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「私のラジオ時代 」 大橋巨泉/倉本聰さんの場合

 平日の朝は、浜松から東海道線で静岡に通勤している。JR静岡駅南口からは、会社差し向かえの無料社バスに乗る。駅から、会社の玄関先まで直行してくれるから、便利である。始業時間に合わせて運行してくれるので遅刻もない。乗車時間は10分くらいだが、社関連のSBSラジオ(文化放送系、ニッポン放送系)が流れている。先日は、「週間エンター」で、シリーズで

 私のラジオ時代

というコーナーが流れていた。一人はカナダ、オーストラリアに住んでいてちょくちょく日本にやってくるらしい大橋巨泉さん。「クイズダービー」司会などテレビ時代の寵児だ。いまや、75歳だが、さすがに声は若い。テレビなどはなく、ラジオの時代の戦後間もないころから、ラジオ放送作家として、番組を構成し、自分でも出演していたという。自作自演というわけだ。競馬のラジオ番組にも出演している。これが、テレビ時代に入って人気番組「クイズダービー」司会に結びついたのであろう。時代の流れにうまく乗った。今やりたいことはと聞かれて、「好きなジャズのDJ」と意慾を示していた。声だけでなく、生きがいづくりでも若い、そう感じた。

 もう一人、倉本聰さんが出演していた。倉本さんも、今、74歳。やはり声は若い。今は北海道・富良野に住まいを構えていて、数カ月に一度、仕事の関係で東京に出てきているという。長寿テレビドラマ「北の国から」の脚本家、放送作家として有名だが、ラジオ時代には、軍管区情報やたずね人などの情報をアナウンサーとして淡々とこなしていたという。当時としては大変に視聴率の高い番組だったらしい。ニッポン放送に入社する前の東大文学部の学生時代は、演劇に熱中し、授業はまったくと言っていいほど出席しなかった。演劇を通じていろいろな人生勉強、作家としての勉強をしたらしい。卒業できたのは、カンニングで試験を切り抜けていたと言うから、人生は分からない。

 倉本さんの名言を一つ。ラジオとは何か、と司会者に聞かれて「ラジオは、最高の想像する芸術」と答えていた。売れっ子脚本家らしい言い方だ。実感だろう。しかし、最近は音楽番組は多いが、想像力を働かせるラジオドラマがほとんどないのは困ったことだと指摘していた。想像する時間を与えない騒がしいラジオ番組が多いせいであり、ラジオドラマが衰退したわけではないと強調していた。もっと想像する語り口のできる場がラジオにほしいということらしい。倉本さんは、今、ラジオドラマの脚本を書いているそうだ。まもなく、オンエアされるという。それで、思い出したが、想像するラジオ番組として、

 深夜の静寂の中で放送された「ジェットストリーム」

があった。あの語り口こそ、想像するドラマのある音楽番組である。倉本さんの話を聞いて、想像する朗読の時間がもっと深夜にあっていいとも感じた。

 それはともかく、この人の場合、ラジオ時代の苦労が、やがて訪れるテレビ時代で成功するための跳躍台となったことがうかがえる。

 二人はともに、ラジオの時代が、いわゆる修業時代だったのだろう。

 こんな生の話が聞けるとなると、朝の社バスの中の10分間ラジオは見逃せない。2009.04.22

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