度の幅や、1対1に対応しない、つまり、1対2あるいは3に対応するということもしばしばおこる。これを絞り込む過程で、自分が出したい結論に惑わされて、見たいものだけをみて、邪馬台国は大和、あるいは箸墓のつくられた実年代は240‐260年と結論を持っていきかねないないのである。

 意図的ではないものの、科学的な根拠を装った誤り

が起きる可能性がある。これに論理の飛躍が付きまとうととんでもない結論になり、混乱を招く。この場合の結論は、たいていは、本人が無意識に望んでいた結論なのである。

 ところが、この大和説に、もう一つの邪馬台国候補地(九州説)である佐賀県の県紙、6月14日付佐賀新聞朝刊の「論説」(社説)欄が反応した。いわく、

 邪馬台国の現場/吉野ケ里から積極発信を

として、「古代史最大の謎、邪馬台国の所在地をめぐってここ数年、「畿内説」エリアから情報発信が続く。先日は、奈良県桜井市の箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性が高まったという調査結果が報道された。翻って、畿内説と双璧をなす九州、なかでも、弥生時代のクニの姿を次々に明らかにしてきた吉野ケ里遺跡はどうか。学術、地域振興の両面から調査と研究を支える体制づくりが必要だ」と冒頭から、ライターの青木正彦論説委員が激を飛ばしている。

 論説では、「佐賀県の調査研究体制はというと、まず(奈良県立)橿原考古学研究所のような埋蔵文化財センターはない」、開園して9年目の「吉野ヶ里歴史公園の中核施設となるはずの博物館は、佐賀県の財政事情から先送りされたままだ」と指摘している。その上で、「新しい情報の多寡が所在地論争に影響しないか」と懸念を表明している。科学的なアプローチとともに、九州北部3県11市町が参加した「魏志倭人伝クニグニネットワーク」の設立を評価して、デジタルアーカイブ化など学術面での連携へ発展させていく必要があると指摘している。

 九州説も情報戦で負けるな

ということであろう。声の大きいものが、勝つというわけだ。地元紙の面目躍如の論説である。これこそが地方紙の熱き思いの伝わる面だ。全国紙のような無国籍記事とは一味もふた味も違う。だから、地方紙は面白い。2009.06.20

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鶴は千年、亀は万年 ではサンゴは?

サンゴは動物である。そう先日書いた。ところが、サンゴにも、植物と同じような「年輪」があるとは知らなかった。6月17日付静岡新聞によると、

 国内最大級のハマサンゴ 喜界島沖合(鹿児島県奄美諸島)で発見

と海中での生息の様子と潜水中のダイバーが映っているカラー写真付きで出ている。直径約4メートル、高さ約5メートルのきのこ状の形。約400年前というから、徳川家康が生きていた頃から生き続けてきたことになる。記事によると「年輪のようになっている断面の各層を化学分析することで、過去400年間の水温などの推移を月単位で解明できる」という。このデータ解析を一年がかりで行うため、筒状の採集装置をサンゴの表面から根元までに突き刺して、サンプルを採ったという。

 この解析結果により、この400年間の奄美諸島の海水の温度変化がわかることになる。とすれば、産業革命以来、地球大気は、二酸化炭素の濃度上昇で、温暖化してきたと言われているが、海水ではどうだったのか、ということがわかる。サンゴは動かない動物であるから、いわば今回の発見は、定点観測から得られたデータということになる。

 今回の発見は、地球温暖化による気候変動を調べている東大と産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の調査団が発見した。

 NHK土曜日の「NHKアーカイブス」でも、宮古島付近に巨大なサンゴがあることを放映していた。これなどは、今回の発見よりも、サンゴの大きさが大きかったようなので、もしかすると、もっと古くから成長してきたのかもしれない。2009.06.20

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臓器移植法改正を考える 各紙、ばらばらの理由

 19日付の全国紙、静岡新聞など各紙は、臓器移植法改正について、1面トップで伝えている。脳死は「人の死」とし、ドナーカードなどに提供を拒否する旨の本人の意思表示がない限り、成人も子どもも家族の同意だけで臓器提供ができる改正案(A案)が衆院本会議で可決して、論議が参院に移った。現行法では、移植をする場合のみ、脳死は「人の死」とし、しかも、本人の書面による提供の意思を条件としており、A案はこれら基本的な考え方をともに根底から覆しており、改正というよりも、新法である。こんな大事なことを移植界や臓器提供を受けたい側の家族の声を聞くだけで、ろくに衆院で議論せずに、可決したことは大変に残念である。臓器提供者の声、あるいはこれまでの移植についての検証会議の意見をまったく聞いておらず、A案提唱者の、医師でもある中山太郎衆院議員の公平、かつ真摯な態度の欠如は、許されるべきではないだろう。

 この臓器提供者側家族の意見、国の検証会議のこれまでの検証結果に関する会議メンバーの意見の聴取がなかった点について、同メンバーであり、ノンフィクションライターの柳田邦男氏は、静岡新聞で

 ドナー家族側の現実を無視

と題して、厳しく批判している。問題の核心を突く論説である。

 各紙の19日付社説の見出しは、次の通り。それ行けドン、ドンの過激なほうから

 A案で参院成立を目差せ  (産経新聞)

  移植医療の海外依存から脱する一歩だ  (日経)

  臓器提供の拡大へ踏み出した  (読売新聞)

  参院で議論尽くせ  (毎日新聞)

  移植法の性格が変わる  (中日新聞)

  参院の良識で審議尽くせ  (朝日新聞)

  参院で修正を検討せよ  (静岡新聞)

 まあ、まっとうなのは、静岡新聞=共同通信論説資料の社説である。はっきり、修正すべき点を三点明示している点が、説得力がある。ただ、柳田氏の指摘ほどには鋭くない。どの観点から書くかによって、主張が大きく分かれ、新聞界の主張がばらばらになったと言うことだろう。2009.06.19

 追伸。2009.06.22

  6月21日付毎日新聞朝刊の「社説ウオッチング」で上記と同様の分析を試みている。分析で、面白いのは、全国紙では積極派と慎重派が相半ばしたのに対し、地方紙では、おおむね懐疑的な、あるいは慎重な論調が目立つとしている点である。自社ホームページで公開しているネット上を分析して「地方紙の分布を見る限り、保守性の強い旧来の地域コミュニティーが残る地域の新聞ほどA案への違和感が強いようにも見える」としている。

 ただ、この記事で気になるのは、静岡新聞はホームページで社説は公開していないので、この記事には、主見出しなど内容が引用されていない。これは当然だ。しかし、北國新聞は公開しており、ちゃんと19日付で

「広がるか「脳死は人の死」」

として、アップしている。内容も「臓器移植法の目的は提供者を増やし、移植医療を普及させることにある。この点では、臓器提供を広く解禁し、それを認めない人は脳死判定を拒否できる今回の法案は現状打開の有力な選択肢である」と積極姿勢を示し、大人より困難とされる子どもの脳死判定の在り方などに課題があるとしながらも、移植推進に一定の理解を示しているのに、拾い上げていない。自分たちの分析(地方紙=保守的でA案に懐疑的)にマッチしないので除外したのではないか。お隣の北日本新聞の社説「参院でさらに議論深めよ」は、都合よく拾い上げている。自分たちの分析にあうからだろう。

 この記事の見出しは

 毎日 朝日 「参院で審議尽くせ」

となっている。しかし、これは何も言っていないのと同じ。朝日社説は正確には

 「参院の良識で審議尽くせ」

であり、まだ「良識」がある分、主張がある。毎日は「参院で議論を尽くせ」ではあまりに幼稚であり、投げやりな社説だ。毎日は朝日の社説を少し稚拙にして掲載するクセがあると言われて久しいが、現在もその傾向は続いている。2009.06.22 

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出世城の現在 浜松城の整備構想

 6月16日付の毎日新聞朝刊を見ていたら、「静岡 中部」版に、浜松市(公園課)が浜松城の復元構想に動き出していることを伝えていた。浜松城については、50年前(1958年)に、民間からの募金で天守閣が再建され、その後、浜松市の史跡に指定されている。小生、天守閣は先の大戦の空襲で焼け落ちたか、明治維新時の廃城令により取り壊されたかしたので、残っていた図面で復元したものとばかり、思っていた。

 しかし、記事によると、明治維新はおろか、江戸時代からすでに天守閣はなかった。天守閣があったという記録や図面もないという。早い時期に落雷か何かで焼け落ちたのだろう。その後、再建されなかったらしい。ただし、天守閣を乗せる土台の石垣(野面積み)だけはほぼ当時のまま、現在も残っている。それでよく、天守閣を復元できたものと不思儀である。

 ただ、今回の復元は、残っている遺構や発掘調査に基づいて、天守門と富士見櫓を復元するという。この復元では、幕末につくられた「安政元年浜松城絵図」に記されているものと、発掘調査結果とを突き合わせて、再現する。

 史跡復元の狙いは、観光名所づくりであり、発掘を進めて、浜松市では2012年にも着工したいとしているという。

 新名古屋市長、河村たかし氏の見直し討論開始の中、名古屋城の本丸御殿復元工事が今年から始まっている(総工費=150億円、寄付=40億円、2017年完工)。先日の討論会の結論は、参加者の三分の二が、一部修正して継続も含めて「継続」に賛成。熊本城も、ともかくも本丸御殿を再建した。こうした構想を聞いていると、金沢城の二の丸御殿復元や、辰巳櫓復元も決して夢ではないと感じた。要はやる気が県民、行政にあるか、ということに尽きる。財政難もあろう。世界同時不況という悪条件もあろう。辰巳櫓については、その土台がすでに崩壊してないという事情もあろう。少し外からは見えにくいが、それよりも三階櫓のほうが図面もあり、やりやすいという専門家らしい手堅い見方もあろう。

 それもこれも、要は、県民のやる気、行政のやる気、そして、百年先を見据えた戦略性の有無によっている。これがなければ何も前には進まない。観光資源というのは結果であり、それよりもまず、城下町金沢の貴重な資源として、二の丸御殿の復元も、市街地からよく見え金沢城のシンボル的な存在となりえる辰巳櫓の復元も百年の大計の下に構想し、その具体的な実現の道筋づくりをすべきであろう。そのための模型づくりであって欲しい。これに刺激を受けて、行政が本格的にこれらの復元に動き出すのは、まだ、まだ、先であろう。2009.06.16

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静岡映画の日 熱狂の1897年6月15日

 6月15日付静岡新聞夕刊を読んでいたら、6月15日は

 静岡映画の日

なんだそうだ。連載記事「銀幕のしずおか 斉藤孝 随想記」によると、静岡で初めて映画が上映されたのは、現在の静岡市葵区駒形1丁目にあった芝居・演芸場「若竹座」。集会、イベント、展示即売会も開催したという。現在の七間町通の映画街より少し南に下がった、というかはずれにあった。ここは、いわば、当時の最新情報文化の発信基地とも言える劇場となっていたと元静活営業本部長の斉藤さんは書いている。上映された日は1897年6月15日、明治30年である。

 世界で初めて映画が発明され、それを有料で上映されたのは、1895年12月28日で、パリのグラン・カフェだった。発明者は、よく知られているようにフランス人兄弟、ルミエール。兄弟は父の経営する写真館で働きながら、動かない乾板写真から、動画の研究をはじめて、成功にこぎ着けた。驚くのは、わずか1年半ではや静岡でも上映されていることだ。いずれの場合も、初上映では、観客はびっくり仰天だったという。

 この映画の将来性を見抜いたのが、T.エジソンだった。劇場映画事業に乗り出すのである。静岡で上映されたのは、ルミエールのものではなく、そこからヒントを得て、エジソンが独自に考案したヴァイタスコープによる上映だったと斉藤さんは書いている。再開発が進もうとしている静岡市葵区だが、そして、エジソンの国からシネコンがやがて進出してくる時代になっても、

 七間町の町はずれにあった「若竹座」が静岡の映画文化発祥の地

であったことだけは、忘れてはなるまい。2009.06.15

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サクラエビの踊り食い 「駿河湾の宝石」、成功の秘密

 浜松に住むようになって、また、駿河湾に面する静岡市に勤めにいくようになって、この春、初めて、赤提灯の突き出しに、生のサクラエビが20匹ほど出た。早速、刺身好きの私は、熱燗にした日本酒でいただいたが、北陸の味とはまた違った甘い香りの味が口の中に広がった。転居してよかったなあ、と思ったものである。このサクラエビ、実は私は、干したサクラエビしかこれまで知らなかった。味噌汁に入れる。お好み焼きにまぶす。浜松に来て、初めて、かき揚げにしたり、釜揚げにしたりしたものを食べた。

 ところが、この「駿河湾の宝石」とも言われるサクラエビ、水揚げすると一日ぐらいで死んでしまうのだそうだ。サクラエビ漁法そのものは明治時代から100年以上続いていて、春と秋に家庭の食卓や赤提灯のカウンターを彩る。がしかし、刺身にはできても、生きたまま踊り食いはできない。それができるようになったと、6月12日付朝日新聞夕刊は箱組風に大きく掲載していた。

 ところが、どこにも熱心な人はいるもので、これを何とか、できるだけ生簀のなかで長生きさせて、踊り食いにできないか、そう考えた。考えただけではなく、地元漁師、原剛さん(清水区)と大学の研究者、高崎みつる・石巻専修大学理工学部教授とが共同で取り組んで3年越しで、一週間くらい長生きさせる方法を見つけた。生簀の水をいかにきれいに保つかということがポイントだった。今春から、踊り食いができるようになったそうだ。食べさせてくれるという店は、

 静岡市清水区のすし店「やましち」

だという。

 北陸にも、春先、いさざ(ハゼ科のシロウオ)を踊り食いで食べさせてくれるところがある。能登の穴水町である。四つ手網を使う「いさざ漁」は3月ごろだが、金沢市内のちょっとした料亭では10匹ぐらいの踊り食いで2000円前後、生きたまま飲み込むので、少しかわいそうだが、そののど越しがなんとも言えないオツな感触なのだ。最近では、ずいぶんこの踊り食いのいさざが減っているそうだ。いさざは能登半島の河川に春先、産卵のためやってくる。それを網ですくい取るのだが、川が汚れていて、なかなかいさざが集まってこない。つまり、産卵に適した河川が少なくなっている。穴水町のような奥能登でも河川がいさざにとって汚染されているようなのは、残念なことだ。

 春告魚、いさざは環境汚染に敏感なのである。

 ついでに、書いておくと、冬の富山湾には、サクラエビに似たシロエビが取れる。シラエビとも言うが、透き通った淡いピンクで、こちらも「富山湾の宝石」と言われている。刺身で食べてよし、かき揚で楽しんでもよしの春告魚だ。寿司タネとしても、軍艦巻きにしたシロエビは北陸では人気メニューの一つだ。ただし、冬の富山湾の深層水の中で育つ。だから冬だけしか楽しめないところに、シロエビの値打ちがある。

 いさざも、シロエビも、北陸の季節感を感じさせてくれる魚だ。

 こうした海の幸を食べるたびに、地球環境に正面から向き合って、大切にしていかなければならないと、実感する。2009.06.14

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モノゴトの正しい信じ方 松尾神社のお祭り

 半年前まで、金沢に暮らしていた。在住20年だったが、きょう6月14日、日曜日は、加賀百万石前田藩の礎を築いた前田利家公が能登半島中部の七尾城(七尾市)から、金沢の金沢城に入場した日(1583年)である。世界大不況の発生(2008年9月)とともに定年退職して、今は小生、若き日の徳川家康の居城、浜松城のある浜松市に転居、転職し新しい人生を歩んでいる。利家の入城を記念した百万石まつりが先週土曜日に、金沢市中心部で行われたようだ。

 浜松では、今日、今、ブログを書いている中、太鼓がなっているのがマンションから聞こえてくる。近くの氏神様、松尾神社(境内には学問の神様の天満宮、伏見稲荷ゆかりの稲荷神社も)のお祭りである(きのう土曜日が本まつり。6月例祭)。神社の参道には出店も開かれている。天満宮にはちゃんと、菅原道真公の使いの牛が境内に鎮座しているし、稲荷神社の入り口には赤い鳥居が一基だけれども、氏子(菅原町東)から寄進されている。

 面白いのは、浜松特有の氏子たちの「お練り」がある点だ。神輿を担いで、まわりに若い衆や子どもたちが取り囲む。お賽銭箱(あるいは場合によって桶)を先頭に町内ごとに独自の法被、雪駄を履いて、笛の音にあわせて練り歩く鳴り物入り行列である。神輿を担ぐ氏子に向って各家からバケツで水をぶっ掛けるというのも、浜松らしい荒々しさだ。松尾神社のお練順は、次のとおり。

 肴町、伝馬町、千歳町、平田町、旅篭(はたご)町、塩町、成子町、菅原町東、菅原町西、元魚町

 これをみると、驚くべきことは、藩政時代からある町名ばかりである。よく町名が残っている。しかも、政令指定都市のJR浜松駅という中心街からわずかに10分のところに松尾神社がある。すばらしい。こんなところにも、町名を大事にする浜っ子の心意気が感じられる。よくぞ、1960年代の町名変更という政府の愚劣政策に対抗して、町名を守ってきたものである。ここが古都、いや、城下町金沢とは意識の点で大きな違いがある。

 金沢は今旧町名の復活に取り組んでいるが、一度消えた町名はなかなか元に戻すのは大変なのである。その意味では、町名というのは、生き物なのである。金沢では、最初の主計町(かずえまち)、袋町、並木町、飛梅町、そして最近ではオフィス街の南町など、この10年で9町名が復活した。

 この身近な事例から、「モノゴトの正しい信じ方」というものが見えてくる。つまり、伝統を大切にするというモノゴトを正しい信じ方である。利家が金沢に入城した日にそんなことを感じている。今から、その松尾神社に出かける。私も氏子なのである。2009.06.14 

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モノゴトの正しい疑い方  サンゴは動物、それとも植物 ?

 人間、先入観というのは恐ろしい。松井孝典さんの言うとおり、モノゴトの正しい疑い方をマスターしなければならないと大いに反省した。6月13日、土曜日午前の番組「NHKアーカイブス」で沖縄・宮古島付近の美しい珊瑚礁の紹介をしていた。あまりの美しさに、こんなところに年中暮らせたらいいなあ、とついつい思ってしまった。でも、こんな太陽燦燦の日々ばかりではない。台風の通り道で散々な目にあっている。あまりのんびりしすぎて、痴呆症になるのではないか、そうではなくても、ヒマをもてあますのではないか、と何かと理屈をつけて浜松に暮らすほうがいいと無理やり、信じ込もうとした。

 そうこうしているうちに、海中のサンゴの生態が紹介されて、アッと驚いてしまった。私は、今までサンゴは植物と思っていたのが間違いであることに気づいた。動物なのだ。

 なぜ、植物だと思い込んでいたかというと、まず、魚のように海中を動かない。昼間は、浅瀬のサンゴは、陸上の植物同様に、太陽の光を浴びて盛んに光合成し、酸素を吐き出す。これはもう、間違いなく、植物だ。ところが、番組の映像は、なんと、透明な長い糸のような触手を伸ばして海中のプランクトンをかき集めて、あろうことか、口のようなところから飲み込んでいるのだ。これには驚いた。年一回、満月の夜に、精子と卵子をいっせいに吐き出して、受精し、幼生という小さな芋虫のようなものが浮遊する。そして、しばらくすると、海底に根を生やすのだ。そして、海底で、サンゴに成長するための骨格をつくる。そんな映像にびっくり仰天した。

 早速、愛用している「日本百科全書」(1986年初版)を開いてみた。確かに、

 腔腸動物門に属するサンゴ科の海産動物、またはその動物の形成した骨軸

と書かれていた。全書の「研究史」によると、「古来サンゴは植物だと信じられていた。」と書かれている。専門家も小生と似たような誤りをしていたのだ。

 サンゴによく似た「海綿」もどうやら、進化の歴史において動物と植物の分岐点にいるようだが、これも歴とした動物なのだ。海底に固着した海綿が多いが、海底をなんとか動き回る海綿もいる。海綿から進化してサンゴにつながるのだろう。

 海底生物には、サンゴに限らず、陸上からは想像もできない奇妙なものが多い。最近、海洋生物の分布情報や動画などを集めた総合データベース

「BISMaL」

がネットで公開され始めた。のぞいてみたら、いやはや、海底は

 生物とはなんぞや

ということを考えさせる宝庫であることに気づかされる。

 http://www.godac.jp/bismal/ をぜひ一度のぞいてみるのも、「モノゴトの正しい疑い方」を知る一助となるであろう。2009.06.13

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「科学的」って何だ! 「モノゴトの正しい疑い方」の正しい疑い方

 浜松市に転居して、半年、科学ジャーナリストとして、ふと、目立たない本が目に付いた。JR静岡駅の構内の本屋さんである。新刊書ではない。東京大学大学院新領域創成科学研究科教授の松井孝典さんと、イラストレーターの南伸坊さんの対話本

 『「科学的」って何だ!』(ちくまプリマー新書)

の本で、帯には「モノゴトの正しい疑い方」と大きくうたわれている。松井さんは、浜松市に隣接する静岡県森町出身ということで、親しみも湧いたし、松井さんの最近の専門、アストロバイオロジー(宇宙生物学=地球外生物学)にも興味がもてて、読んでみた。南さんのイラストが面白い。まじめな松井さんを持ち上げてはいるが、実は、完全におちょくっている様子が面白い。南さんはすべてお見通しなのだ。それに松井さんが気付いていない、ひょっとしたら、気付いていないふりをしているだけかもしれない(そんな芸当ができる人ではないとは思うが)。

 問題は、この本は、「モノゴトの正しい疑い方」を松井さんが伝授する趣向をとっている点だ。その正しい疑い方とは、松井さんによると、

 「そもそも私は(松井)、誰かが何かを言ったときに、その主張の前提を疑う。「なんでそうなの?」「何でそう考えたの?」と。すると相手から、「こうだから」と返ってくる。するとまた僕が「こうだから、と言うけれど、それはどうしてそう思わなければならないの?」とか訊く。要するに相手のよって立つ前提をほとんど信用しないわけです」

と語っている。これが松井さんの「モノゴトの正しい疑い方」だと指摘している。私も、科学ジャーナリストだから、この意見には賛成だ。素晴らしい。

 ところが、松井さん自身がこの本の中で話している、あるいは主張している箇所に、この考え方を適用してみると、松井さん自身、全然、正しい疑い方をしていない。科学的な思考をしていないのだ。この本から実例を引き出してみる。

 南 先生は血液型についてはどうお考えですか?

 松井 ははは、どう考えたって因果関係があるわけがないと思っていますよ。

 南 エエッ? あ、そうですか?(笑い)

 松井 だって、正確というのは、脳の中の仕組み(ニューロンの回路の接続の仕方)の話ですね。

 南 はい。

 松井 大脳皮質の中のニューロン(神経細胞)が、ある種電気回路みたいにどう接続するかという話と、血液中のある物質がどういう型なのかということは、本来まったく無関係なはずです。だから、正確と血液型に関係があるわけがないと思いますね。

 南 うわっ、めちゃくちゃ明快ですね(笑い)

となっている。しかし、私に言わせれば、めちゃくちゃおかしい。なぜ、ある種電気回路みたいにどう接続するかという話と、血液中のある物質がどういう型なのかということは、本来まったく無関係なはず、と言えるのか。私なら、ここで、松井さんに

「なんでそうなの? なんで無関係と考えたの?」

と訊く。これが松井流の「モノゴトの正しい疑い方」だからだ。こんな事例が、血液性格判断論議だけでなく、松井さんの話が「科学的ではない」事例が、いたるところにある。

 UFOがありえない理由

という談義のところにもある。

南 宇宙人についてもちょっと伺いたいんですけれども、(中略) UFOの目撃談なんかも、中には信憑性のある話もあるとお考えですか。

松井 そんなものはありえないでしょうね。

南 あははは、ありえないんですか !

松井 まず、(中略) 宇宙を旅する乗り物はせまい空間ですから、百万年もそうした閉鎖系空間で生き延びるなんていう生き物は、単細胞の原始的な生物くらいしかいない。ましてや宇宙船を操縦してやってくるような知的生命体がいるわけがない。

南 これも明快だなあ‐‐

と、完全に松井センセイをからかっている。アストロバイオロジーが専門の研究者にしては、あまりに粗雑である。「モノゴトの正しい疑い方」をしていない。たとえば、単細胞の原始的な生物くらいしかいない、と断言しているが、

「何でそう考えたの? 」

と聞き返したい。これは知的生物は、人間ぐらいのサイズが必要であるという前提がある。これは人間中心主義で、人間が陥りやすい危うい独善だ。地球外生物学者がこれでは困る。さらに、この松井さんの話に出てくる「ましてや」の使い方がおかしい。前後が文章的につながっていない。飛躍がある。「ましてや」以下の文章をそのまま生かすとしたら、

 その単細胞の原始的な生物は、人間のような文明すら築けていない。その人間すらいまだに宇宙船をつくれないでいる。そう考えると、ましてや宇宙船を操縦してやってくるような知的生命体がいるわけがない。

ということだろう。

 松井さんは、UFO目撃談について、南さんに尋ねられて、そんなものはありえないでしょうね、と一言で片付けている。高名な天文学者、J.アレン・ハイネック博士は、世界中の目撃談話について、先入観を持たずに、報告書にまとめている。長年にわたって米空軍に報告されたUFO現象を解明する任務に携わり、その事例のうち、80%は、いわゆるUFOではないことを根拠を示して、そして、信頼性ある原因し解明した。しかし、いくつかについては、どうしても現代の科学では説明できない現象として残ったと、1975年に報告している。日本語訳では

『UFOとは何か』(角川文庫、1981年)

として出版されている。こうしたことを考えると、また、日本ではまだ珍しい地球外生物学者として、少し軽率ではないかという印象を持つ。少なくとも、科学者として謙虚ではない。

 かの有名なアイザック・ニュートンは晩年、私などは、(科学の真理という)広い海のほんの一部に過ぎない海岸の砂浜で、打ち寄せられた貝殻を見て、喜んでいる子どもに過ぎないという趣旨の謙虚な心境を述べている。

 「モノゴトの正しい疑い方」とは、こうした謙虚さのことである。モノゴトをいとも簡単に断定するというのは「科学的」ではない。アレン・ハイネック博士の報告書はこのことをはっきり示している。2009.06.13           

 

 

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あゝ、最高裁よ 足利事件「国会で証人喚問か」

 「DNAの魔力」とは、とは足利事件の弁護人、佐藤博史氏の言葉だが、一連の最高検、捜査に当たった栃木県警の謝罪会見の動きに対して、民主党の法務部門会議に出席した菅家利和さんと佐藤弁護人は、冤罪防止策の構築について訴えた上で、その関連でついに次のような発言をしている。その通りだろう。

 「菅家利和さんの無期懲役を確定させた最高裁判事を国会に証人喚問してほしい」

 と。憲法には、第62条に議院の国政調査権を規定している。

 「両議院は、それぞれ国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。」

 この規定(と議院証言法)に基づいて、野党が多数を握る参院で調査するというわけだ。最高裁は「司法の独立」を楯に、国権の最高機関としての国会の憲法規定に基づいた証人喚問を拒否できるか。現在では、国政調査権の対象としては、現職裁判官が裁判や判決について証言することは対象外とするのが学説上確立している。また実際上もそのような喚問例はない。ただ、現職首相は喚問対象になる。吉田茂首相がその例(1948年)である。

 ただし、元判事は対象となる。事実、1976年、鬼頭史郎元判事補が、電話事件に関して国会で証人喚問されている。従って、上記の弁護人が言う「無期懲役を確定させた最高裁判事」というのは、2000年7月、上告を棄却して、一審の宇都宮地裁判決(久保眞人裁判長)=無期懲役を確定させた当時の最高裁の亀山継夫裁判長以下5人を指す(全員一致で上告を棄却している)。この五人は現在、現職を離れており、死亡も含めて元最高裁判事となっている。従って、国政調査権の対象となる。元判事には守秘義務はないことも踏まえて、佐藤弁護士は、野党民主党に働きかけたものと思う。

 ただ、もう一つ罪深いのは、この最高裁の決定を受けて、2002年12月に弁護団が宇都宮地裁に、独自のDNA再鑑定の結果を添えて再審請求を申請したが、これが6年間も「放置」状態となって、2008年2月、ようやく再審請求棄却を決定したことだ。この決定は、宇都宮地裁の池本寿美子(すみこ)裁判長。棄却決定の理由は、弁護側の出した独自のDNA型再鑑定が「証拠に値しない」というものだった。しかし、これがかなり粗雑、かつ独断的な理由に基づいていたことが指摘されている。

 しかし、下級裁判所とはいえ、彼女は、現在、現職判事であることから、裁判や判決・決定については国会での証人喚問の対象外である。現職を退いた後に、弁明の機会を設けるか、みずから進んで釈明する義務があるのではないか。現職時代の判断ミスについて、元判事には守秘義務はないのであるから、きちんと説明責任を果たすべきであろう。同様、確定判決を出した宇都宮地裁の久保眞人裁判長も同様であろう。

 国会の証人喚問ではなくとも、最高裁現職判事も「司法の独立」を楯に、謝罪を拒否するようでは、自ら司法不信を募らせる結果を招くであろう。再審無罪確定時など、なんらかの機会に、最高検同様に、最高裁も謝罪を自ら進んで表明すべきであろう。知らんぷりは、無責任のそしりを免れないであろう。2009.06.12

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DNAの魔力 足利事件で最高検が謝罪、栃木県警も謝罪

 「DNAの魔力」と言ったのは、足利事件の弁護士、佐藤博史さんだが、確かに、DNAの魔力はすさまじい。

 6月11日付静岡新聞朝刊に

 最高検、初の謝罪/ 「服役させ申し訳ない」

と出ている。内容を以下に少し引用する。

 「再審請求中に釈放された菅家利和さん(62)に向け、最高検は10日、「真犯人と思われない人を起訴、服役させ、大変に申し訳ない」と検察庁として、初めて謝罪した。伊藤鉄男次長検事が記者会見を開いて述べた。再審開始が決まっていない段階で、釈放した元受刑者について無実だと検察側が認め、謝罪するのは極めて異例。」

 6月11日付毎日新聞によると、伊藤次長検事は「菅家さん本人に対しては、今後、直接謝罪する意向を示した」という。

 また、最高検は、すでに次のことも決めている。

 「最高検は、菅家さんが釈放された4日、捜査段階から公判までの全過程を検証するチームを発足、担当検事が記録の精査を始めた。DNA旧式鑑定の問題点に加え、菅家さんが、「自白」に追い込まれた取り調べの適否についても調査している」

 すでに、03年以前の事件については、最高検がDNA型鑑定に関連する試料などの保管を継続するよう指示している。

 こうした最高検の姿勢を受けて、事件の捜査にあたった栃木県の県警では、以下の石川正一郎本部長名の談話を発表した。記者会見でこの談話を発表したのは、高田健治刑事部長。同県警が菅家さんに公式に謝罪の意をしたのは初めてと静岡新聞は伝えている。

 「真犯人とは思われない方が長期にわたり刑に服されることとなったことについては、誠に遺憾であり、申し訳ないことと考えている」

 この談話を受けて、栃木県警では、91年の逮捕当時の捜査についての検証を早急に進めるとしている。静岡新聞はさらに、記事の中で「警察庁の吉村博人長官は、定例記者会見で足利事件で栃木県警の石川本部長が出した謝罪談話を読み上げたうえで

 「私個人としてもまさにこの通りであると思う。遺憾なことであり、二度とこういうことのないようにしたいと思う」

と述べた」。

 それにしても、DNAの魔力は、かくも威力があるとは驚いた。逆に、科学の持つ魔力に、科学ジャーナリストは慎重であるべきだ。総懺悔は、危うい。DNA鑑定は、葵の御紋にあらずだ。それにしても、

 ああ、裁判官よ、あなたに良心はないのか。

  こうした一連の動きに対して、気になるのは、裁判所にまったく反省の様子がないことだ。司法の独立を逆手にとって、知らんぷりは、今後の裁判員裁判で、職業裁判官に対する不審は募るばかりであろう。栃木県の宇都宮地裁でまもなく始まる再審で、無罪判決を出した後、再審判決を出した法廷で速やかに裁判長裁判官は菅家さんに謝罪すべきであろう。同時に、事件当時の一審として宇都宮地裁で確定判決を出した女性裁判長裁判官も謝罪会見をすべきである。検察のいいなりの判決を出し、保身に走ったことを反省すべきである。このことは、

 「疑わしきは、裁判官の利益に」

の「法理」がまかり通っている現状を少しでも払しょくする。裁判官は、検察官の腰巾着、べったり依存体質ではないことを、この際、毅然として示して欲しい。 2009.06.12

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かぐや姫をめぐる物語 読売新聞の見出し勝ち

 全国紙の夕刊が面白いとは、これまで言ってきたが、科学が関係すると途端に面白くなくなるという場合がある。それが、そうでもないという事例が出てきた。6月11日付夕刊だ。

 月の起源や成り立ちを調べるため、月周回軌道を回っていた日本の衛星「かぐや」が任務を終えて、月に落下したという記事。将来の月基地づくりの基礎データを収集するのも目的であった。各紙、見出しが勝負である。秀逸なのは、

 ◎ 任務終了 かぐや 月に帰る   (読売新聞)

と1面左肩に箱組風に。1面トップは、株 一時1万円台。

 ○ 「かぐや」月に帰る/任務終え落下/地形観測など成果  (日経新聞)

 ○ 「かぐや」月に帰る/観測を終え落下  (中日新聞)

 △ 「かぐや」月面落下 観測1年半  (毎日新聞)  

  × 役目終えて/ かぐや月面落下  (朝日新聞)

  × お疲れさま かぐや月へ/ 任務終え落下   (静岡新聞)

評価も付けてみたが、静岡新聞の場合、「かぐや月へ」は、意味不明。見出し間違いではないか。今まで二年間も月周回軌道にいたのだから、「月へ」はないだろう。「月面へ」の意味か。その後にある「落下」が正しい(無粋だが)。朝日新聞の見出しは正確だが、一番面白くない。科学記事を科学記事らしい見出しで片付けている。日経新聞も合格だが、ごたごた見出し付けすぎである。

 簡にして、明快。しかも、小難しい科学記事を文学的な香りを漂わせて、なんとか読ませようという整理記者の工夫がうれしい。

  私の感想をひと言。

 かぐやを落下させたの仕方ないとしても、なぜ、エンジンを逆噴射するなりして、月面に激突させなかったのか、疑問がある。そうすれば、月に小さくはあるが、地震を起こすことになり、アメリカを月面に設置した地震計を借りれば、その記録から月の内部構造がより正確に分かったはずなのに、それをしなかったのはなぜか。それとも、米の地震計は故障しているのかも知れない。その点不明だが、ひと言、関係者のコメントがあってもいいのではなかったか。なにしろ、目的の月の起源や、形成過程の研究には、月内部構造が重要である。重力異常の調査だけでは不十分であり、地震波の内部伝搬の様子は重要なデータであるはずだと思うのだが。2009.06.11

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車版「ウサギとカメ」 遅いものが勝つという発想

  堅いイメージの日経新聞だが、夕刊終面はなかなか面白い。6月8日付の「らいふプラス 遅いもの勝ち」は、堅い内容だが、見出しがいい。昨年まで4年連続で交通事故死者全国ワースト1の愛知県の県警が、なんとか交通死を減らそうと、ユニークな実験をしているというのだ。実験場所は、小生の自宅のある浜松市中心部から近い、愛知県豊橋市のJR豊橋駅にほど近い国道1号線。

 制限速度50キロを守ってゆっくり走れば、交差点にある信号機が次々と「青」になり、スイスイとノンストップで通過できるという仕掛けであり、制限速度以上を出して追い越していく車があっても、気にしない、気にしない。先の信号機に引っかかり、停車中。そのうちに、追い越していった車を、今度はこちらが追い越してしまうという案配。信号機と信号機の間の距離を制限速度で走ると信号機に引っかからないように信号機を制御しているというわけだ。

 つまり、遅いもの勝ち、つまり、車版「ウサギとカメ」

なのである。制限速度以上のスピードを出しても、交差点の信号機で引っかかり、休んでしまうことになる。ゆっくり休まず信号機を通過していくほうが、結局、スピードを出した車、ウサギを追い越してしまう。こうした発想で、スピードの出し過ぎや、信号機の待ちでイライラを解消し、交通死を少しでも減らそうというのだ。

 高尚な言い方をすれば、

 「スローシティ」

の発想だ。競争とスピードと効率を優先する社会から、人間らしいリズムでゆったり暮らすまちづくり運動である。イタリアン流「スローフード」運動の流れをくむ考え方である。

 それにしても、豊橋市は、というか、愛知県は

 会社採用は「早いもの勝ち」という樹研工業/ 車運転は「遅いもの勝ち」の愛知県警。

というように、ユニークな発想の持ち主が多いのかも知れない。2009.06.10

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金のない悲劇、金のある悲劇  映画版「ハゲタカ」を読む

 浜松に住むようになって映画館が近くになったせいか、最近はよく映画館に行くようになった。封切りの「ハゲタカ」を土曜日の夜、見に出かけた。まず、投資ファンド代表、鷲津役の主演、大森南朋のニヒルで、一度も笑わない演技が光った。目だけで演技をするのは大変なことだ。映画のエンディングで一度だけメガネをしていない顔が大写しになるが、間抜け面でよくない。十秒ほどでふちなしの横細のメガネをかけて、振り向き田舎道をすたすたとニヒルに歩き去るシーンはすばらしい。かつて、このほこりだらけの道をあの赤い「アカマ」自動車が走り去ったことから、物語が始まったことを観客席に知らせる絶妙な演出である。

 映画の最後で、次期社長になる芝野(俳優、柴田恭兵)が、会社を敵対的買収から救ってくれた鷲津と別れの挨拶をする。そのときの芝野の言葉が印象的だ。

 「幸い、日本人にはまだ、勤勉さと誠実さがある」

と。所詮、強欲資本主義は脇役にすぎない。実業としての「ものづくり」には、この二つが欠かせないと言いたいのだろう。これは、アメリカの投資ファンドに見られる強欲資本主義を痛烈に皮肉っている言葉として、痛烈だった。

 映画では、敵対的買収に乗り出した劉の言葉に、

 「悲劇には二つある。金のない悲劇と金のある悲劇」

という言葉も一面の真実を言い当てていて、感心した。カネがすべてという強欲資本主義をその中にいる人物に語らせているのも面白い演出である。

 この映画を見終わって、ふと、堂目卓生(大阪大学大学院(経済学)教授)の近著、

 『アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中公新書)

を思い出した。カネのないものは、アダム・スミスが『道徳感情論』(1759年)で述べている「財産への道」を目指す。そして、徳への道を踏み外し、悲劇を招く。カネのあるものは、それゆえに「徳への道」を踏み外す。

 「したがって、スミスが容認したのは、正義感によって制御された野心であると結論づけられる。それは、フェアプレイのルールを守ること、胸中の公平な観察者が認めない競争を避けること、「徳への道」と「財産への道」を同時に歩むことでもあるともいえる。これらは、すべて同じことを意味する。スミスにとって、正義感によって制御された野心、および、そのもとで行われる競争だけが社会の秩序と繁栄をもたらすのである。」(同書)

ということになる。これは次期社長となる芝野の信念でもあろう。

 国富論や道徳感情論が言う「神の見えざる手」=市場メカニズムも、勤勉さや誠実さが根付いていない社会では、お手上げなのである。

ここまで書いてきて、また、ふと、アダム・スミスのこの『道徳感情論』(1759)の内容は、梅岩の石門心学、つまり、日本流に言えば、勤勉さと誠実さをもって「お互いに身が立つように配慮しながら、各人が自分の利益を追求する道こそが商人道」(『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』)の中身と基本的に同じではないか、と気付いた。西洋流の表現で書かれた商人道(あきんどどう)=石門心学がスミスの『道徳感情論』なのだ。

 日本では「商人道」提唱者として石門心学を創始した石田梅岩(1685-1744年)が有名。アダム・スミスより20年近く早く著作を出している。それらで梅岩は経済と道徳の関係について哲学的に考察した。この考え方は、今日まで受け継がれ、映画の芝野の言葉として表れているように思う。2009.06.07

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「DNAの魔力」 足利事件の弁護人、佐藤博史氏執念の言葉

 その道に執念を燃やし続けた人間には、その人でなければ言えない一言がある。そんなことに気づかされた番組が、このところ続いた。

 一つは、6月6日NHK番組アーカイブス。先ほど亡くなった天衣無縫の人生を送ったと思っていた棋士、藤沢秀行の死ぬ間際に必死で筆を取ってしたためた、

「強烈な努力」

という「遺書」である。墨で横書きに黒々と一メートル以上の紙に書かれていた。弟子たちへの励ましであろう。天衣無縫と外からは見られていたかもしれないが、秀行氏の心の中ではそれとは無縁の世界を歩んでいたのであろう。ひとかどの人物ともなると、その人生を一言で表す、これまで誰もが使ったことのない、しかも、短い、しかも、パッとすぐにわかり、なるほどとひざを打ちたくなるような手垢で汚れていない言葉を持っている。藤沢氏の場合、それが「強烈な努力」であった。わずか五文字。それでいて、これまで誰も使ったことのない自分の人生を表現している。この一言を紹介したことで、この番組を放送した価値があったと思う。

 もう一つは、DNA再鑑定で無期懲役囚、菅家利昭さんの再審無罪が確実となった足利事件の弁護人、佐藤博史氏の言葉である。日曜日午前の人気番組「サンデープロジェクト」に、生出演した菅家さん、佐藤さん、木谷明元東京高裁判事(現・法政大学法科大学院教授)、ジャーナリストの大谷昭宏の討論の中で、佐藤弁護士は、キャスターの田原(たはら)総一朗氏が、足利事件の裁判や再鑑定での道のりがこんなに長くかかったのはなぜか、という問うた。すると、佐藤さんは、一言

「それは『DNAの魔力』があったから」

 つまり、警察にも、検察にも、そして、公正に裁かなければならない、一審の宇都宮地裁、二審の東京高裁、そして最高裁の裁判官にもDNA鑑定は絶対正しいという神話が魔力となって彼らの思考を縛り付けたということだろう。そのことを、わずか六文字で表現、言い切った。すさまじい執念であり、驚いた。

 静岡新聞は足利事件について、

「この教訓を無にするな」

という社説を掲げている。もっともだが、その前に、

 菅家さん本人に対して、検察や、たずさわった裁判官は何をすべきか

がまず、問われるべきであろう。企業などが反社会的な不祥事、事件を起こした場合、記者会見して、社会に対し頭を下げて謝罪している。これと同様、裁判所や担当裁判長裁判官は、再審の判決確定時など、しかるべき時期にきちんと謝罪会見をすべきであろう。その時、その時、きちんと適法な手続きをしているとして逃げるようでは、司法不信は深まるばかりだ。司法の権威を守る前に、被告の利益を守るのが裁判官の仕事のはずではなかったか。三審制は責任の所在をあいまいにするためにあるわけではない。とりわけ、一審の宇都宮地裁(女性の池本裁判長裁判官)の罪は重い。なにしろ、菅家さんとその家族の人生を左右しかねないDNA鑑定の信用性について、警察庁が科学捜査の手段としてDNA鑑定の導入を決定してからわずか半年後の「DNA一致による」逮捕事件であったことから、慎重な吟味が必要だったにもかかわらず、それを怠ったと言われても仕方がないからだ。厳しい言い方だが、人生を踏みにじったと言われても仕方がない。確定判決後も、弁護人からの再鑑定を含めた再審請求(2002年12月)について、時効(2005年)をまたいで、再審棄却決定(2008年2月)まで6年もかかったのは、「放置」に近い状態であり、この間真犯人を裁く時効が成立するなど、宇都宮地裁の責任は重大である。この汚名返上名誉挽回には、やり直し裁判が好機であるととらえてほしい。

 「検察一体」が原則の検察側は、こうした事態に対して、ただちに、ほかの事件の再鑑定に備えた証拠保全の措置、本事件での捜査のあり方に問題はなかったかなど、検討する方針を打ち出している。再鑑定で真犯人のDNA型は確定している(ただし、時効は成立している)。これに対し、弁護側の合理的な根拠を示して再鑑定を求めていたのにもかかわらず、再審・再鑑定を長く「放置」してきた裁判所、特に再審請求に対して棄却決定するだけで6年も費やした宇都宮地裁がこの事態に対し、現時点では何ら反省なり所見を述べるなりの姿勢を社会に対して見せていない。これをもって「司法の独立」というならば、司法の独立とは、どこからも責任を問われない「司法の無責任体制」のこととなってしまう。独立には自浄能力を持ち合わせることが前提なのに、知らんぷりでは職務怠慢であろう。

 「疑わしきは裁判所の利益に」

ということにまでなりかねない。司法は独立であり、都合の悪いことは知らんぷりの「疑わしきは裁判官の利益に」とも言えるかもしれない。裁判員裁判は、こうした司法不信を払拭する役目も担っているようだ。裁判を裁判官だけに任せておけば、とんでもないことになるということの一面を足利事件確定判決後の裁判所の動きは示している。

 この事件で、高裁が再審を決定すれば、検察側が再審を受け入れることは確実。そうすると、確定判決を出した一審、宇都宮地裁でやり直しの審理が開始される。早ければ年内にも無罪判決が出て、確定する運びのようだ。

 今後注目される問題は、再審の場で、無罪の論告をする予定の検察や警察に対して、弁護側が求める自白に至った経緯を検証するため、取り調べをした警察官や検察官らの証人尋問を、宇都宮裁判所が認めるかどうかである。おそらく、裁判所は、その必要性はないとして却下した最近の富山強姦誤認逮捕事件同様、認めないであろう。被告人に対して、裁判官仲間として一審確定判決の誤りに対して、謝罪するかどうかも注目されるが、可能性は小さいだろう。

 裁判官にとって、検察側に不利益をもたらす決定をすることは、何の利益にもならない。出世の妨げになるだけであるからだ。たとえ、その結果が被告人に多大な不利益になったとしても、考慮外なのである(平たい言葉で言えば、そんなことは知ったこっちゃない、というわけだ)。ここでも、

「疑わしきは裁判官(と検察)の利益に」

の原則が裁判官を縛り付けている。「疑わしきは被告人の利益に」は、厳しい言い方だが、もはや死語になりつつある。何しろ検察が起訴した事件の99%以上は、有罪になっているのも、こうした背景があるからだ。出世をあきらめるなら別だが、この数字にあらがえる裁判官はほとんどいない。冤罪が増えているのも、裁判官は検察に不利益な決定、判決を出さないことと無縁ではない。

 願わくば、こうした批判に正面から答え、再審では宇都宮地裁は検察の論告求刑どおり無罪判決を出すのではなく、検察に遠慮せず、自らも自浄能力を発揮し、毅然とした決定や判決を出してほしい。そして、司法不信を払拭してほしい。再審をセレモニーにしてはならない。これが足利事件の教訓を生かす道だ。2009.06.07

 私が20年勤務した北國新聞社の6月5日付北國新聞社説は足利事件について、

 足利事件は「科学捜査にも『絶対』はありえず」(主見出し)という重い教訓を警察、さらには司法全体に突きつけた、としている。結びは、科学捜査で得られた犯人の手がかりに過度に依存せず、(ほかの)物証を幅広く集める地道な努力が大事である、となっている。穏当で、妥当な主張だろう。ただし、上記のことを考えると、もう一歩、突っ込み不足であることは否めない。

 足利事件/警察・検察、裁判所は謝罪を

 これが正解である。教訓の前に謝罪が必要だ。2009.06.08

 

 

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数学に強いスーパー匠の技 100万分の1ミリ技術の小さな「ナノ」メーカー

 これだから、全国紙の夕刊はやめられない。面白いのだ。驚くのだ。朝日新聞夕刊の6月1日付から四回連続で「人生の贈りもの」シリーズの中で愛知県豊橋市にある中小、というか、小企業

 樹研工業(社長・松浦元男、73歳)

を取り上げている。世界に冠たる「オンリー・ワン」企業である。第一回は「世界一の固有技術」を追い求めて」である。1000分の1ミリの精度でものづくりをする職人技、匠の技は世の中にはいくらでもある。しかし、この会社は、それよりもさらに1000分の1も小さい、

 100万分の1ミリ=ナノ

の精度で歯車などの精密部品をつくる「スーパー匠の技」メーカーなのである。いわば

 驚異の「ナノ」メーカー

なのだ。米粒よりもはるかに小さい、今流行のウイルス程度の大きさの量産できる精密部品をつくるのである。ここまでくると、職人の技や経験、勘はまったく通用しない。代わって、世界最高レベルの設備とともに、人材では

 IT技術と数学の知識

が不可欠なんだそうだ。その装置も、免振装置を取り付け、クリーンルームに据え付け、そして、温度管理はなんと、100分の1単位でセットする。優秀な熟練職人が装置を使いこなし、技を磨くのに4年はかかるという。

 そんな会社だから、採用はとても難しいだろうと思っていたら、なんと、

 早い者勝ちの「先着順採用」

 入社歴がものを言う年功序列ではなく「年齢序列賃金」。年齢が同じなら給与も同じ!

 定年はなし。出勤簿なし。残業は自己申告。

 この話は、6月3日付に出ているから、興味のある人は一読の価値がある。

 73歳の社長は、「次は海外」と本気だ。

 その社長の一言、

 「日本は法人税が高い。(地方税とあわせた)実効税率をせめて欧米並みの30%程度まで引き下げてほしい(現行41%)」

 以前から、経団連が同じことを言っているが、この社長が言うと、小生、思わず、「そのとおり」とうなずいてしまった。

 企業は人なり

であることを、あらためて、思い知った記事との出会いであった。2009.06.06

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匠の技  西本願寺の構造、耐震、耐火設計の驚異

 伝統的な建築には、名もなき「匠の技」が隠されている、という言い方がある。その秘密が明るみに出るのは、その建築物の解体修理の時である。修理とともに、さまざまな科学的な、というか、建築学的な調査が行われるからである。

 その一つが西本願寺の10年にわたる大修理事業である。先日、その10年間にわたる修理の様子が、NHK土曜日の番組「ワンダー×ワンダー」で建築家の安藤忠雄氏をゲストに迎え、紹介されていた。西本願寺(山号 龍谷山)は浄土真宗本願寺派の総本山で、豊臣秀吉の寄進で知られる。その中の中心、宗祖、親鸞を祭っている御影堂(ごえいどう)は、400年以上の歴史を持つ建築物。その屋根の修復が行われた。10年をかけて、瓦を取替え、屋根の解体修理が行われた。これは、三年後の親鸞750回忌を前にした大修理である。(御影堂は、親鸞時代には、「みえいどう」と呼ばれていて、大阪の石山本願寺など近畿地方を転々として移動していたのを、秀吉が京・下京区に本願寺として寄進した。これが今の西本願寺)

 まず、構造設計での「匠の技」。瓦をのせる屋根組みでは、曲がりのある軒材に、強度が強い曲がった木が使われていた。木材の根元からのまがり具合をそのまま生かし、屋根の曲がりのある軒材に利用した。そうした木は崖などに生え、育った。それだけに、まっすぐな木に比べて風雨にさらされて育っただけに粘りのある高い強度を保つ。自然を巧みに生かした構造設計になっていた。これなども伝統技術の技の一つであろう。

 次に、耐震設計。御影堂が創建されて400年以上、京都には幾多の大地震が襲ったが、ことごとく、その揺れに耐えて、創建当時のまま倒壊することもなく建ち続けている。ほかの寺院には倒壊などの被害が多くでているのに、西本願寺御影堂の耐震化に対する匠の技とはどういうものだったのか。一見、千畳敷の堂には、おどろくほど柱が少ない。このことに、建築家の安藤忠雄氏も驚いている。ほとんど壁らしい壁もない。普通だったら、地震による揺れで、ねじれが生じて簡単に倒壊してもおかしくない。それがどうして、大地震にもビクともしなかったのか。

 そのなぞは、お堂の外側部分に、雁木のような細い柱がぐるりと狭い間隔で屋根と土台とをつないでいる構造にあった。これで、ねじれを防いでいたのだ。今で言えば、雁木の柱同士が壁の働きをして、地震に対して強い構造をつくり出していた。このことは、実際に、お堂の各所に地震計を設置して、人工地震を起こして、いかにねじれが生じにくいか、その様子を番組では紹介していた。雁木柱のない場合に比べて、ねじれはほとんど生じていない。こうした耐震設計を400年前の巧みはきちんと知っていたのである。勘と経験もあっただろうが、それまで代々、そうしたことが伝えられてきていたのであろう。

 そして、最後は耐火設計。お堂の主、親鸞像が収められている建物の周りには、耐火設計が施されていた。1200年の歴史を刻む京都は何度も大火に見舞われてきたから、耐火の技術、耐火の匠の技は、相当磨かれていたと想像はしていたが、想像以上に優れた技があったことを紹介していた。お堂は漆喰で塗り固められた土壁で覆われている。その土壁には内部に水分を含ませていた。従って、外から土壁に猛火が迫っても、水分が蒸発しきってしまうまでは、大体、100度以上には建物はならない。そして、水分が蒸発してしまうと、初めて、土壁は温度が100度以上に上昇し始める。だから、大火があっても、二、三日ぐらいは内部の温度が人間が耐えられる状態に保たれた。そのほか、土壁にも一工夫がされていて、断熱効果を高めていた。

 こうしてみると、匠の建築技は、今日からみても、なかなか高度なものであったことがうかがえるのである。御影堂が世界遺産に登録されているのも、ある意味では当然であろう。こうした伝承技術も世界遺産条約が言う「世界的に見た場合の普遍的な価値」の一つであろう。

 なお、西本願寺の境内には、国宝、飛雲閣があり、かつて、ここに秀吉の聚楽第があったことを忍ばせている。

 また、西本願寺=もともとの本願寺に対して、同じ下京区にある東本願寺は、浄土真宗大谷派の総本山として知られている。東西に分かれたのは、秀吉亡き後の徳川時代に入った直後、1602年からである。東本願寺は、徳川家康が寄進したものである。2009.06.06

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なぜDNA型は一致したのか 人は見たいと思うものを見る

 前回の続きになるが、それではなぜ精度の悪い、また、導入間もないことでもあり、鑑定不慣れもありそうなのに、最初の鑑定でDNA型が一致したということになったのか、という問題が残る。これについて、ヒントを与える記事が、6月5日付朝日新聞朝刊「時々刻々」に出ている。

 足利事件の発生した1990年初頭では、DNAが一致しているか、どうかの判定は、人間の目で判定していた

 ここに問題がありそうだ。女児の肌着に残っていた体液のDNA型と、容疑者とされた男性のDNA型がなぜ一致したのか。

 まず、容疑者の男性のDNA型は「18-29」。ところが、旧鑑定では、体液と男性のDNA型はともに「16-26」で一致するとしている。この点について、弁護士推薦の再鑑定人は、旧鑑定人は二つの誤りを犯したと指摘している。

 第1は、男性のDNA型番がそもそも正しくなく、間違えた。

 第2は、男性のDNA型番と体液の型番が一致していないはずなのに、一致したと間違えた。

 再鑑定人は、このうち一番目の誤りは、当時の技術に限界があったことを考慮すれば、「責めるつもりはない」としている。問題は、二番目の誤りである。一致していることを示す写真が鑑定書の中に残っている。しかし、再鑑定人は「これでよく、同じ型と言えたな」と感想を漏らしている。そこからこの再鑑定人は、一致していると断定したのは「勇み足だった」と評価している。

 問題はなぜ、勇み足になったのかという理由だ。それは、一つは、今日では機器が自動的に判定してくれる(一致度の程度、正しさを確率でも表示)のに対し、事件当時では、目視であったからである。それでは、とても一致しているとは言えないようなデータに対して、なぜ、一致していると目で判定したのであろうか。

 ここからは、心理学の話であり、推定である。旧鑑定人(警察・検察側の)としては、期待される結果(つまり、一致しているという結果)を知らず知らずに、引きづられたのではないかと推測できる。DNA鑑定に限らず、

 人間は見たいと思うものを見る

という過ちを犯しやすい。例えば、火星人説を唱えたP.ローエルが20世紀初頭前後に火星表面を望遠鏡で観察し、人工的な線状の「運河」を「発見」して、高度文明の火星人がいると考えたのもその好例だ。この場合、火星表面の線状を確認するには望遠鏡の解像度が足りないか、ぎりぎりであったことから、知らず知らずローエルが見たいと思ったものを見たという結果を生んだのだ。意図的ではないこうした事例は、科学史上にはいくらもあり、研究分野に少なからず論争や混乱を招いている。

 こうしたことを排除するには、今回のように、対立する双方がそれぞれ別個に鑑定人を選定し、結果を比べることだ。たとえ機器の性能が劣っていても、人間の心理効果にできるだけ左右されない公正な鑑定が可能となるであろう。相手側も鑑定結果を出してくるということから、間違ってはならないという抑制効果が働き、その分、依頼人の期待に引きづられる効果を排除しやすくなる。もちろん、目視という人為が這入りこむような鑑定はできるだけ採用しない工夫も大事であろう。

 ローエルの場合の事件でも、さまざまな人が火星に本当に人工的な運河があるのかどうか、火星が地球に接近する二年ごとに、賛成派、反対派が競って線状模様の観測を行った結果、いわゆる火星人の存在はほぼ1910年代には完全に否定された。最終的な決着は、直接、火星に探査機を火星に接近させ、そこから「運河」を確認するには十分な高い解像度の写真撮影を行うことが可能になった1970年代であった。2009.06.05

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DNAという名の怪物 足利事件の教訓 

 今日、6月4日は、静岡県にとっては、念願の富士山静岡空港の開港の日。そんなお祝いムードの日となるはずだが、午後、編集局は、

 足利事件、無期懲役の受刑者の釈放へ 東京高検

となり、編集作業が忙しくなってきていた。無期懲役から釈放へ、と急転直下のこの事件について、ひと言でその意味を、つまり、教訓を言えば、

 科学的な物証だからといって、その結果に過度に依存することは、誤判を招くなどあやうい。自白などの供述も含めて総合的に判断しなくてはならない

 ということであろう。べつの言い方をすれば、

 かつて自白は犯罪証明の王様と言われた。戦後は、これに代わって、科学捜査の結果は、犯罪証明の王様と考えられるようになった。今回の事件は、そうした最近の風潮に対して、冷や水を浴びせたと言えよう。犯罪の証明は、自白、科学捜査の結果などを総合的に判断してなされるものであることを、今回の再鑑定は示している。事件から18年、動かぬ科学的な物証という名の怪物が法曹界を徘徊して、法曹界を縛り付けていたということだろう。

 鑑定結果には、その前提として必ずどの程度、その結果が正しいか、この事件は、その正しさの程度についてきちんと定量的に評価しておくことが大事であることを教えてくれた。

 この事件では、DNAが一致したことから、被告は、もはや抵抗することは無駄だと観念し、やってもいないことを自白したという。この結果が、今始まっている裁判員裁判に与える影響は計り知れないだろう。こうなると、物証があったとしても、自白の信用性をどう判断すべきか、裁判員は思い悩むであろう。

 被告に不利益な唯一の証拠が本人の自白のみである場合、憲法は、無理強いの自白の可能性を捨てきれないことから、有罪にされたり、刑罰を科されることのないことを規定している。しかし、自白を裏付ける物的な証拠があったとしても、それに合わせて自白する可能性があることから、有罪とは限らないことになる。ましてや、その物的な証拠が、今回の事件の最初の鑑定結果のように、ウソである場合、強いられたものではないにもかかわらず、自白すら信用できないことになる。

 最後に、少しうがった見方というべきか、今後、科学ジャーナリストとして慎重に考察すべき問題として、

 かつて、DNAが一致したとして、男性を容疑者扱いしたが、

 再鑑定の今回は、DNAが一致しなかったとして、男性を容疑者ではあり得ない

とすぐに言えるかどうかである。どちらもDNA神話におどらされていると考えるのは、考えすぎであろうか。検察はこの点を慎重にあらゆるケースを想定して、本当に「男性は容疑者ではあり得ない」かどうか、照合作業を行って、いわゆる「つぶし」を行って、最終的に「容疑者ではあり得ない」と結論づけたようだ。しかし、ここで言えることは

 「犯人かもしれないが、一致しないという再鑑定の結果では、ほかの証拠と総合的に判断するとしてもなお、犯人であるとまでは断定できない」

ということだけではないのか。2009.06.04 

 追加。2009.06.05

  一夜明けて、各紙「社説」を掲載している。5日付毎日新聞の社説「DNAの功罪見極めて」で気になった部分として

 「DNAは万能ではない。不一致が無罪の証明となっても、一致が有罪の証拠とは限らない、と考えねばならない。技術が向上し、精度が格段に高まった今も、過信は禁物だ」

 と慎重に書いているところだ。似たようなことは、5日付朝日新聞の社説「DNA型一致せずの衝撃」でも次のように述べている。

 「精度があがったとはいえ、DNA型鑑定だけに頼りすぎるのは危うい。捜査段階で犯人以外のDNAが紛れ込む可能性がある」

。捜査段階で犯人以外のDNAが紛れ込む可能性がある、ということは、毎日新聞の言う「不一致が無罪の証明になっても」とは限らないことになる。そうすると、毎日新聞の社説は、つぎのように書き替えなければならない。つまり、

 「DNAは万能ではない。(今回の再鑑定のように)不一致が無罪の証明になるとは限らないし、(最初の鑑定のように)一致が有罪の証拠とも限らない、と考えねばならない」

ということになる。ということは、どんなに精度があがったところで、DNA鑑定は決定的で科学的な証拠にはなり得ない、ということになる。証拠の王様などではなく、ほかの証拠と同格であり、だから

 総合的な判断力

が必要になる。そうなると、裁判員裁判というものの危うさも見えてくる。2009.06.05

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吾輩は天才、ミケランジェロである 脳動脈瘤手術で画才開花 ?

 ロンドン1日時事伝が面白い。環境白書の記事の出ていた6月2日付静岡新聞夕刊だ。英国人男性が脳動脈瘤手術を受けたところ、後遺症どころか、これまでまったく才能がなかった画才が開花したというのだ。この男性、ガラスセールスマンだが、手術後は、自分の絵を売るギャラリーをオープンしたという。

 絵を描くきっかけは、集中治療室で2カ月間過ごした際、病院側から絵を描くことをすすめられた。それではというので、犬の写真を摸写したところ、自分も驚くほどの出来栄えだったという。もともと絵は不得意だったから、本人もびっくり。いやはや、うらやましい。

 天才は忘れたころに、いや、脳手術後にやってくる

 こういう天才症状のことを、サバン症候群という。出産時の脳障害からこうしたサバン症候群はときどき歴史的上にも登場する。たとえば、万能の天才、レオナルド・ダ・ダビンチ、音楽のモーツァルトなどは、この部類だろう。2009.06.03

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途上国は怒っている もっと先進国は削減を

 世界環境デー(6月5日)を前に、ドイツ・ボンで開かれている気候変動枠組み条約会合で、途上国が温室効果ガスの大幅な排出削減を先進国に相次いで求めたという。6月2日付静岡新聞夕刊の国際面に小さく、ベタで出ている。なんと、途上国は先進国全体で2020年に90年比で「25-40%削減」や、「45%以上削減」を要求しているというのだから、これはもう、怒り心頭、怒っているとしか思えない。

 これに対し、矢面に立たされている日本など先進国は「すべての主要経済国が参加する包括的かつ公平で実効あるものにすべき」と主張、というか、防戦に必死のようだ。ここに言う「すべての主要経済国」には、中国も当然入るというのがミソ。政治的な駆け引きがいよいよ白熱している。

 そんな折り、京都合意の議長国が「4%増」を提案したりすれば、それこそ、非難轟々というよりも、爆笑ものだろう。ここはなんとしても、「増」ではなく「減」以外に道はない。

 ただ、面白いのは、この記事の上に、09年版環境白書の記事が三段で掲載されている。それによると、

 「二酸化炭素85%削減可能」

という。「?」という記事だ。よくよく読むとこうだ。「都市部にある密集住宅地を再開発し、緑地の確保や省エネ住宅の改築など最大限の環境対策を行えば、(地区全体の1日当たりの)二酸化炭素の排出量が(最大で)約85%削減できる」という、いわば無理に無理を重ねた上での環境省の苦心の試算なのである。2009.06.03

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氷河期がやって来る ! 太陽活動、200年に1度の低水準

 相変わらず、全国紙の夕刊が面白い。地球では、温室効果ガスの削減目標に右往左往しているかと思えば、なに、「太陽の活動が200年ぶりの低水準にまで落ち込んでいる。」と伝えているのは、6月1日付朝日新聞夕刊である。いわく

 太陽 元気ない/研究者「ミニ氷河期前兆?」 黒点数、200年ぶり低水準

と書いている。以前にもこの点については、少し書いたが、最近では活発さの指標である黒点がほとんどでないそうだ。黒点の数や大きさは約11年周期で活発になったり、静かになったりしている。黒点の数が多いのは、太陽表面活動が活発な証拠である。ところが、世界の天文台から届く観測データを取りまとめているデンマークの太陽黒点数データセンターによると、昨年一年間の太陽活動は、1913年以来の低調。今年に入ってこの四月までの太陽活動は、さらに低調で、1810年以来の低調さだという。

 太陽の活動、200年ぶりの低調

ということになるらしい。太陽活動には11年周期のほかに、数百年周期もあるらしいが、地球は、太陽活動の低調さから、ミニ氷河期に向かうかもしれない研究者は言う。

 こう考えると、百年単位で考えると、地球の大気の温度は、地球大気に起因する二酸化炭素などの温室効果ガスの濃度だけではなく、太陽の活動周期とも、当然関係することがわかる。

 地球全体で考えると、基本的に地球は今から12000年前の急激な温暖化で、文明が発達し始め、その後少しずつ多少のじぐざくはあるが、基本的には次の氷河期に向かっていると考えられている。そこに、18世紀からの世界的な産業革命化で、化石燃料を大量に消費することで、温暖化が始まったとされている。そこに、地球とは関係ない太陽表面の活動がこのところ100年、200年ぶりに低調となり、ミニ氷河期が重なり始めたということだろう。

 この結果は、温暖化の抑制ではなく、異常気象の増大であろう。地球のあちこちで、洪水と干ばつ、酷暑と酷寒のまだら模様となる。雪の降らない地域に豪雪、豪雪地帯だったところにもはや雪は降らないという異常気象が出現する。太陽活動の低調は、渡りに舟の温暖化の抑制とはならないというところが、悩ましい。気候変動は、足し算引き算で推測できる「線形現象」ではないことに注意すべきである。いわゆる、未来予測が大変に困難な「非線形現象」なのである。

 5年ほど前に公開された米映画「デイ・アフター・トゥモロー」(2004年公開)はこうした点を踏まえて、温暖化で大気の温度が上昇すると、ある日、突然、ニューヨークに氷河期がやってくるというストーリーだったが、現実味のある話であろう。

 温暖化で何が起きるのか、大変に気になることだが、こんな本(2008年発行)がある。

 『千年前の人類を襲った大温暖化 文明を崩壊させた気候変動』(河出書房新社)

 著者は、ブライアン・フェイガン氏で、カリフォルニア大サンタバーバラ校人類学名誉教授。気候変動と人間社会の関係を研究している人類学者。

 日本でも、今はなき『科学朝日』1994年11月号で

 特集 寒冷化と大化の改新 気候が歴史をつくった

を掲載している。当時の気候状況がわかると、歴史の必然が別の角度から見えてくると書いていて面白い。情報を提供した著者は安田喜憲(よしのり)・国際日本文化研究センター教授(環境考古学)。この記事によると、つかの間の温暖期に邪馬台国は繁栄したとか、大化の改新は寒冷期のピーク時に起きた、という指摘があり、なぜこのとき、この事件が起きたのか、気候から読み解けるらしい。面白い考え方ではあろう。

 それはともかく、

 大気の温度は、気候学的には、地球以外の原因でも変動する、あるいは

 現在、温暖化が進んでいることは事実だが、それが人為的な原因によるものかどうかについては、確たる証拠はない

 ということは間違いない。国益確保という政治問題化されすぎている温暖化問題を、より科学的な根拠を明確にした論議に引き戻すことが今、必要だろう。昨今の太陽活動はそのことを教えてくれている。2009.06.02

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クールビズ(CoolBiz) ホットな次期「温室効果ガス削減」 

 6月1日、月曜日ということで、小生のマスコミ会社でも、社内週報で、エコプロジェクト事務局からの通達として、

 6月1日からクールビズ/ノーネクタイ・ノー上着

を実施します、と出ている。合わせて温室効果ガス削減と省エネのために、

 冷房時の室温27度C

とします、としている。その後、この室温を28度Cと訂正している。寒がり屋の私としては、28度Cのほうがありがたいし、会社としても省エネ対策としてはこのほうが好ましいであろう。

 ところで、2020年を目標年とする次期「温室効果ガス削減」について、

 クールどころか、ほっとな「議論二分の中期目標」

と題して、5月31日付静岡新聞朝刊で特集している。現行では、日本は、二酸化炭素排出について、1990水準に比べて、2010年にはマイナス6%削減すると約束したのが十年前の京都合意。それが目標年の前年の今年、どうやらマイナスどころか逆にプラス9%ぐらいに増加する見通しとなっている。それをなんとか、目標達成の努力をしているかのように「ごまかす」ために、森林吸収を多めに見積もったり、排出権購入で糊塗を濁したり、と苦心惨憺してつじつま合わせをしている。これが現状である。

 そんな中、記事によると、2020年の増減幅(1990年比)で、日本は

 4%増から、25%減の6つの選択肢

が政府の「中期目標検討委員会」で提示された。論議は、なんと、産業界の「4%増」支持派と、環境団体の「25%減」支持派とが、綱引きし、鋭く対立している。理由はどうあろうと、これまで「6%減」を掲げてきた日本が、今も大気中の二酸化炭素濃度がジリジリ増加するなど、ますます温暖化が深刻化しているのに、いくら現実的な案だとはいえ「4%増」はないだろう。

 これは、木を見て森、いや地球全体を見ない自分さえ良ければそれでよいという考え方だ。京都合意の議長国だった日本にとって、今月中にどの目標値にするか決定するか、世界が注目している。もし仮に、この目標数値をそのまま今年末の締約国会議に提案すれば、国際的な批判はまぬがれまい。はっきりいって、天下の、いや国際社会の笑いものになるだろう。

 一方、環境団体の主張する、もっとも厳しい「25%減」というのは、いかに今から技術革新に力を入れようとも、そして、革命的な技術がただちに開発されて、日本中にあまねく普及したとしても、実現はいかにも現実離れしている。この数値は、気候変動に関する政府間パネルが、温暖化の深刻な被害回避には「先進国全体では2020年に1990年比で25%-40%減」が必要だとしていることを受けて、最低限の妥協で考慮されたものらしい。科学者の科学的な事実を踏まえた数字であるから尊重したい。しかし、だからといって、そのまま採用するというのはいかにも、知恵がなさすぎる。科学的な根拠に依拠しながらも、長期的な視点に立った戦略的な妥協が必要だ。戦略的な妥協としては、今年一月、日本は、二酸化炭素などの温室効果ガスの濃度分布を宇宙から高精度、海をも含めた広範囲、しかも時々刻々に測定できる衛星「いぶき」の打ち上げに成功し、そろそろ本格的な運用に入ろうとしている。こうした貢献も加味した約束が守れる数値目標を提案すべきである。数値目標だけをあれこれいじりまわして、大騒ぎするのは気楽だが、実りは少ない。戦略的に方策としては、環境保護派も、産業界も、もっと国民に主張を広くアピールすべきである。会議の場で、こそこそ、あるいは、がなりたてるた゜けでは、実りある論議にはなるまい。

 この意味で、「25%減」もまた、厚顔無恥にもほどがあり、できもしないことを平気で公約するのは能天気な、そして無責任な公約であるとして、天下の笑いものになるだろう。現在、「9%増」なのに、十年後に「25%減」にしますと、いくら数字合わせを示したところで、誰も信用しまい。こんな目標値を出せば、逆に、京都合意の議長国として責任が厳しく問われるであろう。一度約束を破った国がふたたびホラを吹いても、誰も信用しない。国際社会の笑いものになるだけである。国際社会はそれほど非情であることを知るべきだ。

 こんなことでは、ばかばかしくて、中国はもちろん、米国すら締約国会議に期待をかける気にもならないだろう。二酸化炭素問題は、科学者の予算獲得のためのお遊びではなく、国益をかけた冷酷なまでの戦いなのだ。環境省にだけ任せておけばいい問題ではない。

 そんなことを考えていたら、今年の夏はますます暑くなるのでは、と心配だ。2009.06.01

 そんなことを考えていたら、6月3日付毎日新聞朝刊で、

 温室ガス 調査ごとに結果に差/質問方法が影響か

と出ている。内閣官房の無作為抽出の面接による世論調査(回答約1200人)では、「90年比7%減」が最多で、45%が支持。ところが、環境保護派のNGO(ジャパン・フォー・サスティナビリティ)のネット国際世論調査では、「90年比25%減」が最多で、50%が支持するという正反対の結果となっている。同じ内閣官房調査でも、政府検討委員会の上記6案を提示し、意見をメールなどで募集したところ、1万7000通近い回答が得られたが、「90年比4%増」が最多で、74%が支持している。さらに、国内外のNGOが協力して調査会社に依頼した「90年比25%減」の評価に対する無作為電話調査(有効回答約1000人)では、「ほぼ適切」が最多で、41%が支持。

 これだけ差があるということは、調査する側の質問の仕方に主な原因があると、記事は分析している。

 内閣官房の調査のように、例えば大幅に削減すると、国民負担もそれに伴って増大するが、という誘導的な前提を述べて、調査すると、削減%は小さくなる。逆に、環境保護派の調査のように、例えば、公的な政府間パネルが「90年比25-40%削減」を科学的な根拠を挙げて試算しているが、という誘導的な前提を述べて、調査すると、削減幅は大きくなるだろう。

 つまり、削減目標の設定は、足して二で割る式の、もともと政治的にならざるを得ないが、その点を薄めて、その設定の客観性を国民にアピールするためには、調査主体を慎重に決める必要があることを示している。逆に言えば、国民は、調査の質問内容を十分吟味する必要があることも示唆している。

 ということは、政府としては「4%増」も「25%減」も採用できないことになる。はっきり言えば、まさにこの二つを足して二で割る式を地でいく「10%減」、すなわち、上記6案のうちの「90年比8%減-17%減」に落ち着くのではないか。この数字は、現行目標値「6%減」に比べては厳しい数字ではあるものの、「8%減」でもOKと解釈すれば、落としどころであろう。2009.06.03

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