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最高裁の良心は何処に? 和歌山・毒カレー事件判決

 和歌山・毒カレー事件の最高裁判決要旨を読んで、素直な感想を言えば、限りなく「黒」に近いとは言え、五人の裁判官全員一致で一審、二審(原審)の死刑判決を支持したのは誤りである。「疑わしきは被告人の利益に」の原則通り、「無罪」とすべきであった。それができなかったのは、社会がすでに被告人を犯人と決めつけていることに迎合せざるを得なかったからであろう。なぜか。それは裁判員制度を前に、最高裁の判断と多くの国民の常識との間に乖離があると思われたくなかったからであろう。この乖離を生み出したのは、小生もかかわる報道機関の影響が極めて大きい。疑惑段階当初、被告人から報道陣にホースで水をかけたときから、マスコミ界はすでに被告人を真犯人扱い、または「断定」していた。そうではあっても、法の番人として、そしてまた司法界の良心として、最終審の良識として、毅然とした判決を出してほしかった。被告人の自白がない上に、毒物混入を直接目撃した証人もいない。しかも物的な証拠も、状況証拠ばかりであり、これをいくら積み上げても直接証拠に代えることにはならない。引き算方式で被告人しかヒ素を混入させる機会がなかったから、犯人だではあまりにずさんな判決だ。いくら、被告人にヒ素をめぐる犯罪や疑惑が事件以前に複数あったとしても、想像たくましくて状況証拠の後ろ楯に仕立てることは許されない。本件は本件のみの証拠で立証すべきであり、過去がこうであったから、今回もやったに違いないという論法は冤罪を生む。むしろ、そのことを巧みに利用して、被告人が証言しているように、日ごろから被告人に恨みを抱いていた別の人間が被告人を陥れたという可能性を否定しきれない。

 最高裁判決要旨によると、「被告人が毒物カレー事件の犯人であることは①カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亞ヒ酸が被告の自宅などから発見されている②被告の頭髪からも高濃度のヒ素が検出され、その付着状況から被告が亞ヒ酸などを取り扱っていたと推認できる③(事件が起きた)夏祭り当日、カレーの鍋に亞ヒ酸をひそかに混入する機会があったのは被告のみで、被告が調理済みの鍋のふたを開けるなどの不審な行動をしていたことも目撃されている-などを総合することによって、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されていると認められる。」

①、②、③の状況証拠のなかでも、裁判官に強い心証を与えたのは、①の世界最先端の分析装置を使った鑑定結果であったであろう。これが、高精度の科学鑑定ではあっても、所詮は状況証拠にすぎないにも関わらず、あたかも決定的な証拠能力を持ったものと確信させたのではないだろうか。 

 捜査段階では自供したが、公判ではその供述を翻した。突然の大金所持などの状況証拠はあるが、直接証拠はない。金目当てが考えられるが、犯人とされた画家の動機ははっきりしない。生存者の証言による似顔絵が似ているという理由が逮捕のきっかけになった。そんな程度で毒殺大量殺人で死刑が確定した事件としては、戦後まもないころに起きた帝銀事件を思い出す。死刑確定後、元警視庁の捜査員ですら、毒物の手際のよい扱い方などから、平沢貞通は犯人ではないと公言するなど、冤罪説が根強かった。犯人とされた平沢は、結局40年近く獄中で生活し、死刑が執行されないまま医療刑務所で獄死した。95歳。生存中は何度も再審を最高裁に請求したが、認められることはなかった。冤罪の可能性が捨て切れないことから、「疑わしきは被告人の利益に」を準用し、国も死刑執行を思いとどまったのであろう。最近では、貞通の養子の武彦氏が、膨大な裁判記録のすべてをデータペース化する仕事に取り組んでいるという。

 今回の判決文を読んで、冤罪は出さないという最高裁の良心は何処へ行ったのか、いぶかしく思う。

 松本サリン事件の被害者、河野義行さんが、この判決について「自分が疑われたときも警察から状況証拠は真っ黒だと言われた。状況証拠はいくら積み上げても、(犯人の)立証にはならないのに、死刑になってもいいのか。あまりにも荒っぽい判決だ」と最高裁を批判している。同氏は、検察側の立証ができていないと考え、被告人支援のため、拘置所に何度か面会にも行っている。同氏のこうした批判や行動は重い。

 ここで述べた、小生の主張には、ほとんどの人が納得しないかも知れない。しかし、自白がなくても、また、直接の物的証拠がなくても、(都合のいい)状況証拠さえ積み上げれば死刑とすることができるという社会は「いつか来た道」である。動機が分からなくても、状況証拠が立証している。今回の最高裁の判決はそう判示し、(犯罪の証明がないのに)死刑を支持した。いずれ、今回の判決が、司法界の汚点として記録される日が来るだろう。  2009.04.23

 補記 4月24日付静岡新聞朝刊「毒カレー事件/最高裁判決/私の意見」が載っている。甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事専門、法学博士)の意見は、「動機不明は犯人性弱めず」として最高裁判決を全面支持している。冒頭、「被告台所から発見されたプラスチック容器付着のヒ素と、カレーに混入されたヒ素の同一性は、最先端の放射光施設、スプリング8を利用した蛍光分析に基づく鑑定などで裏付けられている」としている。このように同一性が高度の科学的根拠を持ったものであることを強調した上で、こう続けている。

 「この事実は、殺人事件の血液が付いた包丁が被告宅から発見されたのに匹敵する有力な状況証拠だ」とたとえている。しかし、このたとえは、誤りである。もし、たとえるとしたら、せめてこう修正すべきであろう。つまり、この事実は、殺人事件に使われた包丁そのものか、あるいはそれに極めて似た包丁が被告宅から発見されたのに匹敵する有力な状況証拠だと。なぜなら、科学分析の結果から言えることは、いわば凶器に当たるヒ素は被告宅台所にあったヒ素である可能性が極めて高いということだけである。あたかもその可能性が、科学的、統計学的に見て百パーセントであるかのような印象を与える「(被害者の)血液が付いた包丁」とまで、飛躍してたとえることはできない。(被害者の)血液が付いた包丁となれば、犯行に使われた包丁そのものを意味し、直接証拠にさえなり得るが、犯行に使われた包丁ときわめてよく似た包丁が被告宅台所にあっただけでは、状況証拠の一つに過ぎない。渡辺教授のたとえには、被告人は犯人であるという先入観による飛躍がある。たとえが適切ではない。わざわざスプリング8を持ち出して、高度に科学的な証拠能力があるかのように強調するところにも、科学ジャーナリストの端くれとして、私は同氏の意見に違和感を持つ。今回の科学鑑定について、渡辺教授は無条件に買いかぶりすぎているとの印象を強く持った。

 なお、4月25日静岡新聞朝刊には、同じく同連載の「私の意見」として、「林眞須美さんを支援する会」会員の片岡健(けん)氏が「予断広めた報道見直しを」として、「報道から抱いた先入観を排除し、冷静に見つめ直せば、法廷までもが報道の予断に支配されていたのではないかと思える不可解な認定がこの裁判には多い」と指摘している。その上で「マスコミが犯罪報道の在り方を考え直すキッカケの一つにはなるだろう」と今回の最高裁判決の意義を強調している。裁判員制度がまもなく始まる時期だけに、この指摘を真摯に受け止めたい。『週刊金曜日』などを発表の場にしているフリーライターの片岡氏は、この事件の再検証作業を続けているという。今後を見守りたい。2009.04.25

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コメント

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こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
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突然、失礼しました。
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投稿: hikaku | 2009年4月30日 (木) 15時14分

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