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一行のメモ 『或る「小倉日記」伝』の場合

 科学論文の核になるヒントは、得てして研究室で生まれるというより、朝目覚めの瞬間とか、散歩の途中とか、夜中にトイレに立った瞬間とか、そんな場合に突然湧いてくる場合が多いようだ。だから、湯川秀樹博士は、いつもまくら元にメモを用意していたし、ノーベル化学賞の福井謙一さんも同様であった。でも、後から読み直すと、全く見当違いだったり、本人自身もそのメモがどういうものか読めないというのもあるらしい。だけれども、メモしなかったために、どうしてもその時のひらめきが思いだせず、悶々とすることも多いようだ。湯川博士から直接そんな話を聞いたことがある。物理学の研究者10年、その後、科学ジャーナリスト20年以上をまがりなりにも続けてきた小生も、そんな先人の知恵にあやかりたいと、いつもメモ紙を一枚ポケットに入れて、出歩いている。このブログもそんなメモ習慣から、ほぼ毎日書けるようになったのだ。

 こんなことは、科学者だけでなく、作家の場合にもあるようだ。先日土曜日、NHKアーカイブス松本清張生誕百年記念番組で直木賞作家の阿刀田高さんが、

 名作を生む一行のメモ

として、語っていた。一行でいいから、核心のメモがあると、そこから名作が生まれると述べている。一例として、清張の芥川賞受賞作、短編

 『或る「小倉日記」伝』(新潮文庫)

の一番最後の一行を挙げている。こうだ。

 「田上耕作がこの事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福かわからない。」

 森鴎外の小倉在住時代の三年間の日記が行方不明になっていることに目をつけた北九州市の障害のある郷土史家が母親とともに10年以上の歳月を掛けて調べ上げ、草稿段階まで仕上げて、戦後まもなく死亡した(事実は、終戦の年に母親とともに死亡)。そして、数カ月後、失われたと思われていた「小倉日記」が東京で発見された。このわずか一行の事実をヒントに、松本清張は、丹念にこの田上耕作の足取りをたどり、人物設定など少し変えはしたものの、短編の文学作品として仕上げたというべきか、昇華させたのである。その執筆動機は、この作品の最後の一行に凝縮されている。思いついたこの一行を書くために、清張は丹念に郷土史家の足取りをたどり、主人公の経歴や暮らしを詳しく調査している。実際の田上耕作は、作品の中の田上とはかなり違っていたようだが、歴史的な事実の中に清張の文学的なモチーフを組み込んだ大変に緻密な作品であると阿刀田氏はこの作品を高く評価している。事実は徹底的に調べ上げる。その上で、自分の文学、つまり「一行のメモ」を滑り込ませる。それが清張流の小説なのである。だから、

 事実は、小説より平凡なのである。決して奇ではない。2009.05.18 

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