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日本国憲法9条の源流 パリ不戦条約と国連憲章と-

 まもなく憲法記念日がやってくるが、いまさら、日本国憲法第九条の源流はどこか、という問題を論ずるのは、あまりにのんきだと叱られるかも知れない。しかし、それでは具体的に九条はどこから来たか、と真正面から訊ねられると、すぐに答えられる人は少ないだろう。日本国憲法は、1946年11月に公布(発布は1947年5月)。

 結論を先に言えば、パリ不戦条約(1928年)と国連憲章(1945年6月)である。

 パリ不戦条約は、その第1条に「国家の政策の手段としての戦争を放棄する」となっており、また、日本の敗戦直前に制定された「国連憲章」にも「すべての加盟国は、武力による威嚇または武力の行使は慎まなければならない」(第2条)と定めている。国連憲章が戦争ではなく「武力」としたのは、日本がパリ不戦条約に加盟していたのに、シナ事変、満州事変だとして戦争という言い方をしなかったからだ。強弁で、戦争をどんどん拡大していったことに対する反省から、憲章づくりではそうした口実を封じるために武力による威嚇、武力の行使を禁止したのである。

 それでは、国家間の紛争を戦争によらないでどのように解決するのか、ということが問題になる。このことについて、パリ不戦条約は、何も触れていない。第一次大戦後に創設された国際連盟(1922年)の下に設置された国際司法機関、常設国際司法裁判所を想定していたのであろう。戦後は、これが国際司法裁判所に衣替えした。オランダのハーグにある平和宮に設置されている。ただし、これが有効に機能するには、紛争解決を訴え出た国に対して、訴えられた相手国が必ず受けて立つ「応訴主義」が徹底していることが不可欠だ。しかし、これは、応訴するかどうかは、不戦条約では訴えられた国の判断に委ねられた。戦後の国際司法裁判所の場合も、応訴するかどうかの判断は従来通り、訴えられた相手国の判断に委ねられている。

 この戦前の常設国際司法裁判所の所長に、国際法が専門の日本人の安達峰一郎が1931年=昭和5年に選ばれていることは、日本国憲法を考える場合、忘れてはならないだろう。「国際法の良心」とまで評価された安達だが、現職所長のまま亡くなったのは惜しい。戦争への道を突き進む時代にあって、日本にもこんな国際感覚を持った人物がいたことを、もう少し国民は知ってもいい。山形県山辺町出身。2009.04.09

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