« 吾輩は天才、ミケランジェロである 脳動脈瘤手術で画才開花 ? | トップページ | なぜDNA型は一致したのか 人は見たいと思うものを見る »

DNAという名の怪物 足利事件の教訓 

 今日、6月4日は、静岡県にとっては、念願の富士山静岡空港の開港の日。そんなお祝いムードの日となるはずだが、午後、編集局は、

 足利事件、無期懲役の受刑者の釈放へ 東京高検

となり、編集作業が忙しくなってきていた。無期懲役から釈放へ、と急転直下のこの事件について、ひと言でその意味を、つまり、教訓を言えば、

 科学的な物証だからといって、その結果に過度に依存することは、誤判を招くなどあやうい。自白などの供述も含めて総合的に判断しなくてはならない

 ということであろう。べつの言い方をすれば、

 かつて自白は犯罪証明の王様と言われた。戦後は、これに代わって、科学捜査の結果は、犯罪証明の王様と考えられるようになった。今回の事件は、そうした最近の風潮に対して、冷や水を浴びせたと言えよう。犯罪の証明は、自白、科学捜査の結果などを総合的に判断してなされるものであることを、今回の再鑑定は示している。事件から18年、動かぬ科学的な物証という名の怪物が法曹界を徘徊して、法曹界を縛り付けていたということだろう。

 鑑定結果には、その前提として必ずどの程度、その結果が正しいか、この事件は、その正しさの程度についてきちんと定量的に評価しておくことが大事であることを教えてくれた。

 この事件では、DNAが一致したことから、被告は、もはや抵抗することは無駄だと観念し、やってもいないことを自白したという。この結果が、今始まっている裁判員裁判に与える影響は計り知れないだろう。こうなると、物証があったとしても、自白の信用性をどう判断すべきか、裁判員は思い悩むであろう。

 被告に不利益な唯一の証拠が本人の自白のみである場合、憲法は、無理強いの自白の可能性を捨てきれないことから、有罪にされたり、刑罰を科されることのないことを規定している。しかし、自白を裏付ける物的な証拠があったとしても、それに合わせて自白する可能性があることから、有罪とは限らないことになる。ましてや、その物的な証拠が、今回の事件の最初の鑑定結果のように、ウソである場合、強いられたものではないにもかかわらず、自白すら信用できないことになる。

 最後に、少しうがった見方というべきか、今後、科学ジャーナリストとして慎重に考察すべき問題として、

 かつて、DNAが一致したとして、男性を容疑者扱いしたが、

 再鑑定の今回は、DNAが一致しなかったとして、男性を容疑者ではあり得ない

とすぐに言えるかどうかである。どちらもDNA神話におどらされていると考えるのは、考えすぎであろうか。検察はこの点を慎重にあらゆるケースを想定して、本当に「男性は容疑者ではあり得ない」かどうか、照合作業を行って、いわゆる「つぶし」を行って、最終的に「容疑者ではあり得ない」と結論づけたようだ。しかし、ここで言えることは

 「犯人かもしれないが、一致しないという再鑑定の結果では、ほかの証拠と総合的に判断するとしてもなお、犯人であるとまでは断定できない」

ということだけではないのか。2009.06.04 

 追加。2009.06.05

  一夜明けて、各紙「社説」を掲載している。5日付毎日新聞の社説「DNAの功罪見極めて」で気になった部分として

 「DNAは万能ではない。不一致が無罪の証明となっても、一致が有罪の証拠とは限らない、と考えねばならない。技術が向上し、精度が格段に高まった今も、過信は禁物だ」

 と慎重に書いているところだ。似たようなことは、5日付朝日新聞の社説「DNA型一致せずの衝撃」でも次のように述べている。

 「精度があがったとはいえ、DNA型鑑定だけに頼りすぎるのは危うい。捜査段階で犯人以外のDNAが紛れ込む可能性がある」

。捜査段階で犯人以外のDNAが紛れ込む可能性がある、ということは、毎日新聞の言う「不一致が無罪の証明になっても」とは限らないことになる。そうすると、毎日新聞の社説は、つぎのように書き替えなければならない。つまり、

 「DNAは万能ではない。(今回の再鑑定のように)不一致が無罪の証明になるとは限らないし、(最初の鑑定のように)一致が有罪の証拠とも限らない、と考えねばならない」

ということになる。ということは、どんなに精度があがったところで、DNA鑑定は決定的で科学的な証拠にはなり得ない、ということになる。証拠の王様などではなく、ほかの証拠と同格であり、だから

 総合的な判断力

が必要になる。そうなると、裁判員裁判というものの危うさも見えてくる。2009.06.05

|

« 吾輩は天才、ミケランジェロである 脳動脈瘤手術で画才開花 ? | トップページ | なぜDNA型は一致したのか 人は見たいと思うものを見る »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/45232980

この記事へのトラックバック一覧です: DNAという名の怪物 足利事件の教訓 :

« 吾輩は天才、ミケランジェロである 脳動脈瘤手術で画才開花 ? | トップページ | なぜDNA型は一致したのか 人は見たいと思うものを見る »