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部と局の逆転に「喝!」  静岡県庁の組織考

 結果だけ見ると、おかしいな、戸惑うな、なんでこうなんだろう、と思うことがある。とくによそから転職などしてきて、そんなことを感じることがままある。よそから来たものだから、そうなった経緯は知らない。でも、なんで、世間一般とは違うのだろう。当の組織にいる人に聞いてみたいと思うのだが、もう慣れてしまったのか、なんでそんなこと聞くのという顔をして疑問にも思わないようだ。それになんだか、聞くのが失礼にあたるようで聞きにくい。

 そんな事例が、仕事柄ときどき訪れる静岡県庁の組織名にある。まず、知事の下に、厚生部などのいくつかの「部」がある。厚生部は、病院局などいつくかの「局」を束ねているのだ。局は、なになに「室」を束ねている。室長が室員、担当を統括している。教育委員会は、課で統一されていて、分かりやい。ただ、県庁レベルで全国を見渡すと、部と局の両方を使っているのはむしろ少ないようだ。

 新聞社では編集局、広告局などの局が社長の下に置かれている。それぞれに局長がおり、たとえば編集局には社会部、政治部、経済部を統括している。部長が、それぞれの記者クラブを統括、警察キャップ、司法キャップなどを束ねている。出稿されてきた原稿をどう紙面に割り付けるか、あるいは「没」にするか、それを決めるのは紙面づくりの責任者である「デスク」であり、それは局次長クラスがなっている。会社のほとんども部があり、その下に課があり、係や担当があるように組織されている。

 それなのに、しつこいようだが、静岡県庁の場合、まず、部があり、局を統括している。局は室を統括している。ところが、道路を挟んで県庁の真向かいにある静岡市役所では、基本的に局が部を統括し、部はいくつかの課を束ねている。課のなかに、担当がいくつかあるという組織立てで、会社組織に似ていて分かりやいす。私も転職前の職場がそうであったし、中央官庁もそうなっており、電話取材には便利で、慣れもあって取材しやすい。しかし、静岡県庁の場合、いちいち電話帳で部が束ねている局を確かめて取材を申し込んでいる。慣れてしまえば、たいした問題ではないように思うかもしれないが、半年たっても、なかなか慣れない。どうしても部長より、局長が上席と勘違いしてしまいそうなのだ。静岡市役所での取材では、局長が上席であり、部を束ねているというから余計、県庁の組織はややこしく映る。

 そんなことをひそかに思っていたら、4月14日付毎日新聞朝刊「多趣閑言」という記者デスク日誌欄に、新任の静岡支局長・照山哲史氏が同じ趣旨のことを「分かりにくい県の組織」と題して書いていた。同氏は、最後に、会社感覚の「誰にでも分かりやすい「部-課-係」に戻してもいいのではないかと思う」と大胆に提案している。

 静岡県はまもなく知事が辞任し、今夏には新しい知事が登庁する。ひょっとすると、「よそもの」の素朴な感覚を取り入れて、人心一新の手立てとして、部局見直しを断行するかもしれない。四期16年の長期政権のたるみに「喝」を入れるチャンスではあると私も思う。たかが「局」と「部」の組織名の入れ替えに過ぎないと言うなかれ。これを機会に、これまで16年の間の経緯でわかりにくくなってしまった組織立てをもう一度見直し、スリム化、無駄を取り除く行革につなげるとともに、人心一新のチャンスにしてはどうか。県庁に限らないが、比較的に豊かな静岡県には何事にも他県に比べて取り組みがにぶい、遅いという苦情が県民の中に根強くあるように感じる。「部」と「局」の逆転現象の改善には、一部県庁マンの意識改革に、意外に大きな効果があるように思う。

 今、世界的な金融危機と不況で一般企業は生き残りをかけて、大リストラ、組織の見直しを、切れば血の出るほどの覚悟で進めている。県庁だけが、危機意識を欠如したまま、ぬるま湯、他人事で仕事をしていると県民に思われないように、公僕の名に恥じぬ気概を示してほしい。2009.04.19

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